F-056:「不摂生が理由で病気になった人の医療費を健康のために努力している人が負担するのは『あほらしい』」ことなのだろうか? <前編>
まずは下記の記事をお読みください。JIJI.COMから引用します(2018年10月23日配信)。
引用開始
麻生太郎財務相は23日の閣議後の記者会見で、不摂生が理由で病気になった人の医療費を健康のために努力している人が負担するのは「あほらしい」と指摘した知人の発言を紹介した上で、「いいことを言う」と同調した。
健康維持の必要性を訴える趣旨とみられるが、病気になった人に対する心ない表現として批判が出る可能性がある。
麻生氏の発言は、政府が検討している予防医療推進に関する質問への答えの中で飛び出した。78歳の麻生氏は「病院で世話になったことはほとんどない」と強調。生活習慣の乱れで自ら病気を招いた人の医療費を負担するのは不公平との考えをにじませた。
ただ麻生氏は「人間は生まれつきがある。一概に言える簡単な話ではない」とも語り、やむを得ない事情で病気になった人の医療費を保険制度で賄うことに理解を示した。
引用終わり
…この記事に関して、私が思ったことをまとめます。
まずは大前提から。
意見を述べたり議論をしたりするときに忘れてはならないのは、「世の中に絶対の基準(評価・判断、価値観、モノサシ)はない」ということです。その事実は、情報空間では不完全性として、物理空間では不確定性として明らかにされています。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html
絶対的なモノが存在しないということは、すべては相対的であるということです。何を基準とするか、あるいはどういう立場をとるかで、「正しい」とも「間違っている」とも評価できます。
それを釈迦哲学では「空(くう)」と表現します。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html
「空」とは、「すべては縁により起こる」という釈迦の縁起の教えをもとに、後の大乗仏教にあらわれた天才たち(ナーガールジュナ、ツォンカパなど)が築きあげた概念です。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html
すべてが「空」、すなわち「正しいともいえるし、正しくないともいえる」のであれば、意見を述べたり議論をしたりすることは無意味であると思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
個人が自身の意見をしっかりと述べることができ、組織(チーム、会社、社会)内でしっかりと議論できるということは、とても大切なことです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html
なぜなら、ゴールがあるからです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html
ゴールは“現状の外”に設定するものですが、たとえうまくスコトーマを外し設定できたとしても、その達成方法も“現状の外”、すなわちそれまでの記憶でつくられたブリーフシステムの外にあり、コンフォートゾーンの外にあるのですから、なかなか見つけられないうえに、うまく実行することもできません。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html
だから、ある立場で意見を考え、そして違う立場で検証する必要があるのです。
議論は「ゴール達成のために解決するべき問題(課題)を明らかにして、有効な解決策を見つけること」ですが、その本質は「抽象度を上げること」です。そして、抽象度を上げることで平和(涅槃、幸せ)が実現します。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11994979.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12168045.html
…前置きが長くなってしまいましたが、「私の意見が絶対的に正しいというつもりはない」とお断りした上で、この前編では肯定的意見を述べます。さらに中編でケース(問題、課題)を明らかにしたうえで、後編でプラン(解決策)を提示したいと思います。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html
シリーズ編の第一弾としてブログ連載中のディベート(トゥールミンロジック)の話題とも連動しながらまとめていきますので、リンク記事と合わせてお読みください。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html
それでは、まずは肯定的意見から。
私は政治家が一番やってはいけないことは、「嘘をつくこと」だと思っています。
間接民主主義において、国民(県民、市町村民)は自分の代理を選挙で選びます。国民(県民、市町村民)の代理である政治家は、(選挙前だけに限らず常に)自分の価値感(ブリーフシステム)や公約(目標、ゴール)を明示する必要があります。変更する場合には、自ら率先してその理由を丁寧に説明するべきです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html
マスメディアによる健全な監視により、「表の発言と本心が一致しているのか」「発言と行動が一致しているのか」を国民がチェックし、次の投票行動に反映させます。
ところが、政治家に嘘があり、マスメディアによってその嘘が暴かれることがなければ、権力の腐敗は加速し、民主主義は崩壊することになります。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10691562.html
国民がもっとも警戒しなければならないのは、権力者の偽善です。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6681205.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6681282.html
私には、決して少なくない数の政治家の方々が偽善と感じられます。その点、麻生財務相の発言にはうしろめたさがありません。
いくつか御紹介します。
「(終末期医療について)さっさと死ねるようにしてもらうとか、考えないといけない」
「(延命治療について)その金が政府のお金でやってもらっているなんて思うと、ますます寝覚めが悪い」
2013年1月 社会保障国民会議にて
「憲法はある日気づいたらワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」
2013年7月 国家基本問題研究会にて
「90(歳)になって老後が心配とか、訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていたけど、『お前いつまで生きているつもりだ』と思いながら見ていました」
2016年6月 北海道小樽市で開催された自民党支部大会での講演にて
「(政治家は)結果が大事なんですよ。いくら動機が正しくても何百万人殺しちゃったヒトラーは、やっぱりいくら動機が正しくてもダメなんですよ」
2017年8月 横浜市内で開催された自民党・麻生派の研修会にて
「(福田淳一前財務事務次官のセクハラ問題について)セクハラ罪っていう罪はない」「殺人とか強制わいせつとは違う」
2018年5月 外遊先の記者会見にて
「(森友学園をめぐる財務省の公文書改ざんについて問われ)どの組織だってありえる話だ。会社だってどこだって、ああいうことをやろうと思えば個人の問題でしょうから」
2018年5月 外遊先の記者経験にて
…いかがですか?
きっと本心を隠さず、思ったとおりのことを口にされているのではないかと思います。
「不摂生が理由で病気になった人の医療費を健康のために努力している人が負担するのは『あほらしい』」という発言に「いいことを言う」と同調されたことについて、「国民をだまそうとしていない」という点において、私は肯定的に受け止めています。
…しかし、厚労省を抑える財務省のトップ、そして副総理としての立場をふまえた上で考察を続けると、解決するべき課題が浮かび上がります。
(中編につづく)
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
-追記-
もう一つ、麻生財務相の発言を御紹介します。
「(地方の医師確保について問われ)はっきり言って、医者は社会的常識がかなり欠落している人が多い」
2008年11月 全国知事会議にて
…嘘をついてはいけないのは、政治家ばかりではありません。
せめてリーダーの立場にある方々は、本心を隠して嘘をつき続けることはやめていただきたいと願います。因果応報の「果」や「報」が“自分”だけにとどまらないからです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12645423.html
チーム医療において医師がリーダーなのは間違いありません。
私が知る限り「医者は社会的常識がかなり欠落している人が多い」ことはありませんが、私はむしろ社会的常識に縛られない“Not Normal”な医療従事者が増えている未来を強くイメージしながら、コーチングを“いのちの現場”に届ける活動を行っています。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html