PMThe Power of Mind

PM-03苫米地理論との出会いと実践

PM-03-07鹿児島大学医学部を目指して

 

物理空間での言動には必ず情報空間での因があります。そして「時間の流れ(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6542317.html)」を考えると、その因は未来にあるといえます。

苫米地理論を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができるようになりました。過去を自由に書き換えることができるのです。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

鹿児島大学医学部を目指して

 

 高校三年の秋、進路指導での出来事です。

私は、地元の鹿児島大学医学部だけを受験するつもりでした。

 

担任は、コーチングを学んだ今振り返っても素晴らしい教師といえる方でしたが、はっきりと「君には無理だ」と言い放ちました。「大分医科大なら通るから、大分に行きなさい」と助言していただきましたが、入学後の学費や生活費のことを考えると地元以外の選択肢はありませんでした。

鹿大にしか行かないこと(本当は「いけない」でしたが)を告げると、「それなら工学部に行け」と言われました。

 

「君は鹿大の医学部には通らない。鹿大にこだわるなら工学部を受けなさい」と言われ続けた私は、三学期はほとんど学校に行きませんでした。

最初はわざと行かなかったのですが、徐々に、本当に行けなくなりました。発熱と腹痛に悩まされるようになったのです。

 

 酒浸りで膵臓を壊していた父を診てくださった医師に診察していただき、「体はストレスの影響を強く受けること」「身体の検査も重要だが、それで問題がなければ“安心”が一番の治療となること」「体調が悪くなっても自分を責めなくてよいこと」などを優しく教えていただきました。「医師になったら僕が講師を務める医局においで。一緒に働こう」とも言っていただきました。

 

現役合格はできませんでしたが、一浪の後、鹿児島大学医学部に合格しました。合格発表の後、その医師からお祝いの電話をいただき、後日万年筆もいただきました。

 

御礼と弟子入りのお願いをしようと御自宅に伺いましたが、残念ながらその医師はお亡くなりになっていました。奥様に伺った話では、体調を崩し自宅療養していたその先生は、病床から私に電話をしてくださったということでした。

 

御自分の体調がすぐれないのに最後まで私への配慮を欠かさなかったその医師は、それ以上に御家族や患者さん、医療に携わる仲間のことを思い続けていらっしゃったはずです。

先生のその姿、その思いは、私の医師としての原点となりました。

 

 医師国家試験合格後だったかもしれませんが、最福寺の池口恵観先生からも万年筆をいただきました。私の名と恵観先生の名が刻まれたその万年筆は、今も白衣の胸ポケットにあります(インクは入っていませんが)。

「がんを消し難病を治す加持の力を解明したい」という初心を忘れないためです。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)