苫米地式コーチング認定コーチ CoacH T <タケハラクニオ> ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学び九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

カテゴリ: S:シリーズ編

ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-12三段論法がダメな理由

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

12:三段論法がダメな理由

 

今回は三段論法についてです。

 

三段論法とは、アリストテレスが提唱したとされる「pならばqqならばr。ゆえにpならばrである」という論理の法則です。例えば、「すべての人間は死すべきものである。ソクラテスは人間である。ゆえにソクラテスは死すべきものである」という論理です。

 

これに対して、トゥールミンは「例外のない法則はない」と主張し、三段論法の前提条件に100%はあり得ず、必ずある一定の確率(Q理論)が存在するとしました。

「人間は死すべきものである」「ソクラテスは人間である」という条件も、じつは100%とはいえません。医学・医療の発展は不老不死を実現するかもしれません。そのとき、不死の人間は人間ではないということになってしまいます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12507563.html

 

さらに、「aならばbbならばccならばd……yならばz」という長い論理チェーンができあがったとき、現実世界において「aならばz」になる可能性はきわめて低いといえます。

例えば、1cm上から落としたボールの落下位置はほぼ正確に予測できますが、「1cm上。さらに1cm」が積み重なった、東京タワー程の高さから落としたボールの落下地点は絶対に予測できません。

 

長い論理チェーンの間に不完全性定理/不確定性原理が働くからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

アリストテレスの三段論法は、人間の思考空間の中にしか存在しません。現実の世界に存在する論理はトゥールミンロジックのように非形式的なものです。

それが通常の人間の論理であり、現代分析哲学で非単調論理として形式化されたロジックです。

 

 

 ここまで、ディベートの基本とその重要性を説明いたしました。

 それでは、そのトゥールミンロジックを用いて、実践的に(抽象度を下げて)考察していきましょう。

 

-参考-

苫米地英人博士著「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-13「問題解決力」の強度を測る2つの基準

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

13:「問題解決力」の強度を測る2つの基準

 

ある論題に対してその行動をとるべきであると判断されるためには、通常、2つのことが必要になります。

その2つとは「ケースサイド」と「プランサイド」、「問題を見つけること」と「問題を解決すること」です。

 

ケースサイドとはニーズ、すなわち必要性のこと。

ある問題があったとき、「その問題がいかに大きいか」、「どれほど行動の必要性があるか」ということです。

 

プランサイドとはその行動(プランを実行すること)の有効性のこと。

その行動をすることで、「ニーズ、すなわちケースサイドがきちんと解決するのかどうか」ということです。

 

このケースサイドとプランサイドのふたつの側面において必要性、有効性を示すこと、それが「立論」と呼ばれるものになります。コンストラクティブスピーチともいいます。

 

現実世界ではケースだけ叫ばれることがとても多く、「問題だ!問題だ!!」だけで解決策がないことがほとんどです。プランがなければ、本来はケースを叫んではならないのですが、国会でも、身近な会議・会合でもプランなきケースばかりが目立ちます。

 

ちなみに私は、院長として11年間勤めた病院において、ケース(課題)に対するプラン(解決策)として「コーチングの導入」を提案しました。そして、プレゼン後に理事長の了承を得て実行しました。

 

そのプランとしての「コーチング」を全否定するのは経営サイドの自由だと今でも思っていますが、全否定のプロセスで議論がまったくなく、コーチングに代わるプランの提示がなかったことには失望しました。ましてや最終決定者である理事長が何も御存じなかったのですから、驚きを通り越してあきれてしまいました。

その詳細や私が得た気づきについては、「The Power of Mind Ⅰ」第六章にまとめます。
 
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/15110477.html

 

 

「プランがなくケースだけ」の問題点はコーチングとも大いに関係します。ケースだけでは「現状肯定」になってしまう可能性があるのです。

 

現状(SQStatus Quo、ステイタス・クオ)の外にある未来(プラン)に、より強い臨場感を感じることで、コンフォートゾーン(CZ)を動かすことが可能となります。CZを動かせてはじめて、進化・向上が実現します。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

その未来(プラン)が「ゴール」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

-参考-

苫米地英人博士著「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO

 

(つづく)

 

 

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ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-14ディベートを制する4つのポイント-1 <ハーム>

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

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14:ディベートを制する4つのポイント-1 <ハーム>

 

とるべき行動の有効性の議論には、ケースサイドとプランサイドの二つがあることを説明しました。この二つのサイドの違いにより反論の仕方も違ってきます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

 

ケースサイド、すなわち必要性に対する反論にはハーム(問題性)とインヘレンシー(内因性)への攻撃という二つがあります。

 

「ハーム」というのは、そのプランを実行しないとどの程度の影響がでるのかということ。重要性が大きいほど、そのプランをより実行すべきだということになります。

ハームとは異なった意味合いでアドバンテージ(利益)と呼ぶこともあります。

 

このハームまたはアドバンテージの大きさを攻撃することになります。ちなみに、ハームやアドバンテージの大きさのことをシグニフィカンス(重要性)とよびます。

 

 それでは、S-01-09http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12340209.html)でも取り上げた「優秀な成績で卒業する看護学生に対して、医師会長賞(の副賞)として4000円ほどの多機能ペンを贈る」という具体的な論題で考えてみましょう。

 (簡単な論題と感じるかもしれませんが、私が参加した委員会ではこんなシンプルな論題でさえスムーズに議論することができませんでした)

 

 

<例> ハーム(問題点):主張される行動の不実行に伴う悪影響この論題では「多機能ペンを贈らなかったとしたら~」

 

「学生のモチベーションが下がる」

「看護師希望者が減り、地域の看護師不足に拍車がかかる」

「不公平感、理不尽感から雰囲気が悪くなる」

「失望してメンタル不調に陥る」etc.

 

 

<例>アドバンテージ(利益):主張される行動の実行に伴う好影響この論題では「多機能ペンを贈ったとしたら~」

 

「学生のモチベーションが上がる」

「看護師希望者の減少を防ぎ、看護師不足を食い止めることができる」

「競争意識から全体のレベルが上がる」etc.

 

 

このとき「モチベーションが下がる」や「雰囲気が悪くなる」というハーム(問題点)のシグニフィカンス(重要性)に対して攻撃を加える選択があります。「重要性がないのだから、やる必要はないじゃないか」という感じです。

 

次に解説するプランサイド(有効性)の話とつながりますが、ハームのシグニフィカンスが低いと「多機能ペンを贈ったら雰囲気は良くなるかもしれないが、それ以上に深刻な問題が生じる」というディスアドバンテージ(不利益)による攻撃に負けてしまう可能性があります。

 

主張する側は、主張の際にハームのシグニフィカンスを十分高めておく必要があります。逆に攻撃側はシグニフィカンスが低いとみたら、そこを攻撃して、プランサイドのディスアドバンテージにつなげるという反論に持っていきます。

 

このケースでは「(副賞で)多機能ペンを贈る」ということが、地域医療の未来にとってどれだけ重要であるか(シグニフィカンスが高いか)が問われます。

 

-参考-

苫米地英人博士著「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO

 

(つづく)

 

 

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-追記-

多機能ペン一つのことで大げさに感じられるかもしれませんが、私の属する地区医師会では医療従事者の確保が喫緊の課題で、このままでは本当に地域医療が崩壊してしまいかねません。関係者はみんな、危機感をもって真摯に取り組んでいます。

コーチングの知識とスキルは、生老病死の四苦に苦しむ患者さんを救う福音となりますが、医療・福祉従事者自身にとっても大きな救いとなります。「だから、“いのちの現場”にコーチングをしっかりと届けたい」と願いながら、私は活動を続けています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166400.html

 

 


ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-15ディベートを制する4つのポイント-2 <インヘレンシー>

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

15:ディベートを制する4つのポイント-2 <インヘレンシー>

 

インヘレンシーというのは、ハームの内因性の論理です。

 

否定する側から見た場合、そもそもハームが「現状(Status Quo)」に内因的であるのかどうか、したがってそもそも論題を採択することでのみハームは解決するのかということを指します。

 

「現状」が肯定側のプランなしでもハーム(問題)を解決することができるのであれば、肯定側のプランはいらないという論理でもあります。もしくは、「現状」を維持すれば問題が修復されるのであれば、そんなものはハームではないという論理です。

 

逆に、肯定側から見れば、「現状」に内因的であるならば、これは放っておいても直らない。それなら肯定側のプランを採択しなければならないという論理です。

 

よって、インヘレンシーは、ハームの本質的な原因は何かという議論といえます。

 

今回のケースでは、「学生のモチベーションを高めるために副賞(多機能ペン)が必要なのか?」「副賞を贈ったら看護師不足は防ぐことが(改善することが)できるのか?」という議論です。

 

「多機能ペンを贈る贈らないではなく、マインドについての知識が不足しているためにモチベーションがコントロールできていないことが問題の本質」かもしれません。あるいは、「マインドについて学び実践するコーチングを導入することで、より効率的に地域の医療を改善できる」かもしれません。

 

 

具体的には、「構造性インヘレンシー」「行動性インヘレンシー」「実存性インヘレンシー」の3種類があります。以下、参考としている苫米地博士の「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO)から引用します。

 

 

「構造性インヘレンシー(Structural Inherency)」とは、法律、条約、判例、閣議決定、省令その他の法もしくは法に順ずる「障害(Barrier)」があり、現状では肯定側のプランを採択しようがないという論理です。サブタイプとして、「構造ギャップインヘレンシー(Structural gap Inherency)」があります。これは法的な阻害要因ではないのだけど、過去の立法の不備などで、そのままでは現状の中で肯定側のプランを採用しようがない場合の例です。

 

「行動性インヘレンシー(Attitudinal Inherency)」とは、政権の思想や主義などにより、現状では肯定側のプランは採択されることはないという論理です。Attitudeは「態度」ですが行動性と訳すほうが五感としてあっています。

 

「実存性インヘレンシー(Existential Inherency)」とは、なんらかの問題(ハーム)が現実問題として現状に継続しているというハームの実存性から、放っておいても問題解決は現状ではあり得ないという論理です。

つまり、もしハームが実際に存在しているのに、現状で肯定側のプランがすでに実行されていないということは、何か見えない要因が肯定側のプランの採択を阻害しているに違いないという論理といえます。

 

 

このように肯定側のプランを採択する以外の方法では、ハームを解決することができないという論理がインヘレンシーの論理です。

 

今回のケースでは、肯定側はプラン(多機能ペンを贈る)のみが唯一ハームを解決することができるのであり、現状には解決能力がないと示す義務があります。

 

これに対して否定側は、現状に阻害要因があるかを問う、インヘレンシーそのものを攻撃するのでなく、肯定側の提案した方法以外にもハームを解決する方法はあるのだと積極的に提案することもできます。これをカウンタープランといいます。

例えば、「これを機会にディベートやコーチングをみんなで学んでいけば、よりよい解決策をどんどん見つけることで、もっと進化・向上できる」です。

 

その場合、否定側のプランのほうが優れていれば、肯定側の敗北になります。

 

-参考-

苫米地英人博士著「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO

 

(つづく)

 

 

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ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-16ディベートを制する4つのポイント-3 <ディスアドバンテージ>

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

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16:ディベートを制する4つのポイント-3 <ディスアドバンテージ>

 

次に「プランサイド」です。

 

有効性に対する反論にも2つあり、「ディスアドバンテージ(不利益)」と「ソルベンシー(解決性)」と呼びます。

 

ソルベンシーについてはインヘレンシー(内因性)とワンセットでケースサイド(必要性)として扱うこともできます。

 

ディスアドバンテージは、クレーム(主張)に対して、そのプランだと大きなディスアドバンテージが生じると攻撃することです。つまり、プランを実行しないほうが、最終的にアドバンテージ(利益)が大きいと証明すること

 

今回のケースでは、「多機能ペンを贈る」という提案に対して、「しかし、多機能ペンを贈ったら、もらえなかった学生の不満が爆発し集団ボイコットがおきる」と反論したとします。

肯定側がケースサイドで勝ったとしても、「多機能ペンを贈らなかったら、学生のモチベーションが下がる」というハーム(問題)と「集団ボイコットにより地域の看護師不足に拍車がかかる」というハーム(問題)のぶつかり合いになります。

 

つまり、「あなたはそれをしないとこんなに大変なことが起こるというが、それをしたらもっと大変なことになる。だから、それはするべきではない」と反論するのが、ディスアドバンテージによる反論です。

相手のプランを実行すると不利益のほうが大きいからダメだという反論をするということです。

 

-参考-

苫米地英人博士著「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-17ディベートを制する4つのポイント-4 <ソルベンシー>

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

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17:ディベートを制する4つのポイント-4 <ソルベンシー>

 

「ソルベンシー」は、このプランサイド(有効性)がケースサイド(必要性)に対して解決能力があるかどうかということです。別名「ミート・ニード」といいますが、解決策が必要性とあっているかどうかということをいいます。

例えば、「多機能ペンを贈っても(その学生は喜ぶが)看護師不足という問題は解決しない」という反論です。

 

 

極論すれば、ディベートとは、「ハーム」「インヘレンシー」「ディスアドバンテージ」「ソルベンシー」の4つのポイントの戦いであるといえます。

 

この4つのポイントにおいて、それぞれが論陣を張って戦うのがディベート(トゥールミンロジック)です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

 

戦いと表現していますが、勝負に勝つことが目的ではありません。あくまで論理的思考によりスコトーマを外し、不完全性が前提であることは十分理解しながら、最適解を導くことが目的です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

議論とは、参加者全員がお互いのスコトーマを外しあい、個人では気づかなかった問題点や解決策を見つけ、問題(課題)をどんどん解決していくことを目的として行うものです。決して誹謗中傷を行い、優劣を決めて順位づけをするためのものではありません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

さらには、議論に参加する全員がますます幸せになり、地域社会が、未来が、よりよいものになることが目的(ゴール)です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

その先にある究極の(議論の)目的とは、「抽象度を上げる」こと。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

抽象度を上げ続けた先には、きっと“無敵”が待っています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

一人また一人と“無敵”に到達し、人類のすべてが“無敵”に達したときには、真の平和が達成されているはずです。議論は個人の情動処理や序列づけのためにあるのではないという事実を、より多くの方々に共有していただくことを願っています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12168045.html

 

 

次回は、ちょっと専門的な話になりますが、反論のための戦略を簡潔に説明いたします。

 

-参考-

苫米地英人博士著「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 


ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-18反論力を身につける4つの戦略

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

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I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

18:反論力を身につける4つの戦略

 

ここまで説明してきた反論の技術を使った、もう少し大きな視点で見た、相手を論理で打ち負かすための4つの戦略を解説します。

 

 

1.      ストックイシュー(Stock Issues

 

ケースサイド(必要性)のハーム(問題)のシグニフィカンス(重要性)とインヘレンシー(内因性)を否定して、相手のプランのソルベンシー(解決性)の低さを指摘するものです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12808495.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12808542.html
 
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12935992.html

さらに、同時に、肯定側のプランのディスアドバンテージを主張することは、ハームを相対的に弱めるので有効な戦術となります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12935916.html

 

 

2.      カウンタープラン(Counter plan

 

ケース=必要性を認めた上で、相手の出したプランよりもいいプラン(より効果的に解決するプラン)を出すというものです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

 

カウンタープランは、肯定側のプランと競合的(同時に行えない、もしくは行うことは望ましくない)である必要があります。

 

 

3.      カウンターワラント(Counter Warrant競技ディベートでは通常禁じ手

 

ディベートには論題(Resolution)がまずあります。その論題そのものを否定しようというのがカウンターワラントです。

 

ディベート全体が論題を中心としたトゥールミンロジックになっています。肯定側にとって最終的なクレームが論題の採択であり、データがケースサイド(必要性)、ワラントがプランサイド(有効性)です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12340209.html

 

肯定側が問題にしているケースとはまったく異なるケースを問題とし、否定側による論題の別の解釈が大きな問題を持つというということで論題を否定する戦略です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

 

「ディベートは、肯定側が選び出した可能世界における命題の真偽値を競う論理の戦いにしなければ、ディベートそのものが形式論理の枠組みでは成り立たなくなる」というのが、カウンターワラントが論理学的には不当であるという理論的な根拠となります。もしくは、「メタ数理における非実在に対する排中律の拒否と同様な論拠ともいえる。肯定側が選択していない空間は論理空間として非実在であるという考え方が成り立つから」(by 苫米地博士)です。

 

ディベートは、厳密な分析哲学や数理論理の論理式を評価する場ではなく、もともとトゥールミンロジックという非形式的な定性推論をベースとしたものなので、様相論理などの視点からカウンターワラントも正当性を云々するのは的外れです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12167955.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658325.html

 

ディベートを「複数の論理を並列的に同時に自在に展開できるトレーニング」と考えると、複数の可能世界の論理を同時に、高度に抽象化された思考で行うパラレル思考法としてカウンターワラントは有効といえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

さらに、実社会ではカウンターワラントは重要な技術となります。実社会では、論題はもともと肯定側にも否定側にも自由に解釈されるものだからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11823351.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11823843.html

 

 

4.      クリティーク(Kritik

 

肯定側の推進する論理の背景もしくは前提にある哲学、思想、世界観、利用される用語などが望ましくないものであれば、肯定側のケースやプランの有効性にかかわらず、現実の世界では、肯定側のプランが国会で採択されてはならないという議論です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

つまり、K戦略の基本は、相手の前提となっている価値判断そのものを疑うということです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10117071.html

 

K戦略の技術として有名なものにバイオパワー(BPBio Power、生権力)という論理があります。相手側の論理の背景には、直接的な抑圧ではなくても、生活に組み込まれた目に見えない順応を強いるバイオパワーがあり、これが人々を戦争に駆り出したり、市民間での生活破壊の元凶となっているといった論理です。

「肯定側の論理はバイオパワーを生み出している。したがって、そのような論理は有効とされるべきではない」という主張を行います。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10256517.html

 

他にも、K戦略として、キャピタリズム(相手の前提にある資本主義が正しいという論理が間違っている)、ブッディズム(肯定側のあらゆるハームは瞑想で乗り越えられる)などがあります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

-参考-

苫米地英人博士著「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 


ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-19コーチング的視点で考えるバイオパワーの問題

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

19:コーチング的視点で考えるバイオパワーの問題

 

前回、K戦略の技術として有名なものにバイオパワー(BP=生権力)という論理があることを御紹介しました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13076426.html

 

「相手側の論理の背景には、直接的な抑圧ではなくても、生活に組み込まれた目に見えない順応を強いるバイオパワーがあり、これが人々を戦争に駆りだしたり、市民間での生活破壊の元凶となっている」といった論理のことです。

 

ディベートでは、「肯定側の論理はバイオパワーを生み出している。したがって、そのような論理は有効とされるべきではない」という主張を行いますが、正しい議論が行われないとチームの潜在意識にバイオパワーが生みだされることになります。

バイオパワーに関しては、ミシェル・フーコー著「監獄の誕生」(新潮社)を御参照ください。

 

 バイオパワーに支配された強制的・強迫的文化(coercive culture)の下では、ほとんどのスタッフのマインドは「~ねばならない(have to)」となってしまうため、その豊かな潜在能力を発揮することはできず、その結果として、組織も廃れていくことになります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 ブログ記事や講演会でよく引用する話ですが、ハーバード大ビジネススクール名誉教授のジョン・P・コッター氏がフォーチュン500社の200社以上を10年以上追跡し分析した研究によると、「~したい(want to)」が文化の会社と「~ねばならない(have to)」が文化の会社の間では、生産性(利益率)で756倍の違いが生じていたことが明らかになっています(「CORPORATE CULTURE AND PERFORMANCE残念ながら日本語訳は出版されていません)。

 

 ちなみにコッター教授は「want to」を「Adaptive Culture」、「have to」を「Non-Adaptive Culture」と表現しています。

 

 

 Adaptive Culture:協調性が高く、社員が自発的で、クリエイティブな発想の下で働ける文化

 

 Non-Adaptive Culture:競争相手の会社に負けないために常に攻撃的。社内的にはちょっとしたミスでも給料を下げ、クビになる不安や恐怖で社員を押さえつける文化

 

 

 間違った議論や議論そのものが封殺されてしまうことで生じるバイオパワーは、じわじわとスタッフの心を蝕みます。そして、各人の豊かな潜在能力を潰していきます。それは「人を大切にする」という多くの会社や組織が標榜する理念とは正反対の姿です。
 そして、その悪影響は、やがて社会全体に広がっていきます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10691562.html

 

 バイオパワーにより組織や社会を荒廃させないためにも、よりよい“議論”の実現が必要です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11995099.html

 

-参考-

苫米地英人博士著「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

監獄の誕生(ミシェル・フーコー)



ブログ・シリーズ編

S-01:よりよい“議論”のために

S-01-20組織・チームの明るい未来のために

 

このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。

PM-02-13http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html

S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html

 

 

20:組織・チームの明るい未来のために

 

 ディベートについて御理解いただけたでしょうか?

 

 そのほとんどを、我が師 苫米地英人博士の「ディベートで超論理思考を手に入れる(CYZO)」から引用しています。詳しくはそちらで御確認ください。

 

このシリーズの冒頭に、「論題を自らの情動と切り離し、相対化して、物事の裏表両方を見る視点を養えるのがディベート」であり、それを学ぶ目的は、「論理脳を鍛え、最短時間で最適解を見つけるようになること」であると書きました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11995099.html

 

さらに、その先にあるのは、「論理的思考を徹底的に極めることによって、論理という系の外に出ること」であると書きました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12168045.html

 

そのもっと先にある究極のゴールとは、「論理を超越した世界で“自由”を手に入れること」です。その自由を獲得するためには、コーチングについての知識とスキルが必要です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 

なぜなら、この宇宙は“縁起”によりつくられているからです。

 

縁起とは、「自分を含めてこの世のすべては他の何かとの関係性で成り立っている」というものです。

それは突き詰めると「関係が存在を生みだす」ということになるので、それぞれの事物、事象は単独であらかじめ存在しないという論理になり、「だから普遍的な実体などなく、物事は常に変わりゆき、永遠に変わらないものなどない」という考え方につながります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

「物事は常に変わりゆき、永遠に変わらないものなどない」という考えを仏教では「無常」といいますが、それは「はかない」という意味でも、「だからあきらめろ」という冷やかしでもなく、「明日はもっと良くなる可能性がある。だから思考し続けよ」という励ましです。

 

釈迦の縁起は、そして、その発展としての空観は、数学では不完全性定理により、現代物理学では不確定性原理により証明されています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

私たち人類は、“現状の外”へのゴール設定により新たな縁起を生みだし続けることができる存在です。そして、ゴールに向かう過程で思考を続け、抽象度の階段を駆け上がり、ヒルクライミング(進化・向上)し続けることができる存在です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

 そのためにディベートがあり、コーチングが存在しています。 縁起として。

 

 

-参考-

苫米地英人博士著「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO

 

 

S-01:よりよい“議論”のために(完)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

DrT ディベート本




ブログ・シリーズ編

S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~

S-02-00:はじめに(目次)

 

 「マナーポリス」という言葉を御存知ですか?

 

 正確な定義はわかりませんが、ネット情報を確認すると「自分(達)の価値観を一方的に押し付ける人」「“正しさ”に従おうとしない人を排除する人」という意味で使われています。肯定的な表現ではないようです。

 

 不完全性定理により宇宙は不完全であることが証明されました。そもそも「“絶対的”な基準」はありえず、「唯一の正しい答え」など存在しません。人の数だけ、あるいはコミュニティの数だけ“正しさ”が存在しうるといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

だからこそ「論理を学び、議論すること」が重要になります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

 

お互いがよりよく生きることができるように、議論を通じて、社会を構成する者同士が共有する約束事をつくりあげていきます。その結果、マナー、ルール、モラルといったものが生まれます。

 

大切なのは「お互いがよりよく生きるため」という目的が因で、マナー・ルール・モラルが果であるということ

 

議論については、ぜひシリーズ編第一弾(S-01)「よりよい“議論”のために」を御参照ください。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

 

 「マナー」「ルール」「モラル」は(議論を通じて出来上がった)誰もがよりよく生きるための約束事のはずですが、一方でお互いの自由を奪い合う装置として働きます。ただし、その3つには明確な違いがありそうです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 

 このシリーズ編第2弾(S-02)では、自由に生きることをテーマに、マナーやルール、モラルについて考察します。ぜひ皆さん自身の自由について思いめぐらしながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-030):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17320680.html

 


 

 00:はじめに

 
 01:ケース別考察 -1
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17707498.html

 02:ケース別考察 -2
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17857553.html

 
 03:ケース別考察 -3
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17976928.html

 04:ケース別考察 -4
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18095809.html

 05:マナーとルールの定義
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18222665.html

 06:社会の様々なシステムは「ルール」で維持されている
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18339924.html

 07:ルールは“自分中心”を克服するためにある
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18455955.html

 08:少年法が問いかけるもの
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18576584.html

 09:「ルール違反」が「ルール違反ではない」に変わった一例 -前編-
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18684416.html

 10:「ルール違反」が「ルール違反ではない」に変わった一例 -後編-
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18797021.html

 11:アインシュタインの“直観”の源
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/18911304.html

 12:“超論理”を表現する言葉
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19021726.html

 13:マナー、ルール、モラルと理想的な生き方の関係は?
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19152788.html

 14:マナーやルールに潜む罠 -1
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19262882.html

 15:マナーやルールに潜む罠 -2
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19370962.html

 16:マナーやルールに潜む罠 -3
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19477029.html

 17:洗脳ではなく教育であり続けるための大切な問い
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19572431.html

 18:良心に従い、フェアネス、そして自由を追求する生き方
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/19678041.html

 (S-02-01につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

先日、駐車場の順番待ちを巡るトラブルで、割込みに激高したプロレスラーがヘッドロックをかけて相手に怪我を負わせるという事件が起こりました。警察の調べに対して容疑を認めたレスラーは、「ルールを守らない奴が嫌いだから頭にきてやった。やり過ぎた」と話したそうです。

 

「ルールを守らない奴 = 嫌い ← 頭にきた」という構図で暴力をふるい、「やり過ぎた」という理由で反省しています。

 

 「頭にきた」というのは認知的不協和。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

 そして、「暴力」は「駐車場の順番待ちというルール(マナー)を守る社会」というコンフォートゾーンを維持するためのホメオスタシスフィードバックと考えることができます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831660.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971818.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971956.html

 

 しかし、ヘッドロックという行動により、レスラーは「人を傷つけてはいけないというルール」を犯してしまいました。「駐車場の順番待ちというルール(マナー)」を守り抜くために別のルールを犯してしまったのです。「やり過ぎた」のは一時的にIQが下がり冷静な判断ができなかったから。文字どおりファイト・オア・フライトの状態です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

 では、「人を傷つけてはいけないというルール」を守るために、「駐車場の順番待ちというルール(マナー)」を見過ごしたらどうなるでしょうか?

 

 一般的に理不尽感が強いほどストレスは大きくなります。無理に我慢することでレスラー自身の心身が傷ついてしまうかもしれません。心の傷がやがて脳の傷になることは科学的な事実です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10114934.html

 

さらに、ルール違反を誰もがスルーするようになると、社会自体が荒廃してしまいます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10691753.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10692725.html

 

 皆さんならどうしますか?

 

 そのようなことも思索しながらお読みください。「Don’t think. Feel!」で(笑)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14120540.html

 

 


ブログ・シリーズ編

S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~

S-02-01ケース別考察 -1

 

 「マナー」「ルール」「モラル」は(議論を通じて出来上がった)誰もがよりよく生きるための約束事のはずですが、一方でお互いの自由を奪い合う装置として働きます。
 ただし、その3つには明確な違いがありそうです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 

 このシリーズ編第2弾(S-02)では、自由に生きることをテーマに、マナーやルール、モラルについて考察します。ぜひ皆さん自身の自由について思いめぐらしながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-030):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17320680.html

 S-02-00(目次):

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

 

 

01:ケース別考察 -1

 

皆さんはマナーとは何か不思議に思ったことはありませんか?

 

ある場面(地域)では「良いマナー」だったことが、違う場面(地域)では「悪いマナー」として非難されたことはありませんか?

 

子供に「マナーとは何?」「ルールとはどう違うの?」と聞かれたらどのように答えますか?

 

まずは、いろいろなケースで考察してみましょう。

 

 

case 1> 
 食後にげっぷをしてしまった

 

「マナー違反」と感じる方が多いと思いますが、じつは中国では食後にげっぷをすることは儀礼に適っているのだそうです。よって、欧米では「マナー違反」、中国では「マナー違反ではない」ということになります。

 

たとえげっぷに厳しいアメリカであっても罰せられることはないでしょう。よって、「ルール違反ではない」と(たぶん)いえます。

 

もし、他に誰もいない状況であれば、マナー違反でもルール違反でもないはずです。

 

 

case 2

映画を見ているが、携帯電話の電源を切らず、マナーモードにもしていない

 

映画館であれば「マナー違反」です。

 

映画館の会員であり、同意した利用規約中に「映画中は携帯電話の電源は切る」ということが明示されていれば、上記行為は「ルール違反」といえます。実際に罰せられるかどうかはまた別の論理です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

 

もし、映画を見ているのが自宅であればどうでしょうか?

 

一緒に見ている人が嫌がれば「マナー違反」といえます。もしも「○○家の掟」みたいな共有する約束事があれば「ルール違反」にもなります。

 

先程のケースと同じく、他に誰もいない状況であれば、マナー違反でもルール違反でもありません。

 

 

case 3

会社内で上司とすれ違ったときに、(挨拶ではなく)会釈をした

 

これは相手(上司)の状況によります。

 

その上司が他の人(とくに社外の人)と会話中であったり、電話中であれば、声をだして挨拶することの方が「マナー違反」といえます。

 

一般的には部下が上司に挨拶や会釈をしないことは「マナー違反」だといえますが、たとえ会釈をしなかったとしても「ルール違反」となることはないでしょう。

 

 (S-02-02につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

ときどき教育現場での厳しい校則が話題になります。たとえ校則違反ではなかったとしても、学校で生徒が先生にあいさつや会釈をしなかったら、きっと怒られるでしょう。

そのように私に思わせるのは、情動記憶でつくられた(私の)ブリーフシステムです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 

-関連記事-

シリーズ編第一弾(S-01)「よりよい“議論”のために」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

 


ブログ・シリーズ編

S-02:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~

S-02-02ケース別考察 -2

 

 「マナー」「ルール」「モラル」は(議論を通じて出来上がった)誰もがよりよく生きるための約束事のはずですが、一方でお互いの自由を奪い合う装置として働きます。

ただし、その3つには明確な違いがありそうです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 

 このシリーズ編第2弾(S-02)では、自由に生きることをテーマに、マナーやルール、モラルについて考察します。ぜひ皆さん自身の自由について思いめぐらしながら読み進めてください(Don’t think. Feel!)。

 告知(I-030):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17320680.html

 S-02-00(目次):

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17563396.html

 

 

02:ケース別考察 -2

 

皆さんはマナーやルールとは何か不思議に思ったことはありませんか?

まずは、いろいろなケースで考察してみましょう。

 01http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/17707498.html

 

 

case 4

挨拶はいつも大声

 

これも状況しだいです。

 

例えば、医療・介護現場で、もうすぐ心肺停止となりそうな看取りの場面だったとします。そんな時に出勤したスタッフが次々に大声で(しかも明るく)挨拶したら、御家族はどのように感じるでしょうか?

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

一般的には「マナー違反」だといえます。

ただし、家族の心理状態によっては、元気な挨拶の方が喜ばれる場合もあります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

いずれにせよ、「ルール違反ではない」はずです。

 

 

case 5

職場の懇親会で他人が歌っている途中に壇上にあがり一緒に歌った

 

これも状況しだいです。先に歌っていた人が嫌がったら「マナー違反」です。喜んだら「マナー違反ではない」といえます。

 

先に歌っていた人が嫌がっていたとしても、その様子を見ているその他大勢が大喜びなら、大多数にとっては「マナー違反ではない」のかもしれません。

 

いずれにせよ、これも「ルール違反ではない」といえそうです。

 

 では先に歌っていた人が平社員で、壇上にあがり一緒に歌ったのが社長ならどうでしょう?

 

 もし先に歌っていた平社員が嫌がったなら、社長は「マナー違反」です。しかし、むしろ社長が飛び入りしたことを露骨に嫌がる平社員の方を、居合わせた人たちは「マナー違反」だと感じるかもしれません。

 

 

case 6

犬の散歩中、突然犬が暴走して、見知らぬ子どもを噛んでしまった

 

リードを放して犬をフリーにしていたのなら「マナー違反」です。

 

しっかりリードをしたままであれば「マナー違反ではない」といえますが、他者にけがを負わせた時点で「ルール違反」になります。

 

民法7181項により、動物の占有者は飼い犬が他人に与えた損害を賠償しなければなりません。同項のただし書きには「動物の種類および性質に従い相当の注意をもってその管理をしたときはこの限りではない」という記載があります。

よって、裁判所に「相当の注意を払って管理していた」と認めてもらえれば、「ルール違反」が「ルール違反ではない」に変わります。

 

「ケガを負わせた」という事実(データ)は変わりませんが、根拠(ワラント)をひっくり返すことで主張(クレーム)が変わるということ。それをターンアラウンドと呼びます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12340209.html

 

ちなみに、刑事責任が発生する余地もあります。飼い主の過失の程度により、過失傷害罪(刑法209条)や重過失傷害罪(刑法2111項後段)が考えられます。

 

 (S-02-03につづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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-追記-

 「もし先に歌っていた平社員が嫌がったなら、社長は『マナー違反』です。しかし、むしろ社長が飛び入りしたことを露骨に嫌がる平社員の方を、居合わせた人たちは『マナー違反』だと感じるかもしれません」

 

 これが政治の世界だったら、「ちゃんと忖度しろよ」と叱られるのでしょう。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040523.html

 

 そんなプレッシャーは「バイオパワー(生権力)」となり、人々からやる気と創造性を静かに奪い取っていきます。このシリーズの後半で掘り下げます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 

-関連記事-

シリーズ編第一弾(S-01)「よりよい“議論”のために」

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_254557.html

 

 


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