PMⅠ:The Power of Mind

PM-04苫米地理論で見える医療・福祉現場のスコトーマ

PM-04-05病とは何か?

 

 この章(第四章)では、医療・福祉現場での常識や取り組みを御紹介しながら、苫米地理論で考察していきます。

 

 

病とは何か?

 

 WHO憲章に「dynamic」という言葉が加わった理由を考えると、必ずしも「病」を「健康」の正反対の概念とはとらえていないのかもしれませんが、一般的には「病」は「健康」の反対の概念として考えられています。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/7859675.html

 

したがって、「健康」を「幸福」とすると、「病」は「不幸」といえます。そこまでいわないにしても「幸福の阻害要因」ぐらいにはいえるはずです。

 

 日本語には「病気」という言葉もあります。対義語を調べると「健康」とともに「元気」という言葉があがっています。となると、「健康」=「元気」ともいえます。

WHO的には「健康」は「幸福」「満たされた状態」でしたので、「元気」とは「幸福」「満たされた状態」のことといえます。確かに、何かをきっかけに不幸を感じてしまったときには元気ではなくなりますよね。

 

しかし反対に、精神的に満たされた状態であったとしても、必ず元気は失っていきます。人は必ず年をとっていくからです。

 

「元気」は「元の気」と書きます。

生きているということは情報が(釈迦哲学でいうと縁起が)物理空間に結実しているということであり、それだけで大きなエネルギーを秘めているといえます。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html

 

気とはエネルギーと同義で、その本質は抽象度の高低差で生まれるポテンシャルエネルギー(位置エネルギー)です。

 

何らかの原因で気(エネルギー)が病んだ「病気」は、その大きなエネルギーを一時的に失った状態といえます。物理空間での身体への治療と並行して情報的な原因を解決することができれば、気(エネルギー)は本来の状態に戻ります。「元気」になるのです。

 

その「元の気」は、人生という大きな単位で働くホメオスタシスにより、20才代前半まではどんどん大きくなり、その後はゆっくりと小さくなっていきます。その変化が「老い」です。

 

つまり、老いとともに人は必ず健康を失ってしまうものであるといえます。その先にあるものが死です。

 

WHOの定義まで含めると、生きるとは「必ず老いていく中で健康、すなわち“満たされた状態”や“幸福”を失いながら、やがて死を迎えること」であり、病とは「老いて健康を失っていく過程であらわれる変化であり、幸福を阻害するもの」といえます。

 

 では、苫米地理論では「病」とはどのように考えられるでしょうか?

 

「情報が物理空間(情報空間の底面)で実体化している」という超情報場仮説で見ると、物理的身体は情報の写像であるといえるので、その身体での変化としてあらわれる「病」は情報空間から物理空間への何らかの表れといえます。自己表現ともいえます。もちろん、健康も自己表現です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5165888.html

 

違う言い方をすると、「病とは情報空間のバグ」といえ、仮観的には「何らかの機能・役割」といえます。その「バグ」や「機能・役割」は、より高次の抽象度空間(情報空間)に因があります。もちろん因は書き換えることができます。情報だからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html

 

ただし、いくら高次の抽象度で書き換えることができるとしても、病や老いを完全に覆すことは不可能です。病や老い、死といったものは物理空間上にあり、その物理空間では物理法則が強力に働いているからです。秩序を維持するために。

 

つまり、書き換え可能な情報的な因を持つものが本来の病であり、老いを原因とする書き換え困難な物理空間での変化とは分けて考えた方がいいということがいえます。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)