PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-04そもそも教育とは?-2-2)望ましい知識・技能・規範

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-2-2)望ましい知識・技能・規範

 

次に「知識」と「技能」について考えます。

 

 もうお気づきだと思いますが、この二つは抽象度の違う概念です。「知識」は情報空間にあり、「技能」は物理空間で発揮されます。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

 第二章で「スコトーマ」について説明した際に、「生みだすポイントは二つあり、一つ目が知識である」と書きました。私たちは知らないものは認識することができません。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

では、なぜ、そもそも知識がないと認識することができないのに、新たな知識を獲得することができるのでしょうか?

 

 その答えは「ゲシュタルト」と関係します。

ゲシュタルトとは「全体性をもったまとまりのある構造」です。一つ上の抽象度でより大きなゲシュタルトを作ると、未知の情報を認識することが可能となります。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html

 

 そのことは「情報」と「知識」の関係性を考えると理解しやすいかもしれません。

私たちの目の前にある情報は、脳が過去の記憶をもとに「これは重要である」と判断し、認識されます。過去の記憶にない情報は脳内のフィルターであるRASをすり抜けることはできません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

 

「詰込み型教育」と揶揄される間違った教育において詰め込まれるものはただの情報です。学ぶほど知識が増えていくように感じるかもしれませんがそれは錯覚で、じつは情報が増えていくだけなのです。

 それら大量の情報をひとまとめにして概念化した時にはじめて知識となります。

 

つまり、知識とは、大量の情報をもとに構築された概念の塊であり、「全体性をもったまとまりのある構造=ゲシュタルト」なのです。

よって、知識が増えるとは「概念の数が増えること」といえます。増えた概念が一つ上の抽象度でさらに大きな一塊の概念となっていくことが「頭がよくなること」です。

 

そして、その先に真の教育の目的である「自由」があります。

 

このように知識を増やしていくということは、抽象度の階段を駆け上がっていくことに相当します。しかしながら、その知識を実際に役立たせることができるのは、あくまでも抽象度の最下層である物理空間においてです。そのためのスキルが「技能」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

高い抽象度の知識であるほど物理空間で技能として発揮することは難しくなりますが、それができたときのインパクトは大きくなります。このように知識と技能は密接に関係します。

学問でいうと、理学と工学の関係に相当します。

 

(つづく)

 

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http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)