F-452:音楽から引退することはできない
<vol.6;映画音楽の巨匠の“奇跡” -前編->
映画音楽の巨匠
ジョン・ウィリアムズ(John Towner Williams、1932年~)は、昨年(2025年)、自伝を出版しました。その出版に関するインタビューの最後の言葉は「音楽から引退することはできません。それは呼吸のようなもので、私たちの人生だから」。
巨匠らしい抽象度の高さを感じさせる言葉ですが、そこに至るまでは“らしくない表現”が続きました。例えば、映画音楽について…
「あまり好きではなかった」
「懐かしい思い出として記憶しているだけ」
「儚く、断片的」
「ただの仕事」 …とコメントしています↓
ジョン・ウィリアムズ「映画音楽あまり好きじゃなかった」「ただの仕事」 | THE RIVER
そのブリーフシステムを分析する過程で感じたことを整理しながら、これらの発言を考察します。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721531.html
vol.1;映画音楽の巨匠の軌跡
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/38315386.html
vol.2;「映画音楽はあまり好きではなかった」
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/38335373.html
vol.3;「懐かしい思い出として記憶しているだけ」
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/38354805.html
vol.4;「儚く、断片的」
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/38376423.html
vol.5;「ただの仕事」
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/38396903.html
vol.6;映画音楽の巨匠の“奇跡” -前編-
長い音楽家としての歩みの中で、ウィリアムズのコンフォートゾーン(CZ)は、「映画音楽」から「音楽」、「音楽」から「芸術」へと抽象度が上がっていったに違いありません。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6040892.html
抽象度が上がり具体的な情報量が減っていくほど、ふつうは臨場感が下がります。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html
例えば、フェルメールやレンブラントが描く人物は、今にも動きだしそうなくらいリアル。
F-034~:「何もないところからレンブラントを発見」は正しい?
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_268332.html
ヨハネス・フェルメール「真珠の耳飾りの少女」
Wikipediaより引用
それに対して、ピカソが描く人物像は、かなり抽象化され情報的です。
F-300:芸術は高抽象度の未知なるLUB… <vol.2;2つの自己プロデュース力>
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/31920992.html
パブロ・ピカソ「アビニヨンのむすめたち」
Wikipediaより引用(シャッターに描かれた絵)
さらに、「抽象絵画」と呼ばれるような作品になると、描かれる対象自体が物理空間の存在ではなくなります。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516539.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654230.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654316.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831442.html
ワシリー・カンディンスキー「Transverse Line – 横線」
Wikipediaより引用
ウィリアムズの作る音楽も、時を経るにつれて抽象度が上がっているはず。F-448/vol.2で紹介したとおり、世界的なチェロ奏者 ヨーヨー・マ(Yo-Yo
Ma、1955年~)はこのようにコメントしています(Disney+「ジョン・ウィリアムズ 伝説の映画音楽」)。
子どもの頃から疑問だった… なぜ音楽のジャンルにはたくさんの壁があるのか?
ジョンの音楽はすべてのジャンルを網羅していた
…このコメントからは、ウィリアムズの作る音楽に対しての尊敬の念が感じられます。その理由は、「人気があるから」ではなく、「抽象度が高いから」。それは「すべてのジャンルを網羅」という言葉にあらわれています。
F-417:煩悩か 芸術か
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/37518824.html
ストレートに考えると、大衆に受け入れられる抽象度は、決して高くはないはずです。受け入れられるためには臨場感が必要だから。
F-244:「ゴール」と「現状の自我」の間に臨場感という橋を架ける <vol.1;臨場感>
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/28857122.html
なのに、なぜ「すべてのジャンルを網羅」するような高抽象度の音楽が、人々を魅了し続けるのでしょう?
…そんなことを考えながら苫米地博士の本を読んでいたら、映画音楽の巨匠 ジョン・ウィリアムズが起こしている“奇跡”に触れた気がしました。
以下、苫米地博士の著書「苫米地英人、宇宙を語る」(角川春樹事務所、p138)より引用しながら(青字)、感じた“奇跡”について考察します。
進化する宇宙
再び話を戻しましょう。
必要性から生まれた共有スペースとしての物理宇宙で、コミュニケーションをいかに成り立たせていたのか。
それを人間という存在に関していえば、五感だったといえるでしょう。もちろん、現在でいうなら五感プラス言語ですが、原始人に言語はありません。
『とてつもない未来を引き寄せる予見力』(徳間書店)という本でも書きましたが、猿と物理学者では宇宙が違うのです。つまり、猿にビッグバンはないのです。
では、物理学者にはなぜビッグバンがあったかといえば、そこに五感プラス言語を含む知的運用能力が新しいモーダルチャンネルとしてあったからです。
波動方程式を読むことができるから、ビッグバンというものにリアリティもある。波動方程式が読めない猿の宇宙には、ビッグバンなどないのです。
そのことからいえるのは、人間が進化することによって、物理宇宙は変わってしまったということです。
かつては五感で感じられるものだけを宇宙と呼んでいました。猿が感じている宇宙が、ビッグバンのない宇宙が物理宇宙だったのです。
目に見えるもの、触れることのできるものといった、五感で感じられるものだけが宇宙だったはずなのに、それ以外も含めて宇宙と呼び始めてしまったのが現在です。
望遠鏡で見えるぐらいまでならよかったでしょう。しかし、素粒子といわれたところで、だれも見ることはできません。データ上観測されているにすぎず、それは五感ではなく、波動方程式で見ているだけのものなのです。
では、存在していないのか。いや、明らかに存在しています。
見ること、触れることはできなくても、認識することはできる。触れることのない抽象宇宙を感じることができる。
それが情報宇宙なのです。今はサイバースペースでさえも宇宙の一部です。
引用おわり
物理学者にはなぜビッグバンがあったかといえば、そこに五感プラス言語を含む知的運用能力が新しいモーダルチャンネルとしてあったからです
…同様に、ウィリアムズのような“巨匠”と呼ばれる人たちにも、「五感プラス言語を含む知的運用能力が新しいモーダルチャンネルとしてあった」はず。
そんな巨匠たちとの縁により「人間の進化」が起こり、認識する「物理宇宙」は、芸術という「触れることのない抽象宇宙」まで含んだ「情報宇宙」に進化したのだと感じました。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html
みんなの共有スペース、遊び場として、物理宇宙という一番抽象度の低いところを想定したのに、一部の人が抽象度の高いところまでを宇宙と呼び始めてしまったのですから、それはルール違反といってもいいのでしょう。
ということは、私がこの本で書いている宇宙も思いっきりルール違反なのですが、それでも、人間は理解することができる。それは進化の過程で抽象度の高いものを理解することができるようになったということです。物理宇宙の定義が変わり、次元が上がっているといってもいいでしょう。
例えば、サッカーで二次元の発想しかないチームと、三次元の発想で空間を使うことを考えられるチームとでは、絶対三次元のほうが勝ちます。
あるいは、コツコツと貯金してその金利を当て込むより、アメリカの投資銀行のようにデリバティブで一日に百億円を作ってしまうほうが、はるかに効率がいいのです。
この桁違いの生産性を生み出したのは、かつてはなかった発想を得たため、つまり、人間の抽象度が高いステージに上がったためといえるのではないでしょうか。
おそらく、原始のころにモテる男性というのは、力持ちで狩りができて、というものだったと思います。
しかし、現在では、お金があるとかハンサムだとか、カッコイイ職業に就いているなどがその条件として挙げられています。
ハンサムとかカッコイイというのは人の認識による情報であって、力持ちと比べれば、はるかに抽象度が高い、個々の価値観に左右されるあいまいな条件です。
人類は長い時間をかけて少しずつそのステージを上げてきたのです。そのために人類は進化してきたともいえるでしょう。
人類の淘汰の論理で考えれば、抽象度を上げなければ、人は生き残れないということです。次に進むために抽象度を上げてきたといってもいい。
それを進化、とりわけ脳の進化によって成し遂げてきたのです。
引用おわり
次に進むために抽象度を上げてきたといってもいい。
それを進化、とりわけ脳の進化によって成し遂げてきたのです
…そのトリガーとして機能している一つが「芸術」。
日本語の「芸術」は、明治時代に西周(にし あまね)によって「リベラルアーツ」の訳語として用いられたことに由来しているそうです。
リベラルアーツは、ギリシャ・ローマ時代の「自由7科」と呼ばれるもので、文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽のことを指します。
苫米地博士は著書「日本転生
絶体絶命の国の変え方」(TAC出版、p164)の中で、「先人の抽象度の高い思考をなぞるのがリベラルアーツ」「倫理学は高度な抽象的な思考をともなう哲学の一部であり、リベラルアーツのコア教育になる」と書かれています↓
F-366:日本を世界のリーダーに! 「苫米地式次世代コーチング」
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/35313236.html
その目的は「抽象度を上げる」こと。そして、「自由になる」ことです。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10400987.html
(F-453につづく)
CoacHing4M2 EDGE
竹原邦雄 / CoacH T
-追記-
抽象度が上がり具体的な情報量が減っていくほど、ふつうは臨場感が下がります
…苫米地式の実践者は“ふつう”ではありません↓
Q-160:臨場感が薄れても高い抽象度のゴールをイメージし続けるのでしょうか? <コーチング実践者向け回答 vol.1>
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23925302.html
-告知1-
私の意図は「縁起の力により、ゴール側の世界(未来)を創り、ゴールに向かってブーストしていく!」
L-258:2022年12月… -07;「ゴール間の縁起の力」「メンバー間の縁起の力」
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/38385551.html
…コーチとしての活動を大幅に見直すことにしました。現在、いろいろ思索中です。
-告知2-
クラブ活動を行っています。その名は「コーチング・デ・コンパッションクラブ」。
一緒に楽しみましょう!
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_418055.html
-関連記事-
Q-161:臨場感が薄れても高い抽象度のゴールをイメージし続けるのでしょうか?
<コーチング実践者向け回答 vol.2>
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23994082.html
Q-162:臨場感が薄れても高い抽象度のゴールをイメージし続けるのでしょうか?
<コーチング実践者向け回答 vol.3ワーク付き>
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24057233.html
Q-163:臨場感が薄れても高い抽象度のゴールをイメージし続けるのでしょうか?
<コーチング実践者向け回答 vol.4ワーク付き>
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24124167.html
Q-324:速いスピードで移動した人は長生きできるって言いますよね? <vol.6:○○という“牢獄”>
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/31801885.html
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