苫米地理論を研究し、苫米地式を実践する <CoacH T>

認知科学者 苫米地英人博士に学び活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

タグ:般若心経

F-318:観自在 <理論編-1観自在菩薩行深般若波羅蜜多時

 

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時

 

 これは「空(くう)」を伝えるお経「般若心経」の冒頭の一節です。

 PM-02-16:空観、仮観、中観

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353367.html

 

医療はもちろんのこと、すべての領域において、パラダイムシフトの鍵となるのが「空の理解と体得」。

 PM-04-20:超高齢化社会に求められる医療のパラダイムシフト

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/8748974.html

 

 なぜなら、パラダイムシフトとは、同じ抽象度での視点の変化ではなく、より高次の抽象度次元に向かう視点の移動のことだから。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html

 

 そんな「空の理解と体得」とは、

 

この世界に存在するすべての事象は、自分の心が生みだしている

自分や世界は、絶対不変の存在としてこの世にあるのではなく、一人ひとりの心がどんな関係を選ぶかによってあり方を変えていく

心をコントロールすれば、自分や世界を自由自在に変えることができる

 

 ということを、心から理解し本気で実践すること。一言で表すと「縁起に関わる」。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html

 

 

 では、空を理解し体得するためにはどうすればよいのでしょうか?

 

 答えは、空という抽象度の高い情報空間の臨場感を維持するトレーニングを繰り返す。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516539.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654230.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654316.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831442.html

 

 そのトレーニングとして、「言語化された物語」を使う方法があります。超瞑想です。

 F-315:デジタル自傷行為 <plan-side -3;ゴール×エフィカシーの“秘密” -後編-

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/32678098.html

 

物語を使った瞑想は、抽象度を上げたときにも強い臨場感を維持しやすいという特徴があります。シンプルに表現すると

F-304~6:映画のおもしろさって何だろう? ~Indy 5」のvol.1~3;臨場感>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/32129073.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/32179090.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/32229850.html

 

言語化された「ストーリー」を繰り返し読む

→ 脳内で同じ体験を繰り返す

→抽象度が高い可能世界w1の臨場感up

 

 抽象度が高い可能世界w1とは、ゴール側のコンフォートゾーン(Comfort ZoneCZ)のこと。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6040892.html

 

 ゴールは必ず現状の外であり、ゴール側のCZは現在のCZの外側です。その新たなゴールやCZは、ただスコトーマに隠れているのではなく、より高い抽象度次元にあるもの。偶然見つけられる(到達できる)ものではありません。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721610.html

 

 その最たるものが空。

何よりも情報量が少なく(潜在的情報量は多く)、何よりも抽象度が高い包摂半順序束のtop=空を感じるのは、決して簡単なことではありません。

Q-338:エンドステートに対する臨場感の問題?

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/32350876.html

 

 

DrT神奈川大講演-05

神奈川大学情報学部開設記念シンポジウム(2023523日)より引用

基礎科学としての情報〜エントロピーと生命、超次元複雑性と生成AIの未来と私達 Dr.苫米地 (2023年5月20日) - YouTube

 

 

そこで般若心経!

空という抽象度の高い情報空間で臨場感を維持するために、般若心経に込められた情報(書き手のメッセージ)を強い臨場感で認識しながら瞑想を重ねます。具体的には

 

1)一つひとつの言葉の意味や、言葉の中に描かれている世界をイメージする(ゲシュタルト化)

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6193912.html

 

2)一つひとつの言葉のイメージができたら、複数の言葉のイメージをつなげて、統合する

1つ上の抽象度のイメージを作る(connect the dots

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/7383761.html

 

3)イメージの統合を繰り返して抽象度の階段を上がっていき、般若心経の世界全体を“統合されたひとつのイメージ”として感じる

(↑「コンセプチュアル・フロー」のこと。こちらでどうぞ↓)

L-08120213… -04;言語を用いたゲシュタルト構築 <応用編>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/30075139.html

 

 誤解を恐れずにいうと、般若心経はありがたいお経でもなんでもありません。般若心経をただ唱えただ書き写すだけでは、何の御利益もないでしょう。

 (「ある」と感じるのは“プラセボ”です↓)

 Q-249:病気をどのように考えていますか?

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/28540879.html

 

 大事なのは、般若心経に込められた情報をしっかりイメージし瞑想すること!

“般若心経を学び瞑想することによって抽象度を高めたマインド”自体に力が宿ります。

それは縁起の力であり、生命力そのものといえるはず。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6542364.html

 

 

 では、「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時」をイメージしていきましょう。

 

「観自在菩薩」とは、「観音様」のことで、「観世音菩薩」とも呼ばれています。サンスクリット語では「アヴァローキテーシュヴァラ」です。

「菩薩」とは「悟りに向かって修行中の人」のことで、「観音様」は(大乗仏教的には)「自らの悟りと人々の救済のために働くことを同じレベルで実践する人」です。

 

「観自在」には2つの意味がかけられています。

 1つは「自在観る」、もう1つは「自在観る」。前者は「自分が在る(こと/ところ)を観る」=「自分という存在を観る」、後者は「自由自在に観る」という意味です。

 よって、「観自在」は「自分という存在を自由自在に観る」という意味。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353425.html

 

「自由自在に観る」とは、先入観、既成概念、知識による思い込みなどをすべて捨て去って、「重要性関数ゼロで自我=縁起のネットワークを観察する」ということ。

それはこれまでのブリーフシステム(Belief SystemBS)を手放すということであり、「無人運転」「自動運転」を止めるということです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721531.html

 

 *「無人運転」「自動運転」はこちら↓

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_369873.html

 

 まとめると、観自在 =自分という存在を自由自在に観る =思いどおりの現実世界で思いどおりに生きる という自由自在!

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10400987.html

 

 以下、苫米地博士の著書「一生幸福になる超訳般若心経」(学研プラス、p14)より引用します。

 

 

お経を唱えるのは瞑想するため

 日本の仏教には「念仏や題目を唱えるだけで極楽浄土へ行ける」と説く宗派もあります。あるいは密教の護摩炊きなどでもお経が唱えられます。ですが、私はこれらもけっして魔法の呪文を唱えているのではなく、瞑想をするための一つの方法論として提示されているのだと考えます。

 日蓮宗や浄土真宗では「般若心経」は唱えないとされていますが、その開祖である日蓮や親鸞も元は天台宗のお坊さんです。比叡山延暦寺には天台宗の偉大な僧の木像があるのですが、その中には日蓮も親鸞もあります。あるいは、法然、栄西、道元らいわゆる鎌倉新仏教の開祖たちもみな比叡山で修行した天台宗の僧でした。天台宗には「止観」という瞑想がありますから、当然、こうした新宗派にも止観の瞑想の影響が色濃く残っていても不思議ではありません。つまり、座禅も念仏や題目を唱えることも「瞑想」の一方便だと考えられるのです。

 

瞑想とは自分自身を自由自在に観ること

 瞑想とは自分自身を見つめ、自分のいる世界を見つめ、宇宙全体を見つめることと書きました。実は、自分自身を見つめると、同時に自分のいる世界も、宇宙全体も見たことになります。なぜかというと、自分自身というのはそれだけで存在しているのではなく、必ず自分以外の周りのもの(=自分のいる世界、宇宙全体)との関係によって成り立っているからです。このことをお釈迦様は「縁起」と呼びました。

 人はとかく、自分というものを絶対視しがちです。ですが、瞑想とは自分自身から離れて、自分自身を外側から見つめ直す作業です。自分を外側から見るには、自分と周囲との関係をよく見る必要があります。このとき、それまでの思い込みや先入観などを捨てて見ないと、本当の自分は見えてきません。思い込みや先入観に縛られていると、自由に自分自身を見つめられないのです。瞑想とは自分自身を自由自在に見る(観る)ことなのです。

 引用終わり

 

 

 瞑想とは自分自身を自由自在に見る(観る)こと

 

 これから理論編(残り2回)と実践編(計5回)に分けて、「観自在」を探究していきます。最後(応用編)は、これからますます重要となる「“正しい情報”の見極め方」の考察です。お楽しみに。

 F-281~:「社会が変わってしまう」 ~あるワクチンの話~

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_424261.html

 

F-319につづく)

 

 

苫米地式コーチング認定コーチ     

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記1

 では、「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時」をイメージしていきましょう

 

 ゲシュタルト構築のために補足します。

「行」は「行う」こと、「深」は「深い」こと、そして「時」は「〇〇していた時」です。よって、「行深般若波羅蜜多時」は「深い般若波羅蜜多を行っていた時」という意味になります。

 

「般若」とは、パーリ語の「パンニャー」を音写したもので、「智慧」、とくに「完成された智慧=悟り(覚り)の智慧」を指します。

波羅蜜多」とは、修行中の菩薩が行うべき項目のこと。とくに重要なものが「六波羅蜜(ろくはらみつ)」。「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」、そして「布施」の6つのことです。詳しくはこちらでどうぞ↓

F-044:笑顔のままお亡くなりになった患者さんから学んだこと 前編:布施

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/11142143.html

 

「智慧波羅蜜」とは、「何にもとらわれず、物事をありのままに観ることによって本当の智慧に到達する」こと。つまり、止観瞑想のこと↓

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/18576926.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/18684707.html

 

「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時」は、一般的には「観自在菩薩が自分自身と自分に関係する物事(縁起)を、先入観など何にもとらわれることなく、自由自在に、ありのままに瞑想していた時に」と訳されます。苫米地博士の超訳は「観自在菩薩が、深遠な縁起の瞑想に成功し」です。

 

 

-追記2

「自由自在に観る」とは、先入観、既成概念、知識による思い込みなどをすべて捨て去って、「重要性関数ゼロで自我=縁起のネットワークを観察する」ということ

 

 重要性関数ゼロとは、完全な「無分別」のこと。それが空の境地です。

 私の好きな表現でいうと“無敵”!

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5446097.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5448151.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615695.html

 

 

-追記3

「空(くう)」に関して、苫米地博士のブログに論文が掲載されています↓

「空」を定義する ~現代分析哲学とメタ数理的アプローチ

 http://www.tomabechi.jp/EmptinessJapanese.pdf

 

 ワークスDVD2弾 「空の理解と体得」でより詳しく解説されています。下記サイトを御確認ください↓

 http://maxpec.net/dvd2/index.html

 

 

-告知1

今年度のオンラインセミナーを企画しました。9月から1ヶ月おきに、計4回開催する予定です(9月、11月、1月、3月)↓

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/32135874.html

 

 次回の開催は11/26(日)。詳しくはこちら↓

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/32734556.html

 

 

-告知2

 クラブ活動をはじめました。その名は「コーチング・デ・コンパッションクラブ」。

一緒に楽しみましょう!

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_418055.html

 

 

-関連記事-

F-157:指一本でも役に立ちたい

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23874668.html

F-311~:デジタル自傷行為

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_426481.html

L-02920203月シークレットレクチャー -0775歳以上では延命治療は不要?<ケースサイド>後編

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/26156803.html

L-05220207月シークレットレクチャー -02;縁により「呪縛」は「希望」にかわる

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/27587288.html

Q-347:自身の人生を変えることに専念? それともコーチング活動を開始? <vol.4;「走りながら考える」 同時並行“の意味>

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/32562546.html

 

 

一生幸福になる 超訳 般若心経



L-02920203月シークレットレクチャー -0775歳以上では延命治療は不要?<ケースサイド>後編

 

20203月にコーチ向けのレクチャーを行いました。守秘義務を結んだ上で行う3回の講義の2回目。メインテーマは「スピリチュアルペイン」で、初回(同1月実施)のサブテーマは「自由」でした↓

L-001~20201月シークレットレクチャー

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_407080.html

 

 初回講義のラスト(L-013)に、「部分関数としての『自』を拡大し続けること」が「シンのスピリチュアルペイン克服、シンの自由である」と書きました。

 L-01320201… -13<最終回>;シンのスピリチュアルペイン克服、シンの自由

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24890312.html

 

 自由に続くサブテーマは「貢献」。当日の講義内容をブログ用に再構成してお届けします。

 

 01;スピリチュアルペインを解決するのは自由意思でのゴール設定<前編>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/25974037.html

 02;スピリチュアルペインを解決するのは自由意思でのゴール設定<後編>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/26014834.html

 03;職業と趣味の違いは「貢献」の範囲(ワーク付き)

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/26037409.html

 04;老いの実感 ~乗り物酔いリターンズ~

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/26077153.html

 0575歳以上では延命治療は不要?

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/26099140.html

 0675歳以上では延命治療は不要?<ケースサイド>前編

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/26140730.html

 0775歳以上では延命治療は不要?<ケースサイド>後編

 

仕事とは「付加価値を生みだすこと」「役に立つこと」。もっとシンプルに表現すると「貢献」。決して「お金を稼ぐこと」「お金儲け」そのものではありません。

 そのようなことを話すと、時々こんな質問をいただきます。特に医療・介護現場において。

 介護が必要な老人や障がい者、あるいは寝たきり患者さんは生きる価値はないのでしょうか?

 皆さんはどう思われますか?

 

 前々回(L-027)、ペンシルベニア大学 医療倫理・保健政策学部長のエゼキエル・エマニュエル博士(Ezekiel Emanuel1957年~)の「75歳以上では延命治療は不要である」という主張(claim)とその根拠(warrant)や事実(data)を紹介しました。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/12340209.html

 

 コーチとして考察すると、エマニュエル博士の主張には少なくとも6つの解決するべき課題があります。コーチングと関連して分類すると、1)モチベーション、2)バランホイール、3)時間の流れ、4)不完全性、5)縁起、そして6)空仮中 です。

 まずは課題についてシンプルに分析し(ケースサイド)、その後6つの課題を包摂した視点での解決策を提示します(プランサイド)。

(今回はケースサイドの後半です)

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/12658417.html

 

 

 4) 不完全性

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6194669.html

 

 エマニュエル博士は「ハイキングやツーリングは価値のあることではあるが、もしもそれらが人生のメインテーマなら、おそらく意味のある人生ではない」と語っています。

 「意味のある人生」とは一体何でしょうか? 「意味」は誰が、何が決めるのでしょうか?

 

 もちろん、「意味」を決めるのは自分自身。そして、「意味」はゴールが決めます。自分自身の自由意思で決めた本当のゴールです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html

 

 「『意味』はゴールが決める」ということは、ゴールの数だけ「意味」があるということ。

たとえ仕事や家庭という観点では意味がないことであっても、趣味として立派な意味があるということはあり得ます。ある人にとっては無意味でも、別の人にとってかけがえのない意味をもつことも。

 

状況は意味により変わり、意味はゴールが生みだす

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/25046274.html

 

 だからすべてゴール次第。唯一絶対の基準やモノサシなどありません。

 

 

 5) 縁起

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html

 

 絶対的な基準やモノサシを信じる人に欠けているのは、「関係により存在が生まれる」という縁起の視点です。

「縁により起こる」という事実は、“自分”を定義してみるとよくわかります。

 

 では、ここでプチワークw

 今から1分間で自分自身を定義してみてください。どうぞ!

 (初めて会う人に自己紹介するように“自分”を表現してください)

 

 

 きっと「仕事は」「年齢は」「出身は」「趣味は」「夢は」というような説明になったはず。しかし、それは厳密には自分自身のことではありません。

私でいえば「コーチ」「アラフィフ」「鹿児島」「映画・音楽」「“無敵”」といった感じですが、さらに「コーチとは」「50代になると」「鹿児島といえば」「映画の中でも」「“無敵”というのは」と詳しく語るほど、ますます“私”から遠ざかっていきます。

(“無敵”はこちら↓)

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5446097.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5448151.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615695.html

 

結局、“自分”は関係性でしか定義できないのです。それを「自我は部分関数である」と表現します(同時に「評価関数」でもあります↓)。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353425.html

 

 “自分”を定義する関係性が認識できないことが「孤独」です。

 孤独は健康に悪影響を及ぼします。例えば米国ブリガムヤング大学(ホルトランスタッド教授)の30万人以上のデータを対象にした研究によって、「社会的つながりを持つ人は、持たない人に比べて、早期死亡リスクが50%低下する」ことが明らかにされています。

 ちなみに、その“つながり”を強化しながら、他者尊重とともに自己評価を高めることができるのが「Guided Autobiography(案内型自伝)」です(詳しくはこちらで↓)。

 F-137The Sweet Hello,… -9SadSweetに書き換えるコーチング<老人向け 後編>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/22488873.html

 

 ところで、なぜ「欠けているのは縁起の視点!」と断言できるのでしょうか?

 

 私の答えは次回(L-030)に。その解決(プランサイド)とともに明らかにします。

 

 

 6) 空仮中

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353367.html

 

 縁起が欠けている当然の帰結として、空観(くうがん)ではなくなっています。空観なき仮観(けかん)のことを、苫米地博士は実観(じつがん)と表現されます。それはとても危険な状態です↓

 PM-06-21:仮説14)空(くう)なき実観の行き着く先にあるもの

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14833876.html

 

 簡潔に2点挙げます。

 

 「私はアメリカの不滅崇拝願望を拒否する」は、「不滅」を前提とした上での拒否であるはずです。意図は理解しますが、空観ではありません。

有名な般若心経に「不生不滅不垢不浄不増不減」という一節があります。「六不の教え」と呼ばれています。「不生不滅」とは、「生じることもなく、滅することもない」という意味です。苫米地博士はよく釈迦の説法を引用して説明されます。

 

 釈迦:(若木を指して)この木は生じたのか?

 -弟子:いえ、別の木の種が地面に落ちて生えたものなので、何もないところから生じた訳ではありません

 釈迦:では、種は生じたのか?

 -弟子:いえ、種も木からできたもので、何もないところから生じたわけではありません

 釈迦:(次に枯れ木を指して)この木は滅したのか?

 -弟子:いえ、滅していません。その命は種となって若木を生み、自らは朽ちて土となり、他の植物を育てています

 釈迦:そのとおりだ。すべてが生じることもなく、滅することもないのだ

 

 枯れ木とはいえ、存在が消えてなくなったわけではありません。ただ形が変わっただけ それが空観です。「『不生不滅』を受け入れる」ことと「『不滅(崇拝願望)』を拒否する」ことはまったく意味が違います。

 

 もう1つはこちら。「大人、とくに高齢者に投資するほどには、子どもに投資していない」。抽象度を下げてさらに細かい指摘を行うと、このコメントには3つの課題(問題点)があります。すべて「縁起が欠けている結果、実観になっている」ことが原因です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html

 

 まずは「お金の視点が強力」ということ。「投資(investment)」という言葉には「見返りへの期待」が感じられます。もちろん見返りとはお金。政治家にとっては何よりも票が大切なのでしょうが、そこをクリアできたなら次はお金にいきます。例えば、見返り(税収)が望めない高齢者の医療を切り捨てるというように↓

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/13214313.html

 

 次に「大人VS子どもという構図」。このゼロサム的発想は縁起の無理解の典型例といえます↓

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14401412.html

 

 最後は「区別と差別の違いが不明瞭?」。空であるがゆえに差別はありえませんが、仮としての区別ははっきりつけるべきです。その違いをしっかり理解し実践していることが重要。それが中観の生き方です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14249741.html

 

L-030につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 有名な般若心経に「不生不滅不垢不浄不増不減」という一節があります

 

苫米地博士の著書に「一生幸福になる 超訳 般若心経」(学研)という本があります。般若心経の問題点が明らかにされ(ケースサイド)、なんと添削が行われています(プランサイド)。

「般若心経は間違っている」なんて思いもしなかった私は、読書中に猛烈な衝撃を体感しました。それは文字どおり「世界がひっくり返った感じ」。いわゆる「Rゆらぎ」です。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23645730.html

 

と同時に、「観測者(認識主体)の知識、知能が上がれば上がるほど観測(認識)される宇宙は『たいしたことがある』ものになるという可能性」に震えました。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/17207221.html

 

その「可能性」が次回(L-030)のテーマ。まずはこちらの記事をどうぞ↓

F-034~:「何もないところからレンブラントを発見」は正しい?

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_268332.html

 

 

-関連記事-

F-129~The Sweet Hello, The Sweet Goodbye

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F-176~:“幸福(well-being)”とは? ~antiwithwellpart~

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Q-177~:家族ががんで治療中です。どうすればいいでしょうか?

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Q-073~180804医療講演会レポート

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-告知-

 今年度(2021-22年)は計8回のオンラインセミナーを予定しています。1年間を通してのテーマは「Well-being」です。

 F-176~:“幸福(well-being)”とは? ~antiwithwellpart

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_408326.html

 

2021年度セミナー予定はこちら↓

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/25412318.html

 

 第3回目は2021627日(日)開催。テーマは「サイバーホメオスタシス仮説」「エネルギーと創造性の源」です。詳細はこちらから↓

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/26053730.html

 

 超情報場でお会いしましょう!

 

<お問い合わせ・申し込み>

 coachfor.m2@gmail.com

 

 

超訳般若心経


Q-088181122福祉講演会(鹿児島県)- 10

 

 20181122日に、鹿児島県の福祉施設にて、コーチングをテーマとした講演を行いました。講演後にいただいたコメントに回答いたします。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/15981131.html

 

そもそも不完全な宇宙に生きている、必ずスコトーマを持った私たちが、「よりよく生きるために心がけるべきこと」とはなんでしょうか?

私の答えはこのシリーズの最後で)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 

「わからなかったことや難しかったことは?」という質問に対する皆さまの御意見です。

 

・世界観や考え方など視野が広がりました

 

A:まずは「人が認識する世界は、各自の過去の記憶でつくられている」という事実を受け入れてください。一人一宇宙です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11823351.html

 

 私たちは5つの感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)+言語という6つの情報入力経路から入力された情報をもとに世界を認識しています。その膨大な情報を取捨選択するものがRAS(ラス、網様体賦活系)です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

 

 入力された情報のほとんどはスコトーマに隠れ、ほんの一部がRASを通り抜けます(ある研究では意識に上がるのは10万分の1とされています)。私たちが認識している目の前の世界は、その「ほんの一部」の情報でできあがっています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

RASのフィルタリングを決定するものは重要性。その重要性はブリーフシステムがうみだしています。つまり、私たちは自分が見たいものを見て、自分が聞きたいものを聞いているのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

ブリーフシステムは「強い情動を伴った体験の記憶」と「抽象化された情報の記憶」でつくられています。その記憶とは他人(親や教師など)の影響を受けた過去の出来事。よって、目の前の世界を決めているブリーフシステムとは、他人であり過去ということができます。「自分が見たいものを見て、自分が聞きたいものを聞いている」というときの自分とは、本当の“自分”ではありません。厳しくいうと、人生に自由はないといえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10543825.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10543909.html

 

「そもそも自分という存在はない」というのが釈迦の哲学です。認知科学者 苫米地博士に学び、そのことを理解したとき、私は自由を体感しました。より大きなゲシュタルトができたのだと思います。

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 じつは、関連することが有名なお経である般若心経の中に記されています。「無眼耳鼻舌身意(むげんにびぜつしんい)」という部分です。仏教では「眼耳鼻舌身意」のことを六根(ろっこん)と呼びます(「意」は「意識の根幹」とされています)。

 人間の「認識の根幹」である六根が「ない(無)」と般若心経に書かれているわけですが、若いころの私はこの部分でずいぶん悩みました。

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 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7384947.html

 

 その悩みが解決したのも苫米地博士との御縁でした。

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博士の著書「一生幸福になる 超訳 般若心経」(学研)では、般若心経の問題点が明らかにされ(ケースサイド)、添削が行われています(プランサイド)。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

 

「般若心経は間違っている」なんて全く思いもしなかった私は、あなたと同じように「世界観や考え方など視野が広がる」体験をしました。いや、まだまだインパクトが足りないですね。それは文字どおり「世界がひっくり返った」感じでした。

そして、「観測者(認識主体)の知識、知能が上がれば上がるほど観測(認識)される宇宙は『たいしたことがある』ものになるという可能性」にとても感動しました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_268332.html

 

ちなみに、博士は「眼耳鼻舌身意(げんにびぜつしんい)」を「眼耳鼻舌身意(くうげんにびぜつしんい)」と添削されています。大げさに感じる方もいらっしゃると思いますが、私は「無」を「空(くう)」に書き換えたことで自由を得ました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 

そして、その自由を広げるためにコーチになろうと決めました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 夢をかなえる方程式「I×V=R」のとおり、その思いはリアルになり、さらに大きく広がっています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8180980.html

 

 

・時間(物理学的)について知りたいです

 

A「無」を「空」に書き換えたことは、私の中で時間観の変化をも引き起こしました。

 

 その説明の前に「有」と「無」と「空」の関係を整理しましょう。

「有」は文字どおり「あること」「存在すること」です。仏教では「有(あること)」を「色(しき)」と表現します。般若心経でおそらく最も知られている一節「色即是空 空即是色 (しきそくぜくう くうそくぜしき)」の「色」は「有(あること、存在)」と同じ意味です。

 

 「無」とは、もちろん「ないこと」「存在しないこと」。

 

 そして、「空」とは「有(色)」と「無」を包摂するもの、すなわち共有する一つ上の抽象度の概念です(LUBLeast Upper Bound、最小上界)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

 例えば「犬」も「猫」も「動物」であることと同じように、「有(色)」も「無」も「空」なのです。「空」とは「あるともいえるし、ないともいえる」一方で、「あるとはいえないし、ないともいえない」ものです。

 

混乱してしまった方や「『存在すること』と『存在しないこと』は違う」と感じる方はこのように考えてください。

目の前にパソコンがある(有)とわかるのは、見ながら(視覚)触っている(触覚)からです。目を閉じて触れるのをやめれば自分のイメージからパソコンは消える(無)はず。それが「あるともいえるし、ないともいえる」という語感です。

パソコンと違って空想上の存在、例えばアイアンマンは、決してあるとはいえません。しかし、アイアンマンを夢見て科学者や工学者を志した人がいたとしたら、その人の人生に影響を与えるほど大きな存在としてアイアンマンは存在している(有)といえ、決して存在していない(無)とはいえません。それが「あるとはいえないし、ないともいえない」のイメージです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 では、「空」とは「有(色)」と「無」を包摂するものと理解した上で時間を考えると、どのようにいえるでしょうか?

 

 コーチングでは「時間は未来から過去に流れる」という前提で、その未来をゴールとして創造します。それは時間がある(有)という前提での操作です。相対論以前の物理学の考え方であり、(アイアンマンつながりで言うと)「アベンジャーズ エンドゲーム」でも描かれていた西洋哲学をベースとする思考です(映画では過去→未来でしたが)。

 

 しかし、相対論以降の物理学では違います。Q-084でも触れましたが、アルベルト・アインシュタイン博士(18791955年)は「過去、現在、未来の区別は頑固に引き続いている幻想にすぎない」という言葉を残しています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/16660374.html

 

 じつは、時間は流れていません。それが現代物理学の結論です。時間は流れているのではなく幻想。そして、ある一瞬に過去・現在・未来が同時に存在しているのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11823843.html

 

 驚くべきごとに、同じ発想が古い仏教用語にも垣間見えます。それは苫米地博士が座右の銘とされている「一念三千(いちねんさんぜん)」です。中国天台宗の開祖である天台大師 智顗(ちぎ)の言葉だとされています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9188537.html

 

 実際、これまで「過去から未来に流れる」という時間観で生きていた方々は、コーチングを受けた後は「未来から過去に流れる」という時間観で生きるようになります。本人の中ではそれまでと180°ひっくり返ったというのに、傍から見ると全く変わりません。

結局、時間の流れは本人の認識でありどちらでもいいのです。それは「時間は流れていない」ということを示しています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 時間は流れておらず、ある一瞬に過去・現在・未来のすべてが含まれています。それがわかれば、過去も現在も未来も自由自在に書き換えられるようになります。

 

 すべてマインド次第ということです。

 

Q-089につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

超訳般若心経



PMThe Power of Mind

PM-03苫米地理論との出会いと実践

PM-03-10霊におびえた学生時代<ベチロンで考察>

 

ベチロン(苫米地理論)を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができます。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

霊におびえた学生時代<ベチロンで考察>

 

 風を見たことがありますか?

 

ウインドサーファーは風を見ることができます。

もちろん、海面の色であったり(視覚)、音であったり(聴覚)、肌に当たる感覚であったり(触覚)、天気図によるものだったり(言語情報)するのですが、でも、見ているのです。

 

五感+言語の六つのモーダルチャンネル(情報入力経路)を統合して一つ上の抽象度で築きあげた「ゲシュタルト(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html)」で見ているのです。

自然の中にいて感覚が研ぎ澄まされるだけではなく、この「統合し、さらに大きなゲシュタルトを作る体感」を得られたことは、抽象度の体得を可能とする貴重な財産となりました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

さらにエネルギー感も。

目に見えない力で吹き飛ばされた体験は、「情報空間のポテンシャルエネルギーを物理空間で爆発させる」というイメージをはっきりと感じるきっかけとなりました。目に見えない、文字どおり爆発的なパワーを体感したことは、ヒーラーとしてのスキルにも大変役に立っていると思います。

これらの体験もあり、苫米地式の真髄は私の中でリアルになりました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

 

大学時代はリアルにならなくていいものまでリアルになりました。

霊の存在です。

 

「空観、仮観、中観(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html)」を学び、「夢をかなえる方程式:I×V=Rhttp://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html)」を体得した今は、霊とは「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」により自分の心(マインド)が生みだしたものであることを理解しています。

 

霊の恐怖を克服する大きなきっかけとなったのは、苫米地博士の「一生幸福になる 超訳 般若心経」(学研)により長年の疑問が解決したことでした。

 

今は霊を恐れることは全くありません。むしろ食べるくらいですから(笑)。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

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