F-043:「感情労働」という問題とその解決のイメージ

 

ある日の昼下がり、妻と食事にでかけたときの出来事です。

 

料理の注文後しばらくして、店員さんが謝罪をしにやってきました。注文した品の一品が手違いで提供できないらしいのです。

 

「では、次に来た時に注文しますね」と笑顔で取り下げましたが、その時と料理を持ってきてくれた時、そして帰り際の計三回も謝罪をされました。「どうもすいませんでした」と深く頭を下げながら。

 

私には過剰な謝罪のように感じられました。そして、店員さんの心が無言で訴える「辛い」という叫びを聞いた気がしました。

 

have to」が店員さんの無意識に入り込んでいる

 

そう思った瞬間、「感情労働」という問題とその解決のイメージが浮かびました。

 

 

感情労働(Emotional Labor)とは、アメリカ合衆国の社会学者 アーリー・ラッセル・ホックシールド氏が提唱した働き方の概念です。「肉体労働」「頭脳労働」に続く第3の労働形態とされ、「感情の抑制や鈍麻、緊張、忍耐などを不可欠の職務要素とする労働」と定義されています(コトバンク)。

具体的には、旅客機の客室乗務員などの接客業、営業職、医療・介護職、教職などとされています。しかし、実質的にはすべての業種に当てはまるようです。

 

感情の鈍麻、緊張、忍耐などが「不可欠の職務要素」となってしまうのは、「相手(顧客)の精神を特別な状態に導くために自分の感情を誘発、または抑圧することが職務だから」とされています。

もっとはっきりと表現すれば、「顧客に対して自発的な喜びや親愛、誠実さ、責任感などのイメージを与えるように『心の商品化』が要求される」(Wikipedia)です。

 

つまり、「会社からの管理・指導のうえで、本来の感情を押し殺して業務を遂行することが求められる『精神と感情の協調が必要な労働』」が“感情労働”といえそうです。

 

Wikipediaには「相手に尊厳の無償の明け渡しを半ば強制される健全とは言いがたい精神的な主従関係や軽度の隷属関係の強要である」とあり、さらに「一般的な頭脳労働と比べ、人間の感情に労働の負荷が大きく作用し、労働が終了した後も達成感や充足感などが得られず、ほぼ連日、精神的な負担、重圧、ストレスを負わなければならないという点に感情労働の特徴がある」と記載されています。

その当然の結果として、感情労働による疲労や心の傷は回復しにくく、メンタルヘルスの不調を引き起こすことも少なくないようです。

 

疲労というと筋肉など体のダメージが原因と考える方が多いと思いますが、最近の研究により、身体の疲れはストレスによる脳内の自律神経中枢のダメージが原因であることがわかっています。

つまり、抽象度の高い情報空間に原因があり、それが疲労や病気となって表れているのです。当然、感情労働を継続する限り、ストレス状態は継続し、不調が続くことになります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306380.html

 

 モチベーションが「have to」の状態は、労働者の健康面だけでなく、経営的視点から考えても決していいものではありません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 前頭前野に対して扁桃体が優位になってしまうことで、本来の能力を発揮することができなくなり、より情動的になってしまいます。働く仲間の多くがそんな状態では、職場はますますギスギスしていくことでしょう。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9815429.html

 

 ギスギスしていった結果として人間関係がさらに悪化してしまうと、ますますIQが下がり、とんでもない言い訳や不適切な行動が蔓延するようになってしまいます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9188068.html

 

働く者にとっても、経営者にとっても、そしてサービスを受ける顧客にとっても、「lose-lose」の最悪の縁起であるというのが感情労働の実態です。

米ペンシルバニア州立大学の心理学者 アリシア・グランデ―氏は、「本来の感情を長期間にわたって抑える感情労働の強制は、労働者の精神や肉体に甚大な悪影響を及ぼす。企業はそうした人々をもっとサポートすべきであり、感情労働そのものが不当で禁止されるべきものである」と発言しています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

それなのになぜ、「本来の感情を押し殺して業務を遂行すること」がまかりとおるのでしょうか?

 

そんなことを思いながら調べていると、あるサイトでこんな文章を見つけました。

 

「体を使った作業を賃金に変える『肉体労働』、頭を使って創出したアイデアなどを賃金に変える『頭脳労働』に対して、『感情労働』とはその名のとおり、感情を抑えることで賃金を得ます。このように、対人の仕事につく多くが、決められた感情の管理を求められ、規範的な感情を商品価値として提供しているのです」

 

この文章には致命的な誤りが含まれています。人から幸せを奪う危険な思想がスコトーマに隠れてしまっています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

その誤った危険な思想とは、「お金のモノサシ」です。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8582928.html

 

「お金のモノサシ」を正しくコントロールすることができなければ、たとえ想像できないほどの大金を手に入れたとしても、「人生の満足度(life evaluation)」や「感情面での幸福度(emotional well-being)」は満たされません。それは米パデュー大学心理学部の研究により明らかにされています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8430748.html

 

 幸福度(well-being)というのは、WHOWorld Health Organization:世界保健機関)の健康の定義中にもでてくる言葉です。19467月に署名されたWHO憲章において、健康は次のように定義されています。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7859675.html
 

Health is a state of complete physical, mental, and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

 健康とは、身体的に、精神的に、そして社会的に、完全に幸福な状態(満たされた状態)であることであり、単に病気がないとか、弱っていないということではない

 

 「お金のモノサシ」を抱えたまま感情労働を続ける限り、つまり、「have to」で生きる限り、健康からはますます遠ざかり、どんどん不幸になっていきます。

 繰り返しになりますが、心の問題(バグ)はやがて物理的な身体にもあらわれてきます。心の傷が脳の傷となってしまうことは、最新の医学研究がどんどん明らかにしている事実です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10114934.html

 

 

 問題の本質は、「感情労働」という概念を生みだし、いまだに存在し続けることを許容する社会のシステムにあります。

 そして、そのシステムは、人間の認識により生みだされ、現状維持を是とするマインドのメカニズムによりコンフォートゾーンとして強力に保たれています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

 その問題を解決するイメージとは、コーチングが世界中に広がり、あたりまえとなった世界です。みんなが自身のゴールを自分自身で決めることができ、お互いのゴールを尊重できる未来です。

 

 そんな世界(未来)は、今この瞬間の、一人ひとりのゴール設定からはじまります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 

Goal comes firstreality is second.

By Lou Tice

 

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記1

 今回はフリーテーマの記事を「感情労働」をテーマにつないでみました。私なりの「Connecting the dots」です。ぜひ、リンクを張っている記事も読みなおしてみてください。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

 

より大きなゲシュタルトができることで、新たな“化学反応”が起こるかもしれません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

-追記2

WHOの健康の定義は、1998年に以下のような新しい提案がなされ、WHO執行理事会で採択されています(ただし、その後のWHO総会では採択が見送られているそうです)。

 

 Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual, and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

 

 いずれにせよ、WHOの健康の定義には無理があります。

 ぜひ、自分自身の“健康”について定義してください。それは健康というカテゴリーのゴール設定を行うことにもなります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124524.html

 

 

WHO 健康の定義