苫米地式認定コーチ CoacH T(タケハラクニオ) ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学びながら九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

タグ:自動運転

F-092:無人運転と自動運転の違い ~シーサイドライン逆走に思う~:vol.4 <ワーク付き>

 

201961日、横浜市の新交通システム「シーサイドライン」の新杉田駅(同市磯子区)で無人運転の車両が逆走し、乗客14人が重軽傷を負う事故が発生しました。

 

「バラ色ダンディ」(東京MX、同63日放送回)に出演された認知科学者 苫米地英人博士は、この事故について「無人運転と自動運転が混同されている」とコメントされていました。

 

博士のコメントを考察してみました。シリーズでお届けします。

 Vol.1http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17722318.html

 Vol.2http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17868025.html

 Vol.3http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17985750.html

 

 前回(F-091)は、無人運転と自動運転の違いを人のマインドでの情報処理に置き換え、AIArtificial Intelligence時代にふさわしい生き方を考察しました。

 その生き方とは「ゴール設定でイマジネーションの限界を超え続ける」というものです。

 

 

人間の限界はイマジネーションの限界がつくる

イマジネーションによって人は限界を作り、それを壊すことで新しい世界を獲得していく

 

 

私たち人類は長い歴史の中で何度もイマジネーションの限界を打ち破ってきました。絶望的な苦難を新たなイマジネーションで克服してきました。

 

 AIが身近になった現代は、その驚くような演算処理能力を使って、ますますイマジネーションを現実化しやすくなっているといえます。かつての夢を実現できるのです。鍵は「自由自在なイマジネーション」。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 

 その「自由」を獲得することが教育の真の目的です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9034343.html

 

 ところが、実際は親や教育者自身の目的(利益)のために教育が行われているケースが目につきます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9672774.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9817539.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9817603.html

 

 それはhave toの押し付け。それでは子どもの潜在能力を引きだすことはできません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 さらに心を傷つける暴言や体を傷つける体罰などが加われば、生涯にわたって負の影響を与え続けることになるでしょう。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13523096.html

 

 

 人生が「無人運転」や「自動運転」で終わらないためにコーチングが必要です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17985750.html

 

 ゴール設定でイマジネーションの限界を超え続ける」ために、自由に生きるために、今すぐコーチングが必要です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 

 

 先日、早急にコーチングを導入するべきであることを示す事例がありました。親による子への体罰を禁止する改正児童虐待防止法の成立です。背景には“しつけ”と称した暴力により幼い命が奪われている社会病理があります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10114934.html

 

 「体罰を法律で禁止する」という考え方には大きな盲点(スコトーマ)があります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 以下の引用文(2018621日付 南日本新聞「南風録」より)を参考に、その盲点について考えてください。それが今回のワークです。

 

 

 引用開始

 「島津に暗君なし」といわれるほど、島津家歴代の殿様はすぐれた人物が多かったという。中でも中興の祖とされる忠良(日新斎、じっしんさい)は人格者で、自ら編んだ「日新公いろは歌」は薩摩武士の精神的支柱となった。

 そんな名君も幼少時はやんちゃだったようだ。勉強嫌いで、目を離すとすぐに遊びに行ってしまう。ついに教育係だった寺の和尚から柱に縛り付けられた。日置市の伊佐小学校に展示されている「日新柱」はその時の柱と伝わる。

 子をどう教え導けばいいか、いつの時代も大人は頭を悩ませてきた。今週成立した改正児童虐待防止法には、親による子への虐待防止がはっきりと書き込まれた。

 背景には幼い命が奪われた東京や千葉、札幌での虐待死事件がある。殴る、蹴る、食事を与えない。しつけとかけ離れた仕打ちの実態を聞き、親を選べない子の悲しさを思う。こんな悲劇をもう繰り返さないため、あらゆる手だてを講じるべきだ。

 どんな行為が体罰なのか、法は示していない。国は今後、ガイドラインを作って体罰の定義を明確にする。子育ての在り方を見直す議論を深め、体罰と決別する意志を共有しなければならない。

 日新斎を縛った和尚は未来の君主への仕打ちに対して、重い処罰を受ける覚悟を決めていた。子をしつける大人の真剣さを伝える逸話といえよう。ただし、今なら絶対に許されない体罰に違いない。

 引用終わり

 

 

 いかがですか?

 「体罰を法律で禁止する」という考え方に潜む大きな盲点(スコトーマ)を感じ取ることができましたか?

 

 では、私の考えを述べます。

 

 「体罰を法律で禁止する」は本質的な解決策(プラン)になっていません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

 

医療・介護現場で用いられる概念「3つのロック」で例えると、体罰は「フィジカルロック」に相当します。それは物理空間で方向付けを行うものです。

 その体罰を法律で禁止するという行為は「スピーチロック」に相当します。それは情報空間での方向付けといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12794797.html

 

 結局、抽象度が違うだけで「方向付け」であることは変わりません。それでは自由を奪われ、have toを強いられ、エネルギーと創造性を封印されてしまいます。

それが私が感じた「大きな盲点(スコトーマ)」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

解決するべき点は「方向付け」にあります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12808542.html

 

繰り返しますが、方向付けを他人に許すことは自由を奪われることです。他から与えられた自由なき人生でいくら頑張ったとしても、それは無人運転が自動運転に変わるくらいの違いでしかありません。

 

 重要なことは“自分”で方向付けを行うこと。

 教育の場合、子どもに“自分”で方向付けを行う術を教えること。そして、その実現のためにも親や教師自身が自らの方向付けをしっかりと行っていることです。

 

それは“現状の外”へのゴール設定で始まります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 つまり、ゴール設定を可能とするコーチングの知識とゴール達成を可能とするコーチングのスキルが真の解決策です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12935992.html

 

 引用文中にあるとおり「子育ての在り方を見直す議論」はとても大切ですが、その際に「コーチングに取り組むこと(取り入れること)」こそが最も重要であると私は思っています。

 

「子をどう教え導けばいいか?」 そんな親や教育者自身の悩みを自ら解決に導くものもコーチングです。

 

子どもたちに、子どもを導く親や教育者に、コーチングをしっかり届けるために、私は全力で活動しています(もちろん100%want toで)。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 今回御紹介した苫米地博士の言葉は、「すごい私になれる魔法の名言」(主婦と生活社)からの引用です。以下、同書の「おわりに」から一部御紹介します。

 

 このように、イマジネーションによって人は限界を作り、それを壊すことで新しい世界を獲得しています。

 そして、イマジネーションとは言葉と言い換えることもできるでしょう。

 不幸な出来事も、幸せなひとときも、すべては言葉とイマジネーションの中のものなのです。

 ならば、不幸な出来事など、言葉とイマジネーションの力を使って書き換えることは誰にだってできるはず。

 そのためのきっかけが、本書で紹介した言葉になるのではないかと思っています。

 

 「ロックを自ら解除し、イマジネーションの限界を超え続ける力」が皆さんのマインドに眠っています。その力を覚醒させるものがコーチングです。

 

 一緒に取り組んでみませんか?

 

 連絡先:coachfor.m2@gmail.com

 

 

すごい私になれる魔法の名言



F-091:無人運転と自動運転の違い ~シーサイドライン逆走に思う~:vol.3

 

201961日、横浜市の新交通システム「シーサイドライン」の新杉田駅(同市磯子区)で無人運転の車両が逆走し、乗客14人が重軽傷を負う事故が発生しました。

 

「バラ色ダンディ」(東京MX、同63日放送回)に出演された認知科学者 苫米地英人博士は、この事故について「無人運転と自動運転が混同されている」とコメントされていました。

 

博士のコメントを考察してみました。シリーズでお届けします。

 Vol.1http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17722318.html

 Vol.2http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17868025.html

 

 

 …Vol.1F-089)は無人運転と自動運転の違いについてまとめました。

 

その中で「今までトラブルが起こらなかったのは、『変化のない決められたコースを、決められたとおりに走行する』というシンプルなタスクを繰り返す無人運転だから」と書きました。

そして、「無人運転に対しての自動運転とは、『複雑(多種多様)な環境の変化に即座に対応しながら、自身をつねに最適化して走行する』という自律的なもの」であると。

 

 それらを人のマインドでの情報処理に置き換えると、AIArtificial Intelligence時代にふさわしい生き方が浮かび上がります。

 

 

前回(F-090)は、「『変化のない決められたコースを、決められたとおりに走行する』というシンプルなタスクを繰り返す無人運転」をコーチの視点で考察しました。

人の生き方に置き換えると、「他人に与えられた過去の延長線上にある目標に向かって、誰かに言われるまま(自分で考えることなしに)生きる単調な人生」という感じ。

もちろんそれは「奴隷の人生」です。

 

では、自動運転はどうでしょうか?

 

 

無人運転に対しての自動運転とは、「複雑(多種多様)な環境の変化に即座に対応しながら、自身をつねに最適化して走行する」という自律的なもの。

 

それをコーチの視点で人の生き方に置き換えると「他人に与えられた過去の延長線上にある目標に向かって、誰かに言われるまま(自分でも考え修正しながら)生きる単調な人生」といえます。

 

例えば、自動車では搭載されたカメラやレーダーでまわりの状況を随時確認しながら、自身の状態を自律的に判断し最適化することで自動運転を実現します。

しかし、それはあくまで決められたゴールに向かうプロセスでの自律的判断であり最適化。すべてゴール設定が他によりなされた後の話です。

 

将来はゴール(目的地)自体をAIが自律的判断で決めてくれる時代が来るのかもしれません。例えば、その時の気分にふさわしい場所に運んでくれたり、体の不調を診断して適切な病院に送り届けてくれたりなど。

 

しかし、それらも過去にあらかじめプログラムされている情報内か、あるいはその延長線上での判断であり、すべて現状の中といえます。ゴールが現状の中にあればスコトーマが大きく外れることはありません。
 (そもそも現状の中のものをゴールとはいいません) 

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 もっとも、自動運転はそれでかまいません。反対にゴール(目的地)を勝手に決められたら、そちらの方が困ってしまうでしょう。想像してみてください。急いで空港に行きたいのに、「たまには図書館にでも行きませんか?」とか「今日こそは歯医者に行きましょう!」と提案してくる自動運転車を(笑)。

 

 

繰り返しますが、AIの自律的判断はゴール設定後のプロセス最適化でかまいません。

誰かが入力したゴールに向かって(あるいは前提条件の範囲内で)、途中の状況変化をセルフチェックしながら最適化を図ります。

 

ですが、人は違います。

 

 私たちにはマインド(脳と心)があります。そのマインドで自らの目的地を、すなわちゴールを決めることができます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 そして、ゴールを自ら決める必要があります。自由に生きるために。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 

 もし、ゴールを“自分”で決めなければ、生きるエネルギーをうみだすことはできず、創造性を発揮することもできません。モチベーションがwant to(建設的動機)の場合とhave to(強制的動機)の場合の生産性の差は756倍です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 ゴールを“自分”で決めない(決められない)と、自身の潜在能力を封印し、可能性を閉ざすことになります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12794797.html

 

 

自分の限界とは、自分のイマジネーションの限界のことである

 

 

 これはコーチングの祖 ルー・タイス氏の言葉です。

 苫米地博士はこの言葉を下記のように言い換えていらっしゃいます。

 

 

人間の限界はイマジネーションの限界がつくる

イマジネーションによって人は限界を作り、それを壊すことで新しい世界を獲得していく

 

 

 私たち人類は長い歴史の中で何度もイマジネーションの限界を打ち破ってきました。絶望的な苦難を新たなイマジネーションで克服してきました。

 

 AIが身近になった現代は、その驚くような演算処理能力を使って、ますますイマジネーションを現実化しやすくなっているといえます。

 ポイントは「自由自在なイマジネーション」!

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 さあ、今すぐゴールを設定してみましょう。もちろん“現状の外”に!

 ワクワクしながらイマジネーションの限界を超えていきましょう!

 

 ゴール設定でイマジネーションの限界を超え続ける

 それがAIArtificial Intelligence時代にふさわしい生き方であるはずです。

 

F-092につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_342433.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14248557.html

 

 

アファメーション



F-090:無人運転と自動運転の違い ~シーサイドライン逆走に思う~:vol.2

 

201961日、横浜市の新交通システム「シーサイドライン」の新杉田駅(同市磯子区)で無人運転の車両が逆走し、乗客14人が重軽傷を負う事故が発生しました。

 

「バラ色ダンディ」(東京MX、同63日放送回)に出演された認知科学者 苫米地英人博士は、この事故について「無人運転と自動運転が混同されている」とコメントされていました。

 

博士のコメントを考察してみました。シリーズでお届けします。

 Vol.1http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17722318.html



 前回(F-089)は無人運転と自動運転の違いについてまとめました。

 

その中で「今までトラブルが起こらなかったのは、『変化のない決められたコースを、決められたとおりに走行する』というシンプルなタスクを繰り返す無人運転だから」と書きました。

そして、「無人運転に対しての自動運転とは、『複雑(多種多様)な環境の変化に即座に対応しながら、自身をつねに最適化して走行する』という自律的なもの」であると。

 

 それらを人のマインドでの情報処理に置き換えると、AIArtificial Intelligence時代にふさわしい生き方が浮かびあがります。

 

 

「『変化のない決められたコースを、決められたとおりに走行する』というシンプルなタスクを繰り返す無人運転」をコーチの視点で言い換えると、「他人に与えられた過去の延長線上にある目標に向かって、誰かに言われるまま(自分で考えることなしに)生きる単調な人生」という感じになります。

 

 シンプルに表現すれば「奴隷の人生」

 

厳しくいえば、ほとんどすべての人が奴隷として生きています。「自分」は他人(特に親や教師)に強く影響を受けた過去の記憶で構築されているからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 (発達心理学の研究により、親の影響が圧倒的に大きいことが明らかになっています。以下、「最も強く影響を与えた他人」の意味で「親」を用います。皆さんは「親」を自身に一番強い影響を与えた人に置き換えてお読みください)

 

 親など身近な他人の影響下で「自分」の重要度が決まり、その重要度がフィルターとして働くことで目の前の世界が決まります(認識する世界が限定される)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 つまり、親が好んだものを好み、親が嫌うものを嫌い、親と同じように生きるということ。

 

 例えば、親がジャイアンツファンだったら、子もジャイアンツファンになるようなもの。

「いや、親はジャイアンツだが、私はホークスだ」という人も「野球好き」というブリーフは受け継いでいます。

「親は野球だが、私はサッカーです」という人も同様です。スポーツの重要度が高いことそのものが親の影響です。野球とサッカーの違いは、一つ下の抽象度での小さな相違にすぎません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

「蛙の子は蛙」「瓜の蔓に茄子はならぬ」「この親にしてこの子あり」などのことわざが示すとおり、親のブリーフシステムを受け継ぐというのは昔から知られていた人の特性です。

英語圏でも「Like hen, like chicken(ひよこは親鶏に似る)」「Nits will be lice(シラミの卵はシラミになる)」といった表現があるようです。

 

きっと皆さんのまわりにも二世弁護士や代々医者の家系といった人たちがいることでしょう。親の職業を引き継ぐケースは決して珍しいことではありません。
 ちなみに日本の国会議員は世襲が多く、米国(連邦議会)の5%程に対して自民党は40%超。安倍政権では60%を超えています(自民党出身閣僚)。

 

 もちろん、「親の影響を受けたらいけない」「親の職業を継ぐのはよくない」と言いたいのではありません。そうではなく、「モチベーションがhave toのままであれば、潜在能力を十分には発揮できない」ことを危惧しているのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 モチベーションがhave toなのは「他人に与えられた過去の延長線上にある目標」に向かって生きている(生かされている)から。つまり、本物のゴールを“自分”で設定していないからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

無人運転の「シーサイドライン」が1989年の運行開始以来ずっと大きな事故を起こさなかったように、「他人に与えられた過去の延長線上にある目標に向かって、誰かに言われるまま(自分で考えることなしに)生きる単調な人生」をうまく全うできれば、大きな問題(苦痛)は生じないのかもしれません。

 

しかしながら、それは難しいでしょう。人にはマインド(脳と心)があるのだから。

 

「自分」に疑問を持ってしまった瞬間にスコトーマが外れ明らかになる痛みのことを「スピリチュアルペイン」と呼びます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8293317.html

 

 

次回は自動運転について考察します。

 

F-091につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 麻生太郎副総理兼金融担当相の言動が再び注目を集めました。

金融庁 金融審議会の市場ワーキンググループ報告書内の「30年間で約2000万円が必要」という主張(クレーム)は、厚生労働省が繰り返し示した事実(データ)をもとに専門家によって審議されできあがったものです(根拠、ワラント)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12340209.html

 

それは「政府の政策スタンス」の論拠(バッキング)となるもの。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12504855.html

 

なのに「政府の政策スタンスと異なっている」から「受け取らない」としたことは、祖父 吉田茂元総理大臣から受け継いだブリーフシステムなのでしょうか?

(あるいは「ある日気づいたらワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた手口」に学んだのかもしれません)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_277070.html

 

 

横浜(金沢)シーサイドライン(Wikiより引用)

横浜(金沢)シーサイドライン

Wikipediaより引用

 

 


F-089:無人運転と自動運転の違い ~シーサイドライン逆走に思う~:vol.1

 

201961日、横浜市の新交通システム「シーサイドライン」の新杉田駅(同市磯子区)で無人運転の車両が逆走し、乗客14人が重軽傷を負う事故が発生しました。

 

「バラ色ダンディ」(東京MX、同63日放送回)に出演された認知科学者 苫米地英人博士は、この事故について「無人運転と自動運転が混同されている」とコメントされていました。

 

博士のコメントを考察してみました。シリーズでお届けします。

 

 

 番組内で、博士は自動車の自動運転技術を引き合いに出されながら、AIArtificial Intelligence、人工知能)を用いた自律的判断について言及されていました。

 

 事故を起こした「シーサイドライン」のシステムは、「運行を制御する自動列車運転装置(ATOAutomatic Train Operation)が駅側と車両側で情報をやり取りし、路線データや信号情報に基づいて発進や停止、加速を行う」というものです。

自動車の渋滞解消や環境への負荷低減を目的に、1980年代から全国各地で導入が進んだ新交通システムの1つで、1989年の運行開始以来「シーサイドライン」で同様の事故はなかったそうです。

 

話が逸れますが、運行する横浜シーサイドラインの広報担当者は「逆走は今までになく、全く想定していなかった」と発言しています。

そのコメントからは「今まで問題はなかったから、これからも問題はない」という思考が読み取れます。その根底には不完全性に対する無理解と「過去→未来」という時間観があるはずです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

柔らかく表現すると想像性の欠如。はっきり言うと思考停止。いずれにせよ、イマジネーションの限界が個人(組織)の限界を生みだします。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14120540.html

 

本当はたくさんの前兆があったに違いありません。しかし、それらの情報はスコトーマに隠れてしまい、認識(あるいは理解)することができませんでした。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在する」というのが「ハインリッヒの法則」。その対策にはコーチングが役立ちます。自らスコトーマを外すことを可能にするマインドをつくれるからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124527.html

 

 

 話を戻します。

事故後の調査により進行方向を指示する車両側の回路の一部に断線があったことが明らかになりました。モーターに進行方向が伝わらず逆走したと考えられています。

 

注目すべきは、「運行を制御する自動列車運転装置(ATO)の地上側から車両側に送った指示が、モーターなどに正確に伝わったかを確認する仕組みはない」という事実。

つまり、周囲の状況はもちろんのこと、自身の状態について確認する仕組みすらなかったのです。

 

それなのに今までトラブルが起こらなかったのは、「変化のない決められたコースを、決められたとおりに走行する」というシンプルなタスクを繰り返す無人運転だからです。

 

 

 一方、自動車の自動運転は状況(変化)の即時把握と変化に対する自律的判断を求められています。搭載されたカメラやレーダーでまわりの状況を随時確認しながら、自身の状態を最適化していくことで自動運転が実現します。

その自動化のレベルは、下記のように定義されています(政府の文書より引用していますが、具体的表現はわかりやすく変更しました)。

官民ITS構想・ロードマップ2018

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/it2/kettei/pdf/20180615/siryou9.pdf

 

 

<レベル0:運転自動化なし>

 運転者が全ての動的運転タスクを実行

 

<レベル1:運転支援>

アクセル、ブレーキ、ハンドルの操作の内、1つの車両制御に関わる監視、操作を自動運転システムが行う

例:自動ブレーキによる衝突回避、走行車線をはみ出さずに走行、前の車に追従する

 

<レベル2:部分運転自動化>

アクセル、ブレーキ、ハンドルの操作の内、複数の操作を自動運転システムが行う

例:車線変更の実施、前の車に追従しながら車線をはみ出さずに走行

 

<レベル3:条件付運転自動化>

限定領域内でアクセル、ブレーキ、ハンドルの操作のすべてを自動運転システムが行う。緊急時は自動運転システムの要請によりドライバーが対応

 

<レベル4:高度運転自動化>

高速道路や日常的に使われる道路などの限定領域内において、アクセル、ブレーキ、ハンドルの操作すべてを自動運転システムが行う(ドライバーは操作に関与しない)

 

<レベル5:完全自動化>

限定領域がなく、あらゆる場面でアクセル、ブレーキ、ハンドルの操作を自動運転システムが行う(ドライバーは操作に関与しない)

 

 

 つまり、無人運転に対しての自動運転とは、「複雑(多種多様)な環境の変化に即座に対応しながら、自身をつねに最適化して走行する」という自律的なもの

 

 では、それらを人のマインドでの情報処理に置き換えると、どのようなことがわかるでしょうか?

 

F-090につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

アメリカのゼネラル・モーターズ社は、ハンドルやアクセル、ブレーキペダルのない量産可能な自動運転車「クルーズAV」を2019年中に実用化すると発表しています。それは日本のメーカーの自動化レベル2の現状に対してレベル4の技術です。

いよいよ映画で描かれてきたような世界が現実化します。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html


 

自動運転レベルの定義の概要


1 自動運転レベルの定義の概要

官民ITS構想・ロードマップ2018より引用





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