苫米地式コーチング認定コーチ CoacH T <タケハラクニオ> ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学び九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

タグ:病気

Q-249:病気をどのように考えていますか?

 

 素朴な御質問をいただきました。

 

 「素朴」とは、「情報量が少ない」「シンプル」ということ。

それは「抽象度が高い」ということであり、「本質に迫る」ことともいえます。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/12808542.html

 

 *抽象度はこちら↓

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html

 

 私もなるべく素朴に回答いたします。Don’t think. Feel

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14120540.html

 

 

Q:病気をどのように考えていますか?

 

A:「情報」です。

 

もう少し詳しく表現するなら「縁により起こる情報」。「縁起」です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html

 

 その「縁」「起」は何らかの機能・役割とみることができます。「機能・役割」はゴールにより決まります。よって、ゴールが生みだす機能・役割=縁起=情報=病気。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html

 

 「ゴールが病気を生みだす」という表現は奇異に感じられるかもしれません。

 

 しかしながら、抽象度を上げて考えると、個人(部分)の「老病死(+生で四苦)」が人類(全体)の「生」を支えていることが理解できるはず。それは体の中の細胞一つひとつの「老病死」によって体全体の「生」が保たれているのと同じ。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6193912.html

 

 「老病死」から逃れた細胞(=がん)が、やがては人(体全体)を死に至らしめます。もしも人が「老病死」から逃れられるようになったなら、きっと人類は滅亡してしまうでしょう。他の生物や地球そのものを巻き込みながら。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/16541640.html

 

 だから、人類存続というゴール(=因)が生みだす果が病気(または老病死)であるといえます。

 表現を変えると、病気とは「人類存続のためのホメオスタシス」です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831660.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4971818.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4971956.html

 

 

 以下、認知科学者 苫米地英人博士の著書「がんを克服できる脳」(主婦と生活社)から引用します。

 

 

 「病は気から」という言葉があります。

 日本では昔から「笑いによってがんが治った」という話がよく言われます。アメリカでは「がんを攻撃する絵を描いているうちにがんが消えてしまった」といったエピソードもあって、がんでさえも“気から”で治ってしまうことはある、と多くの人は感じていることでしょう。

 私も「病は気で治る」と思っています。もちろん、がんも。しかし、この言葉をどれだけの人が正確に理解できているか、はなはだ疑問です。たぶん、多くの人は“気から”の意味を文字どおりとらえて、「気持ちが大事なんだ」「もっと前向きに考えていけば、免疫力も高まって病気も治るはず!」と思っていると思います。

 いわゆるポジティブ・シンキングというものですが、はたして、それで病気は治るでしょうか?

 

 残念ながら私は治らないと思います。そんなことをするよりも、薬を飲んだり、病院で注射してもらったり、手術を受けたりするほうがはるかに病気は治るでしょう。いうまでもなく、そのほうが病に直接効くからです。

 多くの人がここのところを勘違いしています。物事を前向きに考える習慣などは、もしかしたら普段の生活ではよい効果が出る可能性はあるかもしれません。しかし、病気はどうでしょうか? 一度、冷静になって考えてみてください。物事を肯定的にとらえることと、病気が治ることに因果関係はありません。ないのですから、必然的に病気が改善する理由もないのです。

 身も蓋もない話ですが、病気は薬を飲むから治るのです。

 ただし、ここで誤解してほしくないのは、私は薬効のみによって病気が治ると言っているわけではありません。薬を飲む行為、注射したという行為こそが「病は気から」そのものなのです。もちろん薬効がないとは言いませんが、病が治った主な原因はプラセボ効果にある、と私は思っています。

 プラセボ効果とは、信頼している医師から「よく効く薬だ」と渡された丸薬を飲めば、それがただの砂糖の塊であっても病気が治ってしまう現象のことを言います。

 つまり、「これを飲んだら治る」と“確信する”から治るのです。「病は気から」の“気”とは、この確信のことを言います。断じて単なるポジティブ・シンキングではない、ということを理解してください

 引用終わり

 

 

 苫米地博士が書かれていることを理解するためのポイントは、「全抽象度で考え感じる」こと。つまり、物理空間を底面(bottom)とし、空(くう)を頂点(top)とする、情報空間全体で生命現象をとらえるということです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516539.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654230.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654316.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831442.html

 

 *「空(くう)」はこちら↓

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353367.html

 

「病気がある」「体がある」「この世がある」というのは、機械論的自然観や実体二元論(substance dualism)に代表される西洋哲学的な見方です。もちろん「健康がある(健康である)」も。その世界観は不完全性定理の証明を機にアップデートされています。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6194669.html

 

 「『心』と『体』が別々に存在し、どこかで結びついている(専門用語でグラウンディングと表現)」という考えは今すぐ捨ててください。

「心と体」はそもそも1つであり、観察する抽象度による違いにすぎません。情報空間では体のことを心といい、物理空間では心のことを体というだけです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5306438.html

 

 同様に、一人の人間の「生」「老」「病」「死」は、独立した概念としてではなく、「生老病死」でひとつとみるべき。そして、その個の「生老病死」は、もっと大きなつながり(縁起)の「生老病死」を構成する大切な一部分でもあります。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/7383761.html

 

 そもそも「病気」とは絶対のものではありません。「健康」と合わせて、「病気」を定義しなおすことをお勧めします。ゴール側から自由に再定義してください。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10400987.html

 

 *参考にこちらをどうぞ↓

 PM-04~:苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ(目次)

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/13076878.html

 

 御質問ありがとうございました。

 

 

苫米地式コーチング認定コーチ     

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記1

「老病死」から逃れた細胞(がん)が、やがては人(体全体)を死に至らしめます。もしも人が「老病死」から逃れられるようになったなら、きっと人類は滅亡してしまうでしょう

 

 縁起はいつも、双方向(多次元)であり、複雑で、ダイナミック。

 

 もしも人類が「がん」を克服できたなら、人(体全体)はがんでは死ななくなります。

「がん」以外の要因(例えば老衰など)で適切な時期に「老病死」を迎える限り、人類が滅亡することはない と思われる方が多いと思います。しかし、それは間違い。

「がん」がなくなったなら、やがて人類は滅亡します。なぜなら、宇宙という系には必ず不完全性が入るから。

 

詳しくお伝えしたいのですが、ここから先は守秘義務内容。

 鍵は「縁起」と「因果」をしっかり観ること。それはコーチングの重要なポイントでもあります。

 

 

-追記2

 だから、人類存続というゴール(=因)が生みだす果が病気(老病死)であるといえます

 

 ある看取りを縁に、「縁起」と「因果」について考えました↓

 Q-204~:「縁起」と「因果」

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_413308.html

 

 

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一緒に楽しみましょう!

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_418055.html

 

 

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Q-067:認知的不協和の状態にあり頭痛が続いています。適切なアファメーション、ビジュアライゼーションはどうすればよいでしょうか? Vol.4;生命(現象)と病の関係

 

 認知科学者 苫米地英人博士の読者の方から御質問をいただきました。セルフヒーリング&セルフコーチングのコツをイメージしながら、しっかりとまとめてみました。

シリーズ(計八本)でお届けします。

Vol.1 はじめに(目次):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13825164.html

 

 

Vol.4:生命(現象)と病の関係

 

 前回(Q-066)、抽象度を軸とした宇宙の構造について説明しました。すべては情報(情報空間)で、その底面を特別に物理空間と呼びます。

 生命(現象)も情報であり、全抽象度次元(階層)にまたがって存在しています。その生命(現象)が、写像として物理空間(という情報空間の底面)にあらわれている最初を「生」と呼び、最後を「死」と呼びます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14106619.html

 

 では、その生命(現象)と病の関係はどのように考えればよいでしょうか?

 

 

前々回(Q-065)のおわり(追記)に記してあるのですが、苫米地式コーチング(&ヒーリング)は西洋哲学と東洋哲学を包摂した立場をとります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13958654.html

 

その理論的バックボーンである「超情報場仮説(理論)」では、「情報が物理空間(情報空間の底面)で実体化している」とし、物理的身体を情報の写像とみます。病は相対的な存在であり、物理空間上での自己表現です(もちろん健康も自己表現です)。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165789.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165823.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306380.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306438.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5445932.html

 

違う表現をすると「病とは情報空間のバグ」といえ、仮観的には「何らかの機能・役割」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654230.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654316.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831442.html

 

 苫米地式では、病を絶対的な存在とはみなしません。そればかりか否定的なニュアンスでとらえることもしません。中観の立場をとるからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

ネガティブな情動は容易に「ファイト・オア・フライト」を引き起こします。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

情動が発火した状態では抽象度とともにIQが下がるため、病を「空(くう)なるもの」とみることも、「高い抽象度次元での情報処理の写像」とみなすことも困難になってしまいます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

苫米地博士は「イヤな気持ちを消す技術」(フォレスト出版)の中で、身に降りかかったイヤな体験や情動を無害化するための「情動を消し去る三つの方法」を記されています。

その方法とは、1)高い抽象度で考える、2)イヤな出来事の記憶に「うれしい・楽しい・気持ちいい・すがすがしい・誇らしい」という情動感覚を結びつける、3)脳を自己発火させる、です。

 詳細はぜひ書籍で確認していただきたいのですが、その実行のための強力な方法としてコーチングがとても有効です。

 

 先程、「苫米地式では、病を絶対的な存在とみなさず、否定的なニュアンスでとらえることもしない」と書きました。それは不完全性が働くからであり、すべて縁起であるからともいえるのですが、「だから、すべてを受け入れ諦めろ」というわけではありません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 むしろ反対で、しっかり因果を観て、積極的に書き換えることを促します。なぜなら、ゴールがあるからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 そして、そのゴールを達成するために健康(の領域でのゴール実現)が必要で、時間の源流となる「病を克服した未来」を先に創造することが重要だからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 車で例えると、「いつもと違う振動」や「聞きなれない音」をきっかけに点検と修理を行うことで事故を未然に防ぐことができます。同様に、“病”をきっかけに「情報空間のバグ」や「(その写像としての)身体のバグ」をちゃんと点検(止観&診察)し、しっかりと修理(書き換え&治療)することでゴール達成のためのバリアを克服し望む未来を手に入れることができます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 「病は何らかの機能・役割である」というのはそういう意味です。

 反対にいうと、「病すら機能・役割に変えてしまう」ために、「止められてもやりたい(だけど、このままでは叶わない)ゴールが必要」だといえます。

 

 健康とはゴール設定の結果です。

そして、病とはゴール実現のために自我を書き換える大切な縁起です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html

 

(いい言い方ではありませんが、「病はゴールを“現状の外”にするもの」とも表現できます。ベートーヴェンが「第九」を書き上げた“奇跡”は、難聴と肝硬変という“現状の外”への挑戦が生みだしたエネルギーと創造力の結実なのかもしれません)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14248557.html

 

 

 「情報空間のバグ」や「何らかの機能・役割」である病を「より高次の抽象度次元(場)で書き換えていく」という感覚を御理解いただけたでしょうか。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542426.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6681143.html

 

 

 最後にもう一言。

人はみな自由意志でゴールを設定(更新)することができます。そして、エネルギーと創造性をさらに発揮し、結果として“病”を克服し、“健康”になることができます。

 

 それが苫米地理論を学び、コーチングを実践することで、医師としての私がたどり着いた結論です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045695.html

 

 (Q-068につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 

 「情報空間のバグの点検」は「ゴールの再評価」ともいえます。ゴールが間違っていなくても、様々な要因でダイナミックにバグが生まれてしまいます。例えば、「want toがいつの間にかhave toに変わっている」もその一つです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13523715.html

 

そういう意味でも「止観」の「一度ちゃんと止まって、しっかり観る」という習慣(ハビット)はとても重要です。観る時のポイントについては後述します。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

「(情報空間のバグの写像としての)身体のバグの点検と修理」は医療の役目です。私は苫米地式のマスターヒーラーであるとともに医師でもあります。密教の世界からはじまり、西洋医学・医療を経由し、苫米地情報場ワールドへと学び進んできましたが、「物理抽象度に対しては物理抽象度でしっかり働きかけるべき」という思いは揺らぎません。

「物理次元での医療と並行して働きかけるものが苫米地式」だと私は認識しています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6854577.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7031387.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542426.html

 

 」とは、「物理次元でのへの働きかけ(医療)」と「情報次元でのへの働きかけ(苫米地式)」が、多次元的かつ同時に行われることで克服できるものだと思っています。

 

 

イヤな気持ちを消す技術(青)



PMⅠ:The Power of Mind

PM-04苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ

PM-04-05病とは何か?

 

 この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。

 

 

病とは何か?

 

 WHO憲章に「dynamic」という言葉が加わった理由を考えると、必ずしも「病」を「健康」の正反対の概念とはとらえていないのかもしれませんが、一般的には「病」は「健康」の反対の概念として考えられています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7859675.html

 

したがって、「健康」を「幸福」とすると、「病」は「不幸」といえます。そこまでいわないにしても「幸福の阻害要因」ぐらいにはいえるはずです。

 

 日本語には「病気」という言葉もあります。対義語を調べると「健康」とともに「元気」という言葉があがっています。となると、「健康」=「元気」ともいえます。

WHO的には「健康」は「幸福」「満たされた状態」でしたので、「元気」とは「幸福」「満たされた状態」のことといえます。確かに、何かをきっかけに不幸を感じてしまったときには元気ではなくなりますよね。

 

しかし反対に、精神的に満たされた状態であったとしても、必ず元気は失っていきます。人は必ず年をとっていくからです。

 

「元気」は「元の気」と書きます。

生きているということは情報が(釈迦哲学でいうと縁起が)物理空間に結実しているということであり、それだけで大きなエネルギーを秘めているといえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

気とはエネルギーと同義で、その本質は抽象度の高低差で生まれるポテンシャルエネルギー(位置エネルギー)です。

 

何らかの原因で気(エネルギー)が病んだ「病気」は、その大きなエネルギーを一時的に失った状態といえます。物理空間での身体への治療と並行して情報的な原因を解決することができれば、気(エネルギー)は本来の状態に戻ります。「元気」になるのです。

 

その「元の気」は、人生という大きな単位で働くホメオスタシスにより、20才代前半まではどんどん大きくなり、その後はゆっくりと小さくなっていきます。その変化が「老い」です。

 

つまり、老いとともに人は必ず健康を失ってしまうものであるといえます。その先にあるものが死です。

 

WHOの定義まで含めると、生きるとは「必ず老いていく中で健康、すなわち“満たされた状態”や“幸福”を失いながら、やがて死を迎えること」であり、病とは「老いて健康を失っていく過程であらわれる変化であり、幸福を阻害するもの」といえます。

 

 では、苫米地理論では「病」とはどのように考えられるでしょうか?

 

「情報が物理空間(情報空間の底面)で実体化している」という超情報場仮説で見ると、物理的身体は情報の写像であるといえるので、その身体での変化としてあらわれる「病」は情報空間から物理空間への何らかの表れといえます。自己表現ともいえます。もちろん、健康も自己表現です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

 

違う言い方をすると、「病とは情報空間のバグ」といえ、仮観的には「何らかの機能・役割」といえます。その「バグ」や「機能・役割」は、より高次の抽象度空間(情報空間)に因があります。もちろん因は書き換えることができます。情報だからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

ただし、いくら高次の抽象度で書き換えることができるとしても、病や老いを完全に覆すことは不可能です。病や老い、死といったものは物理空間上にあり、その物理空間では物理法則が強力に働いているからです。秩序を維持するために。

 

つまり、書き換え可能な情報的な因を持つものが本来の病であり、老いを原因とする書き換え困難な物理空間での変化とは分けて考えた方がいいということがいえます。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

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