F-413:てげてげ <ver.3>
鹿児島の方言で「てげてげ」という言葉があります。それは「適当」「ほどほど」という意味で使われています。
【方言】「てげてげ」の意味と例文 | 47都道府県方言百科辞典
「あの人は適当だから…」というときの「適当」と同じように、「てげてげ」も必ずしもいい意味では使われていないようです。でも私は、子どもの頃から、「てげてげ」という語感が大好きでした。「努力」や「根性」という言葉と同じように。
F-109:気楽
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/19980130.html
「努力」「根性」から想起されるイメージ(ゲシュタルト)と「てげてげ」のイメージは、私の中ではなかなか相容れませんでした。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6193912.html
それでも「努力」「根性」と同じように「てげてげ」が好きだったのは、社会にすっかり洗脳されている一方で(←「努力」「根性」を礼賛)、そんな自分の姿に何か違和感を感じていたからなのでしょう。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5882652.html
今思うと、その違和感の正体は「束縛」。それは「have to(~しなければならない/してはならない)の押しつけ」です。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5882609.html
have to化を回避しwant
toをなるべく維持するために、「てげてげ」という言葉を使ってバランスを取っていたのかもしれません。子どもながらに。本能的に。
L-041:2020年7月マネジメント研修会レポート -01;イントロダクション
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/27054655.html
それが私にとっての「てげてげ <ver.1>」です。
苫米地博士に師事させていただくようになって、認識する宇宙は激変しました。もっと具体的にいうと、抽象度という軸が加わり立体的になっていった感じ。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html
抽象度を軸にした場合の情報空間の底面が物理空間(物理次元)です。博士と出会う前の私は、物理空間が宇宙のすべてだと思い込んでいました。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516539.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654230.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654316.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831442.html
この誤解(無知)は医師として働く私にとっては致命的でした(=無明)。生命現象は全抽象度次元にひろがっているというのに、その写像である物理現象でしか認識・理解・評価・判断ができないのだから。
Q-249:病気をどのように考えていますか?
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/28540879.html
その状態のままでは、生命現象の本質はスコトーマに隠れ、いつまで経っても認識できないまま。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721610.html
そのようなことがわかると、「てげてげ」の感触も変化していきました。物理空間では「てげてげ」をうまく維持しながら、次元が上がるほど「てげてげ」を超えリミッターを解除していく
…という立体的な感覚です。
Q-354:休みの日なのに…<vol.1;「無気力」と「やる気がない」の違い&G→M→CZ>
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/33182294.html
それが私にとっての「てげてげ <ver.2>」。
ところで、気軽に「次元が上がるほどリミッターを解除していく感覚」と書きましたが、次元が上がる=抽象度が上がる ことは決して簡単ではありません。なぜでしょう?
Q-060:「気軽」という言葉の奥底に潜むもの
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/13215570.html
…そう、私たちには必ず「煩悩」があるから。
Q-363:各エリアのゴールについて想いを馳せている… -A2<止;煩悩を意識する>
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/33604324.html
では、その「煩悩」の正体とは?
…苫米地博士は「我々の知性を形作っている言語こそが煩悩であり、その煩悩を作り出すのが他ならぬ左脳だ」と語られています。つまり、
「てげてげ」という言語表現にこだわることそのものが「煩悩」であり、その煩悩が限界を生みだしている
…ということ。それが「言語束縛」です。
L-194:2022年07月医療・介護研修会 -04;「言語束縛」を外すための二つの方法
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/36256269.html
以下、苫米地博士と博士の師僧 荒了寛先生の共著「煩悩の教科書 あなたも菩薩になる」(集英社インターナショナル、p89)より引用します。
煩悩と言語束縛
苫米地 考えてみれば、人間の知性は入ってきた情報を言語化、論理化することによって構築されてきたわけで、人類の文明は言語なくしてはありえなかったでしょう。
それだけ言語というのは偉大なものではあるのですが、物事を記憶したり、理解し、知的操作するうえで、言語化できない情報-たとえば視覚的な記憶など-は否応なく切り捨てられてしまいます。
しかし、さっきのウィルシャーのようなサヴァンたちは左脳の処理に障害があるために、そうした情報の切り捨て=言語化がなされないので見たままの情報をそっくり記憶から引き出せるのでしょう。
その観点からすれば、我々の知性を形作っている言語こそが煩悩であり、その煩悩を作り出すのが他ならぬ左脳だということになります。
それを私は最近「言語束縛」という言葉で説明しています。人間は言語によって知性を得たと言われますが、実際には言葉というフィルターを通して、世界を見るようになった。それによって情報の取捨選択はできるようになったけれども、その結果、スコトーマ、心理的盲点が生まれるようになった。
たとえば動物は自分がいる環境からのシグナルをすべて受け取り、環境の変化や外敵からの攻撃に瞬時に対応しようとしますが、人間にはそういう反射神経はない。動物は言葉を介在させずに生きているのに対して、人間は言葉によって世界を摑もうとしているからです。
ですから、言葉を知ったからといって賢くなったとは言えない。むしろ、言葉によって束縛されていることのほうがずっと多い。
その最たるものが宗教でしょう。
一般的な宗教もまた教説や教祖の伝説的なエピソードを知り、聖典を読むことで救われたような気になるのですが、実はそれは言葉によって束縛され、思考停止しているだけのことにすぎなかったりする。
この点、仏教が特異なのは-仏教の中にも、もちろん言語束縛が行われている部分もありますが-、我々が認識している世界は、しょせんは言語で束縛された心が作りだしたものであるということを教え、そこから脱していきなさいと教える点にあります。
たとえば、禅の修行なども結局は、この「言語束縛」を外していくのが目的だと思いますね。
よく誤解されるのですが、座禅の目的は「無念無想」になることではありません。そもそも「意志の力で心の働きを無にする」ということ自体が矛盾した話です。そんなことは、それこそ脳の機能を止めないかぎり無理というものです。
自然界とダイレクトにつながる
苫米地 では禅とは何のための修行なのでしょうか。それは一言で言えば、「言葉を使わずに世界を観る」ための修行です。
座禅を組んで、瞑想をしていると心の中にさまざまな想念が浮かんでくるものですが、その想念が言葉と結びついていないものであれば、言葉を使った思考でなければ、そのまま受け止めればいい。
たとえば心の中に光が見えた、精妙なる音楽が聞こえた、あるいは仏様の姿が見えた-これらは言葉とは関係がないから、問題はないわけです。あるいは坐禅堂の中に吹く風を感じ取る、虫の音が聞こえる、それらも別に問題はない。
しかし、そうした想念が言葉という形を取ったら、その想念は妄念になるわけです。座禅をしながら「お腹がすいたなぁ」とか「本当にこれで悟れるのだろうか」といった思念が生まれると、即座に警策で肩を叩かれ、「喝!」と言われるわけですね。
その禅とはいわば対極にあるのが密教ですが、密教も積極的に言語以外のものを自分の中に取り込んでいくことで想念を排していこうとします。
たとえば密教の曼荼羅は言葉を使わずに絵によって、この宇宙全体を示そうという試みです。曼荼羅の中には無数の仏が描かれていますが、それを言葉では説明しない。そこに描かれている世界観を丸ごと受け止めなさいということで、この曼荼羅の仏様をいちいち分類・解釈しては意味がないわけです。
また密教では護摩を焚きますが、これも炎や音、においによって感覚を満たしていこうということで、これも頭から言葉を追い出そうとしているわけですね。
つまり、頭でものを考えて処理するのではなくて、世界、自然界とそのままダイレクトにつながるようにする-それが「悟り」ということの本質だと思います。
引用終わり
言葉を知ったからといって賢くなったとは言えない。むしろ、言葉によって束縛されていることのほうがずっと多い
…その事実にしっかり向き合い、左脳的言語処理をうまく抑制しながら、「言葉を使わずに世界を観る」ことに取り組み続ける…
それがコーチである私にとっての「てげてげ <ver.3>」(の言語化)。
F-364:シコウサクゴ <後編:コーチング中は「from思考錯誤×3 to試行錯誤」>
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/35211211.html
その目的は「頭でものを考えて処理するのではなくて、世界、自然界とそのままダイレクトにつながるようにする」こと。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html
そんな“つながり”を経ることで、大きな煩悩から抽象度の高いゴールを生みだすストーリーを描けるようになる
…と私は思っています。
F-373:義を見て… <vol.7;「義を見て為さざるは、勇無きなり」を解決する -実践編->
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/35653525.html
オリジナルの曼荼羅を生み出す縁起 …それがコーチングです。
Q-432~:「コーチングは非言語」というのがよくわかりません…
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_431345.html
CoacHing4M2 EDGE
CoacH T(タケハラクニオ)
-告知1-
「<2025年度後期>コーチング説明会&セミナー」の動画配信を開始しました。セミナーのテーマは「コーチング実践にふさわしい意識状態の作り方」。
Q-400~:ヒーリングやコーチングと意識状態の関係を教えてください
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_430215.html
2025年10月末まで視聴可能です。申し込みはこちらからどうぞ(受付期間:~9月末まで)↓
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/37295395.html
-告知2-
2025年度後期のパーソナルコーチングの受付を開始しました(募集期間:~9月末まで)。
コーチング期間は2025年10月から翌3月の6ヶ月間。4コースあります。詳しくはこちらでどうぞ↓
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/37327207.html
-告知3-
クラブ活動をはじめました。その名は「コーチング・デ・コンパッションクラブ」。一緒に楽しみましょう!
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_418055.html
-関連記事-
F-065~:水木しげるさんの「幸福の七か条」
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_303640.html
F-316:3つのF ~「うまくいかない」と思った時のcheck point~
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/32726017.html
Q-097~:子どものwant toを大切にしたいと思っていますが、なぜかhave toの押し付けになってしまいます。どうすればよいでしょうか?
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_376974.html
Q-240~:毎日、無気力感に悩まされています ~気楽に生きる際の注意点~
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_418402.html
Q-288:ドーパミンの分泌をコントロールまたはどの程度分泌されているか分かるようになるのですか?
<vol.8;「ストレスフリー」に潜む“罠”>
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/29889767.html

