苫米地式コーチング認定コーチ CoacH T <タケハラクニオ> ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学び九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

タグ:アインシュタイン

ブログ・シリーズ編

S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~

S-02-11:アインシュタインの“直観”の源

 

 「マナー」「ルール」「モラル」は(議論を通じて出来上がった)誰もがよりよく生きるための約束事のはずですが、一方でお互いの自由を奪い合う装置として働きます。

ただし、その3つには明確な違いがありそうです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 

 このシリーズ編第2弾(S-02)では、自由に生きることをテーマに、マナーやルール、モラルについて考察します。ぜひ皆さん自身の自由について思いめぐらしながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-030):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17320680.html

 S-02-00(目次):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

 

 

「ルール」を守ることはなによりも優先されるべきことなのでしょうか?

もし「ルール」が守れなかった場合、罰を受けさえすればよいのでしょうか?

人の命を奪った人も、その刑期を全うすれば完全に許されるのでしょうか?

 

 

わたしが戦争に反対するのは、直観的な感情による。

わたしは人間を殺すことがたまらなくいやなのだ。

わたしのそうした姿勢は論理的なものではなく、

あらゆる残虐行為と憎悪に対する直観的な反発によるものだ。

 

アルバート・アインシュタイン                

 

 

前回まで「マナー」と「ルール」について考察しました。

 

マナーとは「他者を気遣う」気持ちの表れであり“自主規制”。そして、言語により具体的にし、かつ、“自主”を取り除いた“規制”がルールでした。マナーもルールもシステム(あるいは社会)を成り立たせるために存在しています。

 

ルールは言語により具体化(あるいは明文化)されたものですから、その存在は論理空間にあります。脳機能でいうと前頭前野背外側野の働きです。

感情を司るのは大脳辺縁系です。それは魚類や爬虫類にもみられる、より原始的な脳の働きです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

アインシュタインが述べた「直観的な感情」「直観的な反発」は、大脳辺縁系的な感情や反発ではないはずです。なぜなら、原始的な感情だけでは「人間を殺すことがたまらなくいや」という思考は生まれず、「残虐行為」という概念はもちろんのこと、「憎悪」という情動自体が認識できないはずだからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

アインシュタインの「直観的な感情」「直観的な反発」は、脳幹部や大脳辺縁系処理の話ではありません。大脳辺縁系どころか、「人間を殺すことは良いことか悪いことか?」「どこからが残虐行為か?」「憎悪とは何か?」といった論理的な議論(ディベート)を前頭前野背外側部で徹底的に行うことまでも超越して“直観的”に拒絶しています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

 

このアインシュタインの“直観”は、論理空間をはるかに超えた空間(次元)へのアクセスにより生まれました。そこは“ひらめき”が生まれる超次元

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html

 

そのアクセスを可能とするのは、前頭前野内側部の活性化(発火)です。

脳幹・大脳辺縁系の活性化は「情動(感情)」。前頭前野背外側部の活性化は「論理」。そして、前頭前野内側部の活性化が「社会的情動」または「感性」。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14107083.html

 

「情動(感情)」→「論理」→「社会的情動(感性)」という変化は、生命の進化そのものです。そして、それは抽象度が低い次元から高い次元への飛翔でもあります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

前頭前野が発達した人類は、論理空間、そして超論理の空間へのアクセスが可能となり、他の生物とはまったく異なる存在に進化しました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html

 

 (S-02-12につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-関連記事-

シリーズ編第一弾(S-01)「よりよい“議論”のために」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

 PM-06-12:仮説07) 思考停止

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14120540.html

 

 

アインシュタイン&オッペンハイマー(Wiki)

アルベルト・アインシュタイン博士(&ロバート・オッペンハイマー)

Wikipediaより引用

 


PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-20:仮説13-3)宗教の限界 -後編-

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

仮説13-3)宗教の限界 -後編-

 

アインシュタイン博士とゲーデルの二人は敬虔なユダヤ教徒でした。御承知のとおりユダヤ・キリスト教は一神教であり、「全知全能の存在」を前提としています。

 

 

ゲーデルは天才ゆえに、自分が証明してしまった「自然数論における不完全性」が、将来、絶対神の存在を否定してしまうであろうことに気づいたのだと思います。

絶対神の存在を信じるユダヤ教徒としての自我と、結果的に神を否定してしまう科学者としての自我の、決して埋まらないギャップに苦しむことで徐々に精神が蝕まれていったと考えられます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

事実、ゲーデルは、神の存在を証明することに人生の後半を捧げました。そうして完成した神の存在を証明する論文を最後まで公表しなかったのは、科学者としてのプライドが許さなかったからだと推測できます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040752.html

 

ゲーデルは科学的真実を探求する科学者としての姿勢を貫きながら、どうしても「宗教」というゲシュタルトを超越することができなかったのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

 

アインシュタイン博士も同様です。

量子論の世界は1036mの極小の世界です。そこでは存在は確定的なものではなく、確率的なものにしかすぎません。

 

すべての最初に絶対神の存在があると考える一神教の世界を信じて疑わないアインシュタイン博士にとって、その事実は受け入れられないことでした。

つまり、アインシュタイン博士も「宗教」というゲシュタルトを超えることができなかったのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

 

 

我々の直面する重要な問題は、その問題が生じたのと同じ考えのレベルでは解決することができない

We cant solve problems by using the same kind of thinking we used when we created them.

 

 

 これは第四章で紹介したアインシュタイン博士の言葉ですが、皮肉にも「宗教という考えのレベル」を超えられないために量子論を受け入れることができなかった博士の晩年の姿が、この言葉の重要性を証明しています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8749123.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8900535.html

 

 

これからの医療は物理空間に近い抽象度での働きかけとともに、情報空間での働きかけ(内部表現の書き換え)がますます求められるようになります。よって、「禅道場を持つことが21世紀の医療の象徴になる」ことは間違いではありません。

 

しかし、「宗教」という言葉にとらわれると、言い換えると「唯一絶対のモノサシが存在するという幻想」にとらわれてしまうと、私たちはゲーデルやアインシュタイン博士と同じ轍を踏むことになってしまいます。

 

21世紀に生きる私たちには、不完全性を受け入れ、より高い抽象度で思考することが求められています。それは縁起の理解であり、中観の実践です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 

では、「宗教」を超えた世界とはどんな世界なのでしょうか?

 

 

私は、その世界を表現する言葉は「哲学」だと考えます。

 

アインシュタイン博士の言葉中にある誤りとは「宗教」という表現です。私は「宗教」を「哲学」に置き換えます。アインシュタイン博士が21世紀に生きる私たちに残した宿題に対しての私の回答です。

 

 

哲学なき科学は不具合であり、科学なき哲学は盲目である

Science without philosophy is lamephilosophy without science is blind.

 

 

 繰り返しますが、21世紀に生きる私たちは、不完全性を受け入れ、より高い抽象度で思考することが求められています。そして、その思考を続けることも。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14120540.html

 

 

<仮説13:不完全性定理の証明により宗教の限界が明らかとなった現代は、「唯一絶対のモノサシが存在するという幻想」を捨てて哲学的思考を続けることが求められている>

 

<トゥイーキング13:哲学的思考と科学的思考の両立を目指す>

 

    不完全性定理が証明された現代においては、「唯一絶対のモノサシが存在するという幻想」を捨て、より高い抽象度で哲学的思考を行うことが求められている

    その一方で、抽象度の低い物理次元へ向かう科学的(工学的)思考はますます重要となり、その両立こそがポイントとなる

    医療でいえば、物理空間に近い抽象度での働きかけとともに、情報空間での働きかけ(内部表現の書き換え)がますます求められるようになる

 

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

 アインシュタイン博士とボーアの量子力学の解釈に関する論争は、存在に関する哲学的信念の違いとみることができます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 その違いは二人の発言にあらわれています。

 

 「我々が科学と呼ぶものの唯一の目的は、存在するものの性質を明らかにすることである」というアインシュタイン博士に対して、ボーアの立場は「量子の世界というものはない。あるのは抽象的な量子力学の記述だけである。物理学の仕事を自然を見いだすことだと考えるのは間違いである。物理学は自然について何が言えるかに関するものである」です。

 

 アインシュタイン博士とボーアの違いは、西洋医学と東洋医学の違いにも当てはまります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13958654.html

 

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7554690.html

 

ニールス・ボーア(Wikipediaより)

ニールス・ボーア

Wikipediaより引用

 


PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-19:仮説13-2)宗教の限界 -中編-

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

仮説13-2)宗教の限界 -中編-

 

すべての階層にまたがって同時に存在している生命(現象)とは情報(処理)であり、その情報(内部表現)を書き換えることにより心身の変化を引き起こせるからです。そして、それは、宗教の本質も「内部表現の書き換え」であることを示唆しています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542426.html

 

つまり、医療と宗教のLUBとして、ひとつ上の抽象度に「内部表現の書き換え」があるということ。LUBLeast Upper Bound)は最小上界と訳される概念で、最小公倍数のようなものです。

 

その「内部表現の書き換え」のことを、状況によりコーチングといったり、ヒーリングと呼んだりします。気功や加持など宗教をベースとする技法も全部「内部表現の書き換え」です。

 

 そのように考えると、アインシュタイン博士の言葉には間違いがあることがわかります。21世紀に生きる私たちは、まず宗教というゲシュタルトを越えなければならないのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

 

そもそも「宗教」の定義は難しく、Wikipediaにも「宗教の定義は宗教学者の数ほどもある」と記載されています。広辞苑には「神または何らかの超越的絶対者、あるいは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰・行事。また、それらの連関的体系」と記載されています。

 

ほぼ間違いなく、西洋的な「宗教」の定義においては「絶対神」つまり「全知全能の存在」が前提になっているようですので、ここでは「宗教」を「“絶対”の存在を信じること」と扱います。

 

第二章の「不完全性定理」でクルト・ゲーデル(19061978年)について触れましたが、アインシュタイン博士とゲーデルには共通点があります。二人とも知の世界でパラダイムシフトを起こした大天才であることと晩年には精神的に苦しんだことです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

アンシュタイン博士は、量子論に対して懐疑的で「神はサイコロを振らない」という言葉を残しました。しかし、現代の物理学はアインシュタイン博士が間違っていたことを明らかにしています。

ひょっとしたらアインシュタイン博士は量子論に対する自分の考えが間違っていること(量子論が正しいこと)に気づいていたのかもしれません。量子論の中心人物 ニールス・ボーア(18851962年)と敵対的に対立することはなく、ボーアの弟子であるヴェルナー・ハイゼンベルク(19011976年)やシュレーディンガー方程式などで量子力学の確立に貢献したエルヴィン・シュレーディンガー(18871961年)をノーベル賞に推薦しています。

しかし、公には最後まで懐疑的な姿勢を崩しませんでした。

 

アインシュタイン博士は、晩年、若き数学者クルト・ゲーデルとの散歩をとても楽しみにしていたそうです。「ゲーデル解」という一般相対性理論のアインシュタイン方程式の厳密解があることからもわかるように、二人には交流がありました。

 

そのゲーデルは徐々に精神を病んでいきました。毒殺されることを怖れ、妻アデルが作った食事以外は、自分が作ったものでさえ口にしなくなりました。夏でも冬服を着込み、毒ガスを怖れて真冬でも窓を開け放っていたそうです。

人前に出ることはなく、自宅にこもって哲学と論理学の研究を続けていましたが、最終的には妻が入院している間に飢餓状態となり死亡しました。その時71歳、体重は65ポンド(約29.5kg)しかなかったそうです。

 

ゲーデルは、死の数年前、「ゲーデルの神の存在証明」として知られる論文を知人に配布したそうです。しかし、彼は生前にその論文を公表することはありませんでした。論文はゲーデルが没してから9年後の1987年に初めて公開されました。

 

アインシュタイン博士とゲーデルこの二人は敬虔なユダヤ教徒でした。御承知のとおりユダヤ・キリスト教は一神教であり、「全知全能の存在」を前提としています。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

 量子論を否定する「神はサイコロを振らない」というアインシュタイン博士の言葉に対して、理論物理学者 スティーヴン・ホーキング博士(19422018年)は「神はサイコロを振るだけではない。サイコロを見えない場所まで放り投げることもある」と発言しています。

 

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7554690.html

 

 

クルト・ゲーデル(Wikipedia)

クルト・ゲーデル
Wikipediaより引用




PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-18:仮説13-1)宗教の限界 -前編-

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

仮説13-1)宗教の限界 -前編-

 

 強く反対されることを想定し、PX2導入のための準備はかなり入念に行いました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628746.html

 

理事長や各施設の責任者が集まる会議の場でPX2についての説明(ケース&プランの提示)をしているとき、ちょっとおもしろいことがありました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

 

 ひととおり説明を終えて意見を求めると、理事長が真っ先に口を開き、「それは宗教じゃないのか? 宗教はちょっと嫌だな~」と発言されました。最初は、禅宗以外の宗教は認めないという趣旨だと思いましたが、どうも宗教自体を否定しているようでした。

 

「禅道場を建て、毎朝禅を組む当人が宗教を否定するってどういうこと?」と心の中で軽くツッコミながら(笑)、PX2は宗教ではなく認知科学の結晶であることを説明しなおしました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11386276.html

 

最後には賛同していただき、理事長の決済で正式に法人へのPX2導入が決まりました。

 会議終了後も「僕は宗教は嫌でね~」と語る理事長と談笑しながら、私はこの章の冒頭で紹介したアインシュタイン博士の言葉について考えていました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13398543.html

 

 

宗教なき科学は不具合であり、科学なき宗教は盲目である

Science without religion is lamereligion without science is blind.

 

 

以前の私は「禅道場を持つことが21世紀の医療の象徴になる」と信じていました。医療を科学的な側面と宗教的な側面の両方から探求し続け、いつか統合してみたいと思っていました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628437.html

 

私が医師を志すきっかけとなった「加持でがんが消せる理由」を明らかにするためにも。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6854577.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7031387.html

 

認知科学者 苫米地英人博士に学ぶことでそれまでの宇宙に抽象度という軸が加わった現在の私は、医療の本質は「内部表現の書き換え」であることを確信しています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

すべての階層にまたがって同時に存在している生命(現象)とは情報(処理)であり、その情報(内部表現)を書き換えることにより心身の変化を引き起こせるからです。そして、それは、宗教の本質も「内部表現の書き換え」であることを示唆しています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542426.html

 

つまり、医療と宗教のLUBとして、ひとつ上の抽象度に「内部表現の書き換え」があるということ。LUBLeast Upper Bound)は最小上界と訳される概念で、最小公倍数のようなものです。

 

その「内部表現の書き換え」のことを、状況によりコーチングといったり、ヒーリングと呼んだりします。気功や加持など宗教をベースとする技法も全部「内部表現の書き換え」です。

 

 そのように考えると、アインシュタイン博士の言葉には間違いがあることがわかります。21世紀に生きる私たちは、まず宗教というゲシュタルトを越えなければならないのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

 「内部表現の書き換え」のことを認知科学者 苫米地英人博士は「場の移動」とも表現されます。それを理論化したものが超情報場仮説です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165789.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165823.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306380.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306438.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5445932.html

 

 もちろんそれは宗教とは全く異なるものです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7554690.html

 

 

-関連記事:Q-064~認知的不協和と頭痛(ヒーリングとコーチングの関係)-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292583.html

 

 

アルベルト・アインシュタイン(Wikipediaより)

アルベルト・アインシュタイン博士

Wikipediaより引用


PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-02:禅道場をもつ病院

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

禅道場をもつ病院

 

私は、2018年春まで、鹿児島県の病院で内科医として働いていました。病院のほかにも介護老人保健施設や特別養護老人ホームなどの関連施設があり、地域の医療・福祉を幅広く支える法人でした。

 

温泉施設も運営するエキセントリックな病院でしたが、その一番の特徴は敷地内に禅道場があることでした。以前の私は、「禅道場を持つことが21世紀の医療の象徴になる」と考えていました。

 

アルベルト・アインシュタイン博士(18791955年)の下記の言葉に共感していたからです。

 

 

宗教なき科学は不具合であり、科学なき宗教は盲目である

Science without religion is lamereligion without science is blind

 

 

もともと禅道場は、病院の開設者でもある先代院長の病気をきっかけに建立されました。おそらく、病の苦しみや死の恐怖から逃れるために必要だったのだと思います。
 2007年にその院長が急逝され、私が院長職を継ぎました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7556145.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7702279.html

 

 今思えば、経営陣は院長就任当初から、やがて時が来たら(用が済んだら)私を排除するつもりだったのかもしれません。前兆はたびたびありました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6681205.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6681282.html

 

 例えば、院長二年目の2008年頃にはこんなことがありました。

法人が所有する広大な森林を開拓して憩いの場を作り、「森林療法」を始めようというビッグプロジェクトが動き始めました。東京農業大学の准教授(当時)に指導していただきながら、看護・介護職はもちろん、事務職員から厨房職員まで全職種が参加して、自らの手で作業を行い「病院敷地内の森林を治療・療養の場にする」というものです。

 

しかし、“全職種”の中に医局は入っておらず、院長の私さえもそのプロジェクトの存在自体を知りませんでした。

 

 ある日、見知らぬ方々が、理事長とは別にいる経営者とその部下(“経営陣”)と歩いているところを目撃しました。登山家のような姿は明らかに病院には不釣り合いで違和感を覚えました。

近くのスタッフに「あの人たちは誰?」と質問すると、凍りついた表情で「えっ、院長は知らないんですか?東京農大の先生方ですよ」と教えてくれました。

その時初めて「森林療法」の存在を知りました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

院長に内緒のまま病院全体で取り組むビッグプロジェクトを推し進めようというのは、通常の組織ではありえない“not normal”な発想だと思います。

 

苫米地理論を学ぶ今は、トップダウンによる「have to」の押し付けではなく、ボトムアップでの「want to」の実現を推し進める文化は素晴らしいと思っています。

しかし、それを医局にはあえて教えないという思考と行動は、とても危険だと思いました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9815429.html

 

「森林療法」は主に認知症患者さんの症状軽減を目的として2009年から本格的に始まり、地域の方々にも開放されました。夏の暑さや冬の寒さにも負けずに行う週一回の活動は、今も続いているはずです。病院をあげたユニークな活動は評判となり、複数のメディアから取材を受けました。

 

余談ですが、そのマスコミ取材中、「ただでさえ忙しい医療現場で、なぜ診療報酬というインセンティブのない活動が続いているのですか?」と質問されたことがあります。

 

私の答えは「やりたいから」の一言でしたので、質問者は困惑した様子でした。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7554690.html

 

Albert_Einstein_Head(Wiki)

アルベルト・アインシュタイン博士

Wikipediaより引用

 


Q-016:霧島市教育講演会(180124 QA vol.2

 

 2018124日(水)に霧島市(鹿児島県)で開催された「第12回学校保健研究協議会」にていただいた御質問・御意見に回答いたします(個人が特定される恐れがある場合は表現を変えています)。

 

 講演後記載していただいたアンケートをいただきました。すみやかに対応してくださった事務局の先生方には、あらためてお礼申し上げます。ありがとうございます。

 

 アンケート冒頭での「内容はわかりやすかったですか?」という問いに対して、10段階の目盛りで評価していただきました。これは医療現場でも疼痛の評価等に使われる方法で、VAS(バス、Visual Analog Scale)と呼ばれます。

当日(180124)の講演評価は2から10まで幅広く分布し、平均では7.07でした。

 

 現実社会では、誰からも同じように最高の評価を得られることはなく、極端に評価が分かれることも少なくはありません。「ものすごくよかった」と思う人がいれば、「全然よくなかった。最悪ッ」と感じる人がいるように。

 

 その「評価が大きく分かれること」の最大の理由が、マインドでの情報処理にあります。

 

 自分自身の認識⇄理解⇄評価⇄判断という情報処理の特徴を知り、それを自由意志でアップデートしていけば、その結果、認識する世界(宇宙)そのものを自在に構築することができるようになります。

 

 講演では、その一つの方法としてコーチングが役にたつことをお伝えしました。

セルフコーチングももちろん有効ですが、コーチのサポートを得られれば、より早く、より強力に情報処理システムを変えていくことができます。

 

 コーチングの存在をぜひ知ってほしい

 しっかり学んで、身近な人たちにhappyをひろげてほしい

 そのためにもまずは自分自身のマインドに向き合い、未来側から自由に生きてほしい

そんなことを願いながら、話をさせていただきました。

 

 

 では、いただいた御意見・御質問に回答いたします。

 

・母として、一人の人間として、目の前のことが開けました。ありがたかった

(前略:後日回答します)先生の話にとても勇気づけられ、励まされました。(中略)希望をもっていきたいと思います

・すべてがよかった

・○○が○○○です。過去にとらわれていて、親も接し方に悩んでいたので、泣きそうでした。未来を信じて前に進みたいです

A:すべては双方向の縁起です(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)。私の思いや学んできた知識が皆さまの良い縁起になったのは間違いないと思いますが、「目の前のことが開けた」のも、「勇気づけられた」ことも、「泣きそうだった(感動した)」こともすべて、皆さん自身のマインド(脳と心)での情報処理の結果です。

 講演ではゴールやエフィカシーの大切さをお伝えしましたが、「前に進みたい」という思い(ゴール:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html)と「前に進むことができる」という確信(エフィカシー:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html)があれば、必ず道は開けていきます。スコトーマ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html)がはずれるからです。

 今まで“出し惜しみ”を続けてきた自分の中に眠る大いなる力を強く信じてください。繰り返しますが、必ず道は開けます。

 

 

・子供たちの心に火をつけるコーチングの話がどの話なのかよく分からなかった。先生方への話だったのか、難しい用語ばかりでした。保護者向けではない気がします

A:この世にアプリオリな「難しい用語」は存在しません。アプリオリとは「経験的認識に先立つ先天的、自明的な認識や概念」のことです。簡単にいうと、あなたに知識がなかったため「難しい用語」と感じられたということです。

 それは決して悪いことではなく、今まで知らなかった新たな世界の扉が開いたことを意味します。これを機にぜひコーチングや苫米地理論について学び始めてください。このブログは、その学びをサポートするために存在しています。

 

 

・宗教くさい

A:もう一件、同様の御意見をいただきました。ありがとうございます。

私は幼少の頃から真言密教のお寺に通っていました。そこでたくさんの奇跡を目の当たりにしてきました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6854577.html

 

 コーチングを受けたクライアントの中には、奇跡としか言いようがない体験をされる方々が少なからずいらっしゃいます。そんな奇跡体験者に必ず共通していることは、「(その実現を)強く信じている」「まったく疑っていない」ということです。

 「信じる者は救われる」という言葉があります。その言葉が事実であることは、すでに認知科学により明らかにされています。その知見をシンプルにまとめたものが、「夢をかなえる方程式 I×VR」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 「I×VR」どおりに“奇跡”を成し遂げた人々にとって、さらにその人たちを見守るコーチにとって、“奇跡”は起こるべくして起こっています。いわば「あたりまえ」です。

 そんな様子がさらにまわりを混乱させます。「宗教くさい」と敬遠するだけならいいのですが、中には誹謗中傷や嫌がらせを始める人もいらっしゃいます。ドリームキラーの暴徒化です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html

 

 御意見をいただいた方のブリーフシステムには、「宗教」に対してネガティブな何かが埋め込まれています。何らかの嫌な体験か情報の記憶があるはずです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

それは個人の価値観であり、本質的には自由であるべきことです。ただ、コーチとして一つだけアドバイスさせていただくと、そのブリーフシステムが巨大なスコトーマをうみだし続け、“奇跡”を引き起こす力の覚醒はますます遠ざかっていきます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

そのことを理解した上で、自分自身の生き方を選択してください。

 

なお、宗教については、「The Power of Mind Ⅰ」第六章において取り上げます。

私が院長として働く病院には禅道場があります。その存在は、私にとってはずっと希望でしたが、今では絶望の象徴に変わりました。

ドイツ生まれの理論物理学者 アルベルト・アインシュタイン(18791955年)の下記の言葉の考察と合わせ説明いたしますので、ぜひフォローしてください。

 

宗教なき科学は不具合であり、科学なき宗教は盲目である

Science without religion is lamereligion without science is blind.

By Albert Einstein

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

Albert_Einstein_Head(Wiki)
Wikipediaより引用


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