苫米地式コーチング認定コーチ CoacH T <タケハラクニオ> ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学び九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

タグ:無敵

ブログ・シリーズ編

S-04:さぁ「人間関係の悩みを克服する旅」をはじめよう!

S-04-18:自分が相手100%であっても、相手が自分を100%思ってくれなければうまくいかないのではないでしょうか?

 

問題です。

鏡の中の自分に微笑んでもらうためにはどうすればいいでしょうか?

私の答えは、このシリーズの最後でw

 

 告知(I-038):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22227952.html

 S-04-00(目次):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22305802.html

 

 

前回、「結婚は100%相手のためにするものです。ヴィーゼル風にいえば、常に相手の幸せに関心を持ち続けること。それが『愛』の当然の帰結のはずです」と書きました。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23512794.html

 

そのことに関連して、夫婦関係に悩む相談者からシリアスな御質問をいただきました。

かなり厳しい意見(主張、claim)になりますが、私の思いをまとめます。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/12340209.html

 

御質問は「自分が100%相手のことを考えたとしても、相手が自分のことを100%思ってくれなければ、結局、結婚生活はうまくいかないのではないでしょうか?」というもの。

 

私の回答は「そのとおり」の一言です。

 

自分が100%相手のニーズを満たし続け抽象度を上げることに成功しても、相手が相変わらず「自分中心」のままであれば、それは「搾取の構図」となってしまいます。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html

 

スティーブン・R・コヴィーの「七つの習慣」風に表現すると「LOSE-WIN」の関係です。そんないびつな関係が永続するはずがありません。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14401412.html

 

前回(S-04-17)の孟子の言葉でいえば、まずは「自分の愛と思いやりがまだどこか足りないのではないか」と反省してみましょう。

それでも問題は相手にあると感じるのであれば、そして相手がその態度を改めようとしないのであれば、きっぱりと関係を解消することを前提にもう一度話し合ってください。

お互いにコンフォートゾーンがずれることで、スコトーマに隠れていた大切な“何か”を再発見するかもしれません。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6040892.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721610.html

 

 もしもその“何か”をゴールとして共有することができるのなら、二人の新しい“旅”をはじめられるでしょう(その場合「過去は一切関係なし」です)。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6542317.html

 

決して少なくない人たちが、相手の幸せを願っているようでいて、じつは自分の幸せのために関係を結んでいます。結婚であれ、雇用であれ、最初から自身のニーズが最優先なのです。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14249741.html

 

その結果、夫であれば妻のニーズ(経営者であれば職員のニーズ)について、結婚(雇用)後は徐々に考えようとしなくなります。最初のうちは“ハネムーン”ですが、徐々に関係が冷え込んでいきます。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14249780.html

 

夫婦(労使)関係がおかしくなっても、自分のニーズが最優先という固定的な考えができあがっていますから、自分が間違っている可能性に思い至りません。そのため課題や解決はいつまで経ってもスコトーマに隠れたまま。その様を無明(むみょう)と表現します。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/12658417.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14120540.html

 

片方が本気で働きかけることで相手のスコトーマを外し、「100%相手のニーズに応えることが結婚(社会)生活である」ということを理解させることができれば状況は変わります。

しかし、いくら正しいと信じることであっても、無理やり強制することは「have to」を仕掛けることになってしまいます。よって、力づくで -例えば、世間の常識や他のケースを引き合いにだして- わからせるべきではありません。

(そもそも“絶対に正しい”ことなど存在しません)

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5882609.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/13837769.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6194669.html

 

縁起は双方向であり、かつ、流転するもの。最初はふさわしいパートナー同士だったのかもしれませんが、変わってしまったのです。きっぱりと縁起を解消するべきです。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html

 

すべての関係が同様です。

家庭にせよ職場にせよ、最も危険なのは、相手を力で脅したり蔑んだりして支配し利用しようとする人です。そういう人は相手のニーズについてはお構いなしで、自分のニーズばかりを相手に押しつけます。

人間関係は相手の人格を尊重することから始まるはずなのに、それでは相手を奴隷化するのと変わりません。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10987351.html

 

その結果、一時的に物事を有利に運ぶことができたとしても、決して大きな仕事を成し遂げることはできません。利用ばかりの人間関係はいずれ必然的に崩壊するため、人生における“レガシー”を残すことはできません。気がつくと一人ぼっちです。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/22636357.html

 

過去のブログ記事でも言及していますが、私は「WIN-WIN」以外の関係を認めません。

何らかの役割があり今は縁が続いている人も、「WIN-WIN」以外の関係であれば、いずれ縁起を解消する日がきます。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/20577177.html

 

 ただし、そんな思いを抱くと同時に、私は人の可能性も信じています。老病死(+生で四苦)という変化が遺伝子レベルで最初から組み込まれているという事実は、「自分中心な人はいない」ことを示しているからです。

“自分”よりもっと大きな存在(あるいは未来)の一部として、全力で生き、当たり前に老い(病み)、そして堂々と死んでいくのが人間本来の姿のはずです。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6193912.html

 

そんな生き方を全うできるのは、「抽象度を上げることができる」からであり、「“無敵”になれる」から。そして、そんな生き方を貫いていると、やがて「WIN-WIN」は「WIN」に収束していきます。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5446097.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5448151.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615695.html

 

その「抽象度を上げる=“無敵”」をサポートするのが教育です。教育が「人間形成」を実現します。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/9963845.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/9966391.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10116950.html

 

「抽象度を上げる=“無敵”=人間形成」の途中には“平成”があり、その先にはシンのWIN、すなわち平和が待っている

 私はそのように信じています。苫米地博士に学ぶコーチとして。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/16379886.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/16541640.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/16660261.html

 

 

次回は、人間関係を改善する方法をコーチの視点でまとめます。テーマは「『人間関係の悩み』を『解決すべき課題』に変える方法」です。

 

 (S-04-19につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-参考書籍-

苫米地英人コレクション3

「『頭のゴミ』を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!」(開拓社、復刊版)

 

 

F-145:不要不急 vol.6;自身の機能・役割を「不要不急」と言われたら<後編>

 

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策のため、今春(2020年)、日本中が自粛ムードに包まれました。にぎわいが消えた町の様子はまさに「沈黙の春」のよう。自粛期間中、よく耳にしたのが「不要不急」という言葉でした。

その「不要不急」について考えてみたいと思います。シリーズでお届けします。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22636357.html

 

vol.1;重要度と緊急度 <ワーク付き>

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22705015.html

 vol.2;「不要不急」や「重要緊急」を決めるもの

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22775911.html

 vol.3;レジリエンス <ワーク付き>

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22878502.html

 vol.4;レジリエンスをコーチング理論で考える <ワーク付き>

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22931091.html

 vol.5;自身の機能・役割を「不要不急」と言われたら<前編>

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22999458.html

 

「重要不急」を吟味し実践することは人生を豊かにすることに間違いはありませんが、抽象度が低い場合豊かになるのは自分だけです。それを「趣味」といいます。

 「重要不急」の抽象度が上がっていくほど、より多くの人々が豊かになっていきます。豊かさが縁起空間(社会)に拡散していく感じです。そんな機能・役割のことを「職業」「仕事」といいます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html

 

 もちろん「重要緊急」な機能・役割も重要です。むしろ緊急であるほど優先度は高いといえるでしょう。しかし、それでも私には「重要不急」なものこそが豊かな未来実現の鍵だと思えてなりません。

 

 なぜなら、「重要緊急」であるほど現状に囚われるから。ここでいう“現状(SQStatus Quo)”には「このまま続く時間軸上の未来」も含まれます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10691658.html

 

 F-140/vol.1で<「重要不急」を観るワーク>を行っていただきました。ワークの間に第一領域:「重要緊急」を書きだした方は、その内容を再確認してください。

 (ワークに取り組んでいない方は今どうぞw↓)

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22705015.html

 

 「重要緊急」な取り組みはたいてい“現状”の中にあります。それも「理想的な現状」「最適化された現状」です。重要性(度)と同様、緊急性(度)を生みだすものも「これまでの価値観」です。そして、その価値観をうみだすものは過去の記憶(教訓)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 

重要度&緊急度マトリックス-3(ver2)



F-142/vol.3で取り上げたレジリエンスでいえば、今までのコンフォートゾーン(CZ)を下向きに外れてしまった状況(②)が緊急性(度)を生みだします(重要性を生みだすのはゴール!)。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

その時行うべき「重要緊急」とは、今までのCZへの復帰であり、過去の記憶でつくられた価値観への回帰です(②→③)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22878502.html

 

 そのような意識状態で「重要緊急」に取り組めば取り組むほど、ますます現状に縛られていくはずです。それはスコトーマをますます強化してしまうことでもあります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

そんな第一領域:「重要緊急」に対して、第二領域:「重要不急」内にあるものはレジリエンスの図での③から④への飛躍を後押しするものです。すなわち、それまでのCZを超える方向に引き上げるもの。「人生を豊かにする」とはそういう意味です。

それは無人運転や自動運転から脱却し、自らの自由意志と責任で人生を切り拓く“自立”にも通じます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_369873.html

 

    Normal Operations ←継続的なモニタリング
第二領域「重要不急」

    ShockCascading ←最低ラインの確保
第一領域「重要緊急」

    Recovery Phase ←準平常ラインの設定
第一から第二領域への移行期

    Restoration Phase ←さらに高いラインに回復
第二領域「重要不急」

 

 

レジリエンスカーブ(191104バラだん)

「バラいろダンディ」(東京MX2019114日放送回)より引用

https://www.youtube.com/watch?v=CZyGvCXnCGI

 


もしも「不要不急」と誰かに言われたとしても、自分にとって「重要不急」であれば、それは立派な趣味。何も恥じる必要はありません。その重要性(重要度)の抽象度を上げれば上げるほど、より多くの人々に役立つ機能・役割(職業、仕事)へと変わっていきます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

そして、その機能・役割が「不急」であるほど、それは“現状”を突き破る力となる可能性を秘めています。だから「不要不急」と言われても全く気にすることはありません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628746.html

 

今回のコロナ禍は「何が人生の第二領域:『重要不急』なのか?」をあらためて見直すチャンスです。大切なのは抽象度の高いゴール! ぜひ御自身のゴールを見直してください。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 前頭前野内側部をさらに活性化させながら自由意志で生きるからこそ、自身の心に真の平和が訪れます。「平成(内らかにして外る)」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/16660261.html

 

 一人ひとりが「平成」を実現し、「平成」を実現するための知識とスキルをひろげていったその先に、きっと“無敵”が待っている

私はそのように信じています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

 先月から(20206月~)はじまっている苫米地式認定マスターコーチ 青山龍さんと私CoacH Tとのコラボ企画「Fight Coaching Project」は、私の第二領域:「重要不急」に存在している“無敵”に向かうための大切な取り組みです。

「マインドの健康」「心の平和」が当たり前になっている未来を一緒に目指しませんか?

参加をお待ちしております。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22517545.html

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記1

 よく誤解されるので再度強調しますが、「趣味」はとても重要です。コーチングにおいてはもちろん、ヒーリングにおいても。下記ブログ記事で解説しています↓

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292583.html

 

 

-追記2

重要度や緊急度は不変ではありません。「意味は状況で決まる」のと同様、その時の状況でどんどん変わっていきます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

例えば、大規模災害の時は、医療を必要とする者の数と実際の医療資源との関係により、優先度(重要度と緊急度での順位づけ)が刻一刻と変化していきます。その変化を意識しながら患者を選別していくことが「トリアージ(triage)」です。

次回(F-146~)より、「トリアージ」をコーチの視点で考察します。お楽しみに。

 

 

-関連記事-

F-027~:プロとアマの違い

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_268331.html

F-035~:クライシス(危機)の本質

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_395184.html

F-078~:ヘンリー・フォードの教え

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_342433.html

S-04~:さぁ「人間関係を克服する旅」をはじめよう!(目次)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22305802.html

 

 

PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-24:ドラッカーの忠告に対して ~苫米地式コーポレートコーチング~

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

ドラッカーの忠告に対して ~苫米地式コーポレートコーチング~

 

しかし、仮にすべての人が個人のスピリチュアルペインを克服したとしても、組織(会社)としての、業界としての、そして社会としてのスピリチュアルペインはなくならないかもしれません。

それらを克服するためには、ドラッカーのいう「人間の本質および社会の目的についての新しい理念を基盤として、自由で機能する社会をつくりあげること」が必要なはず。

 

では、そのためにはどうすればよいのでしょうか?

 

 

 201410月に「企業向けコーチング」セミナーに参加したことを前述しましたが、その時の撮影も含め作成された新たなプログラムは「Cognitive Corporate Coaching ProgramCCCP)」として完成し、一般社団法人 コグニティブコーチング協会による提供が始まっています。

普及の中心的な役割を果たすのは久野和禎コーチと、苫米地式のグランドマスターコーチでもある田島大輔コーチです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628531.html

 

 私はまだCCCPは受講していませんが、教材づくりのためのセミナーと苫米地博士の「コーポレートコーチング 上・下巻」(開拓社)を通じて、その大きな可能性を感じています。前回御紹介したドラッカーの「人間の本質および社会の目的についての新しい理念を基盤として、自由で機能する社会をつくりあげること」を実現するための重要な役割を果たすに違いないと感じるのです。

組織(会社)の、業界の、そして社会のスピリチュアルペインを克服するための強力な取り組みとしてCCCPが機能を発揮することを確信しています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 私自身は院長として11年間関わった組織へのコーチング導入に“失敗”しました。

コーチとして独立したため、もう管理者として病院経営に関わることはないと思いますが、この苦い経験を活かしコーチとして医療・福祉業界に貢献し続けるために、「コーポレートコーチング」を一から学びなおしたいと思っています。

そして、その成果を一刻も早く“いのちの現場”に届けたいと願っています。

 

コーチングやその理論的根拠となる苫米地理論がひろがっていけば、いつかきっと“無敵”が実現します。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

その時こそ、すべての人が個人のスピリチュアルペインを克服しているだけではなく、組織(会社)としての、業界としての、そして社会としてのスピリチュアルペインをも克服しているはずです。

 

社会を構成する一人ひとりの人間形成の結果として、「人間の本質および社会の目的についての新しい理念を基盤として、自由で機能する社会」が実現するのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html

 

そのとき、「世界から戦争と差別がなくなっている」というゴールは“現実”となっているはずです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 

「第六章:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題」完

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 


-追記-

 失敗と挑戦に関する“Air Jordan”の言葉を御紹介します。

 

失敗をすることは耐えられるが、

挑戦しないでいることには耐えられない

 

マイケル・ジョーダン(1963年~)  

アメリカの伝説的バスケットボール選手   

 



PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-16:仮説11)縁起とは真逆のゲーム理論

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

仮説11)縁起とは真逆のゲーム理論

 

ゲーム理論とは、「社会や自然界における複数主体が関わる意思決定の問題や行動の相互依存的状況を数学的なモデルを用いて研究する学問である。数学者ジョン・フォン・ノイマンと経済学者オスカー・モルゲンシュテルンの共著書『ゲームの理論と経済行動』によって誕生した」というものです(Wikipediaより)。

 

 簡単にいうと、ゲーム中に「できるだけ自分の得点を高くし、失点を少なくするにはどうするか?」という方策を求める数学理論で、戦略的意志決定に用いられる理論。

それは自分側の利益を最大化するという「自分100%の完全利己主義」であり、すべてを双方向の関係性で考える縁起と正反対の考え方です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 

 …PM-06-13(仮説08:はびこる差別意識)で御紹介したベテランスタッフには、すぐには退職できない事情がありました。しかし、非情にも、その3週間後には退職させられてしまいました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14249741.html

 

「なぜ、そのような振る舞いができるのだろうか?」と考察することで見えてきたものは差別。その差別を前提にゲーム理論で思考していたはずです(ゲーム理論を知っているかは別として)。

 

繰り返しますが、ゲーム理論は自分100%、相手0%の完全利己主義です。それは抽象度の低い思考法であり、煩悩的な言動を肯定してしまうものです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

縁起の考え方であれば、相手にとっても、自分にとっても、双方によりよい未来を考えることができます。いわゆるwin-winの実現です。相手も含めて自分と捉えることができ、相手の幸せも当たり前のように考えることができるからです。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

そんな生き様が笑顔を広げ、そして笑顔のまま亡くなること(死に様)を可能にすると私は信じています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_268334.html


 反対に、ゲーム理論はlose-loseの結果を招く可能性が高く、悲惨な未来に向かうとても危険な考えです。

 

 

<仮説11:縁起はお互いのハッピーを求める考え。「自分だけよければいい」というゲーム理論に組織が支配されると必ず破滅に至る>

 

<トゥイーキング11:「自分100%のゲーム理論に支配されていないか?」というセルフチェックを組織内で習慣化する。その上で縁起思想でwin-winを追求していく>

 

    ゲーム理論は自分100%、相手0%の完全利己主義

    それは抽象度の低い思考法であり、煩悩的な言動を肯定するもの

    対して縁起の考え方は、相手にとっても、自分にとってもよりよい未来を考えることができる

    それでこそwin-winの良好な関係がつくれ、“無敵”を実現できる

 

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-関連記事:“無敵”の意味-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

 


PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-04:訴え続けたことは「抽象度を上げること」

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

訴え続けたことは「抽象度を上げること」

 

 偉そうに聞こえるかもしれませんが、2007年夏に院長就任を打診されたとき、二つだけ私からも条件をだしました。「お金の話はしない」と「辞職時期は自ら決める」です。

病院管理者が自院の経営状況を知らないなんてありえないと思われるかもしれませんが、この願いは聞き入れられ、事実、私は病院の経済的状況をほとんど知らずにやってきました。

 

 ただし、経営のもう一つの側面については、責任をもって全力を尽くすことをお約束しました。

 

 

 紫式部の書いた「源氏物語」の中に、光源氏と葵の上(あおいのうえ)の間に生まれた子の夕霧(ゆうぎり)を、立派な人に成長するように願った両親が他人に預ける場面があります。

その時の言葉が、「この夕霧をお預け申し上げます。御自分の子と思し召して、夕霧の経営をあげて御一任申し上げます」です。

 

当時から「経営」という言葉には、お金の話とは別に、人間形成という意味があったようです。

その視点で、戦後の日本復興に大きな役割を果たした松下幸之助さんなど名経営者の言動に学ぶと、「経営の本質とは、人間形成(人材育成)である」ということがよく理解できます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html

 

 「職員の経営をうまくやりたい」「その前に自分自身の経営をしっかりやろう」そんな思いで大量の書籍を読み漁るうちに、ついに認知科学者 苫米地英人博士にたどり着きました。ゴールによりスコトーマが外れ、縁がつながったのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

夢中になって学ぶうちに、人には心(マインド)があるという当たり前の事実を再発見しました。そして、その心(マインド)について学ぶことで、自分自身を経営できるようになり、職員の経営ができるようになると確信するようになりました。

(正確には、職員が自身の心をコントロールした結果として組織がうまく経営できるようになるという意味です。職員を支配、制御するという意味ではありません)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 私は、師に学ぶ知識やスキルを、守秘義務ギリギリのところで職員に開示し続けました。計300回の勉強会を開催し、210本のマネジメントレターを書きました。年に2回は職員アンケートを実施して、その結果を踏まえたスタッフミーティングを開催しました。ミーティング後はすべての質問に書面で回答。その過程でお互いに論理的思考ができていないことに気づき、ディベートについても学びはじめました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

さらに抽象度の高い思考に導くため、毎週の朝礼では話題となっているニュースの裏を論理的に考察する取り組みを行い、お互いのスコトーマを外しあう仕組みもつくりました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

各部門のリーダーに向けては、毎月開催される運営会議後に~45分ほどのレクチャーを行い(計60回)、さらに責任者クラスの20名ほどに関してはパーソナルコーチングセッション(13060分)を実施しました。

 

コミュニケーション不足を痛感していた私は、病院の実質のオーナー(“経営陣”)にお願いし、打ち合わせを毎週行うことにしていただきました。さらに、法人全体のオーナーである理事長にもお願いし、各施設の責任者が参加する会議を毎月開催していただきました。

「この会議は必要なのか?」と何度も苦言をいただきましたが、「ゴールの共有が最重要」という信念の下、開催をお願いし続けました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

霧島市(鹿児島県)で行っていただいた苫米地博士の御講演や青山龍苫米地式マスターコーチにファシリテーターを務めていただいたPX2には、このような“経営”の集大成としての思いを込めていました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7702480.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7702640.html

 

 私がずっと訴え続けたのは、「抽象度を上げること」でした。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

第一章の終わり(“無敵”の意味)に書きましたが、抽象度が低いと対立が生じます。争いが起こります。いざこざが続きます。

 

 同じ部門内で対立が生じるのは、抽象度が低く個人の視点のままだからです。

お互いに「○○部門の一人」とみて、その機能・役割に注目すれば、いがみ合うのではなく協力し合うべき存在であることに気づくはずです。

 

 病院内で部門間の争いが起こるのは、部門という抽象度で思考しているからです。

「いろいろな部門が集まった○○病院」という視点でみることができれば、その争いは共通の課題を解決するためのきっかけになります。

 

 法人内でいざこざが続くのは、各組織が利害を中心に考えているからです。

「同じゴールを目指し、それぞれの役割を果たすかけがえのないパートナー」とみることができれば、「どちらが上か下か」というような権力争いは生まれようがありません。

 

 繰り返しますが、私の願いは、みんなで「抽象度を上げること」でした。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-
 「抽象度を上げる」ことについて、苫米地博士はこのように書かれています。「Dr.苫米地の『脳力』の使い方」(徳間書店)より引用します。

 抽象度が上がるということは、自分の行為が何なのかということ以上の抽象的な思考を持つということであって、それを自我というのです。自分の行為の内省的な認識に意味を持たせるためには、このように、1つ上の認識が生まれなければならないのです。


-関連記事(“無敵”の意味)-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

 


ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-07:“議論”の先にあるもの

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

07:“議論”の先にあるもの

 

 ここまで、“議論”とは、「ゴールを共有した集団が、お互いの価値観の違いを使ってスコトーマを外しあい、ゴール達成のために解決するべき問題(課題)を明らかにして、有効な解決策を見つけていくこと」であることを説明しました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 そのために情動をコントロールする必要があり、「ゴールの共有」「不完全性・不確定性」「スコトーマ」といったものを理解しておく必要があると書きました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 今回は、そんな“議論”の先にあるものについて考察いたします。

 じつは、その答えはすでに明かしてあります。

 

 それは「抽象度を上げること」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

 

 繰り返しになりますが、スコトーマをはずすためには知識が必要です。まずは知識がスコトーマをはずす大前提となります。その知識は、議論によって効率よく得ることができます。お互いにスコトーマをはずしあうことによって、さらに知識を獲得することができます。

 

 その大量の知識が、ゲシュタルトをつくります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

 知識の集合であるゲシュタルトがたくさん集まると、つまり、学習や議論によりもっと大量かつ多様な知識を得ていくと、さらに大きなゲシュタルトを再構築することができます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

 

 それが「抽象度が上がる」ことであり、「ひらめき(inspiration)」です。

 

 そうやって抽象度を上げ続けた先には、きっと“無敵”があります。

 一人また一人と“無敵”に到達し、人類のすべてが“無敵”に達したときには真の平和が達成されているはずです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

 

 真の平和に至る大切な縁起として“議論”が存在している

 

 

そのように私は考えています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 

 では、次回から、“議論”の具体的な方法であるディベートについて説明いたします。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 


PMThe Power of Mind

PM-01苫米地理論とは? ~抽象度と超情報場仮説

PM-01-20“無敵”の意味-3

 

では、どうすれば思考の次元を上げ、対立をなくし、“無敵”となることができるのでしょうか?

 

チームレベルでは“ゴールの共有”が重要です。目の前の対立に囚われないで一つ次元をあげ、ゴール(または夢)を共有するのです。  

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

例えば、医療や福祉の従事者は「病む人を救いたい」「苦痛を軽くしてあげたい」「健康でいてほしい」という思いを共有しています。その上で、「もっと人と社会に貢献したい」「さらに進化・向上したい」と願っているはずです。すでにゴールは共有しているのです。

 

ところが現実においては、病院や施設の機能低下や地域の医療崩壊につながってしまうほどの意見の衝突や対立が生じてしまいます。

その理由が抽象度や超情報場と大きく関係しています。 

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html 

先に説明したように、私たちが存在する物理空間は情報宇宙の最下層であり、最も情報量の多い階層です。

よって、抽象的な次元(高い抽象度)でゴールが共有できたとしても、物理的現実世界での具体的な話になると、情報量が多いがゆえに、途端に相違や食い違い、対立や矛盾が生まれるのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

 

ちなみに分析哲学において、この宇宙の最下層は物理空間ですが、それより下(bottom)は「矛盾」だとされています。矛盾が生じた時は、情報量が多すぎるのです。その場合、ひとつ上の抽象度に上がって議論するべきです。

 

ゴールを共有しているチームにとっては、相違や食い違い、対立も大切な縁起です。

 

現代認知科学の発展は、人間が自身の“自我”によって宇宙を認識していることを明らかにしました。私たちは目の前の世界をありのままには認識していません。必ず抜け落ちる情報があるのです。次の章で紹介いたしますが、心理学ではその抜け落ちる情報を「スコトーマ(Scotoma、心理的盲点)」と呼びます。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html 

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html 

つまり、その相違や食い違い、対立の中にこそ、個人では気がつくことができないスコトーマ、すなわち“進化・向上の種”が存在するのです。

 

高い抽象度でゴールをしっかり共有していながら、低い抽象度次元である物理的現実世界においての「相違」「食い違い」「対立」から、それぞれが気付かなかった進化・向上のきっかけを見つけることができれば、その“対立”は、やがて“無敵”へと変わります。

 

私は、世界中の人々が、本当はゴールを共有していることを確信しています。

ゴールとは「世界平和」です。「戦争と差別、そして飢餓のない世界の実現」です。

 

そして、私は信じています。

懸命に生きているが故に生じる「対立」から学び続けることで、私たちは、もっと人と社会に、そして未来に貢献できる“無敵”の存在に進化できると。

 

「第一章:苫米地理論とは? ~抽象度と超情報場仮説」完

 

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PMThe Power of Mind

PM-01苫米地理論とは? ~抽象度と超情報場仮説

PM-01-19“無敵”の意味-2

 

しかしながら、私たちが生きるこの世界には“どうでもいい対立”が数多く存在しています。

 

アイルランドの国旗を御存知でしょうか?

 

アイルランドの国旗は縦に3色が配置されていて、向かって左から緑・白・オレンジ色の順に並びます。じつはその色には意味があり、左端の緑はカトリック、右端のオレンジはプロテスタント、そして真ん中の白は平和を表しています。

この国旗が象徴するように、アイルランドには対立が存在しています。

 

アイルランドで二級市民として扱われ圧政に苦しんでいたカトリック信者達は、差別の撤廃を訴え立ち上がりました。アメリカで起きていたマーチン・ルーサー・キング牧師による黒人運動に触発されて、アイルランド版公民権運動を開始したのです。

 

1972130日、北アイルランド デリーにおいて市民が行っていたデモ行進中に悲劇が起こりました。

イギリス陸軍落下傘連隊第一大隊により銃撃が行われ、14名が死亡、13名が負傷したのです。市民は全員非武装で、うち5名は背後から射撃されていました。

この事件は「血の日曜日事件」と呼ばれ、U2の「Sunday Bloody Sunday」にも歌われています。

 

どうして同じキリスト教信者なのに、同じ人間なのに、殺されなければならなかったのでしょうか?「カトリックか?プロテスタントか?」なんて“どうでもいい対立”です。

 

中東で行われている「イスラム教VSキリスト教」の戦いも“どうでもいい対立”です。一つ次元を上げて「宗教」とみれば、なんの違いもありません。

宗教の存在意義が「人を幸福にするもの」「人に安らぎを与えるもの」であるならば、戦う理由、殺し合う理由などあるはずがありません。

 

では、どうすれば思考の次元を上げ、対立をなくし、“無敵”となることができるのでしょうか?

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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PMThe Power of Mind

PM-01苫米地理論とは? ~抽象度と超情報場仮説

PM-01-18“無敵”の意味-1

 

君の頭に浮かんだ考えや君の持ち物について

「これはじぶんのだもん、手放したくないよー」なんて、

君がしがみつかなくなるなら。

 

褒めてもらえないとか、

愛されてないとか、

約束を守ってもらえないとか、

君が「ない」に対して嘆かないなら。

 

「ある」にこだわらず、「ない」に嘆かず、

君の心は無敵とばかりにやわらかくなる。

 

 

この文章は、小池龍之介著「超訳 ブッダの言葉」(Discover)中の一節です。

最初にこの文章を目にした時、私は違和感を覚えました。「無敵」とその後の「やわらかくなる」が不釣り合いに思えたからです。

 

「君の心は無敵とばかりにやわらかくなる」「無敵とばかりにやわらかくなる」ぶつぶつ呟きながらその違和感を掘り下げていくと、私が“無敵”を「最も強いこと」と捉えていることに気がつきました。

 

“無敵”とは単純に読み下すと「敵が無いこと」です。その状態を「勝負に打ち勝ち、他人を蹴散らし打ち負かし、トップに君臨している状態」とイメージしていたのです。なので「やわらかくなる」という表現が不釣り合いに思えたのだと思います。

 

私は思わず苦笑いをしてしまいました。未だに世界を「競争」の場と捉えていることに気づいたからです。正しくは「共創」あるいは「協奏」であるはずなのに。

 

少し自己嫌悪に陥りながら、“無敵”の意味を考えてみました。

 

“無敵”とは「敵が無いこと」と読めます。対立が無いことと考えてもいいかもしれません。それはどういう状態なのでしょうか?

 

私は、“無敵”とは、競争に打ち勝って頂点に君臨している状態ではなく、その視点あるいは生きる情報次元、つまり抽象度が高いことにより対立が生じえない状態と理解しました。より「空(くう)」に近い状態です。 

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

例えば、「あなたはイヌ派ですか?ネコ派ですか?」とか「そば好き?うどん好き?」といった質問があったとします。このときに一つ抽象度を上げ、「動物派です」「麺好きです」と答えることができれば、対立の構図は無くなります。

 

しかしながら、私たちが生きるこの世界には“どうでもいい対立”が数多く存在しています。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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