Q-034:霧島市(鹿児島)医療講演会<180315> vol.4
2018年3月15日に、霧島市(鹿児島県)の病院で講演を行わせていただきました。事前にいただいていたテーマは「スピリチュアルペイン」です。
講演後書いていただいた御意見・御質問に回答いたします。
・コーチング、患者さんとの寄り添いかた(ということが印象に残った)
A:講演では「寄り添う」という言葉のイメージを感じていただきました。
「物理空間と情報空間」、「過去と未来」、そして「過去の延長(結果)としての自分と未来のスタート(原因)としての自分」といった感じで、「スピリチュアルペイン」とともに考えていただきました。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8293317.html
「患者さんとの寄り添いかた」として私がいつも意識していることは“希望”です。「希望を失わないように…」「いや、むしろもっと明るい希望をもっていただけるように…」
…そんなことを考えながら、いつも患者さんと向き合っています。希望こそが生きるためのエネルギーの源泉であり、健康を実現する力であると信じているからです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045695.html
その希望を生みだすものがゴールです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html
クライアントが自ら“現状の外”にゴールを設定することを可能とするために、苫米地式認定コーチによるパーソナルコーチングがとても有効です。その圧倒的な効果に関しては、苫米地博士によるパーソナルコーチングを半年間にわたって受けさせていただいた私自身が身をもって体験しています。
さらに認定コーチとして縁ある人々の変容を見守らせていただき、心から確信するようになりました。
繰り返しますが、コーチングの効果は圧倒的です。情報処理のシステムそのものが大きく変わることで、認識する目の前の世界そのもの(宇宙)が変わってしまいます。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html
しかしながら、通常のクライアントに行うコーチングに対して、医療・介護の現場で患者さんやその家族の方々に働きかけることは決して容易ではありません。
医療・介護現場では生老病死(四苦)の臨場感が高く、苦しみがリアルだからです。さらに「ファイト・オア・フライト」の結果、その苦しみが強化されてしまうからです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045953.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html
医療・介護現場で「寄り添うこと」は決して簡単ではありません。
だからこそ、私は“いのちの現場”にコーチングを届けたいと願っています。
・時間は未来から、現在は過去へ流れている、過去を振り返る事は時間のムダ。前を向いて、未来を向いて
・未来から現在、現在から過去へと流れているという言葉に共感した
・時間は未来から過去に向かって流れている、過去はどんどん遠ざかっていく。これから近づく未来を思うべき…この言葉がとても印象的で仕事だけでなく生活(子育て)においても意識していきたいと思いました
・過去をふり返らず未来に向かっていることを共感した
・過去にとらわれるのは時間の無駄だということ
・時間は未来から現在、過去へと流れているという所でスコトーマが外れたように思いました
A:「時間は未来から現在、現在から過去へと流れている」…この時間観の変化は、人間を束縛から解放します。
私は、パーソナルコーチングでも講演でも、まずはこの話から入るようにしています。それが理解できた瞬間から、今まで封印してきた潜在能力の開放が始まるからです。
この「時間は未来から過去へと流れている」という時間観には“つづき”があります。まずは下記のブログ記事を確認してください。今まで何度も読まれた方も、ぜひ再確認してください。
「PMⅠ-02-18:時間の流れ」http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html
…ブログ記事中で紹介している「過去、現在、未来の区別は頑固に引き続いている幻想にすぎない」というアルベルト・アインシュタイン博士の言葉は、友人の死に際して残された遺族に贈られた言葉です。
「彼はこの奇妙な世界を、私よりも少しだけ先に旅立ちました。でも、そのことには何の意味もありません。私たちのように物理学を信じる者にとって、過去、現在、未来の区別は幻想にすぎないのです。その幻想は頑固で根深いものではありますが…」
じつは、時間は流れていません。それが現代物理学の結論です。
時間は流れているのではなく、ある一瞬に過去・現在・未来が同時に存在しているのです。
驚くべきごとに、同じ発想が古い仏教用語にも垣間見えます。それは苫米地博士が座右の銘とされている「一念三千(いちねんさんぜん)」です。中国天台宗の開祖である天台大師 智顗(ちぎ)の言葉だとされています。
「一念三千」とは、「私たちの一瞬の心の中に、物理的な現象、情報的な機能すべてが入っている」という智顗の基本的な考え方を表すものです。
「三千」とは1000が3つの3000ということではありません。仏教用語では1000×1000×1000、すなわち10億もの須弥山(しゅみせん)を表現しています。須弥山はサンスクリット語Sumeru(シュメール、スメル)の音写で、世界の中心にあるという想像上の山のことです。
直径が太陽系ほどの大きな3枚の円盤が重なった上に、高さ132万kmの山(須弥山)が乗っています。これが一つの世界で「小世界」といいます。その「小世界」が1000個集まり「小千世界」。「小千世界」が1000個集まり「中千世界」。「中千世界」が1000個で「大千世界」です。それが「1000×1000×1000の10億の須弥山」という意味です。
ちなみに、世界全体の中心に存在する仏さまが大毘盧遮那如来(だいびるしゃなにょらい)です。有名な奈良の大仏は正式名を「毘盧遮那仏」といい、この壮大な華厳の世界を表す仏です。
話が逸れましたが、「一念三千」という言葉は「世界のすべて、過去・現在・未来も含めたすべてが、私たちの一瞬の心の中に入っている」ということを表現しています。
そして、これがアインシュタイン博士などの研究により明らかになった物理学の結論でもあります。
時間は流れておらず、ある一瞬に過去・現在・未来のすべてが含まれています。それがわかれば、過去も現在も未来も自由自在に書き換えられるようになります。
すべてマインド次第ということです。
(つづく)
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
Wikipediaより引用
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