PMⅠ:The Power of Mind Ⅰ
PMⅠ-03:苫米地理論との出会いと実践
PMⅠ-03-15:突然の院長就任
物理空間での言動には必ず情報空間での因があります。そして「時間の流れ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html)」を考えると、その因は未来にあるといえます。
苫米地理論を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができるようになりました。過去を自由に書き換えることができるのです。
この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。
突然の院長就任
禅道場をもつ病院に勤務することになったのは、鹿大リハ科の人事がきっかけでした。いろいろありましたが、先代の院長が目指す医療像には共感していました。
病を抱えながら誰よりも働いていた院長は、2002年7月に倒れてしまいました。
統計的には致死率90%を超える厳しい病状だったのですが、その後奇跡的な回復を遂げ、無事職場に復帰しました。その復帰の日、多くの職員が院長の姿を見ながら泣いていました。院長自身は「敷居が高いと感じた」と苦笑いをされていました。
ほとんどの職員は知らなかったはずですが、病状は決して安定しておらず、厳しい状況が続いていました。
絶対苦しかったと思うのですが、院長は飄々(ひょうひょう)と診療を続けられていました。食べられなくなると栄養補助食を手にし、歩けなくなると電動カーを利用し、白衣を着続けました。
そんな院長の姿から大きな学びを得ていましたが、当時の私はどん底にいました。
目の前の宇宙がモノクロの、薄っぺらい、虚構の世界のようにしか感じられず、生きている手ごたえが完全になくなっていました。
今思うと、かなり危ない状態でした。
2007年になると体調不良でたびたび休むようになりました。休んだ日は家族と話すこともなく、ただフトンの中で一日中過ごしました。
その年の7月8日は日曜日でした。当直のため医局にいた私のところに院長が来られ、1時間くらい話をしてくださいました。翌日、お礼を言いに行きました。会話を交わしたのは、それが最後となりました。
その翌日の7月10日、連絡をもらった私が院長室に駆け込むと、そこには白衣を着たままうつぶせに倒れている医師の姿がありました。心肺停止の状態でした。
…その後、私が院長職を継ぎました。
しばらくして(3ヶ月くらいでしょうか)、自分の心身に変化が起こっていることに気がつきました。あんなに気力を失っていたのに、あんなに生きることが苦しかったのに、あんなに世界が色あせて見えていたのに、いつの間にか立ち直りかけていたのです。
体はきつかったし、「院長」という言葉に押し潰されそうな感覚もありました。
でも、死んでしまいたいという思いは、もう感じなくなっていました。
(つづく)
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
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