苫米地式認定コーチ CoacH T(タケハラクニオ) ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学びながら九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

カテゴリ:F:フリーテーマ > F-061~ バイオパワー(生権力)

F-061:バイオパワー(生権力)-前編-

 

 シリーズ編「S-01-19:コーチング的視点で考えるバイオパワーの問題」に関連して、たくさんの御意見をいただきました。ありがとうございます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13076797.html

 

 フーコーの「監獄の誕生」を片手に、あらためてバイオパワーについて考えてみました。三回に分けてまとめます。

 

 

 まず「バイオパワー(生権力)」について説明いたします。

 

「人々の生活の中で、その営みを行うための日常的な関係の中から自然に生みだされる権力」を「生権力(せいけんりょく)」、英語では「Bio-power」といいます。

 

「バイオパワー(生権力)」は功利主義の原理を確立したイギリスの哲学者ジェレミ・ベンサム(17481832年)の「パノプティコン」という概念がもととなっています。

この概念を拡大して、フランスの哲学者ミシェル・フーコー(19261984年)が著書「監獄の誕生」(1975年出版)で提示した概念が「バイオパワー(生権力)」です。

 

「パノプティコン」とは、最小限の監視費用で犯罪者の更生を実現するための装置として考案された、監獄を見張る一望監視システムのことです。

監獄に設置された高い塔の上に看守がいて、その看守たちが囚人を見張ります。いつも監視されているわけではないのですが「見られているかもしれない」という不安・恐怖が監獄からの逃亡や暴動を防ぎます。

 

フーコーは、そこに「バイオパワー(生権力)」が働いていることを看破しました。

 

近代以前における刑罰は、権力者の威光を示すために犯罪者の肉体に対して直接与えられるものでした。例えば、公開の場で行われる四裂き刑、烙印、鞭打ちなどです。

こういう直接的な力の行使により成立する権力を「主権力」といいます。

 

近代以降の刑罰は、犯罪者を監獄に収容し精神を矯正させるものとなりました。これは人間性を尊重した近代合理主義の成果と一般には思われています。

しかし、フーコーはこうした見方に疑問を呈しました。監獄に収容された人間は、常に権力により監視され(パノプティコン)、家畜のように従順な存在であることを強要されているからです。モチベーションでいえば、「want to」を奪われ、「have to」を強制された状態です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 今年(2018年)は、相撲、サッカー、レスリング、アメリカンフットボール、ボクシング、体操とスポーツ業界で不祥事が続きました。もちろん、今話題の日産自動車に代表されるように、様々な業界で同様の問題が生じているはずです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9033937.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9815429.html

 

 どのケースにおいても、絶対的な権力(既得権益)が存在しています。そして、その権力に楯突く者を排除するという構図が垣間見えます。

見せしめ、嫌がらせ、誹謗中傷、左遷、解任、だまし討ち そんな権力の横暴を見せつけられた人たちは、最初は怒りを感じたとしても、やがては従うことを自ら選択します。

その結果、エネルギーや創造性を徐々に失っていきます。憎しみ、苦しみの先にはダークサイドへの転落が待っています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

 

 それは「不安・恐怖によりファイト・オア・フライト(Fight or Flight)の状態に陥ったから」と理由づけられますが、「バイオパワー(生権力)に打ち勝てなかったから」とみることもできます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

「バイオパワーに勝てなかった」のは、厳しくいうと「自分に克てなかった」からです。「己を愛するを以って敗れた」のです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12491793.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12645423.html

 

 成長するまでに刷り込まれた他人(親や教師など)の言動や社会の価値観でできあがったブリーフシステムが、「自分に克つ」ことを不可能にしたといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

「他人(親や教師など)の言動」や「社会の価値観」が「バイオパワー(生権力)」として機能しているのです。現代の教育現場でも、「主権力」や「バイオパワー(生権力)」を用いてしまう過ちが続いています。子どもたちをコントロールするために。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9672774.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9817539.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9817603.html

 

 例として、身近な話題であるゲームについて考えてみましょう。

 世界保健機関(WHO)は、今年(2018年)6月に公表した国際疾病分類 ICD-11に「ゲーム障害」を加えました。1)ゲームをする時間や頻度を制御できない、2)ゲームが他の関心事や行動に優先する、3)問題が起きても続ける、4)個人、家庭、学業、仕事などに重大な支障がでている -の4つが12カ月以上続く場合に「ゲーム障害」とみなします。

 

 では、子どもが「ゲーム障害」になってしまうのを防ぐために、親はどうするべきでしょうか? 皆さんならどうしますか?

 

 

 権力者である親が一方的に罰を与えるのは「主権力」の行使です。体罰や食事を制限するといった直接的なものはもちろんのこと、おこづかいを減らしたり成績などのノルマを設定することも、子どもの心に傷をつけ、やがては脳や体を傷つけることになります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10114934.html

 

 某ゲームメーカーのアプリでは、子どものゲーム時間をネットで監視し制限することができます。それは「主権力」と違い表立った権力の行使ではありませんが、「親に監視されているかも」という疑念(恐怖)や「あとで怒られるかもしれない」という不安を使って間接的に子どもをコントロールしようという「バイオパワー(生権力)」の行使です。

 

 それは「ゲーム障害を予防する」という観点では有用だと思いますが、子どもの成長を阻害する危険が高いといえます。自由な思考を奪い取るからです。

自由は教育の目的であるはずです。よって、「バイオパワー(生権力)」の行使は、本末転倒の誤った行為であるといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9034343.html

 

 「主権力」はもちろん、「バイオパワー(生権力)」からも子どもたちを守り、自由を使いこなすための知識とスキル(&自由に伴う責任)を教え導くことは大人の大切な役割です。社会の未来に対する責任です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10543825.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10543909.html

 

 ところが、忖度(そんたく)や感情労働といった言葉がすっかり浸透してしまったことからもわかるとおり、社会はどんどん強まる「バイオパワー(生権力)」にすっかり覆われ、人はますます飼い馴らされています。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040523.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10987351.html

 

「ルールに従わなければ殺す(罰する)」という「主権力」の時代ではなくなりつつあるのでしょうが、「人々の生にむしろ積極的に介入し、管理し、方向づける」という「バイオパワー(生権力)」は今後ますます強まるでしょう。

 

 「バイオパワー(生権力)」の呪縛から脱し人間らしさを取り戻すために(あるいは、子どもたちを人間らしく育てるために)、ネットやAIといった変革の荒波にもまれる私たちは、生き方(そして、死に方)自体を痛切に問われています。時代によって。

 

 次回(F-062)は、「バイオパワー(生権力)」の2つのパターンを紹介し、医療・介護現場における課題についてまとめます。

 

 (F-062につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 トゥールミンロジックを解説するシリーズ(S-01-18:反論力を身につける4つの戦略)で取り上げましたが、「相手の前提となっている価値判断そのものを疑う」戦略としてK戦略(クリティーク)があります。その代表が「バイオパワー(生権力)」です。

 つまり、論理の世界では、「バイオパワー(生権力)」は存在してはならないものであるといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13076426.html

 

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10691562.html

 

 

Panopticon(Wiki)

ベンサムによるパノプティコンの構想図
Wikipediaより引用

 


F-062:バイオパワー(生権力)-中編-

 

 シリーズ編「S-01-19:コーチング的視点で考えるバイオパワーの問題」に関連してたくさんの御意見をいただきました。ありがとうございます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13076797.html

 

 フーコーの「監獄の誕生」を片手に、あらためてバイオパワーについて考えてみました。三回に分けてまとめます。

 前編:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13825013.html

 

 

「人々の生活の中で、その営みを行うための日常的な関係の中から自然に生みだされる権力」を「生権力(せいけんりょく)」、英語では「Bio-power」といいます。

 フランスの哲学者ミシェル・フーコー(19261984年)は、監獄を見張る一望監視システム(パノプティコン)と同様に、権力により社会が監視され、家畜のように従順な存在であることを強要されていると訴えました。

 

フーコーが指摘した「バイオパワー(生権力)」には、2つのパターンがあります。

ひとつは個々人に働きかけて、規律正しく従順なものへ調教しようとするパターンです。学校や軍隊において働くこの種の権力は「規律権力」とも呼ばれます。

もうひとつは、統計的な調査等々にもとづいて住民の全体に働きかけ、健康や人口を全体として管理しようとするパターンです。行政や企業、病院においてこの種の権力が機能しています。

 

じつは、医療・福祉の世界では、想像以上に「バイオパワー(生権力)」が働いています。

コーチ兼医師としての私が医療現場で目の当たりにするのは、「医療者はバイオパワー(生権力)をうみだす存在に容易になってしまう」という事実です。

 

 

…10年近く前の話になりますが、鹿児島県阿久根市の市長(当時)が「高度医療が障がい者を生き残らせている」と発言し問題になったことがありました。その発言の是非には触れませんが、当時の私は「バイオパワー(生権力)の存在を鋭く指摘している」と感じました。

 

「主権力」が生殺与奪の権限を握った「死なせる権力」であるならば、「バイオパワー(生権力)」は生命を最大化する権限を握った「生きさせる権力」といえるからです。

 

高度医療にせよ、社会福祉にせよ、近代の制度デザインというのは「主権力」から「バイオパワー(生権力)」への移行と捉えられています。人間の生にダメージが加えられたときにそれを修復するとか、予測不可能なアクシデントが発生したときにそれをカバーする保障制度をつくるといったメカニズムがものすごく発達していく それが「バイオパワー(生権力)」の時代です。

 

そんな「バイオパワー(生権力)」の時代には「死」がタブーとなります。そのため、積極的に「死」を選択(あるいは受容)することに関して、強い圧力がかかります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

「蘇生は絶対にしないでくれ。自然に死なせてくれ」と強くお願いされていた患者さんに対して、私は蘇生処置を行ってしまったことがあります。ファイト・オア・フライトに陥り、「死」の圧力に負けてしまったのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

そのケースでは、御家族にはむしろ感謝されました。

様々な見かた・解釈があり、100%正しいとも正しくないともいえないことは承知しています。ゲーデルの不完全性定理が働くことも十分理解しています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

しかし、死に逝く者の意思に反したこと、つまり自由と尊厳を侵害したことは紛れもない事実です。しかもそれは情動の発火によりIQが下がった結果です。

 

そのような貴重な経験を重ねるうちに、「医療者は『死んでほしくない』という自身の情動で目の前の命に向き合ってはならない」と考えるようになりました。現場ではよく「(患者さんを)自分の家族のように思いなさい」という言葉を聞きますが、それではいけないのです。「バイオパワー(生権力)」が生まれやすくなってしまうから。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8900786.html

 

もちろん、「積極的に死に向かわせる」ことは論外です。それは、近代以前の「主権力」に逆戻りする“人類の退化”といえます。

 

では、四苦の現場で情動に流されずにベストを尽くすにはどうすればよいのでしょうか?

 

 

私は、「個々人が『生と死』に関して自身の哲学を築きあげること」だと考えています。その実現のために、苫米地理論の理解とコーチングの実践がとても役にたちます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166400.html

 

なぜなら、スコトーマを外し「生と死の間にあるもの」を見つけることができるからです。その結果、自らのトータルペイン(Total Pain)を克服することができます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6854056.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8293317.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8430972.html

 

 

話を「バイオパワー(生権力)」に戻します。

フーコーの権力論は、近代になって個々人の自由が広く認められるようになったという一般的なイメージを覆し、近代を「個々人を巧妙に支配管理する権力技術が発達してきた時代」として捉えるものでした。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 

繰り返しますが、「直接的ではないが、間接的に強く束縛しようとする目に見えない力」という「バイオパワー(生権力)」は、「『have to』を仕掛ける力」です。それは人から自由を奪い取り、エネルギーと創造性を封印してしまいます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045695.html

 

その「バイオパワー(生権力)」はすでに社会の隅々にまで浸透し、無意識のレベルで日常的な服従をすべての人々に強制しています。社会全体がどんどんドリームキラー化しています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html

 

次回、具体的に検証します。

 

 (F-063につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

-追記-

 「死なせる権力」である「主権力」と同様に、「生きさせる権力」といえる「バイオパワー(生権力)」にも特別な注意が必要だというのが私の意見です。ですが、「死なせるのがよくない」のと同じように「生きさせるのはよくない」と主張したいのではありません。

 むしろ、お金のモノサシや人権軽視が絡んだ「生きさせるのはよくない」という風潮は危険だと考えます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13076011.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13214313.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13374254.html

 

 もっというと、生や死に関して議論を行うことそのものがよくないと思っています。鹿児島の言葉でいうと「議を言な(ぎをゆな)」!

 

 議論とは「論題を自らの情動と切り離し、相対化して、物事の裏表両方を見る視点で、論理的に行うもの」ですが、「人の命は相対化できない(してはならない)」からです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11995099.html

 

 だからこそ、「“いのちの現場”には哲学が求められている」といえます。

哲学は論理空間をはるかに超越した次元(抽象度)に存在するはずだから。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

関連することを、「The Power of MindⅠ」第六章の「仮説13」で取り上げます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124527.html

 

 

監獄の誕生(ミシェル・フーコー)



F-063:バイオパワー(生権力)-後編-

 

 シリーズ編「S-01-19:コーチング的視点で考えるバイオパワーの問題」に関連してたくさんの御意見をいただきました。ありがとうございます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13076797.html

 

 フーコーの「監獄の誕生」を片手に、あらためてバイオパワーについて考えてみました。三回に分けてまとめます。

前編:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13825013.html

 中編:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13958415.html

 

 

今回は、「バイオパワー(生権力)」について、身近な例で検証します。

 

もともと「バイオパワー(生権力)」は、功利主義の原理を確立したイギリスの哲学者ジェレミ・ベンサム(17481832年)の「パノプティコン」という概念がもととなっています。この概念を拡大して、フランスの哲学者ミシェル・フーコー(19261984年)が著書「監獄の誕生」(1975年出版)で提示した概念が「バイオパワー(生権力)」です。

 

「パノプティコン」とは、最小限の監視費用で犯罪者の更生を実現するための装置として考案された、監獄を見張る一望監視システムのことです。監獄に設置された高い塔の上に看守がいて、その看守たちが囚人を見張ります。いつも監視されているわけではないのですが「見られているかもしれない」という不安・恐怖が監獄からの逃亡や暴動を防ぎます。

 

フーコーは、そこに「バイオパワー(生権力)」が働いていることを看破しました。

 

我々のまわりには、いつの間にかたくさんの「パノプティコン」が仕掛けられています。その1つが監視カメラです。監視カメラは我々の生活に入り込み、いつの間にか“あたりまえ”になってしまっています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

監視カメラが“増殖”するきっかけになったのが、2001911日のアメリカ同時多発テロです。アメリカ合衆国を中心とした報復の結果、アフガニスタン紛争、イラク戦争が起こりました。そこにある構図はキリスト教VSイスラム教という宗教的対立です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

 

例えば、イギリス国内にもテロをきっかけにたくさんの監視カメラが設置されました。しかし、その大半はロンドンに住むイスラム教系の店や学校に向けられたものだったそうです。その事実が報道され大きな社会問題となると、警察は「方法を間違った」ため「カメラの撤去を検討する」と発表しました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

 

イスラム系の人々は、疑惑の目(=監視カメラ)が向けられたことに猛烈に反発しました。イスラムの神を冒涜されたと思ったからです。しかしながら、疑惑の目(=監視カメラ=パノプティコン)自体が不自由に感じられたことも大きかったのではないでしょうか。「見られているかもしれない」という状況に本能的に嫌悪感を感じたはずです。

 

 

「監視カメラ」に関して、私にも思い出があります。

子どもの頃、治安が悪い地域のマンションに住んでいました。ある時、エレベーター内で女性が乱暴される事件が続いたことをきっかけに、エレベーターホールとエレベーター内部に監視カメラが設置されることが決まりました。ところが、予算の関係なのか、設置されたカメラはすべてダミーでした。

カメラがじつは偽物だとこっそり教えてもらい驚いた私は、その後もっと驚くことになりました。なんと偽物のカメラが設置された後、エレベーターでのトラブルがなくなったのです。

 

「バイオパワー(生権力)」が犯罪行為を抑止したのです。人を従順に変えたともいえます。

 

当時の技術でもカメラ自体を隠せたはずなのにわざわざ目立つように設置されたのは、犯人を捕まえることが目的なのではなく、犯罪を未然に防ぐことが目的だったからです。そのような「人の行動に影響する見えない(目立たない)力」が「バイオパワー(生権力)」です。

 

見渡せば「バイオパワー(生権力)」は世の中にあふれています。「車盗難防止装置がついています」とわざわざ表示するステッカーや車内でピコピコ光る赤い光、立派な家にベタベタ張ってあるセキュリティのシール、禁煙を呼びかけるポスター、消費電力が多くなると警告音を発する装置 すべてが間接的に人をコントロールすること(方向づけること)を目的に使われています。そこに「バイオパワー(生権力)」が働いています。

 

もちろん「バイオパワー(生権力)は絶対悪」といいたいのではありません。是非の解釈は人の心に因ります。その心での情報処理を決めるものはゴールです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

災害やデモのたびにあさましい略奪行為が発生するような地域では、秩序を維持するために、仏教的に表現すると煩悩をコントロールするために、「バイオパワー(生権力)」が必要とされているのかもしれません。未熟な自由は組織や社会を破壊します。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10691753.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10692725.html

 

しかし、少なくとも、これからの日本においては、もはやお互いを拘束しあう意味での「バイオパワー(生権力)」は必要ないはずです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12794797.html

 

自由を奪いあうドリームキラー的な「バイオパワー(生権力)」ではなく、お互いの自由を守るためのドリームサポーター的な「バイオパワー(生権力)」を、各自の自己責任で選択する時代が始まっていると私は思っています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10987549.html

 

真の教育が行われた結果として「人間形成」が実現する社会では、「バイオパワー(生権力)」にコントロールされるのではなく、「バイオパワー(生権力)」をコントロールすることができるようになります。そして、次第に「バイオパワー(生権力)」自体を必要としなくなっていきます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html

 

抽象度の階梯を上がっていくことを意味するその社会的変化の鍵となるものが、苫米地理論やコーチングです。マインドでの情報処理を、自らの自由意志でコントロールすることができるようになります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

 それは「バイオパワー(生権力)の呪縛から脱し、人間らしく生きる」ための大切な縁起といえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

最近は自動販売機に付属したカメラでも顔認証ができるようです。「顔認証ができる」とは「個人が特定できる」ということであり、「バイオパワー(生権力)が生まれる」ということ。顔どころか、歩き方や体型でも個人が特定できるような技術開発が進んでいるそうです。

すべての言動が監視され、評価(点数化)されることで、自由が奪われてしまう時代はもうすぐそこまで迫っています。

 

 パノプティコンへの対応、つまり「コーチングの実践により自らを自由自在にコントロールするという対策」は、もう「待ったなし」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 「バイオパワー(生権力)」の古い例として、「踏み絵」があります。踏み絵は江戸幕府が当時禁じていたキリスト教信徒を発見するために使用したもの。転じて「ある事柄への該当者や反対者をあぶりだす方法」を意味するようになりました。

 昔の踏み絵は直接的に人を苦しめましたが、現代の踏み絵はいつの間にか人の心に入り込み、静かに蝕んでいきます。例えば、誓約書や嘆願書に署名させることによる無意識へのヒエラルキーの刷り込み。強制(矯正)された人々は、不安・恐怖や義務感、罪悪感を背負うことになります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13523715.html

 

 「バイオパワー(生権力)」により「have to」が生じるのも、「want to」を取り戻すのも、すべては自身のマインド(での情報処理)次第です。

 

 

アメリカ同時多発テロ事件(Wiki)
Wikipediaより引用

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