Q-030:「ゴールが先、認識が後」とは?
御質問をいただきました。ありがとうございます。
Q:「ゴールが先、認識が後」「認識したからゴールが設定できるのではなく、ゴールを設定したから認識が生まれる」という意味がよくわかりません。
A:かつて経験したエピソードです。
大雪が降ったある日、無断欠勤をされた医師がいました。翌日、私はその医師に「なぜ連絡もせず休んだのですか?」と伺いました。
その時の答えは、「ちゃんと病院に行こうとした。ところが道路が渋滞していて40分で10mしか進まなかった。先で何が起きているかはわからない。だから家に帰ったんだ」でした。
その医師は病院に辿り着くための別のルートが認識できませんでした。道(可能性)はスコトーマの中に隠れてしまったのです
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html
もし、高い抽象度で思考し時間も超えて推論することができれば、前日に「明日は大雪で出勤できないかもしれないから、泊まっちゃおうかな~」と考えることができます。実際に、その時も前日から泊まられた職員さんがいました。
当日の具体的なルートの選択だけではなく前日の行動まで含めて、選択肢はたくさんありました。ところが、その医師には他の可能世界(Possible World)が見えなかったのです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html
なぜだと思いますか?
…答えは「職業のゴールが不明瞭だから」です。働く理由があったとしても、それは「心から望むもの」「止められてもやりたいもの」ではなかったはずです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html
その結果、モチベーションが「have to」となりました。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882609.html
「have to」だと、無意識はその状態からなんとか抜け出そうとし、「とんでもない言い訳」を思いつきます。また、IQが下がることにより「ありえないミス」を繰り返します。
それを「創造的回避」といいます。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040752.html
その医師はいつも落ち着かない様子で、ちょっとしたことでものすごく怒りだすことがありました。「認知的不協和」のエネルギーをゴールに向けず、情動レベルで周囲に当たり散らすことで発散していたのです。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html
怒りがおさまった後はいつも落ち込んでいる様子でした。セルフイメージが下がり、エフィカシーがますます下がってしまったのだと思います。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html
苫米地英人博士と出会う前の話です。
今なら、言語でも、非言語でも、しっかりとサポートすることができると思いますが、当時の私はお役にたつことができませんでした。苦しそうな姿をただ見守ることしかできず、周囲も巻き込んだ悪循環を止めることができませんでした。
すべての原因は、「ゴール設定ができなかったこと」です。
「ゴールがなかったこと」、あるいは「本当のゴールではなかったこと」が誤った認識を生み、苦しみを生みだしました。
認識があってゴールが生まれるのではなく、先にゴールがあるから認識が生まれ、そしてパフォーマンスが決まる…
…それからずいぶん後の私の経験です。
ある夏の朝、いつものように通勤していると警官にとめられました。「この先にがけ崩れがあり通行できません」と。「それでは!」と別の道に変えましたが、そちらも通行止めでした。
仕方なくUターンするためにスーパーの駐車場に入ったところで、同じ職場の仲間たちに会いました。何人かは電話中です。しばらくして、病院まで無事辿り着いた職員さんがいることがわかり、どのように行けばいいかが判明しました。
ルートが見つかったのです。
教えられた道を走りながら私は考えました。
「ルートが見つかるのは病院で働くことで近づくゴールがあるからだろうか?」「そのゴールの先にあるものは何だろうか?」「そのモチベーションは本当にwant toなのだろうか?」と。
もし、ゴールが自分自身の望むものであるのならば、そこに向かう私の行動は「あたりまえ」です。
もし、ゴールが人に強制された望まないものであれば、そこに向かう私の行動は「努力」や「根性」です。
「私にとって、今、遠回りをしながらも病院に向かっている行動は『あたりまえ』なのか?それとも『努力』なのか?」
…そんなことを考えているうちに無事到着しました。
正しく設定されたゴールがあると、スコトーマが外れ、“道”が現れます。
そして、高い抽象度になるほど、“より最適化された道”が自然に見えてきます。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html
それが「ゴールが先、認識が後」「ゴールを設定したから認識が生まれる」の意味です。
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
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