苫米地理論を研究し、苫米地式を実践する <CoacH T>

認知科学者 苫米地英人博士に学び活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

カテゴリ:PMⅠ:The Power of Mind Ⅰ > 02:コーチング関連用語解説

PMThe Power of Mind

PM-02苫米地理論における重要用語解説

PM-02-13トゥールミンロジック

 

 この章では、苫米地理論の中でとくに重要な概念をピックアップし、解説いたします。
 第二章目次:
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/12936581.html


13)トゥールミンロジック

 

論題を自らの情動と切り離し、相対化して、物事の裏表両方を見る視点を養えるのがディベートです。

 

ディベートを学ぶ目的は、「論理脳」を鍛え、最短時間で最適解を見つけるようになることです。その先にあるのは、論理的思考を徹底的に極めることによって、論理という系の外に出て自由になること。

 

意識・無意識下の判断基準であるブリーフシステムは、「強い情動を伴った体験の記憶」と「抽象化された情報の記憶」でつくられています。
 
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

それはすべて他人や社会の価値観であり、過去です。

さらに不完全性定理により「この世に絶対的な真実はない」ことが明らかとなったのですから、「真実と思われることでも、必ず裏と表がある」といえます。

 

よって、常に思考し続け、すべてを疑ってみることが重要といえます。

 

そのときにディベートが役にたちます。

ディベートを学ぶことで私たちは、自我から離れ、自分の頭で物事を考え、一段高い抽象度で物事を捉えることができるようになります。
 
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

現代ディベート論理は、トゥールミンロジックと呼ばれています。

トゥールミンロジックは、イギリスの分析哲学者 スティーヴン・トゥールミン(Stephen Edelston Toulmin19222009年)により1960年代に提唱された論理構築法で、いわゆる三段論法で代表される形式論理の方法論が実社会における論理構築の手段として適さないと考えて提唱された現代の論理技術です。

 

その基本構造は「データ(事実)」「ワラント(根拠)」「クレーム(主張)」です。さらに「バッキング(論拠)」「クオリファイアー(確率)」「リザベーション(例外)」の三つを足して六要素でディベートは行われます。

 

詳細は苫米地博士の「ディベートで超論理思考を手に入れる」(CYZO)で御確認ください。

 

(つづく)

 

 

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-関連記事-
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ディベートで超論理思考を手に入れる

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PM-02苫米地理論における重要用語解説

PM-02-14不完全性定理、不確定性原理

 

 この章では、苫米地理論の中でとくに重要な概念をピックアップし、解説いたします。
 第二章目次:
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14)不完全性定理、不確定性原理

 

 1931年、若き数学者(当時25才)クルト・ゲーデルは自然数論における不完全性を証明しました。1980年代にグレゴリー・チャイティンにより、不完全性は数学全般において証明されました。これを不完全性定理と呼びます。

情報空間において不完全性が証明されたのです。
 
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

 

 一方の不確定性原理は、1927年に理論物理学者 ヴェルナー・ハイゼンベルクによって提唱された量子力学の基礎原理の一つで、「位置と運動量を同時に正確に知ることはできない」というものです。

オリジナルは「観測行為が影響を与え、不確定性を引き起こす」という観測の限界を示唆するものでしたが、後に量子自体の不確定性というべき「量子ゆらぎ」を説明するものとなりました。

こちらは物理空間において不完全性を証明したものといえます。

 

 情報空間でも、その底面といえる物理空間でも「不完全性」が証明されたということは、つまり、「全知全能の神は存在しない」ということを意味します。

「神が創造した完全なる宇宙では始まりにすべてが決まっている。そして、その初期値と連続する因果の当然の帰結として現在の個々の私たちの思考や行動がある」という西洋哲学の因果律は完全に崩壊しました。

 

 「すべては決定的ではない」という事実は、西洋哲学から東洋哲学へのパラダイムの転換を求めています。もちろん、医療や教育においてもです。それらは第四章、第五章で取り上げます。

 

(つづく)

 

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PM-02苫米地理論における重要用語解説

PM-02-15:縁起

 

 この章では、苫米地理論の中でとくに重要な概念をピックアップし、解説いたします。
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15)縁起

 

 縁起とは、「原因によって結果が起きる」という釈迦哲学の根幹をなす教えです。

 

それは「自分を含めてすべては他の何かとの関係性で成り立っている」ということであり、「関係が存在を生みだす」という見方です。それぞれの事物・事象はあらかじめ存在しないという理論になります。

これは「存在が関係を生みだす」という西洋的な見方とはまったく反対であり、先に述べた不完全性定理および不確定性原理によりその正しさが証明されています。
 
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

 「関係が存在を生みだす」という考え方は、「だから普遍的な実体などはなく、物事は常に変わりゆき、永遠に変わらないものなどない」という考え方につながります。

それを仏教では「無常」と表現します。

 

 さらに突き詰めると「この世に絶対はない(アプリオリなものはない)」と「この世は心(マインド)がつくっている」という二つのプリンシプルに行きつきます。

アプリオリとはカントの言葉で、「経験的認識に先立つ先天的、自明的な認識や概念」のことです。人間の経験的認識に先立って確立されているべきもので、「人間をつくった神」や「その神が創った世界」のことです。

 

 縁起をふまえてコーチングを定義すると、「自分を構成する関係性(=縁起)をごっそり変えることで、新たな自分を創造すること」といえます。ごっそり変えることができるのは、「この世に絶対はないからで、そもそもこの世自体が心により生みだされたものであるから」です。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

ルー・タイス氏が1970年代初頭にはじめたコーチングは、苫米地博士との縁により加速的に進化していますが、その源流は2600年前のインドにあったといえるのかもしれません。

「釈迦こそが人類初の認知科学者であり、コーチであり、ヒーラーである」と私は思っています。

 

(つづく)

 

 

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-追記-

 202227日放送の「バラいろダンディ」(TOKYO MX)にて、苫米地博士が「縁起」を解説されています。リラックスしながら視聴し、縁起を体感されてください。

 Dr.苫米地 「縁起」を理解して更なるゴールと未知の喜びを! - YouTube

 



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PM-02苫米地理論における重要用語解説

PM-02-16空観、仮観、中観

 

 この章では、苫米地理論の中でとくに重要な概念をピックアップし、解説いたします。
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16)空観、仮観、中観

 

 「すべての存在は関係で成り立っている」という縁起の思想は、大乗仏教に現れた二人の天才(ナーガールジュナ、ツォンカパ)によりさらに発展し「中観思想」を生みだしました。

 

 「中観」とは、すべての存在が「空(くう)」であるとする「空観」と、縁起の中での「仮の役割」に注目する「仮観(けがん)」の二つをバランスよく維持している状態のことです。

 「空」とは「すべてのものは他との関係性の網の中で形作られていて、普遍的な実在はない」という縁起の考え方に基づいています。

空というと「なにもないこと」をイメージする方が多いと思いますが、実際は反対の「とてつもなくある」ということでもあり、宇宙のすべてを包摂する概念といえます。

 

 第一章で我が家の「さくら」を紹介いたしましたが、その抽象度を高めていくと→「ラブラドールレトリーバー」→「犬」→「哺乳類」→「動物」→「生物」となっていきます。
  (http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 

その「生物」より上は「物質」に行きつきます。「物質」のことを仏教では「色(しき)」と呼びますが、それは「ある(有)」という概念と同じと考えられます。

その「ある(有)」と対立する概念が「ない(無)」ですが、ここでナーガールジュナは、「空」を「有」と「無」のさらに上の抽象度の概念であるとしました。

 

つまり、抽象度の軸で宇宙を見たときに情報空間の頂点を「空」としたのです。

 

よって、空はなによりも情報量が少なく(なにもないに等しい)、かつ、潜在的な情報はなによりも多い(とてつもなくある)といえるのです。

この宇宙の見方が「空観」です。

 

 「仮観」とは、この世の「ありとあらゆる空なる存在」に対し、「それぞれに役割を持たせること」です。「無常」だから「仮」なのですが、仮であってもその役割を積極的にみようと考えます。

 

すべての存在には役割があります。なぜなら縁起があるからです。すべてのものが関係しあうため、その関係性の中でまったく役割を果たさないものなどありません。

 

役割は「存在意義」と置き換えることもできます。

すべての人が必ず誰かとの関係性の中に生き、誰かの役にたっており、存在意義があります。その存在意義とは、ゴール設定により自らつくりだすものです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

その存在意義の確信が、コーチングで重要視するエフィカシーです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html


よって、エフィカシーを高めるということは、「自分の存在意義を確信したうえで、さらに世の中とのつながりを拡大し、宇宙サイズにまでその存在意義を拡大していくこと」といえます。

エフィカシーはゴールが生みだすものでした。そのゴールが「仮の役割」です。つまり、コーチングとは仮観の実践であるのです。

 

 「中観」とは、すべての存在が「空」であるとする「空観」と、縁起の中での「仮の役割」に注目する「仮観」の二つをバランスよく維持している状態のことです。

その中観のポイントは、「仮の役割は無限にある」ということです。

 

 縁起の思想からすると、宇宙は多様で、かつダイナミックに変化する関係性によって成り立っています。
 
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

逆にいえば、この世の一人ひとりは、お互いの関係性の中で初めて成り立つと同時に、この宇宙を構成している貴重な存在だといえます。

 

この「一人ひとりがお互いに宇宙を生みだす大切な存在である」という視点が中観です。

その視点があると、すべての存在を自然に大事に思うことができます。

 

縁起に関しては苫米地博士の「もうこれ以上人間関係で悩まない極意」(TAC出版)を御参照ください。

 

(つづく)

 

 

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-追記-

 「空(くう)」に関して、認知科学者 苫米地英人博士のブログに論文が掲載されています。タイトルは「『空』を定義する ~現代分析哲学とメタ数理的アプローチ」です。

 http://www.tomabechi.jp/EmptinessJapanese.pdf

 

 ワークスDVD2弾 「空の理解と体得」でより詳しく解説されています。下記サイトを御確認ください。

 http://maxpec.net/dvd2/index.html



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PM-02苫米地理論における重要用語解説

PM-02-17:自我

 

 この章では、苫米地理論の中でとくに重要な概念をピックアップし、解説いたします。
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17)自我

 

 結論を先に述べると、自我は「関係によって浮かびあがってくるネットワーク」であり、その本質は「空」です。
 
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

空とは「無」と「有」を同時に満たす、一つ上の抽象度の概念でした。

よって自我も、「無としての自我」と「有としての自我」という二つの側面で考察することができます。

 

まずはあなたの自我を定義してみてください。

 

「年齢は?」「性別は?」「住所は?」「家族は?」「職業は?」「趣味は?」項目(部分関数)が多くなればなるほどより詳しく自分を定義できるように感じますが、しかし、それらは自分そのものを定義しているものではありません。

すべて「他との関係性」にすぎず、その関係性が変わると自我は変わっていきます。

つまり、自我は「無」なのです。

 

先程自分を定義するために用いた概念は、事実上無限に等しい概念の集合から自分にとっての重要なものを抽出したものといえます。

「宇宙を自分にとって重要な順に並べ替える関数」を評価関数(重要性関数)といいます。

宇宙を並べ替える関数として自我は確実に存在しています。

つまり、自我は「有」でもあるのです。

 

評価関数を自由に変えることができれば、それは自分をつくりかえることになり、さらには自分の認識する宇宙そのものを変えることになります。

 

なぜなら、私たちが認識する宇宙はRAShttp://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.htmlを通り抜けた重要な情報で構築されているからです。

 

自我はこの瞬間に自由につくりだすことができます。
 宇宙さえ自由に生みだすことができます。

 

すべてはあなたの心(マインド)次第です。

 

(つづく)

 

 

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-追記-

 「自我」について、抽象度と関連して、苫米地博士はこのように書かれています。「Dr.苫米地の『脳力』の使い方」(徳間書店)より引用します。

 

 抽象度が上がるということは、自分の行為が何なのかということ以上の抽象的な思考を持つということであって、それを自我というのです。自分の行為の内省的な認識に意味を持たせるためには、このように、1つ上の認識が生まれなければならないのです。

 

 

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PM-02苫米地理論における重要用語解説

PM-02-18:時間の流れ

 

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18)時間の流れ

 

 コーチとしてたくさんの方々をサポートし、様々な変革を見守ってきました。ほぼ全員が変革のきっかけになったと評価するのが「時間観の変化」です。私もそうでした。

 

コーチングを受けたことのない方々は、「時間は過去から未来へと流れている」という見方を受け入れています。

それは人を隷属的にし、既得権益の支配をより強固にするための仕掛けです。

 

 時間は未来から過去に流れています。

 

例えば、現在は一時間後には「一時間過去」になり、今から一時間未来が「現在」になります。このように時間は未来から過去に流れており、因果応報というときの「因」はつねに未来にあるのです。

私たちは未来の「因」の「果」として現在を生きています。

 

料理を例に考えてみましょう。

時間経過で行動を表記すると、「食材を準備した」→「調理をした」→「料理が完成した」になります。この時「過去→未来」の時間観に立つと「とりあえず食材を準備して、なんとなく調理していたら、こんな料理が出来上がった」となります。

 

そんな感じで料理をすることもあるかもしれませんが、ふつうは最初に献立を決め、何を作るかを明確にしているはずです。コーチングでいうゴール設定です。
 
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

出来上がりのイメージが先にあるから、「何時頃こんな調理をしている」が決まり、「調理の前にこんな食材を仕入れている」が決まってくるのです。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

つまり、未来が先にあり今の行動が決まっていくのです。

それが「時間は未来から過去に流れる」という意味です。

 

このとき「ゴールを設定することが時間の流れを生みだしている」と考えることができます。「ゴールが時間の流れを生みだす」という言葉に違和感を覚える方も多くいらっしゃると思いますが、じつは、現代物理学により「時間は流れていない」ことは明らかになっています。

 

「過去、現在、未来の区別は頑固に引き続いている幻想にすぎない」という言葉は、現代物理学の父と呼ばれるアルベルト・アインシュタインによるものです。

そのアインシュタインによる相対性理論により時間と空間は同じものであることが明らかにされています。鹿児島と東京とニューヨークが同時に存在するように、過去も現在も未来も同時に存在しているのです。

 

時間は連続的ではなくバラバラに散らばった状態に、つまり離散的に存在しています。

時間が流れているように感じられるのは、私たちの意識が時間軸を移動しているからです。

 

また、量子論により「時間には最小単位がある(プランク時間:5.39106…×1044秒)」ことが導き出されました。

最小単位があるということは、やはり連続しておらず離散的であることを表しています。

 

私たちの生きる世界はパラパラ漫画のような世界で、一瞬一瞬に断層が存在しています。

その断層を飛び越えることが「生」であり、その断層にとどまることが「死」。

コーチングの視点で見ると、その「生」のエネルギーを生みだすものがゴールといえます。

 

(つづく)

 

 

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PM-02苫米地理論における重要用語解説

PM-02-19夢をかなえる方程式:I×V=R

 

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19)夢をかなえる方程式:I×V=R

 

I」はイメージ(imageまたはimagination)、「V」は鮮明さ(vividness)、「R」は現実(reality)です。

 

「まずイメージがあり、その臨場感を上げていくと、そのイメージが現実となる」という意味で、「すべての変化は心の中に生まれて、外に広がっていく」というルー・タイス氏の言葉を理論化したものです。

 

認知科学以降、現実(reality)の定義は変わりました。

 

繰り返しになりますが、五感で知覚した情報が脳に伝達され、その情報の処理により認識が生まれます。

私たちは、同時に、複数の世界(ゲシュタルト:http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html)を持つことができ、そのうち一番臨場感が高いものが現実となります。

 

つまり、マインド(情報空間での心、物理空間での脳)が現実を生みだしているのです。

逆に、イメージ(イマジネーション)の限界が私たちの限界ともいえます。

 

I」を生みだすものがゴール設定です。

現状の外にゴールhttp://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.htmlを設定するというのは、イメージの限界を超えるということです。

その限界を超えたゴールの世界の臨場感の強さをエフィカシーhttp://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.htmlといい、アファメーションやビジュアライゼーションによって高めていきます。

 

 ところで、縁起のプリンシプルは「この世に絶対はない(アプリオリなものはない)」と「この世は心(マインド)がつくっている」でした。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

V」を生みだす「必ずゴールが達成できるという確信」をクライアントに埋め込んであげることがコーチの役割ですので、コーチとの縁起が現実を生みだすともいえます。

 

(つづく)

 

 

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-関連記事-
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PM-02苫米地理論における重要用語解説
PM-02-20すべてを統合した「苫米地式」-1


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すべてを統合した「苫米地式」-1

西洋哲学やそれをベースとした西洋科学、そして東洋哲学までも網羅した苫米地理論を熟知し、マインドの使い方を教えつつ、介入的に働きかけを行うことが「苫米地式」です。

 

言語も用いますが、非言語で強力な働きかけを行っています。

強力に働きかけることができるのは、より高い抽象度次元(場)にアプローチするからです。初めは臨場感が下がらない程度の「ほんの少し高い抽象度」から働きかけを行います。
 
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4448691.html

 

クライアントの抽象度が上がっていくと、その自我http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.htmlは大きく変化し、認識する宇宙そのものがまったく違ったものに変わっていきます。

抽象度が上がるほど、部分関数としての自我を拡大することができ、過去の呪縛を断ち切って自由に評価関数をつくりなおすことができるからです。

 

非言語で行うのは言語を超えるためです。

言語化すると視点が固定され、抽象度の上限が生まれてしまいます。スコトーマを作りやすくなってしまうのです。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

自我を「情報が物理空間(情報空間の底面)で実体化している」という超情報場仮説で見ると、物理的身体は情報の写像であり、病とは自己表現といえます。もちろん健康も自己表現です。
 
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html

違う言い方をすると「病とは情報空間のバグ」といえ、仮観的には「何らかの機能・役割」といえます。
 
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html
 

その「バグ」や「機能・役割」といったものを、より高次の抽象度次元(場)で書き換えていくのが「苫米地式」です。
 
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html 

 

(つづく)

 

 

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PM苫米地理論における重要用語解説

PM-02-21すべてを統合した「苫米地式」-2

 


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すべてを統合した「苫米地式」-2

 

苫米地博士に学ぶ同志は必ず体験しているはずですが、苫米地理論を学び、苫米地式を実践していくと、周囲の人たちがドリームキラーhttp://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.htmlへと変貌します。

“現状の外”へゴールhttp://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.htmlを設定した人の存在が、その周囲の人たちのコンフォートゾーンhttp://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.htmlをかき乱してしまうからです。

 

ドリームキラー達は、「そんなに頑張って大丈夫?」「あなたが傷つくのが心配」など、その人のことを思っているかのようでありながら、心の底では(無意識下では)失敗を願っています。

 

ゴール設定を行い、高いエフィカシーhttp://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.htmlで生きている人には、ドリームキラーの優しい忠告は届きません。説得力がないからです。

やがてドリームキラー達は、多くは陰で、あなたを非難しはじめます。「むかつく」「きらい」「気持ちが悪い」「一緒にいると疲れる」等々

 

このブログを読んでくださっている皆さんは、これから確実に陰口を叩かれるようになっていきます。でも、残念に思わないでください。それは、あなた自身が変わり始めたことの証拠でもあるからです。

 

強力なドリームキラーほど、本当は、あなたが自分を救ってくれることを求めています。

一時期のドリームキリングに屈することなく、すべて空(くう)だと認識しながら余裕でゴールに向かって歩み続けるうちに、いつの間にか強力なドリームサポーターに変わってくれるはずです。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 それではこの章の終わりに、みなさんもおそらく言われるであろう「偽善」という言葉について、苫米地理論で考察してみます。

 

(つづく)

 

 

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PM-02苫米地理論における重要用語解説

PM-02-22偽善とは?-1

 

 

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偽善とは?-1

「偽善」という言葉を分割すると、「偽」と「善」に分けることができます。

まず、「善」について考えてみましょう。

 

先に答えを述べると、「善」とは絶対的なものではなく相対的なものであるため、明確には定義できません。

 

「善」は文脈(context)により決まります。その文脈を決めるものがゴールです。

したがって、その人(その集団)にとってのゴールに近づくためのものが「善」で、ゴールから遠ざけるものが「悪」であるといえます。
 
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html
 

例えば、「イスラム(原理主義)の世界をつくる」という人々にとって自爆テロは「善」なのかもしれませんが、そのゴールを共有しない人々にとっては「悪」です。

今のテロリズムを生みだしたといえる「アメリカの正義」はその時代の多くのアメリカ人にとって「善」だったのでしょうが、当時虐げられた人々にとっては「悪」でした。

そして、現在はすべての人にとって「悪」といえます。

 

情報空間での不完全性定理、物理空間での不確定性原理が示すことは、「この世に絶対の基準はない」ということです。「善か?悪か?」は単純には決められないということです。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

それを大乗仏教では「空(くう)」と表現します。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html
 

よって、私たちは絶対的に正しい答えがないことをしっかりと認識しながら、それでも、より“正しい”答えを求め思考し続けなければならないのです。

より多くの人達と共有できる、より正しい答えは、抽象度の高い空間にあります。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html
 

そこに到達(ヒルクライミング)するために思考し続けるのです。

 

(つづく)

 

 

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PM-02苫米地理論における重要用語解説

PM-02-23偽善とは?-2

 

 

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偽善とは?-2

そもそも「善」が絶対ではないのですから、「偽」も絶対ではありません。

あくまで視点や立場の違いであり、認識主体の主観です。

よって、「他人に偽善者と言われても、自分のゴールに確信があるのなら気にしなくていい」というのが私の意見です。

 

一般的に「偽善」というのは、「本心からではない上辺の善行」といった使い方がされています。本当は相手のことなどまったく考えていないのに、「あなたのため」「みなさんのため」といった言動を行うことを偽善というのでしょうが、この場合はすぐにわかりますので、相手の言動を注意深く観察していれば大丈夫です。

 

厄介なのは、その“本心”に自分自身でも気づいていないケースです。

コーチング的に表現すると「人生の本当のゴールを見つけていない状態」といえます。

 

意識上のゴールと無意識下のゴールがずれていることそれが、私の「偽善」の定義です。

 

意識と無意識のずれを解消するためには抽象度を上げていくことが必要ですが、残念ながら、それは困難です。

ほとんどの人は、過去に、そして他人(社会)に影響を受けた記憶により自我を形成してしまっているからです。
 
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353425.html
 

「私は“本当の私”ではない」のです。

 

“本当の私”を見つけるために、自身でも瞑想などに取り組みつつ、しっかりとしたスキルを持つコーチにスコトーマhttp://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.htmlを外してもらうそれが理想です。

 

この世に生きる全員が苫米地理論を学び、苫米地式を実践することで、スコトーマを外しあい、そしてエフィカシーhttp://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.htmlを高めあうコーチになることができれば、私たち人類はさらに“ヒルクライミング”することができます。

 

その実現のために、私は世界の頂点から学び続け、苫米地式認定コーチとして、そして認定マスターヒーラーとしてフルに活動しています。

 

私の偽りのない「善」です。

 

 

「第二章:苫米地理論における重要用語解説」完

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

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