ブログ・シリーズ編
S-01:よりよい“議論”のために
S-01-12:三段論法がダメな理由
このシリーズでは、 “議論”について、そして“議論”をよりよくすることについて考察します。
PMⅠ-02-13:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html
I-017(告知):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11594310.html
S-01-00(目次):http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11613757.html
12:三段論法がダメな理由
今回は三段論法についてです。
三段論法とは、アリストテレスが提唱したとされる「pならばq。qならばr。ゆえにpならばrである」という論理の法則です。例えば、「すべての人間は死すべきものである。ソクラテスは人間である。ゆえにソクラテスは死すべきものである」という論理です。
これに対して、トゥールミンは「例外のない法則はない」と主張し、三段論法の前提条件に100%はあり得ず、必ずある一定の確率(Q理論)が存在するとしました。
「人間は死すべきものである」「ソクラテスは人間である」という条件も、じつは100%とはいえません。医学・医療の発展は不老不死を実現するかもしれません。そのとき、不死の人間は人間ではないということになってしまいます。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12507563.html
さらに、「aならばb、bならばc、cならばd……yならばz」という長い論理チェーンができあがったとき、現実世界において「aならばz」になる可能性はきわめて低いといえます。
例えば、1cm上から落としたボールの落下位置はほぼ正確に予測できますが、「1cm上。さらに1cm上…」が積み重なった、東京タワー程の高さから落としたボールの落下地点は絶対に予測できません。
長い論理チェーンの間に不完全性定理/不確定性原理が働くからです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html
アリストテレスの三段論法は、人間の思考空間の中にしか存在しません。現実の世界に存在する論理はトゥールミンロジックのように非形式的なものです。
それが通常の人間の論理であり、現代分析哲学で非単調論理として形式化されたロジックです。
…ここまで、ディベートの基本とその重要性を説明いたしました。
それでは、そのトゥールミンロジックを用いて、実践的に(抽象度を下げて)考察していきましょう。
-参考-
苫米地英人博士著「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO)
(つづく)
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)