苫米地式認定コーチ CoacH T(タケハラクニオ) ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学びながら九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

タグ:不完全性定理

F-099:なぜ2位ではいけないのだろうか? ~「順位づけをすり込むことはよくないが、1位を目指さないといけない」の意味~ <後編>

 

 東京オリンピック開催まで1年を切りました。我が家でオリンピックの話題になった際に、「なぜ銀ではいけないのだろうか?」「本当に2位ではいけないのだろうか?」という話になりました。

 

 皆さんはどう思いますか? どのように子どもに話しますか?

 

 ところで、オリンピックに関する私の見解は、「人の無意識に順位づけをすり込む洗脳手段」です。それは私のブリーフシステムが導く結論であり、情動を伴った体験の記憶と受け入れた情報の記憶による判断です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 もちろんそれは、私が師事する認知科学者 苫米地英人博士の見解でもありますが、当の博士御自身は「1位を目指さないといけない。2位で満足してはいけない」という発言もされています。

 

 順位づけをすり込むことはよくないが、1位を目指さないといけない

 

 …一見矛盾するようなこのコメントを考察してみました。

 前編はこちら:

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18797248.html

 

 

 …次に「1位を目指さないといけない」です。

 

 忘れてはならないのが「人間の無意識は常に現状維持を求める」という事実。エネルギッシュでクリエイティブな無意識は、24時間365日“激変緩和”のために働いています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165658.html

 

 一定の状態を維持するこの働きのことを恒常性維持機能(ホメオスタシス)と呼びます。脳が発達した人間においては、その維持機能は情報空間にまで拡張しています(サイバーホメオスタシス仮説、CH理論)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831660.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971818.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971956.html

 

 この機能は時空を超えて働きます。「私にはムリ」「2位でいい」と思うと、達成の方法がまったく認識できなくなり、1位を目指すモチベーションを失います。自分で勝手に限界を作り、豊かな未来の可能性を自ら閉ざすことになるのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 「私にはムリ」「2位でいい」というセルフトークは、「2位くらいが私らしい」というセルフイメージをますます強化していきます。セルフイメージはコンフォートゾーン(「2位くらいが心地いい」)と同義です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

 コンフォートゾーンを外れた時、人は認知的不協和を感じます。認知的不協和(Cognitive resonance)とは心理学の言葉で、「人が認知している自分の内側の現実と外側の現実に矛盾が生じたときに、その不協和を解決しようとする心の作用」のこと。それがモチベーションの正体です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

 例えば、「2位くらいが私らしい」と思っている人が10位になったとします。その時、無意識はコンフォートゾーンを外れたことを察知し、認知的不協和が「悔しさ」となり、自身を突き動かします。その結果、2位に戻っていくことになります(ホメオスタシスフィードバック)。これはコンフォートゾーンや認知的不協和のポジティブな面です。

 

 同じ人が1位になった時はどうでしょうか? 最初は「うれしい」という気持ちに包まれるかもしれません。しかし、やがては落ち着かない気分が上回るようになり、心身ともこわばります。ありえないミスを繰り返し、自然と「私らしい」ポジション、すなわち2位に落ち着きます。これがコンフォートゾーンや認知的不協和のネガティブな一面です。

 

 ちなみに、このコンフォートゾーンを突き破るきっかけになるのがゴール設定です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 “現状の外”にゴールを設定し、ゴールを達成した未来の記憶によって新たなコンフォートゾーンをつくることができると、強力なホメオスタシスを味方にすることができます。自然に夢がかなうのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 順位づけというすり込みを超えたところで1位(頂点)を目指し続ける生き方が「Not Normal」を生みだします。「ぶっちぎり」を実現します。私はそれが「克己」だと思っています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_268337.html

 

 そして、それはリーダーに求められる資質でもあります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14526054.html

 

 

 さらにいうと、「1位を目指さないといけない」理由は個人レベルにとどまりません。より高い次元を志向する情熱は、個人の枠を大きく超えて、広く社会にひろがっていきます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

そのエネルギーと創造性は、まるでビックバンの“爆発”のように、時空を超えて何かを生みだします。縁あるものの心の中で。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

…次回(F-100)は、エネルギーと創造性に満ちた、情熱の塊のような先人を取り上げます。

 

 

苫米地式認定コーチ                       

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 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記1-

 Q:問題です。その“先人”とは誰でしょうか?

 その方の代表的ワードを本文中に書きました(笑)。エネルギーと創造性に満ちあふれた日本人芸術家です。お楽しみに。

 

-追記2-

 「順位づけというすり込みを超えたところで1位(頂点)を目指し続ける生き方」は、コンフォートゾーンや認知的不協和のポジティブな面やネガティブな面を包摂する次元にあります。それはより空(くう)に近づいた生き様といえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628746.html

 

 

F-098:なぜ2位ではいけないのだろうか? ~「順位づけをすり込むことはよくないが、1位を目指さないといけない」の意味~ <前編>

 

 東京オリンピック開催まで1年を切りました。我が家でオリンピックの話題になった際に、「なぜ銀ではいけないのだろうか?」「本当に2位ではいけないのだろうか?」という話になりました。

 

 皆さんはどう思いますか? どのように子どもに話しますか?

 

 ところで、オリンピックに関する私の見解は、「人の無意識に順位づけをすり込む洗脳手段」です。それは私のブリーフシステムが導く結論であり、情動を伴った体験の記憶と受け入れた情報の記憶による判断です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 もちろんそれは、私が師事する認知科学者 苫米地英人博士の見解でもありますが、当の博士御自身は「1位を目指さないといけない。2位で満足してはいけない」という発言もされています。

 

 順位づけをすり込むことはよくないが、1位を目指さないといけない

 

 一見矛盾するようなこのコメントを考察してみました。

 

 

 まず「順位づけをすりこむことはよくない」から。

 

 答えは、もちろん、「差別」を生むから。

順位づけ自体は問題ありません。しかし、そこに「偉い」といった価値観や主従という支配の論理が入り込むと、順位は差別を強化するための道具に成り下がります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14249741.html

 

 区別のための順位づけは“あり”ですが、差別のための順位づけは“なし”です。大乗仏教でいうと、仮(仮観)としての順位づけはありですが、空(空観)が抜けた順位づけはなし。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

「生まれながらにして偉い」と勘違いしているような二代目(三代目~)と出会う機会がありますが、その勘違いは苦しみとなって自らに跳ね返っているようです。差別思想が強ければ強いほど。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9034343.html

 

 順位に限らず、何らかの評価や評価基準そのものを“絶対”と思い込むことは不幸のはじまりです。「ゼッタイ」と思った瞬間に、その「ゼッタイ」以外の世界(可能世界)が認識できなくなるのだから。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 それは自我を小さく限定してしまう行為であり、宇宙を閉ざす悪癖であるといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11823351.html

 

よって、不完全性の理解はとても重要です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

F-099につづく)

 

 

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-追記-

 苫米地博士の著書「現代洗脳のカラクリ」(ビジネス社)に、オリンピックが取り上げられています。以下、引用します。

 

 オリンピックを否定することが脱洗脳の第一歩

 重ねて言いますが、現在のオリンピックにやる価値などありません。

 スポーツの祭典が見たければ世界選手権で十分です。

 選手の素晴らしい技術も精神力も、国の威信を懸けた戦いにしても、オリンピック以外のイベントで十分に味わうことは可能です。

 オリンピックだけは特別、オリンピックがスポーツの頂点という思い込みこそが拝金主義洗脳につながる道なのです。

 逆にいえば、これを打ち破ることが、超富裕層が仕掛けた拝金主義洗脳を壊すことでもあるのです。

 脱オリンピック。これこそが、脱拝金主義のきっかけだと私は思っています。

 といっても「オリンピック選手を凄いと思わないようにする」なんてことを言いたいのではありません。オリンピック選手を素晴らしいと思うのは自然です。そういった自然な気持ちを否定する必要はまったくありません。

 そうではなく、私がやってほしいのは、オリンピックもごく普通のスポーツイベントだと冷静に理解することなのです。

 オリンピックには魔物が住んでいるだとか、参加することに意義があるだとか、そんなことに意味などないとちゃんとわかって楽しむ姿勢を身に付けてほしいのです。

 そうすれば、必要以上に金メダルを神格化することもなくなります。

 オリンピック選手が、政治家に向いているという見方もなくなるでしょう。

 拝金洗脳を解くきっかけにもなっていきます。

 

 

現代洗脳のカラクリ



PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-19:仮説13-2)宗教の限界 -中編-

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

仮説13-2)宗教の限界 -中編-

 

すべての階層にまたがって同時に存在している生命(現象)とは情報(処理)であり、その情報(内部表現)を書き換えることにより心身の変化を引き起こせるからです。そして、それは、宗教の本質も「内部表現の書き換え」であることを示唆しています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542426.html

 

つまり、医療と宗教のLUBとして、ひとつ上の抽象度に「内部表現の書き換え」があるということ。LUBLeast Upper Bound)は最小上界と訳される概念で、最小公倍数のようなものです。

 

その「内部表現の書き換え」のことを、状況によりコーチングといったり、ヒーリングと呼んだりします。気功や加持など宗教をベースとする技法も全部「内部表現の書き換え」です。

 

 そのように考えると、アインシュタイン博士の言葉には間違いがあることがわかります。21世紀に生きる私たちは、まず宗教というゲシュタルトを越えなければならないのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

 

そもそも「宗教」の定義は難しく、Wikipediaにも「宗教の定義は宗教学者の数ほどもある」と記載されています。広辞苑には「神または何らかの超越的絶対者、あるいは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰・行事。また、それらの連関的体系」と記載されています。

 

ほぼ間違いなく、西洋的な「宗教」の定義においては「絶対神」つまり「全知全能の存在」が前提になっているようですので、ここでは「宗教」を「“絶対”の存在を信じること」と扱います。

 

第二章の「不完全性定理」でクルト・ゲーデル(19061978年)について触れましたが、アインシュタイン博士とゲーデルには共通点があります。二人とも知の世界でパラダイムシフトを起こした大天才であることと晩年には精神的に苦しんだことです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

アンシュタイン博士は、量子論に対して懐疑的で「神はサイコロを振らない」という言葉を残しました。しかし、現代の物理学はアインシュタイン博士が間違っていたことを明らかにしています。

ひょっとしたらアインシュタイン博士は量子論に対する自分の考えが間違っていること(量子論が正しいこと)に気づいていたのかもしれません。量子論の中心人物 ニールス・ボーア(18851962年)と敵対的に対立することはなく、ボーアの弟子であるヴェルナー・ハイゼンベルク(19011976年)やシュレーディンガー方程式などで量子力学の確立に貢献したエルヴィン・シュレーディンガー(18871961年)をノーベル賞に推薦しています。

しかし、公には最後まで懐疑的な姿勢を崩しませんでした。

 

アインシュタイン博士は、晩年、若き数学者クルト・ゲーデルとの散歩をとても楽しみにしていたそうです。「ゲーデル解」という一般相対性理論のアインシュタイン方程式の厳密解があることからもわかるように、二人には交流がありました。

 

そのゲーデルは徐々に精神を病んでいきました。毒殺されることを怖れ、妻アデルが作った食事以外は、自分が作ったものでさえ口にしなくなりました。夏でも冬服を着込み、毒ガスを怖れて真冬でも窓を開け放っていたそうです。

人前に出ることはなく、自宅にこもって哲学と論理学の研究を続けていましたが、最終的には妻が入院している間に飢餓状態となり死亡しました。その時71歳、体重は65ポンド(約29.5kg)しかなかったそうです。

 

ゲーデルは、死の数年前、「ゲーデルの神の存在証明」として知られる論文を知人に配布したそうです。しかし、彼は生前にその論文を公表することはありませんでした。論文はゲーデルが没してから9年後の1987年に初めて公開されました。

 

アインシュタイン博士とゲーデルこの二人は敬虔なユダヤ教徒でした。御承知のとおりユダヤ・キリスト教は一神教であり、「全知全能の存在」を前提としています。

 

(つづく)

 

 

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-追記-

 量子論を否定する「神はサイコロを振らない」というアインシュタイン博士の言葉に対して、理論物理学者 スティーヴン・ホーキング博士(19422018年)は「神はサイコロを振るだけではない。サイコロを見えない場所まで放り投げることもある」と発言しています。

 

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7554690.html

 

 

クルト・ゲーデル(Wikipedia)

クルト・ゲーデル
Wikipediaより引用




PMⅠ:The Power of Mind

PM-04苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ

PM-04-02WHO版「健康」の三つの間違い

 

 この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。

 

 

WHO版「健康」の三つの間違い

 

 では、WHOの健康の定義はどこが“おかしい”のでしょうか?

 

 一つ目は、「不完全性」が考慮されていないことです。

 

不完全性が証明された現代において、“唯一絶対のモノサシ”は存在しません。完全な存在はあり得ず、すべてが相対的、あるいは主観的です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

したがって、まず「complete」でつまずきます。

 

 二つ目は、物理空間と情報空間の関係がはっきりしないことです。

 

先程のWHOの健康の定義の中にある「身体的」は物理空間の話であり、「精神的」と「スピリチュアル的」は情報空間の話になります。さらに「社会的」になると、それは「自我」の定義にも関わる「縁起」のことであり、宇宙全体に拡大していきます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

認知科学前の西洋科学(哲学)では、「まず物理空間があり、それとは別に存在する情報空間とどこかで結びついている」と考えられていました。医学で例えるならば、「体と心は強く結びついている」「心身は強い相関を持っている」という考え方でした。

 

超情報場仮説で考察すると、物理空間は情報空間の一部であり、一番情報量が多い底面に相当するものです。つまり、体と心はそもそも同じものであり、ただ抽象度が違うだけの概念です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306438.html

 

よって、「身体的」「精神的」「スピリチュアル的」「社会的」はそれぞれ別個に独立して存在しているものではなく、同じ生命現象の抽象度の違いにすぎないといえます。同じものの抽象度の違う概念ですので、どれかだけ「well-being」であるというのはあり得ません。

コーチングでいうバランスホイールの話になりますが、そのすべてが満たされるように心がけなければ達成できません。

 

 三つ目は、「well-being」がアプリオリに存在すると考えられていることです。

 

well-being」の日本語訳は、「幸せ」や「幸福」、あるいは「満足できる状態」です。その「幸せ」や「満足できる状態」は確固たるものとしてどこかに存在しているのでしょうか?

 

 結論から述べると、幸せや満足とは自分の心がつくりだすものです。

したがって、それを厳密に定義することはできません。言い方を変えると、「幸せ」や「満足」は幻想でしかないのです。

 

だから、どこかで見つけるものでも、努力して手に入れるものでもなく、ましてや、人から与えられるものでもありません。

この事実に気がつかないと、「青い鳥」を求めていつまでもさまよい続けることになります。

 

反対にいえば、私たちは幸せと思った瞬間から幸せになることができます。すべて自分次第です。

道教的な思想でいうと、「足るを知る」ことが健康の大きな要因になるといえます(コーチング的には「知足」はNGですが)。

 

 国連の「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)」が「国際幸福デー」の320日に発表した国別の「世界幸福度ランキング2017」によると、日本の主観的幸福度は51位で、G7の最下位、OECD加盟35か国の27番目でした。

 

well-being」を調査したこの結果は、各国の健康ランキングともいえます。世界トップクラスの長寿国であるはずの日本が、健康調査では先進国最下位レベルなのです。

これは、日本においてコーチングのニーズがとても大きいことを意味しています。

 

(つづく)

 

 

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PMThe Power of Mind

PM-02苫米地理論における重要用語解説

PM-02-14不完全性定理、不確定性原理

 

 この章では、苫米地理論の中でとくに重要な概念をピックアップし、解説いたします。
 第二章目次:
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12936581.html


14)不完全性定理、不確定性原理

 

 1931年、若き数学者(当時25才)クルト・ゲーデルは自然数論における不完全性を証明しました。1980年代にグレゴリー・チャイティンにより、不完全性は数学全般において証明されました。これを不完全性定理と呼びます。

情報空間において不完全性が証明されたのです。
 
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

 

 一方の不確定性原理は、1927年に理論物理学者 ヴェルナー・ハイゼンベルクによって提唱された量子力学の基礎原理の一つで、「位置と運動量を同時に正確に知ることはできない」というものです。

オリジナルは「観測行為が影響を与え、不確定性を引き起こす」という観測の限界を示唆するものでしたが、後に量子自体の不確定性というべき「量子ゆらぎ」を説明するものとなりました。

こちらは物理空間において不完全性を証明したものといえます。

 

 情報空間でも、その底面といえる物理空間でも「不完全性」が証明されたということは、つまり、「全知全能の神は存在しない」ということを意味します。

「神が創造した完全なる宇宙では始まりにすべてが決まっている。そして、その初期値と連続する因果の当然の帰結として現在の個々の私たちの思考や行動がある」という西洋哲学の因果律は完全に崩壊しました。

 

 「すべては決定的ではない」という事実は、西洋哲学から東洋哲学へのパラダイムの転換を求めています。もちろん、医療や教育においてもです。それらは第四章、第五章で取り上げます。

 

(つづく)

 

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