苫米地式コーチング認定コーチ CoacH T <タケハラクニオ> ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学び九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

カテゴリ:PMⅠ:The Power of Mind Ⅰ > 05:コーチの視点で教育を考察

PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-01そもそも教育とは? ~教育の定義~

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは? ~教育の定義~

 

 そもそも教育とは何でしょうか?

 

 広辞苑(第六版)には「教え育てること。望ましい知識・技能・規範などの学習を促進する意図的な働きかけの諸活動」とあり、大辞林(第三版)には「他人に対して意図的な働きかけを行うことによって、その人を望ましい方向へ変化させること。広義には、人間形成に作用するすべての精神的影響をいう。その活動が行われる場により、家庭教育・学校教育・社会教育に大別される」とあります。

 

 これらの定義中の言葉を、

 

1)教え育てること

2)望ましい知識・技能・規範

3)学習を促進する

4)意図的な働きかけ

5)望ましい方向へと変化させること

6)人間形成

7)(人間形成に作用する)すべての精神的影響

 

に分け、苫米地理論で考察します。  

 

さらに、「その活動が行われる場」としての8)家庭教育・学校教育・社会教育 についても言及したいと思います。

 

(つづく)

 

 

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PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-02そもそも教育とは?-1)教え育てること

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-1)教え育てること

 

 教育とは何を教え、どのように育てることでしょうか?

 

 苫米地理論を突き詰めて考えると、教えるべきものとは「自由」だといえます。

 

 自由は他人から与えられるものではなく、そもそも手で触れられるような物理的なものではありません。その存在は情報空間にあり、本人のマインド(脳と心)が生みだすものです(念のためですが物理も情報です)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

 

 例えば、自らの信念に基づく行為を行っている人が、権力(既得権益)側に捕まり拘束され続けているとします。物理空間では牢獄の中ですので自由を奪われているといえますが、情報空間ではどうでしょうか?

 

その人は情報空間では自由といえるでしょう。

なぜなら、自ら選択した行動の結果として拘束されているのであり、“思いどおり”だからです。もちろん「だから不当に拘束していい」という意味ではありませんが、拘束という結果に対する責任はその人自身にあります。

その結果を受け入れれば自由といえ、拒絶すれば不自由となります。

 

ここで強調したいのは、「意志のレベルで自由といえるか」ということです。

コーチングで考えると、「自分自身でゴールを設定している」というあたりまえの状態のことです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

学生時代の仲間にはあまりいませんでしたが、社会にでると二代目、三代目の医師と数多く出会うようになりました。もちろんすべてがそうだと言いたいわけではありませんが、根源的な苦しみを背負っているように感じられる人が少なくないことも事実です。

前章で取り上げた話題でいうと「スピリチュアルペイン」を抱えている状態です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8293317.html

 

親により決められたゴールへ向かって歩み続けなければならないという不自由から苦しみが生まれているといえます。モチベーションが「have to」なのです。

自由を奪われた人を奴隷と呼ぶのなら、その苦しみは奴隷の苦しみといえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

教育において教えるべきものは「自由」です。

さらにいうと、自由を手に入れるための知識とスキルであり、自由に伴うべき責任です。

 

自由のための学問を「リベラルアーツ」といいますが、そのリベラルアーツを学ぶ前段階として高校までの教育があるといえます。幼稚園から大学まで一貫して根底にあるべきものは自由であるはずです。

その自由を教えた結果として、「生じる責任を承知の上で、自由に生きれる心を持つ人間に育てること」が教育の本来の目的のはずです。もちろん、自由のための学びは大学で完結するものではありません。そのことについては「6)人間形成」で取り上げます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9963845.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9966391.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/10116950.html

 

教育が本来の目的どおり行われていれば奴隷は生みださないはずですが、かつての私も含め、世間は奴隷だらけです。いつの間にか奴隷マインドを植えつけられてしまった人の心を開放することも、真の教育の大切な機能といえるのかもしれません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7556145.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7702279.html

 

自由な心を持つ人間に育てあげるために、あるいは奴隷マインドから救いだすために、コーチング理論を含む苫米地理論を教え、実践させることが重要です。もちろんプッシュ・プッシュバックが働かないように配慮しながら。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882703.html

 

(つづく)

 

 

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PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-03そもそも教育とは?-2-1)望ましい知識・技能・規範

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-2-1)望ましい知識・技能・規範

 

 「『望ましい』の定義を誰が行っているのか?」、そして「どの時点を基準に行っているのか?」について注意が必要です。

 先程の例えでいうと、医師である親が一方的に子供たちを“いい医師”にするための「望ましい知識や技能」であってはならないということです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9034343.html

 

「望ましい」を決める基準は、教育を受ける側の心の内にあるべきです。

親が医師である子供たちが自身の自由意志でその道を目指すと決めた後に、それを実現するための知識や技能が「望ましい」ものになるのです。はじめから「望ましい」ものが存在しているわけではありません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

 発達心理学の研究によると、子供のブリーフシステムの八~九割以上が親の影響を受けているということですので、「医師になる」という決意が本当に子どもの自由意志といえるかは微妙なところですが、だからこそ、「望ましい」を決定する基準は常に検証しなければならないのだと思います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 「どの時点を基準に行っているのか?」というのは、すなわち「時間の流れをどのようにとらえるか」ということでもあります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

時間は未来から過去に流れています。

「親が医師→だから私も医師」という思考においては、過去から未来に時間が流れています。そのままでは、すばらしいミュージシャンや科学者、作家になることといった他の可能性が認識できなくなります。ましてや、まだ誰もやったことがない新たな何かを生みだすひらめきを得られるはずがありません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

「過去→未来」とみることの危険は、先程の奴隷マインドとも大いに関係します。その考えのままでは、既得権益の支配から逃れることは困難です。

 

(つづく)

 

 

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PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-04そもそも教育とは?-2-2)望ましい知識・技能・規範

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-2-2)望ましい知識・技能・規範

 

次に「知識」と「技能」について考えます。

 

 もうお気づきだと思いますが、この二つは抽象度の違う概念です。「知識」は情報空間にあり、「技能」は物理空間で発揮されます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

 第二章で「スコトーマ」について説明した際に、「生みだすポイントは二つあり、一つ目が知識である」と書きました。私たちは知らないものは認識することができません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

では、なぜ、そもそも知識がないと認識することができないのに、新たな知識を獲得することができるのでしょうか?

 

 その答えは「ゲシュタルト」と関係します。

ゲシュタルトとは「全体性をもったまとまりのある構造」です。一つ上の抽象度でより大きなゲシュタルトを作ると、未知の情報を認識することが可能となります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

 そのことは「情報」と「知識」の関係性を考えると理解しやすいかもしれません。

私たちの目の前にある情報は、脳が過去の記憶をもとに「これは重要である」と判断し、認識されます。過去の記憶にない情報は脳内のフィルターであるRASをすり抜けることはできません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

 

「詰込み型教育」と揶揄される間違った教育において詰め込まれるものはただの情報です。学ぶほど知識が増えていくように感じるかもしれませんがそれは錯覚で、じつは情報が増えていくだけなのです。

 それら大量の情報をひとまとめにして概念化した時にはじめて知識となります。

 

つまり、知識とは、大量の情報をもとに構築された概念の塊であり、「全体性をもったまとまりのある構造=ゲシュタルト」なのです。

よって、知識が増えるとは「概念の数が増えること」といえます。増えた概念が一つ上の抽象度でさらに大きな一塊の概念となっていくことが「頭がよくなること」です。

 

そして、その先に真の教育の目的である「自由」があります。

 

このように知識を増やしていくということは、抽象度の階段を駆け上がっていくことに相当します。しかしながら、その知識を実際に役立たせることができるのは、あくまでも抽象度の最下層である物理空間においてです。そのためのスキルが「技能」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

高い抽象度の知識であるほど物理空間で技能として発揮することは難しくなりますが、それができたときのインパクトは大きくなります。このように知識と技能は密接に関係します。

学問でいうと、理学と工学の関係に相当します。

 

(つづく)

 

-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

 

 

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PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-05そもそも教育とは?-2-3)望ましい知識・技能・規範

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-2-3)望ましい知識・技能・規範

 

 ところで、医学教育とは「医師をはじめ医療従事者を養成する教育」といえますが、この言葉には問題があります。

 

「養成する」というのは職業訓練です。

真の教育の目的は「自由」を手に入れるためといえますが、それがいつの間にか職業訓練にすり替わっているのが日本の現状です。

そのことは日本の医学教育からリベラルアーツがますます削られていることに表れています。

 

 職業訓練とは技能の話であり、低い抽象度次元での話です。

このまま医学教育が進むと、技能は優秀だが知識のない医師や看護師がますます増えていくでしょう。ここでいう知識とは具体的な、つまり抽象度の低い医学的専門知識のことではありません。自由に係るリベラルアーツのことで、なぜか「一般教養」と日本語訳されている知識のことです。

 

 具体的な専門知識が増えるだけでは、決していい医療従事者になることはできません。抽象度の高い世界がかえって認識しづらくなり、結果として「6)人間形成」に支障がでるからです。

 

知識が増えるということは、現状の最適化により巨大なスコトーマを生みだす危険とつねに背中合わせです。「専門バカ」という言葉はそのことを言い表しています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

どんどん情報や知識が増えていくこれからの社会において、新たなスコトーマを生みだすことなくさらに学び続けるためには、「抽象度を上げること」が欠かせません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654230.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

したがって、情報宇宙の底面である物理空間を広げるための専門的知識はもちろんですが、高次元に情報空間(宇宙)を広げていくためのリベラルアーツこそがますます重要になります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654316.html

 

 まとめると、「知識」とは情報空間にある「情報を概念化したもの」であり、「技能」とは「それを物理空間で発揮するもの」です。

 

さらに苫米地理論で追加すると、「抽象度を上げること」とそのための心の状態(意識状態)を作ることも「技能」といえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

 「規範」に関しては割愛いたします。続編の「The Power of Mind Ⅱ」において、「マナー」や「ルール」とともに考察する予定です。

 

(つづく)

 

 

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-追記-

 「規範」について、下記シリーズで考察しました↓

 S-02~:自由に生きるために ~マナー、ルール、モラルについて考える~(目次)

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/17563396.html

 

 

PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-06そもそも教育とは?-3-1)学習を促進する

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-3-1)学習を促進する

 

ヒトの脳を作るのに使われる遺伝子情報は、約1億ビットと推定されています。

 

それに対し、実際の成人の脳形成に必要な情報量は10兆ビットだということです。このことより、ヒトの脳は環境からの情報入力により、遺伝子情報よりも10万倍も複雑な構造を形成していくということがわかります。

 

それを可能にしているのが学習です。「天才」は後天的に作られるのです。

 

抽象度の低い脳科学的な視点で考察すると、学習とは「環境からの情報によって神経回路網が変化すること」です。このような変化は神経細胞どうしを結ぶシナプスの可塑(かそ)性によって可能となります。

可塑性とは、粘土に力を加えると、形が変わったままになるような性質のことです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

話が少しそれますが、私がかつて在籍していた鹿児島大学リハビリテーション科の二代目教授 川平和美先生(20133月末に定年退官)は、在任中に「促通反復療法(川平法)」というリハビリ手技を開発されています。

その効果は目覚ましく、2011年秋にNHKスペシャル「脳がよみがえる ~脳卒中・リハビリ革命~」という番組で取り上げられています。

 

川平先生は、可塑性に関する研究で日本有数の研究者といわれる京都大学霊長類研究所の久保田競教授(当時)のところに研究員として入り、さらにこの分野の研究で世界最先端といわれるアメリカの国立衛生研究所(NIHNational Institute of Health)に留学されました。

留学中の研究で確信を深めた川平先生は、帰国後に可塑性を引き出すためのリハビリについて思考錯誤を続けられ、ついにシンプルな結論にたどり着きました。その詳細は、NHKスペシャルでの取材をもとに刊行された「脳がよみがえる 脳卒中・リハビリ革命」(主婦と生活社)に詳しくまとめられています。

 

私は、川平先生がたどり着いた「シンプルな結論」とは、抽象度を上げ続けたことで得られた“ひらめき”により導きだされたと理解しています。学習の結果としてつかみ取ったのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

 

(つづく)

 

 

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脳がよみがえる 脳卒中・リハビリ革命


PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-07そもそも教育とは?-3-2)学習を促進する

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-3-2)学習を促進する

 

話を戻します。

環境からの情報入力によってシナプスの結びつき方や情報の伝導効率が変化し、特定の情報を処理する神経細胞網が形成されます。すると、学習が達成されたことになります。

では、ここで問題です。

 

「学習」は成功から生まれるでしょうか?それとも失敗から生まれるでしょうか?

 

 

何かを思い出すとき(例えば高校時代のことや旅行のことなど)、まずハプニングや辛かったこと、苦い思い出がでてきませんか。

職場の例でいうと、誰かが職員旅行のことを楽しそうに話しているとき、そのほとんどがハプニング話です。

 

このことからもわかるように、人間の学習は失敗から生まれます。

 

今でこそ成功に学ぶという方法論がありますが、実際に何かを試みる場合は失敗から学ぶことになります。私たちは思考錯誤し、失敗の積み重ねの中から成功をつかみ取るのです。

 

抽象度の高い認知科学的視点では、学習とは「失敗とそれを修正しようとする調整の繰り返し」といえます。その意味で、私たちが認識しているものは失敗の総合であり、目の前の現実世界は失敗の結果であるといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

そのため、失敗の結果から抜け出すことは大変なのです。しかし、今はそのための方法論が確立しています。それがコーチングです。

 

過去の自分の判断や行動について悩んでいる方もまったく心配はいりません。

その認識・判断・行動が何をもとに生まれたのかチェックすることはスコトーマを外すために重要ですが、心から望むゴールがあり、それに向かっているという確信があれば、結果がどうであろうがまったく悔いる必要はありません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

なぜなら、その認識・判断・行動は、その時点でのゴールへ向かうあなたのベストだからです。振り返って「失敗だった」と思えば、今それを修正すればよいだけです。

それが学習であり、そしてその積み重ねが進化・向上です。

 

過去の出来事の事実は変わりませんが、その意味または解釈については、今の行動とそれを生みだすゴールにより書き換えることが可能です。時間は未来から過去へと流れているからであり、その未来は“現状の外”へのゴール設定によりつくりだせるからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

(つづく)

 

 

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PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-08そもそも教育とは?-3-3)学習を促進する

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-3-3)学習を促進する

 

さらに苫米地理論で補足をすると、学習とは「環境と情報をやり取りしながらゴールの世界を現実化しようとするホメオスタシス活動」といえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971818.html

 

心から実現したいゴールがあるから、それを実現するために必要な情報が手に入ります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

「欲しいから自然に手に入る」それが学習であり、誰かに言われたからやるといった「勉めて強いる」という文字どおりの勉強とは決定的に異なります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

人間はやりたいことをしている時にIQが上がります。楽しんでいる間にますます創造的になります。それを“あたりまえの状態”とした時に、あなたの人生から失敗はなくなります。

 

すべてがゴール実現のための学びの機会になるからです。それが「学習を促進する」ということです。

 

では、鹿児島の大先輩 せごどん(西郷隆盛)の言葉を紹介いたします。

 

 

過ちを改めるにあたっては、自分から誤ったとさえ思いついたらそれで良い

そのことをさっぱり思いすてて、すぐ一歩前進することだ

過去の過ちを悔しく思い、あれこれと取りつくろうと心配するのは、たとえば茶碗を割ってそのかけらを集めてみるのと同様何の役にも立たぬことである

「南洲翁遺訓」  

 

 

過去の選択をどんなに悔いても、未来は何も変わりません。未来を変えることができるのは現状の外にゴールを設定できたときです。

 

コーチングを学び、ゴールを目指す人たちに失敗はありません。すべてがゴール実現のための縁起であり、大切な学習の機会となるのだから。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

(つづく)

 

 

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西郷隆盛(Wikiより引用)

西郷隆盛

Wikipediaより引用

 

PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-09そもそも教育とは?-4)意図的な働きかけ

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-4)意図的な働きかけ

 

 「意図」が誰の意図であり、現在・過去・未来のいつを基準にしたものなのかが重要であることは、2)の「望ましい」と重なりますので省略します。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9188609.html

 

ここではさらにマクロな視点で考察します。

 

 苫米地博士は、「脱洗脳教育論」(牧野出版、開拓社から再販)の中で、「日本あるいは日本人は、長い年月をかけて何か正しい一つの価値観(モノサシ)があるかのようにすり込まれ、さらにある種の意図に基づいて洗脳され続けている。だから真実が見えない」と厳しく述べられた上で、「日本人を洗脳するとき、有効な手段の一つとして使われるのが教育である」と指摘されています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 洗脳とは、「第三者の利益のために何らかの仕掛けをすること」です。

 

それに対して、教育とは、「本人の利益のために行われるもの」です。よって、本人の役に立たないものは教育とはいえないことになります。

 

 意図が誰のものか、どの時間軸で行われているかというだけでなく、意図そのものが問われるということです。意図により親や教師の言動は、教育になることもあれば、洗脳になることもあります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

 苫米地博士は、「そして、その洗脳から解かれるために最も効果的な手段も、やはり教育なのである」とも記されています。繰り返しますが、問われるのは意図そのものです。

 

 

 次に「働きかけ」です。

 働きかける先は情報空間です。より高い抽象度で働きかけを行います。それは、学ぶ者の意識をより抽象度の高い次元に引き上げることも意味します。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

 コーチング的にいうと「自分にとって重要なことを自分で決めること」を教えることであり、“現状の外”へのゴール設定をサポートすることです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

そのゴールを達成している姿を確信させることも大切な働きかけです。「ゴール達成能力の自己評価」のことをエフィカシーと呼びますので、「ゴール設定をサポートし、エフィカシーを高めること」が働きかけの重要な要素であるといえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

(つづく)

 

 

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脱・洗脳教育論




PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-10そもそも教育とは?-5-1)望ましい方向へと変化させること

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-5-1)望ましい方向へと変化させること

 

 「望ましい」や「変化」は、今までの考察と重なりますので、ここでは具体的事例を考えます。

 

第三章で、「君は鹿大(鹿児島大学)の医学部には通らない。鹿大にこだわるなら工学部を受けなさい」と言われ続けたことを紹介しました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7199779.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7199884.html

 

私はこの言葉に反発し、従いませんでした。

この言葉には「正しい時間の見方」や「ゴール設定」「エフィカシー」といったコーチングに関連する重要な概念が欠落しています(1980年代のことですし、非難する意図はありません)。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html

 

しかし、この言葉を発した教師自体には今でもとても感謝しています。立ち位置が正しいからです。先生は「生徒のため」という立場を忘れることはありませんでした。

 

 苫米地式認定コーチとしての活動が徐々に知られるようになり、最近では教育現場からも講義や講演の依頼をいただくようになりました。

様々な親や教師の皆さまと意見交換をする中で、親自身や先生あるいは学校のための「望ましい方向」ばかりに気をとられ、「子供のため」「生徒のため」という立場を完全に見失っている人が少なくないことに気づきました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 次回、その具体的な事例を取り上げます。

 

(つづく)

 

 

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PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-11そもそも教育とは?-5-2)望ましい方向へと変化させること

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-5-2)望ましい方向へと変化させること

 

 複数の関係者から教えていただいた、ある中・高一貫校での話を紹介いたします。

 

その学校では、前年に地元の国立大学医学部の合格者がでたということでした。

進路指導主任の先生は、新年度の保護者への説明会の際にこのように話したそうです。「進路指導前は薬学部志望だった生徒に対して、『君の成績なら合格できるから医学部を受験しなさい』とアドバイスをし、見事に合格させました」と。

 

 現状の外の世界、つまり本人にとってスコトーマになっているものを認識できるようにサポートすることは、教師や親の大切な役割です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

その意味で薬学部を医学部に変えさせたというのは決して悪いことではないはずです。

しかし、私はこの発言に大きな問題を感じます。その言葉に「薬剤師より医師の方が偉い」といった差別的な思想を感じるからです。

 

 コーチングとの関連でいうと、職業選択はゴールとはなりません。薬剤師になることそのものはゴールではなくゴール達成の手段であり、「薬剤師になって何をしたいのか?」がゴールです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

生徒のゴールが薬剤師になることでしか達成できないのであれば、進路を無理やり医学部に変えてしまうことは決していいことではありません。そこが抜け落ちているのであれば進路指導は間違ったものである上に、生徒の潜在意識に差別を植え付けることにもなります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 私自身は、生い立ちもあり、自分をエリートだと認識したことは一度もありません。ヒエラルキーの存在を前提に医療・介護現場で働いたことは一切ありません。
 しかし、「エリートのくせに」や「どうせ医者だから」といった逆差別的な扱いを(多くは陰で)されるたびに、医療・福祉に携わる方々の無意識下に根深くはびこる差別意識を感じてきました。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124523.html

 

「薬剤師より医師の方が偉い」「薬学部より医学部の方がすごい」と刷り込まれてしまった生徒が、将来医師になったときに差別的な立ち振る舞いをしないか心配です。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 


PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-12そもそも教育とは?-5-3)望ましい方向へと変化させること

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-5-3)望ましい方向へと変化させること

 

 前回、複数の関係者から教えていただいた中・高一貫校での話を紹介しました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9817539.html

 

この話には、もう一つ気になる点があります。

「誰のための学部変更だったのか?」という点です。

 

進路指導主任の振る舞いを見て、「医学部に合格させたこの学校はすごい」「私たち教師はすごい」と言いたくて無理やり進路を変更させたのではないかと感じた親が少なくないようでした。

 

もちろん、縁起は双方向性ですので、結果的に学校にとって好ましい方向に話が進むことを否定しているのではありません。しかし、「学校のため」という意識が少しでも入ると、生徒を(無意識下で)利用してしまう危険が生じます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

 本物のコーチはクライアントの利益しか考えません。自身の利益はゼロです。コーチングセッション中はもちろん、コーチとクライアントの関係が継続する限り相手の利益だけを考えているのがコーチです。

だからこそ、クライアントを“現状の外”に導くことができます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

もしコーチ自身の利害が生じてしまえば、必ずコーチングに影響していきます。利害関係がなかったとしても、相手のゴールの世界(コンフォートゾーン)にコミットしてしまえば、コーチ自身のコンフォートゾーンを超えようとするクライアントに対して、無意識下でネガティブフィードバックを仕掛けてしまう危険があります。

私の父が「勉強なんかするな」と怒ったように。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html

 

 差別意識を克服するには空観など釈迦哲学が有効ですが、それも含めて苫米地理論を学びコーチとしての素養を身につけていくことが、これからの教育者や親に求められているといえます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 


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