苫米地式認定コーチ CoacH T(タケハラクニオ) ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学びながら九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

カテゴリ:F:フリーテーマ > 言葉(名言)・人物

F-002:ベチロン(苫米地理論)で「remember」を考察

 

 前回(F-001:やり場のない)のブログ内容について補足します。

 

 コーチングを受けると目の前の宇宙が大きく変化したように感じられます。同じ風景を見て、同じ言葉や音楽を聞いているようであっても、「認識↔理解↔評価↔判断」がそれまでと大きく変わっていくからです。

 

 例えば、「remember」という言葉。

 

 ふつうは「思いだす」「覚えている」「忘れずにいる」という意味で用いられます。要するに「記憶にとどめていて必要により引きだすことができる」ということです。

 

 それはベチロン(苫米地理論)を学び、ベチシキ(苫米地式)を実践する認定コーチも同じなのですが、一般の方々とコーチとは決定的に異なることがあります。

 

 コーチング未体験の方々にとってスコトーマ(心理的盲点)になっているものが何かわかりますか?

 

ポイントは「いつの記憶か?」ということです。

 

 コーチングを受けると「未来の記憶」ができあがります。

 

 ぼんやりとしたイメージ(picture)を言語化し(word)、それに過去の情動(「うれしい」「楽しい」などのemotion)を張り付けていくことで、そのイメージはリアルに変わっていきます。詳細はこのブログで解説していきます。

 

 まずは、コーチングを受けた人が「remember」するものは“未来”であることを理解してください。

 

 その「未来の記憶」を自らつくりだすスタートが「ゴール設定」です。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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F-003:日本人の微笑み

 

今年もWorldPeaceCoachingに参加しました。

広島を訪れるたびに、人類史上最悪の大量虐殺に対する憤りが湧きあがります。

 

 戦争やテロなどの人災は将来必ずなくなると信じていますが、地震・津波や集中豪雨などの自然災害には備えが必要です。最近、職場に近い新燃岳(5kmほど)が噴火を再開しました。鹿児島には桜島もあり、いつ大噴火が起こってもおかしくない状況です。

 

そんな災害の報道に触れるたびに自問してしまうことがあります。

 

「嘆き悲しむ被災者と向き合ったとき、私はどんな表情をすればいいのだろうか?」

「なんと声をかければいいのだろうか?」

 

 医療・介護の現場で働く者にとっては、じつは、災害のような状況は特別ではありません。老いや死が身近に存在するからです。悲しみや苦しみがあたりまえのようにあるからです。

 

医療に携わる者はどんな表情で働き、どんな言葉をかければいいのでしょうか?

 

 私が働いている病院の理念は、「常に笑みを絶やさず、安心感を与え、信頼される老人医療・介護のスペシャリストとして、社会に必要とされる病院を目指します」というものです。

 

この理念中にある「常に笑みを絶やさず」に対して、「病院では笑ってはいけない場面があるので、この表現は変えた方がいい」という意見が少なくありません。

笑みを絶やさずにいることの是非を、簡単には論じられそうもありません。

 

そもそも「笑み」とは何なのでしょうか?

 

「怪談」などの作品で知られる小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、「日本人の微笑み」の中で、「笑み」の意味に鋭く言及しました。その一節を御紹介いたします。

 

「日本人は死に直面しても微笑することができる。そして事実微笑する。そしてそのとき微笑するのも、それ以外のときに微笑するのも、理由は同じなのである。その微笑には挑戦もなければ偽善もない。また、その微笑を、われわれ西洋人がとかく性格の弱さと結び付けがちな、陰気な諦めの微笑と混同すべきではない。日本人の微笑は長い年月をかけて丹念につくりあげられた礼儀作法の一つなのである」

 

八雲は微笑みを礼節の象徴とし、沈黙の言語と捉えました。

 

ひどく落ち込んでしまったとき、どんなに身近な人であっても、どんなにありがたい言葉であっても、受け入れられないことがあります。慰め、いたわり、励ましがかえってつらく感じられることがあります。

 

そんな時の微笑みは言葉よりも雄弁です。

 

「微笑み」とは、八雲風に述べると、日本人に受け継がれた礼節の象徴であり、慈悲・慈愛を表す「無言の言葉」です。ベチシキ(苫米地式)で表現すると、非言語での内部表現書き換えです。

 

慈悲・慈愛に包まれたあたたかい「微笑み」を常に絶やさない存在でありたいと思います。

 

 ところで、最近「微笑み」という言葉について、ありがたい御意見をたくさんいただいています。“あの本”の中の私のインタビュー記事に関してです(微笑)。

 

 次回(F-004)は、そのインタビュー内容に関連したことをお伝えします。

 「続・楽しいことを見つけたことで発作が止まった患者さんが教えてくれたこと」です。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971739.html

 

 

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-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8159377.html

 

 

IMG_3833

F-009:本物の“向上心”、本当の“上から目線”

 

Q-002http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5349161.html」で、ルー・タイス氏の“向上心”に触れました。そのブログ記事に対してコメントをいただきました。ありがとうございます。

 

コメントをくださった方はしっかりと理解されていましたが、私がいう“向上心”は一般のものとは違います。

 

一般的な向上心とは、誤解を恐れずに表現すれば、「『この世はリアルである』という見方を前提とした上での煩悩を満たすためのもの」です。

「お金は多いほどいい」「自分だけ良ければいい」といった私利私欲レベルはもちろん、「資格を取れば安心」「安定しているから公務員がいい」等の発言にみられる不安や恐怖の回避なども含みます。

 

それらはすべて「低い抽象度の階層での煩悩を満たすもの」です。

脳の話でいえば大脳辺縁系での情報処理です。

 

低い抽象度http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.htmlにとどまってしまう原因は、「煩悩を肯定している」からです。

煩悩の肯定は「目の前の世界をリアルであると考える誤った認識作用」の結果として生じています。

その誤った認識は、「スコトーマ(心理的盲点)が外せないこと」が原因でおこります。

スコトーマが外せないのは、1)知識がない(そもそも知らない)、2)重要でない(おかしいと思わない)、3)役割がない(スコトーマを外す理由がない)です。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

釈迦哲学では、その状態を「無明(むみょう)」と表現します。

 

そんな「低い抽象度の煩悩を満たすだけの向上心」とは対照的に、タイス氏の“向上心”は「世界を平和にしたい」「飢えや貧困をなくしたい」という「高い抽象度の願望」から生まれています。

脳の話でいえば前頭前野内側部での情報処理です。

 

その高い抽象度の世界の「さらに上に向かいたい」と願う志こそが本物の“向上心”だと、私は思っています。

 

“上”とは「さらに抽象度の高い世界」です。

そして、その先にあるのは大乗仏教でいう「空(くう)」です。
  http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

医療従事者が集まったとある会合で、突然、酔いのまわった先輩医師に「先生~、すいませんね~。いつも上から目線で~」と謝罪され驚いたことがあります。

 

一般的な「上から目線」とは、「ある基準の存在を前提とした(その基準上の)上から下への見下し」であり、そこに滲むのは差別意識です。上に行けば行くほど分別(あるものを他のものから分け隔てること)が強まっていきます。

 

それに対して、本来の釈迦の教えであり、タイス氏が求めた“上”とは「さらに抽象度の高い世界」であり、上に行けば行くほど無分別(分け隔てをしないこと)になっていきます。

本当の“上から目線”とは、そういうもの(無分別)であるはずです。

 

The Power of Mind Ⅰ」第一章の結びにある“無敵”とは、そんな抽象度の上に向かうという“向上心”により実現するものです。アイルランドの紛争を目の前で解決に導いたルー・タイス氏の存在がまさに“無敵”の象徴です。

 

ルー・タイス氏が起こし、そして後を引き継ぐ苫米地英人博士や認定コーチ達が興すコーチングを、“向上心”をもって学び、実践する者は、その“無敵”を受け継いでいます。

 

私自身はもちろん、このブログを読んでくださる皆さんが、ますます本物の“向上心”をもって日々を生き、さらに本当の“上から目線”で物事を考えることができるようになるたびに、世界は確実に平和に近づいています。

-関連記事-
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http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

 

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F-019:「Connecting the dotsby スティーブ・ジョブス

 

 先日、コーチングセッション中に、2005年にスティーブ・ジョブスがスタンフォード大学の卒業式で行った講演の話題になりました。

 

 スティーブ・ジョブス(19552011年)はアメリカ合衆国の実業家で、アップル社の共同創設者の一人です。その言動が社内を混乱させたとして閑職へ追いやられ1985年にアップル社を辞めますが、1996年に業績不振で苦しむアップル社に復帰しました。
 その後、iPodiPhoneiPadといった一連の製品群を軸に、アップル社を「パソコンの会社」から「デジタル家電の企業」へと進化させました。さらには「メディア配信事業」という業界自体をつくりあげました。

 

 そのジョブスが、「私は大学を卒業したことがありません。じつのところ、今日が人生で最も大学卒業に近づいた日です。本日は自分が生きてきた経験から三つの話をさせてください。たったの三つです」と語りはじめ、有名な「Stay hungry, Stay foolish」で締めくくったスピーチは今も語り継がれています(ネットで全文を読むことができます)。

 

 今回は、ジョブスが最初に述べた「Connecting the dots」について取り上げます。

 

 

 You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backward.

So, you have to trust that the dots will somehow connect in your future.

You have to trust in something – your gut, destiny, life, karma, whatever.

This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.

 

先を見通して点をつなぐことはできない。振り返ってつなぐことしかできない。

だから将来何らかの形で点がつながると信じることだ。

何かを信じ続けることだ-直感、運命、人生、カルマ、その他なんでも。

この手法は私を裏切ったことはなく、そして私の人生に大きな違いをもたらしてくれた。

 

 

 コーチングセッション中は、「時間の流れ」という視点でこのスピーチを説明しました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 他にも、この短い言葉の中には、「ゴール」、「エフィカシー」、そして「ゲシュタルト」といったコーチングにおいてとても重要な概念が含まれています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 ここでは「ゲシュタルト」について、さらに深く掘り下げます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

「ゲシュタルト(Gestalt)」は“形態”を意味するドイツ語で、全体性を持ったまとまりのある構造のことを指します。

 

例えば、「ハシをつくる工○」という言葉を目にしたとき、その「ハシ」が「箸」なのか「橋」なのかは判断ができません。ところが、「○」に入る文字が「場」なら「ハシ」は「箸」だと分かり、「事」なら「ハシ」が「橋」だと分かります。

「ハシをつくる工場」という全体が分かってはじめて、「ハシ」が「箸」だとわかるつまり、「全体が分かることで部分が分かる」のです。

 

人間の心理現象に関しても同様です。

構成主義・要素主義の立場では、「人間の心理現象は要素の総和によるものであり、視覚・聴覚などの刺激には、個々にその感覚や認識などが対応している」と考えます。

例えば、既知のメロディーを認識する過程では、11つの音に対して記憶と対照した認知があり、その総和がメロディーの認識を構成するという感じです。

 

ところが、この説では移調した旋律を同じものと認識できる人間の認知機能を説明できません。

 

ゲシュタルト心理学では、知覚は単に対象となる物事に由来する個別的な感覚刺激によって形成されるのではなく、それら個別的な刺激には還元できない全体的な枠組みによって大きく規定されると考えます。

ここで全体的な枠組みにあたるものが「ゲシュタルト」と呼ばれます。

 

このようなことが明らかにされたのはつい最近、1980年代半ばにポストモダニズムが登場して以降のことです。

アイザック・ニュートンが古典力学を確立した17世紀から1980年代半ばまで、「部分が全体をつくる」という考え方がスタンダードでした。いわゆる構造主義の考え方です。

 

つい最近までのおよそ300年もの間、「部分が全体をつくる」という考え方がスタンダードであったため、たいていの方々は今でも「部分が全体をつくる」「部分を順に見ていけば全体が分かる」「部分を順に追っていけば答えが分かる」という考え方にとらわれています。

医療・介護の現場においても、いまだにこの古い考え方にとらわれたままの医療従事者が、驚くほどたくさん存在しています。

 

しかし、実際は違うのです。

全体が部分から成り立っているだけでなく、全体と部分が双方向的に関係しており、全体が分かることで部分が分かるのです。

この全体と部分との双方向の関係が「ゲシュタルト」です。そして、ゲシュタルトによって事象を認識する能力を「ゲシュタルト能力」といいます。

 

 私が「生きる意味を確信すること」や「死を想うこと」が重要だと考える背景には、この理論があります。

 

私たちは自分自身の死をしっかり見据え、その意味を知り、死が近づきやがて一体となることそのものが“生”であると認識した上で、目の前の一瞬を鮮やかに生きる必要があります。

 

そんな生き方そのものが幸福となります。

それはスピリチュアルペインを克服した先にある真の幸福です。スピリチュアルペインに関しては、「The Power of Mind Ⅰ」第四章で詳しく解説いたします。

 

 

You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backward.

So, you have to trust that the dots will somehow connect in your future.

 

先を見通して点をつなぐことはできない。振り返ってつなぐことしかできない。

だから将来何らかの形で点がつながると信じることだ。

 

 

connect the dots(点をつなぐ)」とは、ひと回り大きなゲシュタルトで物事をとらえることです。それは、ひとつ上の抽象度で物事をとらえることと同意です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

ジョブスはその重要性を、そしてその達成を信じ切ることの大切さを、若い世代に伝えたかったのだと思います。

それはスピリチュアルペインを克服する鍵となるものであり、人を真の幸福に導くものであるからです。

 

私が医療・福祉、そして教育といった“いのちの現場”にコーチングを届けたいと願うのも同じ理由からです。

 

私は、「医療」「福祉」「教育」といったゲシュタルトをはるかに越えた抽象度で、「点をつなぐこと」を熱望しており、そして、「点をつなぐこと」ができると確信しています。

その実現のために、このブログも100% want toで書いています。

 

Stay hungry ! Stay foolish!!

By Steven Paul “Steve” Jobs

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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)
Wikipedia より引用

F-020:研究はすべてに通じる

 

 私は、鹿児島大学で学んでいた学生時代に、医学部ウインドサーフィン部「FOOL ON BOARD」に所属していました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7199964.html

 その創部37周年と創部当初から定年退官までずっと顧問を務めてくださった佐伯武賴先生の著書出版をお祝いする祝賀会に参加しました。

 

 卒後二十年以上経過し、先輩や後輩もいい年齢になっています。もちろん私もです。

当然、佐伯先生も同じく年を重ねられていますが、77歳と思えぬ若さあふれた姿と発せられるエネルギー(気)に驚きました。

 

先生は、1980年に鹿児島大学医学部生化学教授に就任。19992001年の間は医学部長を務められ、2006年に定年退官されました(鹿大名誉教授)。その後20062010年は徳島文理大学教授、20102015年は熊本大学生命資源研究支援センター特任教授を務められています。

さらに、なんと75歳にして、鹿児島大学大学院医歯学総合研究科分子腫瘍学特別研究員になられ、現在も研究を続けられています。

 

祝賀会の前半は、昨年4月に出版された著書「シトリン欠損症 -医者も知らない特異な疾患」(風詠社)の記念講演会でした。「尿素サイクル」や関連する「グルタミン酸」「アセチルCoA」「シトルリン」などの用語を聞きながら、紐づいてでてくる学生時代の楽しく、懐かしい思い出に浸りました。

講演の最後には「研究から見えてきたこと」というテーマで、1)幸運をつかめ、2)積極性、3)独自性、4)研究はすべてに通じる、という話をしてくださいました。

 

講演後の祝賀会で、整形外科医となった後輩が「やっぱり佐伯先生は本物の教授ですね。こんなにすごい人が身近にいてくださってありがたいですね」と感慨深げに話してくれました。

 

私も全く同感で、心が震えるような感覚を感じていました。

最初からあたたかい気に包まれながら講演を聞いていたのですが、最後のスライド(研究から見えてきたこと)のときには感動のあまり泣きそうでした(そして、講演後に号泣しながら花束を渡す先輩女性医師の姿を見てこらえきれなくなりました)。

(先輩や私の)涙の理由は、佐伯先生の生き様そのものに感動したことももちろんですが、いただいた縁に対して大きな感謝の念が湧きあがったからだと思いました。

 

 幼い頃の私は、勉強に対して痛みを感じていました。勉強したいのにできなかったからです。勉強しているところを見つかったときに感じた恐怖は、その後に受けた暴行による痛みの記憶とともに、今も鮮明に覚えています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124523.html

 

 PTSDPost Traumatic Stress Disorder、心的外傷後ストレス障害)に苦しみ続けていてもおかしくない状況ですが、幸いなことに完全に克服することができました。認知科学者 苫米地英人博士からマインド(脳と心)の操作、内部表現の書き換え技術を教えていただいたからです。

 

その苫米地博士まで無事にたどり着くことができたのは、多感な青年時代に佐伯先生のような恩師に出会い、全身全霊で学んでいたからです。「知に対する飽くなき好奇心」、「強い意志」と「確信」、「すべてを包み込む優しさ」、そして「情熱」

 

 そんな高い抽象度次元にある智慧を、私はしっかりと受け取っていました。非言語で。

 

「創部40周年のときは僕は80歳だけど、その年も何回かは(ウインドサーフィンで)海にでようかな~」とにこやかに話される先生の姿は青春そのものでした。「そういえばよく『青春時代』を歌っていらっしゃったな~」と思いだしながら、「先生はサミュエル・ウルマンの詩の物理空間への写像のようだ」と思いました。

 

 

YOUTH(青春)

青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。

若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、

安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。

人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。

歳月は人間の皮膚に皺を刻むが情熱の消失は心に皺を作る。

悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させ、

雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。

六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の

煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・

人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。

人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。

自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。

希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。

自然や神仏や他者から、美しさや喜び・勇気や力などを感じ取ることができる限り、

その人は若いのだ。

感性を失い、心が皮肉に被われ、嘆きや悲しみに閉ざされる時、人間は真に老いるのである。

そのような人は神のあわれみを乞うしかない。

                        「80歳の年月の高見にて」より

 

 

「研究はすべてに通じる」と語る、いまだ青春真っただ中の恩師の姿に私は誓いました。

 

“不完全”な宇宙を解明し続けるために思考し続けることを。

空(くう)という頂点を目指して抽象度を上げ続けることを。

空と仮を包摂した中観の生き方を広め、社会や人類そのものが進化・向上した先にある真の平和を実現することを。

 

 あらためて佐伯先生には心より感謝申し上げます。

私は、先生から受け継いだ“FOOL ON BOARDスピリット”とともに、これからも苫米地式認定コーチとして、自分の機能・役割を社会に提供していきます。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

180211佐伯武頼先生出版記念講演


F-021:平昌五輪で垣間見た言葉の力 ~スピードスケート編~

 

 「言霊(ことだま)」という言葉が存在することからもわかるように、日本では昔から「言葉には不思議な力が宿っている」と考えられていました。その言葉を積極的に使って(あるいは慎むことで)、言語で表現される内容を現実化しようとするのが言霊信仰です。

 

 西洋社会においても、「はじめに言葉ありき」という新約聖書の一節(ヨハネによる福音書第一章)に象徴されるように、「すべて言葉によって成り立っている」という思想が根底にあります。

 1970年代にルー・タイス氏がおこしたコーチングにおいても言葉の力を重要視しており、アファメーションとして用いています。

 

 「すべては情報であり、様々な抽象度の階層に同時に、かつ、ダイナミックに存在している」という苫米地理論で考察すると、「ある抽象度において言葉となった情報が、多次元的に共有され、それぞれの書き換えのきっかけ(縁起)になる」と解釈することができます。

ある情報処理の結果が言葉となり(言語化)、その言葉が新たな情報処理に影響を与えるという感じです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

言葉は情報(処理)の結果であり、新たな情報(処理)の原因である

 

そんなことをあらためて考えさせられるエピソードを、平昌五輪から二つ紹介いたします。まずはスピードスケートから。

 

スピードスケート女子500mで金メダルを獲得した小平奈緒選手は、ある言葉をずっと大切にしてきたそうです。それは「顔晴(がんばれ)」という言葉です。

 

中学二年時には高校生を抑えて全日本ジュニア選手権で優勝していた小平選手は、高校二年時にスランプに陥ってしまいました。「不安と焦り、悔しい思いを何度もした。スケートの楽しさを忘れてしまうくらい辛くて、自信が持てない自分が嫌いになった。大好きなスケートも楽しめるわけがなくて、氷上で笑うということがなくなった」と当時を振り返る小平選手は、周囲から「頑張れ」と言われることがとても苦しかったそうです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882703.html

 

そんなときにあるコーチからもらった言葉が「顔晴(がんばれ)」でした。「本当のガンバレは顔が晴れたこと。辛くても笑顔は忘れちゃいけない」

 

 「頑張れ」という言葉に疲れ、悔いばかりが残る日々を過ごしていることに気がついた小平選手は、「笑顔でいること。よい記録をだすことより、なにより笑顔で顔晴ることが今の私にできる感謝の気持ち、恩返しである」と思うようになり、スランプを克服することができたそうです。

 

 「ガンバル」という同じ言葉を、「頑張る」とイメージするか、それとも「顔晴る」とイメージするか 

 

たったそれだけのことですが、その違いが心の力となったことで、今回の最高の結果につながったに違いありません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

やはり言葉には大きな力が宿っているようです。

しかし、その言葉の力とは、言葉そのものにあるものではなく、人と言葉との縁起により、その人のマインドの中に生まれるものです。

結局はマインド次第なのです。

 

TVで例えると、言葉は電波、マインドが受像機(TV)です。

その受像機(TV)をバージョンアップするために、コーチングがとても役にたちます。

 

まずは何気に使っている日常の言葉に注目し、そして考えてみてください。

「他人に対して私はどんな言葉を使っているだろうか?」「自分自身に対して私はどんな言葉を使っているだろうか?」「これからどんな言葉を使えばいいだろうか?」と。

 

言葉をきっかけとした思考が、さらにコーチングで磨かれるとき、それは明日を切り拓く大いなる力となります。小平選手のように。

 

次回(フリーテーマ)は、女子フィギュアスケートから御紹介します。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

WSDSSC_Kolomna_2016_-_Nao_Kodaira(Wikiより引用)
Wikipediaより引用

F-022:平昌五輪で垣間見た言葉の力 ~フィギュアスケート編~

 

 「言霊(ことだま)」という言葉が存在することからもわかるように、日本では昔から「言葉には不思議な力が宿っている」と考えられていました。その言葉を積極的に使って(あるいは慎むことで)、言語で表現される内容を現実化しようとするのが言霊信仰です。

 

 西洋社会においても、「はじめに言葉ありき」という新約聖書の一節(ヨハネによる福音書第一章)に象徴されるように、「すべて言葉によって成り立っている」という思想が根底にあります。

 1970年代にルー・タイス氏がおこしたコーチングにおいても言葉の力を重要視しており、アファメーションとして用いています。

 

 「すべては情報であり、様々な抽象度の階層に同時に、かつ、ダイナミックに存在している」という苫米地理論で考察すると、「ある抽象度において言葉となった情報が、多次元的に共有され、それぞれの書き換えのきっかけ(縁起)になる」と解釈することができます。

ある情報処理の結果が言葉となり、その言葉がきっかけとなり新たな情報処理に影響を与えるという感じです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

言葉は情報(処理)の結果であり、新たな情報(処理)の原因である

 

そのことをあらためて考えさせられるエピソードを、平昌五輪から二つ紹介いたします。前回はスピードスケートから紹介いたしました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7701939.html

 

「タケハラ先生もご両親や医療で大変だったと想うのですがコーチングで“顔晴”に成られているんですね!」というコメントをいただきました。ありがとうございます。

平昌五輪中に生まれた流行語で回答すると「そだね~」(笑)。

 

では、今回はフィギュアスケート女子からです。

 

 平昌五輪フィギュアスケート女子は、「ロシアからの五輪選手(OAR)」どうしの争いとなりました。ショートプログラムでは相次いで世界歴代最高得点を更新するハイレベルな演技で、首位がアリーナ・ザギトワ(15)、二位が世界選手権二連覇の女王 エフゲニア・メドベージェワ(18)でした。

 

 モスクワの同じスポーツクラブに通う二人の対決。若きザギトワが躍動し新女王が誕生するのか、それとも世界女王が貫録の演技で逆転するのか二人のフリーの演技に注目が集まりました。

 しかし、私にはすでに勝負は決しているように感じられました。フリー前日のコメントが正反対だったからです。

 

 ザギトワが「競争はあってもジェーニャ(メドベージェワの愛称)は友達。最大の競争相手は自分自身」と話したのに対して、メドベージェワは「試合のたびに小さな戦争をしているようなもの。私たちはベストな滑りを見せないといけない」と語っていました。

 

「自分自身が競争相手」と語るザギトワには、完璧な演技を終え表彰台の真ん中に立つイメージがしっかりあったはずです。あとはプレッシャーを力に変え、今までの練習の成果を発揮するだけという余裕が感じ取れます。

“争い”とはゴールを達成した未来の自分と現在の自分の間のものであり、そのモチベーションは「want to」です。

 

それに対して、「小さな戦争」と語るメドベージェワのコメントには、相手の演技(存在)に対する恐怖が感じられます。その恐怖という心の迷い(煩悩)が「ベストな滑りを見せないといけない」という言葉になって現れました。

メドベージェワにとっての“争い”とは後輩ザギトワと自分の間のものであって、そのモチベーションはもちろん「have to」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 ハーバード大学ビジネススクールのジョン・P・コッター名誉教授の研究によれば、建設的動機(want to)と強制的動機(have to)の違いにより、10年間で756倍の生産性の違いが生じるということが明らかになっています。7倍ではありません。756倍です。

 

 そのような大きな違いが表れてしまうのは、「want to」はコンフォートゾーンの中にいることであり、「have to」はコンフォートゾーンの外にいることになるからです。

 セルフイメージにより決められる、その人にとって心地がよい空間がコンフォートゾーン(Comfort zone)です。その中ではリラックスした状態でいられ、IQが上がり、パフォーマンスが向上します。逆にそこから外れると、途端に緊張し、何とかもとに戻ろうとします。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

 当然、二人とも演技前には大きなプレッシャーを感じていたはずです。心理学で「認知的不協和」と呼ばれるプレッシャーというエネルギーは、ザギトワにとってはゴールに近づけるものとして、メドベージェワにとってはゴールから遠ざけるものとして発揮されました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

 ただし、ここで気をつけないといけないことがあります。

「コンフォートゾーンは、IQを高め、能力を存分に発揮するために大切なものであるが、一方で、さらにIQを高め、もっと能力を発揮する可能性を制限するものでもある」という事実です。

大きな成功を手に入れるほど、その成功(=コンフォートゾーン)から抜けられなくなります。本当はもっとすごい未来が待っているはずなのに。

 

その“もっとすごい未来”をつくりだすためにコーチングがあります。

現状の外にゴールを設定し続けることで、コンフォートゾーンを現状からさらなるゴール側にずらしていくことができます。

 

 フリーの演技で最後のポーズをとった直後に涙を流した女王 メドベージェワは、「競技で初めて泣いた。すべての感情が流れ出て、心が軽くなった」とコメントしたそうです。

 「冒頭のフリップ-トーループの連続3回転を後半に跳んでいたらザギトワとの1.31点差を逆転できたかもしれない」という意見に対し「『もし』は『もし』でしかない」と語ったメドベージェワは、「怪我がなければ結果は違ったか?」という質問には「私は今この時を生きている。過去を振り返りたくない」と答えたそうです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 メドベージェワのマインドは、すでに次のゴールに向かい始めているようです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

メドベージェワ(Wikiより引用)

Wikipediaより引用

F-032:ある医師の勇気に触れて学んだこと ~○○○→思考→言葉→行動→習慣→性格→運命→○○→~

 

  思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから

  言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから

  行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから

  習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから

  性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから

 

Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words

Be careful of your words, for your words become your deeds

Be careful of your deeds, for your deeds become your habits

Be careful of your habits, for your habits become your character

Be careful of your character, for your character becomes your destiny.

 

上記の言葉はマザーテレサの言葉だとされています。

ネットで調べると、同じ言葉が1977年のテキサスの新聞に載っているようです。その中ではBi-Lo Storesというスーパーマーケットの幹部 Frank Outlaw氏による言葉とされています。

似たような表現は1856年まで遡ることができるそうで、どうやらマザーテレサがオリジナルではないようです。

 

 

 ところで、勇気とは何でしょうか?

 上記の言葉を教えていただいたのとちょうど同じ頃に、勇気について考えさせられる機会がありました。

 

 文春オンラインで、「認知症医療第一人者が語る『みずから認知症になってわかったこと』」という記事が配信されました(201856日)。

 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180506-00007221-bunshun-life

 

 記事中の「認知症医療の第一人者」とは、精神科医の長谷川和夫先生(89)です。

長谷川先生は1974年に認知症診断に用いられる「長谷川式簡易知能評価スケール」を公表されました。現在も改訂版が医療・介護の現場で用いられています(HDS-R)。医療・介護に関わる人で知らない人はいないと言えるほど有名な検査法です。

 

 その開発者であり、認知症ケア職の人材育成にも尽力されてきた長谷川先生は、昨年10月の講演で自らが認知症であることを明かされました。そして、文春の取材にも応じたのです。

 

 私はこの記事を読んで驚きました。そして「もし私だったら、公表するだろうか?」と自問しながら、同時に「なぜ長谷川先生は認知症を患っていることをわざわざ公表されたのだろうか?」と思いめぐらしました。

 冒頭の引用文でいえば、「『カミングアウト』という“行動”のもとになった“言葉”、そしてその“言葉”のもととなる“思考”は一体何なのだろうか?」という問いです。

 

 認知症ケアで長谷川先生が大切にされてきたものは「パーソン・センタード・ケア」という考え方だそうです。それは「認知症の人を中心に考える」という理念で、イギリスのトム・キットウッドという臨床心理士が提唱したものです。

 

「『認知症の人と自分とは同じだ』と同じ目線に立ち、従来のケアに加えて『その人らしさ』を尊重する。その性格を形成していく背景を粘り強く推し量り、『その人らしさ』を理解して、お互いに代えがたい存在であることを認め合う。認知症ケアには、そんな姿勢が求められると思います」と語られる長谷川先生は、「私は、こうした日本の認知症ケアを、世界に広めていくべきだと考えています」と話されています。

 

さらには「『認知症の人の心は、私の心と同じ。あの人も私と同じように楽しみたい、幸せになりたいと思っているんだ』という気持ちをもって、本人に接してみる。こうして、認知症になっても安心して暮らせる社会をつくっていくことが、これからの日本に求められることではないでしょうか」と理想の社会について語り、「私はいま、子どもたちに認知症のことを理解してもらうための絵本を作りたいと考えています」と未来への働きかけについてまで語られています。

 

どうやら長谷川先生の一連の言動のもととなる“思考”は、「よりよい社会、よりよい未来を実現したい」というゴールから生まれているようです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 ゴールは“現状の外”に設定するものです。

 通常、“現状の外”はスコトーマの中にあり認識することさえできず、そこに向かうことはコンフォートゾーンを飛びだすことであるため大きな葛藤を伴います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

 その葛藤を克服し、挑戦を継続させる力が「勇気」だと私は思っています。

 

 勇気はゴール設定の結果であり、“思考”を助けるものです。

 「ゴールが先、認識は後」 by Lou Tice

 

 認知症の第一人者が自らの認知症を公表する姿にコーチングマインドを感じた私は、不意に冒頭の言葉を書き直してみたいと思いました。

 

  ゴールに気をつけなさい、それがあなたの思考になるから

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから

  言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから

  行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから

  習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから

  性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから

  運命に気をつけなさい、それが世界を変える力となるから(革命!)

 

  Be careful of your goals, for your goals become your thoughts

Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words

Be careful of your words, for your words become your deeds

Be careful of your deeds, for your deeds become your habits

Be careful of your habits, for your habits become your character

Be careful of your character, for your character becomes your destiny.

  Be careful of your destiny, for your destiny changes the worldrevolution!).

 

 ある医師の勇気に触れて私が学び得たものは、「ゴール→思考→言葉→行動→習慣→性格→運命→革命→新たなゴール」という抽象度の階梯を駆け上がるサイクルのイメージでした。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

F-033:その男、○○につき

 

 ある日曜の午後、リビングの机に無造作に置かれたファイルを眺めていました。

 

 詰め込みすぎて真ん中が膨れ上がったいびつな形のファイルには、富士山が描かれています。通称「赤富士」と呼ばれる、「富嶽三十六景 凱風快晴」です。

 それは美術館で葛飾北斎展が開催された時に、子どもに買ってあげたファイルでした。


Hokusai-fuji7(Wiki引用)

「富嶽三十六景 凱風快晴」

Wikipediaより引用

 

 そういえばちょうど最初の子が生まれた20世紀の終わり頃、アメリカのある雑誌で「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」という企画があり、北斎が日本人で唯一人ランクインしていたことを思いだしました。確か86位だったと思います。

 

 日本を代表する画家 葛飾北斎をもっと知りたくなった私は、さっそくネットで調べてみました。

 

 葛飾北斎(1760?~1849年)は、江戸時代後期の浮世絵師で、化成文化を代表する一人とされています。以下、Wikipediaより引用します。

 

 引用開始

 代表作に「富嶽三十六景」や「北斎漫画」があり、世界的にも著明な画家である。森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表した。若い時から意欲的であり、版画のほか、肉筆浮世絵にも傑出していた。しかし、北斎の絵師としての地位は「富嶽三十六景」の発表により、不動のものとなっただけでなく、風景画にも新生面を開いた。

 北斎の業績は、浮世絵の中でまさに巨大な高峰であったが、達者な描写力、速筆は「北斎漫画」の中にも見ることが可能である。さらに、読本(よみほん)・挿絵芸術に新機軸を見いだしたことや、「北斎漫画」を始めとする絵本を多数発表したこと、毛筆による形態描出に敏腕を奮ったことなどは、絵画技術の普及や庶民教育にも益するところ大であった。葛飾派の祖となり、後には、フィンセント・ファン・ゴッホなどの印象派画壇の芸術家を始め、工芸家や音楽家にも影響を与えている

 引用終わり

 

 ポイントをあげると、

 ・速筆であり、多作であった

 ・作品・作風は多種多様だった

 ・新たな取り組みに挑戦し、技術を磨き続けた

 ・その結果、同時代はもちろん次世代にも、そして他業界や国外にも強い影響を与えた

といった感じでしょうか。

 

 お気づきだと思いますが、これはコーチングマインドそのものです。

 

 ・速筆であり、多作であった

  →「止められてもやりたい」というwant toの状態が、エネルギーと創造性の源となった

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 ・作品・作風は多種多様だった

  →“現状の外”のゴールに向かってコンフォートゾーンをずらし、スコトーマを外し続けた

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 ・新たな取り組みに挑戦し、技術を磨き続けた

  →不完全性(または空観)を理解し、「もっとできる」という確信で挑み続けた

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 ・その結果、同時代はもちろん次世代にも、そして他業界や国外にも強い影響を与えた

  →高い抽象度のエネルギーが時空を超えて伝わっていった

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542426.html

 

 

 北斎がコーチングマインドを体得していたことを示すエビデンスは他にもあります。それは「生涯に30回改号した(名前を変えた)」「93回転居した」「たくさんの奇行の記録が残されている」等です。

 

 決して現状に留まろうとしなかった北斎はまさに“Not Normal”。そんな彼を世間の人々は冷ややかに見ていたようですが、北斎自身は全く意に介さなかったようです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html

 

 「“現状の外”に心から望むゴールがあった」からです。

 

 あらためて北斎の絵をネットで検索し眺めてみました。私は絵心はありませんが、それでも“何か”を感じます。時空を超越したエネルギーというものでしょうか。ヒーラーとしての感覚で例えるなら“気”です。

 

 「その男、コーチにつき」

「その男、ヒーラーにつき」

 

 そんな独り言をぶつぶつつぶやきながら、日曜の午後を楽しみました。

 

 最後に北斎のものとされる言葉を紹介いたします。

 非言語(絵)と言語の両方で、日本を代表する偉人のエネルギーを受け取ってください。

 

 70歳まではとるに足らず、86歳になれば腕は上達し、90歳で奥義を極め、100歳に至って神妙の域に達する。

 100歳を超えて描く一点は、一つの命を得たかのように生きたものとなろう。

 

 天が私に10年、せめてあと5年の命を与えてくれたなら、真正の画工となることができるのに。

葛飾北斎 臨終時(89歳)の言葉 

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

The_Great_Wave_off_Kanagawa(Wikiより引用)

「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

Wikipediaより引用

 


F-041:桂歌丸さんが最後まで危惧していた「笑えない笑点」

 

 201872日、落語家の桂歌丸さんがお亡くなりになりました。81歳でした。

 

 歌丸さんは、1966年の放送開始から50年にわたって「笑点」(日本テレビ)に出演し続け、2016522日の放送をもって勇退されています。

 

 勇退後も笑点のことをとても気にかけていらっしゃったそうです。

御逝去後の特集記事をいくつか読みましたが、笑点そのものを気にかけていたというよりは、落語業界全体のことを大切に思っていたことが伝わってきました。

 そんな歌丸さんの言葉から強く滲みでているものは、笑いを育む平和への思い、そして、笑いを殺してしまう戦争への怒りでした。

 

 歌丸さんが最後まで危惧していたのは「笑えない笑点」

戦争によって笑うことができない世の中になってしまうことだったようです。

 

歌丸さんは「特定秘密保護法」や「安保関連法」が次々と強行採決されたときにも、反対の声をあげていました。

 

「今、日本は色んなことでもめてるじゃないですか。戦争の『せ』の字もしてもらいたくないですよね。あんな思いなんか二度としたくないし、させたくない」

「テレビで戦争が見られる時代ですからね。あれを見て若い方がかっこいいと思ったら、えらいことになる」

人間、人を泣かせることと人を怒らせること、これはすごく簡単ですよ。人を笑わせること、これはいっちばん難しいや人間にとって一番肝心な笑いがないのが、戦争をしている所」

朝日新聞デジタル(20151019日)より引用 

 

戦争には笑いがない

 

…歌丸さんがこう語る背景には、空襲により横浜の生家が全焼してしまった悲しくつらい体験があります。さらには、戦中の落語界が当時の体制に半ば強制されるようなかたちで53種の噺を高座にかけないよう自粛し(=忖度)、戦意高揚を煽るような新作落語を次々と発表することで戦争に加担した過ちへの反省があります。

 

情動を伴った体験と情報の記憶により、戦争を忌み嫌うというブリーフシステムが形成されたのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

そもそも落語とは人間の業を笑うものです。

それなのに、戦時下において(19409月)、「時局柄にふさわしくない」として53種の噺が禁じられてしまいました(禁演落語)。

 

話が少し逸れますが、禁演落語が指定された後、高座にかけることを禁じられた噺たちを弔うために、浅草の本法寺に「はなし塚」という塚がつくられたそうです。当時の落語家たちによる洒落っ気のこもったささやかな反抗ですが、「この苦い経験を忘れないように」と今でも落語芸術協会による法要が続けられているそうです。

 

この禁演落語の措置は当時の講談落語協会による自主規制の体裁を取っていましたが、事実上は国からの強制でした。19402月には警視庁が興行取締規則を改正し、落語家・歌手・俳優などすべての芸能関係者が「技芸者之証」を携帯するように義務付けています。

 

政府は、芸人たちの表現を生権力(バイオパワー)によって管理したのです。

生権力とは、「人々の生活の中で、その営みを行うための日常的な関係の中から自然に生みだされる権力」のことで、英語ではBio-powerといいます。

功利主義の原理を確立したイギリスの哲学者 ジェレミ・ベンサム(17481832年)の「パノプティコン」という概念が生権力のもととなっています。

この概念を拡大して、フランスの哲学者 ミシェル・フーコー(19261984年)が著書「監獄の誕生」(1975年出版)で提示した概念が生権力です。

 

巨大な権力により、噺家たちは国が推進する軍隊賛美や債券購入、献金奨励などを物語の中に組み込んだプロパガンダのような新作落語をつくることも強いられました(国策落語)。

たとえば、当時のスローガン「産めよ殖やせよ」をテーマにつくられた「子宝部隊長」という落語では、子どもを産んでいない女性に向けられるこんなひどい台詞が登場します。

 

何が無理だ。産めよ殖やせよ、子宝部隊長だ。

国策線に順応して、人的資源を確保する。それが吾れ吾れの急務だ。

兵隊さんになる男の子を、一日でも早く生むことが、お国の為につくす一つの仕事だとしたら、子供を産まない女なんか、意義がないぞ。

お前がどうしても男の子を産まないんなら、国策に違反するスパイ行動として、憲兵へ訴えるぞ

 

これは単なる「昔話」ではありません。

 

国境なき記者団が毎年発表する「報道の自由度ランキング」において、今年の日本は67位でした。前年の72位からやや改善したものの、主要国7カ国(G7)では最下位です。

1位はノルウェー、2位はスウェーデン、3位がオランダで、ドイツ(15位)、カナダ(18位)、スペイン(31位)、フランス(33位)、イギリス(40位)、韓国(43位)、アメリカ合衆国(45位)と続きます。

 

繰り返しますが、日本の報道の自由度は67位で、G7では最下位です。

日本において「表現の自由」はすでに失われているということができます。

 

情報が制限されると、私たちのマインドでの情報処理は制限されてしまいます。

RASがコントロールされてしまうことで、権力者にとっての“不都合な真実”がスコトーマに隠されてしまいます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

それは、自由そのものが奪われていることを意味します。

 

 自ら戦争を体験し、業界自体も戦争に加担したという苦い記憶を持つ落語家 桂歌丸さんが心から求めていたものとは平和でした。そして、最後まで危惧していたことは笑いがなくなる世の中になってしまうことでした。

 その鍵となるものが自由といえます。

 

 では、歌丸さんの危惧が現実化しないために、私たちがするべきことは何でしょうか?次世代に伝えるべきことは何でしょうか?

 

 私は、マインド(脳と心)について学び実践することで、まず自らの心の中に小さな平和を見いだすことだと思っています。自ら定めたゴールに向かって生きる過程(=自由)にこそ、本当の喜びがあり、真の平和があります。

 そして、笑みを絶やさない心で同世代や次世代と向き合い、マインドについての知識・スキルとともに、そんな生き様(=自由)自体を広げ伝えることだと信じています。

 

 それはコーチングの祖 ルー・タイス氏から受け継いだメッセージであり、歌丸さんの言葉が突きつける喫緊の課題に対するコーチとしての私の解決策です。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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監獄の誕生(ミシェル・フーコー)



F-055:おもしろき こともなき世を おもしろく

 

 ブログ記事F-052およびF-053では、幕末から明治にかけて活躍した薩摩の雄 西郷隆盛の言葉「人は、己に克つを以って成り、己を愛するを以って敗るる」を御紹介しました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12491793.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12645423.html

 

 今回は、同じく幕末に活躍した長州の雄 高杉晋作(18391867年)の言葉を紹介いたします。

 

 

 コーチとして、そして医師(&ヒーラー)として、たくさんの出会いがあります。

 お話を伺っていて感じるのは、「何が幸せかは人それぞれである」ということ。そして、「『幸せ』や『喜び』といったものがどこかに『ある』と思っている方々がとても多い」ということです。そういう私も「幸せ」が「ある」と思っていました。

 

 「どこかにあるはずの幸せがなかなか見つけられない」

「喜びをなくしてしまった」

「何のために生きているのかがわからない」

「なかなかゴールが見つからない」

 

そんな言葉を耳にするたびに、コーチとしての私は、高杉晋作のこの言葉を思い出します。

 

 

おもしろき こともなき世を おもしろく

 

 

 「おもしろき」ものは、最初から「おもしろき」ものとして存在しているのではありません。ある事象を認識する人の情報処理の結果として、つまりマインドの働きにより、「おもしろき」ものが存在として新たに生じます。縁起です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 よって、同じ人であってもその時の気分(マインドの状態)により「おもしろく」感じられないことが起こりえますし、逆に誰からも心配されるような逆境の中に「おもしろき」ことを見いだすこともありえます。

 

 最初から「おもしろき」ものがあるのではなく、心の状態により「おもしろきこともなき世」が「おもしろく」なるのです。「おもしろき」ものは、「あるともいえるし、ないともいえる」ものといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 その鍵となる“心の状態”をうみだすものが「ゴール」です。ゴールがすべての事象の意味を決めます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 そして、ゴールが心のロックを解除していきます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12794797.html

 

 止められても成し遂げたいゴールがあり、その達成を確信するようになると何気ない日常の生活の中に「おもしろき」ものを見つけ始めます。スコトーマが外れるからです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 モチベーションの視点でいうと、「have to」だったことが「want to」にどんどん変わっていくのです。それは「どこかにあるはずのwant toを見つけだす」という感覚とは全く異なります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 その時、すべての偶然はチャンスに、さらには必然に変わります。

 

 

偶然は準備のできていない人を助けない

チャンスとは、心構えのできた者にのみ訪れるものだ

 

 

 これはフランスの生化学者・細菌学者 ルイ・パスツール(18221895年)が、リール大学での講義中に語った言葉だといわれています(1884127日)。

 

 パスツールの語る「準備」とは「ゴール設定」のことです。そして、「心構え」とは「ゴールの実現を確信すること(=エフィカシー)」だといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 ゴールを設定し、その実現を確信すると、ゴールを達成している未来から時間が流れるようになります。そして、スコトーマがはずれることで、次々とチャンスを見つけるようになります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 そんな人生はきっと「おもしろき」ものであるはずです。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8430748.html  

 繰り返しますが、そのすべてのはじまりがゴール設定です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 

 ところで冒頭の高杉晋作の言葉ですが、高杉の死後に、女流歌人 野村望東尼(のむらもとに、18061867年)が下の句を付け加えました。野村は福岡の平尾山荘で勤皇の士をかくまったりしましたが、その時に高杉晋作と出会っています。

 

 その野村望東尼の句が「すみなすものは こころなりけり」。

 

 「おもしろきものは自らつくりだすものだ」という高杉の上の句、そして「すべては心が生みだすものだから」という野村の下の句

 

 それらが紛れもない事実であるということは、認知科学の研究が明らかにしました。150年の時を経て。

 

 

おもしろき こともなき世を おもしろく

すみなすものは こころなりけり

 

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 今回御紹介した高杉晋作の言葉は、苫米地博士の著書「自分を大きく変える 偉人たち、100の言葉 ―Dr.苫米地式名言活用術」(TAC出版)の中でも取り上げられています。一部御紹介します。

 

 自分の思い通りにならないことがあった時、人は自分以外のものに原因を求め不満を抱きます。仏教ではこうしたものはすべて煩悩が原因で自分の心が生み出していると考えます。こうした煩悩を消し去り、安らかな心を持って生きることこそ「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」、つまり“悟り”の境地なのです。

 

 続きはぜひ、博士の著書で御確認ください。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12645685.html

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5305837.html

 

 

高杉晋作(Wiki.)

高杉晋作

Wikipediaより引用


F-100:芸術は爆発だ!

 

 前回(F-098、099)は「順位づけをすり込むことはよくないが、1位を目指さないといけない」という苫米地博士のコメントについて考察いたしました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18797248.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18911522.html

 

 順位づけというすり込みを超えたところで1位(頂点)を目指し続ける生き方が「Not Normal」を生みだします。「ぶっちぎり」を実現します。私はそれが「克己」だと思っています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_268337.html

 

 そして、それはリーダーに求められる資質でもあります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14526054.html

 

 さらにいうと、「1位を目指さないといけない」理由は個人レベルにとどまりません。より高い次元を志向する情熱は、個人の枠を大きく超えて、広く社会にひろがっていきます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

そのエネルギーと創造性は、まるでビックバンの“爆発”のように、時空を超えて何かを生みだします。縁あるものの心の中で。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

今回は、エネルギーと創造性に満ちた、情熱の塊のような先人を取り上げます。その先人から時空を超えて私が受け取ったことがテーマです。

 

 

 …先日、出張で大阪を訪れました。

 

 ナビの案内どおりに乗ったモノレール内で「万博公園前」という駅名を見つけた私は、湧きあがったwant toを抑えきれなくなり、予定を変更し万博公園に向かいました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 太陽の塔をこの目で見たかったからです。

 

 私と同世代以上の方々には説明不要だと思いますが、「太陽の塔」は芸術家 岡本太郎さん(1911~1996年)が制作した芸術作品です。作品といっても70mを超える巨大な建造物で、実際に見ると圧倒的な迫力で迫ってきます。

 1970年に大阪府吹田市で開催された日本万国博覧会(EXPO’70、大阪万博)のテーマ館の一部として建造された塔は、「テーマ館のプロデューサーだった芸術家の岡本太郎が、万博という現代の祭りの神格として打ち立てたもの」とのこと(太陽の塔の前に設置された石碑中の文より引用)。

 他のパビリオンと同じく万博閉幕後に撤去される予定だったそうですが、保存を願う声の高まりを受けて1975年に永久保存が決まりました。耐震工事など紆余曲折を経て、2018年に塔内空間が展示施設として公開されるようになりました(入館には予約が必要です。残念ながら私は入館できませんでした)。詳しくは下記サイトを御参照ください。

太陽の塔オフィシャルサイト:https://taiyounotou-expo70.jp/

 

 岡本太郎さんを知ったきっかけについてはあやふやですが、両眼を見開きながら「芸術は爆発だ!」と叫ぶテレビCM(1981年~、マクセル)の映像は、当時感じた“熱”とともにはっきりと覚えています。

 

 そびえたつ太陽の塔を見上げながら、私は「芸術は爆発だ!」という言葉で太郎さんが伝えたかったメッセージを感じ取ろうとしました。岡本太郎への挑戦です。

対峙した1時間の間にこのようなイメージを得ました。

 

〇 爆発の元となるエネルギーは高い抽象度に内包されるポテンシャルエネルギー

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

〇 そのエネルギーを手にいれる(高い抽象度に到達する)きかっけはゴール設定

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

〇 そのエネルギーを爆発させる(物理次元で何らかの付加価値に変換する)起爆装置はエフィカシー

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 

 …エフィカシー!

 

帰宅した後太郎さんの著書を読み返しながら、かつて太郎さんの姿に感じた“熱”の正体、そして、初めて太陽の塔を仰ぎ見て猛烈に感じた“熱”の正体に思い至りました。それが「エフィカシー」です。。

 

それを太郎さんの言葉でいえば「覚悟」でしょうか。「覚悟を決める」ことは「ゴール達成を確信(確定)すること」であり、“爆発”を引き起こすトリガーです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18684707.html

 

エフィカシーとは「ゴール達成能力の自己評価」のこと。「私は~できる」ではまだまだ弱く、「私はすでに~している」と心から満足してしまうと妄想でおわります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

「必ず成し遂げる」という覚悟

「命を懸けてやり遂げる」という覚悟

 

…その覚悟が本物のエフィカシーとなり、起爆装置となるのだと納得しました。

 

大切なのは「自分のマインド(脳と心)は、自分自身の自由と責任でコントロールする」という意志です。そして、「自分自身の心の力(The Power of Mind)で未来を創造する」という覚悟。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/15833962.html

 

その覚悟こそが本物のエフィカシーであり、人のマインド内でおこる“爆発”の起爆剤であるということを、そびえたつ太陽の塔を介して太郎さんに教わったような気がしました。

 

 情報空間に存在する岡本太郎さんに、教えをいただいた喜びと感動を叫びたいと思います。心からの感謝と尊敬の念をこめて。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654230.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654316.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831442.html

 

 なんだ これは!

 

 

苫米地式認定コーチ                       

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-関連記事-

「The Power of Mind Ⅰ」序章(目次)

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123516.html

 

 

太陽の塔




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