苫米地式コーチング認定コーチ CoacH T <タケハラクニオ> ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学び九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

カテゴリ:PMⅠ:The Power of Mind Ⅰ > 04:コーチの視点で医療を考察

PMⅠ:The Power of Mind

PM-04苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ

PM-04-01WHO(世界保健機関)の「健康」の定義

 

 この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。

 

 

WHO(世界保健機関)の「健康」の定義

 

 外来診療中に「健康でいたいですか?」と伺うと、ほとんどの方々が「はい」と答えます。

 

たまに「いいえ」と答える方もいらっしゃるのですが、詳しく伺うと、「もう十分に生きた」か「子供に迷惑がかかるから」がその理由であることがほとんどです。

やりたいことを新たに見つけ、子供に迷惑をかけない安心があれば、「いつまでも健康でいたい」がやはり本音のようです。

 

 興味深いのは、健康の定義の個人差が大きいことです。

同じような症状であっても、「年を考えるとこんなもの」という理解で自身を健康と捉える人もいれば、「昔はこんなことはなかった」という理由で不健康と捉える人もいます。あるいは、健診の検査でまったく問題はなく、日常生活にもなんら支障をきたしていないのに「自分は不健康」と信じて疑わない方もいます。

冗談みたいですが、健康であることを伝えると「そんなはずはない」と怒りだす方もいらっしゃいます。

 

 一体、健康とは何なのでしょうか?

 

 WHOWorld Health Organization:世界保健機関)は、健康を基本的人権の一つと捉え、その達成を目的として設立された国際連合の専門機関です。19467月に署名されたWHO憲章において、健康は次のように定義されています。

 

Health is a state of complete physical, mental, and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

 健康とは、身体的に、精神的に、そして社会的に、完全に幸福な状態(満たされた状態)であることであり、単に病気がないとか、弱っていないということではない

 

 「病気があると健康ではない」「弱っていると健康ではない」という定義でさえ厳しく感じられますが、さらに「身体的」かつ「精神的」かつ「社会的」に、「完全に幸福な状態」です。

この定義どおりに解釈すると、健診で異常がなく同年代と比較しても十分に元気そうに見える人が、自身を「健康ではない」と評価することはもっともであるといえます。

 

さらに1998年には次のような新しい提案がなされ、WHO執行理事会で採択されています(ただし、その後のWHO総会では採択が見送られているそうです)。

 

 Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual, and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

 

 最初の憲章に、さらに「dynamic」と「spiritual」が加わりました。「dynamic」には「静的に固定した状態ではなく、健康と病気は連続した状態である」という意味が込められているそうです。

 

新たに提案された憲章では、健康とは、「身体的」かつ「精神的」かつ「スピリチュアル的」かつ「社会的」に、「完全に幸福なダイナミックな状態」です。

 

 簡単にいえば、WHOの定義では、「健康」とは「満たされた状態」であり「幸福」です。さらにそれらが「完全な状態」です。

74億人の人類において、あるいは人類史において、この定義(「完全に満たされた幸福な状態」)を満たす“健康”な人は、いったい何人いるというのでしょうか?

 

(つづく)

 

 

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WHO 健康の定義


PMⅠ:The Power of Mind

PM-04苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ

PM-04-02WHO版「健康」の三つの間違い

 

 この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。

 

 

WHO版「健康」の三つの間違い

 

 では、WHOの健康の定義はどこが“おかしい”のでしょうか?

 

 一つ目は、「不完全性」が考慮されていないことです。

 

不完全性が証明された現代において、“唯一絶対のモノサシ”は存在しません。完全な存在はあり得ず、すべてが相対的、あるいは主観的です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

したがって、まず「complete」でつまずきます。

 

 二つ目は、物理空間と情報空間の関係がはっきりしないことです。

 

先程のWHOの健康の定義の中にある「身体的」は物理空間の話であり、「精神的」と「スピリチュアル的」は情報空間の話になります。さらに「社会的」になると、それは「自我」の定義にも関わる「縁起」のことであり、宇宙全体に拡大していきます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

認知科学前の西洋科学(哲学)では、「まず物理空間があり、それとは別に存在する情報空間とどこかで結びついている」と考えられていました。医学で例えるならば、「体と心は強く結びついている」「心身は強い相関を持っている」という考え方でした。

 

超情報場仮説で考察すると、物理空間は情報空間の一部であり、一番情報量が多い底面に相当するものです。つまり、体と心はそもそも同じものであり、ただ抽象度が違うだけの概念です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306438.html

 

よって、「身体的」「精神的」「スピリチュアル的」「社会的」はそれぞれ別個に独立して存在しているものではなく、同じ生命現象の抽象度の違いにすぎないといえます。同じものの抽象度の違う概念ですので、どれかだけ「well-being」であるというのはあり得ません。

コーチングでいうバランスホイールの話になりますが、そのすべてが満たされるように心がけなければ達成できません。

 

 三つ目は、「well-being」がアプリオリに存在すると考えられていることです。

 

well-being」の日本語訳は、「幸せ」や「幸福」、あるいは「満足できる状態」です。その「幸せ」や「満足できる状態」は確固たるものとしてどこかに存在しているのでしょうか?

 

 結論から述べると、幸せや満足とは自分の心がつくりだすものです。

したがって、それを厳密に定義することはできません。言い方を変えると、「幸せ」や「満足」は幻想でしかないのです。

 

だから、どこかで見つけるものでも、努力して手に入れるものでもなく、ましてや、人から与えられるものでもありません。

この事実に気がつかないと、「青い鳥」を求めていつまでもさまよい続けることになります。

 

反対にいえば、私たちは幸せと思った瞬間から幸せになることができます。すべて自分次第です。

道教的な思想でいうと、「足るを知る」ことが健康の大きな要因になるといえます(コーチング的には「知足」はNGですが)。

 

 国連の「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)」が「国際幸福デー」の320日に発表した国別の「世界幸福度ランキング2017」によると、日本の主観的幸福度は51位で、G7の最下位、OECD加盟35か国の27番目でした。

 

well-being」を調査したこの結果は、各国の健康ランキングともいえます。世界トップクラスの長寿国であるはずの日本が、健康調査では先進国最下位レベルなのです。

これは、日本においてコーチングのニーズがとても大きいことを意味しています。

 

(つづく)

 

 

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PMⅠ:The Power of Mind

PM-04苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ

PM-04-03苫米地理論で考える「健康」とは?

 

 この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。

 

 

苫米地理論で考える「健康」とは?

 

 縁起を突き詰めるといきつく「この世に絶対はない(アプリオリなものはない)」と「この世は心(マインド)がつくっている」という二つのプリンシプルから考えると、「自分で健康と思えば健康」といえます。反対に「自分が不健康と思えば不健康」です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

となると、自分で自分を健康と思えるようになることが最高の健康法のはずですが、本当にそれでよいのでしょうか?

「私は健康」「私は幸せ」とただ思い込むことで問題は解決するのでしょうか?

思い込むだけで「満たされた状態」になり、「幸福」になれるのでしょうか?

 

それもちょっと違う気がしませんか。

 

では、苫米地理論で「健康」の定義を考察してみましょう。

 

苫米地理論では、健康を「そのときの自分の状況にとって正常な状態」と定義します。

 

「健康は状況が決める」ともいえます。20才は20才として、60才は60才として、80才なら80才なりに、身体が自分にとって正常な状態であるということです。

よって、高齢者は若者と同じようなことができなくても、年相応であるならば健康といえます。

 

第一章で「サイバーホメオスタシス仮説(CH理論」について説明いたしました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971956.html

 

ホメオスタシス(Homeostasis)とは、「恒常性維持機能」と訳される、外部環境の変化にも関わらず体温や血圧、心拍数などをある一定の幅に保つ機能のことです。

この機能は加齢による変化にも適応し、そのときの最適な状態を維持しようとします。その目的は「できるだけ長生きすること」です。

ここまでは物理空間での話です。

 

情報空間では物理法則という秩序が働かないため、さらに自由に、あるいは楽に、健康になることができます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

 

しかし反対に、秩序が働かないがゆえに、簡単に不健康になってしまうこともありえます。

 

人間においては、進化の結果として、ホメオスタシスの能力が物理空間から情報空間にまで拡張しています。それが「サイバーホメオスタシス仮説(CH理論)」です。

その情報空間に働くホメオスタシスのフィードバックの強度を決めるものが「臨場感」です。

 

死を強く想像してしまったら(あるいは受け入れてしまったら)あっけなく死んでしまいますし、反対に「絶対に生きる」と確信していれば生き延びます。

 

「生きる」という強い情報空間のエネルギーが、物理空間にあらわれるからです。

 

(つづく)

 

 

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PM-04苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ

PM-04-04収容所生活中にフランクルが発見した「健康」の源泉とコーチングの関係

 

 この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。

 

 

収容所生活中にフランクルが発見した「健康」の源泉とコーチングの関係

 

アドラーやフロイトに学んだ精神科医 ヴィクトール・E・フランクル(Viktor Emil Frankl)は、第二次世界大戦中にナチスにより強制収容所に送られた体験を「夜と霧」に記しました。

自分も含む被収容者の心の反応を、施設に収容される段階、収容所生活そのものの段階、そして収容所からの解放の段階に分け、見事に描きだしています。

 

フランクルの妻、父親、母親、弟は強制収容所で死亡しました。フランクル自身も、極限の飢え、寒さ、残虐行為に耐えながら、ガス室行きの恐怖に絶えず脅かされました。

しかし、彼は精神科医としての人間観察と深い洞察を続けました。そして、生きることを投げ出した人と投げ出さなかった人の違いに気がつきました。

 

彼が発見した、「勇敢で、プライドを保ち、無私の精神を持ち続けた人」と「熾烈をきわめた保身のための戦いの中で人間性を忘れた人」を隔てた“あること”とは何だと思いますか?

 

それは「目的」でした。「希望」といいかえることもできます。

 

 強制収容所の人間の内面がいびつに歪むのは、つきつめれば心理的あるいは身体的なことが要因となるのではなく、最終的には個々人の自由な決断にかかっていました。自分自身で態度を決めたのです。

被収容者を心理学の立場から観察したフランクルが明らかにしたのは、「あらかじめ精神的に、また人間的に脆弱な者が、その性格を展開していくなかで収容所世界の影響に染まっていく」という事実でした。

 

脆弱な人間とは、「内的なよりどころをもたない人」「目的がない人」「希望がない人」「志がない人」「夢がない人」です。コーチングでいうと「ゴールがない人」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 収容所から解放された後、1955年にウィーン大学教授となったフランクルは、「人間が存在することの意味への意志を尊重し心理療法に活かす」という独自の実存分析を展開し、その理論を「ロゴセラピー」と名付けました。「ロゴス」とはギリシャ語で「意味」を示す言葉で、「意味への意志」を最も重要な人間の行動力だとする思いが込められています。

さらに、「生きる苦しみは精神病の徴候ではなく、その人が意味を求めることによって、より人間的になりつつある証である」と苦を肯定的にとらえ、自由意志こそ人間のもつ傑出した特徴であり、エネルギーだとしました。

 

苫米地理論では、「そのときの自分の状況にとって正常な状態が健康」です。「状況が健康を決める」ともいえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7859896.html

 

その“状況”とは、物理空間に限定されるものではなく、ゴールにより生みだされる情報的なものまで含みます。つまり、「ゴールが健康を決める」といえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882140.html

 

じつは、健康とはゴール設定の結果なのです。

そして同時に、そのゴールを達成するための大切な要因ともなります。

 

ゴール設定を行い、本当にやりたいことだけをやり続けることで、心(マインド)の状態を良好に保つことができます。まず情報空間で健康になります。やがてその変化は写像として物理空間にあらわれ、身体が健康になっていきます。心→体の順で健康になるのです。

 

勘違いしやすいところですので念を押しますが、心と体、すなわち情報空間と物理空間は同じものです。同じ一つのものの抽象度の違いです。因がより高い抽象度次元、すなわち心(マインド)にあるということです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

いずれにせよ、ゴールを設定することで心身の健康を手に入れた人は、その健康な心身でゴールを達成していきます。これが健康と苫米地理論およびコーチングの関係です。

 

フランクルが気づいたものは、そのゴール設定を可能とする自由意志です。

本当は、すべての人がもともと自由意志を持ち合わせています。何らかの理由でスコトーマに隠れてしまい、見失っているだけです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

人はみな自由意志による選択により生きるエネルギーを取り戻し、結果として健康になることができます。

 

苫米地理論を学び、コーチングを実践することで、医師としての私がたどり着いた結論です。

 

(つづく)

 

 

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-関連記事-

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7859383.html

 

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PM-04苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ

PM-04-05病とは何か?

 

 この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。

 

 

病とは何か?

 

 WHO憲章に「dynamic」という言葉が加わった理由を考えると、必ずしも「病」を「健康」の正反対の概念とはとらえていないのかもしれませんが、一般的には「病」は「健康」の反対の概念として考えられています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7859675.html

 

したがって、「健康」を「幸福」とすると、「病」は「不幸」といえます。そこまでいわないにしても「幸福の阻害要因」ぐらいにはいえるはずです。

 

 日本語には「病気」という言葉もあります。対義語を調べると「健康」とともに「元気」という言葉があがっています。となると、「健康」=「元気」ともいえます。

WHO的には「健康」は「幸福」「満たされた状態」でしたので、「元気」とは「幸福」「満たされた状態」のことといえます。確かに、何かをきっかけに不幸を感じてしまったときには元気ではなくなりますよね。

 

しかし反対に、精神的に満たされた状態であったとしても、必ず元気は失っていきます。人は必ず年をとっていくからです。

 

「元気」は「元の気」と書きます。

生きているということは情報が(釈迦哲学でいうと縁起が)物理空間に結実しているということであり、それだけで大きなエネルギーを秘めているといえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

気とはエネルギーと同義で、その本質は抽象度の高低差で生まれるポテンシャルエネルギー(位置エネルギー)です。

 

何らかの原因で気(エネルギー)が病んだ「病気」は、その大きなエネルギーを一時的に失った状態といえます。物理空間での身体への治療と並行して情報的な原因を解決することができれば、気(エネルギー)は本来の状態に戻ります。「元気」になるのです。

 

その「元の気」は、人生という大きな単位で働くホメオスタシスにより、20才代前半まではどんどん大きくなり、その後はゆっくりと小さくなっていきます。その変化が「老い」です。

 

つまり、老いとともに人は必ず健康を失ってしまうものであるといえます。その先にあるものが死です。

 

WHOの定義まで含めると、生きるとは「必ず老いていく中で健康、すなわち“満たされた状態”や“幸福”を失いながら、やがて死を迎えること」であり、病とは「老いて健康を失っていく過程であらわれる変化であり、幸福を阻害するもの」といえます。

 

 では、苫米地理論では「病」とはどのように考えられるでしょうか?

 

「情報が物理空間(情報空間の底面)で実体化している」という超情報場仮説で見ると、物理的身体は情報の写像であるといえるので、その身体での変化としてあらわれる「病」は情報空間から物理空間への何らかの表れといえます。自己表現ともいえます。もちろん、健康も自己表現です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

 

違う言い方をすると、「病とは情報空間のバグ」といえ、仮観的には「何らかの機能・役割」といえます。その「バグ」や「機能・役割」は、より高次の抽象度空間(情報空間)に因があります。もちろん因は書き換えることができます。情報だからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

ただし、いくら高次の抽象度で書き換えることができるとしても、病や老いを完全に覆すことは不可能です。病や老い、死といったものは物理空間上にあり、その物理空間では物理法則が強力に働いているからです。秩序を維持するために。

 

つまり、書き換え可能な情報的な因を持つものが本来の病であり、老いを原因とする書き換え困難な物理空間での変化とは分けて考えた方がいいということがいえます。

 

(つづく)

 

 

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PM-04苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ

PM-04-06生老病死の四苦とスコトーマ

 

 この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。

 

 

生老病死の四苦とスコトーマ

 

 生まれたものは必ず老い、病み、そして死んでいきます。

 

その四つ、「生」「老」「病」「死」を根源的な苦しみとし、その苦しみからの解放を求めてはじまったのが仏教です。

 

 釈迦族の王子として生まれた釈迦(ゴータマ・シッダールタ)は、成長するにつれ物思いにふけるようになりました。案じた父の計らいにより城外で散策を行うと、東の門外で老人に、南の門外で病人に、西の門外で死人に遭遇しました。

「老いることは苦しみである。病になることも苦しみである。死ぬことも苦しみである。そして、それらの苦のはじまりとして、そもそもこの世に生まれることが苦しみである」ということに気づいた釈迦は、北の門外で修行僧と出会い、出家を決意しました。

これが「四門出遊」の逸話です。

 

この根源的な四つの苦がよりリアルに感じられるのが、医療・介護の現場です。病や老い、死といったものが身近で、スコトーマが外れやすいからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

医療・介護に縁のない人たちは、無意識下で「健康」がコンフォートゾーンになっています。その結果、時間の経過による物理空間での「老病死」に向かう変化がスコトーマに隠れてしまい、なかなか認識することができません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

このブログを読んでくださっている皆さんも、その変化にはあまり気づいていないはずです。ここで問題をだしますので、直感で答えてください。

 

私たち人間が歩くとき、両側の足が地面に接しているのは歩行周期の40%で、じつは半分以上の60%が片足立ちです(右足30%、左足30%)。片足立ちでも転倒しないのは、中殿筋などの筋肉が働きバランスを維持しているからです。

この片足立ちの能力は、残念ながら、年齢とともに確実に低下していきます。

 

では、問題です。20才時の片足立ち能力を100とすると、60才の時点での片足立ち能力はどのくらいでしょうか?

 

私は外来診療時によくこの質問をさせていただきます。対象者は主に高齢者です。皆さんが自身の人生を振り返りながら答えてくださりますが、その答えはほとんどが50%前後です。

 

全国からコーチとコーチングに興味のある方々が集まる「コーチングサミット」という大きなイベントがあります。その第2回(2016年開催)の基調講演を担当させていただいた際にもこの質問を行いました。サミット参加者は3040代が中心で、20代も多くみられました。そのサミット参加者の答えは「6080%の間」が圧倒的多数を占めました。

 

20才時を100とした場合の60才時の片足立ち能力です。どのくらいだと思いましたか?

 

答えは「20才時の20%」です。

なんと1/5なのです。さらに80才になると「20才時の5%」で1/20です。

 

私たちは、年々、確実に転びやすくなっていきます。気がつかないのは、その変化がスコトーマに隠れているからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

(つづく)

 

 

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PMⅠ:The Power of Mind

PM-04苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ

PM-04-07医療・介護現場で生じる苦しみの悪循環 ~ファイト・オア・フライト(Fight or Flight)~ 前編

 

 この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。

 

 

医療・介護現場で生じる苦しみの悪循環 ~ファイト・オア・フライト(Fight or Flight)~ 前編

 

このように、ふだんは「生老病死」の四苦はスコトーマに隠れています。

 

第二章で取り上げた「スコトーマ」とは、「心理的盲点」のことです。スコトーマを生みだすポイントは三つでした。

 

一つ目は「知識」です。「老いとともにどんどん筋力やバランス能力を失っていく」という知識の不足により、自身の変化を認識しづらくなります。

スコトーマを生みだす二つ目は「重要性」です。今回の例でいえば、「健康というイメージの重要性の高さ(こだわり)が、老いによる変化を認識させづらくした」ということができます。
 
三つ目が「役割」です。健康でいる理由がなければ、すなわち健康を必要条件とする何らかの役割(ゴール)が不明瞭であれば、マイナスの変化には気づきにくくなります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

多くの人にとっては健康こそが重要なものであり、四苦は認識しづらいものです。

ところが、けがや病気などの何かしらの縁起により臨場感が高くなると、いきなりスコトーマが外れ、四苦(とくに「老」「病」「死」)がリアルになります。

 

それまでの健康というコンフォートゾーンの外にでてしまうことになるため、IQが下がり、情動的な思考に支配されてしまいます。より原始的な脳の部分である扁桃体・大脳辺縁系が優位になり、怒り・イライラ・不安・恐怖・悔恨・悲しみといった感情が湧きあがります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 

人間は進化の過程で前頭前野での思考を手に入れました。

平常時は、本能的な情報処理を行う大脳辺縁系の活動より、高度な情報処理を行う前頭前野の方が優位に働いています。

しかし、いったん危機に瀕すると、「ファイト・オア・フライト(Fight or Flight)」という「戦うか、逃げるか」という心理状態に陥ってしまいます。

 

危機により「ファイト・オア・フライト」の状況になると、人間の脳では前頭前野の活動が抑えられ、扁桃体を含む大脳辺縁系の活動が活発になります。これはより確実に生き残るための本能的な働きではありますが、人間らしさを失い、ただの動物に成り下がってしまう原因にもなります。

 

CDCCenters for Disease Control and Prevention、疾病予防管理センター)が公表している「Psychology of a Crisis」中に、危機に瀕したときの行動(Negative Behavior)として、下記の四つがとりあげられています。

 

Demands for unneeded treatment:不必要な治療(対処)を求める

Reliance on special relationships:特別な関係に依存する

Unreasonable trade and travel restriction:不必要に商業取引と渡航を制限する

MUPSMultiple Unexplained Physical Symptoms):複数の医学的に原因不明な身体症状が現れる

 

(つづく)

 

 

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PMⅠ:The Power of Mind

PM-04苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ

PM-04-08医療・介護現場で生じる苦しみの悪循環 ~ファイト・オア・フライト(Fight or Flight)~ 後編

 

 この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。

 

 

医療・介護現場で生じる苦しみの悪循環 ~ファイト・オア・フライト(Fight or Flight)~ 後編

 

CDCCenters for Disease Control and Prevention、疾病予防管理センター)が公表している「Psychology of a Crisis」中に、危機に瀕したときの行動(Negative Behavior)として、下記の四つがとりあげられています。

 

Demands for unneeded treatment:不必要な治療(対処)を求める

Reliance on special relationships:特別な関係に依存する

Unreasonable trade and travel restriction:不必要に商業取引と渡航を制限する

MUPSMultiple Unexplained Physical Symptoms):複数の医学的に原因不明な身体症状が現れる

 

「不必要な治療を求める」という行動特性は、人工栄養・人工呼吸・人工透析といった「延命治療」の判断時に問題となります。もちろん、「必要か否か」「望ましいかどうか」は簡単には決められませんが、「落ち着いて考えると、しないほうが良いと思った」という意見を聞くことが多いのも事実です。

ちなみに、「簡単には決められない」理由として、不完全性が働くこともあげられます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

「特別な関係に依存する」というのは、特定の医師や治療法に固執してしまう等の行動としてあらわれます。医学的な根拠に乏しい民間療法や宗教に依存してしまうことも、この行動特性の表出として理解できます。

 

「不必要に商業取引と渡航を制限する」は、いわゆる「自粛ムード」として震災後の国民の行動にあらわれました。同じようなことが個人や家族レベルでも起こります。

 

MUPS(多発する、説明のつかない身体症状)」としてよく目にするものが、痛み、めまい、動悸、血圧上昇、腹痛や下痢などの消化器症状、蕁麻疹などの皮膚症状です。さらには食欲や睡眠といった本能レベルの欲求も阻害されていきます。

 

これは情報空間の何らかのバグが、物理空間に写像としてあらわれていることを意味しています。原因はあくまで情報空間にあるので、例えば薬物治療などにより物理空間だけで強引に解決していくと、より深刻な他の症状となって再び物理的身体にあらわれます。

その結果、身体症状が多発することになってしまいます。治療が新たな症状を生みだすのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

 

このように四苦がリアルになり、本能的な情動処理が優位になると、高次の判断が難しくなり、新たな苦しみを生みだしていきます。

これが医療現場で起こっている苦しみの悪循環です。

 

その状態(情動という扁桃体・大脳辺縁系処理)を克服し、より高次の情報処理である前頭葉前頭前野処理を取りもどすために、「抽象度を上げること」が有効です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

より高い視点、より大きな枠組み(ゲシュタルト)で思考することができるようになると、不安によりIQが下がった状態から抜けだすことができます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

CDCは、「ファイト・オア・フライト」時に平常心を取り戻す方法として、四つの基本原則を記しています。その一つが「恐怖を認め、人々に目の前の恐ろしい事態に関連する文脈情報を与えなさい」というものです。文脈情報により、恐怖体験を知的情報に変えることが可能となります。

このブログは、四苦に苦しむ方々やサポートする人々(家族、医療従事者、行政職員など)にとってのよき文脈情報になることを願いながら書いています。

 

苫米地博士は「イヤな気持ちを消す技術」(フォレスト出版)の中で、身に降りかかったイヤな体験や情動を無害化するための「情動を消し去る三つの方法」を記されています。

その方法とは、1)高い抽象度で考える、2)イヤな出来事の記憶に「うれしい・楽しい・気持ちいい・すがすがしい・誇らしい」という情動感覚を結びつける、3)脳を自己発火させる、です。

 詳細は書籍で確認していただきたいのですが、その実行のための強力な方法論としてコーチングがとても有効です。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

-追記-

 CDC版「ファイト・オア・フライト時に平常心を取り戻す四つの基本原則」については、下記ブログ記事でどうぞ↓

 F-104:「映写機の故障により上映できるかわかりません」 Vol.4;リーダーの視点で

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/19485793.html

 


イヤな気持ちを消す技術(青)


PMⅠ:The Power of Mind

PM-04苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ

PM-04-09ますます緊張する医療・介護現場の福音となるもの

 

 この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。

 

 

ますます緊張する医療・介護現場の福音となるもの

 

苫米地博士は「イヤな気持ちを消す技術」(フォレスト出版)の中で、身に降りかかったイヤな体験や情動を無害化するための「情動を消し去る三つの方法」を記されています。

その方法とは、1)高い抽象度で考える、2)イヤな出来事の記憶に「うれしい・楽しい・気持ちいい・すがすがしい・誇らしい」という情動感覚を結びつける、3)脳を自己発火させる、です。

 詳細は書籍で確認していただきたいのですが、その実行のための強力な方法論としてコーチングがとても有効です。

 

一方で、医療・福祉に携わる方々にとってもコーチングは重要になります。

 

もともと医療・福祉従事者は、「人の役に立ちたい」「助けたい」「救いたい」「少しでも良くなってほしい」「笑顔になってほしい」等のピュアな思いで志している人がほとんどです。

しかし、経験を積んでいく中で「老」「病」「死」が必ず訪れることを痛切に実感し、そのたびに情動が発火しやすい状態になっていきます。あるいは反対に「あきらめ」の心情になっていく場合も見受けられます。

 

医療・福祉従事者が情動に囚われると、ホメオスタシス同調により、患者さんやその家族はますます情動的になってしまいます。その結果、医療・福祉従事者がさらに情動的思考となり…

この悪循環により、医療・介護現場はますますキツイものに変わっていきます。

 

自己防衛としてはもちろん、場がますます緊張していくことを防ぐために「あきらめ」の心情になっていくケースがあるのだと思いますが、理想的な解決は「感情をなくし、死を受け入れて、淡々と働く」ということではありません。

辛いと思っていいし、悲しんでいいのです。

 

大切なことは、情動処理と並行して、その情動をコントロールするための「一つ上の視点」をもって働くことです。

さらに、「高次の抽象度で死を定義すること」までできれば、苦しむ患者さんやその家族に安心や安らぎを与えることが可能となります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

「高次の抽象度で死を定義すること」とは、「人生全体の中で死を考えること」です。それは同時に「その死までの生を定義すること」でもあります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

 

さらに抽象度を上げていくと、「人類全体の一部として、個の死を捉えること」が可能になります。その境地に達することは、個人の死を超越することといえます。その詳細は「The Power of Mind Ⅱ」で考察いたします。

 

「高次の抽象度で死を定義し、さらに抽象度を上げていくこと」を実現するためには、やはり、「ファイト・オア・フライト」の大脳辺縁系情報処理ではなく、抽象思考を可能とする前頭前野(特に内側部)での情報処理が必要です。再度繰り返しますが、そのための強力な方法がコーチングです。

 

だから私は、人類にとって福音となるコーチングを医療・介護現場に届けたいと心から願っています。そして、みんなで抽象度を上げた先にあるはずの、自由、フェアネス、平和の実現を夢見ています。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

PMⅠ:The Power of Mind

PM-04苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ

PM-04-10すでに始まっている医療に抽象度を取り入れる試み -前編-

 

 この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。

 

 

すでに始まっている医療に抽象度を取り入れる試み -前編-

 

 医療・福祉の現場にコーチングが有用であることを理解していただけたでしょうか。大切なのは、前頭前野をしっかり使い「抽象度を上げること」です。

 その抽象度を上げる取り組みは、じつは、様々な場面ですでに始まっています。そのうち五つを簡単に解説いたします。

 

1)     疾患の大別-感染症と非感染症

 

疾患を「感染症」と「非感染症」の二つに大別する考え方が広がりを見せています。たった二つに分別しているだけですから抽象度の高い視点といえます。その中では、がんは生活習慣病などと一緒に「非感染症」にひとくくりにされています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

抽象度という視点でみると、「感染症」は抽象度が低い(情報量が多い)物理次元が主です。よって、治療は「どの抗菌薬を、どのくらい使うか」といった具体的な話が中心になります。

 

それに対して「非感染症」は、概念自体が抽象度の高い次元にまで広がっています。特にがんの場合は「生きること」「死ぬこと」といった哲学的な領域に重心が移行していきます。よって、具体的な身体への治療だけでは「何か足りない感じ」がするのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7385278.html

 

医療・福祉を学ぶ者には、まずは具体的な(専門的な)知識が必要です。

しかし、それと同時に“生と死”について学び、自ら思考を重ねながら、自身の哲学を完成していくことが求められています。

他人のコピーではなく、自分自身の「生きる理由」「死ぬ意味」を見つけていかなければならないのです。

 

2)     リハビリテーション医学

 

 第三章で紹介させていただいたとおり、私は鹿児島大学のリハビリテーション科で医師としてのキャリアをスタートしました。入局した当時(1990年代)、リハビリテーション科のある国立大学は国内に二校しかありませんでした。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7385143.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8292241.html

 

 リハ科が認知されてきた現在はあたりまえのことかもしれませんが、当時のリハ科的な「病気ではなく病人を診る」という考えに感動しました。

患者さんを、身体的、機能的、心理的、そして社会的な視点でそれぞれとらえることは、医療現場で働きながら抽象度を上げていく実践トレーニングとなりました。

 

それは、もともと密教から医療の世界に入った私にとっての原点回帰にもなりました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6854577.html

 

3)     トータルペイン(Total Pain

 

「トータルペイン」とは、「全人的疼痛」と訳される緩和ケアの概念です。

 

緩和ケアとは、「生命を脅かす病に関連する問題に直面している患者と家族の痛み、その他の身体的、心理社会的、スピリチュアルな問題を早期に同定し適切に評価し対応することを通して、苦痛(suffering)を予防し緩和することにより、患者と家族のQuality of Lifeを改善する取り組み 」のことです(WHO2002年)。

 

かつては、がんなど病気の治療を最優先に行い、やり尽くしたら緩和ケアを開始するという考えでした。現在は、がん等の診断と同時に緩和ケアも開始し、徐々にその比重を大きくする(大きくなる)という考え方に変わっています。

 

緩和する対象となる「身体的な痛み」「心理的(精神的)な痛み」「社会的な痛み」、そして「スピリチュアルな痛み」を、それぞれ個別に捉えるのではなく全体として捉えるために「トータルペイン(Total Pain)」という概念が生まれました。

 

先程のリハビリテーション医学と重なりますが、病そのものだけではなく、これらの四つの視点で患者さんを診ようという取り組みは抽象度が上がっています(もちろん、痛みだけに囚われないことは必要ですが)。

その四つを一つとみなす「Total」という概念は、さらに上の抽象度空間への扉を開く大切なものです。この続きは「The Power of Mind Ⅰ」第七章にまとめます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

 

(つづく)

 

 

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PMⅠ:The Power of Mind

PM-04苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ

PM-04-11すでに始まっている医療に抽象度を取り入れる試み -後編-

 

 この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。

 

 

すでに始まっている医療に抽象度を取り入れる試み -後編-

 

 医療・福祉の現場にコーチングが有用であることを理解していただけたでしょうか。大切なのは、前頭前野をしっかり使い「抽象度を上げること」です。

 その抽象度を上げる取り組みは、じつは、様々な場面ですでに始まっています。そのうち五つを簡単に解説いたします。

 前編はこちら:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8292888.html

 

4)     臨床倫理四分割法

 

不完全性定理により、何かを決断するための絶対的なモノサシ(判断基準)は存在しません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

状況により「正しい」とも「間違っている」ともいえるため、判断を下す場合には必ず迷いが生じます。医療・介護現場における判断は“いのち”に関わるものであるため、その迷いはより大きなものとなります。

 

前にも述べたとおり、医療・介護現場ではスコトーマが外れることで四苦がリアルになりやすく、「ファイト・オア・フライト(Fight or Flight)」という心理状態に陥った結果、「不必要な治療(対処)を求める」という行動が起こりやすくなります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html

 

その状況下で、例えば人工栄養・人工呼吸・人工透析といった延命治療等の判断を後悔なく行うということは、とてもとても難しいことです。

それは医療・福祉従事者にとっても同じです。専門であるほど、あえて治療を行わないという決断を受け入れることは困難であるはずです。

 

その問題を解決に導く方法として、「臨床倫理四分割法」があります。

治療の是非を判断するときに、「医学的適応」「本人の意向(人生観、Living Will)」「まわりの状況(医療制度、経済状況、家族の状況、家族の意向等)」「QOLQuality of Life、生活の質)」という四つの視点で考察するというものです。

 

四つの視点で俯瞰して考えるのですから、抽象度が一つ上がっているといえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

5)     国立長寿研究センターの「三本の柱」戦略

 

国立長寿医療研究センターのEnd-Of-Life Care TeamEOLCT)の取り組みも高い抽象度で行われています。

センター内の他科よりEOLCTに依頼のある患者さんの3056%が意思決定困難者で、先程の臨床倫理四分割法での「本人の意向」が確認できないそうです。その場合に「三本の柱」戦略がとられます。

 

「三本の柱」戦略とは、「現在」「過去」「未来」の視点から患者さんの意志決定を支援する取り組みです。

 

第一の柱は、「現在」表出されている微細なサインを読みとる努力をすることです。

食事、入浴、体位交換、胃瘻注入、輸液の滴下時などから患者さんの様子を観察します。うれしそうな表情、無表情、嫌そうな表情など、患者さんが示す微細なサインに注目して気持ちを探ります。

物理空間(身体)の現象を観察することで情報空間(心)にアクセスするということです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

 

第二の柱では、「過去」に残された本人の意志を確認します。いわゆるリビングウィル(Living Will)です。

実際は事前指示のあるケースは少数のようで、事前指示が不明確な場合はライフレビュー(Life Review)が行われます。仕事、結婚、子供などに関する何気ない会話からその人の価値観や人となりを理解し、「本人ならばきっとこう判断したであろう」ということを家族と共有するのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

第三の柱では、「未来」に得られる本人の最善の利益がなんであるかを考えます。

例えば、胃瘻造設(PEG)を行うか否かを選択する際は「その後の生活へどのような影響をもたらすか」を考慮します。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

ポイントはあくまで「本人にとっての最善の利益に焦点を当てて、議論のプロセスを尽くすこと」です。最終的な意志決定の“結果”よりも、意志決定の“プロセス”とそれを“尽くすこと”を、EOLCTは重視しているそうです。

 

この「現在」「過去」「未来」を考えるという行為の根底には、「患者さんの人生全体の意味が分かってはじめて、目の前の医療行為の意義が決まる」という信念があります。

それは、「全体と部分の双方向性で成り立ち、一つの統合的意味を持つまとまり」であるゲシュタルトとして人生全体をとらえるものであり、当然、高い抽象度の判断といえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

余談ですが、「意志決定支援」の「支援」という言葉に、「医療者の立場はあくまでサポート」という思いが滲み出ています。そして、その意志決定過程での家族との価値観の共有を重視しているところに縁起の視点を見出すことができます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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PMⅠ:The Power of Mind

PM-04苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ

PM-04-12:次世代型緩和ケアの鍵となるもの

 

 この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。

 

 

次世代型緩和ケアの鍵となるもの

 

 「トータルペイン(Total Pain)」は緩和ケアの概念です。

緩和ケアとは、「患者とその家族のQOLQuality of Life、生活の質)を改善するための取り組み」のことです。

 

かつては「まずがんなど病気の治療を最優先に行い、やりつくしたら緩和ケアを開始する」という考えでした。それが現在は「がん等の診断と同時に緩和ケアも開始し、徐々にその比重を大きくする(大きくなる)」という考え方に変わりました。

 

緩和ケアの考え方(MaindsガイドラインセンターHPより引用)


MaindsガイドラインセンターHPより引用

 

 

さらに、その緩和する対象となる問題を「身体的」「心理的(精神的)」「社会的」「スピリチュアル的」と四つに分類し、それぞれ個別に捉えるのではなく全体として捉えるために「トータルペイン(Total Pain)」という概念が生まれました。

前回(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8292888.html)は、それが「抽象度が上がった視点である」ことを記しました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

 

トータルペイン(MindsガイドラインセンターHPより淫羊)

 
MaindsガイドラインセンターHPより引用

 

 

しかしながら、さらに抽象度を上げて考察すると、現在の緩和ケアの概念には次の段階に進むための課題があることに気がつきます。それは「スピリチュアルペイン(引用図では『霊的苦痛』)」の定義に内包されています。

 

 スピリチュアルペインとは何でしょうか?

 

私が2011年に受講した「症状の評価とマネジメントを中心とした緩和ケアのための医師の継続教育プログラム(PEACE)」では、「自己の存在と意味の消滅から生じる苦痛(無意味、無価値、虚無、孤独など)」と定義されていました。最新版では「自分の存在や意味を問うことに伴う苦痛」です。

 

みなさんはこの定義のどこかに違和感を覚えませんか?

 

私は、スピリチュアルペインの定義「自己の存在と意味の消滅から生じる苦痛」は間違っているように感じます。“消滅”という言葉に、「一度獲得(または存在)したものが失われる」というニュアンスを感じるからです。
    最新版の「自分の存在や意味を問うことに伴う苦痛」についても同様です。
はたしてどれだけの人が「自己の存在と意味」をふだんから自覚しているでしょうか?

 

スピリチュアルペインの定義は、「自己の存在と意味がわからないことから生じる苦痛」とするべきです。

 

つまり、がんになって初めてスピリチュアペインが生じるのではなく、がんになり「自分はいつか死ぬ」という当たり前のことをスコトーマが外れて実感することで、「自分の存在と意味」がわからないというスピリチュアルペインをずっと抱えたまま生き続けてきた事実に気がついてしまうということです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

「自分の存在と意味」を確信していない人、あるいは「生きる意味(=死ぬ意味)」がわからないまま過ごしている人たちは、すでに潜在的にスピリチュアペインを抱えています。

「自分の存在と意味」を確信していない人や「生きる意味(=死ぬ意味)」がわからない人というのは、もちろん、ゴールがない人のことです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

 ゴール設定ができていない人には必ず緩和ケアが必要です。この場合の緩和ケアとは「苫米地理論を学び、コーチングを実践すること」です。それが次世代型緩和ケアへの進化の鍵です。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542426.html

 

現在の緩和ケアは「がん等の診断と同時に緩和ケアも開始し、徐々にその比重を大きくする(大きくなる)」という考え方に変わりました。しかし、それでもまだ遅いのです。

WHOの緩和ケアの定義に予防という言葉が入っているとおり、“もっと早い段階”からスピリチュアルペインに対して取り組むべきです。

そのことに関連する具体的な提言について、「The Power of Mind Ⅰ」第五章の最後で述べさせていただきます。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_124525.html

 

(つづく)

 

 

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