苫米地式コーチング認定コーチ CoacH T <タケハラクニオ> ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学び九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

タグ:人間形成

ブログ・シリーズ編

S-04:さぁ「人間関係の悩みを克服する旅」をはじめよう!

S-04-18:自分が相手100%であっても、相手が自分を100%思ってくれなければうまくいかないのではないでしょうか?

 

問題です。

鏡の中の自分に微笑んでもらうためにはどうすればいいでしょうか?

私の答えは、このシリーズの最後でw

 

 告知(I-038):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22227952.html

 S-04-00(目次):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/22305802.html

 

 

前回、「結婚は100%相手のためにするものです。ヴィーゼル風にいえば、常に相手の幸せに関心を持ち続けること。それが『愛』の当然の帰結のはずです」と書きました。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23512794.html

 

そのことに関連して、夫婦関係に悩む相談者からシリアスな御質問をいただきました。

かなり厳しい意見(主張、claim)になりますが、私の思いをまとめます。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/12340209.html

 

御質問は「自分が100%相手のことを考えたとしても、相手が自分のことを100%思ってくれなければ、結局、結婚生活はうまくいかないのではないでしょうか?」というもの。

 

私の回答は「そのとおり」の一言です。

 

自分が100%相手のニーズを満たし続け抽象度を上げることに成功しても、相手が相変わらず「自分中心」のままであれば、それは「搾取の構図」となってしまいます。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html

 

スティーブン・R・コヴィーの「七つの習慣」風に表現すると「LOSE-WIN」の関係です。そんないびつな関係が永続するはずがありません。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14401412.html

 

前回(S-04-17)の孟子の言葉でいえば、まずは「自分の愛と思いやりがまだどこか足りないのではないか」と反省してみましょう。

それでも問題は相手にあると感じるのであれば、そして相手がその態度を改めようとしないのであれば、きっぱりと関係を解消することを前提にもう一度話し合ってください。

お互いにコンフォートゾーンがずれることで、スコトーマに隠れていた大切な“何か”を再発見するかもしれません。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6040892.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721610.html

 

 もしもその“何か”をゴールとして共有することができるのなら、二人の新しい“旅”をはじめられるでしょう(その場合「過去は一切関係なし」です)。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6542317.html

 

決して少なくない人たちが、相手の幸せを願っているようでいて、じつは自分の幸せのために関係を結んでいます。結婚であれ、雇用であれ、最初から自身のニーズが最優先なのです。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14249741.html

 

その結果、夫であれば妻のニーズ(経営者であれば職員のニーズ)について、結婚(雇用)後は徐々に考えようとしなくなります。最初のうちは“ハネムーン”ですが、徐々に関係が冷え込んでいきます。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14249780.html

 

夫婦(労使)関係がおかしくなっても、自分のニーズが最優先という固定的な考えができあがっていますから、自分が間違っている可能性に思い至りません。そのため課題や解決はいつまで経ってもスコトーマに隠れたまま。その様を無明(むみょう)と表現します。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/12658417.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14120540.html

 

片方が本気で働きかけることで相手のスコトーマを外し、「100%相手のニーズに応えることが結婚(社会)生活である」ということを理解させることができれば状況は変わります。

しかし、いくら正しいと信じることであっても、無理やり強制することは「have to」を仕掛けることになってしまいます。よって、力づくで -例えば、世間の常識や他のケースを引き合いにだして- わからせるべきではありません。

(そもそも“絶対に正しい”ことなど存在しません)

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5882609.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/13837769.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6194669.html

 

縁起は双方向であり、かつ、流転するもの。最初はふさわしいパートナー同士だったのかもしれませんが、変わってしまったのです。きっぱりと縁起を解消するべきです。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html

 

すべての関係が同様です。

家庭にせよ職場にせよ、最も危険なのは、相手を力で脅したり蔑んだりして支配し利用しようとする人です。そういう人は相手のニーズについてはお構いなしで、自分のニーズばかりを相手に押しつけます。

人間関係は相手の人格を尊重することから始まるはずなのに、それでは相手を奴隷化するのと変わりません。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10987351.html

 

その結果、一時的に物事を有利に運ぶことができたとしても、決して大きな仕事を成し遂げることはできません。利用ばかりの人間関係はいずれ必然的に崩壊するため、人生における“レガシー”を残すことはできません。気がつくと一人ぼっちです。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/22636357.html

 

過去のブログ記事でも言及していますが、私は「WIN-WIN」以外の関係を認めません。

何らかの役割があり今は縁が続いている人も、「WIN-WIN」以外の関係であれば、いずれ縁起を解消する日がきます。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/20577177.html

 

 ただし、そんな思いを抱くと同時に、私は人の可能性も信じています。老病死(+生で四苦)という変化が遺伝子レベルで最初から組み込まれているという事実は、「自分中心な人はいない」ことを示しているからです。

“自分”よりもっと大きな存在(あるいは未来)の一部として、全力で生き、当たり前に老い(病み)、そして堂々と死んでいくのが人間本来の姿のはずです。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6193912.html

 

そんな生き方を全うできるのは、「抽象度を上げることができる」からであり、「“無敵”になれる」から。そして、そんな生き方を貫いていると、やがて「WIN-WIN」は「WIN」に収束していきます。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5446097.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5448151.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615695.html

 

その「抽象度を上げる=“無敵”」をサポートするのが教育です。教育が「人間形成」を実現します。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/9963845.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/9966391.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10116950.html

 

「抽象度を上げる=“無敵”=人間形成」の途中には“平成”があり、その先にはシンのWIN、すなわち平和が待っている

 私はそのように信じています。苫米地博士に学ぶコーチとして。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/16379886.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/16541640.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/16660261.html

 

 

次回は、人間関係を改善する方法をコーチの視点でまとめます。テーマは「『人間関係の悩み』を『解決すべき課題』に変える方法」です。

 

 (S-04-19につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-参考書籍-

苫米地英人コレクション3

「『頭のゴミ』を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!」(開拓社、復刊版)

 

 

Q-141:前頭前野優位な状態で認知的不協和を解決していくことは無理なのでしょうか?

 

 御質問をいただきました。ありがとうございます。

抜粋した下記部分について、回答させていただきます。

(プライバシー保護の観点で、今回に限らず、変更を加えてあります)

 

Q:認知的不協和による体調不良状態というのは、大脳辺縁系優位になってしまった状態とありますが、認知的不協和を感じた時点で大脳辺縁系優位になっているとのことで前頭前野優位な状態で認知的不協和を解決していくこと自体が無理なことなのでしょうか?

 

A:認知的不協和(Cognitive dissonance)は心理学の言葉で、「人が認知している自分の内側の現実と外側の現実に矛盾が生じたときに、その不協和を解決しようとする心の作用」のことをいいます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

 その「心の作用」自体はとても貴重なものです。現状を打破するエネルギーを生みだし、まったく新しい“何か”を創造するクリエイティビティの源になるから。

反対にいうと、その「心の作用」を引きだすためにゴールを設定するといえます。“現状の外”に。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 そんな認知的不協和は、決してネガティブなものではありません。認知的不協和そのものと脳の情報処理(大脳辺縁系優位か? 前頭前野優位か?)はまったく別の話のはずです。

 よって、御質問に対する私の答えは、「前頭前野優位な状態で認知的不協和を解決することはできる」です。

 

 

 とはいうものの、御指摘のとおり、認知的不協和は「感じた時点で大脳辺縁系優位に陥りやすい」もの。「怒り」をテーマとした記事や「心のエネルギー」をテーマとしたシリーズ(S-03)でも取り上げています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14107083.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19879680.html

 

(シリーズ編は、S-01でディベートを、S-02でルールやモラルをテーマとしました。それらも前頭前野優位を実現するための大切な知識だといえます)

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

 

 ところで、なぜ何度も取り上げているのかわかりますか?

  答えは、私自身、毎日のように認知的不協和を感じ、試行錯誤しながら取り組んでいるからですw

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 ゴールが(それもたくさん)ある者にとって、日常の生活は不協和だらけ。だからエネルギーや創造性を得られるのですが、マネジメントをしくじると自分ばかりかまわりの人たちも傷つけます。よって、コーチングの実践と人間形成はセットで考えるべきです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html

 

 私の取り組みについては下記ブログ記事でも取り上げています。ぜひ御確認をw

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_268336.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_375251.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_380649.html

 

 以上が私の回答です。

 御質問ありがとうございました。

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-告知-

 青山龍苫米地式認定マスターコーチと私 CoacH Tとのコラボ企画「Fight Coaching Project」がはじまっています(2020年6月~、月額制)。テーマは「マインド(脳と心)の健康」です。

 参加される皆さんの疑問・質問にもお答えする1年間の双方向(インタラクティブ)オンラインコミュニティの中で、徹底的に「マインドの健康」を追求したいと思っています。

一緒にさらなる“現状の外”へ飛びだしましょう!
 (お申込みはこちら↓)

 http://aoyamacoach.com/fcp/

 

 

ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-05:よりよい“議論”のためにまず必要なこと

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

05:よりよい“議論”のためにまず必要なこと

 

“議論”とは、「ゴールを共有した集団が、お互いの情報処理の違いによりスコトーマを外しあい、ゴール達成のために解決するべき問題(課題)を明らかにして、有効な解決策を見つけていくこと」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11994979.html

 

 では、その議論をよりよいものへとするためにはどうすればよいでしょうか?

 

 

 議論というと、多くの方々は、二人(二つ)または複数の人や集団が、相手の間違いを指摘し、自分の正しさを主張しながら相手を言い負かす(論理空間で打ちのめす)ことをイメージするのではないでしょうか。

 議論の間はお互いに興奮し(ドーパミンやアドレナリンが分泌されています)、時に感情的に叫びながら熱くなっている様を想像しませんか?

 

 しかしながら、このようなイメージは完全に間違ったものです。

 

議論とは、論題を自らの情動と切り離し、相対化して、物事の裏表両方を見る視点で、論理的に行うものです。

それはまるで情報空間に巨大な構造物をつくっていくような行為です。そのプロセスには一切情動の入る余地はありません。情動が入った瞬間に構造物は崩れていきます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654230.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654316.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831442.html


情動とは大脳辺縁系を中心とする原始的な脳の働きであり、情動優位となっている時にはIQが必ず下がっており、判断能力が低下しているからです。「戦うか、逃げるか」といった心理状態に陥ることは、その代表例です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

反対に考えると、よりよい議論のためには、大脳辺縁系ではなく、進化で獲得した前頭前野を十分に使えばよいということになります。

 

 

よりよい“議論”のためにまず必要なこととは、情動をコントロールすること

 

 

ところが、情動をコントロールすること(情動から逃れること)は、決して簡単なことではありません。

 

ブリーフシステムとは、一般には人格や個性と表現されるもので、「強い情動を伴った体験の記憶」と「抽象化された情報の記憶」で形成されています。古い認知科学の用語でいうと内部表現(IRInternal Representation)に相当します。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

つまり、自分のブリーフ(=信念、価値観)に基づいて行動するとき、自分では冷静であるつもりであっても、その根底には強い情動が潜んでいるのです。その情動が、そして情動でつくられたブリーフが、巨大なスコトーマ(心理的盲点)を生みだします。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

だからこそ、ゴールを共有した仲間との議論が必要で、情動をコントロールしながら、お互いにスコトーマを外しあうことが重要となるのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

それは覚りの境地にいたるための「空観」や「中観」にも通じます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 よりよい“議論”のためには、まずは情動をコントロールすることが必要です。その力は人間形成のプロセスで獲得することができます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html

 

それを脳科学的に述べると、情動レベルの大脳辺縁系処理から論理である前頭前野外側部での情報処理に成長し、さらに、社会的情動(あるいは感性)という超論理を可能とする前頭前野内側部での情報処理へと進化していくことといえます。

 

そういう意味では、議論とは、情動→論理→社会的情動という進化・向上のきっかけになるもの(=縁起)、すなわち覚りへの階梯であると表現することもできます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 もちろん、それは抽象度を上げ続け、“無敵”になるということでもあります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 


PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-15そもそも教育とは?-6-3)人間形成

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-6-3)人間形成

 

苫米地博士は、この「欲求階層説」について、「人間の欲求が、最も抽象度の低い物理空間(脳幹レベルの欲求)から、しだいに抽象度の高い情報空間(前頭葉レベルの欲求)へと段階的に上がっていくことを説明したものだ」とコメントされています。

 

つまり、これが「人間形成」の階梯であり、その本質は「抽象度を上げること」であるということです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

「生理的欲求」や「安全の欲求」は、自らの生存に関わる本能、脳幹的欲求に基づく物理空間の欲求です。食欲を例に考えると、十分な食料を得ることが難しく、食べるものに常に困っていた原始時代の人類は、それがなんであれ食べ物があるだけで幸せを感じたはずです。

現代でも貧困や飢餓に苦しむ発展途上国の人々は、食べ物が手に入るということに少なからず幸せを感じるでしょう。

 

そうした生存に関わる欲求が満たされると、次第に欲求の対象が物理空間から情報空間に移行していきます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

 

欲求が満たされた状態を「幸せ」と呼ぶとすれば、幸せの抽象度が上がっていくのです。食べ物に関していうと、「単にお腹が満たされて栄養が摂れればいい」という欲求から「おいしいものが食べたい」という欲求に変わっていきます。

さらに抽象度が上がると「自分一人がおいしいものを食べたい」から「家族と一緒においしいものを食べたい」に変わり、やがて「日本国民がおいしいものを」、「アジアが」、「世界が」と広がっていくはずです。

 

「世界から飢えをなくしたい」という思いからもっと抽象度が上がると、「この世界すべてを平和にしたい。全人類がよりよく生きられるようにしたい」という思いに変わっていきます。それが「抽象度が上がる」ということです。

 

抽象度を上げて生きる

 

じつは、マズローは晩年に「欲求階層説」で唱えた五段階に、さらにもう一つ上の「自己超越の階層(Self-transcendence)」があると付け加えました。

 

「自己実現の欲求」を満たして、個人としての同一性(アイデンティティー)が完成すると、さらには個を超越したもの(例えば、他者や共同体、人類、生態系、宇宙など)との一体感、同一性を確立することを目指す、というのです。

 

マズローは自己超越のレベルに達している人(Transcenders)の特徴として、「統合された意識を持つ」「落ち着いていて、瞑想的な認知をする」「他者の不幸に罪悪感を抱く」「謙虚である」「他視点的な思考ができる」などを挙げています(Wikipediaより)。

そうしたイメージは「抽象度の高い思考ができる人」と見事なまでに重なります。

 

マズローは人の欲求を分析することで、幸せになる生き方を発見しました。それが「自己実現」を目指す生き方です。そして晩年に、さらに幸せになる究極の生き方に到達しました。それが「自己超越」に到る生き方です。

 

その本質は、マズローのいう超越とは、「抽象度を上げること」であり、“無敵”になることです。そしてそれが「人間形成」の本質です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

(つづく)

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8430748.html

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 


PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-13そもそも教育とは?-6-1)人間形成

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-6-1)人間形成

 

 「人間形成」とは一体どのようなことをいうのでしょうか?

 

 心理学者 アブラハム・マズロー(Abraham Harold Maslow、1908~1970年)の有名な「欲求階層説」を例に考えてみましょう。

 

マズローは、「人間は自己実現に向けて絶えず成長する生き物である」と仮定し、人間の欲求を五段階の階層で理論化しました。それが「欲求階層(段階)説」で、「自己実現理論」とも呼ばれています。

それによると、人間の欲求は五段階のピラミッドのようになっており、下位の段階の欲求が満たされるとより高次の欲求を目指すと説明されています。

 

その欲求とは下位より、1.生理的欲求(Physiological needs)、2.安全の欲求(Safety needs)、3.所属と愛の欲求(Social needs/Love and belonging)、4.承認(尊重)の欲求(Esteem)、5.自己実現の欲求(Self-actualization)です。

 

一番下の階層である「生理的欲求」は、生命維持のための食欲・性欲・睡眠欲等の本能的・根源的欲求です。人間以外の動物はこのレベルを超えることはないと考えられています。

逆に、人間にとってはこの欲求しか見られないことは一般的ではなく、通常の健康な人間は次の安全の欲求が出現すると考えられています。

 

「安全の欲求」とは、安全性、経済的安定性、良い健康状態の維持、良い暮らしの水準、事故防止、保障の強固さなど予測可能で秩序だった状態を得ようとする欲求です。病気や不慮の事故などに対するセーフティ・ネットなども含まれます。

「衣食足りて礼節を知る」という管子の言葉は、この欲求を満たすことの大切さを語った言葉です。医療・福祉を含む社会保障の役割は、この階層の欲求を満たしてあげることです。

反対にいうと、医療・福祉に救いを求める患者さんは、これらのベーシックな欲求さえ満たされていない辛い状況にあるといえます。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124524.html

 

三層目の「所属と愛の欲求」とは、「集団に属したい」「他者から愛されたい」という欲求です。不適応や社会的不安、うつ状態になる原因の最たるものとされています。

医療の話でいうと、二層目の「安全の欲求」までが(とりあえず)満たされた患者さんは、自然とこのレベルを求めることになります。医療・福祉に携わる者はそのことをわかった上で、日々の言動をコントロールする必要があります。

 

四層目の「承認(尊重)の欲求」とは、自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求です。尊重のレベルには二つあり、低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などを得ることによって満たすことができます。

マズローは、この低い尊重レベルにとどまり続けることは危険だとしています。高いレベルの尊重欲求は、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得ることで満たされます。

コーチングでいう「エフィカシー」です。これらの欲求が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

教師と生徒との関係や医療・福祉従事者と患者さんとの関係を良好なものにするために、「いかにこの尊重欲求を満たすことができるか」が鍵となります。

 

もちろん、家庭や職場などでの人間関係すべてにおいても。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

Abraham Maslow(Wikiより引用)

Abraham Harold Maslow

Wikipediaより引用

 


このページのトップヘ