PMⅠ:The Power of Mind

PM-05苫米地理論で見える教育現場のスコトーマ

PM-05-03そもそも教育とは?-2-1)望ましい知識・技能・規範

 

この章(第五章)では、苫米地理論(ベチロン)で教育を考察していきます。

 

 

そもそも教育とは?-2-1)望ましい知識・技能・規範

 

 「『望ましい』の定義を誰が行っているのか?」、そして「どの時点を基準に行っているのか?」について注意が必要です。

 先程の例えでいうと、医師である親が一方的に子供たちを“いい医師”にするための「望ましい知識や技能」であってはならないということです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/9034343.html

 

「望ましい」を決める基準は、教育を受ける側の心の内にあるべきです。

親が医師である子供たちが自身の自由意志でその道を目指すと決めた後に、それを実現するための知識や技能が「望ましい」ものになるのです。はじめから「望ましい」ものが存在しているわけではありません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

 発達心理学の研究によると、子供のブリーフシステムの八~九割以上が親の影響を受けているということですので、「医師になる」という決意が本当に子どもの自由意志といえるかは微妙なところですが、だからこそ、「望ましい」を決定する基準は常に検証しなければならないのだと思います。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 「どの時点を基準に行っているのか?」というのは、すなわち「時間の流れをどのようにとらえるか」ということでもあります。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html

 

時間は未来から過去に流れています。

「親が医師→だから私も医師」という思考においては、過去から未来に時間が流れています。そのままでは、すばらしいミュージシャンや科学者、作家になることといった他の可能性が認識できなくなります。ましてや、まだ誰もやったことがない新たな何かを生みだすひらめきを得られるはずがありません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

「過去→未来」とみることの危険は、先程の奴隷マインドとも大いに関係します。その考えのままでは、既得権益の支配から逃れることは困難です。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)