F-039:サッカーW杯コロンビア戦後の日本人女性侮辱問題 ~「何もないところからレンブラントを発見」の補足説明 Ⅱ~

 

 ブログ記事(F-034:「何もないところからレンブラントを発見は正しい?」)に関して、たくさん御意見・御質問をいただいています。ありがとうございます。

 (コメントは公開していませんので、ぜひ気軽にご利用ください。メールでもどうぞ)

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9672202.html

 

 ブログ記事(F-034)では、

・一昔前の西洋哲学では「存在が関係を生みだす」と考えていた

・東洋哲学では「関係が存在を生みだす」と考える =縁起の思想

・物理学においても(不確定性原理)、数学や哲学においても(不完全性定理)、「関係が存在を生みだす」という縁起の思想が正しいことが証明された

 ・よって、「何もないところからレンブラントを発見」という美術商のコメントは正しい

と書きました。 

 

その「↓」や「よって」に当たる部分について、F-036で詳しく解説いたしました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963314.html

 

今回も別の事例を取りあげながら、目の前の世界(宇宙)は、観測者(認識主体)と目の前の事象の双方向の縁起により存在するということを考えてみたいと思います。

 

case> サッカーW杯 日本vsコロンビア戦後の日本人女性侮辱問題

 

ロシア・ワールドカップのグループH1節 日本対コロンビア戦(2018619日)が行われたサランスクで、コロンビア人男性グループが日本人女性に侮辱的な言葉を口にさせたことが問題となりました。

 

SNS上に公開された動画には、コロンビア代表ユニフォームを着たコロンビア人男性と、日本代表ユニフォームを着た日本人女性二人が映っていました。

コロンビア人男性は映像には映っていない他の男性とともに、日本人女性の一人に「ハポン・ドス(日本2点)、コロンビア・ウノ(コロンビア1点)」とスペイン語で試合結果を言わせた後、「ジョ・ソイ・ビエン・ペラ」との言葉も口にさせています。

 

この「ジョ・ソイ・ビエン・ペラ」という言葉は、「私は良い売春婦です」という意味だそうです。動画は恥ずべきものであるとして、コロンビア国内で怒りとともに一気に拡散されました。

 

「ジョ・ソイ・ビエン・ペラ」という言葉を口にした日本人女性たちは、その意味を理解していませんでした。だからイヤな表情はしていなかったわけですが、その意味を知っていたらきっと怒ったでしょう。

反対にいうと、「意味が分からないからいいだろう」と考えたコロンビアの若者が、敗戦の憂さ晴らしをしたわけです。

 

この時点ではまだ、“侮辱”は(少なくとも日本人女性の心中には)存在していませんでした。

 

その後、SNSに投稿されたその映像を見たスペイン語を理解する人達の認識により、その動画は日本人女性に対する“侮辱”に変わりました。

コロンビア国内で政府が声明を発表するほどの大問題となり、日本でも報道されました。帰国した当該女性たちが「ジョ・ソイ・ビエン・ペラ」の意味を知ったとき、彼女たちにとっても“侮辱”として認識された(存在として新たに生じた)はずです。

 

 

「知らないと認識できない」

「認識すると存在として生じる」

 

 

これは、コーチングではRASとスコトーマのことであり、釈迦哲学では縁起の思想が示唆することです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

そしてそれは、教育や学習が重要な理由でもあります。

教育や学習は、認識を左右するブリーフシステムの形成に大きく影響を与えます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

情報空間にホメオスタシスが働く人類は、各人の認識により、すなわちマインド(脳と心)によって、目の前の宇宙を生みだすまで進化したといえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831660.html

 

目の前の世界(宇宙)は、観測者(認識主体)と目の前の事象の双方向の縁起により存在するそれが私たちが生きる宇宙の理です。

 

そして、観測者(認識主体)の知識・知能が上がれば上がるほど観測(認識)される宇宙が「たいしたことがある」ものに変わる可能性があるということが、(繰り返しますが)教育や学習が重要な理由です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124525.html

 

人間一人ひとりの認知のない宇宙は存在しません。

「物理宇宙は情報宇宙のひとつの抽象度に過ぎない」ということは、現代分析哲学で、そして現代物理学で明らかになった事実です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

 

ということは、「一人ひとりの(一瞬の)価値と全宇宙の価値は全く同じである」といえます。人間の価値にそもそも順位はなく、差別は存在しえないということです。

 

 21世紀の現代社会においても、人々の無意識下には、いまだに差別的な思想が刷り込まれたままです。それは自由を教えるべき教育現場においても垣間見れます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10117071.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10256517.html

 

 哲学や科学の研究で明らかになったのは「一人ひとりの(一瞬の)価値と全宇宙の価値は全く同じである」という真理です。

 

 その真理を学び(教育)、理解(学習)する人が増えるたびに、世界は確実に平和に近づいていきます。私たち人類は“無敵”へと進化していきます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

 その“無敵”への進化こそが、自由への道であり、教育のゴールであるといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9034343.html

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)