F-034:「何もないところからレンブラントを発見」は正しい?
先日(2018年5月16日)、興味深いニュースを目にしました。
「レンブラントの絵が44年ぶりに発見された」というものです。
レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン(1606~1669年)は、ネーデルラント連邦共和国(現在のオランダ)の画家で、バロック期を代表する画家の一人です。「真珠の耳飾りの少女」で有名なヨハネス・フェルメールと同じ時代に活躍しています。
「光の画家」「光の魔術師」の異名を持ち、「夜警(別名:フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊)」が代表作として有名です。
そのレンブラントの絵が、44年ぶりに新たに“発見”されたのです。
面白いのは、最初から「レンブラントの絵」として見つかったわけではないことです。
もともとは作者不詳のまま競売にかけられた「若い紳士の肖像画」でした。その肖像画はイギリスの貴族が6代にわたって保有していたものだそうです。2016年末にロンドンで競売にかけられ、13万7000ポンド(約2000万円)で落札されました。
肖像画を落札したオランダの美術商 ヤン・シックス(Jan Six)氏は、実物を見て即座にレンブラントの作品だと見抜いたそうです。落札後、レンブラントの専門家 エルンスト・ファン・デ・ウェテリンク(Ernst van de Wetering)氏を含む数十人の専門家に鑑定や分析を依頼。鑑定の結果、絵の構成や筆使い、それに顔料などからレンブラントの作品と認定されました。
レンブラントが肖像画家として名声を得ていた28歳の頃(1634年頃)に制作した作品と推定されているそうです。
落札した美術商は、「何もないところからレンブラントを発見できるなんて夢のようです」とインタビューで語っていました。
「何もないところからレンブラントを発見」という部分について、何か違和感を覚えませんか?
…この話は「関係と存在」に関する示唆を含んでいます。
一昔前の西洋哲学では「存在が関係を生みだす」と考えられていました。今回のケースでいうと「レンブラントの絵がもともと存在していて、それをオランダ人美術商が発見した」という感じです。
それに対して東洋哲学では「関係が存在を生みだす」と考えます。縁起の思想です。「現代の美術商との縁により、レンブラントの絵が存在として新たに(再び)生みだされた」という感じです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html
現在は、物理学においても(不確定性原理)、数学や哲学においても(不完全性定理)、「関係が存在を生みだす」という縁起の思想が正しいことが証明されています。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html
よって、「何もないところからレンブラントを発見」という美術商のコメントは正しいといえます。この美術商と絵の縁起により(そして、数多くの鑑定家との縁起により)、レンブラントの絵として新たに「何もないところから“発見”」されたのです。
「関係が存在を生みだす」という縁起の考え方は、「だから普遍的な実体などはなく、物事は常に変わりゆき、永遠に変わらないものなどない」という考え方につながります。それを仏教では「無常」と表現します。
さらに突き詰めると「この世に絶対はない(アプリオリなものはない)」と「この世は心(マインド)がつくっている」という二つのプリンシプルに行きつきます。
目の前の世界は、私たちのマインド(脳と心)がつくりだしています。
そのマインドを自らの意志で自由にコントロールするために、コーチングが“存在”しているといえます。
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http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6854056.html
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
夜警
(別名:フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊)
Wikipediaより引用