苫米地式コーチング認定コーチ CoacH T <タケハラクニオ> ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学び九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

カテゴリ:F:フリーテーマ > F-163~ antiからwith、そしてwellへ

F-163:アンチ(anti)からウィズ(with)、そしてウェル(well)へ vol.1「生」;好きなことだけやる

 

 最近、「生命は老いるようにはできていない」「老いは治療できる病気である」「もはや老いを恐れる必要はない」と主張(claim)する衝撃的な本を読みました。

読後に医師&コーチとして考えたことをまとめます。

vol.1「生」;好きなことだけやる

 

 

 前回までのブログ記事(フリーテーマ)は、心の若さ(青春)に焦点をあて、「心の若さと体の関係」に言及する先人の言葉を紹介しました。

 F-160~:コーチの視点で考察する“青春” ~心の若さと体の関係~

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_405497.html

 

最後に御紹介したのはサミュエル・ウルマン。代表的な「青春(Youth)」の中には、「人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる」「自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる」「希望ある限り人間は若く、失望とともに老いる」という一節があります。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24205164.html

 

 「信念・疑念」「自信・恐怖」「希望・失望」というのは、物理的実体ではなく、情報空間上の概念です。つまり、その正体はマインドでの情報処理 すべて心次第です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516539.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654230.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654316.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831442.html

 

 「心の状態が体に強い影響を与える」というのは、医学的に明らかになっています。

 (↑この表現は正確ではありません。詳しくはこちら↓)

 Q-064~:認知的不協和の状態にあり頭痛が続いています。適切なアファメーション、ビジュアライゼーションはどうすればよいでしょうか?

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_292583.html

 

 例えば、虐待(マルトリートメント)を受けた子どもは、脳の構造や機能に変化が生じることが明らかになっています↓

 F-037:「もうおねがい ゆるしてください」~心の傷はやがて脳の傷になってしまうという科学的事実~

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10114934.html

 

 さらには、心の傷(トラウマ)は脳の傷となって当人を苦しめるだけでなく、次世代にも受け継がれる「負の遺産」となってしまう可能性が指摘されています↓

 F-059~:虐待で残る「分子の傷跡」

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/13523096.html

 

今年(2020年)、「暴力や心的外傷を経験した子どもは加齢が早い」という米ハーバード大学の研究結果が報道されました(The Guardian2020810日配信)。

記事によると、染色体の末端部を保護するテロメアの短縮やメチル基のDNAへの蓄積といった“老化マーカー”を測定したところ、暴力や心的外傷を経験した子どもは実年齢よりも数カ月から数年は“老化”が進行しているという事実(data)が明らかになったそうです。

「暴力は物理空間、心的外傷は情報空間が主」という違いはありますが、いずれにせよそれらは心身双方に傷をつけてしまいます。そして、その傷は情動優位の不安定な精神状態を招きます(warrant)。

よって、ウルマンの「悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させる元凶である」という主張(claim)は証明されたといえます。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/12340209.html

 

 医師である私にとって、この事実はとても重たいものです。医療・介護の現場は老病死の臨場感が高く、その結果「悩みや疑い・不安や恐怖・失望」が顕在化しやすいからです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/8045953.html

 

 大脳辺縁系優位の動物的な状態(ファイト・オア・フライト)に陥ると、“いのちの現場”ではますます「悩みや疑い・不安や恐怖・失望」が増幅します。そうなると関わる者たちの“老化”はますます進行してしまうはず。悪循環です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/8164566.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/8166289.html

 

 だからこそ私は、苫米地式コーチとして、医療・介護の現場にコーチングをひろげようと取り組み、教育の現場にコーチングを届けようと試みています。「悩みや疑い・不安や恐怖・失望」とは、緩和医療(緩和ケア)でいうスピリチュアルペインの一部(低位の抽象度次元への写像)だと思えるからです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/8293317.html

 

そのスピリチュアルペインは、思春期にはすでに始まっています。大人になるにつれスコトーマに隠れてしまうだけで、本当は誰もが潜在的に(根源的に)抱えているはずです。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721610.html

 

先月末(202010月)、日本政府は令和2年版自殺対策白書を閣議決定しました。

その白書には、全世代で減少しているのに、唯一10代だけは自殺者が増加している事実が示されています。

厚生労働省HP>令和2年版自殺対策白書

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/jisatsuhakusyo2020.html

 

さらには、15~39歳の各年代の死因は自殺が最多で、がんなどの病気や不慮の事故を上回っていました。15~34歳で比較した世界保健機関(WHO)の資料によると、先進国で死因1位が自殺なのは日本だけ。世界的に見ても「若年層の自殺が深刻化している非常事態(異常事態)」といえそうです。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/20078326.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/11298916.html

 

 医療・介護現場はもちろん、教育現場も、切実に“希望”を必要としています。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/8045695.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23743308.html

 

 この重要なケース(問題、課題)に対する私のプラン(解決)が「コーチング」です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/12658417.html

 

 コーチングを学ぶと、ゴールとして生きる意味を見いだし、未来の結果として“今”を生きることができるようになります。もちろん100%want toで。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6542317.html

 

 100%want toで生きる

 

 それは自殺対策になるだけではありません。

最新の研究を踏まえると、「自分で決めたゴールに向かって好きなことだけやる」という生き方は、若さの秘訣であり、理想的なエイジングを可能にするはずです。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5882609.html

 

 

 そんな話をすると、必ず「好きなことだけで生きていければ苦労はしない」「誰かが我慢をしなければ社会は成り立たない」といった反論をいただきます。皆さんはいかがですか?

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23677460.html

 

 本当にそうでしょうか? 誰かにそう思わされているだけなのではないでしょうか?

 (私の再反論は別の機会にw。参考としてこの記事をどうぞ↓)

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_369873.html

 

 

最後に、認知科学者 苫米地英人博士の著書「人生を劇的に好転させる自己洗脳ルール44 もう、努力してはいけない!」(学研プラス)から引用します。

ぜひ「“生きる”とはどういうことか?」思いめぐらせながら読んでください。

引用文の最後に、苫米地博士が「生きること」をシンプルに定義されています。

 

ルール18 好きなことだけ一生懸命にやる

 ここで言いたいことは、前にも少し触れた「have to」ではなく「want to」なことだけをやるべきだということです。「have to」は誰かに仕掛けられている可能性が高いので、やってはいけません。

 本来、人は絶対に自由です。「やらなけらばならない」ことなどなく、「やりたいこと」だけがあるはずなのです。しかし、「やりたくないけれどやらなければならないこと」があるかのように、誰かに思わされてしまうことがあるのです。

 例えば、仕事上で「この日までに製品を納入しなければならない」というものがあったとします。しかし、それは取引先の都合とか、会社にとっての入金の都合といったものであって、その製品をその日までに納入したからといって、あなたに何らかのメリット・デメリットがあるわけではありません。あなたは、取引先や会社に無理やり「やらなければならない」と思わされてしまっているだけなのです。

 その証拠に、納期が遅れたところで命まで奪われたり、地球存亡の危機に陥ったりするようなことはありません。多少、入金が遅くなるとか、売上が若干減少するなどということはあっても、それを補う方法もいくつもあるものなのです。そうでなければ、経営自体が常に綱渡りになってしまいます。

 誰でも自分の好きなことは、誰かに強制されなくても勝手に自ら進んでやってしまうものです。「努力はしない」の項で見たように、好きなことをせっせとやっているだけで、努力はしていないのに人一倍の成果が出てしまうものなのです。

 嫌なことを無理にやるとIQが思いっきり下がるので、作業の効率も著しく下がります。それどころか、嫌なことをどうすればやらずに済ませられるかという方向にIQが高まるため、サボろうとする癖までついてしまいます。

 ただし、ここで言う「一生懸命」という言葉を誤解しないようにしてほしいと思います。「一生懸命」といいますと、日本語の語感としては「必死に」とか「頑張って」というようなニュアンスがどうしても含まれてしまいます。それでは最悪な状態になってしまいます。

 ここでいう「一生懸命」は「努力しない」の項で見たのと同じで、「傍から見ると一生懸命やっているように見えるが、本人は好きなことを自然にやっているだけ」という状態を示します。必死にやるのではなく、好きだから夢中になってやってしまうという状態です。

 また、ここで「夢中」という言葉を使いましたが、これも注意が必要です。「無我夢中」という言葉があるので、「夢中でやる」というと意識しないでやってしまうことを指しがちです。

 しかし、自然にやりながらも意識には上げてやらなければいけないのです。漫然とやるのではなく、しっかりと意識に上げながらやるのです。

 例えば、一生懸命に呼吸をしているという人は、一部の危機的状況を除いては、あまりいません。自然に呼吸をしているはずです。ただし、この自然な呼吸は、通常はほとんど意識に上げていないでしょう。無意識にやっているのが普通です。ですが、「1分間、息を止めてみる」の項で見たように、呼吸も意識に上げることが非常に大事なのです。

 

 自然にやるのだが、無意識ではなく意識に上げてやるというのは、ちょっと複雑で簡単ではないかもしれません。学校で先生に「この問題、わかる人は手を上げて」と言われて、「ようし、わかったから手を上げるぞ。えいや!」と上げるのは「一生懸命」やってしまっています。「手を上げて」と言われて、「わかった!」と思うか思わないかのうちに反射的に上げてしまうのは、「夢中で」やってしまっています。

 勝手に手が動いているのだが、その動いている手をしっかりと意識に上げているというのが理想なのです。

 「意識する」と「意識に上げる」は違います。「夢中で」やっているけれど、夢中でやっていることをしっかりと意識に上げている。要は、リアリティを上げて、常にそれをコントロールするということです。それが生きているということなのです。

 

 (F-164につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記1

 コーチングを学ぶと、ゴールとして生きる意味を見いだし、未来の結果として“今”を生きることができるようになります。もちろん100%want to

 

 コーチングの知識とスキルこそ“希望”です。

 “いのち”に関わるすべての人々に、コーチングという福音が届くことを願っています。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/11301259.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/11386276.html

 

 

-追記2

 ウルマンの「悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させる元凶である」という主張(claim)は証明されたといえます

 

 と本文中に書きましたが、これは△です。因果関係を考えると、情動(悩み・疑い・不安・恐怖・失望)は結果であり、因ではないから。“元凶”は別のところにあります。

このシリーズの最後で再度考察します。

 

 

-追記3

 「夢中」に関連して、こちらのブログ記事もどうぞ↓

 F-158~:無我夢中

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_405002.html

 

 

人生を劇的に好転させる自己洗脳ルール44



F-164:アンチ(anti)からウィズ(with)、そしてウェル(well)へ vol.2-1「老」;anti-aging <ワーク付き>

 

 最近、「生命は老いるようにはできていない」「老いは治療できる病である」「もはや老いを恐れることはない」と主張(claim)する衝撃的な本を読みました。読後に医師&コーチとして考えたことをまとめます。

vol.1「生」;好きなことだけやる

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24281579.html

vol.2-1「老」;anti-aging <ワーク付き>

 

 

 その本とは「LIFESPAN 老いなき世界」(東洋経済新聞社)です。米ハーバード大学医学大学院教授で老化研究の第一人者であるというデビッド・A・シンクレア氏が、「老いない体を手に入れることができる未来」を示しています。

医師としてワクワク感を楽しみながら一気に読み終えました。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5882609.html

 

 「病」や「老」の定義には「高齢者メルクマニュアル」が引用されていました。病気とは「人口の半数未満がこうむる不調のこと」、そして老化とは「外傷・疾病・環境リスクあるいは不健康な生活習慣の選択といった要因が存在しなくても、時とともに臓器の機能が不可避的、かつ不可逆的に低下すること」です。

 (参考:WHOの健康の定義はこちら↓)

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/7859675.html

 

 そんな老化の典型的特徴として、次の9つが挙げられていました。1)栄養感知の調整不全、2)タンパク質恒常性の喪失、3)細胞間情報伝達の変化、4)幹細胞の消耗、5)テロメアの短縮、6)ミトコンドリアの機能不全、7)細胞の老化、8)ゲノムの不安定化、9)エピゲノムの変化 です。

「どれか1つに対処すれば、老化を遅らせることができる。すべてを解決すれば年をとらなくなるかもしれない」という言葉に感じられるものは「anti-aging」に対する憧憬

 大量の科学的事実(data)と「老化とは治療できる病気である」という主張(claim)をつなぐ根拠(warrant)として、「老化とはエピゲノムの喪失である」とする「老化の情報理論」が提唱されていました。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/12340209.html

 

 シンクレア教授がいう“情報”とは、アデニン(A)・グアニン(G)・シトシン(C)・チミン(T)の4つの塩基で表現されるような“デジタル情報”だけではありません。体内に「もう1種類の情報」として存在している“アナログ情報”まで含みます。その“アナログ情報”が「エピゲノム」です。

同書では、エピゲノムとは「親から子へと受け継がれる特徴のうち、DNAの文字配列そのものが関わっていないものを指す」と説明されていました。さらに、「DNAによらないこうした仕組みを『エピジェネティクス』と呼ぶ」とあります。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5165789.html

 

 私なりにシンプルに言い換えると、「遺伝子をオンまたはオフにする“スイッチ”」がエピジェネティクス(epigenetics)。そして「オン/オフのプロセスが記録されたもの」がエピゲノム(epigenome)です。

最新の研究により、エピゲノムの長期的な働きによりゲノムの機能が変化する可能性が指摘されています。ちなみにゲノム(genome)とは、遺伝子(gene)と染色体(chromosome)の合成語で、「DNAのすべての遺伝情報」を意味する言葉です。

 

 シンクレア教授の「老化の情報理論」を支える「一見ばらばらに思える老化の要因が矛盾なく並び立ち、統合されるモデル」が、若さ→DNAの損傷→ゲノムの不安定化→DNAの巻きつきと遺伝子調整(つまりエピゲノム)の混乱→細胞のアイデンティティの喪失→細胞の老化→病気→死という流れ。ここでポイントとなるのが「遺伝子調整(エピゲノム)の混乱」です。

 「老化は、エピゲノムの混乱により、デジタル情報の読み出しがうまくいかなくなることでおこる」と考えるシンクレア教授は、「エピゲノムの状態を制御してデジタル情報をきちんと読み取ることができれば、老化を止めることができる」「若返りさえも可能になる」と主張しています。

 CDcompact disc)を例にすると、老化は「CD表面の傷(=エピゲノムの混乱)」に相当するものであり、「丁寧に研磨(=エピゲノムの制御)」することで、「デジタル情報を再び読み取ることができる(=若さを取り戻せる)」ということ。

読書後、「確かに『老いは治療できる病』といえる時代が到来するのかもしれない」と思いました。臨場感が上がり(V)、新たな「老=病」というイメージ(I)がリアルになったのかもしれません(R)。私の中で。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6542364.html

 

まさにAnti-aging

老いを克服した未来にあるものは自由 !!

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10400987.html

 

そんなヴィジョンを体感した医師としての私は、大きな希望を感じました。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/8045695.html

 

 

一方で、苫米地式コーチとしての私は、読書中ずっとモヤモヤ感に包まれていました。「老いは治療できる病である」と聞いて、皆さんはどのように感じますか?

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5882652.html

 

 シンクレア教授の「老化の情報理論」と認知科学者 苫米地英人博士が提唱する「超情報場仮説(理論)」の間には、間違いなく、大きな隔たりがあります。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5165789.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5165823.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5165888.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5306380.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5306438.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5306445.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5445932.html

 

 最後にLIFESPAN 老いなき世界」から引用します。その“大きな隔たり”をぜひ感じてください。それが今回のワークです。

 

 老化は1個の病気である。私はそう確信している。その病気は治療可能であり、私たちが生きているあいだに治せるようになると信じている。そうなれば、人間の健康に対する私たちの見方は根底からくつがえるだろう。

 

F-164につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記1

 そうなれば、人間の健康に対する私たちの見方は根底からくつがえるだろう

 

 「根底からくつがえる」は、より大きなゲシュタルト構築に伴っておこります。アップルの共同創設者 スティーブ・ジョブスは、その感覚を「connect the dots」と表現しました。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6193912.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/7383761.html

 

 

-追記2

 もうひとつ、LIFESPAN 老いなき世界」から引用します

 

 老化細胞によるダメージのメカニズム

 老化細胞はよく「ゾンビ細胞」と表現される。いっそ死んでくくれればいいのに、死ぬのを拒んでいるからだ。(中略)

 老化細胞はたとえ数が少なくても、広い範囲にダメージを及ぼしかねない。分裂をやめているとはいえ、サイトカインという小さなタンパク質を放出し続けて炎症を起こし、免疫細胞のマクロファージを引き寄せて組織を攻撃させるのだ。慢性的な炎症は体に良くない。多発性硬化症や炎症性腸疾患、あるいは乾癬にかかっている人に訊いてみたらわかるはずだ。こうした病気は、すべてサイトカインが多すぎるために引き起こされる。炎症はまた、心臓病、糖尿病、認知症の引き金にもなる。エイジング(老化)に伴う病気の発症にインフラメーション(炎症)が中心的な役割を果たすことから、科学者はこのプロセスをよく「インフラメイジング(炎症性老化)」と呼ぶ。しかも、サイトカインは炎症の原因になるだけではない。生物界の黙示録さながらに、ほかの細胞までをもゾンビ化させる。こうなると、さらに周囲の細胞を刺激してがん化させ、それが広がるおそれさえ出てくる。

 引用終わり

 

 この文章を読みながら、私はドリームキラーを思いだしました。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6040935.html

 

 例えば、世界最高峰のMLBにおいても「ゾンビ細胞」のようなドリームキラーにチームが毒されたりします。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10691753.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10692725.html

 

 「分裂をやめている(←思考停止し進化・向上を止めている)とはいえ、サイトカインという小さなタンパク質を放出し続けて炎症を起こし(←抽象度の低い言動や権力維持のためのパワハラ等で軋轢を生みだし)、免疫細胞のマクロファージを引き寄せて組織を攻撃させる(←情動優位のファイト・オア・フライトを誘発し組織をダメにする)のだ。

 

 私は、11年の間、“老化”と戦っていたのかもしれません。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/15110477.html

 

 

LIFESPAN



F-165:アンチ(anti)からウィズ(with)、そしてウェル(well)へ vol.2-2「老」;anti-aging

 

 最近、「生命は老いるようにはできていない」「老いは治療できる病である」「もはや老いを恐れることはない」と主張(claim)する衝撃的な本を読みました。読後に医師&コーチとして考えたことをまとめます。

 

vol.1「生」;好きなことだけやる

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24281579.html

vol.2-1「老」;anti-aging <ワーク付き>

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24337669.html

vol.2-2「老」;anti-aging

 

 

 老化は1個の病気である。私はそう確信している。その病気は治療可能であり、私たちが生きているあいだに治せるようになると信じている。そうなれば、人間の健康に対する私たちの見方は根底からくつがえるだろう。

 

 

 上記文章は、米ハーバード大学医学大学院教授で老化研究の第一人者 デビッド・A・シンクレア氏の著書「LIFESPAN 老いなき世界」(東洋経済新聞社)からの引用です。

 前回(F-164)は、「老=病」と考える著者の主張(claim)を紹介し、その根拠といえる「老化の情報理論」と認知科学者 苫米地英人博士が提唱する「超情報場仮説(理論)」の間にある“大きな隔たり”について考えていただきました。ワークとしてw

 

 では、私が感じた“大きな隔たり”についてまとめます。

 

 まず気がつくことは「『LIFESPAN』は物理空間に限定されている」ということ。

確かに“情報”という表現がでてきますが、アデニン(A)・グアニン(G)・シトシン(C)・チミン(T)の4つの塩基で表現されるような“デジタル情報”は完全に物理次元です。

「エピゲノム」という「体内に『もう1種類の情報』として存在している“アナログ情報”」も、エピ(epi)とはいうものの、極めて物理次元に近い表現です。

 

 物理空間とは、情報量の大小という軸で宇宙をならびかえたときの「一番情報量が多くかつ物理法則という秩序が働く底面」のことです。情報量の軸を「抽象度(ちゅうしょうど)」と呼びます。

 その抽象度は、情報空間における視点の高さを表すもので、分析哲学の中の存在論における「Levels of Abstraction」という概念のこと。苫米地博士が日本語訳(造語)をされました。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html

 

 私たちにとっての目の前の世界は、どこまでいっても情報だけで構築されている「情報空間」です。そして、その情報空間は情報量で階層化されています。

その情報空間のうち、最も情報量が多く、五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚)ではっきりと感じられる空間が物理空間。もちろん、物理空間も情報空間の一部(底面)です。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516539.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654230.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654316.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831442.html

 

 ちょっと表現を変えると、「物理空間(という情報空間の一部)を底面として、抽象度という軸上に階層性を持って広がっている情報空間が宇宙(の構造)である」といえます。抽象度が上がるほど情報量が減っていくのですから、宇宙は四角錐のような構造とイメージできます。

 (物理空間が四角の平面であるという意味ではありませんw

 

宇宙の構造


 

 そんな情報宇宙の底面に限定されているというのが、「LIFESPAN」に対する私の率直な感想です。

 

 シンクレア教授の「老化の情報理論」が物理空間に限定されているのに対して、苫米地英人博士が提唱する「超情報場仮説(理論)」は全情報空間(宇宙)をカバーしています。底面である物理空間から頂点(T)である「空(くう)」まで。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5165789.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5165823.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5165888.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5306380.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5306438.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5306445.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5445932.html

 

 “大きな隔たり”の前提として、文字どおり「次元が違う」ことを御理解いただけたでしょうか。それでは“隔たり”の本質に迫りましょう。

 

 突き詰めると、(私が感じた“隔たり”の)本質は「『存在→関係』か『関係→存在』かの違い」です。

 

 前者の「存在があり関係が生まれる」という見方は西洋哲学がベースになっています。

 そして、その見方は、物理空間では不確定性原理により、情報空間では不完全性定理によって、完全に否定されました。「アプリオリはなく、すべては決定的ではない」ということはすでに証明されています。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6194669.html

(追記内で関連する過去のブログ記事を紹介します。詳細はそちらで)

 

対して、後者の「関係があり存在が生まれる」という見方は釈迦の縁起の思想をベースにしています。もちろん、「超情報場仮説(理論)」は縁起ベースです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html

 

 この「関係があり存在が生まれる」「関係が存在を生みだす」という見方は、「だから普遍的な実体などはなく、物事は常に変わりゆき、永遠に変わらないものなどない」という考え方に行き着きます。「無常」です。

 さらに、「すべてのものは他との関係性の網の中で形作られていて、普遍的な実在はない」という縁起を理解することは、先程(抽象度の軸で見たときの)情報宇宙の頂点(T)とした「空(くう)」の体得を可能にします。

空とは「なによりも情報量が少なく(なにもないに等しい)、かつ、潜在的な情報量はなによりも多い(とてつもなくある)」こと。この宇宙の見方が「空観(くうがん、くうかん)」です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353367.html

 

 苫米地博士に学んでいる方々は、まずはこの空観に由っています。もちろん私もです。

 だから、「老いがある」「病がある」「老いは病である」と断言されると違和感を覚えるのです。きっとコンフォートゾーンから外れるのでしょう。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6040892.html

 

 話が少し逸れますが、医師としての私にとって、「LIFESPAN」はとても面白く勉強になる本でした。ワクワクしながら読み進める間はまったく認知的不協和を感じず、読書を中断している間に違和感が生じてくるという感じでした。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5882652.html

 

 それは医師としてのゲシュタルトと苫米地式コーチ&ヒーラーとしてのゲシュタルトがまだまだしっかりとは統合されていないことを意味しているはずです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6193912.html

 

すぐに「私らしくない」とセルフトークを行い(V)、「しっかりconnectしているイメージ(I)」をビジュアライズしました(V)。もちろん、ゴールの再認識とともに。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/7383761.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6542364.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html

 

 話を戻します。

 「超情報場仮説(理論)」を含む苫米地理論においては、老いや病はもちろんのこと、生と死さえも空(くう)です。空という意味では「老=病」という見方もできるのかもしれませんが、だからといって「生命は老いるようにはできていない」「老いは治療できる病である」「もはや老いを恐れることはない」という結論には至りません。

 

 では、どのように考えればよいのでしょうか?

 やはり「生老病死(=四苦)」は恐れるべきものなのでしょうか?

 

 じつは、西洋哲学をベースとするはずの医学の世界でも、抽象度を上げる方向での考察がどんどんなされています。次回、オックスフォード大学感情神経科学センター教授が書かれた書籍を参考にしながら考察を続けていきます。

 

F-166につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記1

 次回取り上げる教授も、当初は「性格は生まれながらの遺伝子の型で決まる」といったアプリオリを前提とする立場だったそうです。ところが、ある俳優との縁をきっかけに自説を覆すことになりました。

その俳優とはマイケル・J・フォックス。「バック・トゥ・ザ・フューチャー(Back to the futureBTTF)」の主演俳優です。

俳優としてのキャリア絶頂の頃、20代後半だったマイケルはパーキンソン病を発症しました。TVドラマを降板するなど第一線から退きましたが、いつも前向きなマイケルは、代表作「BTTF」トリロジーとともに今も愛され続けています。

BTTF」は私も大好きな映画。じつは過去のブログ記事で取り上げています。今回とはテーマが違いますが、遺伝情報や記憶などの“過去”との向き合い方について書いています↓

F-060BTTF

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/13626536.html

 

 

-追記2

 不完全性や不確定性に関連して、思うことを下記ブログ記事にまとめています↓

 PM-06-18~:仮説13) 宗教の限界

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14526199.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14687391.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14687476.html

 

 

-追記3

「超情報場仮説(理論)」は、ワークスDVD第一弾「超情報場仮説 ~ハイパーヒーリングとゴール現実化」(ドクター苫米地ワークス)や「アインシュタイン脳を超えて -超情報場理論でポテンシャル以上の存在感を発揮する技術-」(フォレスト出版、DVD教材)で詳しく解説されています。

    苫米地英人DVDオフィシャルサイト 第一弾「超情報場仮説」

 http://maxpec.net/dvd1/index.html

    フォレスト出版HP 「アインシュタイン脳を超えて」

https://www.forestpub.co.jp/einstein/

 

 DVDは敷居が高いという方には、「認知科学への招待」(サイゾー)や「Dr.苫米地の『脳力』の使い方」(徳間書店)といった博士の書籍をお勧めします。とくに「『脳力』の使い方」は最終章がまるまる「超情報場仮説」です。

 

top_dvd1

ワークスDVD1弾「超情報場仮説」

苫米地英人博士HPより引用

http://maxpec.net/dvd1/index.html

 

 

F-166:アンチ(anti)からウィズ(with)、そしてウェル(well)へ vol.3-1「病」;with-aging <ワーク付き>

 

 最近、「生命は老いるようにはできていない」「老いは治療できる病である」「もはや老いを恐れることはない」と主張(claim)する衝撃的な本を読みました。読後に医師&コーチとして考えたことをまとめます。

 

vol.1「生」;好きなことだけやる

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24281579.html

vol.2-1「老」;anti-aging <ワーク付き>

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24337669.html

vol.2-2「老」;anti-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24402109.html

 vol.3-1「病」;with-aging <ワーク付き>

 

じつは、西洋哲学をベースとするはずの医学の世界でも、抽象度を上げる方向での考察がどんどんなされています。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html

 

 その一例として今回御紹介する書籍が「脳科学は人格を変えられるか?」(文藝春秋)。オックスフォード大学感情神経科学センターを率いるエレーヌ・フォックス教授が書かれています。

 

 フォックス教授が2009年に発表した論文は、「セロトニン運搬遺伝子」の型が楽観・悲観を決めることを示唆する内容でした。セロトニンは気分の安定に関わる神経伝達物質です。

つまり、もともとフォックス教授は「性格は生まれながらの遺伝子型で決まってしまう」という立場だったのです。

 

 話が少しそれますが、世界で最初に日本が経験する少子・高齢化社会に備えて、平成19年に改正医療法が施行されました。医療計画制度のもと、いわゆる4疾病5事業ごとに医療連携体制を構築することが決まりました。

平成25年度からは「5疾病5事業および在宅医療」とされています。5疾病とは「がん」「脳卒中」「急性心筋梗塞」「糖尿病」「精神疾患」で、5事業とは「救急医療」「災害時における医療」「へき地の医療」「周産期医療」「小児救急医療を含む小児医療」です。

その5疾病のひとつ「精神疾患」の中心がうつ病に代表される気分障害です。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/15236875.html

 

うつ病の本当の原因は、じつは、まだよくわかっていません。

治療の中心である薬物療法は、「モノアミン仮説」を根拠に行われています。モノアミン神経伝達物質とは、アミノ基を一個だけ含む神経伝達物質(または神経修飾物質)の総称で、セロトニン、ノルアドレナリン、アドレナリン、ヒスタミン、ドーパミンなどが含まれます。

その「モノアミン仮説」では、うつ病の原因を、ノルアドレナリン、ドーパミン、そしてセロトニンが不足することと考えます。よって、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害剤)やSNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害剤)などで物理的に脳内のセロトニン量を増やそうとするのです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23107579.html

 

 オックスフォード大学教授が注目した「セロトニン運搬遺伝子」は、セロトニンを適正に保つ働きを担っています。脳細胞とその周辺から余剰なセロトニンを再吸収する「セロトニン運搬遺伝子」には3つの型が存在するそうです。働きが活発なLL型、鈍いSS型、そしてその中間のSL型です(Data)。

 改訂版楽観性尺度(LOT-RLife Orientation Task-Revised)という心理テストで楽観度が高かった人はLL型の持ち主が多く、悲観度が高い人はSS型が多いということが明らかになり(Warrant)、「遺伝子型が楽観的か悲観的かの性格を決める」という仮説がたてられました(Claim)。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/12340209.html

 

 さらに研究が進み、「被験者に様々な画像を見せたとき、楽観的な画像(明るい・楽しい等)と悲観的な画像(暗い・怖い等)のどちらに最初に注意を払うか?」といったことを調べる「注意プローブテスト」等の方法により、遺伝子型と認知バイアスとの関係が明らかになっていきました。その結果は、「LL型は楽観的な画像に引き寄せられ、SS型やSL型は悲観的画像に引き寄せられる」というもの。

 研究を重ねるにつれて、フォックス教授は「セロトニン運搬遺伝子は『楽観性を生む遺伝子』である」との確信を深めたそうです。

 (認知バイアスは、RAS&スコトーマで理解することができます↓)

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721658.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721610.html

 

 ところが、ある俳優との縁をきっかけに、教授は自説を覆すことになりました。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html

 

その俳優とはマイケル・J・フォックス。大ヒット映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー(Back to the futureBTTF)」の主演俳優です。

 

俳優としてのキャリア絶頂の頃、20代後半だったマイケルはパーキンソン病を発病しました。TVドラマを降板するなど第一線からいったんは退きましたが、パーキンソン病の研究助成活動をはじめ、そのための財団も設立しました。2010年から弁護士ドラマ「グッド・ワイフ」の準レギュラー(「神経疾患で運動機能障害を持つ弁護士」役!)として俳優復帰した後、2013~14年にはTVドラマの主演にも返り咲きました(「Michael J. Fox Show」)。

まさに難病をものともしないポジティブ中のポジティブ! 自他ともに認める「ザ・楽観論者」です。

 

 そんなマイケルがフォックス教授に連絡をとり、遺伝子検査や注意プローブテストを受けることになったそうです。その結果、意外な事実が判明しました。

マイケルの遺伝子型は悲観的なタイプに分類されるものだったのです。

 

 この矛盾を解決するために研究の見直しが進み、悲観的と思われていた遺伝子の型は「外界の影響を受けやすい型にすぎない」ということがわかったそうです。

具体的には「ネガティブな経験をすると悲観的になるが、ポジティブな経験をすればよりよい幸福を感じられる」ということ。それをフォックス教授は「逆境に打ちのめされやすい一方で、よいことから最大の利益を引き出せるタイプ」と表現しています。

 

 じつは先に御紹介した改訂版楽観性尺度(LOT-R)で最も楽観度が高かった人の多くは、LL型の持ち主ではなく、SS型の保有者でした。つまり、「一般的には『LL=楽観』『SS=悲観』であるが、SSの一部は超楽観になる」ということ。

 今までの研究結果の新たな解釈(ゲシュタルト)が、マイケルとの縁をきっかけに、一気にできあがったのです。まさに閃き! これぞconnect the dots !!

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6193912.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/7383761.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/13628437.html

 

 遺伝子は確かに私たちを規定します。

 しかし、それが物理空間上の存在であることを考慮すると、「遺伝子は原因ではなく、結果である」といえるはずです。より高次の抽象度空間(情報空間)に存在する“情報”の写像であるという意味です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516539.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654230.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654316.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831442.html

 

 私は、その“情報”とは「希望」であり「夢」だと思っています。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/8045695.html

 

そして、「“情報”をゴールにすることで新たな現実をうみだせる」と確信しています(I×V=R)。マイケル・J・フォックスや彼との縁で自説をアップデートした教授のように。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6542364.html

 

 次回(F-166)は今回御紹介したエピソードを踏まえながら、あらためて「老い」や「病」を苫米地式コーチ&ヒーラーとして考えてみたいと思います。

 最後に、「脳科学は人格を変えられるか?」から引用します。その意味するところをぜひ考えてください。それが今回のワークですw

 

 幸福になるためにはどうしたらいいのか

 幸福を追い求めるさいに重要なその他たくさんの要素を、心理学の研究はあきらかにしてきた。人が自分をとりまく風景の意味に気づくために不可欠な、いわばレーダーの役目を果たすのがレイニーブレインとサニーブレインの回路だ。脳のこの領域のはたらきいかんで、思考は悲観的にも楽観的にもなる。

 (中略)

 もうひとつ重要な発見が、科学的な研究からもたらされている。それは、人がほんとうの意味で幸福になれるのは次に述べる三つの要素があわさったときだけだということだ。一つ目は、ポジティブな感情や笑いを数多く経験すること。ふたつ目は、生きるのに積極的にとりくむこと。そして三つ目は、今日明日ではなくもっと長期的な視野で人生に意義を見出すことだ。

 (中略)

 それよりも人を幸福にするのは、自分にとって大きな意味のある何かに積極的にとりくむことだ。これこそが楽観主義者の本物の証明だ。楽観主義者とは、大きな目的に向かって没頭したり、意義ある目標に到達するために努力を重ねたりできる人々なのだ。

 

F-167につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記1

 今回は、楽観や悲観と関係する遺伝子型(セロトニン運搬遺伝子のLLSSSL)を御紹介しました。

フォックス教授の書籍では触れられていませんが、じつは、日本人は欧米人に比べS型の遺伝子保有率が5割も高いそうです。

つまり、「逆境に打ちのめされやすい一方で、よいことから最大の利益を引き出せるタイプ」が日本にはたくさんいるということ。

 よって、今シリーズのテーマは、日本人にとってはとくに重要であるといえます。

 

 

-追記2

 矛盾を解決するためのエネルギーと創造性の源は「認知的不協和」といえます。

その認知的不協和をうみだすものは「イメージと現実とのギャップ」。そのイメージを、自身の自由意志で、未来側(しかも“現状の外”)に、新たに創造するのがゴール設定!

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5882652.html

 

 今回のケースでは、マイケルの熱意が教授の縁起空間を動かしたとみることができます。その正体はゴール&エフィカシー(コレクティブエフィカシー)でしょう。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5616012.html

 

私は「『熱意≒ゴール&エフィカシー=覚悟』→爆発」だと思っています。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/19033189.html

 

 

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脳科学は人格を変えられるか?



F-167:アンチ(anti)からウィズ(with)、そしてウェル(well)へ vol.3-2「病」;with-aging

 

 最近、「生命は老いるようにはできていない」「老いは治療できる病である」「もはや老いを恐れることはない」と主張(claim)する衝撃的な本を読みました。読後に医師&コーチとして考えたことをまとめます。

 

vol.1「生」;好きなことだけやる

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24281579.html

vol.2-1「老」;anti-aging <ワーク付き>

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24337669.html

vol.2-2「老」;anti-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24402109.html

 vol.3-1「病」;with-aging <ワーク付き>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24466811.html

 vol.3-2「病」;with-aging

 

 前回(F-166)の最後に「脳科学は人格を変えられるか?」から引用し、「その意味するところを考えるワーク」を行っていただきました。いかがでしたか?

 

 引用した部分は「幸福になるためにはどうしたらいいのか」。

フォックス教授は「人がほんとうの意味で幸福になれるのは次に述べる三つの要素があわさったときだけ」とした上で、1)ポジティブな感情や笑いを数多く経験すること、2)生きるのに積極的にとりくむこと、3)今日明日ではなくもっと長期的な視野で人生に意義を見出すこと の3つを挙げていました。

 

 

 2)生きるのに積極的にとりくむ」は、シンプルに「高いモチベーション」と表現できます。コーチングを学んでいる人にとってはあたりまえのことですが、じつは、モチベーションとは原因ではなく結果です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5882609.html

 

 そう、ゴール設定の結果。ゴールを正しく設定できたから、高いモチベーションが生じます。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html

 

もっと正確に表現すると、「100%want toのゴールに向かう自然な状態が、はたからみるとモチベーションが高いように感じられる」ということ。本人にとっての“あたりまえ”が「高いモチベーション」であり、その正体はホメオスタシス(恒常性維持機能)です。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831660.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4971818.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4971956.html

 

 

パーキンソン病の診断後も事実を伏せたまま映画・TVの出演を続けていたマイケル・J・フォックスでしたが、症状が進行するにつれて俳優としての職業上のゴールを失っていきました。「絶望し、浴びるように酒を飲んだ」と後に告白しています。

 しかしながら、マイケルは違う人生の領域に新たなゴールを見つけました。そして、パーキンソン病の研究助成活動に「積極的にとりくむ」うちに元気を取り戻し、俳優としての復帰を果たしました。

 

 これは「ゴール設定後本当にやりたいことだけをやり続けることでまず心が元気になり、その心の変化が写像である物理空間にあらわれて体も元気になった」ということ。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/8045695.html

 

 もちろん、心の変化で必ず難病が治るわけではありません。しかし、傍から見ると“奇跡”と思えるような劇的な変化が実際におこることも事実。皆さんにもきっと思い当たる経験があるはずです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23874668.html

 

 大切なのは「心の変化」。コーチング用語でいえばブリーフが変わること。そのブリーフの変化を引き起こすための最初の重要な作業がゴール設定です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721531.html

 

 

3)今日明日ではなくもっと長期的な視野で人生に意義を見出す」とは、「ゴールの抽象度を上げる」と同義です。それは「心の変化」をもっと大きくかつダイナミックなものにするということ。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html

 

 前々回(F165)、情報空間と物理空間の関係を説明しました。心は情報空間にあり、体は物理空間に(心の写像として)存在します。

そして、ここが超重要なポイントなのですが、「心と体は同じもの」であり情報です。同じものの抽象度の違いであり、そのすべてが情報です。その情報を、情報空間では心といい、底面(物理空間)で体と表現しているだけです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516539.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654230.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654316.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831442.html

 

 では、ゴールとして新たにうみだす情報の抽象度が上がるとどうなるでしょうか?

 

 「もっと長期的な視野で人生に意義を見出す」ことがますます可能になります。

そのたびに、人は「本当は思春期以降ずっと抱えているのにスコトーマに隠れ感じられなくなっている根源的な痛み」を克服していきます。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721610.html

 

 その根源的な痛みとは「スピリチュアルペイン」のこと。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/8293317.html

 

 「スピリチュアルペイン」を克服すると、「身体的苦痛」「心理・精神的苦痛」「社会的苦痛」も解決していくはずです。「全人的苦痛(トータルペイン)」をしっかり克服し、文字どおり“トータルな幸福”を手に入れるのです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24321116.html

 

 絶望の中に見つけた希望をゴールにし、ゴールに向かう過程でスピリチュアペインを克服しながら“トータルな幸福”を得る

 

 そんな心の変化を、マイケル自身が米国議会で語っています。1999年の上院予算員会でのスピーチを御紹介します。

 

 ここにいる皆さんの多くは、僕のことを、テレビや映画で御存知かと思います。でも、今日ここで語ることはセレブリティーとは何の関係もありません。僕が初めてパーキンソン病のことを明かしたとき、多くの人は驚きました。1つは、僕がまだ若いことです。

 僕が病気のことを隠していたのは、恐怖、認めたくないという気持ちがあるからでした。それに、黙ってこれを乗り越えようとも思っていました。でも、公にしたときの反響に、僕は感動し、喜びを感じ、インスピレーションを受けました。同じ病気に悩む人々が、僕を勇気づけてくれたり、自身の体験を語ってくれたりしたのです。それは、苦しみ、フラストレーション、そして希望の話でした。

 パーキンソンとの戦いは勝てる戦いです。僕はその勝利のために貢献すると決めました。セレブリティーとして僕ができることは、人々にこの問題に注目してもらい、研究のために必要とされているお金を獲得することです。

 引用終わり

 

 シンプルにまとめると、パーキンソン病発症:恐怖・否定=絶望 →公表後大反響:感動・喜び・インスピレーション=希望 →同病者との交流:病に勝利するための貢献を決意=ゴール(エンドステート;研究資金獲得)。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14973460.html

 

 

 ゴールに向かう過程でスピリチュアペインを克服していったマイケルは、「1)ポジティブな感情や笑いを数多く経験」したはずです。そして、「ゴール設定後本当にやりたいことだけをやり続けることでまず心が元気になり、その心の変化が写像である物理空間にあらわれて体も元気になる」という変化が起こりました。それは「マイケルにとっては“あたりまえ”」だけど「専門家にとっては“奇跡”」といえる変化。

 

じつは、パーキンソン病と診断されたとき、「2000年頃までには俳優はできなくなる」と医師に宣告されていたそうです。ところが、マイケルはそんな悲観的な予想を見事に覆しました。2010年から弁護士ドラマ「グッド・ワイフ」で「神経疾患で運動機能障害を持つ弁護士」を演じ、2013~14年にはついにTVドラマの主演にも返り咲きました(「Michael J. Fox Show」)。

 

私は、フォックス教授が幸福の要素とする「1)ポジティブな感情や笑いを数多く経験すること」は、幸福のための必要条件ではなく、結果だと思っています。ゴール設定後に未来(ゴールの世界)から流れる時間を存分に生きている結果。そして、抽象度を上げたさらなるゴールを目指しつつスピリチュアルペインを克服していく結果です。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6542317.html

 

 様々な研究により、「ポジティブな感情」「笑い」と健康や幸福との相関が明らかになっています。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/18456250.html

 

 当然です。心の元気が自然に「ポジティブな感情」「笑い」としてあらわれるのであり、そんな状態こそが健康や幸福そのものなのだから。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/7859896.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/8430748.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_303640.html

 

 そのように考えると、きっとスコトーマが外れるはず。「老い」や「病」が今までとは違って感じられませんか?

 

 もしも「老い」「病」に明るくあたたかい何かを感じられるのなら、それはより大きなゲシュタルトで再解釈(統合)できていることを意味します。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6193912.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/13628437.html

 

F-168につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

マイケル・J・フォックス(Wikipediaより)

マイケル・J・フォックス&トレーシー・ポラン(妻)

エミー賞授賞式(1988年)

Wikipediaより引用

 


F-168:アンチ(anti)からウィズ(with)、そしてウェル(well)へ vol.3-3「病」;with-aging <ワーク付き>

 

 最近、「生命は老いるようにはできていない」「老いは治療できる病である」「もはや老いを恐れることはない」と主張(claim)する衝撃的な本を読みました。読後に医師&コーチとして考えたことをまとめます。

 

vol.1「生」;好きなことだけやる

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24281579.html

vol.2-1「老」;anti-aging <ワーク付き>

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24337669.html

vol.2-2「老」;anti-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24402109.html

 vol.3-1「病」;with-aging <ワーク付き>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24466811.html

 vol.3-2「病」;with-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24549392.html

 vol.3-3「病」;with-aging <ワーク付き>

  

もしも「老い」「病」に明るくあたたかい何かを感じられるのなら、それはより大きなゲシュタルトで再解釈(統合)できていることを意味します。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6193912.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/7383761.html

 

 このシリーズではまず「LIFESPAN 老いなき世界」(東洋経済新聞)を紹介しました。その中では(情報空間の底面である)物理空間に限局した視点で「老=病」という定義がなされ、「老いは克服できる」と主張されていました。anti-agingです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516539.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654230.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654316.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831442.html

 

 次に取り上げたのが「脳科学は人格を変えられるか?」(文藝春秋)。以前はアプリオリを前提とする立場だった著者は、俳優 マイケル・J・フォックスとの縁により、「遺伝子は確かに私たちを規定するが、必ずしも絶対的な力ではない」「環境が変われば遺伝子の発現も変わり、脳が物理的に変化する」という立場にあらためます。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html

 

 それは機械論的自然観や実体二元論(substance dualism)といった西洋哲学の立場から、不完全性定理や不確定性原理を経て、東洋哲学の立場に移行したということ。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6194669.html

 

 東洋哲学の立場とは縁起のことです。さらに突き詰めると、「『生老病死』が空(くう)だと理解した上で、生きる意味を仮(け)として見いだし、実践すること(=中観)」といえます。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353367.html

 

 読書中、抽象度という軸を手に入れたであろう著者の思考が、底面である物理空間から解き放たれ、高次の情報空間にどんどん拡大していくのを感じました。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html

 

そして、著者の関心は“幸福”へと移っていきます。もはや「老い」や「病」は戦うべき存在ではなく、“幸福”に至る重要なきっかけにさえ思えてきます。自我が拡大しているからです。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353425.html

 

それは「anti-agingからwith-agingへの進化」と考えることができます。

 

 実例として取り上げられた俳優 マイケル・J・フォックスの生き様は、私たちに重要なことを教えてくれます。with-agingの力です。それは年を重ねるとともに抽象度の階梯をのぼっていくこと(人間形成)で手にしていく“The Power of Mind”。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/9963845.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/9966391.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10116950.html

  

 絶望の中に見つけた希望をゴールにし、挑む過程でスピリチュアペインを克服していき、“トータルな幸福”を得る

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html

 

 「ゴール設定後本当にやりたいことだけをやり続けることでまず心が元気になり、その心の変化が写像である物理空間にあらわれて体も元気になった」マイケルは、パーキンソン病という難病を発症しながらも“奇跡”といえるような俳優復帰を果たしました。「悲観的な遺伝子型」を持っているはずなのに。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/8045695.html

 

 「心と体は同じもの」であり情報です。同じものの抽象度の違いであり、そのすべてが情報です。その情報を、情報空間では心といい、底面(物理空間)では体と表現しているだけです。だから、心が元気になると、写像である体もいい状態になる

 

 それは紛れもない事実ですが、その一方で(情報空間の底面である)物理空間には物理法則という強力な秩序が働いています。「LIFESPAN」で示されているようなコントロールが実現するにしても、「生老病死」という四苦を完全に克服することはできないはずです。

 すべての生命が、確実に老い、多くは病を抱えながら、必ず死んでいくのです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/8045827.html

 

 では、人生の終わりに待つ「死」まで見据えた上で、あらためて“幸福”を考えるとどのようなことがいえるでしょうか?

 未来から過去へと向かう時間の流れを考慮すると、「『死』ははじまり」ともいえます。そのはじまりにある“幸福”とはどんなものなのでしょうか?

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6542317.html

 

 

 “奇跡”のような俳優復活を成し遂げたマイケルにも、「老い」や「病」が忍び寄りました。2018年に脊髄に異常があると診断されたのです。この異常は1991年に発病したパーキンソン病とは関係のないものだったといいます。「腫瘍が脊髄を圧迫していた。手術をしなければ麻痺してしまうと言われた」と当時の状況をインタビューで語っています。

幸い手術は成功し、リハビリで歩けるようになりました。しかし、いよいよ俳優に復帰するという当日、転倒したマイケルは腕を骨折してしまいます。

 

「間違いなく人生で最悪の瞬間だった。ただ倒れてしまったんだ。キッチンの壁に寄りかかって救急車を待ちながら『まさにどん底だ』って思っていた。すべてに疑問を抱いた瞬間だった。こんな状態で明るい顔なんてできない。これにいい面も明るい面もない。後悔と痛みがあるだけだって思ったんだ」

 

パーキンソン病発症後も希望を失わなかったマイケルですが、このときばかりは楽観的な思考ができなかったそうです。きっと大脳辺縁系優位の「ファイト・オア・フライト」の状態だったのでしょう。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/8164566.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/8166289.html

 

ところが、ベッド上で1970年代のテレビ番組の再放送を見ているとき、突然、変化が訪れました。「楽観主義は感謝から生まれるものだ」とわかったそうです。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/13628437.html

 

「感謝の気持ちに立ち返ることができれば、楽観的な見方を持ち続けられる。それは受け入れることから生まれるんだ。起きたことをそのまま受け入れる。それは現状を変えようという努力ができないという意味ではない。それに起きたことを自分への罰や自己犠牲として受け入れるということでもない。起きたことを正しい場所に受け止めるということなんだ。そして生きていかなくてはならない残りの人生がどれだけあるかを見る。そうすれば前進できる」

 

起きたことを正しい場所に受け止める

 

 前回の記事(F-167)で米上院予算員会でのマイケルのスピーチを紹介しました。その中に「パーキンソンとの戦いは勝てる戦いです。僕はその勝利のために貢献すると決めました」という表現があります。「戦い」とは、「老い」や「病」と対峙するということ。つまり、anti-agingです。当然、意識は情報空間の底面である物理空間にあります。

 

 落胆したマイケルが「楽観主義は感謝から生まれるものだ」と気づいたのは、「起きたことを正しい場所に受け止める」という姿勢(attitude)によりスコトーマが外れ、より高い抽象度で“自分”を再評価することを可能にしたからです。大乗でいう「空観(くうがん)」です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721610.html

 

その上で「生きていかなくてはならない残りの人生がどれだけあるかを見る」というのは、高い抽象度からの視点を保ったまま物理空間での“一期一会”を思い描くということ。「仮観(けかん)」です。その時のマイケルの心は、「戦い」ではなく、「貢献」の方にフォーカスしていたはずです。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23177616.html

 

「空」と「仮」を同時に満たす上位概念が「中観(ちゅうがん)」。

中観とは、すべての存在が「空」であるとする「空観」と、縁起の中での「仮の役割」に注目する「仮観」の2つをバランスよく維持している状態です。

 

私は、この中観こそがwith-agingを可能にすると思っています。

 

 

 最後に、認知科学者 苫米地英人博士の著書「『感情』の解剖図鑑 仕事もプライベートも充実させる、心の操り方」(誠文堂新光社)より引用します。

 ぜひ「老い」や「病」の先に待つ「死」の迎え方について考えてください。そして、その「死」まで見据えた上での“幸福”(あるいは、時間の流れのはじまりにある“幸福”)について思いめぐらしてください。それが今回のワークです。

 

 楽しんでもいい不安もある

 不安にはさまざまなものがありますが、その中には、「感じてもいい不安」と「感じる必要のない不安」があります。

 「感じてもいい不安」として、まず挙げられるのは、「老い」や「死」に対する不安です。

 人類はあるとき、「人は必ず老いる」「人は必ず死ぬ」「それを人間の力でコントロールすることはできない」ということに気づきました。おそらくそのときから、老いや死に対する不安が生まれたはずです。

 そうした不安に対処するために生まれたのが、宗教や哲学です。

 生きている限り、自分ではどうすることもできないことは必ずあり、不安も生じます。そして不安があるからこそ、人は人生と向き合い、思考を深めることができます。

 ですから、「老い」や「死」への不安のように、感じてもいい不安に関しては、「自分が不安を抱いている」ことをしっかり認め、無理になくそうとせず、その感情を楽しめばよいのです。

 

F-169につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-関連記事-

F129~The Sweet Hello, The Sweet Goodbye

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_396235.html

 

 

「感情」の解剖図鑑



F-169:アンチ(anti)からウィズ(with)、そしてウェル(well)へ vol.4-1「死」;well-aging <ワーク付き>

 

 最近、「生命は老いるようにはできていない」「老いは治療できる病である」「もはや老いを恐れることはない」と主張(claim)する衝撃的な本を読みました。読後に医師&コーチとして考えたことをまとめます。

 

vol.1「生」;好きなことだけやる

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24281579.html

vol.2-1「老」;anti-aging <ワーク付き>

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24337669.html

vol.2-2「老」;anti-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24402109.html

 vol.3-1「病」;with-aging <ワーク付き>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24466811.html

 vol.3-2「病」;with-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24549392.html

 vol.3-3「病」;with-aging <ワーク付き>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24604120.html

 vol.4-1「死」;well-aging <ワーク付き>

 

人生の終わりに待つ「死」まで見据えた上で、あらためて“幸福”を考えるとどのようなことがいえるでしょうか?

 未来から過去へと向かう時間の流れを考慮すると、「『死』ははじまり」ともいえます。そのはじまりにある“幸福”とはどんなものなのでしょうか?

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6542317.html

 

 今回御紹介する本は、「死とは何か イェール大学で23年連続の人気講座」(文響社)。米国イェール大学で道徳哲学や規範倫理学を教えるシェリー・ケーガン教授の「死」をテーマとした講義をまとめたものです。原題は「DEATH」。

 その本(講義)はこんな文章ではじまります。

 

 どのような生き方をするべきか?

 “誰もがやがて死ぬ”ことがわかっている以上、この問いについては慎重に考えなければなりません。どんな目的を設定するか、どのようにその目的の達成を目指すか、念には念を入れて決めることです。

 もし、死が本当に“一巻の終わりならば、私たちは目を大きく見開いて、その事実に直面するべきでしょう。

-自分が何者で、めいめいが与えられた“わずかな時間”をどう使っているかを意識しながら。

 引用終わり

 

 「死」をテーマとしているはずなのに冒頭から「どのような生き方をするべきか?」と問いかけていることに興味を持ち、ワクワクしながら読みはじめました。そして、著者の描く「どんな目的を設定するか」「どのようにその目的の達成を目指すか」に大きな期待を感じながら読み進めました。

 「目的」とはゴールのはずで、「目的の達成」はコーチングに通じるに違いないと思ったからです。それは「with-agingwell-agingに引き上げる何か」であるはず。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html

 

 ところが、読後感は、with-agingを感じた「脳科学は人格を変えられるか?」よりも、むしろanti-agingの「LIFESPAN 老いなき世界」に近いと感じました。

それは私にとって想定外であり、強い違和感を覚えました。認知的不協和です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5882652.html

 

LIFESPAN」の著者 デビッド・A・シンクレア教授は老化研究の第一人者です。よって、専門家であるが故にその視点が情報空間の底面(物理空間)にフォーカスされていることは理解できます。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516539.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654230.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654316.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831442.html

 

一方、「死とは何か(原題:DEATH)」の著者 シェリー・ケーガン教授は哲学や倫理学が専門であり、より高次の抽象度で「死」を考察する立場です。確かに「死(DEATH)」は物理空間での現象ですが、「何か」は情報空間に存在します。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html

 

私の無知と無理解が著者の意図をスコトーマに隠してしまうことがないように、ソクラテスの「無知の知」という忠告を何度も意識しながら読み進めました。不協和を感じるたびに。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721610.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/19879896.html

 

その上で率直に述べますが、私には著者の思考の抽象度が物理空間(または物理に近い低次元)に囚われているように感じられました。その象徴ともいえる表現を「死についての最終講義」から引用します。

 

 魂など存在しない。私たちは機械にすぎない。もちろん、ただのありきたりの機械ではない。私たちは驚くべき機械だ。愛したり、夢を抱いたり、創造したりする能力があり、計画を立ててそれを他者と共有できる機械だ。私たちは人格を持った人間だ。だが、それでも機械にすぎない。

 そして機械は壊れてしまえばもうおしまいだ。死は私たちには理解しえない大きな謎ではない。つまるところ死は、電灯やコンピューターが壊れうるとか、どの機械もいつかは動かなくなるといったことと比べて、特別に不思議なわけではない。

 

 ポイントはやはり「『存在→関係』か『関係→存在』かの違い」なのでしょう。

vol.2-2「老い」(F-165)で言及したとおり、前者の「存在があり関係が生まれる」という見方は西洋哲学がベースになっています。

 そして、その見方は、物理空間では不確定性原理により、情報空間では不完全性定理によって、完全に否定されました。「アプリオリはなく、すべては決定的ではない」ということはすでに証明されています。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6194669.html

 

対して、後者の「関係があり存在が生まれる」という見方は釈迦の縁起の思想をベースにしています。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html

 

 この「関係があり存在が生まれる」「関係が存在を生みだす」という見方は、「だから普遍的な実体などはなく、物事は常に変わりゆき、永遠に変わらないものなどない」という考え方に行き着きます。「無常」です。

 さらに、「すべてのものは他との関係性の網の中で形作られていて、普遍的な実在はない」という縁起を理解することは、抽象度の軸で見たときの情報宇宙の頂点(T)とした「空(くう)」の体得を可能にします。

空とは「なによりも情報量が少なく(なにもないに等しい)、かつ、潜在的な情報量はなによりも多い(とてつもなくある)」こと。この宇宙の見方が「空観(くうがん、くうかん)」です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353367.html

 

 認知科学者 苫米地英人博士に学んでいる方々は、まずはこの空観に由っています。もちろん私もです。

 だから、「私たちは機械にすぎない」「機械は壊れてしまえばもうおしまい」と断言されると猛烈な違和感を覚えるのです。抽象度の高い空間にあるコンフォートゾーン(苫米地情報場)から大きく逸脱するからです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6040892.html

 

 苫米地博士の提唱する苫米地理論は縁起ベースです。その代表が「超情報場仮説(理論)」。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5165789.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5165823.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5165888.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5306380.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5306438.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5306445.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5445932.html

 

苫米地理論においては、老いや病はもちろんのこと、生と死さえも空(くう)です。空という意味では「生命=機械」「死=壊」という見方もできるのかもしれませんが、だからといって「私たちは機械にすぎない」「機械は壊れてしまえばもうおしまい」「どの機械もいつかは動かなくなるといったことと比べて、死は特別に不思議なわけではない」という結論には至りません。ゼッタイに...です。

 

 では、どのように考えればよいのでしょうか?

 anti-agingwith-agingの先にはどんな境地があるのでしょうか?

 

F-170につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 もうひとつ、「『死』とは何か」が抱える重大な課題(ケースサイド)を御紹介します。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/12658417.html

 

 同書の第9講は「自殺」がテーマ。その重たいテーマを、著者は合理性と道徳性という観点で考察しています。「シェリー先生の結論」にはこのように記載されています。

 

 合理性:原則として自殺は合理的な選択となりうるのだ。

 道徳性:相手がよく考え、妥当な理由を持ち、必要な情報を得ていて、自分の意思で行動していることを確信できたとしよう。そんなケースでは、その人が自殺することは正当であり、本人の思うようにさせることも正当だと思える。

 

 いかがですか?

 自殺に関するイェール大学教授のこの“結論”について考えてください。それが今回のワークです。これは世界平和を実現するためのとても重要なワークになります。

 「anti-agingwith-agingの先にある境地」に至るためにも重要です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/16799778.html

 

 私の意見は次回(F-170-追記2- 中に記します。一言です。

 

 

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PM-06-18~:仮説13)宗教の限界

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F129~The Sweet Hello, The Sweet Goodbye

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_396235.html



「死」とは何か

  

F-170:アンチ(anti)からウィズ(with)、そしてウェル(well)へ vol.4-2「死」;well-aging <ワーク付き>

 

 最近、「生命は老いるようにはできていない」「老いは治療できる病である」「もはや老いを恐れることはない」と主張(claim)する衝撃的な本を読みました。読後に医師&コーチとして考えたことをまとめます。

 

vol.1「生」;好きなことだけやる

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24281579.html

vol.2-1「老」;anti-aging <ワーク付き>

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24337669.html

vol.2-2「老」;anti-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24402109.html

 vol.3-1「病」;with-aging <ワーク付き>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24466811.html

 vol.3-2「病」;with-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24549392.html

 vol.3-3「病」;with-aging <ワーク付き>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24604120.html

 vol.4-1「死」;well-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24655350.html

 vol.4-2「死」;well-aging

 

苫米地理論においては、老いや病はもちろんのこと、生と死さえも空(くう)です。空という意味では「生命=機械」「死=壊」という見方もできるのかもしれませんが、だからといって「私たちは機械にすぎない」「機械は壊れてしまえばもうおしまい」「どの機械もいつかは動かなくなるといったことと比べて、(死は)特別に不思議なわけではない」という結論には至りません。ゼッタイに...です。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353367.html

 

 では、どのように考えればよいのでしょうか?

 anti-agingwith-agingの先には何があるのでしょうか?

 

 …vol.3-3「病」(F-168)でanti-agingからwith-agingへの進化」を考察しました。それは年を重ねるとともに抽象度の階梯をのぼっていくことで実現します。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html

 

 抽象度の階梯をのぼることとは「人間形成」と同じ。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/9963845.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/9966391.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10116950.html

 

その人間形成の過程でますます前頭葉(前頭前野)を上手く使いこなせるようになり、高い抽象度次元に強い臨場感を感じることができるようになります。その結果として“The Power of Mind”を手に入れるのです。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_404758.html

 

 マインド(脳と心)の力を手に入れると、ますますパワフルかつクリエイティブに生きることができるようになります。本人にとって「あたりまえ」の自然な状態(100%want to)は、傍から見ると「高いモチベーション」「努力」「根性」に感じられます。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5882609.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/19980130.html

 

 

 絶望の中に見つけた希望をゴールにし、挑む過程でスピリチュアペインを克服していき、“トータルな幸福”を得る

 

 希望をゴールとして設定し本当にやりたいことだけをやり続けると、まずは心が元気になります。その心の変化は写像である物理空間(情報空間の底面)にあらわれ、やがては体も元気になっていきます。心と体は同じものであり、すべて情報だからです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23743308.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23037529.html

 

 

 絶望の中に見つけた希望をゴールにし、挑む過程でスピリチュアペインを克服していき、“トータルな幸福”を得る

 

 ゴールは“現状の外”にあります。“現状の外”とは今までの「自分(=ブリーフシステム)」を超越する新たな次元のこと。よって、そこを目指す過程はこれまでのコンフォートゾーンを飛びだす“挑戦”と感じられます。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721531.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6040892.html

 

 その挑戦の過程で“本当の自分”を作り上げていくことができます。それが「スピリチュアルペインの克服」。これまでの「無人運転」「自動運転」からの脱却です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_407080.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_369873.html

 

 

 絶望の中に見つけた希望をゴールにし、挑む過程でスピリチュアペインを克服していき、“トータルな幸福”を得る

 

 「『無人運転』『自動運転』からの脱却」というのは、自由に行き先を決めるということです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10400928.html

 

完全に自由に“自分”自身の手で行き先を決めるからこそ、「身体的」「心理・精神的」「社会的」「スピリチュアル」というすべての面で“トータルな幸福(well-being)”を得ることができます。それがWHOの定義する“健康”です。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/7859675.html

 

 しかしながら、「生老病死」という人生全体(total)で考えると、「行き先は必ず死」といえます。そこまでの行き方(生き方)は自由に決めることができたとしても、行き着く(生き尽く)ところは必ず「死」です。

未来から過去へと向かう時間の流れを考慮するならば、「『死』がはじまり」といえます。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6542317.html

 

 

 ここであらためて問い直します。“自分”オリジナルの答えを見いだす取り組みは、世界平和を実現するために、そして「anti-agingwith-agingの先にある境地」に至るために、とてもとても重要なワークとなります。今後のワークとも関係するため、ノート等に記載してください。

 

    人生の終わりに待つ「死」まで見据えた上で、あらためて“幸福(well-being)”を考えるとどのようなことがいえるでしょうか?

    未来から過去へと向かう時間の流れを考慮すると、「『死』がはじまり」といえます。そのはじまりにある“幸福(well-being)”とはどんなものなのでしょうか?

    人生の終着点(始発点)である「死」をどのように迎えれば(始めれば)よいのでしょうか?

    anti-agingwith-agingの先には何があるのでしょうか?

 

F-171につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記1

 ワークのヒントとして、vol.3-3「病」(F-168)で取り上げた俳優 マイケル・J・フォックスのコメントを再掲します。

 

感謝の気持ちに立ち返ることができれば、楽観的な見方を持ち続けられる。それは受け入れることから生まれるんだ。起きたことをそのまま受け入れる。それは現状を変えようという努力ができないという意味ではない。それに起きたことを自分への罰や自己犠牲として受け入れるということでもない。起きたことを正しい場所に受け止めるということなんだ。そして生きていかなくてはならない残りの人生がどれだけあるかを見る。そうすれば前進できる。

 

 

-追記2

 前回(F-169)の追記で「死とは何か(原題:DEATH)」(文響社)の著者 シェリー・ケーガン教授の「自殺」に関する結論を御紹介しました。この重たいテーマを、著者は合理性と道徳性という観点で考察しています。

 

 合理性:原則として自殺は合理的な選択となりうるのだ。

 道徳性:相手がよく考え、妥当な理由を持ち、必要な情報を得ていて、自分の意思で行動していることを確信できたとしよう。そんなケースでは、その人が自殺することは正当であり、本人の思うようにさせることも正当だと思える。

 

 納得できますか? 落ち着かない感じがしませんか?

 では、私の意見(claim)を簡潔に述べます。

議を言な(ぎをゆな)!

 (↑鹿児島弁です。詳細はこちらでどうぞ↓)

 S-02-15:マナーやルールに潜む罠 -2

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/19370962.html

 

 

-関連記事-

F129~The Sweet Hello, The Sweet Goodbye

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_396235.html

 

 

F-171:アンチ(anti)からウィズ(with)、そしてウェル(well)へ vol.4-3「死」;well-aging

 

 最近、「生命は老いるようにはできていない」「老いは治療できる病である」「もはや老いを恐れることはない」と主張(claim)する衝撃的な本を読みました。読後に医師&コーチとして考えたことをまとめます。

 

vol.1「生」;好きなことだけやる

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24281579.html

vol.2-1「老」;anti-aging <ワーク付き>

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24337669.html

vol.2-2「老」;anti-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24402109.html

 vol.3-1「病」;with-aging <ワーク付き>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24466811.html

 vol.3-2「病」;with-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24549392.html

 vol.3-3「病」;with-aging <ワーク付き>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24604120.html

 vol.4-1「死」;well-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24655350.html

 vol.4-2「死」;well-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24719389.html

 vol.4-3「死」;well-aging

 

    人生の終わりに待つ「死」まで見据えた上で、あらためて“幸福(well-being)”を考えるとどのようなことがいえるでしょうか?

    未来から過去へと向かう時間の流れを考慮すると、「『死』がはじまり」といえます。そのはじまりにある“幸福(well-being)”とはどんなものなのでしょうか?

    人生の終着点(始発点)である「死」をどのように迎えれば(始めれば)よいのでしょうか?

    anti-agingwith-agingの先には何があるのでしょうか?

 

 前回(F-170)の追記1で、ワークのヒントとして、俳優 マイケル・J・フォックスのコメントを再度紹介しました。その中にある言葉が「起きたことを正しい場所に受け止める」。

マイケルが「楽観主義は感謝から生まれるものだ」と気づいたのは、「起きたことを正しい場所に受け止める」という姿勢(attitude)によりスコトーマが外れ、より高い抽象度で“自分”を再評価することを可能にしたからです。その先にあるのが、大乗でいう「空観(くうがん)」です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html

 

その上で「生きていかなくてはならない残りの人生がどれだけあるかを見る」というのは、高い抽象度からの視点を保ったまま物理空間での“一期一会”を思い描くということ。「仮観(けかん)」です。その時のマイケルの心は、「戦い」ではなく、「貢献」の方にフォーカスしていたはずです。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23177616.html

 

「空」と「仮」を同時に満たす上位概念が「中観(ちゅうがん)」。

中観とは、すべての存在が「空」であるとする「空観」と、縁起の中での「仮の役割」に注目する「仮観」の2つをバランスよく維持している状態です。

私は、この中観こそがwith-agingを可能にすると思っています。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353367.html

 

 私がそのように確信するようになったのは、もちろん、師である認知科学者 苫米地英人博士に学んでいるからです。博士との御縁により、幼少期から慣れ親しんできた仏教と少年の頃から好きな科学、そして青年期から学び続けている医学・医療のゲシュタルトがどんどん結びついていきました。それは縁起の結実。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6193912.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/7383761.html

 

 前々回(F-169)御紹介した「死とは何か(原題:DEATH)」(文響社)を読みながら感じた強烈な違和感も「ゴールへ向かう重要な縁起」と理解しています。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html

 

そんな意識状態を保ちながら、苫米地博士の著書「『生』と『死』の取り扱い説明書」(KKベストセラーズ)を読み返してみました。

「死の正体」を明らかにする第二章(「死」は妄想)で、博士は「空観・仮観・中観」を取り上げていらっしゃいます。つまり、「死の本質」を理解するためには釈迦哲学が欠かせないということ。

 以下、同書より引用します。

 

空観、仮観、中観

 

 宇宙とか世界を捉える見方、考え方に「空観」「仮観」「中観」というものがあります。

 「空観」とは、すべてのものは「空」であることを知って、すべてのものを「空」として見るというものです。

 「空」という概念は非常に説明が難しいのですが、「有でもあり、無でもある」あるいは「有でもなく、無でもない」といった概念です。すべてを包含しうる概念と言えます。

 よけいに混乱してしまったかもしれませんが、「あるとも言えるし、ないとも言える」、ということは「あるとも言えないし、ないとも言えない」わけです。

 

 例えば、あなたは森の中にいたとします。では、その「森」というものは本当に存在するのでしょうか。

 「森」と言っても、ただ「木」がたくさん生えているだけです。木はあっても森は「ある」と言い切れるでしょうか。もしかしたら、「森」ではなくて「林」かもしれません。その区別すら、明確にはできないはずです。

 「木がたくさん生えているのが森」だとすれば、その「たくさん」というのはどの程度を言うのでしょうか。どこからが「木」で、どこからが「林」で、どこからが「森」なのでしょうか。

 そんなふうに考えていくと、「森」だと思っていた場所も、実は「森」ではないかもしれないと思えてきます。実際、「森」という存在があるのかないのか、なんとも言い切れなくなってきます。

 こんなふうにすべてのものは、よくよく見てみると、「あるとも言えるし、ないとも言える」ものだということがわかります。

 「でも、『木』はあると言えるんじゃないか」

 そう思う人もいるかもしれません。木が集まって森になる。だとすれば、森があるとは言い切れないが、木はあると言えそうだという主張でしょうか。

 しかし、「木」という存在も「森」と同様に怪しいのです。そもそも、「木」という言葉があるから「木」と認識しているだけであって、「木」という言葉を知らない人が「桜の木」と「つつじの木」を見たとき、同じ「木」だと捉えるかどうかははなはだ怪しいと言わざる得ません。

 また、木は細胞からできています。細胞がたくさん集まって、「木」と呼ばれるものを形作っているわけです。だとしたら、「森」と「木」の関係と同様、細胞はあっても、「木」というものが「ある」と言えるのかどうか怪しいということになります。

 細胞ももっと細かく分けることができます。核とか、細胞質とか、もっと言えば、分子とか原子とか、素粒子レベルまで分けることができます。

 では、素粒子はあると言えるのかと言うと、量子力学の世界をご存じの読者はおわかりのように、ある確率でしか、その場所に存在していると言えないのです。例えば、原子の中の電子の位置を正確に測定することはできません。

 こんなふうに「あるともないとも言えるし、あるともないとも言えない」というのが「空」という概念です。

 存在というのは、実は実体として「ある」とは言い切れず、常に他のものとの関係性の中でしか定義できません。どんなものであっても、「あるともないとも言え、またあるともないとも言えない」のです。

 こんなふうに、「すべてのものは『空』である」としてものごとを見る見方を「空観」と言います。

 引用終わり(続きは次回に)

 

 過去のブログ記事で米ハーバード大学教授の「LIFESPAN 老いなき世界」(F-165)や米イェール大学教授の「死とは何か(原題:DEATH)」(F-169)を取り上げ、『存在→関係』か『関係→存在』かの違い」がポイントであることを指摘しました。

前者(西洋哲学)が「体や老病死がある(存在する)」ことを前提にしているのに対して、後者(釈迦哲学)は「体や老病死はあるともないとも言え、またあるともないとも言えない」という立場。その後者の視点が空観です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23037529.html

 

苫米地博士は、「木と林と森の関係」を、細胞から素粒子のレベルまで抽象度を下げながら考察されていました。同様に、一人の人間の体を、器官から細胞そして素粒子へと抽象度を下げながらみていくと、「あるともないとも言えるし、あるともないとも言えない」ことがわかります。空(くう)です。

 

 私たちは、つい「一人の人間の命はひとつ」と考えてしまいがちですが、一人の体は60兆個をこえるたくさんの細胞の集まりです。その一つひとつが生きているからこそ、全体としての“ひとつの命”が成り立っています。

 無数の細胞(部分)が器官を形成し、たくさんの器官が見事に連携しながら“ひとつの命”(全体)を成り立たせている まさにゲシュタルトです。

 

 そんな“ひとつの命”に関わるのは自らの組織だけではありません。

例えば、腸の中には1003000種類の微生物(主に細菌)が100兆~1000兆個ほど存在するとされています。総重量はなんと1kg以上です。この腸内細菌の種類や数に私たちの健康状態が左右されることは、すでに科学的に立証されています。さらに最近は、人間の心の状態とこれら腸内細菌との相関まで指摘されています。まさに縁起!

このような様々な縁起により、「Total」として、一人の人間の命がダイナミックに形成されているのです。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html

 

この「一人の命を構成しているたくさんのいのち」という関係を人類(または地球)と地球上で暮らしている70数億人の関係に当てはめると、「人類(または地球)という一つの大きな命(全体)を構成しているたくさんのいのち(部分)」が私たち一人ひとりの命であるといえます。

つまり、私たち一人ひとりはより大きな人類(地球)という生命の一部。縁起のネットワークのひとつの結び目です。

 

F-172につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 引用文中にある「量子力学の世界」の参考にご覧ください↓



 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14526199.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14687391.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14687476.html

 

 

-関連記事-

F129~The Sweet Hello, The Sweet Goodbye

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_396235.html

 

 





F-172:アンチ(anti)からウィズ(with)、そしてウェル(well)へ -最終回- vol.4-4「死」;well-aging <ワーク付き>

 

 最近、「生命は老いるようにはできていない」「老いは治療できる病である」「もはや老いを恐れることはない」と主張(claim)する衝撃的な本を読みました。読後に医師&コーチとして考えたことをまとめます。

 

vol.1「生」;好きなことだけやる

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24281579.html

vol.2-1「老」;anti-aging <ワーク付き>

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24337669.html

vol.2-2「老」;anti-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24402109.html

 vol.3-1「病」;with-aging <ワーク付き>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24466811.html

 vol.3-2「病」;with-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24549392.html

 vol.3-3「病」;with-aging <ワーク付き>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24604120.html

 vol.4-1「死」;well-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24655350.html

 vol.4-2「死」;well-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24719389.html

 vol.4-3「死」;well-aging

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24786250.html

 vol.4-4「死」;well-aging <ワーク付き>

 

このように様々な縁起により、「Total」として、一人の人間の命がダイナミックに形成されています。

この「一人の命を構成しているたくさんのいのち」という関係を人類(または地球)と地球上で暮らしている70数億人の関係に当てはめると、「人類(または地球)という一つの大きな命(全体)を構成しているたくさんのいのち(部分)」が私たち一人ひとりの命であるといえます。

つまり、私たち一人ひとりはより大きな人類(地球)という生命の一部。縁起のネットワークのひとつの結び目です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html

 

そして、ひとつの細胞がその役割を果たし終わったら次の細胞に置き換わるように、私たちはいのちをしっかり次世代につないだ後には自らを消すべき存在であるといえます。もしも人間が死ななくなると、人類(地球)が滅びます。死ななくなったがん細胞がその集合である個体を死に追いやるように。

 

個をより大きな存在の一部とみなすことこそ「Total」という概念の重要な部分です。それは「抽象度を上げること」そのものであり、仏教でいう「無分別」の実践です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html

 

そして、それは“無敵”へといたる旅!

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5446097.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5448151.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615695.html

 

その旅の途中に、さらに高次の抽象度空間(情報場)への扉が開かれ、アブラハム・マズローが晩年に付け加えた「自己超越の階層」に到達します。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/9963845.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/9966391.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10116950.html

 

では、vol.4-2「死」(F-170)で御紹介したワークに再度取り組んでみましょう。前回の答えはいったん忘れ、まったく新しい“自分”オリジナルの答えを見つけなおしてみましょう。

苫米地博士の著書「『生』と『死』の取り扱い説明書」(KKベストセラーズ)中の下記文章(前回引用のつづき)を参考にされてください。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24719389.html

 

 引用開始

 これに対して、「すべてのものは『空』であるとしても、関係性(縁起)によってそれぞれの役割があり、たとえ仮の存在であっても、その存在や現象の役割を認めて見てみようという見方が「仮観」です。

 存在そのものは「空」であっても、その「空」である存在に役割があるのだから、その役割を積極的に見ていこうとするものの見方です。「空」であることから一旦離れて、役割のほうに注目していこうという見方とも言えます。

 映画にたとえると、常に「映画というのはすべてフィクションなのだ」という視点で映画を見る見方が「空観」で、「映画はフィクションだが、そのストーリーには役割があり、意味があるので、ストーリーの中に積極的に入り込んで臨場感を最大限に感じながら、お話しをしっかりと見ていこう」という視点で映画を見るのが「仮観」と言えるでしょうか。

 そして、この二つの見方の間に立って、同時に成り立たせる見方が「中観」です。「空観」と「仮観」よりも一つ抽象度が高い見方と言えるでしょう。「空観」の視点でフィクションだとしっかり認識しつつ、「仮観」の視点でその役割を認めて、フィクションの世界に価値を見いだす視点が「中観」なのです。

 「仮観」とどう違うのかと思うかもしれませんが、「仮観」は「空観」の対立項で、存在は「空」であるということを知っていても、あえてそうした見方をしないで、役割のほうを見る見方であるのに対して、「中観」は存在が「空」であることも積極的に認め、それをしっかりと認識しながら、同時に役割にも価値を置くという見方です。

 これまでの話で言えば、「妄想だとわかって宗教の壮大なストーリーに価値を見いだす」のが「中観」的ものの見方なのです。「仮観」の場合は、「妄想だが、妄想であるとは見ずに、ストーリーに浸ってしまう」見方と言えるでしょう。

 この「中観」というものの見方は非常に重要です。宗教は妄想ですが、役割があり価値があるなら、妄想だってかまわないと見るわけです。もちろん、妄想であることをしっかりと認識して、同時にその妄想に価値を認めるわけです。

 死が怖いとか、死に接して心の整理がつかないと言って、日々、悶々として生きるよりは、「いや、死は怖くないんだよ」という妄想によって明るく生きたほうがいいわけで、妄想だとわかったうえで、その妄想にあえて乗ってしまうことは何の問題もありません。

 ただし、何度も言う通り、妄想だとはっきり教えてあげないと、戦争が起こってしまいます。本気で唯一絶対の神を信じてしまったら、神が「信じないものは殺せ」と言った場合、本当に殺してしまうわけです。でも、妄想だとわかっていればそんなことは起こりません。映画の主人公が何を言っても、それに従う観客がいないのと同じことです。

 西洋の宗教で問題なのは、「空」の考え方が抜け落ちていることです。「空」の考え方がありませんから、「空観」もありませんし、「仮観」もありません。もちろん、「中観」もあり得ません。

 フィクションを実物だと思い込んでしまう思想なのです。実物だと思ってしまうと、隣の世界を認めることができなくなります。「信じるものは救われる」=「信じないものは救われない」=「信じないものは神が排除してもいいと認めている」という論理になってしまうのです。

 また、すべてのものが「空」ではなく実物であるなら、大きければ大きいほどいいと考えてしまうのも、道理というものです。ビルは高ければ高いほどいいと考え、領土は広ければ広いほどいいと考え、金(マネー)は多ければ多いほどいい、ということになってしまうのです。

 ビルも領土も金も「空」だと知っていれば、そんなものにこだわること自体が無意味だとわかるはずです。

 そもそも金(マネー)というのは、物々交換を媒介する道具です。ところがいつのまにか、その道具ばかりを増やすことに心血を注ぐようになってしまいました。すべてを本当にあるもの、実であると考えてしまったからです。

 引用終わり

 

 

<ワーク>

    人生の終わりに待つ「死」まで見据えた上で、あらためて“幸福(well-being)”を考えるとどのようなことがいえるでしょうか?

    未来から過去へと向かう時間の流れを考慮すると、「『死』がはじまり」といえます。そのはじまりにある“幸福(well-being)”とはどんなものなのでしょうか?

    人生の終着点(始発点)である「死」をどのように迎えれば(始めれば)よいのでしょうか?

    anti-agingwith-agingの先には何があるのでしょうか?

 

 

 いかがですか?

 前回(F-170)と比べて、どんな変化が生じましたか?

 

前回と今回の答えの違いは、抽象度の違いのはず。そうやって抽象度の階梯をのぼっていくことで(人間形成)、人は“The Power of Mind”を手に入れていきます。

もしも「Total」に通じるような大きな何かを感じられたなら、きっとそのちょっと先にはシンの平和が待っています。平和に至るマインドの変化が「antiwithwell」であり、そのプロセスそのものが“幸福(well-being)”といえるはずです。

 今後の「フリーテーマ」での投稿(F-176~)で掘り下げていきます。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/16799778.html

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 このシリーズの冒頭(F-163)で、「ウルマンの『悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させる元凶である』という主張(claim)が証明されたといえます」と書きました。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24281579.html

 

 厳密には、この表現は△です。因果関係を考えると、情動(悩み・疑い・不安・恐怖・失望)は結果であり、因ではないから。

 

「情動」も「若さの消滅」と同様に結果にすぎません。「マインドでの情報処理」の結果です。その情報を生みだすのはゴール。だから、コーチングが重要なのです。「ゴールがない」「ゴールが間違っている」「ゴールが不明瞭」というのが、ウルマンの言う“元凶”といえます。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/24205164.html

 

Goal comes first」(by Mr. Lou Tice)ということです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23715889.html

 

 

-関連記事-

F129~The Sweet Hello, The Sweet Goodbye

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_396235.html

PM-00-06:第六章(職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題)目次

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/15110477.html

 

 

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