Q-028:霧島市教育講演会(180124 QA vol.14

 

 2018124日(水)に霧島市(鹿児島県)で開催された「第12回学校保健研究協議会」にていただいた御質問・御意見に回答いたします(個人が特定される恐れがある場合は表現を変えています)。

 

 

・「後でブログで」認知の重要性を言いながら、ちょっと逆説的では? 少しですが宗教的感覚もあり(狂信的?)、入りにくかった

 

 A:後半部分から回答します。「宗教的な感覚」と「入りにくかった」ことは何の関係もありません。関係するように感じてしまうのは、ブリーフシステムが宗教を拒絶しているからです。あなたには宗教に関する何らかのイヤな記憶、または「have to」があるはずです。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

 同じ講演会で「宗教くさい」という別の御意見をいただきました。その言葉を生みだす無意識下の情報処理についてQ-016に書いていますので、まずはそちらからお読みください。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7554690.html

 

 では、続きです。

 前回(Q-016)は「信じきること」「まったく疑念がないこと」を、「夢をかなえる方程式:I×V=R」と関連して肯定的に述べました。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

 しかしながら、「信じきること」「まったく疑念がないこと」は夢をかなえるために重要である一方で、大変危険なものでもあります。御指摘のとおり「狂信」は危ないのです。「狂信」の意味を調べると、「冷静な判断力を失って、激しく信じ込むこと」とあります。

 重要なことは「何を信じるか?」「どのように信じるか?」であり、「冷静な判断力を保ったうえで」信じ込むことです。

 

 宗教の定義は様々ですが、それらが「全知全能の存在」を前提としているのであれば、私は宗教を否定する立場です。

釈迦が発見した縁起の思想は、「完全な存在」や「不変の存在」、カント的な表現での「アプリオリな存在」を肯定しません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

釈迦の「関係が存在を生みだす」という考え方は、「存在が関係を生みだす」という西洋的な考え方とはまったく反対です。不完全性定理および不確定性原理によりその正しさはすでに証明されています(2600年もかかったことを思うと、「やっと」と表現すべきかもしれません)。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194669.html

 

「関係が存在を生みだす」という考え方は、「だから普遍的な実体などはなく、物事は常に変わりゆき、永遠に変わらないものなどない」という考え方につながります。それを仏教では「無常」と表現します。

さらに縁起や無常を知らないこと、あるいは知っていても実行できないことを「無明」といいます。「無明」は「誤った認識作用」とも言い換えられます。

 

 つまり、「縁起を理解していないこと」が、あるいは「縁起を忘れていること」が、人を“狂信的”にするのです。

 

 多くの皆さんは次に私が何を述べたいかわかっていらっしゃると思いますが、「その対策として苫米地式コーチングがとても有効」です。

 
次に前半部分に対して回答したいと思いますが 後でブログで(笑)。

 

「逆説」とは、「ある命題から正しい推論によって導き出されているようにみえながら、結論で矛盾をはらむ命題」、あるいは「事実に反する結論であるにもかかわらず、それを導く論理的過程のうちに、その結論に反対する論拠を容易に示しがたい論法」のことです。

いずれにせよ、その理解には論理についての知識が必要です。現代の論理とは非単調論理であり、トゥールミンロジックです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6194585.html

 

このブログのメイン記事である「The Power of Mind Ⅰ」が終了した後に、トゥールミンロジックを詳しく解説するシリーズを予定しています(ちょうど原稿を書き終えました)。

そこで詳細に解説していきますので、ぜひ「認知の重要性を言いながら、ちょっと逆説的では?」という疑問の答えを見つけてください。

 

 

・ゴールを現状の外側に設定しなければいけないのはなぜ? 現状を変えることが前提ということ? 今よりもよりよく生きるため? →過去だから。これからの未来を生きるため?

 

 A:疑問が次々に湧きあがる様子が伝わってきます。日常の中では考えることがなかったはずのそんな疑問が、さらなる成長・進化のきっかけになるはずです。きっとスコトーマが次々に外れていき、まったく違った世界を認知するようになっていきますよ。楽しみですね。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

「ゴールを現状の外側に設定する」のは、すべてが過去の記憶でつくられているからです。すべてとは「自分」のことだけではなく、「自分が認識する世界」も含め“すべて”です。“現状の外”にゴールを設定しなければ、昨日のような今日を生き、今日のような明日を生き続けることになります。そのループから抜けるために“現状の外”なのです。
 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

よって、「現状を変えることが前提ということ?」はそのとおりです。

現状維持は無意識にとって楽な選択ですが、それではエネルギーも創造性も気づきも得られません。

「今よりもよりよく生きるため」ともいえますが、もっと本質的な意味で「生きるため」です。

 

ルー・タイス氏が創設したTPIとアメリカ政府機関が共同で行った研究により、「ゴールを失った人は平均18カ月で死亡している」という事実が明らかになっています。「ゴールを失った人」とは、夢を諦めた人や希望をなくした人のことです。同じことを第二次世界大戦中にナチスにより強制収容所に送られた精神科医 ヴィクトール・E・フランクルが「夜と霧」の中に書いています。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/8045695.html

 

「ゴールを失った人」とは、じつは、夢や希望をなくした人だけのことではありません。その中には「ゴールを達成した人」も含まれています。例えば、アメリカンドリームを成し遂げたような若い成功者でも平均18カ月しか生きれていないのです。新たなゴールを見つけることができなければ。

 

ゴールは生きるために必ず必要なものです。

生存や現状維持といった人間の無意識に書き込まれたゴールが人類を導いてきたといえますが、少なくとも先進国ではそのような根源的なゴールの役目は終わっています。“現状の外”に、つまり情報空間にゴールを思い描く自由を手に入れたのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4516539.html

 

「その自由を行使しないのであれば生きれないほどに人類は進化しつつある」ということができます。それが発展途上国と比較して先進国でうつ病や自殺が圧倒的に多い理由だと思います。

 

 世界トップレベルの国のはずなのに国民の幸福度が著しく低い日本にとって、ゴール設定を可能とするコーチングの重要性はとても高いものであるといえます。

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

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