苫米地式認定コーチ CoacH T(タケハラクニオ) ブログ

認知科学者 苫米地英人博士に学びながら九州で活動するコーチ・ヒーラー・医師 CoacH T(タケハラクニオ)ブログ

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PMThe Power of Mind

PM-01苫米地理論とは? ~抽象度と超情報場仮説

PM-01-13超情報場仮説(理論)-3

 

 この「まず先に高い抽象度で因として情報(処理)があり、その情報がより低い抽象度で果として表れ、ついには物理空間に実体として現れている」という見方が、苫米地博士が提唱する超情報場仮説(理論)が導きだす重要なポイントです。

 

「情報場」とは、情報空間における特定の座標を指す言葉です。

 

情報空間には、人間の認識の数だけ、つまり無数に情報場が存在しています。

例えば、「ラブラドールレトリーバー」に関する情報が集まっているの場が「ラブラドールの情報場」で、「犬」に関する情報が集まっている場が「犬の情報場」です。“概念の塊”と考えると理解しやすいでしょうか。

ただし、「情報場」と言う場合、写像として物理空間に現れるものまで含みます。

 

この理がわかると、働きかけはより高次の抽象度で行うことが有効なことが理解できると思います。

 

「まず高次の抽象度の情報を正しく見て、その因果関係を再構築し、下の抽象度に落とし込む」これが苫米地式のエッセンスです。

 

(つづく)

 

 

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PM-01苫米地理論とは? ~抽象度と超情報場仮説

PM-01-14超情報場仮説(理論)-4

 

 医学的な事例で考えてみましょう。

 様々な調査にて残業時間が多い人ほど睡眠時間が短いことが明らかになっています。

睡眠時間は健康と大きく関係します。よって、残業時間が多いほど健康が損なわれる可能性が高くなるといえます。

 

その長時間労働による健康被害を防止するために、2002年から産業医による過重労働面談が始まり、201512月からは従業員50名以上の全事業所にストレスチェックが義務づけられました。

ストレスチェック制度とは、「定期的に労働者のストレスの状況について検査を行い、本人にその結果を通知して自らのストレスの状況について気付きを促し、個人のメンタルヘルス不調のリスクを低減させるとともに、検査結果を集団的に分析し、職場環境の改善につなげる取り組み」(厚生労働省ホームページより引用)です。

 

ストレスチェック結果や労災認定されたケースの分析により、大変興味深い事実が浮かび上がってきました。

脳梗塞や心筋梗塞といった身体の不調は残業時間が長くなるほど増えていく傾向がありますが、メンタルヘルスの不調に関しては必ずしも残業時間と比例していないのです。

仕事にやりがいを感じている人は長時間労働でもストレスが少ない人が多く、逆にやりがいを感じていない人は残業時間が少なくても高ストレスになる傾向があることがわかりました。

 

この分析結果を、「まず先に高い抽象度で因として情報(処理)があり、その情報がより低い抽象度で果として表れ、ついには物理空間に実体として現れている」という超情報場仮説の視点で考察すると、「高い抽象度である心(マインド)の次元での情報処理により“やりがい”が生まれると、その物理的写像である身体は”いい状態”になる」ということができます。

 

もちろん、物理空間は物理法則という秩序に従いますので労働時間が長くなればそれだけ物理的ダメージは受けやすくなりますが、鍵はあくまでも情報空間にあります。

 

よって、ストレスチェック制度の結果を受けて、物理的な「職場環境の改善につなげる」ことももちろん重要ですが、それ以上に心(マインド)での情報処理を磨いていくための取り組み、すなわち「苫米地理論の理解とコーチングの実践」が重要であるといえます。

 

(つづく)

 

 

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PM-01苫米地理論とは? ~抽象度と超情報場仮説

PM-01-15超情報場仮説(理論)-5

 

私の母校である鹿児島大学医学部には心身医療科があります。じつは日本の心身医学の草分け的存在で、その誕生は九州大学に続いて第一内科(当時)に心身症グループが立ち上がった40年以上前までさかのぼります。

 

私が医学生だった1990年代前半の心身医学(心療内科)の根底にある考え方は、簡単にいうと、「心と体は強い相関関係をもつ」でした。心と体は別々のものであるという大前提のもと、心を対象とする精神科に対して、体を対象にしているのが心療内科でした。

あくまで治療および研究の対象は身体疾患である心身症です。

 

心身症は次のように定義されています。「身体疾患の中で、その発症や経過に心理社会的な因子が密接に関与し、器質的、ないし機能的障害が認められる病態をいう。ただし、神経症やうつ病など他の精神障害に伴う身体症状は除外する。」(日本心身医学会, 1991

 

 当時の私は、直感的に、この考え方は本質を外していると感じていました。それでは加持や気功でがんが消えることを説明できません。「心理社会的な因子」まで診て、「機能的障害」までを治療の対象としているのですから抽象度が高いことは間違いありませんが、とても強い違和感を覚えていました。

 

ただ、当時の私にはそれ以上突き詰めることはできませんでした。

 

 その違和感は、苫米地博士に学ぶことで解決していきました。

 当時の心身医学は、情報空間の「心」と物理空間の「体」がどこかで結びついている(専門用語でグラウンディングと表現)と考えていましたが、本当はそうではなく、「心と体」はそもそも一つのものであり、観察する抽象度の違いなのです。

情報空間では体のことを心といい、物理空間では心のことを体というということです。

 

 超情報場仮説は、「もともと認識が抽象度の高い超情報場ともいうべきところでできあがっているからこそ、より情報の抽象度の低い物理空間の諸々のものを理解識別できるのではないか」という博士のひらめきから生まれました。

 

(つづく)

 

 

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PM-01苫米地理論とは? ~抽象度と超情報場仮説

PM-01-16超情報場仮説(理論)-6

 

 超情報場仮説は、「もともと認識が抽象度の高い超情報場ともいうべきところでできあがっているからこそ、より情報の抽象度の低い物理空間の諸々のものを理解識別できるのではないか」という苫米地博士のひらめきから生まれました。

以下、博士の「人間は『心が折れる』からこそ価値がある」(PHP)から引用します。

 

引用開始

 物理空間というのは、私たちが五感で感じ取れる空間と言い換えることもできます。物理空間が対象としているのは、目で見えるもの、手で触れられるものだけです。人間は五感以外にも感じ取れるものがたくさんあるかもしれませんが、五感で感じ取れる情報だけを映し出したものが物理空間です。

 しかし私たち人間は、そのような「物理空間」ばかりでなく、もっと抽象度が高い「超情報場」を認識できているのではないか。そして、そこから抽象度の低い物理空間を見ているのではないか。それが「超情報場」という仮説です。

 具体的な例として示せば、レストランのことをレストランだとわかるのは、「物理空間」で判断しているのではなく、物理空間よりも抽象度の高い「超情報場」に「ここはレストランです」という見方ができあがっていて、それによって物理空間のレストランを認識できているのではないかと考えるのです。

 三次元の物理空間のみで「レストラン」を定義しようしても、「喫茶店」「カフェのある書店」「飲食可能な図書館」との区別はどうやっても定義し切れません。三次元の物理空間より抽象度の高い次元の「超情報場」ではレストランとその他のものが区別されていて、それによって人間はレストランを識別できているのではないかということです。

 言葉で表現しようとすると、「何となく、レストランとわかる」としかいえませんが、「超情報場」でレストランを認識しているからこそ、物理空間における「レストラン」の存在を認識できるのではないかと考えたのです。

 抽象度の次元を上げていけばいくほど、圧倒的に情報処理が効率化されます。抽象度の高い次元から抽象度の低い次元を見れば、多くの一見ランダムに見える情報を整合的に判断できます。

 たとえば、私たちは平面に描かれたイラストを見ただけでも、それが何かを判断できます。三次元の世界を知っていて圧倒的に多くの情報量を持っているので、二次元のイラストを見ても何であるか想像がつきます。

 我々は三次元の「ボール」を知っていますから、平面の丸い形を見ても、「ボールではないか」と立体物をイメージできます。しかし、もし二次元しか知らない人がいたとしたら、平面の丸い形から、とてもではありませんが立体のボールは想像できないのではないでしょうか。

 同じように、次元の高い「超情報場」で「レストラン」という認識ができあがっている人間だからこそ、物理空間の多種多様なレストランを見て、「ああ、これはレストランだ」と認識できるのではないかと理論化されるのです

引用終わり

 

 「心と体は強い相関関係をもつ」は誤りで、「心と体は同じもの」です。

物理空間を底面とする情報空間のすべての階層に同時に存在している“情報”が生命の本質であり、その存在を情報空間では「心」と呼び、物理空間では「体」と呼んでいるだけです。

 

もともと同じものなのですから、「強い相関関係をもつ」ように感じられるのはあたりまえです。「強い相関関係をもつ」ように感じられるところからもう一つ抽象度を上げることができると、今までの常識を覆す新たな世界を認識することができるようになります。

 

そのためにまずは抽象度という概念を知り、さらにもう一段上の階層から生命をみるという意識状態が重要です。

 

平面の丸い形から立体のボールを想像できるように、物理的身体から生命の本質である情報(処理)をイメージできるようになると、その高い抽象度次元で情報を書き換えることで身体を変えていくことが可能になります。

 

(つづく)

 

 

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PM-01苫米地理論とは? ~抽象度と超情報場仮説

PM-01-17超情報場仮説(理論)-7

 

...そのためにまずは抽象度という概念を知り、さらにもう一段上の階層から生命をみるという意識状態が重要です。平面の丸い形から立体のボールを想像できるように、物理的身体から生命の本質である情報(処理)をイメージできるようになると、その高い抽象度次元で情報を書き換えることで身体を変えていくことが可能になります。

 

その情報空間での書き換えとそれを物理空間に結実させる技法を、状況によりコーチングと呼んだり、ヒーリングと呼んだりしますが、本質的には同じことです。
 よって、よいコーチはよいヒーラーになれますし、よきヒーラーはよきコーチとなれます。

 

もちろん、それぞれに膨大な知識と技法の体系があり、それを習得する必要がありますので簡単なことではありません。しかし、その学びと実践の先には、低い抽象度宇宙では奇跡と思えるような現象を引き起こす力の覚醒が待っています。

 

余談ですが、苫米地博士が好きだと言いつつお酒を飲まれない姿に、「酒を飲んでIQを下げている場合か。まだまだ学ぶことはたくさんあるぜ~(笑)」という無言のメッセージを感じています。

私もいつの間にか、あれほど好きだったお酒を飲まなくなりました。高い抽象度で情報が書き換わり、その結果として物理空間での行動が変わってしまったのです。

私にとっては自然な変化でしたが、妻や親友にとっては異常に思えたようで、しばらくは「何か大きな病気を隠しているのではないか?」と本気で心配されました(苦笑)。

 

超情報場仮説については、苫米地博士の著作「思うままに夢がかなう超瞑想法」(PHP)や「認知科学への招待」(サイゾー)、苫米地ワークスDVD第一弾「超情報場仮説 ハイパーヒーリングとゴール現実化」等を御参照ください。

 

 繰り返しますが、鍵は「抽象度を上げること」です。

 

 「抽象度を上げること」には、苫米地博士御自身や博士に学ぶ私たちに共通のゴールにとっても、とてもとても大切な意味が内包されています。

 

 その意味について私の思いを述べて、この章を終わります。

 

(つづく)

 

 

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PMThe Power of Mind

PM-01苫米地理論とは? ~抽象度と超情報場仮説

PM-01-18“無敵”の意味-1

 

君の頭に浮かんだ考えや君の持ち物について

「これはじぶんのだもん、手放したくないよー」なんて、

君がしがみつかなくなるなら。

 

褒めてもらえないとか、

愛されてないとか、

約束を守ってもらえないとか、

君が「ない」に対して嘆かないなら。

 

「ある」にこだわらず、「ない」に嘆かず、

君の心は無敵とばかりにやわらかくなる。

 

 

この文章は、小池龍之介著「超訳 ブッダの言葉」(Discover)中の一節です。

最初にこの文章を目にした時、私は違和感を覚えました。「無敵」とその後の「やわらかくなる」が不釣り合いに思えたからです。

 

「君の心は無敵とばかりにやわらかくなる」「無敵とばかりにやわらかくなる」ぶつぶつ呟きながらその違和感を掘り下げていくと、私が“無敵”を「最も強いこと」と捉えていることに気がつきました。

 

“無敵”とは単純に読み下すと「敵が無いこと」です。その状態を「勝負に打ち勝ち、他人を蹴散らし打ち負かし、トップに君臨している状態」とイメージしていたのです。なので「やわらかくなる」という表現が不釣り合いに思えたのだと思います。

 

私は思わず苦笑いをしてしまいました。未だに世界を「競争」の場と捉えていることに気づいたからです。正しくは「共創」あるいは「協奏」であるはずなのに。

 

少し自己嫌悪に陥りながら、“無敵”の意味を考えてみました。

 

“無敵”とは「敵が無いこと」と読めます。対立が無いことと考えてもいいかもしれません。それはどういう状態なのでしょうか?

 

私は、“無敵”とは、競争に打ち勝って頂点に君臨している状態ではなく、その視点あるいは生きる情報次元、つまり抽象度が高いことにより対立が生じえない状態と理解しました。より「空(くう)」に近い状態です。 

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

例えば、「あなたはイヌ派ですか?ネコ派ですか?」とか「そば好き?うどん好き?」といった質問があったとします。このときに一つ抽象度を上げ、「動物派です」「麺好きです」と答えることができれば、対立の構図は無くなります。

 

しかしながら、私たちが生きるこの世界には“どうでもいい対立”が数多く存在しています。

 

(つづく)

 

 

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PM-01苫米地理論とは? ~抽象度と超情報場仮説

PM-01-19“無敵”の意味-2

 

しかしながら、私たちが生きるこの世界には“どうでもいい対立”が数多く存在しています。

 

アイルランドの国旗を御存知でしょうか?

 

アイルランドの国旗は縦に3色が配置されていて、向かって左から緑・白・オレンジ色の順に並びます。じつはその色には意味があり、左端の緑はカトリック、右端のオレンジはプロテスタント、そして真ん中の白は平和を表しています。

この国旗が象徴するように、アイルランドには対立が存在しています。

 

アイルランドで二級市民として扱われ圧政に苦しんでいたカトリック信者達は、差別の撤廃を訴え立ち上がりました。アメリカで起きていたマーチン・ルーサー・キング牧師による黒人運動に触発されて、アイルランド版公民権運動を開始したのです。

 

1972130日、北アイルランド デリーにおいて市民が行っていたデモ行進中に悲劇が起こりました。

イギリス陸軍落下傘連隊第一大隊により銃撃が行われ、14名が死亡、13名が負傷したのです。市民は全員非武装で、うち5名は背後から射撃されていました。

この事件は「血の日曜日事件」と呼ばれ、U2の「Sunday Bloody Sunday」にも歌われています。

 

どうして同じキリスト教信者なのに、同じ人間なのに、殺されなければならなかったのでしょうか?「カトリックか?プロテスタントか?」なんて“どうでもいい対立”です。

 

中東で行われている「イスラム教VSキリスト教」の戦いも“どうでもいい対立”です。一つ次元を上げて「宗教」とみれば、なんの違いもありません。

宗教の存在意義が「人を幸福にするもの」「人に安らぎを与えるもの」であるならば、戦う理由、殺し合う理由などあるはずがありません。

 

では、どうすれば思考の次元を上げ、対立をなくし、“無敵”となることができるのでしょうか?

 

(つづく)

 

 

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PM-01苫米地理論とは? ~抽象度と超情報場仮説

PM-01-20“無敵”の意味-3

 

では、どうすれば思考の次元を上げ、対立をなくし、“無敵”となることができるのでしょうか?

 

チームレベルでは“ゴールの共有”が重要です。目の前の対立に囚われないで一つ次元をあげ、ゴール(または夢)を共有するのです。  

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

例えば、医療や福祉の従事者は「病む人を救いたい」「苦痛を軽くしてあげたい」「健康でいてほしい」という思いを共有しています。その上で、「もっと人と社会に貢献したい」「さらに進化・向上したい」と願っているはずです。すでにゴールは共有しているのです。

 

ところが現実においては、病院や施設の機能低下や地域の医療崩壊につながってしまうほどの意見の衝突や対立が生じてしまいます。

その理由が抽象度や超情報場と大きく関係しています。 

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5306445.html 

先に説明したように、私たちが存在する物理空間は情報宇宙の最下層であり、最も情報量の多い階層です。

よって、抽象的な次元(高い抽象度)でゴールが共有できたとしても、物理的現実世界での具体的な話になると、情報量が多いがゆえに、途端に相違や食い違い、対立や矛盾が生まれるのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

 

ちなみに分析哲学において、この宇宙の最下層は物理空間ですが、それより下(bottom)は「矛盾」だとされています。矛盾が生じた時は、情報量が多すぎるのです。その場合、ひとつ上の抽象度に上がって議論するべきです。

 

ゴールを共有しているチームにとっては、相違や食い違い、対立も大切な縁起です。

 

現代認知科学の発展は、人間が自身の“自我”によって宇宙を認識していることを明らかにしました。私たちは目の前の世界をありのままには認識していません。必ず抜け落ちる情報があるのです。次の章で紹介いたしますが、心理学ではその抜け落ちる情報を「スコトーマ(Scotoma、心理的盲点)」と呼びます。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html 

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html 

つまり、その相違や食い違い、対立の中にこそ、個人では気がつくことができないスコトーマ、すなわち“進化・向上の種”が存在するのです。

 

高い抽象度でゴールをしっかり共有していながら、低い抽象度次元である物理的現実世界においての「相違」「食い違い」「対立」から、それぞれが気付かなかった進化・向上のきっかけを見つけることができれば、その“対立”は、やがて“無敵”へと変わります。

 

私は、世界中の人々が、本当はゴールを共有していることを確信しています。

ゴールとは「世界平和」です。「戦争と差別、そして飢餓のない世界の実現」です。

 

そして、私は信じています。

懸命に生きているが故に生じる「対立」から学び続けることで、私たちは、もっと人と社会に、そして未来に貢献できる“無敵”の存在に進化できると。

 

「第一章:苫米地理論とは? ~抽象度と超情報場仮説」完

 

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