PMⅠ:The Power of Mind Ⅰ
PMⅠ-04:苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ
PMⅠ-04-17:スコトーマ① 日本の医療は誰のため? 何のため?
この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。
スコトーマ① 日本の医療は誰のため? 何のため?
日本の医療は誰のためにあるのでしょうか?
…答えは、もちろん、主権者である日本国民のためです。
では、日本国民の何のために医療はあるのでしょうか?
…あたりまえのことですが、「基本的人権の保障のため」です。
日本国民には健康に暮らす権利があり、日本国には国民の健康を守る義務があります。それは日本国憲法にはっきりと記されています。第二十五条です。
日本国憲法 第三章第二十五条
「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
日本国憲法第二十五条に謳われた国民の権利とは、「生存権」すなわち「餓死しなければいい権利」ではなく、「健康で文化的な最低限の生活を実現する権利」のことです。
つまり、健康を実現するための医療や福祉は国民の権利であり、国の義務なのです。そのことを忘れ、医療費を「コスト」と捉えているところから地域医療構想がスタートしているように私には感じられます。
このような話をすると必ず反論されるのですが、私は「お金」の話をしてはいけないと主張したいのではありません。むしろ反対で、国民の人権が将来にわたってしっかりと守られるために「お金」について検討することはとても重要なことだと思っています。
なぜなら、資本主義というシステムにおいて、「お金」は国民の基本的人権を保障するための大切な道具だからです。しかし、あくまでも「お金」は道具であり、医療の目的は「人権の保障」です。
ところが、いつの間にかこの因果関係がひっくり返ってしまっています。
将来的に(道具にすぎない)「お金」が問題になるから、(本来の目的である)「人権の保障」を制限しようというように。
コーチングを学ぶうちに、なぜこのような因果関係の逆転が起こるのかが理解できるようになりました。鍵はバランスホイールです。
繰り返しますが、医療のゴールはあくまで「基本的人権の保障」です。その実現のためのファイナンスのゴールとして「お金」の話が重要になります。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html
医療など社会保障について考察する際に、本来のゴールとその達成手段としてのファイナンスのゴールをしっかりと区別して考察する感覚が重要になります。そうでなければ「金持ちにはなったが体を壊した」というよくある話が、国家単位で起こってしまうことになります。
バランスホイールをしっかり意識できたとしても、「お金」をファイナンスのゴールとして切り離すのは難しいかもしれません。「お金」は人間の本能的欲求に強く結びついているからです。
簡潔に述べると、「お金」の問題は「食べられない」という飢餓を想起させ、飢餓は「死んでしまう」につながります。
死を予期した瞬間に大脳辺縁系が優位になってしまい、IQが下がるのです。「ファイト・オア・フライト(Fight or Flight)」の状態です。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8164566.html http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8166289.html
過去の医療政策に関連して、IQが著明に下がっていたと思われる事例があります。
1995年における旧厚生省の「2025年度医療費試算」は141兆円でした。ところが、2005年に厚労省から発表された「2025年の医療費予測」は69兆円。たった10年で、なんと72兆円も下方修正されています。驚くほど予測がずれてしまったのは、IQが下がっていたからに違いありません。
もっとも、高いIQで、意図的に誤った試算を行った可能性も否定できませんが…
(つづく)
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
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