苫米地式コーチング認定コーチ CoacH T <タケハラクニオ> ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学び九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

カテゴリ:F:フリーテーマ > F-027~ プロとアマの違い

F-027:プロとアマの違い part 1

 

 最近、「プロフェッショナル」と「アマチュア」の違いについて考える機会がありました。

 

ある文書で、「それをすることによって収入を得て生計を立てていればプロ、それ以外の他のことで生計を立てていればアマ」と定義されていました。

 さらに、「プロになってしまうと純粋に楽しむことができなくなってしまう」とも。

 

 皆さんはどう思われますか?

 

この定義では、あるモノサシによりスコトーマが生じています。そのモノサシとは何でしょうか?そして、そのモノサシが「元々好きで入った世界」を楽しめなくしています。なぜでしょうか?

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 

 それでは、私の考えを述べます。

 

 引用した定義中の「プロ」と「アマ」を分けているものは、「お金というモノサシ」です。

 

 本来はゴールを達成するための道具に過ぎないお金自体が目的化してしまっているのが、現代の金融資本主義の姿です。みんながお金そのものに価値をおき、お金そのものが各自のゴールとなってしまっています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

そんな社会の風潮が、「お金はただの道具である」という事実をスコトーマに隠しています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

「お金が欲しい」という欲を生みだす根底にあるものは、「お金がないと餓死する」という強烈なトラウマです。お金の論理が入り込むと、人は容易に大脳辺縁系優位の「ファイト・オア・フライト(Fight or Flight)」になってしまいます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

そんな状態が続くと、モチベーションは「want to」から「have to」に変わっていきます。

IQは下がり、生産性も下がりその結果「お金」の不安はさらに増大することになります。増大した不安はますます「have to」を強くし、「元々好きで入った世界」を苦しみに変えていき、人生から幸福を奪います。やがては健康も奪っていきます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 仮に、経済的に成功し莫大な収入を得ることができたとしても、「人生の満足度」は95000ドル(約1000万円)、「感情面での幸福度」は6万~75000ドル(約640800万円)をピークに下がっていきます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8430748.html

 

スコトーマを外し、「お金というモノサシ」が“誤った認識”であることに気がつかない限り、本当のゴールを見つけることはできず、エフィカシーを高めることができないからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 

 それでは苫米地理論で「プロとアマの違い」を考察してみましょう。

 

 「プロ」と「アマ」の違いは、「職業」と「趣味」の違いを考えると理解しやすいと思います。

 

職業と趣味に共通することは、それが「心から好きなもの」「止められてもやりたいこと」であるということです。ともに「100% want to」の状態です。

 

ふたつの違いは、職業が「誰かの(社会の)役にたつもの」なのに対して、趣味は「誰の役にもたたないこと(多くは自分のためにもなっていない)」であるということです。

「男のロマンは女のフマン」という言葉がありますが、不満になるのは「趣味のゴールとして正しいから」です(笑)。

 

「プロ」と「アマ」の違いも同様です。

「誰か(社会)の役にたつこと」を念頭に行う人がプロ。「役にたつこと」をさほど意識せずに行う人がアマです。

 

「誰かの役にたつ」時、そこには付加価値が生まれています。より多くの人の役にたつほど、より多くの付加価値が生みだされているといえます。その生みだした付加価値を、資本主義という枠組みにおいて、堂々とお金に交換することがファイナンスです。

 

コーチングでは人生のあらゆる領域にゴールを設定していきます。それをバランスホイールといいます。当然、その中にはファイナンスのゴールも含まれており、「リッチになる」ことはりっぱなゴールになりえます(もちろん、「リッチになる」だけではまだ不十分です。そこからゴールの世界が広がるという意味です)

ただし、それはあくまでファイナンスとしての話であり、職業のゴールはあくまで「役に立つ」「付加価値を生みだす」何かです。そこには「お金のモノサシ」が入る余地はありません。

 

「プロとアマの違い」についてご理解いただけたでしょうか。

 

じつは、「プロとアマの違い」には、苫米地理論の根幹とも関連するとても大切な別の視点が含まれています。

次回(F-028)は、その視点「○○○」と関連して考察します。お楽しみに。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8159377.html

 

F-028:プロとアマの違い part 2

 

 part 1:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8582928.html

 

先日、鹿児島県医師会のある委員会に参加しました。「ワークライフバランスの促進」が議題のひとつにあり、その促進にコーチングがとても有効であることをプレゼンさせていただきました。

 

その委員会で最も時間が費やされたのは「若手医師の医師会入会率をどう上げるか」という議題でした。鹿児島県の医師会入会率はとても高く、日本医師会からその理由について照会があるほどです。

しかしながら、その鹿児島でも若手医師の入会率は低下傾向で、全体の入会率はついに90%を下回りはじめています。

 

「どうしたら若手医師の医師会入会率が上がるか?」という議論に参加しながら、私は「プロとアマの違い」について思いを巡らしていました。

 

新米医師からベテラン医師に成長する過程、つまりアマからプロへと進化していく過程で必ず変化していくものがあります。それは何だと思いますか?

 

 前回のブログ記事(F-027)では、

・「プロとアマ」の違いは「職業と趣味」の違いと同様

・共通するのは、「心から好きなもの」「止められてもやりたいこと」

・違いは、職業が「誰かの(社会の)役にたつもの」であるものに対して、趣味は「誰の役にもたたないこと(多くは自分のためにもなっていない)」

・「プロとアマ」の違いも同じで、「誰か(社会)の役にたつこと」を念頭に行う人がプロ。「役にたつこと」をさほど意識せずに行う人がアマ

ということをお伝えしました。

 

 

「誰かの(社会の)役に立つ」という意識が重要なポイントです。

 

「役に立つこと」を意識した瞬間に、視点が“私(I)”から“私たち(We)”に上がります。その視点の変化を「抽象度が上がる」と表現します。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

そこからさらに抽象度を上げていくと、社会や未来といった視点を獲得していきます。

「社会のために」「未来のために」という意識が芽生えると、仕事は徐々に自己実現のためだけのものではなくなっていきます。もっと社会に役立つための自分の機能を磨き始めるのです。

 

医師が自身の成功だけではなく、医学・医療という大きな存在(ゲシュタルト)の成功を考えるようになった時、きっと医師会に属することがゴール達成のための重要な(want toな)要素となります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

各人のタイミングがあるかと思いますが、いずれにせよプロフェッショナルを志向しているうちに抽象度は上がっていきます。そして、抽象度が上がるたびにスコトーマが外れていきます。

スコトーマが外れたとき、医師会という団体の存在をしっかり感じていただけるように、まずは現行のマーケティングを継続していけばいいのではないかと思いました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 積極的に取り組むのなら、やはり医療・介護現場にコーチングを取り入れることだと思います。“現状の外”にゴールを設定することが抽象度を上げるための強力なきっかけになるからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

アマからプロになる過程で抽象度が上がっていきます。

その時、脳内では情動といった大脳辺縁系処理から前頭前野での処理へと変化していきます。その変化は医師個人の人生を豊かにするだけではなく、関わるスタッフや患者さん、その家族にまでとても大きな影響を与えていきます。

なぜなら、医療や介護の現場は「ファイト・オア・フライト」に陥りやすい場でもあるからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

 

鍵は「抽象度が上がること」「抽象度を上げること」

 

 

その「抽象度が上がること」は、苫米地式コーチングを実践し、“現状の外”に向かい続けることによって可能となります。

県医師会の委員会で議論に参加しながら、コーチングを“いのちの現場”に届けるための理由がまた一つ増えたように感じました。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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F-029:プロとアマの違い part 3 ~This is unreal !

 

 part 1http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8582928.html

 part 2http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8748177.html

 

「プロとアマの違い」について考察する第三弾です。

 

第一弾(F-027)では「役に立つ」「付加価値を生みだす」という視点で、第二弾では「抽象度」という視点でまとめました。

 

その二つを統合した視点が今回のテーマです。

 

ちなみに、「二つを統合した視点」というのは抽象度が一つ上がっています。数学でいう最小公倍数のようなもので、LUBLeast Upper Bound、最小上界)と表現します。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

それは二つを包摂(ほうせつ)する新たなゲシュタルトをつくりあげることであり、スティーブ・ジョブスの言葉でいうと「Connecting the dot」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

 

 では、「役に立つ」「付加価値を生みだす」と「抽象度」を包摂する視点とは何でしょうか?

 

 

 今年、ロサンゼルス・エンゼルスに大谷翔平選手が入団しました。

全米でも投手と打者の二刀流が注目を集めましたがオープン戦が絶不調(防御率:27.00、打率:125厘)だったため、「大谷はマイナーリーグから始めるべき」(ESPN)、「基本的には高校生並みのバッター」(ヤフー・スポーツ)とドリームキラー化した米メディアから叩かれました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html

 

 ところが、開幕とともに大谷選手は爆発しました。開幕戦は初打席初球初安打、三日後に初登板初勝利、その二日後本拠地での初打席で初本塁打を放ちました。翌日は同点2ラン、その翌日にも三試合連発のホームランを打ち(飛距離137m)、その二日後には投手として二勝目を挙げています。4/22(現地時間)の試合では「四番・DH」で先発出場し、安打を放っています。

 

 先日、三本目のホームランの映像を見ました。大谷選手の打撃も印象的でしたが、すっかり興奮した実況者(FOXスポーツ・ウエスト)の絶叫に驚きました。

 

 OHTANI-SAN did it again !

Are you kidding me ?

This is unreal !!

 

 「This is unreal」を直訳すると「現実離れしている」「非現実的」です。本当の感覚は私にはわかりませんが、そこには「素晴らしい」という感嘆・賛辞が込められているそうです。

 

 私は、苫米地式認定コーチとして、「unreal」が賛辞になるセンスや文化が素晴らしいと思いました。日本で「現実離れしている」や「非現実的」という言葉が使われるとき、そこにはネガティブな思いが込められている気がするからです。

 

 認知科学以降、現実(reality)の定義は変わりました。

現実とは、一番臨場感の高いイメージのことです。それを理論化したものが「夢をかなえる方程式:I×V=R」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

I」はイメージ(imageまたはimagination)、「V」は鮮明さ(vividness)。

よって、イメージがまったくできないもの、あるいはイメージできたとしても鮮明ではないものが「unreal」ということになります。

 

大谷選手の活躍は「(エースで四番が)リトルリーグのよう」「まるでマンガの世界」と例えられていましたが、それは今まで臨場感を感じられなかったイメージが鮮明になったことの表現です。

日本のファンはもちろん、全米中の野球ファンが、数十年ぶりに「まるでマンガの世界」からあらわれた若者の姿に、新たな“現実”が生みだされるワクワク感を感じているに違いありません。

 

個人の「want to」が社会の「want to」へと拡大していく過程で、まったく新しい現実が生みだされる

 

 それは「付加価値」がより高い抽象度次元で新たに創造されるということです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

 「役に立つ」「付加価値を生みだす」と「抽象度」を包摂する視点とは、「よりたくさんの人の役にたち、未来にわたって付加価値を生みだし続け、新たな現実を生みだす」というものです。それまでの「unreal」を「real」に変えるということです。

 

 それを本人がしっかり志向していることが「プロフェッショナル」だと思います。

 

 では、大谷選手にはそんな高い次元での志向があるのでしょうか?

 

 答えはYesです。

 20171111日、大谷選手は東京都内の日本記者クラブで会見し、ポスティングシステムを利用してメジャーに挑戦する意向を正式に表明しました。

 その会見で「プレーしている中で、一番の選手になりたい。野球は何をもって一番かというのは測りにくいけど、ファンの方やいろんな人たちから、彼が一番だと言ってもらうことは幸せなことだと思う。そういう選手を目指して頑張っていきたいです」と唯一無二の存在として世界一に駆け上がる夢を語りました。

そして、二刀流について、「最初は、ごく少数の人しか思い描いてなかった。今は期待してくれている人がたくさんいる。もう自分だけのものではないのかなというのもある」と述べました。

 

 「もう自分だけのものではない」

 

 この“自我”が拡張していく感覚が「『役に立つ』『付加価値を生みだす』と『抽象度』を包摂する視点」を生みだします。そして、その視点が新たな現実の創造を可能とします。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html

 

大谷選手は、プロフェッショナルとして、これからより多くの人々に希望と勇気を与え続けるでしょう。そして、誰もが想像できなかった新たな現実を生みだすことでしょう。

ゴール設定により生じるエネルギーを利用して新たな現実を生みだす大谷選手の今後の活躍がとても楽しみです。

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F-030:プロとアマの違い part 4 ~ハリルホジッチ監督電撃解任の考察~

 

part 1http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8582928.html

 part 2http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8748177.html

 part 3http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8900334.html

 

 

「プロとアマの違い」について考察する第四弾です。

 

第一弾(F-027)では「役に立つ」「付加価値を生みだす」という視点で、第二弾(F-028)では「抽象度」という視点でまとめました。第三弾(F-029)はその二つを統合した視点で「それまでのunrealrealに変えること」について書きました。

いずれの視点においても、そこに「お金のモノサシ」が入る余地はありません。それはファイナンスの話であり、職業とは切り離して考えるべきことです。

 

 今回は具体的な事例で「プロとアマの違い」について考えてみたいと思います。

事例はサッカー日本代表の監督を務めていたバヒド・ハリルホジッチ氏が突如解任されたことです。長いワールドカップの歴史でもほとんど前例がない本大会直前の代表監督電撃解任を、「プロフェッショナル」という視点で考察します。

 

 

 電撃解任後4/21に来日したハリル前監督は「私をうんざりさせるような状況に追いやり、私をゴミ箱に捨てたような状況」と語り、「私の誇りを傷つけるようなところとは戦わないといけない」と発言しました。

 

 解任の理由は「ハリル前監督と選手とのコミュニケーションの問題」とされています。

 しかし、4/27に行われた会見でハリル前監督は「コミュニケーションと信頼関係が薄れているのがどこなのか、わからない」と語っており、日本サッカー協会(JFA)の問題意識は全く伝わっていなかったことが伺えます。

 

 少なくとも、ハリル前監督とJFAの間に“コミュニケーションの問題”があったことは間違いなさそうです。

 

 実際に4/27の会見でハリル前監督は「本当だったら会長(注:田嶋幸三JFA会長)が事前に『こういう問題が起こっている。どうするんだ、ハリル』と言ってくれればよかった。事前に警笛を鳴らすなり、情報をくれればよかった」と語っています。さらには「今の現状をすごくショックに思っているのは、前もって何も教えてくれなかったこと」と話し、突然の解雇通告がたった5分間の出来事であったことを打ち明けています。

 

 ハリル前監督と同時に仕事を失うことになったコーチ達は、一人はイングランドで、一人はドイツで、選手たちの視察をしていたそうです。ワールドカップに備え万全の準備を進めている最中だった指導者とその仲間たちは、「たった五分間」のコミュニケーションでその役割を失いました。

 

 田嶋会長や西野新監督(前技術委員長)は「どのような点を問題と判断し、監督解任という決断に至ったのか」を未だ明らかにはしていません(20184月末時点)。

 なぜ明らかにしないのでしょうか? それとも、明らかにできないのでしょうか?

 

 文藝春秋の総合スポーツ雑誌「Sports Graphic NumberWeb版は、「いろいろな人に相談したというが、技術委員会に諮ったわけではなく、議論は行われていない」「解任理由についても、『総合的に判断した』という結論にいたる前に『選手とのコミュニケーションや信頼関係が多少薄れてきた』と話し、さまざまな憶測を招いている」とした上で、「組織の長として説明責任が果たされていないのも当然だが、説明方法や言葉を選ぶ能力の無さも気になる。当事者には詳細な解任理由を伝え、会見では控え目な表現に抑える方法もあったのではないだろうか。たとえば成績不振だけを理由にしてもよかったのだから」と田嶋会長の姿勢そのものを強烈に批判しています。

 

 

 意見の相違や食い違いは、お互いのブリーフシステムの違いにより生じます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 その認識のずれ(相違)が、お互いのスコトーマを明らかにします。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 “現状の外”に設定したゴールを各人がしっかり共有しているチーム(組織)にとって、それは大きなチャンスになります。その認識のずれ(相違)がお互いのスコトーマを外すきっかけとなり、さらなる進化・向上につながるからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 

 逆に述べると、ゴールを共有していなければチームの進化・向上は不可能です。

 

 ゴールを共有していたとしても、不完全性を忘れ(あるいは、そもそも知らず)、自身のブリーフシステムが絶対であると思っていれば、進化・向上やゴール実現は不可能です。情動レベルの対立やいざこざでIQが下がりっぱなしとなった状態では、決してスコトーマは外せないからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

 ゴールを共有し、不完全性を理解し、お互いのスコトーマを外すことができたとしても、継続的に成長・進化し続けることは困難です。かつてのゴールの達成に近づいてきた時点で新たなゴール設定が必要ですが、そのためにはより高い抽象度に向かい続けることが求められるからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

 より高い抽象度へ向かい続けるためには「縁起」や「空仮中」といった東洋的哲学の深い理解と実践が必要です。ところが、そんな知識やスキルを身につけることができる機会はなかなかありません。例えば、現状の医学教育課程にそんな機会はありません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 

 ・そもそもゴールを共有していないのではないか?

 ・不完全性を理解せず、自分が正しいと思い込んでいるのではないか?

 ・お互いのスコトーマが外せておらず、外そうともしていないのではないか?

 ・より高い抽象度次元を志向せず、低い抽象度でとどまり続けているのではないか?

 ・そして、それは現在の教育や社会の限界を示しているのではないか?

 

 

 それがハリル監督の解任騒動から私が感じたことです。

 

もしそれが真実であるならば、そこには「役に立つ」「付加価値を生みだす」という視点も、「抽象度」という視点もありません。その二つを統合した視点で「それまでのunrealrealに変えること」ができるはずがありません。

 

ところで、多くを語らないJFA会長の真意はどこにあるのでしょうか?

 

元サッカー日本代表監督 フィリップ・トルシエ氏は、ハリル解任の一因としてスポンサーの影響があるとの見解を語っています。それは「お金のモノサシ」をなによりも重要視したということであり、JFAという組織やその会長がアマチュアだと言っているに等しい発言です。

 

純粋に付加価値を生みだし、高い抽象度へ向かいながら、新たなrealを創造し、なおかつファイナンスのゴールとして切り分けた「お金のモノサシ」も(ゴールのバランスホイールとして)余裕で達成することが真のプロフェッショナルです。

 

 サッカーワールドカップ開催まで、あと6週間ほど。

 日本代表選手とそれを支える組織がプロフェッショナルであることを願います。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

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