苫米地式コーチング認定コーチ CoacH T <タケハラクニオ> ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学び九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

タグ:レッドソックス

PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-24自由を履き違えた人間は、自分もチームも破壊する

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

自由を履き違えた人間は、自分もチームも破壊する

 

なぜ監督の自主性(すなわち自由)を尊重する方針は機能しなかったのでしょうか?

なぜ高額のスター選手を集めた強いはずのチームが内部崩壊したのでしょうか?

このレッドソックスの監督辞任とPM-05-19(教育の目的である自由とは? ~人形にみる自由と制限の関係~)の二つの人形との関連とは何でしょうか?

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400928.html

 

 

結論からいうと、レッドソックスが崩壊したのは、主力選手三人が自由を履き違えたからです。

 

なぜ自由を履き違えたのかというと、抽象度が低く、社会性がなかったからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

抽象度が低い人達が自主性を尊重する監督の意図を理解できずに自由を履き違えたことで、そして、不幸にもその人達がチームにとって重要な選手だったことで、チームは崩壊しました。

 

 

自由を履き違えた人間は、自分もチームも破壊してしまいます。

 

 

抽象度が低い人は、セルフコントロールができません。

強制された環境では問題を生じなくても、自由を許される環境ではつい抽象度が低い行動をとってしまうので、次々と問題を起こしてしまいます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

抽象度が低い行動とは、煩悩丸出しの行動や自分だけが良ければいいといった言動です。

具体的には、タバコ・酒やギャンブルに溺れ、考えるのは自分の利益ばかりで全体を見渡すことができず、言動が攻撃的・感情的・他罰的になります。食欲、性欲、睡眠欲といった煩悩すら十分にコントロールすることができません。

 

チーム一丸とならなければならなかったシーズン終盤の大切な時期に、試合中にもかかわらず、酒を飲みながらテレビゲームをするといった独善的な行動は、まさに抽象度の低い子供のような行動です。

そんな行動が、チームの士気を下げてしまいました。高い年棒をもらっている主力選手たちの自分勝手な行為が、チームのエフィカシーを下げ、ムードを壊してしまったのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

人形の例えでいうと、「自由だが制御がきかず、立てなくなった人形」です。

機能を果たせなくなり、自身の価値を下げてしまうことになります。そして、機能を果たせなくなったものの集まりであるチームが、その目的を果たすことはありません。

 

ところで、医師にはアンモラルな人が多いという意見をよく耳にします。

その意見が正しいかどうかには言及しませんが、もしそうなら医師という仕事の抽象度(または自由度)の高さが関係しているように思います。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

自戒を込めて述べますが、セルフコントロールができない人間は医師になるべきではありません。患者さんやその家族、スタッフなどまわりの人たちへのネガティブな影響がとても大きく、結果としてみんなを不幸にしてしまうからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 


PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-23レッドソックスの「崩壊の内側」にみる自由の危険性

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

レッドソックスの「崩壊の内側」にみる自由の危険性

 

少し古い話になりますが、かつて松坂大輔投手が所属していたボストン・レッドソックス(MLB)の事例をもとに、自由について考えてみたいと思います。

 

在任八年間でチームを二度の世界一に導いたテリー・フランコナ監督は、二年のオプションを残しながら退任してしまいました。

監督は選手の自主性を尊重していましたが、そのためなのか最終年のシーズン終盤には選手から緊張感が消えてしまい、先発ローテーション投手三人が、試合中にもかかわらず、クラブハウスで飲酒をしながらテレビゲームをすることが常習化してしまったそうです。

いずれも禁止事項ではないのですが、大事なペナントレース終盤にも続いていました。

 

チームは勝負どころの九月に失速し、プレーオフ進出を逃してしまいました。地元紙のボストン・グローブは「崩壊の内側」という記事を掲載し、チーム内の雰囲気の悪さを指摘しています。

 

フランコナ監督は退任会見で、「私は彼らを信頼していたんだが、望んだとおりにしてくれなかった。私はもう終わりにしたほうがよいと思った。私はそれにとてもフラストレーションを感じていて、それがこの退任の理由なのかと聞かれれば、そうかもしれない」と発言しています。

 

なぜ監督の自主性(すなわち自由)を尊重する方針は機能しなかったのでしょうか?

 

レッドソックスといえば、総年棒メジャーリーグ四位(当時)の球団です。なぜ高額のスター選手を集めた強いはずのチームが内部崩壊したのでしょうか?

 

このレッドソックスの監督辞任とPM-05-19(教育の目的である自由とは? ~人形にみる自由と制限の関係~)の二つの人形には関連があります。その関連とは何でしょうか?

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400928.html

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 


このページのトップヘ