苫米地式コーチング認定コーチ CoacH T <タケハラクニオ> ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学び九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

カテゴリ:F:フリーテーマ > F-146~ トリアージをコーチの視点で考える

F-146:トリアージ(triage)をコーチの視点で考える vol.1;トリアージとは?

 

 私は2007年から11年間にわたって病院長を務め、その間に300回の研修会を開催しました。初めは手探りで行っていたのですが、2009年に認知科学者 苫米地英人博士と情報的に出会ってからはコーチングが主になり、さらには医療・介護現場の課題をコーチングで解決していくスタイルに変わっていきました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7702480.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7702640.html

 

 今回御紹介するのは、コーチングを導入しようと奮闘していた院長時代に作成したもの。テーマは「トリアージ(triage)」です。

 (実際には“奮闘”ではなく“粉砕”しましたw

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/15110477.html

 

 2008年(苫米地理論と出会う前)に作成後2011年(苫米地理論と出会った後)に作り直したものをベースに、さらに2020年(認定コーチ6年目)の視点で「connect the dots」したいと思います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

 

 

vol.1;トリアージとは?

 

<ケース1:大噴火&地震発生!>

新燃岳(しんもえだけ)が大噴火。同じく地震も発生。

次々と病院に患者さんが運び込まれている。軽症から重症までたくさんの患者さんがあふれ病院は大混乱

(以下、細かすぎるため省略しますw

 

 先日(202064日)、鹿児島の桜島で民家の近くまで大きな噴石が飛ぶ爆発的噴火がおこりました。市の調査によると、民家からわずか150mのところに直径6m、深さ2mのえぐれた穴(落下痕)があり、周囲の木々の枝が円を描くように折れていたそうです。

 106年前(大正3年)の大噴火では、流れ出した溶岩で海峡(最大距離400m、最深部100m)が埋め尽くされ、桜島と大隅半島が陸続きになりました。

現在、地下のマグマ供給を示す山体膨張が続いており、再び大噴火が起こるのではと危惧されています。

 

新燃岳は霧島連山に位置する活火山です。2011119日(東日本大震災の年)に約300年ぶりというマグマ噴火がおこり、その後も2017年と2018年に噴火しています。

 

 鹿児島以外(特に関東)にお住いの皆さんにとっては、富士山の動向が気になっているのではないでしょうか。

今年4月、日本政府は富士山が噴火した場合の「降灰シミュレーション」を発表しました。報道によると、前回の宝永噴火(1707年)と同じ規模の噴火が起こったとしたら、たった2週間で桜島約200年分の火山灰が降り積もってしまうそう。降灰に苦しめられている鹿児島人からすると、まったく想像できない(したくない)スケールです。

 風向きにもよりますが、いずれにせよ首都圏一帯が深刻な影響を受けると予想されています。鉄道は運行できず(0.5mm積もればアウト)、空港は閉鎖(航空機のエンジンに灰が入ると墜落の恐れがあるため)。火力発電所は停止し、断水が発生します。降灰後に雨が降れば重みで送電網が断線(停電の長期化)、木造家屋の倒壊も起こりえます。

 大混乱の中、病院は次々に運び込まれる多くのけが人や病人であふれかえるはずです。そんな状況で医療優先度を決断するのが「トリアージ(triage)」です。

 

では、まず、基本知識として世界共通の大災害時の受傷者受け入れ手順を示します。

1)      大災害発生!

2)      受傷者を受け入れる医療施設はトリアージポスト(赤ゾーン、黄ゾーン、緑ゾーン、黒ゾーン)を設営する

3)      すべての受傷者は、先ずトリアージポストで診察を受け、重症度を判定される

-重症者(critical)は赤ゾーン、中等症者(urgent)は黄ゾーン、軽症者(walking wounded)は緑ゾーン、そして死亡者(dead)は黒ゾーンに振り分けられる

4)      各ゾーンでは診察+2次トリアージ+治療が行われる

-緑ゾーンの患者が急変して赤ゾーンに変更されることもある

5)      赤ゾーンの患者は救命のための必要最小限の処置を行った後にICUや手術室に送り込む

6)      黄ゾーンの患者は原則として一般病棟に入院させる

7)      緑ゾーンの患者は応急処置後に帰宅させる

8)      黒ゾーンの患者は遺体として安置される

5)から8)は各ポストで同時進行

 

トリアージ後の患者さんにはトリアージタッグをつけます(右手首)。トリアージタッグとは災害専用のタッグで、名前・性別・年齢と暫定的な診断を記入した後、患者さんの四肢につけるものです。一部切り取れば赤や黄色などが先端にくるようになっており、一目で重症度が分かるようになっています(下写真)。

 

 

トリアージタッグ(Wiki.)

トリアージタッグ

Wikipedia(トリアージ)より引用

 

 

トリアージのやり方にはいろいろな流派があります。その中でSTART方式(simple triage and rapid treatment)を御紹介します。

 

STEP1:呼吸

・気道確保後、呼吸がなければ死亡と判断→黒ゾーンへ

・呼吸回数が30/分以上(または10/分未満)であれば、呼吸障害があると判断→赤ゾーンへ

・呼吸回数が10~29/分→STEP2

STEP2:循環

持続する外出血は止血する。そしてCRT:爪床圧迫後充血回復時間をみる

(最近は橈骨動脈触知に変更したSTART変法が主)

2秒以上(または橈骨動脈触知不能)なら循環不全があると判断→赤ゾーンへ

2秒未満(または橈骨動脈触知)→STEP3

STEP3:意識

離握手などの命令に対する反応をみる

・反応が不適切なら意識障害があると判断→赤ゾーンへ

・反応が適切で歩行不能→黄ゾーンへ

・反応が適切で歩行可能→緑ゾーンへ

 

 

START法フローチャート(Wiki.)

START法による診断フローチャート

Wikipedia(トリアージ)より引用

 

 

 

START方式はとくにシンプルさを重視した方法ですが、他の方法であっても「あくまでも現状での選別であり不完全」であることを強く意識すべきです。思い込みはスコトーマを生み、取り返しのつかないミスにつながります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

次回のテーマになりますが、2005425日に発生したJR福知山線脱線事故では、残念ながら腹部鈍傷の若い女性が緑タッグをつけられ待機している間に急死してしまいました。後の研修会でそのケースは検証されましたが、専門家でも緑タッグとする方が多かったそうです。

 

災害時のトリアージでは様々な問題や困難が生じます。次回具体的に取り上げ、さらに抽象度を上げて考察します。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

F-147につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

F-147:トリアージ(triage)をコーチの視点で考える vol.2;トリアージの問題点/課題 <前編>

 

 私は2007年から11年間にわたって病院長を務め、その間に300回の研修会を開催しました。今回御紹介するのは、コーチングを導入しようと奮闘していた院長時代に作成したもの。テーマは「トリアージ(triage)」です。

 (実際には“奮闘”ではなく“粉砕”しましたw

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/15110477.html

 

 2008年(苫米地理論と出会う前)に作成後2011年(苫米地理論と出会った後)に作り直したものをベースに、さらに2020年(認定コーチ6年目)の視点で「connect the dots」したいと思います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

 

vol.1;トリアージとは?

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/23110775.html

 

 

vol.2;トリアージの問題点/課題 <前編>

 

どの流派でもトリアージのやり方は簡素化されており、機械的に振り分けられるようになっています。しかし、実際はかなりの混乱が生じる(修羅場になる)と予想されます。

トリアージには精度および倫理の問題が必ず伴うからです。

 

トリアージは短時間で迅速に行うものであり、傷病者を詳細に診察し検査をした上で診断することはできません。したがって、一定の確率で重症が軽症に選別されますし、その逆も起こります。

一般的に、選別基準を厳しくして重症に選別する人数を少なくするほど、重症を軽症と誤る確率が高くなります。逆に、基準を緩くして重症に選別する人数が増えるほど、軽症が多く含まれるようになります。

いずれにせよ、トリアージの精度には限界があり100%の精度は望めません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

トリアージにおけるもう一つの問題が、最重症者の選別における倫理問題です。

傷病者数が少なく充分な医療資源が得られる時は、たとえ救命可能性が低くても重篤な傷病者の治療優先度が最も高くなります。一方、明らかに傷病者数が医療資源を上回っている場合(地震などの大災害時)には、治療によって救命できる可能性の高い傷病者が優先され、重篤すぎる傷病者の治療優先度は低くなります。

つまり、優先度は不変ではなく、「意味は状況で決まる」のと同様に、その時の状況でどんどん変わっていくのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

このように選別基準は状況によって変化するため、異論・反論が生じやすくなります。

最も重篤な傷病者の治療優先度を下げるということは“死の宣告”と同じです。それは一般的な倫理規範に反するため、トリアージを行う者に強い心理的ストレスを与えます。

傷病者やその関係者はもちろんのこと、医療者自身もファイト・オア・フライトに陥りやすくなるといえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

さらに、その判断の適否を巡って、後から責任を追及されることさえあります。

前回(F-146)御紹介したJR福知山線事故では、黒タッグをつけられた患者の遺族がトリアージをした医師に復讐を試みたという恐ろしい噂を耳にしました。もしも本当なら、家族はきっと大脳辺縁系優位のままだったのでしょう。それは「動物的怒り」「私憤」といえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14107083.html

 

このように厳しい状況下でのトリアージには、「最大数の命を救うために、全ての命を救う努力を放棄する」という決断が求められます。医療者は、限られた時間の中で、究極の判断をしなければならないのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14120540.html

 

ここで厳しい状況下でのトリアージについて、違う表現でまとめます。

1)     手を尽くしても助けられない人には何もしない

2)     放っておくと死ぬけれども、すぐ手を尽くせば助かる人をまず最初に治療する

3)     放っておくとよくないが、とりあえず少しは待てる人を次に

4)     放っておいても死なない人は後回し

 

繰り返しますが、災害医療は、通常の医療とは大きく異なり、限られた資源(医薬品、医療従事者等)で多くの患者(負傷者)を診なければなりません。よって、冷たいようですが、どうしても“見捨てられる患者”が生じてしまいます。

 

では、最後に問題です。

Q1:“見捨てられる患者”が生じることは、「仕方がない」と受け入れ、諦めるべきなのでしょうか?(F-148で考察)

Q2:トリアージを行う者は何をよりどころにすればいいのでしょうか?(F-148で考察)

Q3:「限られた資源で多くの患者を診なければならない」 このフレーズを聞いて何か思い当たりませんか?(F-149で考察)

 

F-148につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 もう一問w

 本文中に書いたトリアージの表現は2008年時点の私の考えです。苫米地博士に学び始めた後、この考え方には大きな問題点(課題)があることに気づきました。

Q4:下記の表現に潜む問題点(課題)とは何でしょうか? (F-150で考察)

1)     手を尽くしても助けられない人には何もしない

2)     放っておくと死ぬけれども、すぐ手を尽くせば助かる人をまず最初に治療する

3)     放っておくとよくないが、とりあえず少しは待てる人を次に

4)     放っておいても死なない人は後回し

 

 

-関連記事-

    F-140~:不要不急

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_400247.html

    S-02~:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~(目次)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

    S-03~:心のエネルギーとは何か? ~カナックス事件に学ぶ“心のエネルギー”をコントロールする方法~(目次)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19879680.html

 

 

F-148:トリアージ(triage)をコーチの視点で考える vol.3;トリアージの問題点/課題 <中編>

 

 私は2007年から11年間にわたって病院長を務め、その間に300回の研修会を開催しました。今回御紹介するのは、コーチングを導入しようと奮闘していた院長時代に作成したもの。テーマは「トリアージ(triage)」です。

 (実際には“奮闘”ではなく“粉砕”しましたw

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/15110477.html

 

 2008年(苫米地理論と出会う前)に作成後2011年(苫米地理論と出会った後)に作り直したものをベースに、さらに2020年(認定コーチ6年目)の視点で「connect the dots」したいと思います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

 

vol.1;トリアージとは?

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/23110775.html

 vol.2;トリアージの問題点/課題 <前編>

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/23211097.html

 

 

vol.3;トリアージの問題点/課題 <中編>

 

このように厳しい状況下でのトリアージには、「最大数の命を救うために、全ての命を救う努力を放棄する」という決断が求められます。医療者は、限られた時間の中で、究極の判断をしなければならないのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14120540.html

 

ここで厳しい状況下でのトリアージについて、違う表現でまとめます。

1)     手を尽くしても助けられない人には何もしない

2)     放っておくと死ぬけれども、すぐ手を尽くせば助かる人をまず最初に治療する

3)     放っておくとよくないが、とりあえず少しは待てる人を次に

4)     放っておいても死なない人は後回し


繰り返しますが、災害医療は、通常の医療とは大きく異なり、限られた資源(医薬品、医療従事者等)で多くの患者(負傷者)を診なければなりません。よって、冷たいようですが、どうしても“見捨てられる患者”が生じてしまいます。

ここで問題です。

Q1:“見捨てられる患者”が生じることは、「仕方がない」と受け入れ、諦めるべきなのでしょうか?

Q2:トリアージを行う者は何をよりどころにすればいいのでしょうか?

Q3:「限られた資源で多くの患者を診なければならない」 このフレーズを聞いて何か思い当たりませんか?(F-149で考察)

Q4:下記の表現に潜む問題点(課題)とは何でしょうか? (F-150で考察)

1)     手を尽くしても助けられない人には何もしない

2)     放っておくと死ぬけれども、すぐ手を尽くせば助かる人をまず最初に治療する

3)     放っておくとよくないが、とりあえず少しは待てる人を次に

4)     放っておいても死なない人は後回し

 

 

 それではコーチの視点で考察していきます。

Q1:“見捨てられる患者”が生じることは、「仕方がない」と受け入れ、諦めるべきなのでしょうか?

 

 A1:最初に「『仕方がない』と受け入れる」ことはとても重要です。なぜなら、「全員を助けることはできない」という厳しい状況では、医療者自身がファイト・オア・フライトに陥りやすくなるから。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

 ファイト・オア・フライトの状態とは、簡単にいうと、心身ともこわばった状態。前頭葉前頭前野よりも大脳辺縁系の方が優位になるため、IQが一時的に下がり(「頭が真っ白」「思考がまとまらない」「怒りっぽくなる」など)、普段は簡単にできることができなくなります(「粗暴」「乱雑」「ミスが増える」など)。

 それは抽象度が下がった状態。脳の機能でいえば、人間的な社会的情動(感性)または論理のレベルから、動物的な情動処理レベルに一時的に退化してしまった状態です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14107083.html

 

 そんな状態では助けられる命も助けられなくなります。だから、まず「『仕方がない』と受け入れる」ことで、自らがファイト・オア・フライトに陥らないようにする(すぐに脱する)必要があるのです。「厳しい状況の中で最大数の命を救う」ために。

コーチとしてしっかり言い換えると、「最大数の命を救う」をゴールにし、「厳しい状況」をコンフォートゾーンに変えてしまう感じです(さらに詳しくは追記で)。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

 「『仕方がない』と受け入れる」ことはとても重要

 

 しかしながら、受け入れることはOKでも、諦めることはNGです。諦めた瞬間に「もっと救える可能性」がスコトーマに隠れてしまいます。そればかりか解決(改善)のためのエネルギーと創造性を失い、上方修正することができなくなります。現場の状況は刻一刻と変わっていくのに。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 では、「とりあえず受け入れるが、決してあきらめない」ためにはどうすればいいのでしょう?

 その答えはQ2への回答と同じです。

 

 

Q2:トリアージを行う者は何をよりどころにすればいいのでしょうか?

 

 A2:ポイントは「不完全性を忘れることなく思考し続け、ゴールを再設定し続ける」こと。つまり、大乗仏教でいう「空(くう)」をよりどころにするのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

「空」を理解しているからこそ、厳しい状況の中に希望を見いだすことができます。

「空」を体感しているからこそ、“現状の外へ新たなゴールを設定し続けることができます。

「空」だからこそ、リミッターをはずし、潜在能力をフルに発揮することができます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045695.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 これらは私が苫米地式認定コーチとして医療・介護現場にコーチングを届け続けている“よりどころ”でもあります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14833876.html

 

F-149につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記1

 本文中に「コーチとしてしっかり言い換えると、『最大数の命を救う』をゴールにし、『厳しい状況』をコンフォートゾーンに変えてしまう感じです」と書きました。

さらに詳しく述べると、「最大限の命を救う」はエンドステートに相当します。エンドステート、アサンプション、コース・オブ・アクションについて、苫米地博士の著書「コーポレートコーチング(下)」を参考に下記記事にまとめています。「不言実行」がテーマです↓

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14973460.html

 

-追記2-
 今回は「厳しい状況下でのトリアージ」をテーマにしていますが、その“状況”自体はどんどん変化していきます。私が医療・介護現場で行う研修では、その“状況”の変化を「レジリエンス」の枠組み(ゲシュタルト)で捉えることを提案しています(「重要度&緊急度によるマネジメント」も)。
 
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 



    Normal Operations ←継続的なモニタリング  第二領域「重要不急」

    ShockCascading ←最低ラインの確保          第一領域「重要緊急」

    Recovery Phase ←準平常ラインの設定           第一から第二領域への移行期

    Restoration Phase ←さらに高いラインに回復 第二領域「重要不急」

 

レジリエンスカーブ(191104バラだん)

「バラいろダンディ」(東京MX2019114日放送回)より引用

https://www.youtube.com/watch?v=CZyGvCXnCGI

 


御興味のある医療・福祉関係者の皆さまは、下記メールアドレスに御連絡ください。

(今後、セミナーや研修はオンラインで行う予定です。ただ今準備に奮闘中ですw

連絡先:coachfor.m2@gmail.com

 

 

-関連記事-

    F-140~:不要不急

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_400247.html

    S-02~:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~(目次)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

    S-03~:心のエネルギーとは何か? ~カナックス事件に学ぶ“心のエネルギー”をコントロールする方法~(目次)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19879680.html

 

 

コーポレートコーチング




F-149:トリアージ(triage)をコーチの視点で考える vol.4;トリアージの問題点/課題 <後編>

 

 私は2007年から11年間にわたって病院長を務め、その間に300回の研修会を開催しました。今回御紹介するのは、コーチングを導入しようと奮闘していた院長時代に作成したもの。テーマは「トリアージ(triage)」です。

 (実際には“奮闘”ではなく“粉砕”しましたw

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/15110477.html

 

 2008年(苫米地理論と出会う前)に作成後2011年(苫米地理論と出会った後)に作り直したものをベースに、さらに2020年(認定コーチ6年目)の視点で「connect the dots」したいと思います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

 

vol.1;トリアージとは?

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/23110775.html

 vol.2;トリアージの問題点/課題 <前編>

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/23211097.html

 vol.3:トリアージの問題点/課題 <中編>

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/23264809.html

 

 

vol.4;トリアージの問題点/課題 <後編>

 

 前回までトリアージにおける問題点/課題をコーチの視点で考察しました。今回はさらに抽象度を上げて、以下の疑問について考察します。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

Q3:「限られた資源で多くの患者を診なければならない」 このフレーズを聞いて何か思い当たりませんか?

 

 A32020年夏、新型コロナウイルス感染者が再び増加する中、“空前絶後”の予算額16794億円を投じる「Go To キャンペーン」が始まりました。しかも、「前倒し」「終了時期未定」「直前の東京外し&キャンセル料?(Go To トラベル)」といったドタバタ感全開で。

 (ちなみに「休業補償の雇用調整助成金」は8000億円、「感染拡大防止策と医療提供体制の整備および治療薬の開発」のための厚労省補正予算は計6695億円です)

「冷房と暖房の両方をかける(by小池東京都知事)」ような大混乱の中、よく耳にするのが「経済を回す必要がある」と「医療提供体制は逼迫した状況ではない」という言葉です。

 

医療提供体制は逼迫した状況ではない

 

 私の正直な感想は「医療提供体制はとっくに逼迫している」です。そしてその原因は、COVID-19ではなく、もっと根深いところにあると思っています。

以下、病院長として働いていた2008年に書いた文章を転載します。

「限られた資源で多くの患者を診なければならない」という状況下で行うトリアージには、「最大数の命を救うために、全ての命を救う努力を放棄する」ことが厳しく求められている事実をイメージしながらお読みください。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 

-転載開始(具体例やデータは2008年当時のものです)-

ところで「限られた資源で多くの患者を診なければならない」このフレーズを聞いて何か感じませんか?

 

「医療崩壊」と語られる現在の医療情勢で、介護士・看護師・医師不足がやっと認識されるようになってきました。世界標準と比較すると看護師は45千人、医師は13万人不足しているといわれています。

日本では看護師さんがいかに少ないか! ベッド100床あたりの日本の看護師さんは54.0人です。アメリカが233.0人、イギリス224.0人、ドイツ108.6人、フランス91.1人と厚生労働省が発表しています。

  


日本の医療費は国内総生産(GDP)比で、1998年の時点で世界18位です。2004年では更に後退しOECD加盟30か国中22位に位置します。この事実が示すのは「日本の医療費は安い」ということ。

参考までに身近な疾患である虫垂炎(いわゆる盲腸)の入院費を国際比較すると、ホノルルで232万円、ニューヨークは195万円。日本は3040万円で、これはサンパウロより安くマニラより高いというポジションに位置し、ソウルの半分くらいだそうです。
 

では、世界で一番長寿の国はどこでしょうか?

もちろん日本です。2002WHOから発表された人口100万人以上の国149カ国の平均寿命の比較にて、日本は堂々の1位(男性:78.4歳、女性:85.3歳、平均:81.9歳)。ちなみに最下位はシエラネオレで平均34.0歳です。

これからの日本は、世界が初めて経験する超高齢化社会を迎えます。

 


「限られた資源(医療費、マンパワー)で多くの患者さん(これからますます増える高齢者)を診る」という厳しい状況はすでに当たり前になっています。これがいろいろ言われている医療崩壊の本質だと私は思っています。

 

WHOはそんな限られた医療資源で何とか行われている日本の医療を世界1位と評価しています。先日は、ヒラリー・クリントンさんが「日本の医療従事者は聖職者のようだ」と驚きを持って賞賛したことが報道されていました。

 

日本の医療費抑制は1983年にはじまったといわれています。この年、「社会保険旬報」に掲載された「医療費をめぐる情勢と対応に関する私の考え方」という題目で、当時の厚生省保険局長である吉村仁氏がいわゆる「医療費亡国論」を執筆しました。政府官僚は忠実にこの論文を信じて突き進み続けたようです。

ちなみに1995年における旧厚生省の2025年度医療費試算は141兆円でした。しかし現時点の医療費は32兆円。2005年に厚労省から発表された2025年の医療費予測は69兆円になっています。たった10年で医療費予測が72兆円も下方修正されたのです。億でなく兆オーダーの修正です。

とてもいいかげんな予測だったといえますが、「医療費の増大が日本をダメにする」という印象を植え付けるための仕込みだったと噂されています。

 

4月から75歳以上の「後期高齢者」の新たな保険制度が実施されます。今年1月に石川県金沢市で開催されたフォーラムにて「後期高齢者医療制度の創設とねらい」と題して、厚生労働省の高齢者医療制度施行準備室で室長補佐を務める土佐和男氏が基調講演をしました。その中で「医療費が際限なく上がっていく痛みを、後期高齢者が自分の感覚で感じ取っていただくことにした」と、独立型保険を創設した理由を明言したそうです。

一体どういう意味なのでしょうか?

 

<ケース2

77歳女性。左大腿切断あり。関節リウマチにて他院通院中。

食欲不振・倦怠感を主訴に当院外来予約。事前に満床のため入院受け入れはできないことをMSW(医療ソーシャルワーカー)が説明していたが、「どうしても10日間入院させて欲しい」と予約日前日に来院。繰り返し入院治療を要求

 

<ケース3

82歳女性。自宅一人暮らし。

1週間前から食欲がなかった。入院の準備をして長男と外来受診。来院直後に「仕事が忙しいから。入院させて欲しい」と言い残し、母を残したまま長男は去ってしまう

 

日本政府は未だに医療崩壊の現実に目を向けていません。このままでは必ず医療難民・介護難民が大量発生します。一番の不幸は国民の皆さんがその事実を実感していないこと。

医療スタッフは、混乱する日々の医療現場で、「最大数の命を救うために、全ての命を救う努力を放棄する」ことをすでに強いられています。そして、今後ますますその状況は悪化していきます。

外来予約受付をしてくださっているスタッフ、各種相談に対応しているスタッフの方々。辛く、苦しく、やるせない気持ちで働いていませんか?

私自身、「医療者は慈悲を封印し、トリアージの感覚で医療を行うのがアタリマエ」という悲しい思いとともに、苦しい日々を送っています。

 -転載終わり-

 

 

日本国民には健康に暮らす権利があり、日本国には国民の健康を守る義務があります。それは日本国憲法にはっきりと記されています。第二十五条です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13214313.html

 

 

日本国憲法 第三章第二十五条

「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」

 

 

日本国憲法第二十五条に謳われた国民の権利は「生存権」、つまり「餓死しなければいい権利」ではなく、「健康で文化的な最低限の生活」のことです。医療や福祉の充実は、国民の権利であり、国の義務です。

多くの人は、権利と義務の関係を、「権利があるから義務がある。義務があるから権利がある」という補完の関係と誤って認識しています。しかしながら、正確には「権利があって初めて義務が発生する」という権利が主、義務が従の関係です。

つまり、憲法第25条で保障された国民の権利を前提として、納税等の義務が生じているのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13959033.html

 「権利が主、義務は従」という正しい関係性の理解は、コーチングにおいてもとても重要なポイントになります。

 

 社会や身近なコミュニティ内に存在するあらゆるマナーやルールに紐づくものは、義務ではなく権利です。それらが権利だとわかれば積極的に守ろうとし、運用しづらければすぐに改めようとするはず。

一方で、マナーやルールが義務だと思うと何とか抜け道を探そうとするのが、「プッシュ・プッシュバック」や「創造的回避」と表現される人の性です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882703.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040752.html

 

権利だとしっかり自覚することで、その行動は「want to」になります。権利を行使するにしても放棄するにしても、そこにあるのはゴールに向かうベストな判断です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

反対に、義務だと感じた途端に「have to」になります。その状態では豊かな才能を発揮することはできません。行き過ぎた義務感は、不安・恐怖や罪悪感とともに、人を霧の中に閉じ込めてしまいます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13523715.html

  


 今回の新型コロナウイルスの騒動は、国民のスコトーマを外し、「医療提供体制は逼迫した状況ではない」という言葉が覆い隠す真実を露わにしようとしています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 今こそ「とりあえず受け入れるが、決してあきらめない」姿勢、すなわち「大乗仏教でいう『空(くう)』をよりどころにしながら、不完全性を忘れることなく思考し続け、ゴールを再設定し続ける生き方」が求められているといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

 

 次回はこのシリーズの最終回。サブテーマは「トリアージの応用」です。

 vol.2F-147)本文中に書いたトリアージの表現(下記)は2008年時点の私の考えです。苫米地博士に学び始めた後、この考え方には大きな問題点(課題)があることに気づきました。

 Q4:下記の表現に潜む問題点(課題)とは何でしょうか?

1)     手を尽くしても助けられない人には何もしない

2)     放っておくと死ぬけれども、すぐ手を尽くせば助かる人をまず最初に治療する

3)     放っておくとよくないが、とりあえず少しは待てる人を次に

4)     放っておいても死なない人は後回し

 

F-150につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 日本の2018年の対GDP保健医療支出は10.9%OECD加盟36カ国中6位です。本文で御紹介した1998年や2004年の状況よりは改善していますが、高齢化率等を考慮するとまだ十分とはいえないのかもしれません。

 医療関連データの国際比較について、日本医師会総合政策研究機構のレポート(日医総研リサーチエッセイ No.77)に詳しくまとめられています。ぜひ御確認ください。

 医療関連データの国際比較-OECD Health Statistics 2019

 https://www.jmari.med.or.jp/download/RE077.pdf

 

 

-関連記事-

    PM-04~:苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ(目次)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13076878.html

    F-056~:「不摂生が理由で病気になった人の医療費を健康のために努力している人が負担するのは『あほらしい』」ことなのだろうか?

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_277070.html

    F-071~:「糖尿病リスク予測ツール」に思う

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_319922.html

    F-140~:不要不急

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_400247.html

    S-02~:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~(目次)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

    S-03~:心のエネルギーとは何か? ~カナックス事件に学ぶ“心のエネルギー”をコントロールする方法~(目次)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19879680.html

 

 

日本国憲法第25条





F-150:トリアージ(triage)をコーチの視点で考える vol.5;トリアージの応用

 

 私は2007年から11年間にわたって病院長を務め、その間に300回の研修会を開催しました。今回御紹介するのは、コーチングを導入しようと奮闘していた院長時代に作成したもの。テーマは「トリアージ(triage)」です。

 (実際には“奮闘”ではなく“粉砕”しましたw

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/15110477.html

 

 2008年(苫米地理論と出会う前)に作成後2011年(苫米地理論と出会った後)に作り直したものをベースに、さらに2020年(認定コーチ6年目)の視点で「connect the dots」したいと思います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

 

vol.1;トリアージとは?

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/23110775.html

 vol.2;トリアージの問題点/課題 <前編>

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/23211097.html

 vol.3:トリアージの問題点/課題 <中編>

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/23264809.html

vol.4;トリアージの問題点/課題 <後編>

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/23329883.html

 

 

vol.5;トリアージの応用

 

vol.2F-147)本文中に書いたトリアージの表現(下記)は2008年時点の私の考えです。苫米地博士に学び始めた後、この考え方には大きな問題点(課題)があることに気づきました。

Q4:下記の表現に潜む問題点(課題)とは何でしょうか?

1)     手を尽くしても助けられない人には何もしない

2)     放っておくと死ぬけれども、すぐ手を尽くせば助かる人をまず最初に治療する

3)     放っておくとよくないが、とりあえず少しは待てる人を次に

4)     放っておいても死なない人は後回し

 

前回(vol.4/F-149)同様、まずは病院長として勤めていた2008年(苫米地理論に出会う前)に書いた文章を転載します。コーチングで最も重要な概念といえる「ゴール」の3つのポイント(「心から望むもの」「自分中心を捨て去ったもの」「“現状の外側”に設定するもの」)をイメージしながら読み進めてください。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 

-転載開始-

最近、トリアージの考え方を生活に応用する方法を考えています。

生じた事柄の重要度・緊急度とともに、自分側の状況(自身の実力・価値観・人生観・特徴・長所/短所・この世での使命・与えられた時間(命)、共時性などなど)を考えて判断できるように努力しています。

 

1.手を尽くしても助けられない人には何もしない

 →今の自分にできないことには取り組まない

2.放っておくと死ぬけれども、すぐ手を尽くせば助かる人をまず最初に治療する

 →急を要するが実現可能で、かつ自分でないといけないことを最優先とする

3.放っておくとよくないが、とりあえず少しは待てる人を次に

 →重要であり実現可能だが、急がないことは後回し

4.放っておいても死なない人は後回し

 →自分でなくてもいいことは他人にお願いする

 

繰り返しになりますが、トリアージには精度および倫理の問題が必ず伴います。

正しい判断を行うために、生きる意味・働く理由を真剣に考え、人生をかけて挑みたい大志を強く意識することが重要だと思います。

 

宗教なくして科学は不具であり、科学なくして宗教は盲目である

 

これはあのアルバート・アインシュタイン博士の言葉です。医学と宗教心の相互追究が、これからの日本の冷たい医療現場で、あたたかく働くための“光”になると確信しています。

症例検討会に参加してくださりありがとうございました。

-転載終わり-

 

 

 それではコーチの視点で添削していきましょう。

 

「生じた事柄の重要度・緊急度とともに、自分側の状況(自身の実力・価値観・人生観・特徴・長所/短所・この世での使命・与えられた時間(命)、共時性などなど)を考えて判断できるように努力しています」

 

もちろん重要度と緊急度は重要です。現在の私は、とくに「『重要であるが緊急ではない』という人生の第二領域」を常に意識にあげることをお勧めしています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_400247.html

 

しかしながら、「生じた事柄の重要度、緊急度、自分の側の状況を考える」という当時の私の考えには大きなスコトーマがありました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

当時は「重要度・緊急度や状況の判断をどの時間軸で行っているか?」ということをまったく意識していませんでした。そのため無意識下の判断基準は“現在”でした。

私たちの目の前の世界はすべて過去の記憶で作られているのですから、“現在”の判断基準とは、じつは(現在ではなく)“過去”です。自身の言動ばかりか目の前の世界をも決定づけるブリーフシステムは、「強い情動を伴った体験の記憶」と「抽象化された情報の記憶」という“過去”により生みだされています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

つまり、以前の私は、今を生きているようでいて、じつは過去に縛られていたのです。そのため「昨日のような今日」を繰り返す日々に、燃えるような情熱や心の底から湧きあがってくるようなエネルギーを感じることはありませんでした。目の前のほとんどは「have to」で、そこに挑戦する喜びはありませんでした。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 その有様が「手を尽くしても助けられない人には何もしない →今の自分にできないことには取り組まない」という言葉にあらわれました。

これは“現状の外”にゴールを持つ挑戦者らしからぬコメントです。今の自分にできることしかしないという姿勢からは何も生まれません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

この部分は「手を尽くしても助けられない人には何もしない →ゴール達成に関係ないことには一切取り組まない(ゴール更新後取り組む可能性あり)」と添削することができます。以前御紹介したラベリングを用いれば、「Tのみ取り組む」「Tだけで生きる」ということ。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18456250.html

 

心理学に「スリー・タイム・フレーム」という概念があります。それは過去・現在・未来のどこに思考の基準を置いて物事を考えるかというものです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13958864.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/21491494.html

 

“過去”に思考の基準を置く人は、過去の出来事を語り、過去を基準に物事を考えます。

こうした人たちに共通するのは、人生の最盛期をすでに過ごし「昔は良かった」「あのときは幸せだった」という考えを持っていることです。それゆえに未来に対しては悲観的であり、現在は不平不満の対象でしかありません。

RASが「悲観」「不平不満」だけを拾い集めてしまうのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

 

以前の私のように“現在”に思考の基準を置く人は、「今こうだから、明日もこうだ」と考えます。

現状のコンフォートゾーンを維持することは楽であり、まわりにも頼もしく映るかもしれません。しかし、来る日も来る日も同じことを繰り返すのは、回し車(hamster wheel)の中を走り続けるねずみの姿と変わりません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

現状を維持することは過去に縛られていることと同じ。自分自身にはその認識がないとしても、それは「無人運転」や「自動運転」と同義です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_369873.html

 

“未来”に思考の基準を置く人は、未来を先見し、そのイメージをはっきりと持っています。

現状がその方向に動き出していることを想定して行動し、自分だけでなくまわりの人も未来に向かって引っ張っていこうとします。このような人たちは、未来のことであっても「すでに実現している」「達成している」ものとして現在形で思考します。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_262962.html

 

そのためゲシュタルトが有効に働き、スコトーマが外れ、RASがオープンになり、必要な情報がどんどん流れ込むようになります(引き寄せの法則)。その結果、イメージどおりの未来に自分を導きます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

では、どうすれば“未来”に思考の基準を置いて物事を考えることができるのでしょうか?

 

答えは、もちろん、ゴール。“未来”を生きるためにはゴールが必要です。希望が夢になり、夢がゴールに変わるとき、時間の扉が開き“未来”の結果として“現在(今)”を生きれるようになります。ゴールある者にとって、時間とは未来から過去に流れるものです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

その意味では「正しい判断を行うために、生きる意味・働く理由を真剣に考え、人生をかけて挑みたい大志を強く意識することが重要だと思います」と考えたことは正解といえます。しかし、ここにも当時意識していなかった落とし穴がありました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045695.html

 

それは「正しい判断」というときの“正しさ”とは絶対の基準ではないという事実。

この世に“唯一絶対のモノサシ”は存在しません。そのことは不確定性原理で導きだされ、不完全性定理で証明されています。「私にとって(私のゴールにとって)正しい」はありですが、その事実を「あなたにも正しい(はずだ、べきだ)」と当てはめることはできません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

 まとめると、「『すべては空(くう)である』と認識し、『この世は共同幻想である』と理解した上で、仮(け)として生みだしたゴール側からしっかり判断し自然に行動する

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11823351.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11823843.html

 

 それが、貴重な学びを経て、コーチとしての私がたどり着いた「トリアージ(triage)」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14833876.html

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 宗教なくして科学は不具であり、科学なくして宗教は盲目である

 

 このアインシュタインの言葉にも解決するべき問題(課題)があります。不完全性が証明された“現在”においては、「宗教」という言葉は上書きされるべきものです。

下記ブログ記事で解説しています

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14526199.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14687391.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14687476.html

 

 

-関連記事-

    PM-04~:苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ(目次)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13076878.html

    F-056~:「不摂生が理由で病気になった人の医療費を健康のために努力している人が負担するのは『あほらしい』」ことなのだろうか?

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_277070.html

    F-071~:「糖尿病リスク予測ツール」に思う

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_319922.html

    F-140~:不要不急

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_400247.html

    S-02~:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~(目次)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

    S-03~:心のエネルギーとは何か? ~カナックス事件に学ぶ心のエネルギーをコントロールする方法~(目次)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19879680.html

 

 

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