苫米地式コーチング認定コーチ CoacH T <タケハラクニオ> ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学び九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

カテゴリ:PMⅠ:The Power of Mind Ⅰ > 06:コーチング導入“失敗”から学んだこと

PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-13:仮説08)はびこる差別意識

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

仮説08)はびこる差別意識

 

 私たち人間の情報処理は、基本的には現状維持を是としています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

 情報空間にも働くホメオスタシス(恒常性維持機能)が、過去の記憶でできあがった“自分”というイメージを強力に維持しようとします。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4831660.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971818.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971956.html

 

 “自分”というイメージは、過去の記憶によりつくられたブリーフシステムであり、「関係によって浮かびあがってくるネットワーク(=自我)」ともいえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html

 

いずれにせよ、“自分”は無意識下で現状維持を強く求めています。その現状維持という欲求は思考停止につながります。思考が停止してしまうと、ますます現状が強力に維持されます。その先に破滅が待っているのは明らかです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165658.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12794797.html
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14120540.html 

 

 

 病院の未来に強い危機感を感じていたのは私だけではありませんでした。法人内で唯一の機能・役割を担っていたベテラン職員は、ちょっとしたいざこざがきっかけで職場を追い出されることになりました。

 地域医療や業界に大きな禍根を残すことになる突然の情動的排除を目の当たりにし、私は重たい眩暈を感じました。それでもなんとかケースやプランを考察していると、経営陣の思考の根底にあるものに触れた気がしました。差別意識です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

 

 

各施設の代表者を前にかつて理事長が語った言葉に、私は危うさを感じたことがあります。「職員は全員家族である」というものです。

「職員は全員家族である」と聞くと、ポジティブに感じる方が多いのではないかと思います。しかし、受け取り方によっては、それは危険な思想となります。

 

受け取る側が釈迦哲学で理解すれば大丈夫です。

しかし、儒教的に誤って解釈してしまうと問題が生じます。その誤った解釈により、儒教的な「アプリオリ、かつ、絶対的な違い」、すなわち「差別」が強化されてしまうことになるからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

法人の職員が取り組んでいた禅は中国から伝わり、鎌倉時代に日本国内に広がりました。そのオリジンはインドの釈迦を祖とする哲学ですが、中国で儒教・道教と強く結びついた後に日本に伝わりました。よって、釈迦オリジナルの哲学は“中国化”されています。

 

「この世に絶対(アプリオリなもの)はない」や「この世は心が作っている」という釈迦哲学のプリンシプルに対して、儒教のプリンシプルは「仁義の道を実践し、上下秩序を弁別する」です。「この世には初めから違い(=差別)がある」「その違い(差別)に従え」というのが儒教システムの根幹であり、その正体は「無分別」を是とする仏説(釈迦哲学)とは決して相いれない差別思想です。

 

支配者や既得権益は、この論理(差別思想)を使ってシステムを強化してきました。

 

人類の進化途上において、かつての社会は「権力を持つ者」がそれ以外の「下々の人々」を支配し搾取するという構造でした。

「下々の人々にはそもそも権利はなく、それは支配者から一方的に与えられている」という理不尽なその構造は、“社会的洗脳”により民衆の潜在意識に植えつけられました。儒教的な「御恩と奉公」という言葉がそのいい例です。

 

長い闘争の歴史を経て、人類はより進化した構造を手に入れました。

そこでは権利は「アプリオリ(先験的)に、等しく、生じているもの」。「生来の違いなどなく、すべては(本質は)同じである」という思想は、2600年前に釈迦の縁起が示唆していたものでもあり、仏語でいう「無分別」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

「あるものと別のものを分け隔てない」というその考え方は、「すべてを同じとみる」視点であり、その本質は「抽象度を上げること」。「犬」と「猫」を同じ「動物」とみる視点であり、「動物」と「植物」を同じ「生物」と理解できる力です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

「アプリオリ(先験的)に等しく生じているお互いの権利」を活用するために(そして、守りぬくために)、契約の概念とともに様々なルールが情報空間に生まれました。

例えば、簡単には解雇できないこともその一例で、それが現代の(本来あるべき)社会の姿です。「だまし討ち」など論外で、労働基準法はもちろん、憲法で保障された国民の権利そのものを侵害しています(日本国憲法第3章第27条)。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628437.html

 

 

 しかしながら、釈迦やイエスといった人類を代表する天才たちは、はるか昔から、その契約やルールであらわされる論理空間さえも超越していました。それが、釈迦のいう「縁起(大乗でいう空観)」であり、イエスのいう「神の無償の愛」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14107083.html

 

いつか人類は、抽象度を上げた結果として、オリジナルの釈迦やイエスが体感した世界に到達するはずです。ところが、地球規模でも、日本国内でも、そして身近なコミュニティにおいても、抽象度を上げるヒルクライミングとは真逆の方向の退化(劣化)が、すさまじい勢いで進んでいます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292569.html

 

例えば、「アメリカファースト」や「都民ファースト」というのは、「アメリカとそれ以外」「都民とそれ以外」とに分別し、利害関係の中で対立を生みだす考え方です。それは「無分別」とは正反対で、抽象度が下がっています。日本国民を「私たち」と「こんな人たち」に分けて、「私たちは、こんな人たちに負けるわけにいかない」と発言するのも同じです。

いずれも空観がしっかりと維持されていれば問題はないはずですが、空(くう)が抜けていれば(つまり、儒教などアプリオリを前提とする思想であれば)とても危険です。

 

その対立を生む(空を欠いた)思考の根底には、分別を是とする差別思想がはびこっています。

 

繰り返しますが、分別が許されるのは「空観」がしっかりと維持されている場合だけです。「空」であることを十分に分かった上で、機能・役割により仮としての違いを見出すことは「区別」です。それは「差別」とは本質的に異なります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 リーダーはその違いをしっかりと理解した上で必要に応じて区別を行いますが、差別は絶対に行いません。リーダーのマインドは常に無分別です。

 

 

<仮説08:人類の進化とは真逆の抽象度を下げる思想が跋扈し、対立を生みだしている。それは身近なコミュニティでも、国家単位でもおこっている>

 

<トゥイーキング08:空仮中に立ちかえり差別と区別の違いを理解する。その上で無分別を実践する>

 

    「あるものと別のものを分け隔てない」という考え方は、「すべてを同じとみる」視点であり、その本質は「抽象度を上げること」

    しかし、現代社会はそれとは真逆の方向に動いている。対立を生む社会の根底にあるものは差別意識。私たちはその事実に気づき、無分別に取り組まなければならない

    そのために縁起の理解や、空観・仮観・中観の実践が重要

 

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13215570.html

 

 


PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-14:仮説09)個人攻撃が生みだすスコトーマ

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

仮説09)個人攻撃が生みだすスコトーマ

 

前回(PM-06-13)御紹介した法人内で唯一の役割を果たしていたベテランスタッフを退職に追い込んだ経営陣の行為は、私にとって衝撃的でした。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14249741.html

 

しかし、その予兆は以前から感じていました。システムエラーと考えずに個人の問題として処理する傾向があったからです。

 

「論理ではなく人格を攻撃する」という行動や「システムを改めるのではなく個人を潰そうとする」態度の根底には、前回御紹介したとおり、差別というブリーフシステムが潜んでいます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

しかしながら、問題を起こした(と経営陣が思う)個人が排斥されたとしても、システムエラーが解決されていなければ、同じような問題を繰り返すことになります。

 

かつて経営陣の一人が、不満を訴え退職することになった若い職員に対して「君の代わりはいくらでもいる」と言い放ったことがありました。さすがにその失言に関しては謝罪が行われましたが、システムに目を向けず個人をやり玉に挙げる習慣は改善できなかったようです。

反対にいえば、個人攻撃に終始するのでシステムエラーがスコトーマに隠れてしまい、改善するチャンスを失ってしまっていたともいえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html


それをコーチングでは「コンフォートゾーンを動かせなかった」と表現します。その理由は、もちろん、ゴール設定に失敗しているからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 


 ここでのポイントは、「縁起を理解しているか?」ということ。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

問題が特定の個人が原因で生じているのであれば、その個人を除けば解決するように思えるかもしれません。第五章において、「チームに悪影響を与え続ける人たちは、たとえどんなに優秀でも、チームから除外するべきです」と私自身も書きました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10829408.html

 

しかし、縁起について理解できているかどうかでその結果は変わっていきます。縁起が正しく理解できていなければ、その特定の個人を除いたとしても、別の人が同じような問題を起こすようになります。

 

「この世は自分の心(マインド)が生みだしている」というのが縁起のプリンシプルです。よって、問題を起こす特定の個人の存在そのものも、自分の心が生みだしているといえます。

もっと正確に表現すると、お互いの心が、双方向の関係性の中で、お互いに影響を与えながら、ダイナミックにお互いを生みだしあっているという感じです。

 

そもそも悩み自体が、他人ではなく、自分から生じるものです。心自体も自分が生みだしている自分の問題であり、他人の問題ではないからです。

苫米地博士は悩んでいる人に対して「悩むのをやめなさい」と話されます。悩むという行為はすべて自らの意志でやっていることであり、本人次第ですぐにやめることができます。

 

すべての人間関係は自分が生みだしていると理解し、自分が思うように、自分の責任において関係性を変える。これが良好な人間関係を構築するための秘訣です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13958864.html 

そのことがスタッフに理解されておらず、実践されていないことが、私の考える「システムエラー」です。そして、そのシステムエラーは、個人の心(マインド)においての情報処理システムのエラーから始まっています。

 

 

<仮説09:個人攻撃はシステムエラーをスコトーマに隠してしまう>

 

<トゥイーキング09:問題のすべてをシステムエラーと捉え、マインドにおける情報処理の見直しからはじめる>

 

    個人の問題ではなく、システムエラーと考えるべき。なぜなら、すべてが縁起により存在しているから

    システムエラーは、個人の心(マインド)においての情報処理システムのエラーから始まっている

 

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 


PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-15:仮説10)コーポレートイメージ&コーポレートトーク

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

仮説10)コーポレートイメージ&コーポレートトーク

 

前回(PM-06-14)、経営陣の一人が不満を訴え辞めることになった若い職員に対して「君の代わりはいくらでもいる」と言い放ったことを紹介しました。
 個人攻撃によりシステムエラーがスコトーマに隠れる問題点を指摘しましたが、「君の代わりはいくらでもいる」という言葉には別の大きな問題点が潜んでいます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14249780.html

 

 それは「君の代わりはいくらでもいる」という言葉が共有されてしまうと、「働く人を大事にしない病院」という「コーポレートイメージ(組織のイメージ)」が強化されてしまうということです。

 

「コーポレートトーク(組織で共有される言葉)」が「コーポレートイメージ(組織のイメージ)」を強化していきます。もちろん、「コーポレートトーク」は「コーポレートイメージ」から生まれます。

 それはどちらが先ということではなく、縁起として双方向的に関係しあいながらお互いを強化しあいます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 そうやって強化されていくうちに、組織としてのブリーフシステムができあがっていくのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

その組織のブリーフシステムづくりをブランディングといい、そのイメージを社会にしっかりと発信し(マーケットの)スコトーマを外していくことをマーケティングと考えることができます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

PM-06-08(仮説03:シュッド・アーギュメントとウッド・アーギュメントの違い)で「ブランディングなんて口で言うほど簡単ではない(だから、しなくていい)」と言われたことを書きました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13837953.html

 

その経営陣の言葉がスタッフに浸透していくと、やがてそれは「組織で共有される言葉(=コーポレートトーク)」となり、「組織のイメージ(=コーポレートイメージ)」となっていきます。

 

 そうなるとますますこれまでのコンフォートゾーンを突き抜けるような新たな取り組みは難しくなっていきます。「○○なんて口で言うほど簡単ではない。だから、しなくていい」がアタリマエになるから。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

 「コーポレートイメージ」自体がドリームキラー化し、何事にも創造的回避が働くようになったらいよいよ終末期(End of life stage)。そんな職場で飛び交う言葉は悪口ばかりとなるでしょう。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040752.html

 

 

 皆さんの組織やコミュニティはどうですか?

組織の構成員が上司や組織の悪口ばかり言っていませんか?

あるいは反対に○○長などの管理職の人たちが自分の部下の悪口ばかりを言っていませんか?

 

お互いがドリームキラーになってしまうと、ますます「自分たちはダメな組織だ」というマイナスのマインドが植え付けられていきます。

そうなるとRASの働きにより、ますます希望はスコトーマに隠れ認識できなくなります。暗い部分、ダメなところばかりを認識してしまうようになります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

 

 

「コーポレートトーク(組織で共有される言葉)」と「コーポレートイメージ(組織のイメージ)」のコントロールはとても重要です。

 

その2つは組織のゴール(コーポレートゴール)から生まれ、ゴール達成の確信(コレクティブエフィカシー)とともに育むものであるということを、コーポレートを形成する一人ひとりが銘記していなければなりません。

 

 

<仮説10:コーポレートイメージがコーポレートトークを生みだし、コーポレートトークがさらにコーポレートイメージを強化していく>

 

<トゥイーキング10:つねに組織のゴールに立ちかえり、ゴールを達成している未来からコーポレートイメージとコーポレートトークをつくりあげる>

 

   コーポレートイメージ(組織のイメージ)」と「コーポレートトーク(組織で共有される言葉)」をコントロールすることはとても重要

    その2つは組織のブリーフシステムをつくる

    それは組織のブランディングやマーケティングにも関わる重要事項

    コーポレートイメージとコーポレートトークは、エフィカシーとともに、組織を構成する全員で育むもの

 

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

さらに進化した組織では、コーポレートイメージはもちろんのこと、コーポレートトークも言語ではなく非言語で共有されるはずです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14120540.html

 


PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-16:仮説11)縁起とは真逆のゲーム理論

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

仮説11)縁起とは真逆のゲーム理論

 

ゲーム理論とは、「社会や自然界における複数主体が関わる意思決定の問題や行動の相互依存的状況を数学的なモデルを用いて研究する学問である。数学者ジョン・フォン・ノイマンと経済学者オスカー・モルゲンシュテルンの共著書『ゲームの理論と経済行動』によって誕生した」というものです(Wikipediaより)。

 

 簡単にいうと、ゲーム中に「できるだけ自分の得点を高くし、失点を少なくするにはどうするか?」という方策を求める数学理論で、戦略的意志決定に用いられる理論。

それは自分側の利益を最大化するという「自分100%の完全利己主義」であり、すべてを双方向の関係性で考える縁起と正反対の考え方です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 

 …PM-06-13(仮説08:はびこる差別意識)で御紹介したベテランスタッフには、すぐには退職できない事情がありました。しかし、非情にも、その3週間後には退職させられてしまいました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14249741.html

 

「なぜ、そのような振る舞いができるのだろうか?」と考察することで見えてきたものは差別。その差別を前提にゲーム理論で思考していたはずです(ゲーム理論を知っているかは別として)。

 

繰り返しますが、ゲーム理論は自分100%、相手0%の完全利己主義です。それは抽象度の低い思考法であり、煩悩的な言動を肯定してしまうものです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

縁起の考え方であれば、相手にとっても、自分にとっても、双方によりよい未来を考えることができます。いわゆるwin-winの実現です。相手も含めて自分と捉えることができ、相手の幸せも当たり前のように考えることができるからです。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

そんな生き様が笑顔を広げ、そして笑顔のまま亡くなること(死に様)を可能にすると私は信じています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_268334.html


 反対に、ゲーム理論はlose-loseの結果を招く可能性が高く、悲惨な未来に向かうとても危険な考えです。

 

 

<仮説11:縁起はお互いのハッピーを求める考え。「自分だけよければいい」というゲーム理論に組織が支配されると必ず破滅に至る>

 

<トゥイーキング11:「自分100%のゲーム理論に支配されていないか?」というセルフチェックを組織内で習慣化する。その上で縁起思想でwin-winを追求していく>

 

    ゲーム理論は自分100%、相手0%の完全利己主義

    それは抽象度の低い思考法であり、煩悩的な言動を肯定するもの

    対して縁起の考え方は、相手にとっても、自分にとってもよりよい未来を考えることができる

    それでこそwin-winの良好な関係がつくれ、“無敵”を実現できる

 

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-関連記事:“無敵”の意味-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

 


PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-17:仮説12)リーダー、マネジメント、コーチの役割と抽象度の関係

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

仮説12)リーダー、マネジメント、コーチの役割と抽象度の関係

 

 

後継者は創業者の考えの本質は踏襲すべきかもしれないが、方法論はむしろ踏襲するべきではない

 

 

これは、ソフトバンクの創業者である孫正義さんの言葉です。

孫さんは経営戦略やノウハウを後継者候補に対して教えていますが、それをそのまま絶対に守るべきルールとはしていないそうです。それは、孫さんの思考の本質を学ぶことは重要ですが、過去に下した判断や方法は、その時の状況の中で決定されたものであって、状況によっては全く違うものに変わりえるからです。

 

これは「この世に絶対はない」という縁起のプリンシプルをしっかり理解しているからできる発想です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

一般的には、先代の方法論を変更することには大きな抵抗が伴います。「先代の方法論」が強力なコンフォートゾーンとなり、「現状維持の壁」を生みだすからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628746.html

 

 孫さんの言葉中の「本質」とは、より抽象度の高い空間にあります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

コーチングでいうと“現状の外”のゴール。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

孫さん自身が自分の役割を「グループが将来進みゆく方向性、組織の考え方、哲学、そういうもののDNAを設計すること」と話されていますが、まさに哲学レベルの高い抽象度のものといえます。中観ともいえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 その「本質」に対して、「方法論」は物理空間に近い抽象度に存在します。

それはイメージを物理空間で実現するときの具体的な方法に関するもので、当然、様々な条件によりダイナミックに変化していきます。

 

PM-01-05(情報空間-2)で御紹介したとおり、情報はどんどん増え続け、宇宙は抽象度の下向きに拡大しています。

よって、「方法論」はどんどん変化し、さらに複雑化していくことになります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654230.html

 

 学問でいうと「本質」を突き詰めていくものが理学で、「方法論」を研究するものが工学です。組織でいえば、「本質」を追求するのがリーダーの役割で、「方法論」を最適化していくのがマネジメントの役割です。

 

 理想的な組織の姿は、「本質」を追求するリーダーと「方法論」を最適化するマネジメント、そしてコーチがいることです。

 

コーチの役割は心(マインド)に関する知識とスキルを教え、各人の潜在能力を引きだしていくこと。その際に抽象度の概念を説明しますが、人々の意識を抽象度のない平べったい物理宇宙から解放し、抽象度の高い次元へと導いていくこともコーチの大切な役割といえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_268337.html

 

 

<仮説12:ほとんどの人が抽象度0の物理宇宙に生きている。抽象度の高い次元へ導くのはコーチの役割で、さらに高い次元を自ら追求し続けるのが真のリーダー>

 

<トゥイーキング12:リーダー、マネジメント、コーチの違いを認識し、それぞれの機能・役割を共通のゴールに結実させる>

 

    組織には、リーダー、マネジメント、コーチが必要

    「本質」を追求するのがリーダーの役割で、「方法論」を最適化していくのがマネジメントの役割

    コーチの役割は心(マインド)に関する知識とスキルを教え、各人の潜在能力を引きだしていくこと。そして、抽象度の高い次元へと導いていくこと

 

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 


PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-18:仮説13-1)宗教の限界 -前編-

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

仮説13-1)宗教の限界 -前編-

 

 強く反対されることを想定し、PX2導入のための準備はかなり入念に行いました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628746.html

 

理事長や各施設の責任者が集まる会議の場でPX2についての説明(ケース&プランの提示)をしているとき、ちょっとおもしろいことがありました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12658417.html

 

 ひととおり説明を終えて意見を求めると、理事長が真っ先に口を開き、「それは宗教じゃないのか? 宗教はちょっと嫌だな~」と発言されました。最初は、禅宗以外の宗教は認めないという趣旨だと思いましたが、どうも宗教自体を否定しているようでした。

 

「禅道場を建て、毎朝禅を組む当人が宗教を否定するってどういうこと?」と心の中で軽くツッコミながら(笑)、PX2は宗教ではなく認知科学の結晶であることを説明しなおしました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/11386276.html

 

最後には賛同していただき、理事長の決済で正式に法人へのPX2導入が決まりました。

 会議終了後も「僕は宗教は嫌でね~」と語る理事長と談笑しながら、私はこの章の冒頭で紹介したアインシュタイン博士の言葉について考えていました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13398543.html

 

 

宗教なき科学は不具合であり、科学なき宗教は盲目である

Science without religion is lamereligion without science is blind.

 

 

以前の私は「禅道場を持つことが21世紀の医療の象徴になる」と信じていました。医療を科学的な側面と宗教的な側面の両方から探求し続け、いつか統合してみたいと思っていました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628437.html

 

私が医師を志すきっかけとなった「加持でがんが消せる理由」を明らかにするためにも。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6854577.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7031387.html

 

認知科学者 苫米地英人博士に学ぶことでそれまでの宇宙に抽象度という軸が加わった現在の私は、医療の本質は「内部表現の書き換え」であることを確信しています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4449018.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516484.html

 

すべての階層にまたがって同時に存在している生命(現象)とは情報(処理)であり、その情報(内部表現)を書き換えることにより心身の変化を引き起こせるからです。そして、それは、宗教の本質も「内部表現の書き換え」であることを示唆しています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542426.html

 

つまり、医療と宗教のLUBとして、ひとつ上の抽象度に「内部表現の書き換え」があるということ。LUBLeast Upper Bound)は最小上界と訳される概念で、最小公倍数のようなものです。

 

その「内部表現の書き換え」のことを、状況によりコーチングといったり、ヒーリングと呼んだりします。気功や加持など宗教をベースとする技法も全部「内部表現の書き換え」です。

 

 そのように考えると、アインシュタイン博士の言葉には間違いがあることがわかります。21世紀に生きる私たちは、まず宗教というゲシュタルトを越えなければならないのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

 「内部表現の書き換え」のことを認知科学者 苫米地英人博士は「場の移動」とも表現されます。それを理論化したものが超情報場仮説です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165789.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165823.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306380.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306438.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5445932.html

 

 もちろんそれは宗教とは全く異なるものです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7554690.html

 

 

-関連記事:Q-064~認知的不協和と頭痛(ヒーリングとコーチングの関係)-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_292583.html

 

 

アルベルト・アインシュタイン(Wikipediaより)

アルベルト・アインシュタイン博士

Wikipediaより引用


PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-19:仮説13-2)宗教の限界 -中編-

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

仮説13-2)宗教の限界 -中編-

 

すべての階層にまたがって同時に存在している生命(現象)とは情報(処理)であり、その情報(内部表現)を書き換えることにより心身の変化を引き起こせるからです。そして、それは、宗教の本質も「内部表現の書き換え」であることを示唆しています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542426.html

 

つまり、医療と宗教のLUBとして、ひとつ上の抽象度に「内部表現の書き換え」があるということ。LUBLeast Upper Bound)は最小上界と訳される概念で、最小公倍数のようなものです。

 

その「内部表現の書き換え」のことを、状況によりコーチングといったり、ヒーリングと呼んだりします。気功や加持など宗教をベースとする技法も全部「内部表現の書き換え」です。

 

 そのように考えると、アインシュタイン博士の言葉には間違いがあることがわかります。21世紀に生きる私たちは、まず宗教というゲシュタルトを越えなければならないのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

 

そもそも「宗教」の定義は難しく、Wikipediaにも「宗教の定義は宗教学者の数ほどもある」と記載されています。広辞苑には「神または何らかの超越的絶対者、あるいは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰・行事。また、それらの連関的体系」と記載されています。

 

ほぼ間違いなく、西洋的な「宗教」の定義においては「絶対神」つまり「全知全能の存在」が前提になっているようですので、ここでは「宗教」を「“絶対”の存在を信じること」と扱います。

 

第二章の「不完全性定理」でクルト・ゲーデル(19061978年)について触れましたが、アインシュタイン博士とゲーデルには共通点があります。二人とも知の世界でパラダイムシフトを起こした大天才であることと晩年には精神的に苦しんだことです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

アンシュタイン博士は、量子論に対して懐疑的で「神はサイコロを振らない」という言葉を残しました。しかし、現代の物理学はアインシュタイン博士が間違っていたことを明らかにしています。

ひょっとしたらアインシュタイン博士は量子論に対する自分の考えが間違っていること(量子論が正しいこと)に気づいていたのかもしれません。量子論の中心人物 ニールス・ボーア(18851962年)と敵対的に対立することはなく、ボーアの弟子であるヴェルナー・ハイゼンベルク(19011976年)やシュレーディンガー方程式などで量子力学の確立に貢献したエルヴィン・シュレーディンガー(18871961年)をノーベル賞に推薦しています。

しかし、公には最後まで懐疑的な姿勢を崩しませんでした。

 

アインシュタイン博士は、晩年、若き数学者クルト・ゲーデルとの散歩をとても楽しみにしていたそうです。「ゲーデル解」という一般相対性理論のアインシュタイン方程式の厳密解があることからもわかるように、二人には交流がありました。

 

そのゲーデルは徐々に精神を病んでいきました。毒殺されることを怖れ、妻アデルが作った食事以外は、自分が作ったものでさえ口にしなくなりました。夏でも冬服を着込み、毒ガスを怖れて真冬でも窓を開け放っていたそうです。

人前に出ることはなく、自宅にこもって哲学と論理学の研究を続けていましたが、最終的には妻が入院している間に飢餓状態となり死亡しました。その時71歳、体重は65ポンド(約29.5kg)しかなかったそうです。

 

ゲーデルは、死の数年前、「ゲーデルの神の存在証明」として知られる論文を知人に配布したそうです。しかし、彼は生前にその論文を公表することはありませんでした。論文はゲーデルが没してから9年後の1987年に初めて公開されました。

 

アインシュタイン博士とゲーデルこの二人は敬虔なユダヤ教徒でした。御承知のとおりユダヤ・キリスト教は一神教であり、「全知全能の存在」を前提としています。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

 量子論を否定する「神はサイコロを振らない」というアインシュタイン博士の言葉に対して、理論物理学者 スティーヴン・ホーキング博士(19422018年)は「神はサイコロを振るだけではない。サイコロを見えない場所まで放り投げることもある」と発言しています。

 

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7554690.html

 

 

クルト・ゲーデル(Wikipedia)

クルト・ゲーデル
Wikipediaより引用




PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-20:仮説13-3)宗教の限界 -後編-

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

仮説13-3)宗教の限界 -後編-

 

アインシュタイン博士とゲーデルの二人は敬虔なユダヤ教徒でした。御承知のとおりユダヤ・キリスト教は一神教であり、「全知全能の存在」を前提としています。

 

 

ゲーデルは天才ゆえに、自分が証明してしまった「自然数論における不完全性」が、将来、絶対神の存在を否定してしまうであろうことに気づいたのだと思います。

絶対神の存在を信じるユダヤ教徒としての自我と、結果的に神を否定してしまう科学者としての自我の、決して埋まらないギャップに苦しむことで徐々に精神が蝕まれていったと考えられます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

事実、ゲーデルは、神の存在を証明することに人生の後半を捧げました。そうして完成した神の存在を証明する論文を最後まで公表しなかったのは、科学者としてのプライドが許さなかったからだと推測できます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040752.html

 

ゲーデルは科学的真実を探求する科学者としての姿勢を貫きながら、どうしても「宗教」というゲシュタルトを超越することができなかったのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

 

アインシュタイン博士も同様です。

量子論の世界は1036mの極小の世界です。そこでは存在は確定的なものではなく、確率的なものにしかすぎません。

 

すべての最初に絶対神の存在があると考える一神教の世界を信じて疑わないアインシュタイン博士にとって、その事実は受け入れられないことでした。

つまり、アインシュタイン博士も「宗教」というゲシュタルトを超えることができなかったのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

 

 

我々の直面する重要な問題は、その問題が生じたのと同じ考えのレベルでは解決することができない

We cant solve problems by using the same kind of thinking we used when we created them.

 

 

 これは第四章で紹介したアインシュタイン博士の言葉ですが、皮肉にも「宗教という考えのレベル」を超えられないために量子論を受け入れることができなかった博士の晩年の姿が、この言葉の重要性を証明しています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8749123.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8900535.html

 

 

これからの医療は物理空間に近い抽象度での働きかけとともに、情報空間での働きかけ(内部表現の書き換え)がますます求められるようになります。よって、「禅道場を持つことが21世紀の医療の象徴になる」ことは間違いではありません。

 

しかし、「宗教」という言葉にとらわれると、言い換えると「唯一絶対のモノサシが存在するという幻想」にとらわれてしまうと、私たちはゲーデルやアインシュタイン博士と同じ轍を踏むことになってしまいます。

 

21世紀に生きる私たちには、不完全性を受け入れ、より高い抽象度で思考することが求められています。それは縁起の理解であり、中観の実践です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 

では、「宗教」を超えた世界とはどんな世界なのでしょうか?

 

 

私は、その世界を表現する言葉は「哲学」だと考えます。

 

アインシュタイン博士の言葉中にある誤りとは「宗教」という表現です。私は「宗教」を「哲学」に置き換えます。アインシュタイン博士が21世紀に生きる私たちに残した宿題に対しての私の回答です。

 

 

哲学なき科学は不具合であり、科学なき哲学は盲目である

Science without philosophy is lamephilosophy without science is blind.

 

 

 繰り返しますが、21世紀に生きる私たちは、不完全性を受け入れ、より高い抽象度で思考することが求められています。そして、その思考を続けることも。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14120540.html

 

 

<仮説13:不完全性定理の証明により宗教の限界が明らかとなった現代は、「唯一絶対のモノサシが存在するという幻想」を捨てて哲学的思考を続けることが求められている>

 

<トゥイーキング13:哲学的思考と科学的思考の両立を目指す>

 

    不完全性定理が証明された現代においては、「唯一絶対のモノサシが存在するという幻想」を捨て、より高い抽象度で哲学的思考を行うことが求められている

    その一方で、抽象度の低い物理次元へ向かう科学的(工学的)思考はますます重要となり、その両立こそがポイントとなる

    医療でいえば、物理空間に近い抽象度での働きかけとともに、情報空間での働きかけ(内部表現の書き換え)がますます求められるようになる

 

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

 アインシュタイン博士とボーアの量子力学の解釈に関する論争は、存在に関する哲学的信念の違いとみることができます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 その違いは二人の発言にあらわれています。

 

 「我々が科学と呼ぶものの唯一の目的は、存在するものの性質を明らかにすることである」というアインシュタイン博士に対して、ボーアの立場は「量子の世界というものはない。あるのは抽象的な量子力学の記述だけである。物理学の仕事を自然を見いだすことだと考えるのは間違いである。物理学は自然について何が言えるかに関するものである」です。

 

 アインシュタイン博士とボーアの違いは、西洋医学と東洋医学の違いにも当てはまります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13958654.html

 

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7554690.html

 

ニールス・ボーア(Wikipediaより)

ニールス・ボーア

Wikipediaより引用

 


PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-21:仮説14)空(くう)なき実観の行き着く先にあるもの

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

仮説14)空(くう)なき実観の行き着く先にあるもの

 

 自らが建てた禅道場で毎日禅を組む理事長が「僕は宗教は嫌でね~」と軽やかに口にすることができる姿に、私はとても感動しました。そのコメントに「空(くう)」を感じたからだと思います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 「空観」とは、「すべてのものは他との関係性の網の中で形作られていて、普遍的な実在はない」という縁起の考え方に基づいています。「なにもないこと」であると同時に「とてつもなくあること」でもあり、宇宙のすべてを包摂する概念といえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 「仮観」とは、この世の「ありとあらゆる空なる存在」に対し、「それぞれに役割を持たせること」です。「無常」だから「仮」なのですが、仮であってもその役割を積極的にみようと考えます。役割は「存在意義」と置き換えることもできます。

コーチングでいうとゴールです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 「中観」とは、すべての存在が「空」であるとする「空観」と、縁起の中での「仮の役割」に注目する「仮観」の二つをバランスよく維持している状態のことです。その中観のポイントは、「仮の役割は無限にある」ということ。

 

釈迦哲学において空観がない状態はありえませんが、もし空観が抜けてしまったらとても危険な状況に陥ります。空観なき仮観のことを「実観(じつがん)」と呼びます(本来の釈迦哲学には存在しない言葉です)。

 

 

 ここまで、苫米地理論やコーチングメソッドを職場に導入することに“失敗”した理由を考察してきました。

 

すべては他の何かとの関係で成り立っており、関係が存在を生みだしています。そして、そのすべては自分の心(マインド)が生みだしているといえます。

よって、「うまくいかない」には必ず自分の側に理由があります。どこまでを自分とするかまで含めそのことをずっと考え続けていましたが、私には失敗の本質的な原因がわかりませんでした。もっと根源的な大きな問題があるはずなのに、スコトーマに隠れたままで全然見えていない気がしていました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 幸いにも、そのスコトーマは、苫米地式コーチにサポートしていただいたことで外すことができました。そのコーチとは、青山龍マスターコーチです。

 

 

 医療/社会福祉法人でのPX2終了後、青山コーチにお時間をいただき、鹿児島を御案内させていただきました。移動中にいろいろなお話を伺いましたが、その中にとても衝撃的な話題がありました。それは苫米地式の認定証を破ったあるコーチの話でした。

 

 私にとって認定証はとても重要なものです。それは苫米地博士の情報場にアクセスするトリガーであり、コーチとしてのエフィカシーの源泉です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

そのような大切な認定証を破ることを想像しただけで、寒気を伴った嫌悪感に襲われました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

 

 「私にはとてもできない」

 

そんなセルフトークに気づいた瞬間、私は、私の思考から空観がすっぽり抜け落ちていることに気がつきました。苫米地博士に関する情報場に対して実観になってしまっていたのです。

 

 「苫米地理論やコーチングはすばらしい。だから、絶対に学ぶべきだ!」

 「PX2でもっといい職場になる。だから、必ず浸透させる!!

 

 空観の抜けた私のそんな強い思いが、職員を苦しめ、経営陣の怒りに火をつけました。すべては私から始まっていたのです。すべては私の心に因があったのです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882703.html

 

二回目のPX2を潰されたときに感じた悔しさ
 そして、その事実が示す未来に感じた絶望

 

 それらはすべて、私自身が空観を忘れたことによりリアルになりました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

煩悩に飲み込まれ大脳辺縁系優位となり、実観に陥ることを許してしまったのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

それはまるで霊を恐れていた学生時代のようでした。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7199964.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7384947.html

 

もちろん、あの頃と違って今の私にはゴールがあり、その実現に向けた未来志向で日々を生きています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

しかし、それも空観を忘れた状況では扁桃体・大脳辺縁系といった低い抽象度での情報処理に過ぎず、場を共有していない多くのスタッフには重すぎたのです。Have toを生みだす元凶となったのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 ゴールもあくまでも仮であり、すべては空です。空がわかった上での仮観であり、中観です。頭ではわかったつもりでも、実践していなければまったく意味がありませんでした。

 

 空を忘れるという過ちで大きな縁を失いましたが、その過程で大切な気づきをたくさん得ました。今後の苫米地式認定コーチとしての、そして、苫米地式認定マスターヒーラーとしての活動に活かすことで、未来でしっかりと責任を果たしたいと思います。

(その“責任”も空であることを忘れずに)

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 

<仮説14:空(くう)なき実観の行き着く先にあるものとは破滅。空観がしっかりと維持されているうえでの仮の役割としてゴールがある>

 

<トゥイーキング14:空(くう)を忘れたゴールはまわりにとって苦痛でしかない。いかなる時も空を忘れず、中観を貫く>

 

    ゴールはあくまでも仮であり、すべては空。空がわかった上での仮観であり中観

    空観が抜けてしまった実観では、どんなに素晴らしいゴールであったとしても満たされることはない

    苫米地理論やコーチングが福音になるからこそ、空観を忘れてはならない

 

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

-追記-

 「空(くう)」に関して、認知科学者 苫米地英人博士のブログに論文が掲載されています。タイトルは「『空』を定義する ~現代分析哲学とメタ数理的アプローチ」です。

 http://www.tomabechi.jp/EmptinessJapanese.pdf

 

 ワークスDVD2弾 「空の理解と体得」でより詳しく解説されています。下記サイトを御確認ください。

 http://maxpec.net/dvd2/index.html

 

 

ワークスDVD第2弾
苫米地英人DVDオフィシャルサイトより引用



PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-22:進化・向上し続ける組織をつくるためのチェックポイント

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

進化・向上し続ける組織をつくるためのチェックポイント

 

 ここまで“失敗”から学んだ「進化・向上し続けるためのポイント」についてまとめました。改めて列挙いたしますので、組織改革のチェックポイントおよび対策として御活用ください。

 

 

    チェックポイント01

:変わらないコンフォートゾーン(CZ)が「現状維持の壁」を生みだし、組織を破滅に向かわせる

    <対策01>コンフォートゾーンをチーム全員で破壊する

 

・「創造的破壊」において、破壊するものとは「現状のコンフォートゾーン(CZ)」。創造するものとは「ゴール側、すなわち未来のコンフォートゾーン(CZ)」

・そのことを組織全体でしっかり認識し、共有することが組織改革の第一歩

 

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628746.html

 

 

    チェックポイント02

:“現状の外”にゴールを設定した人の「want to」は、現状がコンフォートゾーンの人にとっては「have to

    <対策02>仲間を新たなコンフォートゾーンへと導くために“現状”と戦う

 

・リーダーには、多くのスタッフに嫌がられることや権力者(既得権益)と衝突することに対しての覚悟が必要

・その上で、打たれ続けながらもひるまずに理解を広げていく能力(同調能力)が求められる

 

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13837769.html

 

 

    チェックポイント03

:ウッド・アーギュメント(Would argument) のままでは“現状”を打破することはできない。シュッド・アーギュメント(Should argument)で挑戦し続けることで未来から過去へと時間が流れる

    <対策03>常にゴールを考え、未来の結果として今を生きる

 

・「時間は未来から過去へ流れている」ことをしっかりと共有した上で、“現状”に縛られず、シュッド・アーギュメント(Should argument)で思考する

 

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13837953.html

 

 

    チェックポイント04

:自由には必ず責任が伴う。プランなきケースが現状肯定になってしまうのと同様に、責任なき自由はゴールの実現を妨げる

    <対策04>過ぎ去った過去にとらわれず、未来を自由に創造しながら責任を果たす

 

・自由には責任が伴う

・その自由と責任は未来にあり、自らゴールでうみだすものである

 

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13958864.html

 

 

    チェックポイント05

:権利と義務の関係の理解不足が「have to」を生みだし、エネルギーや創造性を封じ込めてしまう

    <対策05>「権利が主、義務は従」という関係をしっかり理解し、チームで共有しているゴールに向かって日々をフルに生きる。もちろん 100% want to

 

・権利があって初めて義務が発生する

・権利だとしっかり自覚することで、その行動は「want to」になる

・権利を行使するにしても放棄するにしても、そこにあるのはゴールに向かうベストな判断

 

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13959033.html

 

 

    チェックポイント06

:人類の脳は「私憤」→「論理」→「公憤」と進化してきたが、不安・恐怖などをきっかけに容易に「私憤」に陥ってしまう。「私憤」を克服し、「公憤」を維持するために抽象度の高いゴール(の共有)が必要

    <対策06>ゴールを更新し続けることで、公憤(公の怒り)を燃やし続ける

 

・人間の脳は「私憤」→「論理」→「公憤」と進化してきた

・「私憤」とは「動物的怒り」で扁桃体・大脳辺縁系の活動。「公憤」とは「人間的怒り」で前頭前野内側部の活動

・その間に前頭前野外側部の活動である論理がある

・不安・恐怖をコントロールし前頭前野優位をしっかりと保つことで、高い抽象度のエネルギーを利用することが可能となる

・そのために「ゴール設定」が必要

 

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14107083.html

 

 

    チェックポイント07

:思考停止していないか?

    <対策07>言語を超えた思考を続け、自由を手に入れる

 

・「前頭前野外側部を抑えて、前頭前野内側部を活性化すること」「左脳言語野の活性を抑え、右脳言語野を活性化すること」は究極の思考法

・不完全性定理が証明された現代の生き方を極論すれば、「思考せずに奴隷として生きる」or「思考し続け自由を手に入れる」の二択

 

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14120540.html

 

 

    チェックポイント08

人類の進化とは真逆の抽象度を下げる思想が跋扈し、対立を生みだしている。それは身近なコミュニティでも、国家単位でもおこっている

    <対策08>空仮中に立ちかえり差別と区別の違いを理解する。その上で無分別を実践する

 

・「あるものと別のものを分け隔てない」という考え方は、「すべてを同じとみる」視点であり、その本質は「抽象度を上げること」

・しかし、現代社会はそれとは真逆の方向に動いている。対立を生む社会の根底にあるものは差別意識。私たちはその事実に気づき、無分別に取り組まなければならない

・そのために縁起の理解や、空観・仮観・中観の実践が重要

 

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14249741.html

 

 

    チェックポイント09

:個人攻撃はシステムエラーをスコトーマに隠してしまう

    対策09>問題のすべてをシステムエラーと捉え、マインドにおける情報処理の見直しからはじめる

 

・個人の問題ではなく、システムエラーと考えるべき。なぜなら、すべてが縁起により存在しているから

・システムエラーは、個人の心(マインド)においての情報処理システムのエラーから始まっている

 

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14249780.html

 

 

    チェックポイント10

:コーポレートイメージがコーポレートトークを生みだし、コーポレートトークがさらにコーポレートイメージを強化していく

    <対策10>つねに組織のゴールに立ちかえり、ゴールを達成している未来からコーポレートイメージとコーポレートトークをつくりあげる

 

・「コーポレートイメージ(組織のイメージ)」と「コーポレートトーク(組織で共有される言葉)」をコントロールすることはとても重要

・その2つは組織のブリーフシステムをつくる

・それは組織のブランディングやマーケティングにも関わる重要事項

・コーポレートイメージとコーポレートトークは、エフィカシーとともに、組織を構成する全員で育むもの

 

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14401202.html

 

 

    チェックポイント11

:縁起はお互いのハッピーを求める考え。「自分だけよければいい」というゲーム理論に組織が支配されると必ず破滅に至る

    <対策11>「自分100%のゲーム理論に支配されていないか?」というセルフチェックを組織内で習慣化する。その上で縁起思想でwin-winを追求していく

 

・ゲーム理論は自分100%、相手0%の完全利己主義

・それは抽象度の低い思考法であり、煩悩的な言動を肯定するもの

・対して縁起の考え方は、相手にとっても、自分にとってもよりよい未来を考えることができる

・それでこそwin-winの良好な関係がつくれ、“無敵”を実現できる

 

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14401412.html

 

 

    チェックポイント12

:ほとんどの人が抽象度0の物理宇宙に生きている。抽象度の高い次元へ導くのはコーチの役割で、さらに高い次元を自ら追求し続けるのが真のリーダー

    <対策12>リーダー、マネジメント、コーチの違いを認識し、それぞれの機能・役割を共通のゴールに結実させる

 

・組織には、リーダー、マネジメント、コーチが必要

・「本質」を追求するのがリーダーの役割で、「方法論」を最適化していくのがマネジメントの役割

・コーチの役割は心(マインド)に関する知識とスキルを教え、各人の潜在能力を引きだしていくこと。そして、抽象度の高い次元へと導いていくこと

 

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14526054.html

 

 

    チェックポイント13

:不完全性定理の証明により宗教の限界が明らかとなった現代は、「唯一絶対のモノサシが存在するという幻想」を捨てて哲学的思考を続けることが求められている

    対策13>哲学的思考と科学的思考の両立を目指す

 

・不完全性定理が証明された現代においては、「唯一絶対のモノサシが存在するという幻想」を捨て、より高い抽象度で哲学的思考を行うことが求められている

・その一方で、抽象度の低い物理次元へ向かう科学的(工学的)思考はますます重要となり、その両立こそがポイントとなる

・医療でいえば、物理空間に近い抽象度での働きかけとともに、情報空間での働きかけ(内部表現の書き換え)がますます求められるようになる

 

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14687476.html

 

 

    チェックポイント14

:空(くう)なき実観の行き着く先にあるものとは破滅。空観がしっかりと維持されているうえでの仮の役割としてゴールがある

    <対策14>空(くう)を忘れたゴールはまわりにとって苦痛でしかない。リーダーはいかなる時も空を忘れず、中観を貫く存在

 

・ゴールはあくまでも仮であり、すべては空。空がわかった上での仮観であり中観

・空観が抜けた実観では、どんなに素晴らしいゴールであったとしても満たされることはない

・苫米地理論やコーチングが福音になるからこそ、空観を忘れてはならない


 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14833876.html

 

 各チェックポイントについて理解を深め、その対策をしっかりと実践するための研修プログラムを作成しています。病院・診療所、福祉施設はもちろん、教育機関や一般の会社など、社内研修にぜひ御活用ください。

 講演・研修等の御相談・御依頼は下記メールアドレスに御連絡ください。

 E-mailcoachfor.m2@gmail.com

 

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 


PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-23:コーポレート・スピリチュアルペイン、インダストリアル・スピリチュアルペイン、ソーシャル・スピリチュアルペイン

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

コーポレート・スピリチュアルペイン、インダストリアル・スピリチュアルペイン、ソーシャル・スピリチュアルペイン

 
 
ピーター・F・ドラッカーの「産業人の未来」(ダイアモンド社)から引用します。 

 

 

 引用開始

 われわれはすでに、経済発展が最高の目的であるとする信条を捨てた。経済的な成果を最高の価値にすることをやめ、数多くの価値の一つに過ぎないとすることは、つまるところ、経済活動をあらゆる社会活動の基盤として扱うことをやめるということである。経済的な領域を社会の中心的な領域とすることをやめるということは、さらに大きな意味をもつ。それは、人はみな経済人(エコノミック・マン)であり、行動の動機は経済的であり、自己実現は経済的な成功と報奨によってはかられるという信条を捨てることを意味する。

 われわれは、人間の本質および社会の目的についての新しい理念を基盤として、自由で機能する社会をつくりあげなければならない。したがってわれわれは、社会についての理念を見つけなければならない。それは、哲学あるいは形而上学の領域で見つけなければならない。

 引用終わり

 

 

ピーター・F・ドラッカー(19092005年)は、ユダヤ系オーストリア人の経営学者で、「現代経営学」あるいは「マネジメント」の発明者として知られています。「未来学者(フューチャリスト)」と呼ばれたこともあったそうですが、自分では「社会生態学者」と名乗ったようです。

そのドラッカーが1942年に書いた著作が「産業人の未来」です。この著作をきっかけにゼネラルモーターズから会社組織の変革と再建を依頼され、大成功をおさめました。

 

ドラッカーはあるべき“未来”から変革を実行しました。それは「経済的な成果を最高の価値にすることをやめ、数多くの価値の一つに過ぎないとする未来」でした。
 つまり、「お金」を絶対的価値観とみなさない世界です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

そして、さらに「人間の本質および社会の目的についての新しい理念を基盤として、自由で機能する社会をつくりあげなければならない」とし、その理念を「哲学あるいは形而上学の領域で見つけなければならない」としました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10400987.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/14687476.html

 

もしドラッカーが生きていたら、今のこの世界は、そして未来は、どのように見えるのでしょうか?

 

かつてドラッカーが捨てたと語った「経済発展が最高の目的であるとする信条」や「経済的な成果を最高の価値にすること」「経済的な領域を社会の中心的な領域とすること」はいつのまにか復活しています。それは、「人はみな経済人(エコノミック・マン)であり、行動の動機は経済的であり、自己実現は経済的な成功と報奨によってはかられるという信条」が復権したことを意味します。

 

 

ところで、私の考えるスピリチュアルペインの定義は、「自己の存在と意味がわからないことから生じる苦痛」です。「自分の存在と意味」を確信していない人や「生きる意味(=死ぬ意味)」がわからないまま今を過ごしている人は、すでに潜在的にスピリチュアペインを抱えています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8293317.html

 

 先のドラッカーの言葉を考慮すると、時代の変化により、人はスピリチュアルペインをますます抱えやすくなり、かつ克服しづらくなっているといえます。

 

 

 人の集まりにより組織(会社)ができ、組織(会社)の集まりが業界をつくります。いろいろな業界が繋がり社会が構成されています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 その組織→業界→社会を構成する一人ひとりが潜在的にスピリチュアルペインを抱えているのです。よって、社会のために、業界のために、そして組織のために、まずは個人レベルでこのスピリチュアルペインを解決していかなければなりません。

 そのためにコーチングがとても役立つはずです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8430972.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8431066.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8431170.html

 

 

しかしながら、仮にすべての人が個人のスピリチュアルペインを克服したとしても、組織(会社)としての、業界としての、そして社会としてのスピリチュアルペインはなくならないかもしれません。

 

それらを克服するためには、ドラッカーのいう「人間の本質および社会の目的についての新しい理念を基盤として、自由で機能する社会をつくりあげること」が必要なはず。

 

では、そのためにはどうすればよいのでしょうか?

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

ピーター・F・ドラッカー(Wiki.)

ピーター・F・ドラッカー
Wikipediaより引用


PMⅠ:The Power of Mind

PM-06:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題

PM-06-24:ドラッカーの忠告に対して ~苫米地式コーポレートコーチング~

 

この章(第六章)では、「院長を務めていた病院へのコーチング導入“失敗”」という事例について、仮説を立て、トゥイーキングを行っていきます。その目的(ゴール)は、「失敗から学び、“いのちの現場”にコーチングをしっかり届けること」です。

告知:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13216030.html

“失敗”を解決する方法:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13397552.html

 

 

ドラッカーの忠告に対して ~苫米地式コーポレートコーチング~

 

しかし、仮にすべての人が個人のスピリチュアルペインを克服したとしても、組織(会社)としての、業界としての、そして社会としてのスピリチュアルペインはなくならないかもしれません。

それらを克服するためには、ドラッカーのいう「人間の本質および社会の目的についての新しい理念を基盤として、自由で機能する社会をつくりあげること」が必要なはず。

 

では、そのためにはどうすればよいのでしょうか?

 

 

 201410月に「企業向けコーチング」セミナーに参加したことを前述しましたが、その時の撮影も含め作成された新たなプログラムは「Cognitive Corporate Coaching ProgramCCCP)」として完成し、一般社団法人 コグニティブコーチング協会による提供が始まっています。

普及の中心的な役割を果たすのは久野和禎コーチと、苫米地式のグランドマスターコーチでもある田島大輔コーチです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/13628531.html

 

 私はまだCCCPは受講していませんが、教材づくりのためのセミナーと苫米地博士の「コーポレートコーチング 上・下巻」(開拓社)を通じて、その大きな可能性を感じています。前回御紹介したドラッカーの「人間の本質および社会の目的についての新しい理念を基盤として、自由で機能する社会をつくりあげること」を実現するための重要な役割を果たすに違いないと感じるのです。

組織(会社)の、業界の、そして社会のスピリチュアルペインを克服するための強力な取り組みとしてCCCPが機能を発揮することを確信しています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

 私自身は院長として11年間関わった組織へのコーチング導入に“失敗”しました。

コーチとして独立したため、もう管理者として病院経営に関わることはないと思いますが、この苦い経験を活かしコーチとして医療・福祉業界に貢献し続けるために、「コーポレートコーチング」を一から学びなおしたいと思っています。

そして、その成果を一刻も早く“いのちの現場”に届けたいと願っています。

 

コーチングやその理論的根拠となる苫米地理論がひろがっていけば、いつかきっと“無敵”が実現します。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

その時こそ、すべての人が個人のスピリチュアルペインを克服しているだけではなく、組織(会社)としての、業界としての、そして社会としてのスピリチュアルペインをも克服しているはずです。

 

社会を構成する一人ひとりの人間形成の結果として、「人間の本質および社会の目的についての新しい理念を基盤として、自由で機能する社会」が実現するのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html

 

そのとき、「世界から戦争と差別がなくなっている」というゴールは“現実”となっているはずです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 

「第六章:職場への苫米地式コーチング導入挑戦と明らかになった課題」完

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 


-追記-

 失敗と挑戦に関する“Air Jordan”の言葉を御紹介します。

 

失敗をすることは耐えられるが、

挑戦しないでいることには耐えられない

 

マイケル・ジョーダン(1963年~)  

アメリカの伝説的バスケットボール選手   

 



このページのトップヘ