F-033:その男、○○につき

 

 ある日曜の午後、リビングの机に無造作に置かれたファイルを眺めていました。

 

 詰め込みすぎて真ん中が膨れ上がったいびつな形のファイルには、富士山が描かれています。通称「赤富士」と呼ばれる、「富嶽三十六景 凱風快晴」です。

 それは美術館で葛飾北斎展が開催された時に、子どもに買ってあげたファイルでした。


Hokusai-fuji7(Wiki引用)

「富嶽三十六景 凱風快晴」

Wikipediaより引用

 

 そういえばちょうど最初の子が生まれた20世紀の終わり頃、アメリカのある雑誌で「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」という企画があり、北斎が日本人で唯一人ランクインしていたことを思いだしました。確か86位だったと思います。

 

 日本を代表する画家 葛飾北斎をもっと知りたくなった私は、さっそくネットで調べてみました。

 

 葛飾北斎(1760?~1849年)は、江戸時代後期の浮世絵師で、化成文化を代表する一人とされています。以下、Wikipediaより引用します。

 

 引用開始

 代表作に「富嶽三十六景」や「北斎漫画」があり、世界的にも著明な画家である。森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表した。若い時から意欲的であり、版画のほか、肉筆浮世絵にも傑出していた。しかし、北斎の絵師としての地位は「富嶽三十六景」の発表により、不動のものとなっただけでなく、風景画にも新生面を開いた。

 北斎の業績は、浮世絵の中でまさに巨大な高峰であったが、達者な描写力、速筆は「北斎漫画」の中にも見ることが可能である。さらに、読本(よみほん)・挿絵芸術に新機軸を見いだしたことや、「北斎漫画」を始めとする絵本を多数発表したこと、毛筆による形態描出に敏腕を奮ったことなどは、絵画技術の普及や庶民教育にも益するところ大であった。葛飾派の祖となり、後には、フィンセント・ファン・ゴッホなどの印象派画壇の芸術家を始め、工芸家や音楽家にも影響を与えている

 引用終わり

 

 ポイントをあげると、

 ・速筆であり、多作であった

 ・作品・作風は多種多様だった

 ・新たな取り組みに挑戦し、技術を磨き続けた

 ・その結果、同時代はもちろん次世代にも、そして他業界や国外にも強い影響を与えた

といった感じでしょうか。

 

 お気づきだと思いますが、これはコーチングマインドそのものです。

 

 ・速筆であり、多作であった

  →「止められてもやりたい」というwant toの状態が、エネルギーと創造性の源となった

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html

 

 ・作品・作風は多種多様だった

  →“現状の外”のゴールに向かってコンフォートゾーンをずらし、スコトーマを外し続けた

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

 ・新たな取り組みに挑戦し、技術を磨き続けた

  →不完全性(または空観)を理解し、「もっとできる」という確信で挑み続けた

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

 ・その結果、同時代はもちろん次世代にも、そして他業界や国外にも強い影響を与えた

  →高い抽象度のエネルギーが時空を超えて伝わっていった

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542426.html

 

 

 北斎がコーチングマインドを体得していたことを示すエビデンスは他にもあります。それは「生涯に30回改号した(名前を変えた)」「93回転居した」「たくさんの奇行の記録が残されている」等です。

 

 決して現状に留まろうとしなかった北斎はまさに“Not Normal”。そんな彼を世間の人々は冷ややかに見ていたようですが、北斎自身は全く意に介さなかったようです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html

 

 「“現状の外”に心から望むゴールがあった」からです。

 

 あらためて北斎の絵をネットで検索し眺めてみました。私は絵心はありませんが、それでも“何か”を感じます。時空を超越したエネルギーというものでしょうか。ヒーラーとしての感覚で例えるなら“気”です。

 

 「その男、コーチにつき」

「その男、ヒーラーにつき」

 

 そんな独り言をぶつぶつつぶやきながら、日曜の午後を楽しみました。

 

 最後に北斎のものとされる言葉を紹介いたします。

 非言語(絵)と言語の両方で、日本を代表する偉人のエネルギーを受け取ってください。

 

 70歳まではとるに足らず、86歳になれば腕は上達し、90歳で奥義を極め、100歳に至って神妙の域に達する。

 100歳を超えて描く一点は、一つの命を得たかのように生きたものとなろう。

 

 天が私に10年、せめてあと5年の命を与えてくれたなら、真正の画工となることができるのに。

葛飾北斎 臨終時(89歳)の言葉 

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

The_Great_Wave_off_Kanagawa(Wikiより引用)

「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

Wikipediaより引用