PMⅠ:The Power of Mind

PM-03苫米地理論との出会いと実践

PM-03-16突然の院長就任<ベチロンで考察>

 

ベチロン(苫米地理論)を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができます。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

突然の院長就任<ベチロンで考察>

 

 病気療養から奇跡のカムバックを遂げた先代の院長は、なぜ「敷居が高いと感じた」のでしょうか?

当時の私は、正直に告白すると、「そんなバカな。ありえない」と思いました。

 

「敷居が高い」という言葉は、「先方への不義理などで訪問しにくい」という意味で使われます。大病にもかかわらず、奇跡的な回復をみせ、私たちの元に帰ってきてくださった人が不義理なはずがありません。

 

「なぜ敷居が高いと感じられたのか?」は、「なぜ私たちは見えない“空気”を読んでしまうのか?」という問いとも言い換えられます。

 

答えは、私たちが目の前の世界(宇宙)をイメージでとらえているからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/4971956.html

そして、過去の情動を伴った記憶や知識を使って認識しているからです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721658.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html

 

その情報処理に介入し、自分の望むようにイメージを書き換えることは可能です。情報なのですから。

つまり情報空間では、私たちは自分のなりたいような存在になれるのです。すでにその力は手に入れています。あとはその力の使い方を学び、実践するだけです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542364.html

 

先代院長のゴールが病院のコーポレートゴールであり、私はそのゴールを共有していました。

身体的なバリアがあっても飄々(ひょうひょう)と働き続ける院長は100%want to」の状態でした。「働きたい」という強い思いが先生の力の源泉でした。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

その「働きたい」の先にあるものについては伺っていませんが、とても抽象度の高いものだったはずです。その高い抽象度のポテンシャルエネルギーが物理空間で結実し、医学的にはあり得ない回復やその状態の維持を実現したのだと思います。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

 その先代院長の姿と比べると、当時の私の姿はみじめなものでした(念のためですが、苫米地式では他人との比較はしません。スコトーマを外すためにあえて表現しました)。

 http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html

 

不幸が私のコンフォートゾーンだったのに妻と子供たちのおかげで幸福になってしまい、認知的不協和が生じ、創造的回避が働いていたのかもしれません。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040752.html

 
 
しかし、最大の理由はゴール設定に失敗していたことです。

ゴールのポイントは「心から望むものであること」「自分中心を捨て去ること」「現状の外側に設定すること」です。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html

 

院長職を継いだ後かなり元気を取り戻していましたが、しばらくはなぜそのような変化が起こったのかわかりませんでした。しかし、あるときハタと気付きました。「自分中心」でなくなっていたのです。それまでの私は「他責」であり、「自分中心」でした。それがすべての苦しみの原因でした。

 

ところが、先代院長の急逝により予期せず二代目院長となってしまったことをきっかけに、視点が「私」から「私たち」に強制的に切り替わり、抽象度が上がったのです。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html

 

結果的に、私は「自分中心」を抜けだすことになり、“無敵”に近づきました。

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5448151.html

http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615695.html

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)