F-064:「第九」に込められたベートーヴェンの思い

 

 2018年も残すところあとわずかになりました。皆さまはどうお過ごしでしょうか?

 今年最後のフリーテーマは、年末らしく、「第九」をテーマにしたいと思います。

 

 「第九」は、ベートーヴェン(17701827年)が1824年に作曲した9番目にして最後の交響曲です。正式名称は「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲 交響曲第9番 ニ短調作品125」。

 

 この頃のベートーヴェンは耳が完全に聞こえなくなっていました。その原因として鉛中毒が疑われています。当時のワインには甘味料として酢酸鉛が使われており、ワイン好きだったとされるベートーヴェンの毛髪からは基準の40100倍超の鉛が検出されています。

 アルコールによる肝硬変も患っていたベートーヴェンは、体調がすぐれなかったにもかかわらず、死の3年前にこの大作を完成させました。

 

 私が初めて「第九」を生で聞いたのは、30年程前の「(鹿児島)県民第九演奏会」でした。第3楽章までの落ち着いたイメージと打って変わって、大合唱団も加わった燃え上がるようなフィナーレにとても感動したことを思いだします。

 

 その後医師となり肝硬変の患者さんを診させてもらうようになると、重度難聴だったベートーヴェンが肝硬変さえも克服して「第九」を書き上げたことは奇跡だと感じるようになりました。

 

奇跡を引き起こしたのは、もちろん、ベートーヴェン自身です。

 「日ごとに悪化する難聴への絶望とともに、芸術家としての運命を全うするために肉体および精神的な病気を克服したいという希望を記した」とされる家族への手紙が発見されています(ハイリゲンシュタットの遺書、1802106日付)。

 希望が奇跡のはじまりだったのです。

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 希望はやがてゴールに変わり、エネルギーと創造性の源になったはず。では、そのゴールとはどんなものだったのでしょうか?

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 コーチングを学ぶようになってから、年末を迎えるたびにそんなことを考えるようになりました。時空を超越し、200年前のドイツ人の情報場にアクセスする感じで。

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そして今冬、スコトーマが外れ、ついにその謎が解けました!

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 答えは、第4楽章の歌詞中にありました。

 

 

 以下、Wikipediaより引用です。

 4楽章は独唱および合唱を伴って演奏され、歌詞にはシラーの詩「歓喜に寄す」が用いられる。第4楽章の主題は「歓喜の歌」としても親しまれている。原曲の歌詞はドイツ語だが、世界中のあらゆる言語に翻訳されており、その歌詞で歌われることもある。古典派の以前の音楽の集大成ともいえるような総合性を備えると同時に、来たるべきロマン派音楽の時代の道標となった記念碑的な大作である。

 第4楽章の「歓喜」の主題は欧州評議会において「欧州の歌」としてヨーロッパ全体を称える歌として採択されているほか、欧州連合においても連合における統一性を象徴するものとして採択されている。

 引用終わり

 

 引用文中のシラーとは、ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー(17591805年)のことです。シラーはドイツの思想家(詩人、歴史学者、劇作家)で、ゲーテとならぶ古典主義の代表者とされています。

 

 シラーは1785年に「自由賛歌」を発表しています。1785年はアメリカ合衆国が独立する前年。この時代の自由とはfreedomのことで、民衆が王族支配から自由になるという意味でした。

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 ドリームキラー化した既得権益(王侯貴族)対策なのでしょうか、シラーは「自由賛歌」の詩を改訂し、タイトルも「歓喜に寄す」と変更して出版しました。その本を手にしたのが、当時15歳だったベートーヴェンです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6854056.html

 

 それから約40年の間、ベートーヴェンの心にはいつも自由を希求する思いがあったに違いありません。そして、その思いがついに「第九」となり、物理空間に結実したのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 ベートーヴェンの思い描く自由の先には、もっと抽象度が高く壮大なビジョンがありました。さらに先のゴールの世界です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

 

 2007年から7年半にわたりフィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者を務めるなど国際的に活躍されている指揮者 篠崎靖男氏は、「必ず合唱団に話す(「第九」)曲中の歌詞がある」とビジネスジャーナルでの連載記事内に書かれています(「世界を渡り歩いた指揮者の目」、2018.12.15)。

 

 それは「Alle Menschen werden Brüder」という一節です。日本語訳すると「すべての人々が兄弟となる」という意味。この部分は、シラーの1785年初稿では「物乞いは君主らの兄弟となる」というものだったそうです。

 

篠崎氏は、「この“兄弟”というのは、“仲間”という意味です。つまり、貴族であっても、平民であっても、物乞いであっても、みんな同じ。国籍、年齢、性別、肌の色、宗教すべてを乗り越えて、全世界の人たちが仲間になろうという、強いメッセージです。これを年末に歌いあげる日本という国は、なんと素晴らしいのだろうと、僕は思います」と記されています。

 

 私もまったく同じ思いです。何の音楽的素養もないはずの私ですが、「第九」を聞くと確かに心が揺さぶられるのは、シラーやベートーヴェンが創造した高い抽象度の情報場に触れているからだと納得しました。そのイメージを無理やり言語化すると“無敵”!

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 さて、2018年は皆さんにとってどのような年だったでしょうか?

 そして、2019年はどのような一年になる(する)と思い描いていますか?

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 大国のトップが堂々と「自国ファースト」と叫ぶ時代だからこそ、私たちは未来に向けて高らかと「第九」を歌うべきなのかもしれません。シラーやベートーヴェンの思いとともに。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 ところで、なぜ年末に「第九」が演奏されるのか御存知ですか?

 

 答えは「楽団員の年越し費用を稼ぐため~」だそうです。

 「チコちゃんに教えてもらった」という(私の)家族に教えてもらいました(笑)。

 

 

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Beethoven(Wiki)

ベートーヴェン
Wikipediaより引用