PMⅠ:The Power of Mind Ⅰ
PMⅠ-04:苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ
PMⅠ-04-09:ますます緊張する医療・介護現場の福音となるもの
この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。
ますます緊張する医療・介護現場の福音となるもの
…苫米地博士は「イヤな気持ちを消す技術」(フォレスト出版)の中で、身に降りかかったイヤな体験や情動を無害化するための「情動を消し去る三つの方法」を記されています。
その方法とは、1)高い抽象度で考える、2)イヤな出来事の記憶に「うれしい・楽しい・気持ちいい・すがすがしい・誇らしい」という情動感覚を結びつける、3)脳を自己発火させる、です。
詳細は書籍で確認していただきたいのですが、その実行のための強力な方法論としてコーチングがとても有効です。
一方で、医療・福祉に携わる方々にとってもコーチングは重要になります。
もともと医療・福祉従事者は、「人の役に立ちたい」「助けたい」「救いたい」「少しでも良くなってほしい」「笑顔になってほしい」等のピュアな思いで志している人がほとんどです。
しかし、経験を積んでいく中で「老」「病」「死」が必ず訪れることを痛切に実感し、そのたびに情動が発火しやすい状態になっていきます。あるいは反対に「あきらめ」の心情になっていく場合も見受けられます。
医療・福祉従事者が情動に囚われると、ホメオスタシス同調により、患者さんやその家族はますます情動的になってしまいます。その結果、医療・福祉従事者がさらに情動的思考となり…
この悪循環により、医療・介護現場はますますキツイものに変わっていきます。
自己防衛としてはもちろん、場がますます緊張していくことを防ぐために「あきらめ」の心情になっていくケースがあるのだと思いますが、理想的な解決は「感情をなくし、死を受け入れて、淡々と働く」ということではありません。
辛いと思っていいし、悲しんでいいのです。
大切なことは、情動処理と並行して、その情動をコントロールするための「一つ上の視点」をもって働くことです。
さらに、「高次の抽象度で死を定義すること」までできれば、苦しむ患者さんやその家族に安心や安らぎを与えることが可能となります。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html
「高次の抽象度で死を定義すること」とは、「人生全体の中で死を考えること」です。それは同時に「その死までの生を定義すること」でもあります。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6193912.html
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7383761.html
さらに抽象度を上げていくと、「人類全体の一部として、個の死を捉えること」が可能になります。その境地に達することは、個人の死を超越することといえます。その詳細は「The Power of Mind Ⅱ」で考察いたします。
「高次の抽象度で死を定義し、さらに抽象度を上げていくこと」を実現するためには、やはり、「ファイト・オア・フライト」の大脳辺縁系情報処理ではなく、抽象思考を可能とする前頭前野(特に内側部)での情報処理が必要です。再度繰り返しますが、そのための強力な方法がコーチングです。
だから私は、人類にとって福音となるコーチングを医療・介護現場に届けたいと心から願っています。そして、みんなで抽象度を上げた先にあるはずの、自由、フェアネス、平和の実現を夢見ています。
(つづく)
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
コメント