苫米地式認定コーチ CoacH T(タケハラクニオ) ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学びながら九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

タグ:超情報場

ブログ・シリーズ編

S-03:心のエネルギーとは何か? ~カナックス事件に学ぶ“心のエネルギー”をコントロールする方法~

S-03-14B)「無意識レベルでエネルギーを知覚」でのコントロール -前編-

 

シリーズ編第3弾(S-03)は、「心のエネルギーとは何か?」をテーマに、怒りに代表される情動の正体やその向き合い方について考察したいと思います。ぜひ皆さん自身の経験を振り返りながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-035):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19792909.html

 S-03-00(目次):

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19879680.html

 

…S-03-10までの分析をシンプルにまとめると、A)概念の階層にエネルギーが生じる→B)無意識レベルでエネルギーを知覚→C)意識化(エネルギーの情動への転換)→D)物理次元で発散 といえます。「怒り」に支配されないためにはどうすればよかったのでしょうか?

それでは「『心のエネルギー』のコントロールの方法」について考えていきましょう。

 S-03-11A)「概念の階層にエネルギーが生じる」レベルでのコントロール -前編-

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/20932747.html

 S-03-12A)「概念の階層にエネルギーが生じる」レベルでのコントロール -中編-

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/21033212.html

 S-03-13A)「概念の階層にエネルギーが生じる」レベルでのコントロール -後編-

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/21133126.html

 

 

B)「無意識レベルでエネルギーを知覚」でのコントロール

 

前回まで、「概念の階層にエネルギーが生じる」レベルで「心のエネルギー」をコントロールするための「思いっきり概念の階層を上げてしまう」という方法についてまとめました。

この方法が問題解決の本質であり、世界平和を可能とする程のパワーを持った最良・最強の解決策です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12808542.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12935992.html

 

まずは概念の階層を上がること、すなわち抽象度を上げることに挑戦してください(私も日々挑んでいます)。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

今回からは、B)「無意識レベルでエネルギーを知覚」する段階での「心のエネルギー」のコントロール方法についてまとめます。

 

医師として関わった60歳代のある女性は、だるさやめまい、吐き気などの体調不良、いわゆる不定愁訴を次々と訴えていました。しかしながら重症感はなく、本気で心配している様子ではありませんでした。

 

米国CDCCenters for Disease Control and Prevention、疾病予防管理センター)が公表する「Psychology of a Crisis」の中に、危機に瀕した時の行動(Negative Behavior)のひとつとして、MUPSMultiple Unexplained Physical Symptoms)が挙げられています。医学的に説明不能な身体症状が多発するというものです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

 目の前の患者さんはまさにMUPSのよう。情報空間上のバグ(身体症状の真の原因)を探るために、診察中にさりげなく質問を重ねました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14106619.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14248940.html

 

何気ないやりとりの中で本人が一番negativeな反応を見せたのは夫の話題でした。

 

身体的、すなわち物理空間での表現としては倦怠感や(末梢性)めまいですが、情報空間では「夫との関係性(縁起)上のエラー」と表現できそうです。情報(心)が物理(体)にあらわれていたのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

情報と物理はそもそも同じものであり抽象度の違いにすぎませんが、因はより高い抽象度次元にあります。この「まず先に高い抽象度で因として情報(処理)があり、その情報がより低い抽象度で果として表れ、ついには物理空間で実体として現れている」という見方が、認知科学者 苫米地英人博士が提唱する超情報場仮説(理論)が導きだす重要なポイントです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165789.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165823.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306380.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306438.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5445932.html

 

 超情報場を意識しながら本人が自身を客観的に見つめることができるように誘導していくと、ついに「夫と一緒にいるとなんかイライラする」と発言されました。

この「なんかイライラする」が「無意識レベルでエネルギーを知覚」です。

 

皆さんは日常生活の中で「すっきりしない感じ」「モヤモヤ感」「胸騒ぎ」「なんか落ち着かない感じ」などを感じることはありませんか?

 

このような“原因がはっきりしている訳ではないがなんとなく感じる違和感”が、「無意識レベルでエネルギーを知覚」した状態といえます。コーチング用語で表現すると、コンフォート・ゾーンを外れた状態であり、認知的不協和です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

 (S-03-15につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

F-086:「ダメ。ゼッタイ。」を超える! -3/5

 

 過去のブログ記事(フリーテーマ)で、医療目的で大麻が用いられるケースがあることに触れました。

 F-082http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/16660575.html

 F-083http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/16800020.html

 

日本では大麻を医療目的で使用することはできません。大麻どころか、すでに認められている医療用麻薬(オピオイド)の消費量も国際比で圧倒的に少ないことが明らかになっており、人権の観点で問題視されています。

 その一方で、麻薬の規制が緩く「生権力」という束縛から解放されているはずの国々では、「オピオイドクライシス」と呼ばれる過剰摂取や中毒死の問題が生じています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 

 では、どうすればよいのでしょうか?

 

 その具体的解決法について、コーチとして提言します。

過去の記事(F-082083)は、ディベートでいえばケースサイドに相当します。さらにケースを検証し(F-084F-085)、その後ケースに対するプランを提案します(F-086F-087)。最後(F-088)はワークです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

 F-084http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/16948245.html

 F-085http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17075755.html

 

 キーワードは「内部表現の書き換え(情報場の移動)」。

 そして、その「内部表現の書き換え」のポイントは

このシリーズの最後で。                          

 

 

 これからの日本を脅かすであろう「オピオイドクライシス」に対して、新たな“オプション”を有効活用しようという主張(クレーム)があります。その“オプション”とは「カンナビジオール(CBDCannabidiol)」。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

 

 私のCBDに対する立場は△です。確かに有効な“オプション”かもしれませんが、治療の本質ではないからです。

 

 CBDはあくまで物理空間での働きかけです。その作用・副作用がオピオイドより望ましいというだけです。もちろん物理空間での働きかけにより情報に影響を与えることはできますが、薬理作用にフォーカスしすぎると視点は情報空間の底面である物理空間に囚われたままになってしまいます。
 その結果、高次の因果はますますスコトーマに隠れるはずです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 高次の因果とは、「トータルペイン」でいうところの「心理的(精神的)」「社会的」「スピリチュアル的」苦痛のことです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8293317.html

 

 それらは物理空間より高い抽象度の情報空間に縁起として存在しています(物理空間は情報空間の底面です)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 よって、それらの苦痛をとるためには情報空間への働きかけ、すなわち「内部表現の書き換え(情報場の移動)」が必要となります。つまり、治療の本質とは「内部表現の書き換え」のこと。

 

 もちろん、内部表現を書き換えるには、物理空間から高次の抽象度空間(情報場)へフォーカスすることが重要です。そのためには身体的な痛みはもちろんのこと、不安・恐怖や怒りといった情動(心理的苦痛)からも解放されていなければなりません。

 そうでなければ、ファイト・オア・フライトといったような大脳辺縁系優位な状態から、高次の抽象度空間(情報場)へのアクセスを可能とする前頭前野優位にかわることができません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

 確かに、苦痛から解放されるために医療用オピオイドや大麻、CBDといった中枢神経に作用する薬物は有効でしょう。しかし、一時的に苦痛から解放されたときにしっかりと内部表現を書き換えなければ、薬の効果が薄れるとともに元の苦しい状態に引き戻されてしまうことになります。より高次の苦痛であればあるほど。

 

 生命(現象)とは、情報空間と(情報空間の底面である)物理空間に、同時かつ連続的に存在しているものです。情報が物理空間に写像としてあらわれた瞬間が「生」であり、物理空間に存在し得なくなった瞬間が「死」といえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14106619.html

 

 「情報が物理空間(情報空間の底面)で実体化している」という超情報場仮説で考えると、物理的身体は情報の写像であるといえるので、その身体での変化としてあらわれる「病」は情報空間から物理空間への何らかの表れといえます。自己表現ともいえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165789.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165823.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306380.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306438.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5445932.html

 

 違う言い方をすると、「病とは情報空間のバグ」といえ、仮観的には「何らかの機能・役割」です。その「バグ」や「機能・役割」には、より高次の抽象度空間(情報空間)に因があります。そして、その因は書き換えることができます。情報なのだから。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045827.html

 

 病として、あるいは何らかの症状として、物理空間に表出されている叫び(自己主張)を一時的に聞こえなくしているのがオピオイドに代表される薬物治療です。それは叫び(自己主張)をスコトーマに隠す役割を果たしているといえます。あくまで一時的にですが。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 念を押しますが、「オピオイドによる治療には意味がない」「薬物は役に立たない」と言っているのではありません。自己主張をしっかり受け止めたなら、その叫び(苦痛)を一時的に緩和するために薬物はとても役に立ちます。

 

 それ(薬物等による苦痛の緩和)と同時に、自己主張の元となる「情報空間のバグ」を解決(修正)することこそが重要なのです。(ケースサイド)。その解決手段が「内部表現の書き換え」です(プランサイド)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

 

F-087につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_318161.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292583.html

 

オピオイド-3(Wiki)

縦軸:依存性上に行くほど依存の可能性が高い

横軸:右に行くほど活性量と致死量が近い
Wikipediaより引用

 


Q-066:認知的不協和の状態にあり頭痛が続いています。適切なアファメーション、ビジュアライゼーションはどうすればよいでしょうか? Vol.3;宇宙の構造と生命(現象)の関係

 

 認知科学者 苫米地英人博士の読者の方から御質問をいただきました。セルフヒーリング&セルフコーチングのコツをイメージしながら、しっかりとまとめてみました。

シリーズ(計八本)でお届けします。

Vol.1 はじめに(目次):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13825164.html

 

 

Vol.3;宇宙の構造と生命(現象)の関係

 

前回(Q-065)、「『すべては決定的ではない』という事実は、西洋哲学(医学)から東洋哲学(医学)へのパラダイムの転換を求めている」と書きました。そして、「そのパラダイムシフトの鍵となるものは医療現場にすでに広がりつつあり、『超高齢化社会』における医療の重要なポイントである」とも。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13958654.html

 

その“鍵”とは「抽象度」です。

 

 

抽象度とは、情報空間における視点の高さを表すもので、分析哲学の中の存在論における「Levels of Abstraction」という概念の日本語訳です(日本語訳の際に「抽象度」と造語されたのは苫米地博士)。

「抽象度が上がる」ほど具体的な情報は減り、より抽象的になっていきます(ただし、上位に上るほど潜在的な情報量は多くなる)。反対に「抽象度が下がる」ほど情報量が増え、より具体的となっていきます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

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 情報空間とは、「人が認識する世界のすべて」です。

私たちは五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)および言語という六つの情報入力経路(=モーダルチャンネル これも苫米地博士の造語)により得られた情報を処理して、「世界」を認識しています。

私たちにとって目の前の世界とは、どこまでいっても情報だけで構築されている「情報空間」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654230.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654316.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831442.html

 

 その「情報空間」のうち、五感ではっきりと感じられる世界のことを特別に「物理空間」と呼びます。物理空間には物理法則という共通のルールが存在します。それは「制約」や「秩序」と言い表すこともできます。さらには「恒常性維持機能(ホメオスタシス)」と考えることもできます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831660.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971818.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971956.html

 

つまり、「物理空間(という情報空間の一部)を底面として、抽象度という軸上に階層性をもって広がっている情報空間」が宇宙の構造なのです。抽象度が上がるほど情報量が減っていくのですから、宇宙は四角錐のような構造とイメージできます。

(物理空間が四角の平面であるという意味ではありません)

 

 

宇宙の構造

 

 

 生命(現象)は、情報空間と(情報空間の底面である)物理空間に、同時かつ連続的に存在しているものです。情報が物理空間に写像としてあらわれた瞬間が「生」であり、物理空間に存在し得なくなった瞬間が「死」といえます。

 

 しっかりイメージしていただくために、PM-01-16(超情報場仮説-6)でも御紹介した認知科学者 苫米地博士の著書(「人間は『心が折れる』からこそ価値がある」PHP)から再度引用いたします。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html

 

 

引用開始

言葉で表現しようとすると、「何となく、レストランとわかる」としかいえませんが、「超情報場」でレストランを認識しているからこそ、物理空間における「レストラン」の存在を認識できるのではないかと考えたのです。

 抽象度の次元を上げていけばいくほど、圧倒的に情報処理が効率化されます。抽象度の高い次元から抽象度の低い次元を見れば、多くの一見ランダムに見える情報を整合的に判断できます。

 たとえば、私たちは平面に描かれたイラストを見ただけでも、それが何かを判断できます。三次元の世界を知っていて圧倒的に多くの情報量を持っているので、二次元のイラストを見ても何であるか想像がつきます。

 我々は三次元の「ボール」を知っていますから、平面の丸い形を見ても、「ボールではないか」と立体物をイメージできます。しかし、もし二次元しか知らない人がいたとしたら、平面の丸い形から、とてもではありませんが立体のボールは想像できないのではないでしょうか。

 同じように、次元の高い「超情報場」で「レストラン」という認識ができあがっている人間だからこそ、物理空間の多種多様なレストランを見て、「ああ、これはレストランだ」と認識できるのではないかと理論化されるのです

引用終わり

 

 

 この引用文中の例えを利用すると、生命(現象)という「三次元のボール」が、イメージ上二次元の平面で表される「物理空間(という情報空間の底面)」を通過することが、「生老病死(人生)」であるといえます

 

平面上をボールが上から下に向かって通過する(横切る)様子をイメージしてください。

 

 

平面に「三次元のボール」の下端が触れた瞬間が「生命の誕生」

通過するたびにだんだん大きくなることが「成長」

半分を過ぎだんだんと小さくなることが「老化(老衰)」

(その過程であらわれる変化が病)

「三次元のボール」の上端が平面から離れた瞬間が「死」

です。 

 

 

 引用文のレストランの例と同じように、「次元の高い『超情報場』で『生老病死(人生)』という認識ができあがっている人間だからこそ、物理空間の多種多様な生き様や死に様を見て、『ああ、これは人生だ』と認識できるのではないかと理論化できる」ことになります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html

 

Q-067につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

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Q-065:認知的不協和の状態にあり頭痛が続いています。適切なアファメーション、ビジュアライゼーションはどうすればよいでしょうか? Vol.2;西洋医学と東洋医学の違い

 

 認知科学者 苫米地英人博士の読者の方から御質問をいただきました。セルフヒーリング&セルフコーチングのコツをイメージしながら、しっかりとまとめてみました。

シリーズ(計八本)でお届けします。

Vol.1 はじめに(目次):

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13825164.html

 

 

Vol.2;西洋医学と東洋医学の違い

 

医療の現場にいると日々痛感しますが、日本の医療は西洋哲学がベースになっています。

「存在があり、関係が生まれる」というその根底にある考え方を医療に当てはめると、「病があり、それを診断し治療する」という感じです。

 

「病が“ある”」「体が“ある”」といえるのは、(あたりまえと感じるでしょうが)「物理空間が“ある”」ことが大前提になっています。

 

 ルネ・デカルト(15961650年)に代表される物心二元論(実体二元論)は、「この世界にはモノとココロという本質的に異なる独立した二つの実体が“ある”」というものです。実体とは「他の何にも依らずそれだけで独立していて存在しうるもの」のことで、アプリオリ(ア・プリオリ)と表現されます。

 

 物理空間に実在する体と、体とは別に存在する心が、「強い相関関係をもつ」というのが心身医学(心療内科)の根底にある考え方です。それを心身相関と表現します。体と心が別々のものであるという大前提のもと、体を対象にしているのが心療内科で、心を対象としているのが精神科です。

 余談ですが、心療内科の講座と診療科を持つ大学は、九州大学、東京大学、東邦大学、関西医科大学、そして私の母校である鹿児島大学の五大学のみです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306438.html

 

 この西洋医学の枠組みでは、病は絶対的存在です。よって、「アプリオリに存在する病を明らかにし(精査、診断)、ふさわしい治療を行う(薬物治療や手術など)」「心理的要因も悪影響を及ぼしているので、心と体を切り離さず総合的な医療を行う」という考え方になります。

 

 御相談の頭痛でいえば、「頭痛の原因を精査し、ふさわしい治療を行う(脳腫瘍や動脈瘤等の器質的疾患が原因であれば手術など。二次性でなければ薬などを吟味)」「(一番多い筋緊張型頭痛はとくに)ストレスが症状悪化の要因となるので、心のケア(カウンセリング等)や生活習慣の見直しも行う」という対応です。

 

 

 「存在があり、関係が生まれる」という西洋哲学に対して、東洋哲学では「関係があり、存在が生まれる」と考えます。それは「原因によって結果が起きる」という釈迦の縁起の思想がベースになっています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 「原因によって結果が起きる」「関係が存在を生みだす」という考え方は、「だから普遍的な実体などなく、物事は常に変わりゆき、永遠に変わらないものなどない」という考え方につながります。さらに突き詰めると、「この世に絶対はない(アプリオリなものはない)」と「この世は心(マインド)がつくっている」というプリンシプルにいきつきます。

 それを大乗仏教では「空(くう)」と表現します。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 釈迦哲学をベースとした東洋哲学の枠組みでは、病は「あるといえばあるし、ないといえばないもの」「あるともいえないし、ないともいえないもの」です。相対的存在であるともいえます。

 

例えば、西洋的な価値観(ブリーフシステム)では、心不全や腎不全は年齢に関わらず病と考えます。年齢を考慮して無理に治療を行わない場合、病の存在を前提とした上での「様子をみましょう」です。それは「諦める」に近い感覚であり、医療従事者の本音でいうと「敗北」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

それに対して、東洋的な考え方では、心不全や腎不全を「高齢者の自然な状態」と捉えることを否定しません。無理に治療を行わない場合、(病を包摂する)死に向かう自然な状態であることを前提とした上での「様子をみましょう」です。それは「受容する」に近い感覚であり、その時医療従事者が意識するのは「人生の最終段階(End of life stage)の支援」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8293317.html

 

もちろん、年齢で簡単に分別できるわけではありません。その人、その時の状況によって、病であったり、病でなかったりするといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7859896.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045827.html

 

御相談の頭痛でいえば、「頭痛は絶対的に存在するものではない(アプリオリではない)」「頭痛は心(マインド)がつくっている」とまずは考えます。よって、「リラックスして、自身の心を見直そう(止観)」という対応からはじめます。その上での医療です。

 

 「認知的不協和」を「頭痛の一因(主因)」と捉えている今回の御相談者は、(さすが苫米地博士の読者だけあり)止観がしっかりできています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

それは苫米地式コーチ/ヒーラー兼医師の私にとって、とてもうれしいことです。「すべての人が四苦(生老病死)を縁起的視点で解決することができ、苦しみから解放されている」というのが私のビジョンのひとつだからです。ビジョンとは、ゴールが叶ったときに自分が見ている世界(イメージ)のことです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 しかしながら、世間はいまだに西洋的なパラダイムに囚われたままです。20世紀の終わりに不完全性が証明されたという事実がスコトーマに隠れたままで、コンフォートゾーンを変えることができていません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

不完全性定理や不確定性原理が証明された現代においては、「神が創造した完全なる宇宙では始まりにすべてが決まっている。そして、その初期値と連続する因果の当然の帰結として現在の個々の思考や行動がある」という西洋哲学の因果律は完全に崩壊しました。「病が“ある”」「体が“ある”」ことを真とする「物理空間が“ある”」という大前提が崩れたのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654230.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654316.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831442.html

 

 

 「すべては決定的ではない」という事実は、西洋哲学から東洋哲学へのパラダイムの転換を求めています。もちろん医療においても。

 

 

 じつは、そのパラダイムシフトの鍵となるものは、医療現場にすでに広がりつつあります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8292888.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8293064.html

 

そして、それはこれから世界が迎えることになる「超高齢化社会」における医療の重要なポイントでもあります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8748974.html

 

その“鍵”とは「抽象度」。

 

次回(Q-066)説明いたします。

 

 (Q-066につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 

詳しくは後述しますが、苫米地式コーチング(&ヒーリング)は、西洋哲学と東洋哲学を包摂した立場をとります。

 

その理論的バックボーンである「超情報場仮説(理論)」では、「情報が物理空間(情報空間の底面)で実体化している」とし、物理的身体を情報の写像とみます。病は相対的な存在であり、物理空間上での自己表現です(もちろん健康も自己表現です)。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165789.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165823.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306380.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306438.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5445932.html

 

違う言い方をすると「病とは情報空間のバグ」といえ、仮観的には「何らかの機能・役割」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

その「バグ」や「機能・役割」といったものを、より高次の抽象度次元(情報場)で書き換えていくのが「苫米地式」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542426.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6681143.html

 

 


Q-062:犬好きではいけないのですか? <後編>

 

 「The Power of MindⅠ」第一章のラスト「無敵の意味」に関して御質問をいただきました。ありがとうございます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

 

“無敵”とは「敵が無いこと」と読めます。対立が無いことと考えてもいいかもしれません。それはどういう状態なのでしょうか?

 

私は、“無敵”とは、競争に打ち勝って頂点に君臨している状態ではなく、その視点あるいは生きる情報次元、つまり抽象度が高いことにより対立が生じえない状態と理解しました。より「空(くう)」に近い状態です。


例えば、「あなたはイヌ派ですか?ネコ派ですか?」とか「そば好き?うどん好き?」といった質問があったとします。このときに一つ抽象度を上げ、「動物派です」「麺好きです」と答えることができれば、対立の構図は無くなります。

 

 

 この部分を受けて、「私は犬が好きなのですが、それではいけないのでしょうか?」という御質問です。

 

答えを先に述べると、「動物好きでありながら、その中でも特に犬を愛している」のであればOKです。

 

しかし、「犬だけを愛している」 極端にいえば、「犬だけを大切に扱い、他の動物を虐げる」のであればNGです。

 

前者は「区別」、後者は「差別」だからです。

 

 

以下、前後編に分け、具体的に回答いたします。

前編:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13394812.html

 

 

このように概念は階層を持ちます。その階層を哲学や心理学では「フレーム」や「ゲシュタルト」と表現します。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

ここで抽象度という軸を考えると、階層は下位に下りるほどより具体的となっていきます。情報量が増えるのです。

反対に上位に上るほど具体的な情報は減り、より抽象的になっていきます ただし、上位に上るほど潜在的な情報量は大きくなります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

例えばプロ野球について考えると、「プロ野球ファン」は「ホークスファン」より上位概念となります。そして「プロ野球ファン」より「野球好き」が、「野球好き」より「スポーツ愛好家」の方がより上位の概念となっていきます。

 

このとき上位に上がるほどより抽象的になり、臨場感が下がっていきます。

 

「スポーツ愛好家」というフレームでは「福岡ソフトバンクホークスの日本シリーズ制覇」は大した話題ではないでしょうが、ぐっと(情報)次元を下げて「ホークスファン」というフレームで捉えると、「日本シリーズ制覇」は感涙するほどのうれしい出来事に変わります!

 

臨場感が上がるのです。

 

以前の私は野球観戦が大好きでした。学生時代にはバイトでお金を貯めては彼女(現在の妻)と一緒に福岡ドームに応援に行っていました。その頃は「ホークスファン」というフレームでしか思考できていなかったため、勝てばとってもうれしいのですが、負けるとすごく不機嫌でした。そして対戦相手やそのファンを“敵”として捉えていました。

“対立”があったのです。

 

苫米地博士に学ぶようになってから、勝った試合は「ホークスファン」というフレームで喜びを爆発させますが、負けたときは「野球好き」というフレームで野球観戦を楽しめたことに幸せを感じるようになりました。

 

そんな私の変化に気づいた家族や友人からは「大人になったね~」とずいぶん冷やかされましたが、その本質は「概念の階層を自由に上り下りできるようになった」ことといえます。

 

ここで大切なことは、概念の階層は、上から下に下りることは簡単にできますが、下から上に上がることはなかなかできないということ。

 

概念の階層を自由自在に移動するためには訓練が必要です。

そしてその大前提として、「人は、4次元の物理次元(時空)のはるか上に階層を持って広がる情報次元にまたがって存在している」ということ、すなわち「宇宙の構造と生命現象の本質」を体得する必要があります。

それを苫米地博士が理論化されたものが「超情報場仮説(理論)」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165789.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165823.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306380.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306438.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5445932.html

 

 

それでは質問に戻ります。

Q「私は犬が好きなのですが、それではいけないのでしょうか?

 

A:「犬好き」というフレームでしか考えることができなければ、“対立”を生じる可能性があるため危険です。「犬好き」という“こだわり”が、差別や争いの元凶になりかねません。

 

もし「動物好き」というフレームで思考することができれば、「犬好き」か「猫好き」かは“どうでもいい対立”です。しかし、それでは臨場感が下がってしまうので「動物好き」という視点を保ちながら、あえて「犬好き」のフレームに下りるのです。

「動物好き」でありながら同時に「(とくに)犬好き」であることは、何の問題もありません。

 

そういう見方ができれば、ステーキやハンバーガーを食べながら「クジラはかわいそうだから殺すな」と強いる愚行は犯さないはずです。

 

低い次元では差別や対立、そして争いが生じます。

情報次元の階層性を理解し上を目指すことは、世界の平和を実現するためにも、すべての人々が挑戦すべき生き方だと思います。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html
 

仕事の話でいうと、ともに働く仲間がゴールを共有し、高い情報次元で思考・行動することができれば、職場でのイザコザは無くなります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

そして、意見の対立をお互いのスコトーマを外す縁起に変えて、756倍の生産性を発揮するようなadaptive cultureを実現していくはずです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13076797.html

 

そんな働き方、生き方に挑戦してみたいとは思いませんか?

 

 コーチングをみんなで学び、お互いにサポートしあいながら実践していけば、きっと家庭でも、職場でも、地域でも、“無敵”を実現できます。

 その時、「人生の満足度(life evaluation)」「感情面での幸福度(emotional well-being)」は自ずと高まり、希望ある社会が現実化しているはずです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8430748.html

 

 もう一度伺います。そんな働き方、生き方に挑戦してみたいと思いませんか?

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 “無敵”を目指す私ですが、過去には痛い“失敗”をしました。

しかし、そこから学び、改めることでゴール達成の確信はむしろ強まりました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

そのゴールと達成の確信(エフィカシー)が新たな未来をつくりだし、「I」を「R」に変えていきます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

失敗から得た気づきに関しては、「The Power of MindⅠ」第六章にまとめます。ぜひフォローしてください。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124527.html

 

 


F-059:虐待で残る「分子の傷跡」

 

今回はjiji.com2018103日配信)の記事から御紹介します。タイトルは「児童虐待、被害者に残る『分子の傷跡』 研究」です。

https://www.jiji.com/jc/article?k=20181003037726a&g=afp

 

 ポイントは、

 

 ・虐待を受けた子どもは、そのトラウマ(心の傷)を示す物質的特徴が細胞の中に刻み込まれている可能性がある

 

 ・過去の虐待歴を調査する犯罪捜査の助けとなる可能性を秘めている

 

 ・トラウマが世代間で受け継がれるのか否かをめぐる長年の疑問解明への一歩ともなりえる

 

3点です。 

 

 以前のブログ記事でも、「情報的な心の傷が、物理的な脳の傷となる」ことを御紹介しました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10114934.html

 

 今回の記事中のカナダ・ブリティッシュコロンビア大学などの研究は、「精子細胞のDNA12の領域に、トラウマの痕跡が、『メチル化』として知られるDNAの改変として刻まれている」というものです。

 研究チームのニコル・グラディッシュ氏によると、「遺伝子を電球とみなすと、DNAメチル化はそれぞれの光の強度を制御する調光スイッチのようなもの」で、「細胞がどのように機能するかに影響を及ぼす可能性がある」ということです。

 

 遺伝子をめぐっては、これまでは受精時においてすでにプログラムが完了しているものと考えられていました。しかし現在は、環境要因や個人の人生経験によって活性化・非活性化される遺伝子が存在することが明らかになっています。

 

 つまり、遺伝子の働きさえも縁起に由るのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 この驚くような事実は、超情報場仮説(理論)でクリアに説明することができます。

 「まず先に高い抽象度で因として情報があり、その情報(処理)がより低い抽象度で果として表れ、ついには物理空間に実体として現れている」という見方が、苫米地博士が提唱する超情報場仮説(理論)が導きだす重要なポイントです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

 

もちろん、物理空間も情報であり、物理空間上の実体(今回の場合、遺伝子やDNA)も情報です。よって、情報の操作により(今回の場合、トラウマ体験やその後の人生経験により)書き換わっていくことは十分に想定できます。

 

 「抽象度」とは、情報空間における視点の高さを表すもので、分析哲学の中の存在論における「Levels of Abstraction」という概念の日本語訳です。

(ちなみに、日本語訳を造語されたのは苫米地博士です)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

 抽象度の高い情報空間の「心」と、情報空間の底面といえる物理空間での「脳(DNA、遺伝子、体物理空間上の存在)」が、そもそも一つのものであり、観察する抽象度での違いにすぎないと納得できるかが大きなポイントとなります。

それは「心と脳」や「心と体」で一語であると実感できるかどうかであり、「情報空間では体のことを心といい、物理空間では心のことを体という」という事実をしっかり受け入れられるかどうかということです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306438.html

 

「メチル化の度合いには経時変化が見られるため、被験者の男性の細胞を調べることで、虐待の行われた大まかな時期についても知ることができる」というのですから驚きです。

やはり、情報は常にアップデートされ(書き換えられ)、物理空間に刻まれていくのです。

 

とくに教育に関わる者や子育て中の親は、この事実にしっかり向き合い、自分の言動を厳しくコントロールする必要があります。不安や恐怖を使って子どもたちを支配するなど論外です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9815429.html

 

論文の筆頭執筆者 アンドレア・ロバーツ氏は、精子細胞内に含まれる虐待の痕跡が、受精後も元の状態のままかどうかについてはまだほとんど明らかになっていないが、今回の研究によりトラウマが次の世代に伝えられるかどうかの解明に向けて「少なくとも一歩近づいている」とコメントしています。

 

つまり、トラウマの記憶は当人を苦しめるだけではなく、次世代にも受け継がれる「負の連鎖」となる可能性があるということ。それが事実だとすれば、いまだに戦争が続き、ますます貧困が拡大する現代社会の行く末は、大変暗いものになってしまうといえます。

 

大脳辺縁系での情報処理から前頭前野での情報処理に変わっていったことが人類の進化といえます。それは抽象度の階梯を上がっていったこととも言い表せます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html

 

次世代に引き継がれるトラウマ記憶により「ファイト・オア・フライト」がますます起こりやすくなった未来においては、人類はそれまでの進化と逆行し一気に退化してしまうのかもしれません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

では、トラウマが脳の傷になったり、次世代に引き継がれたりすることを防ぐにはどのようにすればよいのでしょうか?

人類を退化から救うために、どのようなことに取り組めばよいのでしょうか?

 

その方法について、次回(F-060)考察したいと思います。キーワードは「BTTF」です(笑)。お楽しみに。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13626536.html

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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PMⅠ:The Power of Mind

PM-04苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ

PM-04-05病とは何か?

 

 この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。

 

 

病とは何か?

 

 WHO憲章に「dynamic」という言葉が加わった理由を考えると、必ずしも「病」を「健康」の正反対の概念とはとらえていないのかもしれませんが、一般的には「病」は「健康」の反対の概念として考えられています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7859675.html

 

したがって、「健康」を「幸福」とすると、「病」は「不幸」といえます。そこまでいわないにしても「幸福の阻害要因」ぐらいにはいえるはずです。

 

 日本語には「病気」という言葉もあります。対義語を調べると「健康」とともに「元気」という言葉があがっています。となると、「健康」=「元気」ともいえます。

WHO的には「健康」は「幸福」「満たされた状態」でしたので、「元気」とは「幸福」「満たされた状態」のことといえます。確かに、何かをきっかけに不幸を感じてしまったときには元気ではなくなりますよね。

 

しかし反対に、精神的に満たされた状態であったとしても、必ず元気は失っていきます。人は必ず年をとっていくからです。

 

「元気」は「元の気」と書きます。

生きているということは情報が(釈迦哲学でいうと縁起が)物理空間に結実しているということであり、それだけで大きなエネルギーを秘めているといえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

気とはエネルギーと同義で、その本質は抽象度の高低差で生まれるポテンシャルエネルギー(位置エネルギー)です。

 

何らかの原因で気(エネルギー)が病んだ「病気」は、その大きなエネルギーを一時的に失った状態といえます。物理空間での身体への治療と並行して情報的な原因を解決することができれば、気(エネルギー)は本来の状態に戻ります。「元気」になるのです。

 

その「元の気」は、人生という大きな単位で働くホメオスタシスにより、20才代前半まではどんどん大きくなり、その後はゆっくりと小さくなっていきます。その変化が「老い」です。

 

つまり、老いとともに人は必ず健康を失ってしまうものであるといえます。その先にあるものが死です。

 

WHOの定義まで含めると、生きるとは「必ず老いていく中で健康、すなわち“満たされた状態”や“幸福”を失いながら、やがて死を迎えること」であり、病とは「老いて健康を失っていく過程であらわれる変化であり、幸福を阻害するもの」といえます。

 

 では、苫米地理論では「病」とはどのように考えられるでしょうか?

 

「情報が物理空間(情報空間の底面)で実体化している」という超情報場仮説で見ると、物理的身体は情報の写像であるといえるので、その身体での変化としてあらわれる「病」は情報空間から物理空間への何らかの表れといえます。自己表現ともいえます。もちろん、健康も自己表現です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

 

違う言い方をすると、「病とは情報空間のバグ」といえ、仮観的には「何らかの機能・役割」といえます。その「バグ」や「機能・役割」は、より高次の抽象度空間(情報空間)に因があります。もちろん因は書き換えることができます。情報だからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

ただし、いくら高次の抽象度で書き換えることができるとしても、病や老いを完全に覆すことは不可能です。病や老い、死といったものは物理空間上にあり、その物理空間では物理法則が強力に働いているからです。秩序を維持するために。

 

つまり、書き換え可能な情報的な因を持つものが本来の病であり、老いを原因とする書き換え困難な物理空間での変化とは分けて考えた方がいいということがいえます。

 

(つづく)

 

 

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PMThe Power of Mind

PM-01苫米地理論とは? ~抽象度と超情報場仮説

PM-01-17超情報場仮説(理論)-7

 

...そのためにまずは抽象度という概念を知り、さらにもう一段上の階層から生命をみるという意識状態が重要です。平面の丸い形から立体のボールを想像できるように、物理的身体から生命の本質である情報(処理)をイメージできるようになると、その高い抽象度次元で情報を書き換えることで身体を変えていくことが可能になります。

 

その情報空間での書き換えとそれを物理空間に結実させる技法を、状況によりコーチングと呼んだり、ヒーリングと呼んだりしますが、本質的には同じことです。
 よって、よいコーチはよいヒーラーになれますし、よきヒーラーはよきコーチとなれます。

 

もちろん、それぞれに膨大な知識と技法の体系があり、それを習得する必要がありますので簡単なことではありません。しかし、その学びと実践の先には、低い抽象度宇宙では奇跡と思えるような現象を引き起こす力の覚醒が待っています。

 

余談ですが、苫米地博士が好きだと言いつつお酒を飲まれない姿に、「酒を飲んでIQを下げている場合か。まだまだ学ぶことはたくさんあるぜ~(笑)」という無言のメッセージを感じています。

私もいつの間にか、あれほど好きだったお酒を飲まなくなりました。高い抽象度で情報が書き換わり、その結果として物理空間での行動が変わってしまったのです。

私にとっては自然な変化でしたが、妻や親友にとっては異常に思えたようで、しばらくは「何か大きな病気を隠しているのではないか?」と本気で心配されました(苦笑)。

 

超情報場仮説については、苫米地博士の著作「思うままに夢がかなう超瞑想法」(PHP)や「認知科学への招待」(サイゾー)、苫米地ワークスDVD第一弾「超情報場仮説 ハイパーヒーリングとゴール現実化」等を御参照ください。

 

 繰り返しますが、鍵は「抽象度を上げること」です。

 

 「抽象度を上げること」には、苫米地博士御自身や博士に学ぶ私たちに共通のゴールにとっても、とてもとても大切な意味が内包されています。

 

 その意味について私の思いを述べて、この章を終わります。

 

(つづく)

 

 

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PM-01苫米地理論とは? ~抽象度と超情報場仮説

PM-01-16超情報場仮説(理論)-6

 

 超情報場仮説は、「もともと認識が抽象度の高い超情報場ともいうべきところでできあがっているからこそ、より情報の抽象度の低い物理空間の諸々のものを理解識別できるのではないか」という苫米地博士のひらめきから生まれました。

以下、博士の「人間は『心が折れる』からこそ価値がある」(PHP)から引用します。

 

引用開始

 物理空間というのは、私たちが五感で感じ取れる空間と言い換えることもできます。物理空間が対象としているのは、目で見えるもの、手で触れられるものだけです。人間は五感以外にも感じ取れるものがたくさんあるかもしれませんが、五感で感じ取れる情報だけを映し出したものが物理空間です。

 しかし私たち人間は、そのような「物理空間」ばかりでなく、もっと抽象度が高い「超情報場」を認識できているのではないか。そして、そこから抽象度の低い物理空間を見ているのではないか。それが「超情報場」という仮説です。

 具体的な例として示せば、レストランのことをレストランだとわかるのは、「物理空間」で判断しているのではなく、物理空間よりも抽象度の高い「超情報場」に「ここはレストランです」という見方ができあがっていて、それによって物理空間のレストランを認識できているのではないかと考えるのです。

 三次元の物理空間のみで「レストラン」を定義しようしても、「喫茶店」「カフェのある書店」「飲食可能な図書館」との区別はどうやっても定義し切れません。三次元の物理空間より抽象度の高い次元の「超情報場」ではレストランとその他のものが区別されていて、それによって人間はレストランを識別できているのではないかということです。

 言葉で表現しようとすると、「何となく、レストランとわかる」としかいえませんが、「超情報場」でレストランを認識しているからこそ、物理空間における「レストラン」の存在を認識できるのではないかと考えたのです。

 抽象度の次元を上げていけばいくほど、圧倒的に情報処理が効率化されます。抽象度の高い次元から抽象度の低い次元を見れば、多くの一見ランダムに見える情報を整合的に判断できます。

 たとえば、私たちは平面に描かれたイラストを見ただけでも、それが何かを判断できます。三次元の世界を知っていて圧倒的に多くの情報量を持っているので、二次元のイラストを見ても何であるか想像がつきます。

 我々は三次元の「ボール」を知っていますから、平面の丸い形を見ても、「ボールではないか」と立体物をイメージできます。しかし、もし二次元しか知らない人がいたとしたら、平面の丸い形から、とてもではありませんが立体のボールは想像できないのではないでしょうか。

 同じように、次元の高い「超情報場」で「レストラン」という認識ができあがっている人間だからこそ、物理空間の多種多様なレストランを見て、「ああ、これはレストランだ」と認識できるのではないかと理論化されるのです

引用終わり

 

 「心と体は強い相関関係をもつ」は誤りで、「心と体は同じもの」です。

物理空間を底面とする情報空間のすべての階層に同時に存在している“情報”が生命の本質であり、その存在を情報空間では「心」と呼び、物理空間では「体」と呼んでいるだけです。

 

もともと同じものなのですから、「強い相関関係をもつ」ように感じられるのはあたりまえです。「強い相関関係をもつ」ように感じられるところからもう一つ抽象度を上げることができると、今までの常識を覆す新たな世界を認識することができるようになります。

 

そのためにまずは抽象度という概念を知り、さらにもう一段上の階層から生命をみるという意識状態が重要です。

 

平面の丸い形から立体のボールを想像できるように、物理的身体から生命の本質である情報(処理)をイメージできるようになると、その高い抽象度次元で情報を書き換えることで身体を変えていくことが可能になります。

 

(つづく)

 

 

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PMThe Power of Mind

PM-01苫米地理論とは? ~抽象度と超情報場仮説

PM-01-15超情報場仮説(理論)-5

 

私の母校である鹿児島大学医学部には心身医療科があります。じつは日本の心身医学の草分け的存在で、その誕生は九州大学に続いて第一内科(当時)に心身症グループが立ち上がった40年以上前までさかのぼります。

 

私が医学生だった1990年代前半の心身医学(心療内科)の根底にある考え方は、簡単にいうと、「心と体は強い相関関係をもつ」でした。心と体は別々のものであるという大前提のもと、心を対象とする精神科に対して、体を対象にしているのが心療内科でした。

あくまで治療および研究の対象は身体疾患である心身症です。

 

心身症は次のように定義されています。「身体疾患の中で、その発症や経過に心理社会的な因子が密接に関与し、器質的、ないし機能的障害が認められる病態をいう。ただし、神経症やうつ病など他の精神障害に伴う身体症状は除外する。」(日本心身医学会, 1991

 

 当時の私は、直感的に、この考え方は本質を外していると感じていました。それでは加持や気功でがんが消えることを説明できません。「心理社会的な因子」まで診て、「機能的障害」までを治療の対象としているのですから抽象度が高いことは間違いありませんが、とても強い違和感を覚えていました。

 

ただ、当時の私にはそれ以上突き詰めることはできませんでした。

 

 その違和感は、苫米地博士に学ぶことで解決していきました。

 当時の心身医学は、情報空間の「心」と物理空間の「体」がどこかで結びついている(専門用語でグラウンディングと表現)と考えていましたが、本当はそうではなく、「心と体」はそもそも一つのものであり、観察する抽象度の違いなのです。

情報空間では体のことを心といい、物理空間では心のことを体というということです。

 

 超情報場仮説は、「もともと認識が抽象度の高い超情報場ともいうべきところでできあがっているからこそ、より情報の抽象度の低い物理空間の諸々のものを理解識別できるのではないか」という博士のひらめきから生まれました。

 

(つづく)

 

 

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PMThe Power of Mind

PM-01苫米地理論とは? ~抽象度と超情報場仮説

PM-01-14超情報場仮説(理論)-4

 

 医学的な事例で考えてみましょう。

 様々な調査にて残業時間が多い人ほど睡眠時間が短いことが明らかになっています。

睡眠時間は健康と大きく関係します。よって、残業時間が多いほど健康が損なわれる可能性が高くなるといえます。

 

その長時間労働による健康被害を防止するために、2002年から産業医による過重労働面談が始まり、201512月からは従業員50名以上の全事業所にストレスチェックが義務づけられました。

ストレスチェック制度とは、「定期的に労働者のストレスの状況について検査を行い、本人にその結果を通知して自らのストレスの状況について気付きを促し、個人のメンタルヘルス不調のリスクを低減させるとともに、検査結果を集団的に分析し、職場環境の改善につなげる取り組み」(厚生労働省ホームページより引用)です。

 

ストレスチェック結果や労災認定されたケースの分析により、大変興味深い事実が浮かび上がってきました。

脳梗塞や心筋梗塞といった身体の不調は残業時間が長くなるほど増えていく傾向がありますが、メンタルヘルスの不調に関しては必ずしも残業時間と比例していないのです。

仕事にやりがいを感じている人は長時間労働でもストレスが少ない人が多く、逆にやりがいを感じていない人は残業時間が少なくても高ストレスになる傾向があることがわかりました。

 

この分析結果を、「まず先に高い抽象度で因として情報(処理)があり、その情報がより低い抽象度で果として表れ、ついには物理空間に実体として現れている」という超情報場仮説の視点で考察すると、「高い抽象度である心(マインド)の次元での情報処理により“やりがい”が生まれると、その物理的写像である身体は”いい状態”になる」ということができます。

 

もちろん、物理空間は物理法則という秩序に従いますので労働時間が長くなればそれだけ物理的ダメージは受けやすくなりますが、鍵はあくまでも情報空間にあります。

 

よって、ストレスチェック制度の結果を受けて、物理的な「職場環境の改善につなげる」ことももちろん重要ですが、それ以上に心(マインド)での情報処理を磨いていくための取り組み、すなわち「苫米地理論の理解とコーチングの実践」が重要であるといえます。

 

(つづく)

 

 

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PMThe Power of Mind

PM-01苫米地理論とは? ~抽象度と超情報場仮説

PM-01-13超情報場仮説(理論)-3

 

 この「まず先に高い抽象度で因として情報(処理)があり、その情報がより低い抽象度で果として表れ、ついには物理空間に実体として現れている」という見方が、苫米地博士が提唱する超情報場仮説(理論)が導きだす重要なポイントです。

 

「情報場」とは、情報空間における特定の座標を指す言葉です。

 

情報空間には、人間の認識の数だけ、つまり無数に情報場が存在しています。

例えば、「ラブラドールレトリーバー」に関する情報が集まっているの場が「ラブラドールの情報場」で、「犬」に関する情報が集まっている場が「犬の情報場」です。“概念の塊”と考えると理解しやすいでしょうか。

ただし、「情報場」と言う場合、写像として物理空間に現れるものまで含みます。

 

この理がわかると、働きかけはより高次の抽象度で行うことが有効なことが理解できると思います。

 

「まず高次の抽象度の情報を正しく見て、その因果関係を再構築し、下の抽象度に落とし込む」これが苫米地式のエッセンスです。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

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