苫米地理論を研究し、苫米地式を実践する <CoacH T>

認知科学者 苫米地英人博士に学び活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

タグ:地域医療構想

Q-100リハビリが必要な状態なのですが、病院からは「早めにでてほしい」と言われています。どうしたらいいでしょうか? <前編>

 

 

Q:母が脳出血で入院しています。まだまだリハビリが必要な状態なのですが、病院からは「いっぱいなので早めにでてほしい」と言われています。どうしたらいいでしょうか?

 

A医師として、そして苫米地式認定コーチとして助言させていただきます。

 

まずは医師として。

 

いっぱいなので早めにでてほしいと言われている」とのことですが、「満床だから」は退院勧奨の理由ではないと推測します。

本当の理由は「ルールで入院期間が決められているから」のはず。公的医療保険に則って医療を提供している以上、病院(あるいは主治医)に裁量や譲歩の余地はありません。

 

一般的な入院期間は、急性期(2週間ほど)→回復期(~2か月ほど、上限150日)→慢性期(~3か月ほど)のはずです。

 

鹿児島の例で恐縮ですが、201611月に公表された鹿児島県地域医療構想には、県全体の既存病床数(2015年時点)26760床を2025年までに19944床に減らすことが銘記されています。つまり6816床を削減するということですが、鹿児島の場合、その多くが慢性期の病床とされています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8584052.html

 

それは、患者さんやその家族にとっては、治療・療養の場が奪われるということ。

医療従事者にとっては、仕事を失うということ。

社会にとっては、ひとつの産業が縮小するということ。

そしてそれは、憲法で保障されている主権者(国民)の生存権が、さらに脅かされるということでもあります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_277070.html

 

この地域医療構想を実現するための“調整”は粛々と進められています(私は2018年春まで地元の調整会議委員を務めていました)。「住み慣れた家で過ごすための在宅医療の充実」という国のスローガンどおりにことは進行しています。それが現実です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

御家族にとっては辛いことだと思いますが、老病死というこれからお母さんが迎える未来と計画された社会構造の変化をしっかりイメージした上で、ベストな判断を行ってください。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 「ファイト・オア・フライト」によって苦が増幅してしまうことを防ぐためにも。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

判断に必要な情報を集め、しっかりスコトーマを外すために、病院に所属するソーシャルワーカー(相談員と呼ばれたりします)や行政の窓口に相談することをお勧めします。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

Q-101につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 朝日新聞デジタル(2019819日配信)によると、全国の国立大42か所で高度な医療機器やベッドなどの購入時に支払った消費税のうち診療費に転嫁することができずに(病院側が)負担している分は計969億円(20142018年の5年間)にのぼるそうです。

 これは診療報酬制度および税制のシステムエラーによるものですが、現時点でも病院経営を圧迫しています。今年(2019年)10月の消費税再増税後は、さらに危機的な状況に陥ります。特に民間においては、破産する病院や診療所が続出するはずです。

 そこまで織り込み済みの「計画された社会構造の変化」なのかもしれません。



-関連記事-

PM-04-16:地域医療構想に潜む三つのスコトーマ

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8584052.html

PM-04-17:スコトーマ① 日本の医療は誰のため? 何のため?

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8584289.html

PM-04-18:スコトーマ② 地域医療構想に取り入れてほしい「時間の流れ」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8584437.html

PM-04-19:スコトーマ③ 地方に自治権はあるのか?

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8748808.html

 

 

PMⅠ:The Power of Mind

PM-04苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ

PM-04-19:スコトーマ③ 地方に自治権はあるのか?

 

 この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。

 

 

スコトーマ③ 地方に自治権はあるのか?

 

 前回述べたとおり、私は地域医療構想調整会議において、「リーダーはその職責として、将来推計人口に沿った未来ではなく、“現状の外”にあるオリジナルの未来のビジョンを提示してほしい」と訴えました。

 

 覚悟はしていましたが、その発言に対するリアクションは「そう言われてもね~」といった感じの消極的なものでした。「また余計なことを言って」という空気も感じました。

 会議中は「時間の流れ」に対する理解不足が原因と分析しましたが、後日、もう一つ大切な課題が潜んでいることに気がつきました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 

 地域医療構想は、厚生労働省が作成したガイドラインに沿って都道府県レベルで策定されることになっており、すでに全都道府県で策定済みです。より具体的なことについては二次医療圏で策定されることが原則で、その調整のために各圏域で調整会議が開催されています。私の住む地区では県の地域振興局で開催されています。

 

 つまり、国のガイドの下で県が策定し、県のリードの下で各地域が具体的に決めていくという流れなのです。計画をすみやかに進めるために国や県がリードするのは理解できます。

しかし、その進め方には配慮するべき点があります。

 

そもそも医療は国民の基本的人権の保障のためにあり、都市計画(まちづくり)に直結する大切な話でもあるので、構想の中心には常に地域住民がいるはずです。それなのに、まったく住民の立場が考慮されておらず、主役不在のまま話が進んでいるのが現実です。

 

みなさんは、御自身が住む地域の医療構想について御存知ですか?

今、どのような“調整”が進行中なのか把握されていますか?

 

残念ながら、私の住む医療圏域では、住民への説明会等は未開催です。三市一町ともです。

 

 県職員の方々はともかく、三市一町のリーダーの方々の会議中の言動がどこか消極的に感じられることがとても気になりました。「なぜだろう?」と思いめぐらしながら観察を続けているうちに、エフィカシーが不当に下がっていることに気がつきました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

エフィカシーとは「自身のゴール達成能力の自己評価」です。

成功の鍵といえるエフィカシーは、「時間の流れ」を含む苫米地理論を学び、コーチングを実践することで高めることができます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 さらに、エフィカシーを高めることだけでは解決できない、もっと根源的な理由があることにも気がつきました。地方自治に関わることでです。

 

 気がついたきっかけは「クラブ苫米地」での苫米地博士の講義でした。守秘義務の関係でその内容については開示できませんが、どうも地方自治をめぐる社会の認識に大きな改善点がありそうです。

 あらためて日本国憲法第八章「地方自治」を読んでみました。ひょっとしたら地域医療構想に関わる誰一人として気がついていない巨大なスコトーマがあるのかもしれません。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

PMⅠ:The Power of Mind

PM-04苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ

PM-04-18スコトーマ② 地域医療構想に取り入れてほしい「時間の流れ」

 

 この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。

 

 

スコトーマ② 地域医療構想に取り入れてほしい「時間の流れ」

 

 地域医療構想は「人口構造の変化」を背景に策定されています。

「人口構造の変化」とは現時点での未来予測で、国立社会保障・人口問題研究所の「日本の地域別将来推計人口(平成253月中位推計)」が利用されています。

 

時間の流れでいえば「現在→未来」といった思考で、「将来人口が減るはず。だから病床を減らしておこう」です。もちろん、病床削減ありきの改革ではなく、あくまで不足する医療機能を明らかにし、最適化を目指すものであることは承知しています。

しかし、現実として、鹿児島県の地域医療構想には、県全体の「既存病床数(2015年):26,760床」に対して、「病床の必要量(2025年):19,944床」と明記されています。

 

 第二章で説明したように、時間は未来から過去に流れています。「未来→現在」で、因は未来にあります。因果応報というときの「因」はつねに未来にあるのです。

私たちは未来の「因」の「果」として現在を生きています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

再度、料理を例にして時間経過で行動を表記すると、「食材を準備した」→「調理をした」→「料理が完成した」となります。この時「過去→未来」の時間観に立つと、「とりあえず食材を準備して、なんとなく調理していたら、こんな料理が出来上がった」になります。

そんな感じで料理をすることもあるかもしれませんが、ふつうは最初に献立を決め、何を作るかを明確にしているはずです。コーチングでいうゴール設定です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

出来上がりのイメージが先にあるから、「何時頃こんな調理をしている」が決まり、「調理の前にこんな食材を仕入れている」が決まります。

つまり、未来が先にあり、今の行動が決まっていくのです。それが「時間は未来から過去に流れる」という意味です。

 

地域医療構想においても、未来のイメージを先に明確化した結果、現在の行動が決まっているように感じられるかもしれません。「2025年頃に人口がこれくらいで、高齢者の割合がこれくらい」が先にあり、「○○年までにこの機能(鹿児島の場合は回復期)をこれくらい増やして、全体の病床数をこれくらいにしよう」が決まり、「だから、今年度中に会議で調整しよう」となるといった感じです。

しかし、この発想はコーチング的にはNGです。ゴールが現状の中に設定されているからです(現状の中なので、正確にはゴールとはいえません)。

 

コーチングにおいての「現状」とは、「このまま続く未来」も含みます。「このまま続く未来まで含んだ現状」のことを「ステイタス・クオ(Status QuoSQ)」と呼びます。

現時点で推計される将来の人口をもとに策定した構想は、現状(SQ)の中にあります。

それをゴールとはいいません。

 

ゴールのポイントは3つありました。「心から望むものであること」、「自分中心を捨て去ること」、そして「現状の外側に設定すること」です。

ゴールを現状の外側に設定することが重要なのは、そうしなければスコトーマを外すことができないからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

現時点での地域医療構想の発想では、「徐々に人口が減り、ますますさびれていく地方都市」といった未来像を覆すことができません。「どんどん活気づく明るい都市」を実現する方法はたくさんあるはずなのに、間違ったゴール設定のために、その方法がスコトーマに隠れてしまうのです。

 

現在、地域医療構想は二次医療圏で調整を行う段階に入っています。私が参加する医療圏では、その調整のための会議に三市一町の長が参加されています。

その会合の場で、私は各市長・町長に向けて発言しました。「未来を創るのはリーダーである皆さまの大切な役目です。リーダーのゴールにより、そしてゴールが生みだすビジョンにより、人口がむしろ増えていく活気ある町をつくることができます」と。

 

会議中にはあえて述べませんでしたが、減少するという人口予測に合わせて医療体制を縮小してしまえば、本当に人口は減ってしまうでしょう。医療や介護といった社会保障は「健康で文化的な最低限度の生活」を実現するための重要な社会的共通資本であり、ライフラインだからです。

 

地域医療構想で問われているのは、リーダーのコーチとしての資質と高い抽象度です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

(つづく)

 

 

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PMⅠ:The Power of Mind

PM-04苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ

PM-04-17スコトーマ① 日本の医療は誰のため? 何のため?

 

 この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。

 

 

スコトーマ① 日本の医療は誰のため? 何のため?

 

 日本の医療は誰のためにあるのでしょうか?

 

 …答えは、もちろん、主権者である日本国民のためです。

 

では、日本国民の何のために医療はあるのでしょうか?

 

 …あたりまえのことですが、「基本的人権の保障のため」です。

 

日本国民には健康に暮らす権利があり、日本国には国民の健康を守る義務があります。それは日本国憲法にはっきりと記されています。第二十五条です。

 

日本国憲法 第三章第二十五条

「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」

 

日本国憲法第二十五条に謳われた国民の権利とは、「生存権」すなわち「餓死しなければいい権利」ではなく、「健康で文化的な最低限の生活を実現する権利」のことです。

つまり、健康を実現するための医療や福祉は国民の権利であり、国の義務なのです。そのことを忘れ、医療費を「コスト」と捉えているところから地域医療構想がスタートしているように私には感じられます。

 

 このような話をすると必ず反論されるのですが、私は「お金」の話をしてはいけないと主張したいのではありません。むしろ反対で、国民の人権が将来にわたってしっかりと守られるために「お金」について検討することはとても重要なことだと思っています。

なぜなら、資本主義というシステムにおいて、「お金」は国民の基本的人権を保障するための大切な道具だからです。しかし、あくまでも「お金」は道具であり、医療の目的は「人権の保障」です。

 

 ところが、いつの間にかこの因果関係がひっくり返ってしまっています。

将来的に(道具にすぎない)「お金」が問題になるから、(本来の目的である)「人権の保障」を制限しようというように。

 

 コーチングを学ぶうちに、なぜこのような因果関係の逆転が起こるのかが理解できるようになりました。鍵はバランスホイールです。

繰り返しますが、医療のゴールはあくまで「基本的人権の保障」です。その実現のためのファイナンスのゴールとして「お金」の話が重要になります。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

医療など社会保障について考察する際に、本来のゴールとその達成手段としてのファイナンスのゴールをしっかりと区別して考察する感覚が重要になります。そうでなければ「金持ちにはなったが体を壊した」というよくある話が、国家単位で起こってしまうことになります。

 

 バランスホイールをしっかり意識できたとしても、「お金」をファイナンスのゴールとして切り離すのは難しいかもしれません。「お金」は人間の本能的欲求に強く結びついているからです。

簡潔に述べると、「お金」の問題は「食べられない」という飢餓を想起させ、飢餓は「死んでしまう」につながります。

死を予期した瞬間に大脳辺縁系が優位になってしまい、IQが下がるのです。「ファイト・オア・フライト(Fight or Flight)」の状態です。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

 過去の医療政策に関連して、IQが著明に下がっていたと思われる事例があります。

 1995年における旧厚生省の「2025年度医療費試算」は141兆円でした。ところが、2005年に厚労省から発表された「2025年の医療費予測」は69兆円。たった10年で、なんと72兆円も下方修正されています。驚くほど予測がずれてしまったのは、IQが下がっていたからに違いありません。

もっとも、高いIQで、意図的に誤った試算を行った可能性も否定できませんが

 

(つづく)

 

 

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PMⅠ:The Power of Mind

PM-04苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ

PM-04-16地域医療構想に潜む三つのスコトーマ

 

 この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。

 

 

地域医療構想に潜む三つのスコトーマ

 

 苫米地理論で考察しながら医療・介護現場で働いていると、気がつくことがたくさんあります。「まずはスコトーマを外し課題を見つけ、次に解決策を考察する」ということを実感していただくために、各地域で進行している地域医療構想を取り上げます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 地域医療構想とは、「効率的かつ質の高い医療提供体制を構築するとともに、地域包括ケアシステムを構築することを通じ、地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するため」に国の主導で始まったものです。

平成266月に「地域における医療と介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備等に関する法律(平成26年法律第83号、通常『医療介護総合確保推進法』と呼ばれる)」が制定され、関係法律について整備が行われました。

 

 平成2811月に公表された鹿児島県地域医療構想には、その策定の背景として、1)人口構造の変化、2)社会保障給付費の将来推計 が記されています。

 

 いわゆる「団塊の世代」がすべて75才以上になる2025年(平成37年)には、全人口の18%を高齢者が占める超高齢社会を迎えます。さらに、2060年(平成72年)には、総人口が9000万人を割り込むまで減少する一方で、65才以上の人口が全人口の約40%を占めると推計されています。

 

 人口構造の変化に伴い社会保障給付費は増加が予想され、2012年度(平成24年度)の109.5兆円(GDP 22.8%)から2025年度には148.9兆円(GDP 24.4%)に膨らむと推計されています(なぜ、医療費ではなく社会保障給付費が記載されているのかはわかりません)。

 

 つまり、「総人口が減るのに高齢者が増えるから、社会保障にお金がかかるようになる。社会保障の柱である医療が破綻すると大変だから何とかしよう」という理由で地域医療構想は始まっているのです。

 私は地区医師会の担当理事として関わり、様々な関連会議や講演会に参加しました。述べさせていただきたいことはたくさんありますが、抽象度を上げて簡潔にまとめてみます。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

地域医療構想には、スコトーマに隠れている視点が三つあります。

「そもそも何のために医療があるのか」ということ、「時間の流れ」について、そして「地方自治の本質」についてです。

 

(つづく)

 

 

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