苫米地式認定コーチ CoacH T(タケハラクニオ) ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学びながら九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

タグ:ディベート

F-058:「不摂生が理由で病気になった人の医療費を健康のために努力している人が負担するのは『あほらしい』」ことなのだろうか? <後編>

 

「不摂生が理由で病気になった人の医療費を健康のために努力している人が負担するのは『あほらしい』」という発言に麻生太郎財務相が「いいことを言う」と同調されたことをテーマにしたブログ記事の3本目です。

 

前編(F-056)は、「国民をだまそうとしていない」という点で肯定的に評価いたしました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13076011.html

 

中編(F-057)は、厚労省を抑える財務省のトップ、そして副総理としての立場をふまえた上で考察を続けることで浮かび上がる「解決するべき課題」についてまとめました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13214313.html

 

 前回あげた課題(問題点)は、トゥールミンロジックでいうとケースに当たります。今回はケースを解決するためのプランについて、私の意見を述べさせていただきます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

 

 

 権利をどのように考え行使するかは、国民一人ひとりの自由であるはずです。

仮に自らの自由意思による不摂生の結果病気になってしまったとしても、国には国民の「健康で文化的な最低限度の生活」を保証する義務があります。その根拠は日本国憲法第25条です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8584289.html

 

 以前は成人病と呼ばれていた糖尿病などが生活習慣を主因とする病であるということは、昨年105歳でお亡くなりになった日野原重明先生らの御尽力で広く知られることになりました。

厚労省は生活習慣病予防として、「運動施策の推進」「栄養・食育対策」「たばこ対策」「アルコール対策」「睡眠対策」などをあげています。

 厚労省HP>生活習慣病予防:https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/seikatsu/seikatusyuukan.html

 

 しかし、例えば糖尿病でみると、「糖尿病が強く疑われる者」の割合は12.1%(男性16.3%、女性9.3%)で、H9年以降増加し続けています。

 一般社団法人 日本生活習慣病予防協会HPより:http://www.seikatsusyukanbyo.com/statistics/2017/009436.php

 

 高齢化が増加の一因であることは間違いありませんが、生活習慣病の対策、すなわち生活習慣をあらためる取り組みがうまくいっているとはいえないことも間違いないようです。

 

では、なぜ生活習慣の改善はうまくいかないのでしょうか?

 

なぜ不摂生になってしまうのでしょうか?

 

 

原因の一つは中編(F-0572))で取り上げた社会的な要因です。労働環境や経済格差の改善が進まなければ、生活習慣病の改善は難しいといえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13214313.html

 

コーチングの視点で考えると、不摂生の理由は「コンフォートゾーンが変わっていないから」といえます。意識上で「生活習慣を改善したい」と思っても、無意識が「不摂生」を“心地よい”と認識している限り、かなり頑張らないと摂生はできません。たとえ摂生できたとしても無理な頑張りは長くは続かず、いつの間にか元の不摂生に戻ってしまいます。ダイエットなどでよく言われている「リバウンド」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

では、なぜコンフォートゾーンが変わらないのでしょうか?

 

 

答えは、「不摂生が摂生に変わることをあたりまえとするゴールが明確ではないから」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

止められても成し遂げたいゴールがあり、その実現のために「健康でいることがあたりまえ」「病気になっている場合ではない」と思える状況であれば、無意識は不摂生をクリエイティブに回避し、健康を維持するためにエネルギッシュに働くようになります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040752.html

 

 つまり、生活習慣(病)の改善はやる気や方法論の問題ではなく、ゴール設定の問題なのです。

 

 健康とはゴール設定の結果です。

 そして、同時に、そのゴールを達成するための大切な要因となります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045695.html

 

ゴール設定を行い、本当にやりたいことだけをやり続けることで、心(マインド)の状態を良好に保つことができます。まず情報空間で健康になります。やがてその変化は写像として物理空間にあらわれ、身体が健康になっていきます。心→体の順で健康になるのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654230.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654316.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831442.html

 

勘違いしやすいところですので念を押しますが、心と体、すなわち情報空間と物理空間は同じものです。同じ一つのものの抽象度の違いです。因がより高い抽象度次元、すなわち心(マインド)にあるということです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

いずれにせよ、ゴールを設定することで心身の健康を手に入れた人は、その健康な心身でゴールを達成していきます。これが健康と苫米地理論およびコーチングの関係です。

つまり、「国民の生存権の保障のためには、コーチングの普及が欠かせない」のです。

 

じつは、一つ目の労働環境や経済格差の改善のためにもコーチングは有効です。

様々な研究により、「希望・夢・ゴールがある子どもとない子どもでは、その後の人生がまったく異なってしまう」という結果が明らかになっています。「希望・夢・ゴール」がエネルギーと創造性の源となり、劣悪な環境や貧困を自ら克服していくのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045695.html

 

つまり、「ホープギャップ」を克服するための「希望を与えること」や「夢やゴールの設定の仕方を教えること」といった情報的支援が、社会的課題の解決の鍵ともなるといえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11301259.html

 

 

シンプルにまとめると、

 

摂生=want to

不摂生=have to

 

その「want to」や「have to」は、もともと「want to」として、あるいは「have to」として存在しているのではありません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

すべては本人のマインドでの情報処理次第です。そして、その情報処理を決めるものはゴール!

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 

というわけで、「日本国民を『不摂生が理由で病気になる』ことから救うために、コーチングをすみやかに導入するべきである」というのが、苫米地式コーチとしての私のプラン(解決策)です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

 

私は、病気になった人が医療・福祉現場でのコーチングにより「不摂生」から救われることを願っています。そして、子どもたちを「不摂生」から守るために教育現場にもコーチングを届けたいと思っています。

 

コーチングに興味のある医療・福祉関係者、教育関係者の方は、ぜひ御相談ください。もちろん個人的な相談も大歓迎です。連絡をお待ちしております。

 連絡先:coachfor.m2@gmail.com

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615641.html

 

 


ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-20組織・チームの明るい未来のために

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

20:組織・チームの明るい未来のために

 

 ディベートについて御理解いただけたでしょうか?

 

 そのほとんどを、我が師 苫米地英人博士の「ディベートで超論理思考を手に入れる(CYZO)」から引用しています。詳しくはそちらで御確認ください。

 

このシリーズの冒頭に、「論題を自らの情動と切り離し、相対化して、物事の裏表両方を見る視点を養えるのがディベート」であり、それを学ぶ目的は、「論理脳を鍛え、最短時間で最適解を見つけるようになること」であると書きました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11995099.html

 

さらに、その先にあるのは、「論理的思考を徹底的に極めることによって、論理という系の外に出ること」であると書きました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12168045.html

 

そのもっと先にある究極のゴールとは、「論理を超越した世界で“自由”を手に入れること」です。その自由を獲得するためには、コーチングについての知識とスキルが必要です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 

なぜなら、この宇宙は“縁起”によりつくられているからです。

 

縁起とは、「自分を含めてこの世のすべては他の何かとの関係性で成り立っている」というものです。

それは突き詰めると「関係が存在を生みだす」ということになるので、それぞれの事物、事象は単独であらかじめ存在しないという論理になり、「だから普遍的な実体などなく、物事は常に変わりゆき、永遠に変わらないものなどない」という考え方につながります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

「物事は常に変わりゆき、永遠に変わらないものなどない」という考えを仏教では「無常」といいますが、それは「はかない」という意味でも、「だからあきらめろ」という冷やかしでもなく、「明日はもっと良くなる可能性がある。だから思考し続けよ」という励ましです。

 

釈迦の縁起は、そして、その発展としての空観は、数学では不完全性定理により、現代物理学では不確定性原理により証明されています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

私たち人類は、“現状の外”へのゴール設定により新たな縁起を生みだし続けることができる存在です。そして、ゴールに向かう過程で思考を続け、抽象度の階段を駆け上がり、ヒルクライミング(進化・向上)し続けることができる存在です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

 そのためにディベートがあり、コーチングが存在しています。 縁起として。

 

 

-参考-

苫米地英人博士著「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO

 

 

S-01:よりよい“議論”のために(完)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

DrT ディベート本




F-057:「不摂生が理由で病気になった人の医療費を健康のために努力している人が負担するのは『あほらしい』」ことなのだろうか? <中編>

 

 前回(F-056)は、「不摂生が理由で病気になった人の医療費を健康のために努力している人が負担するのは『あほらしい』」という発言に麻生太郎財務相が「いいことを言う」と同調されたことについて、「国民をだまそうとしていない」という理由で肯定的に評価いたしました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13076011.html

 

 

 コーチとしてよく相談されることがあります。

 

「なかなか“現状の外”にゴールが設定できない」「そもそも“現状の外”というのがわからない」というものです。

 

その感覚はとてもよくわかります。私は、「現状の外を認識できていない」としっかり認識していること自体が素晴らしいと思います。

 

人は自分にとって重要なものだけを認識し、それを世界だと信じ込んでいます。その重要性は過去の記憶によりつくられたものです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

よって、「自分が正しいと思っていたことをすべて否定すると、現状の外側がすっと見えてくる」ことになります。

 

試しに、自分が信じて疑わないものを疑ってみてください。

例えば、

 

 「コーチングは本当に効果があるのだろうか?」

 

「(愛おしくて仕方がないパートナー等について)本当に愛おしいのだろうか?」

(あるいは、「愛は冷めてしまったのだろうか?」)

 

「地球は本当に温暖化しているのだろうか?」

 

 

私たちが認識する世の中のすべてに情動が張り付いています。世界を情動や“自分”から切り離して評価・判断しなおすために、ディベートが大変役にたちます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

 

ブログシリーズ編>「S-01:よりよい議論のために」では、現代ディベート論理であるトゥールミンロジックを御紹介しています。それは“現状の外”を認識し、新たな可能世界の扉を開くための大いなる力となるものです。

ディベート初心者の方にとっては難解に感じられるかと思いますが、ぜひ繰り返しお読みください。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

 

 それでは前回の続きに入ります。厚労省を抑える財務省のトップ、そして副総理としての立場をふまえた上で考察を続けることで浮かび上がる解決するべき課題(=ケース)についてまとめます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

 

 私が感じたケースとは、1)健康が目的化している(さらには国民の義務になっている)、2) 「不摂生が理由で病気」の本質を見誤っている、3) お金のモノサシが入り込んだうえに、健康そのものより(お金のモノサシが)重要とみなされている、4)国の義務を放棄し、国民の権利をないがしろにする憲法違反となっている、の4つです。

 以下、説明いたします。

 

 

1)    健康が目的化している(さらには国民の義務になっている)

 

そもそもWHOの「健康」の定義自体に無理があります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7859675.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7859828.html

 

コーチングとの関連でいうと、健康は数あるゴールの中で大切な一領域(バランスホイールを構成するひとつのカテゴリー)ではありますが、ゴールそのものではありません。そこを間違えると「健康のためなら死んでもいい」というアメリカンジョークのような生き方に陥ってしまいます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

苫米地式で考える「健康」については、下記のブログ記事を御参照ください。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7859896.html

 

 

2)    「不摂生が理由で病気」の本質を見誤っている

 

 健康の定義同様、病に関する認識も間違っているといえます。麻生財務相の発言からは、病気の主因を不摂生と考えていることと不摂生は個人のだらしなさが原因と認識している思考パターン(ブリーフシステム)が読み取れます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 最近の医学研究をふまえると、病気=不摂生とは言い切れません。例えば2型糖尿病は、「贅沢病」でも「不摂生病」でもなく、むしろ「ストレス病」や「長時間労働病」「貧困病」だという指摘がなされています。

 

例えば、ドイツの研究機関の調査では、「強いストレスにさらされている人は、そうでない人と比較すると2型糖尿病を発症するリスクは45%も上昇する」と報告されています。

 

全日本民主医療機関連合会(民医連)が2018619日に行った記者発表によると、「HbA1c値が1年後に7%以上(不良)になる頻度は、週労働時間35時間未満の労働者と比べて60時間以上の労働者は2.92倍にのぼる」と指摘されており、さらに「糖尿病網膜症の発症が大卒を1とした場合、中卒だと1.92」「糖尿病腎症の発症は正規労働者を1とすると、非正規では2.83」と発表されています。

「全日本民医連が記者発表 『長時間労働が健康を阻害』 -若年2型糖尿病調査から-」:https://www.min-iren.gr.jp/?p=35327

 

富裕層にくらべて貧困層ほど糖尿病発症リスクが高いことは、アメリカやイギリスの研究でも明らかになっています。例えば、アメリカでは約14%の家庭が食料不安の状況にあります。食料不安のある家庭の糖尿病リスクは、食料不安のない家庭の2.5倍に上るそうです。

 

したがって、2型糖尿病に代表される生活習慣病の改善は、労働環境の改善や経済格差の是正といった国の政治力にかかっているといえます。

 

「不摂生は個人のだらしなさが原因」なのかについては、後編でプラン(解決策)とともに取りあげます。

 

 

3)    お金のモノサシが入り込んだうえに、健康そのものより重要とみなされている

 

「お金は重要ではない」とか、「お金のことを考えてはいけない」などと主張したいのではありません。お金は間違いなく重要なものです。ただし、それは「ゴールを達成するための道具として」です。お金自体が目的化すると、健康が目的化するのと同様に人生を見失い、満足度や幸福度が下がることが判明しています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8430748.html

 

 健康やお金は、あくまでもゴールを達成するための道具であり、手段です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 お金のために健康をないがしろにした結果ゴール達成ができなくなることが本末転倒であるのと同じように、国家レベルにおいても国の財政のために国民の健康をないがしろにすることは本末転倒の大問題です。それではとてもプロとはいえません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8582928.html

 

なぜなら、それは立憲民主主義国家の根幹を揺らがす愚行ともいえるからです。次に説明します。

 

 

4)    国の義務を放棄し、国民の権利をないがしろにする憲法違反となっている

 

 日本の医療は、主権者である日本国民のためにあります。より詳しく述べると、国民一人ひとりの基本的人権(医療・福祉の場合は生存権)の保障のためにあるといえます。

 

 つまり、日本国民には健康に暮らす権利があり、日本国には国民の健康を実現する義務があります。それは日本国憲法第三章第二十五条に明記されています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8584289.html

 

 「不摂生が理由で病気になった人の医療費を健康のために努力している人が負担するのは『あほらしい』」という発想は、国民の権利をないがしろにした上に、堂々と国の義務を放棄しています。よって、その発想は憲法違反といえます。

 

 

 以上、この中編ではケース(問題、課題)についてまとめました。次回は、プラン(解決策)を提示したいと思います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

(後編につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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日本国憲法第25条



ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-19コーチング的視点で考えるバイオパワーの問題

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

19:コーチング的視点で考えるバイオパワーの問題

 

前回、K戦略の技術として有名なものにバイオパワー(BP=生権力)という論理があることを御紹介しました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13076426.html

 

「相手側の論理の背景には、直接的な抑圧ではなくても、生活に組み込まれた目に見えない順応を強いるバイオパワーがあり、これが人々を戦争に駆りだしたり、市民間での生活破壊の元凶となっている」といった論理のことです。

 

ディベートでは、「肯定側の論理はバイオパワーを生み出している。したがって、そのような論理は有効とされるべきではない」という主張を行いますが、正しい議論が行われないとチームの潜在意識にバイオパワーが生みだされることになります。

バイオパワーに関しては、ミシェル・フーコー著「監獄の誕生」(新潮社)を御参照ください。

 

 バイオパワーに支配された強制的・強迫的文化(coercive culture)の下では、ほとんどのスタッフのマインドは「~ねばならない(have to)」となってしまうため、その豊かな潜在能力を発揮することはできず、その結果として、組織も廃れていくことになります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 ブログ記事や講演会でよく引用する話ですが、ハーバード大ビジネススクール名誉教授のジョン・P・コッター氏がフォーチュン500社の200社以上を10年以上追跡し分析した研究によると、「~したい(want to)」が文化の会社と「~ねばならない(have to)」が文化の会社の間では、生産性(利益率)で756倍の違いが生じていたことが明らかになっています(「CORPORATE CULTURE AND PERFORMANCE残念ながら日本語訳は出版されていません)。

 

 ちなみにコッター教授は「want to」を「Adaptive Culture」、「have to」を「Non-Adaptive Culture」と表現しています。

 

 

 Adaptive Culture:協調性が高く、社員が自発的で、クリエイティブな発想の下で働ける文化

 

 Non-Adaptive Culture:競争相手の会社に負けないために常に攻撃的。社内的にはちょっとしたミスでも給料を下げ、クビになる不安や恐怖で社員を押さえつける文化

 

 

 間違った議論や議論そのものが封殺されてしまうことで生じるバイオパワーは、じわじわとスタッフの心を蝕みます。そして、各人の豊かな潜在能力を潰していきます。それは「人を大切にする」という多くの会社や組織が標榜する理念とは正反対の姿です。
 そして、その悪影響は、やがて社会全体に広がっていきます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10691562.html

 

 バイオパワーにより組織や社会を荒廃させないためにも、よりよい“議論”の実現が必要です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11995099.html

 

-参考-

苫米地英人博士著「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

監獄の誕生(ミシェル・フーコー)



ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-18反論力を身につける4つの戦略

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

18:反論力を身につける4つの戦略

 

ここまで説明してきた反論の技術を使った、もう少し大きな視点で見た、相手を論理で打ち負かすための4つの戦略を解説します。

 

 

1.      ストックイシュー(Stock Issues

 

ケースサイド(必要性)のハーム(問題)のシグニフィカンス(重要性)とインヘレンシー(内因性)を否定して、相手のプランのソルベンシー(解決性)の低さを指摘するものです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12808495.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12808542.html
 
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12935992.html

さらに、同時に、肯定側のプランのディスアドバンテージを主張することは、ハームを相対的に弱めるので有効な戦術となります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12935916.html

 

 

2.      カウンタープラン(Counter plan

 

ケース=必要性を認めた上で、相手の出したプランよりもいいプラン(より効果的に解決するプラン)を出すというものです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

 

カウンタープランは、肯定側のプランと競合的(同時に行えない、もしくは行うことは望ましくない)である必要があります。

 

 

3.      カウンターワラント(Counter Warrant競技ディベートでは通常禁じ手

 

ディベートには論題(Resolution)がまずあります。その論題そのものを否定しようというのがカウンターワラントです。

 

ディベート全体が論題を中心としたトゥールミンロジックになっています。肯定側にとって最終的なクレームが論題の採択であり、データがケースサイド(必要性)、ワラントがプランサイド(有効性)です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12340209.html

 

肯定側が問題にしているケースとはまったく異なるケースを問題とし、否定側による論題の別の解釈が大きな問題を持つというということで論題を否定する戦略です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

 

「ディベートは、肯定側が選び出した可能世界における命題の真偽値を競う論理の戦いにしなければ、ディベートそのものが形式論理の枠組みでは成り立たなくなる」というのが、カウンターワラントが論理学的には不当であるという理論的な根拠となります。もしくは、「メタ数理における非実在に対する排中律の拒否と同様な論拠ともいえる。肯定側が選択していない空間は論理空間として非実在であるという考え方が成り立つから」(by 苫米地博士)です。

 

ディベートは、厳密な分析哲学や数理論理の論理式を評価する場ではなく、もともとトゥールミンロジックという非形式的な定性推論をベースとしたものなので、様相論理などの視点からカウンターワラントも正当性を云々するのは的外れです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12167955.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658325.html

 

ディベートを「複数の論理を並列的に同時に自在に展開できるトレーニング」と考えると、複数の可能世界の論理を同時に、高度に抽象化された思考で行うパラレル思考法としてカウンターワラントは有効といえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

さらに、実社会ではカウンターワラントは重要な技術となります。実社会では、論題はもともと肯定側にも否定側にも自由に解釈されるものだからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11823351.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11823843.html

 

 

4.      クリティーク(Kritik

 

肯定側の推進する論理の背景もしくは前提にある哲学、思想、世界観、利用される用語などが望ましくないものであれば、肯定側のケースやプランの有効性にかかわらず、現実の世界では、肯定側のプランが国会で採択されてはならないという議論です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

つまり、K戦略の基本は、相手の前提となっている価値判断そのものを疑うということです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10117071.html

 

K戦略の技術として有名なものにバイオパワー(BPBio Power、生権力)という論理があります。相手側の論理の背景には、直接的な抑圧ではなくても、生活に組み込まれた目に見えない順応を強いるバイオパワーがあり、これが人々を戦争に駆り出したり、市民間での生活破壊の元凶となっているといった論理です。

「肯定側の論理はバイオパワーを生み出している。したがって、そのような論理は有効とされるべきではない」という主張を行います。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10256517.html

 

他にも、K戦略として、キャピタリズム(相手の前提にある資本主義が正しいという論理が間違っている)、ブッディズム(肯定側のあらゆるハームは瞑想で乗り越えられる)などがあります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

-参考-

苫米地英人博士著「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 


F-056:「不摂生が理由で病気になった人の医療費を健康のために努力している人が負担するのは『あほらしい』」ことなのだろうか? <前編>

 

 まずは下記の記事をお読みください。JIJI.COMから引用します(20181023日配信)。

 

 引用開始

 麻生太郎財務相は23日の閣議後の記者会見で、不摂生が理由で病気になった人の医療費を健康のために努力している人が負担するのは「あほらしい」と指摘した知人の発言を紹介した上で、「いいことを言う」と同調した。

 

 健康維持の必要性を訴える趣旨とみられるが、病気になった人に対する心ない表現として批判が出る可能性がある。

 

麻生氏の発言は、政府が検討している予防医療推進に関する質問への答えの中で飛び出した。78歳の麻生氏は「病院で世話になったことはほとんどない」と強調。生活習慣の乱れで自ら病気を招いた人の医療費を負担するのは不公平との考えをにじませた。

 

ただ麻生氏は「人間は生まれつきがある。一概に言える簡単な話ではない」とも語り、やむを得ない事情で病気になった人の医療費を保険制度で賄うことに理解を示した。 

 引用終わり

 

 

 この記事に関して、私が思ったことをまとめます。

 

 まずは大前提から。

 意見を述べたり議論をしたりするときに忘れてはならないのは、「世の中に絶対の基準(評価・判断、価値観、モノサシ)はない」ということです。その事実は、情報空間では不完全性として、物理空間では不確定性として明らかにされています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

 絶対的なモノが存在しないということは、すべては相対的であるということです。何を基準とするか、あるいはどういう立場をとるかで、「正しい」とも「間違っている」とも評価できます。

 

 それを釈迦哲学では「空(くう)」と表現します。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

「空」とは、「すべては縁により起こる」という釈迦の縁起の教えをもとに、後の大乗仏教にあらわれた天才たち(ナーガールジュナ、ツォンカパなど)が築きあげた概念です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 すべてが「空」、すなわち「正しいともいえるし、正しくないともいえる」のであれば、意見を述べたり議論をしたりすることは無意味であると思われるかもしれませんが、そんなことはありません。

個人が自身の意見をしっかりと述べることができ、組織(チーム、会社、社会)内でしっかりと議論できるということは、とても大切なことです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

 

なぜなら、ゴールがあるからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

ゴールは“現状の外”に設定するものですが、たとえうまくスコトーマを外し設定できたとしても、その達成方法も“現状の外”、すなわちそれまでの記憶でつくられたブリーフシステムの外にあり、コンフォートゾーンの外にあるのですから、なかなか見つけられないうえに、うまく実行することもできません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

だから、ある立場で意見を考え、そして違う立場で検証する必要があるのです。

議論は「ゴール達成のために解決するべき問題(課題)を明らかにして、有効な解決策を見つけること」ですが、その本質は「抽象度を上げること」です。そして、抽象度を上げることで平和(涅槃、幸せ)が実現します。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11994979.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12168045.html

 

 

前置きが長くなってしまいましたが、「私の意見が絶対的に正しいというつもりはない」とお断りした上で、この前編では肯定的意見を述べます。さらに中編でケース(問題、課題)を明らかにしたうえで、後編でプラン(解決策)を提示したいと思います。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

 

シリーズ編の第一弾としてブログ連載中のディベート(トゥールミンロジック)の話題とも連動しながらまとめていきますので、リンク記事と合わせてお読みください。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

 

それでは、まずは肯定的意見から。

 

私は政治家が一番やってはいけないことは、「嘘をつくこと」だと思っています。

 

間接民主主義において、国民(県民、市町村民)は自分の代理を選挙で選びます。国民(県民、市町村民)の代理である政治家は、(選挙前だけに限らず常に)自分の価値感(ブリーフシステム)や公約(目標、ゴール)を明示する必要があります。変更する場合には、自ら率先してその理由を丁寧に説明するべきです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

マスメディアによる健全な監視により、「表の発言と本心が一致しているのか」「発言と行動が一致しているのか」を国民がチェックし、次の投票行動に反映させます。

 

ところが、政治家に嘘があり、マスメディアによってその嘘が暴かれることがなければ、権力の腐敗は加速し、民主主義は崩壊することになります。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10691562.html

国民がもっとも警戒しなければならないのは、権力者の偽善です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6681205.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6681282.html

 

私には、決して少なくない数の政治家の方々が偽善と感じられます。その点、麻生財務相の発言にはうしろめたさがありません。

いくつか御紹介します。

 

 

「(終末期医療について)さっさと死ねるようにしてもらうとか、考えないといけない」

「(延命治療について)その金が政府のお金でやってもらっているなんて思うと、ますます寝覚めが悪い」

20131月 社会保障国民会議にて 

 

「憲法はある日気づいたらワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」

20137月 国家基本問題研究会にて 

 

90(歳)になって老後が心配とか、訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていたけど、『お前いつまで生きているつもりだ』と思いながら見ていました」

20166月 北海道小樽市で開催された自民党支部大会での講演にて 

 

「(政治家は)結果が大事なんですよ。いくら動機が正しくても何百万人殺しちゃったヒトラーは、やっぱりいくら動機が正しくてもダメなんですよ」

20178月 横浜市内で開催された自民党・麻生派の研修会にて 

 

 「(福田淳一前財務事務次官のセクハラ問題について)セクハラ罪っていう罪はない」「殺人とか強制わいせつとは違う」

20185月 外遊先の記者会見にて 

 

「(森友学園をめぐる財務省の公文書改ざんについて問われ)どの組織だってありえる話だ。会社だってどこだって、ああいうことをやろうと思えば個人の問題でしょうから」

20185月 外遊先の記者経験にて 

 

 

いかがですか?

きっと本心を隠さず、思ったとおりのことを口にされているのではないかと思います。

 

 「不摂生が理由で病気になった人の医療費を健康のために努力している人が負担するのは『あほらしい』」という発言に「いいことを言う」と同調されたことについて、「国民をだまそうとしていない」という点において、私は肯定的に受け止めています。

 

 

 しかし、厚労省を抑える財務省のトップ、そして副総理としての立場をふまえた上で考察を続けると、解決するべき課題が浮かび上がります。

(中編につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

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-追記-

 もう一つ、麻生財務相の発言を御紹介します。

 

 「(地方の医師確保について問われ)はっきり言って、医者は社会的常識がかなり欠落している人が多い」

200811月 全国知事会議にて 

 

 

 嘘をついてはいけないのは、政治家ばかりではありません。

 せめてリーダーの立場にある方々は、本心を隠して嘘をつき続けることはやめていただきたいと願います。因果応報の「果」や「報」が“自分”だけにとどまらないからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12645423.html

 

 チーム医療において医師がリーダーなのは間違いありません。

私が知る限り「医者は社会的常識がかなり欠落している人が多い」ことはありませんが、私はむしろ社会的常識に縛られない“Not Normal”な医療従事者が増えている未来を強くイメージしながら、コーチングを“いのちの現場”に届ける活動を行っています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 


ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-17ディベートを制する4つのポイント-4 <ソルベンシー>

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

17:ディベートを制する4つのポイント-4 <ソルベンシー>

 

「ソルベンシー」は、このプランサイド(有効性)がケースサイド(必要性)に対して解決能力があるかどうかということです。別名「ミート・ニード」といいますが、解決策が必要性とあっているかどうかということをいいます。

例えば、「多機能ペンを贈っても(その学生は喜ぶが)看護師不足という問題は解決しない」という反論です。

 

 

極論すれば、ディベートとは、「ハーム」「インヘレンシー」「ディスアドバンテージ」「ソルベンシー」の4つのポイントの戦いであるといえます。

 

この4つのポイントにおいて、それぞれが論陣を張って戦うのがディベート(トゥールミンロジック)です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

 

戦いと表現していますが、勝負に勝つことが目的ではありません。あくまで論理的思考によりスコトーマを外し、不完全性が前提であることは十分理解しながら、最適解を導くことが目的です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

議論とは、参加者全員がお互いのスコトーマを外しあい、個人では気づかなかった問題点や解決策を見つけ、問題(課題)をどんどん解決していくことを目的として行うものです。決して誹謗中傷を行い、優劣を決めて順位づけをするためのものではありません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

さらには、議論に参加する全員がますます幸せになり、地域社会が、未来が、よりよいものになることが目的(ゴール)です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

その先にある究極の(議論の)目的とは、「抽象度を上げる」こと。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

抽象度を上げ続けた先には、きっと“無敵”が待っています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

一人また一人と“無敵”に到達し、人類のすべてが“無敵”に達したときには、真の平和が達成されているはずです。議論は個人の情動処理や序列づけのためにあるのではないという事実を、より多くの方々に共有していただくことを願っています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12168045.html

 

 

次回は、ちょっと専門的な話になりますが、反論のための戦略を簡潔に説明いたします。

 

-参考-

苫米地英人博士著「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-16ディベートを制する4つのポイント-3 <ディスアドバンテージ>

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

16:ディベートを制する4つのポイント-3 <ディスアドバンテージ>

 

次に「プランサイド」です。

 

有効性に対する反論にも2つあり、「ディスアドバンテージ(不利益)」と「ソルベンシー(解決性)」と呼びます。

 

ソルベンシーについてはインヘレンシー(内因性)とワンセットでケースサイド(必要性)として扱うこともできます。

 

ディスアドバンテージは、クレーム(主張)に対して、そのプランだと大きなディスアドバンテージが生じると攻撃することです。つまり、プランを実行しないほうが、最終的にアドバンテージ(利益)が大きいと証明すること

 

今回のケースでは、「多機能ペンを贈る」という提案に対して、「しかし、多機能ペンを贈ったら、もらえなかった学生の不満が爆発し集団ボイコットがおきる」と反論したとします。

肯定側がケースサイドで勝ったとしても、「多機能ペンを贈らなかったら、学生のモチベーションが下がる」というハーム(問題)と「集団ボイコットにより地域の看護師不足に拍車がかかる」というハーム(問題)のぶつかり合いになります。

 

つまり、「あなたはそれをしないとこんなに大変なことが起こるというが、それをしたらもっと大変なことになる。だから、それはするべきではない」と反論するのが、ディスアドバンテージによる反論です。

相手のプランを実行すると不利益のほうが大きいからダメだという反論をするということです。

 

-参考-

苫米地英人博士著「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-15ディベートを制する4つのポイント-2 <インヘレンシー>

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

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15:ディベートを制する4つのポイント-2 <インヘレンシー>

 

インヘレンシーというのは、ハームの内因性の論理です。

 

否定する側から見た場合、そもそもハームが「現状(Status Quo)」に内因的であるのかどうか、したがってそもそも論題を採択することでのみハームは解決するのかということを指します。

 

「現状」が肯定側のプランなしでもハーム(問題)を解決することができるのであれば、肯定側のプランはいらないという論理でもあります。もしくは、「現状」を維持すれば問題が修復されるのであれば、そんなものはハームではないという論理です。

 

逆に、肯定側から見れば、「現状」に内因的であるならば、これは放っておいても直らない。それなら肯定側のプランを採択しなければならないという論理です。

 

よって、インヘレンシーは、ハームの本質的な原因は何かという議論といえます。

 

今回のケースでは、「学生のモチベーションを高めるために副賞(多機能ペン)が必要なのか?」「副賞を贈ったら看護師不足は防ぐことが(改善することが)できるのか?」という議論です。

 

「多機能ペンを贈る贈らないではなく、マインドについての知識が不足しているためにモチベーションがコントロールできていないことが問題の本質」かもしれません。あるいは、「マインドについて学び実践するコーチングを導入することで、より効率的に地域の医療を改善できる」かもしれません。

 

 

具体的には、「構造性インヘレンシー」「行動性インヘレンシー」「実存性インヘレンシー」の3種類があります。以下、参考としている苫米地博士の「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO)から引用します。

 

 

「構造性インヘレンシー(Structural Inherency)」とは、法律、条約、判例、閣議決定、省令その他の法もしくは法に順ずる「障害(Barrier)」があり、現状では肯定側のプランを採択しようがないという論理です。サブタイプとして、「構造ギャップインヘレンシー(Structural gap Inherency)」があります。これは法的な阻害要因ではないのだけど、過去の立法の不備などで、そのままでは現状の中で肯定側のプランを採用しようがない場合の例です。

 

「行動性インヘレンシー(Attitudinal Inherency)」とは、政権の思想や主義などにより、現状では肯定側のプランは採択されることはないという論理です。Attitudeは「態度」ですが行動性と訳すほうが五感としてあっています。

 

「実存性インヘレンシー(Existential Inherency)」とは、なんらかの問題(ハーム)が現実問題として現状に継続しているというハームの実存性から、放っておいても問題解決は現状ではあり得ないという論理です。

つまり、もしハームが実際に存在しているのに、現状で肯定側のプランがすでに実行されていないということは、何か見えない要因が肯定側のプランの採択を阻害しているに違いないという論理といえます。

 

 

このように肯定側のプランを採択する以外の方法では、ハームを解決することができないという論理がインヘレンシーの論理です。

 

今回のケースでは、肯定側はプラン(多機能ペンを贈る)のみが唯一ハームを解決することができるのであり、現状には解決能力がないと示す義務があります。

 

これに対して否定側は、現状に阻害要因があるかを問う、インヘレンシーそのものを攻撃するのでなく、肯定側の提案した方法以外にもハームを解決する方法はあるのだと積極的に提案することもできます。これをカウンタープランといいます。

例えば、「これを機会にディベートやコーチングをみんなで学んでいけば、よりよい解決策をどんどん見つけることで、もっと進化・向上できる」です。

 

その場合、否定側のプランのほうが優れていれば、肯定側の敗北になります。

 

-参考-

苫米地英人博士著「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-14ディベートを制する4つのポイント-1 <ハーム>

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

14:ディベートを制する4つのポイント-1 <ハーム>

 

とるべき行動の有効性の議論には、ケースサイドとプランサイドの二つがあることを説明しました。この二つのサイドの違いにより反論の仕方も違ってきます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

 

ケースサイド、すなわち必要性に対する反論にはハーム(問題性)とインヘレンシー(内因性)への攻撃という二つがあります。

 

「ハーム」というのは、そのプランを実行しないとどの程度の影響がでるのかということ。重要性が大きいほど、そのプランをより実行すべきだということになります。

ハームとは異なった意味合いでアドバンテージ(利益)と呼ぶこともあります。

 

このハームまたはアドバンテージの大きさを攻撃することになります。ちなみに、ハームやアドバンテージの大きさのことをシグニフィカンス(重要性)とよびます。

 

 それでは、S-01-09http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12340209.html)でも取り上げた「優秀な成績で卒業する看護学生に対して、医師会長賞(の副賞)として4000円ほどの多機能ペンを贈る」という具体的な論題で考えてみましょう。

 (簡単な論題と感じるかもしれませんが、私が参加した委員会ではこんなシンプルな論題でさえスムーズに議論することができませんでした)

 

 

<例> ハーム(問題点):主張される行動の不実行に伴う悪影響この論題では「多機能ペンを贈らなかったとしたら~」

 

「学生のモチベーションが下がる」

「看護師希望者が減り、地域の看護師不足に拍車がかかる」

「不公平感、理不尽感から雰囲気が悪くなる」

「失望してメンタル不調に陥る」etc.

 

 

<例>アドバンテージ(利益):主張される行動の実行に伴う好影響この論題では「多機能ペンを贈ったとしたら~」

 

「学生のモチベーションが上がる」

「看護師希望者の減少を防ぎ、看護師不足を食い止めることができる」

「競争意識から全体のレベルが上がる」etc.

 

 

このとき「モチベーションが下がる」や「雰囲気が悪くなる」というハーム(問題点)のシグニフィカンス(重要性)に対して攻撃を加える選択があります。「重要性がないのだから、やる必要はないじゃないか」という感じです。

 

次に解説するプランサイド(有効性)の話とつながりますが、ハームのシグニフィカンスが低いと「多機能ペンを贈ったら雰囲気は良くなるかもしれないが、それ以上に深刻な問題が生じる」というディスアドバンテージ(不利益)による攻撃に負けてしまう可能性があります。

 

主張する側は、主張の際にハームのシグニフィカンスを十分高めておく必要があります。逆に攻撃側はシグニフィカンスが低いとみたら、そこを攻撃して、プランサイドのディスアドバンテージにつなげるという反論に持っていきます。

 

このケースでは「(副賞で)多機能ペンを贈る」ということが、地域医療の未来にとってどれだけ重要であるか(シグニフィカンスが高いか)が問われます。

 

-参考-

苫米地英人博士著「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO

 

(つづく)

 

 

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-追記-

多機能ペン一つのことで大げさに感じられるかもしれませんが、私の属する地区医師会では医療従事者の確保が喫緊の課題で、このままでは本当に地域医療が崩壊してしまいかねません。関係者はみんな、危機感をもって真摯に取り組んでいます。

コーチングの知識とスキルは、生老病死の四苦に苦しむ患者さんを救う福音となりますが、医療・福祉従事者自身にとっても大きな救いとなります。「だから、“いのちの現場”にコーチングをしっかりと届けたい」と願いながら、私は活動を続けています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166400.html

 

 


ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-13「問題解決力」の強度を測る2つの基準

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

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I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

13:「問題解決力」の強度を測る2つの基準

 

ある論題に対してその行動をとるべきであると判断されるためには、通常、2つのことが必要になります。

その2つとは「ケースサイド」と「プランサイド」、「問題を見つけること」と「問題を解決すること」です。

 

ケースサイドとはニーズ、すなわち必要性のこと。

ある問題があったとき、「その問題がいかに大きいか」、「どれほど行動の必要性があるか」ということです。

 

プランサイドとはその行動(プランを実行すること)の有効性のこと。

その行動をすることで、「ニーズ、すなわちケースサイドがきちんと解決するのかどうか」ということです。

 

このケースサイドとプランサイドのふたつの側面において必要性、有効性を示すこと、それが「立論」と呼ばれるものになります。コンストラクティブスピーチともいいます。

 

現実世界ではケースだけ叫ばれることがとても多く、「問題だ!問題だ!!」だけで解決策がないことがほとんどです。プランがなければ、本来はケースを叫んではならないのですが、国会でも、身近な会議・会合でもプランなきケースばかりが目立ちます。

 

ちなみに私は、院長として11年間勤めた病院において、ケース(課題)に対するプラン(解決策)として「コーチングの導入」を提案しました。そして、プレゼン後に理事長の了承を得て実行しました。

 

そのプランとしての「コーチング」を全否定するのは経営サイドの自由だと今でも思っていますが、全否定のプロセスで議論がまったくなく、コーチングに代わるプランの提示がなかったことには失望しました。ましてや最終決定者である理事長が何も御存じなかったのですから、驚きを通り越してあきれてしまいました。

その詳細や私が得た気づきについては、「The Power of Mind Ⅰ」第六章にまとめます。
 
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/15110477.html

 

 

「プランがなくケースだけ」の問題点はコーチングとも大いに関係します。ケースだけでは「現状肯定」になってしまう可能性があるのです。

 

現状(SQStatus Quo、ステイタス・クオ)の外にある未来(プラン)に、より強い臨場感を感じることで、コンフォートゾーン(CZ)を動かすことが可能となります。CZを動かせてはじめて、進化・向上が実現します。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

その未来(プラン)が「ゴール」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

-参考-

苫米地英人博士著「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-12三段論法がダメな理由

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

12:三段論法がダメな理由

 

今回は三段論法についてです。

 

三段論法とは、アリストテレスが提唱したとされる「pならばqqならばr。ゆえにpならばrである」という論理の法則です。例えば、「すべての人間は死すべきものである。ソクラテスは人間である。ゆえにソクラテスは死すべきものである」という論理です。

 

これに対して、トゥールミンは「例外のない法則はない」と主張し、三段論法の前提条件に100%はあり得ず、必ずある一定の確率(Q理論)が存在するとしました。

「人間は死すべきものである」「ソクラテスは人間である」という条件も、じつは100%とはいえません。医学・医療の発展は不老不死を実現するかもしれません。そのとき、不死の人間は人間ではないということになってしまいます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12507563.html

 

さらに、「aならばbbならばccならばd……yならばz」という長い論理チェーンができあがったとき、現実世界において「aならばz」になる可能性はきわめて低いといえます。

例えば、1cm上から落としたボールの落下位置はほぼ正確に予測できますが、「1cm上。さらに1cm」が積み重なった、東京タワー程の高さから落としたボールの落下地点は絶対に予測できません。

 

長い論理チェーンの間に不完全性定理/不確定性原理が働くからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

アリストテレスの三段論法は、人間の思考空間の中にしか存在しません。現実の世界に存在する論理はトゥールミンロジックのように非形式的なものです。

それが通常の人間の論理であり、現代分析哲学で非単調論理として形式化されたロジックです。

 

 

 ここまで、ディベートの基本とその重要性を説明いたしました。

 それでは、そのトゥールミンロジックを用いて、実践的に(抽象度を下げて)考察していきましょう。

 

-参考-

苫米地英人博士著「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 


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