苫米地式コーチング認定コーチ CoacH T <タケハラクニオ> ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学び九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

カテゴリ:PMⅠ:The Power of Mind Ⅰ > 03:コーチの視点で自己紹介

PMThe Power of Mind

PM-03苫米地理論との出会いと実践

PM-03-01死が身近だった幼少時代の闇

 

物理空間での言動には必ず情報空間での因があります。そして「時間の流れ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html)」を考えると、その因は未来にあるといえます。

苫米地理論を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができるようになりました。過去を自由に書き換えることができるのです。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

死が身近だった幼少時代の闇

 

 私は鹿児島県鹿児島市に生まれました。

 父は自営業を営んでいました。もともと厳しい性格の上に、ギャンブル依存、アルコール依存があり、機嫌が悪いと手がつけられないほど暴れていました。母に手を上げることも多く、暴言・暴力の場面が今も脳裏に焼きついています。

その母もギャンブルに依存するようになりました。世間体を気にする両親でしたので、傍から見るとごく標準的な中流家庭に見えていたと思いますが、内情は荒れ果てていました。

 

小学校に通うようになると、私も殴る・蹴るの暴力の対象になりました。親の言うことを聞かない子供でしたので理由のある体罰もありましたが、理不尽なものも少なくはありませんでした(理由があれば体罰を行っていいという意味ではありません。いかなる理由であっても暴力には反対です。心にも傷をつけてしまうから)。

今でも私の右手背には、タバコの火を押し付けられた痕が残っています。物理次元では長い年月をかけて徐々に薄くなっていますが、情報次元では今でも痛みの記憶とともに鮮明に残っています。

物理空間と情報空間、両方の痛みに耐えながら私は育ちました。

 

そんな私の救いになったのが祖父母の存在です。幼児の頃から週末は必ず泊まりに行っていました。祖父母はとても優しく、子供ながらに「愛されている」と感じていました。

祖父母と過ごす土曜午後から日曜夕方までの時間はとても心地よく、明るい光に包まれているようでした。

反対に、実家に帰りながら見ていた夕陽の絶望的で重々しい赤色は、ジリジリとした痛みを生みだす地獄の炎のように感じられました。

 

「こんなのもう耐えられない。一緒に死のう」母に何度もそう言われました。

もちろん、子供の私に死ぬということがわかっていたはずはありません。しかし、「この現状よりはましなもの」という認識があり、とても身近なものとして感じていました。とくに日曜の夜はいつも死ぬことを考え、自分が死んでしまったあとに嘆き悲しむ祖父母や友達の姿を想像しては涙するということを繰り返していました。

幼少の頃の思い出に色を付けるとすると漆黒です。幼少時代は闇の中で育ったというのが私の正直な実感です。

 

成長するにつれて、私は、父に反抗するようになりました。といっても直接殴り返すわけではなく、いろいろと悪いことをしては困らせていました。

大人だったら逮捕される立派な罪がばれてしまった九歳のある夏の日の夜、その被害者に謝罪をしに行くために、私は無理やり車に乗せられました。助手席で恐怖を感じていると、運転する父が「俺は子育てを間違えた。俺が悪かった…」とか細い声で呟きました。その頬を大粒の涙が伝っていました。

今でもその時の映像ははっきりと覚えています。そして、「人を悲しませることはやめよう。これからはまっすぐ生きよう」と心に誓ったことも。

 

息子の将来に危機感を感じた両親は、私に習い事をさせようとしました。当時のクラスの78割が塾に通っていたので「勉強がしたい」とお願いしましたが、塾には行かせてもらえませんでした。

昔から私が勉強をしていると、父親はなぜか怒りました。不機嫌になるというレベルではなく、怒りまくるレベルです。親に隠れて宿題をすることが習慣になっていた私にとって、堂々と勉強をすることは憧れでした。「塾に行きたい」と本気でお願いしたはずですが、願いはかないませんでした。

結局、ソフトボール少年団に入れられて、定期的にお寺に連れていかれるようになりました。

 

(つづく)

 

 

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PMThe Power of Mind

PM-03苫米地理論との出会いと実践

PM-03-02死が身近だった幼少時代の闇<ベチロンで考察>

 

ベチロン(苫米地理論)を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができます。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

死が身近だった幼少時代の闇<ベチロンで考察>

 

両親がギャンブル依存だったのは現実から逃避したかったからです。

なぜ現実から逃避したかったのかというと、生きることが「have to」だったからです。「have to」だった理由は、「ゴール(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html)」がうまく設定できていなかったことに尽きます。

 

父は鹿児島大学を卒業していましたが、いつも劣等感に苦しんでいるようでした。他人と自分を比較し、「俺が上だ」と言っては自慢し、自慢できないときは酒を飲み暴れていました。「エフィカシー(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html)」が低かったのです。その大前提として、心から望むゴールがなかったのです。

 

その劣等感が低い「コンフォートゾーン(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html)」をつくりました。だから、息子が勉強をすると本気で怒ったのだと思います。「勉強などしたら、俺より偉くなってしまうだろう!」という「ドリームキラー(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html)」の誕生です。

 

戦後の混乱期を母親一人に育てられた父と違って、母は裕福な家庭に育ちました(私を愛してくれた祖父母です)。その母と祖父母の「裕福コンフォートゾーン」が父を苦しめました。父自身の「貧乏コンフォートゾーン」とのギャップが「認知的不協和(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html)」を生みだしたのだと思います。

 

コーチとの縁がありゴールが設定できていれば、きっと父は認知的不協和をエネルギーとし、その能力を存分に発揮できたでしょう。しかし、そのエネルギーは「裕福コンフォートゾーン」の破壊に向かいました。その結果、その象徴である(と父が無意識で感じていた)母を傷つけたのだと思います。

 

母も死にたいくらい苦しかったのであれば、その環境から抜け出すことができたはずです。しかし、母は行動を起こしませんでした。いつの間にか父のコンフォートゾーンと同調していたのだと思います。

明らかなDVがあるのに逃げだせないこの心理は、ブラック企業を辞めずに自殺してしまう現代社会の病理にも通じています。悲劇的な社会的問題を解決するためにも、コーチングが広がっていくことが望まれます。

 

私にとってはつらい幼少期でしたが、勉強に関してはラッキーでした。「プッシュ・プッシュバック(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882703.html)」が働いたからです。厳しく勉強を禁じられたので、その反動で強く知識を求めるようになりました。

 

また、命の危険を感じるほど禁じられたので、巧妙に隠れて、効率的に勉強するようになりました。「創造的回避(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040752.html)」です。

 

この「ブリーフシステム(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html)」は今でも強力に残っています。勉強しているところを見られると、それが家族であったとしても、「しまった!」と一瞬すくんでしまいます。

子供たちの目につくようにあえてオープンスペースに書斎をかまえていますが、今でもつい隠れて勉強してしまうので、子供たちは私の勉強(学習)に対する本気を知らないはずです。

 

(つづく)

 

 

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PM-03苫米地理論との出会いと実践

PM-03-03最福寺 池口恵観法主に学んだ抜苦与楽の生きざま

 

物理空間での言動には必ず情報空間での因があります。そして「時間の流れ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html)」を考えると、その因は未来にあるといえます。

苫米地理論を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができるようになりました。過去を自由に書き換えることができるのです。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

最福寺 池口恵観法主に学んだ抜苦与楽の生きざま

 

 息子を更生させるためにスポーツを始めさせた両親の目論見は見事に当たりました。

小学四年の途中からチームに加わりましたので最初は補欠でしたが、みるみる上達し、六年の時はキャプテンと四番を任されました。ソフトボールに夢中になった私は、祖父母といるとき以外にも光を感じるようになりました。

 

さらに重要な縁起となったのが、「炎の行者」として知られる池口恵観先生との出会いです。恵観先生が住職を務めていた烏帽子山 最福寺に通うようになり、再び仏教を学ぶようになりました(私が通っていた幼稚園は浄土真宗の寺の敷地内にあり、日曜日は祖父と法話を聞きに通っていました。それが私の仏教の原体験です)。

 

最福寺で学ぶ仏教はとてもエキサイティングなものでした。後にそれが真言密教だと知りましたが、さすがに密教というだけあり、私自身も不思議な体験を重ねました。

日本全国より救いを求める方々が途切れることなく来られていましたが、加持によりがんが消え、難病が治っていくということは、最福寺ではごく日常的な出来事でした。

 

仏さまがみんなを救いたいという「大慈大悲」は、この宇宙のあらゆるところにあふれている光である

受け取る人のこころがきれいで静かな水面のような状態ならば、その光を受けてキラキラと輝くことができる。この状態を「加」という

行者はこの光を集め、いっそう輝きを強くする役割を担い、これを「持」という

加持とは、自然治癒力を瞬発的に取り戻すもの。加える「加」と、受け取る「持」と、両方の働きがピッタリ一致して「加持」となる

それは、生命のパワーが響きあうことである

 

そのように教えていただいた私は、「生命のパワーを取り戻せば、がんは消えるのがあたりまえ」と自然に考えるようになっていました。

「世間的にはがんが消えることは特別なこと」だと知ったある日、好奇心を抑えきれなかった私は恵観法主に質問しました。「どうして先生はがんを消すことができるのですか?」と。

 その質問に対する答えは、「わからない。君が解明しなさい」でした。

この言葉が医師を志すきっかけになりました。

 

恵観先生には「抜苦与楽」という言葉も教えていただきました。

目の前の炎に命がけで向き合い護摩行を行う恵観先生の後ろ姿に未来の自分を重ねながら、「社会の苦を抜き、広く楽を供与する存在になる」と思うようになりました。

 

(つづく)

 

 

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PM-03苫米地理論との出会いと実践

PM-03-04最福寺 池口恵観法主に学んだ抜苦与楽の生きざま<ベチロンで考察>

 

ベチロン(苫米地理論)を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができます。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

最福寺 池口恵観法主に学んだ抜苦与楽の生きざま<ベチロンで考察>

 

 「夢中になる」ということは、「RAShttp://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html)」が働き、“夢中なもの”以外は認識できなくなっている状態です。実際、ネガティブなことは「スコトーマ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html)」に隠れ、気にならなくなりました。

 

光を感じるようになったのは、スポーツに熱中している時にたっぷりと分泌されていたドーパミンやセロトニンによる影響と考えられます。

もちろん同時期に学び始めた真言密教の教えも大きく影響しています。子供ながらに大日(如来)の巨大なエネルギーに包まれている感覚をリアルに感じていました。

 

そして、好奇心とも結びついたそのエネルギーが、恵観先生の助言により「医師になる」というゴールに結実し、塾に通ったことすらない私が医学部を目指す「モチベーション(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html)」となりました。

正確には、「医師になる」は職業選択の話であり、「ゴール(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html)」とはなりません。その間違いが医師になった後の私の姿に影響しました(その話は後ほど)。

 

 「がんは恐ろしい病気」という先入観がまったくない状態で、「がんが消えること」をあたりまえのように体感していたことはとても大きかったと思います。確信を得たからです。

 

その確信は、医師としてはもちろん、苫米地式認定コーチや同認定マスターヒーラーとしての「エフィカシー(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html)」の源泉となっています。

 

(つづく)

 

 

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PM-03苫米地理論との出会いと実践

PM-03-05傷だらけの青春 ~禁じられたギター、破壊されたアンプ~

 

物理空間での言動には必ず情報空間での因があります。そして「時間の流れ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html)」を考えると、その因は未来にあるといえます。

苫米地理論を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができるようになりました。過去を自由に書き換えることができるのです。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

傷だらけの青春 ~禁じられたギター、破壊されたアンプ~

 

 幸運にも新設の私立中学に入学できた私は、先生方や友人に恵まれ楽しく学びました。

医師になるという目標をなんとなく周囲に話し、なんとなく受け入れられていきました。父は相変わらずでしたが、勉強していても激怒はしなくなりました。

 

 中学三年の梅雨時期に両親に頼み込んで、進学塾の夏季講習に通わせてもらえることになりました。さらに、通学のための自転車まで買ってもらいました。

あこがれていた塾の初日。最初の授業。ワクワクしながら先生を待ったあの感激は今でも忘れません。しかし、一時間後、私は家に帰っていました。よくは覚えていませんが、数学の先生の口調がたまらなく嫌で教室を飛びだしたのです。その後、その塾には行きませんでした。

「ひと夏の体験」という言葉を聞いたときに私が思いだすのは、恋愛のような甘い思い出ではなく、この生涯一日限りの塾体験です(笑)。

 

 「もう塾には行かない」と両親に打ち明けると、父はもちろん、母まで怒りだしました。

経済的に苦しい中何とか塾に通わせてあげたらなんと一時間で辞めてきたのですから、両親が怒る気持ちはよく理解できます。

私は、生まれて初めて、「勉強をしなかった」という理由で怒られました。当然のようにボコボコにされましたが、やっと普通の家庭になったようで少しホッとしたように記憶しています。

 

結果的には、この経験が私の心にをつけました。

「自分で選択した」という事実が、いつも私を励ましてくれました。志望校に落ちたらかっこ悪いからではなく、父に半殺しにされるからではなく、誰かに勝ちたいからではなく、「それを自分自身が心から望んでいるから」という思いで勉強できました。

そして、翌年、志望校に合格しました。

 

 地元の難関高校に合格したということで、祖父母はとても喜んでくれました。

おそらくその時のお祝い金でだったと思いますが、私はずっと欲しかったフェンダーのギターとアンプを買いました。当時はブライアン・アダムスやブルース・スプリングスティーン、U2やスティングを聞きまくり、単純に憧れていました。

 

しかし、私がギターを手にすると、父が冷ややかにささやきます。「どうせお前にギターは弾けない」「ギターなんか弾いていても決して幸せにはなれない」。

必ずというほど邪魔をしてくる父を無視し続けましたが、一度だけ腹が立って何を根拠にそんなことを言うのか問いただしたことがあります。

その答えは、「兄がギターを持っていたが、飾っているだけで弾かなかったから」でした。

 

父の妨害は情報空間での攻撃だけではありませんでした。

きっかけは覚えていませんが、怒り狂った父にアンプを壊されたことがあります。大きなハサミや工具を手に暴走し電源コードを切り裂き本体を破壊する父の姿を、震えながら(そして泣きながら)ただ見届けることしかできなかった無力感と理不尽な悔しさは、今でもギターを手にした瞬間に鮮明によみがえります。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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PM-03苫米地理論との出会いと実践

PM-03-06傷だらけの青春 ~禁じられたギター、破壊されたアンプ~<ベチロンで考察>

 

ベチロン(苫米地理論)を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができます。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

傷だらけの青春 ~禁じられたギター、破壊されたアンプ~<ベチロンで考察>

 

ポイントは二つ。

自分の行動(の結果)を未来で取り戻そうとしたこと。

そして、他人になんと言われようが自分で決めたことに責任を持ったことです。

 

「時間の流れ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html)」を考慮して言語化すると、「自分で決めた未来の結果としての“今”を自由に生き、その自由に伴う責任を全うした」と表現できます。

 

 趣味のゴールを持ったということも、「ゴール(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html)」のバランスホイールという観点から重要な意味がありました。再び「ドリームキラー(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html)」化した父の言動を無視し続けようとしたのは正解でしたが、挑発にのってしまったことで悪影響を受けてしまいました。

 

 この時期、父の嫌がらせは物理空間から情報空間http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.htmlに移行していきました。

物理的なコンタクトと違って、情報空間では自分自身が受け入れるかどうかが大きく影響していることを学べたのは幸運でした。父への対策として、身体的成長に伴い情報的にも大きくなっていく「自我(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html)」のイメージを持つことが自然にできました。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4654316.html

 

余談ですが、高校時代はガンズ・アンド・ローゼズ(GN’R)の「アペタイト・フォー・デストラクション」を聞きまくっていました。特にギターのスラッシュに憧れていた私は、「次はレスポール」と秘かに決めていました。

残念ながらレスポールはまだ持っていませんが、そのスラッシュが親友で、自らも超絶技巧ギタリストである苫米地博士に学んでいることに「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」を強く感じています。

 

(つづく)

 

 

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俺のギター

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PM-03-07鹿児島大学医学部を目指して

 

物理空間での言動には必ず情報空間での因があります。そして「時間の流れ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html)」を考えると、その因は未来にあるといえます。

苫米地理論を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができるようになりました。過去を自由に書き換えることができるのです。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

鹿児島大学医学部を目指して

 

 高校三年の秋、進路指導での出来事です。

私は、地元の鹿児島大学医学部だけを受験するつもりでした。

 

担任は、コーチングを学んだ今振り返っても素晴らしい教師といえる方でしたが、はっきりと「君には無理だ」と言い放ちました。「大分医科大なら通るから、大分に行きなさい」と助言していただきましたが、入学後の学費や生活費のことを考えると地元以外の選択肢はありませんでした。

鹿大にしか行かないこと(本当は「いけない」でしたが)を告げると、「それなら工学部に行け」と言われました。

 

「君は鹿大の医学部には通らない。鹿大にこだわるなら工学部を受けなさい」と言われ続けた私は、三学期はほとんど学校に行きませんでした。

最初はわざと行かなかったのですが、徐々に、本当に行けなくなりました。発熱と腹痛に悩まされるようになったのです。

 

 酒浸りで膵臓を壊していた父を診てくださった医師に診察していただき、「体はストレスの影響を強く受けること」「身体の検査も重要だが、それで問題がなければ“安心”が一番の治療となること」「体調が悪くなっても自分を責めなくてよいこと」などを優しく教えていただきました。「医師になったら僕が講師を務める医局においで。一緒に働こう」とも言っていただきました。

 

現役合格はできませんでしたが、一浪の後、鹿児島大学医学部に合格しました。合格発表の後、その医師からお祝いの電話をいただき、後日万年筆もいただきました。

 

御礼と弟子入りのお願いをしようと御自宅に伺いましたが、残念ながらその医師はお亡くなりになっていました。奥様に伺った話では、体調を崩し自宅療養していたその先生は、病床から私に電話をしてくださったということでした。

 

御自分の体調がすぐれないのに最後まで私への配慮を欠かさなかったその医師は、それ以上に御家族や患者さん、医療に携わる仲間のことを思い続けていらっしゃったはずです。

先生のその姿、その思いは、私の医師としての原点となりました。

 

 医師国家試験合格後だったかもしれませんが、最福寺の池口恵観先生からも万年筆をいただきました。私の名と恵観先生の名が刻まれたその万年筆は、今も白衣の胸ポケットにあります(インクは入っていませんが)。

「がんを消し難病を治す加持の力を解明したい」という初心を忘れないためです。

 

(つづく)

 

 

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PM-03苫米地理論との出会いと実践

PM-03-08鹿児島大学医学部を目指して<ベチロンで考察>

 

ベチロン(苫米地理論)を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができます。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

鹿児島大学医学部を目指して<ベチロンで考察>

 

 進路指導とは、生徒の「スコトーマ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html)」を外し、もっとすごい未来を感じさせるものであるはずです。

そして、その未来のイメージ(「ゲシュタルト(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html)」)と現状のギャップが生みだす「認知的不協和(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html)」を、未来に向かいブーストするエネルギーに変えるものであるはずです。

 

ところが、「君には無理だ」という「ドリームキラー(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html)」的なものになったうえに、「工学部に行け」という進路を変えるものになってしまいました。

先生が「時間の流れ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html)」を理解していなかったからです。

 

 最初はサボっていたはずが本当に体調不良になっていったのは、「この世は心(マインド)がつくっている」という「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」のプリンシプルどおりのことが起こったからであり、超情報場仮説でいうところの情報空間のバグが物理空間で写像として身体にあらわれたからです。
 
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html
 

一方で、お亡くなりになった医師のサポートによる「私はすでに医師として働いている」というセルフイメージは、私を導く力となりました。「夢をかなえる方程式:I×V=Rhttp://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html)」どおりに、医師として働いている「I」は「R」へ、すなわち現実となりました。

 

(つづく)

 

 

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PM-03苫米地理論との出会いと実践

PM-03-09霊におびえた学生時代

 

物理空間での言動には必ず情報空間での因があります。そして「時間の流れ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html)」を考えると、その因は未来にあるといえます。

苫米地理論を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができるようになりました。過去を自由に書き換えることができるのです。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

霊におびえた学生時代

 

 医学部生となった私は、青春を謳歌していました。

 

学費を稼ぐために働く必要がありましたが、学業とファイナンスの両立に目途が立った大学二年の春にウインドサーフィン部に入部しました。

大好きな海の上を自由に滑走することができるウインドサーフィンに、ただただ夢中になりました。風と一体となる感覚が最高で、「自分は大きな存在の一部である」と全身で理解することができました。

 

さらに鹿児島には桜島があります。

噴煙を上げる雄大な桜島のエネルギーを感じる機会は少なくありませんが、海上にいるときの噴火(鹿児島では「爆発」と表現します)で吹き飛ばされてしまうこともありました。

「空振」という、火口での急激な気圧変化により生じる衝撃波を、セール(帆)で受けてしまい飛ばされるのです。

 

 学業にバイト、そしてウインドサーフィンと忙しい生活でしたが、定期的に最福寺にも通っていました。幼児の頃から暗唱していた般若心経について詳しく学び始めたのもこの頃です。

 

そうして真言密教を学ぶうちに、私にある変化が起こりました。

霊が怖くなったのです。

 

高校時代までは夜中に墓参りに行っても平気でしたが、大学時代には完全に霊を恐れるようになりました。はっきりとその存在を感じるようになり、しかも、人への影響がわかるようになりました。

 

サークルの夏合宿中、深夜、霊がでるというトンネルにみんなで行ったことがあります。

嫌がるのに無理やり車に乗せられた私は気を失いそうでした。いまだにサークルの後輩女性に「怖がる先輩が一番怖かった」と笑われています。

 

 あの頃は、「真言密教を知ってしまった私は、将来、医療の現場で悪霊と闘うことになる」と真剣に考えていました。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

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PM-03苫米地理論との出会いと実践

PM-03-10霊におびえた学生時代<ベチロンで考察>

 

ベチロン(苫米地理論)を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができます。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

霊におびえた学生時代<ベチロンで考察>

 

 風を見たことがありますか?

 

ウインドサーファーは風を見ることができます。

もちろん、海面の色であったり(視覚)、音であったり(聴覚)、肌に当たる感覚であったり(触覚)、天気図によるものだったり(言語情報)するのですが、でも、見ているのです。

 

五感+言語の六つのモーダルチャンネル(情報入力経路)を統合して一つ上の抽象度で築きあげた「ゲシュタルト(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html)」で見ているのです。

自然の中にいて感覚が研ぎ澄まされるだけではなく、この「統合し、さらに大きなゲシュタルトを作る体感」を得られたことは、抽象度の体得を可能とする貴重な財産となりました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

さらにエネルギー感も。

目に見えない力で吹き飛ばされた体験は、「情報空間のポテンシャルエネルギーを物理空間で爆発させる」というイメージをはっきりと感じるきっかけとなりました。目に見えない、文字どおり爆発的なパワーを体感したことは、ヒーラーとしてのスキルにも大変役に立っていると思います。

これらの体験もあり、苫米地式の真髄は私の中でリアルになりました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

 

大学時代はリアルにならなくていいものまでリアルになりました。

霊の存在です。

 

「空観、仮観、中観(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html)」を学び、「夢をかなえる方程式:I×V=Rhttp://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html)」を体得した今は、霊とは「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」により自分の心(マインド)が生みだしたものであることを理解しています。

 

霊の恐怖を克服する大きなきっかけとなったのは、苫米地博士の「一生幸福になる 超訳 般若心経」(学研)により長年の疑問が解決したことでした。

 

今は霊を恐れることは全くありません。むしろ食べるくらいですから(笑)。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

超訳般若心経

PMThe Power of Mind

PM-03苫米地理論との出会いと実践
PMⅠ-03-11:「いい先生」と言われて ~謎の自己嫌悪と驚きのプレゼント~

 

物理空間での言動には必ず情報空間での因があります。そして「時間の流れ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html)」を考えると、その因は未来にあるといえます。

苫米地理論を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができるようになりました。過去を自由に書き換えることができるのです。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

「いい先生」と言われて ~謎の自己嫌悪と驚きのプレゼント~

 

 無事卒業し国試にも合格した私は、鹿児島大学医学部リハビリテーション科に入局しました。研修医の立場で真っ先に夏休みをとったり、学会入会を拒んだりしたことから変わり者とみられていましたが、教授はじめ先輩方や同期に恵まれ充実した研修医生活を送っていました。

 

嫌なことはすぐに忘れる私ですが、今でも思い出すこの頃に本気で嫌だった思い出が、「いい先生」と評価されることでした。

もっとも「いい先生」と言ってくださるのは患者さんばかりで、看護師さんからそのように言われることはほとんどありませんでした(むしろ当時の師長からは「リハセンターの恥」と罵倒されました)。

そのギャップが、さらに私を苦しめました。

 

「『いい先生』と言われるたびになぜ苦しくなるのか?」を考える中で、医療側の「いい先生」と患者側の「いい先生」のニュアンスが違うように感じはじめました。

 

 半年間の初期研修を終え、他科を回る修行の旅にでました。

最初にお世話になったのは鹿児島市内の循環器専門病院です。そこで急性心筋梗塞や不整脈などの入院患者さんを担当させていただきました。

 

数か月後、路面電車が走る大通りに面する某総合病院脳外科に移籍しました。ある日の早朝、病院玄関前を歩いていると「先生~」と叫びながら女性が走りこんできました。突然の出来事に驚き、その女性のターゲットが私であることがわかるとさらに困惑しました。

 

「どうかしましたか?」と声をかけながらのぞき見ると、その女性は循環器病院で受け持った患者さんの娘さんでした。

 

「先生(ハア~、ハア~:息切れ)、お久しぶりです(ハア~)」

「はい」

「私(ハア~、ハア~)、職場に市電(注:路面電車のこと)で通っているんですよ(ハア)」

「はい?」

「今日、先生が見えたんで慌てて降りました(ハア、ハア)」

「は?」

「これ、もらってください(ハア)」

「はい?」

こんなやり取りをしました。    

 

解説すると、私が循環器病院を退職した後某総合病院脳外科に勤務していることを聞いた娘さんは、その後毎日通勤中に電車の中から私を探していたそうなのです。渡したい本があったからです。

そして、ついにその日がやってきました。

 

私を認識すると、慌てて電車を降り猛ダッシュ。病院に入られてしまうとわからなくなるので「何とか玄関でつかまえたい」と必死だったようです。

「いい本なんでぜひ読んでください。先生ならわかってくださると思って」そう話された後、その女性は歩き去っていきました。

 

その後お会いしたことはありませんが、その時のことはよく覚えています。

その経験のおかげで、「いい先生」の意味が理解できたからです。

 

(つづく)

 

 

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PMThe Power of Mind

PM-03苫米地理論との出会いと実践
PM-03-12「いい先生」と言われて ~謎の自己嫌悪と驚きのプレゼント~<ベチロンで考察>

 

ベチロン(苫米地理論)を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができます。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

「いい先生」と言われて ~謎の自己嫌悪と驚きのプレゼント~<ベチロンで考察>

 

 リハビリテーション医学を語る立場にはありませんが、キャリアのスタートがリハ科だったことは、私にとってはラッキーでした。その理由には第四章で触れます。

 

ところで、「いい先生」とはどんな先生でしょうか?

なぜ、医療側と患者側で違いがある(と感じた)のでしょうか?

 

どう見ても若葉マークをつけているのが明らかな私が「いい先生」と評価されたのは、「抽象度と関係している」と思っています。「患者さんを、ある臓器ではなく、特定の疾病でもなく、一つの生命現象としてとらえていた」ということだったのではないでしょうか。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

さらに「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」の視点により、患者さんの職業や家族、未来まで含めて“その人”と捉えていました。

そして、とても大切なことですが、私のその捉え方が、非言語で患者さんやその家族にしっかりと伝わっていたのだと思います。

 

当然ですが、医療者は医学的な知識やスキル、実績を重要視します。

情報量の多い世界、つまり物理空間に近い次元で評価するのですから、研修医の私が「いい先生」であるはずがありません。

つまり、「いい先生」の意味は医療側と患者側で、文字どおり、次元が違うのです。

 

面白いことに、リハ科の後、循環器科→脳外科→リハ科→消化器科(救急)とまわりましたが、急性期病院になるほど患者側と医療側の評価のギャップは縮まりました。

「急性期では物理に近い低い抽象度で濃密に、慢性期になるとより高い抽象度も含めて幅広く対応する必要がある」ということではないでしょうか。

 

西洋医学は西洋哲学がベースになっています。それは「存在が関係を生みだす」という見方であり、「関係が存在を生みだす」という東洋的見方、つまり「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」の哲学とは正反対です。

 

存在を突き詰めていくと、どんどん情報量が増えていきます。抽象度が下がるのです。それを「専門性」と呼びます。

必ずしも「急性期=専門性」とはいえないかもしれませんが、命にかかわる救急の場面ではまず一番重要なところに集中する必要があるという意味で「急性期≒専門性」といえます。

専門性(情報量)を重視する医学教育を受けた者には、患者さんのより高次の情報空間はなかなか認識できません。情報量の多い物理空間についフォーカスしてしまい、高次元の空間が「スコトーマ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html)」に隠れるからです。

 

本をくださった女性には、私は情報空間のスコトーマが外れているように感じられたのでしょう。その感触が「先生ならわかってくださると思って」という言葉にあらわれています。ちなみに、プレゼントしていただいた本のタイトルは「家庭でできる自然療法」でした。

 

超情報場仮説を意識しているかどうかはわかりませんが、より高い抽象度の情報空間まで医療の枠でカバーしようという取り組みも始まっています。

例えば、20081月に順天堂大学医学部附属順天堂医院にて開設された「がん哲学外来」です。提唱者である樋野興夫医師の著書によると、病理医として「がん」を学んできた樋野先生は、多忙な医療現場と患者さんとの間にぽっかりとすき間が空いていることやがんにまつわる様々な悩みがいかに深刻かということに気づき、日本初の「がん哲学外来」を始めることを決意されたそうです。

現状の外へのゴール設定といえます。そして、それはより高い抽象度の空間に向かうものです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

今後の医療には、ますます高次の情報空間での対応(情報操作)が求められていくはずです。その実現のために苫米地理論の理解と実践がとても役に立ちます。

 

(つづく)

 

 

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