PMThe Power of Mind

PM-03苫米地理論との出会いと実践

PM-03-02死が身近だった幼少時代の闇<ベチロンで考察>

 

ベチロン(苫米地理論)を学んだ今は、過去のつらい思い出も未来でのゴール達成の大切な「縁起(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353044.html)」として解釈することができます。

この章(第三章)では私の経験を紹介し、苫米地理論で考察します。

 

 

死が身近だった幼少時代の闇<ベチロンで考察>

 

両親がギャンブル依存だったのは現実から逃避したかったからです。

なぜ現実から逃避したかったのかというと、生きることが「have to」だったからです。「have to」だった理由は、「ゴール(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5615935.html)」がうまく設定できていなかったことに尽きます。

 

父は鹿児島大学を卒業していましたが、いつも劣等感に苦しんでいるようでした。他人と自分を比較し、「俺が上だ」と言っては自慢し、自慢できないときは酒を飲み暴れていました。「エフィカシー(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5616012.html)」が低かったのです。その大前提として、心から望むゴールがなかったのです。

 

その劣等感が低い「コンフォートゾーン(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040892.html)」をつくりました。だから、息子が勉強をすると本気で怒ったのだと思います。「勉強などしたら、俺より偉くなってしまうだろう!」という「ドリームキラー(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040935.html)」の誕生です。

 

戦後の混乱期を母親一人に育てられた父と違って、母は裕福な家庭に育ちました(私を愛してくれた祖父母です)。その母と祖父母の「裕福コンフォートゾーン」が父を苦しめました。父自身の「貧乏コンフォートゾーン」とのギャップが「認知的不協和(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882652.html)」を生みだしたのだと思います。

 

コーチとの縁がありゴールが設定できていれば、きっと父は認知的不協和をエネルギーとし、その能力を存分に発揮できたでしょう。しかし、そのエネルギーは「裕福コンフォートゾーン」の破壊に向かいました。その結果、その象徴である(と父が無意識で感じていた)母を傷つけたのだと思います。

 

母も死にたいくらい苦しかったのであれば、その環境から抜け出すことができたはずです。しかし、母は行動を起こしませんでした。いつの間にか父のコンフォートゾーンと同調していたのだと思います。

明らかなDVがあるのに逃げだせないこの心理は、ブラック企業を辞めずに自殺してしまう現代社会の病理にも通じています。悲劇的な社会的問題を解決するためにも、コーチングが広がっていくことが望まれます。

 

私にとってはつらい幼少期でしたが、勉強に関してはラッキーでした。「プッシュ・プッシュバック(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5882703.html)」が働いたからです。厳しく勉強を禁じられたので、その反動で強く知識を求めるようになりました。

 

また、命の危険を感じるほど禁じられたので、巧妙に隠れて、効率的に勉強するようになりました。「創造的回避(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6040752.html)」です。

 

この「ブリーフシステム(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721531.html)」は今でも強力に残っています。勉強しているところを見られると、それが家族であったとしても、「しまった!」と一瞬すくんでしまいます。

子供たちの目につくようにあえてオープンスペースに書斎をかまえていますが、今でもつい隠れて勉強してしまうので、子供たちは私の勉強(学習)に対する本気を知らないはずです。

 

(つづく)

 

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)