Q-005171117研修会アンケート回答編 vol.3

 

 霧島市(鹿児島県)で開催したコーチングをテーマとした研修会に、たくさんの保健師・看護師さんに御参加いただきました。御意見や御質問の一部に回答いたします。個人が特定されそうなもの等は除いていますので御了承ください。

 

 

・ゲシュタルト療法について深めたい想いがありますが、コーチングとの位置づけなどはどうなのかなと思います。「短時間で相手の真意をつかめたら」と日常お話を聞く中で感じています

A:ゲシュタルト(Gestalt)とは、形態を意味するドイツ語で、「全体を持ったまとまりのある構造」のことです。全体と部分の双方向性で成り立ち、一つの統合的意味を持つまとまりです。前回(Q-004)の三つ目の御意見への私の回答を御参照ください。

以下、日本ゲシュタルト療法学会のHPから引用します。

ゲシュタルト療法は、他者との、あるいはコミュニティでの、そして環境全般とのコンタクト(接触)を改善するというゴールをもった、プロセス的、関係的(relational)心理療法です。ゲシュタルトセラピーは、内省よりもクライエントの動的な気づきを強調した、活動的な援助の方法です。それは、クライエントの病気や病理よりも成長により焦点を当てている点で、核心的かつユニークです。私たちが焦点を当てるのは、現在進行中の、そしてライフサイクル全てを通しての成長、成熟における創造的調整(creative adjustment )とその促進です。ゲシュタルトはドイツ語で「良い形(good form)」あるいは「豊かな全体性(plump wholeness)」という意味です。
 私たちが目指すところは、環境の中にいる生体機能(organismic function)としての気づきを高めることです。ゲシュタルトセラピストのトレーニングは、気づきや創造性を妨げるものに焦点を当てます。妨げるものを取り除き、自分の自我をクライエントと向き合うための道具として活用する道を拓くために、ゲシュタルトセラピストのための個人セラピーは不可欠と考えられています。
(アンセル・ウォルト Ansel Woldt Ed.D

引用終わり

私はゲシュタルト療法についてはよく知りませんが、「クライアントの動的な気づきを強調した、活動的な援助の方法」という点は似ていると思います。「気づき」とはスコトーマが外れることで、その多くは抽象度が上がることで実現します。「抽象度が上がること」と「より大きなゲシュタルトをつくること」は本質的には同じことです。

「自分の“自我”をクライアントと向き合うための道具として活用する」は、苫米地式コーチングとの大きな相違点です(仮観としての“道具”なら理解できますが)。

苫米地式では「自我は空(くう)である」ことを前提としています。コーチング自体も釈迦哲学における縁起をベースとしています。その詳細は苫米地博士の著作「もうこれ以上、人間関係で悩まない極意」(TAC出版)に詳しくまとめられています。

国のリーダーが縁起を理解すればこの世から戦争はなくなります。身近なリーダーたちが縁起を実践すればイザコザや差別はなくなります。この本は全人類が読むべき名著ですので、ぜひ確認してください。

 

 

・本当のコーチングを知りたい

A:まずは自ら体験することをお勧めします。本物のコーチは苫米地式コーチングのホームページ(http://tomabechicoaching.jp/)で検索することができます。

「本当のコーチング」かどうかの見極めのポイントを一つアドバイスいたします。ゴール設定の最大のポイントは「ゴールは“現状の外”」です。

コーチングを申し込む前にコーチ自身のゴールが“現状の外”かどうかを確認してください(ドリームキラー対策として、本当のゴールは話さないかもしれませんが)。本物のコーチは“現状の外”にゴールを更新し続け、かつそれが達成しているかのように振る舞います。本気で。

傍から見ると「変わった人」や「危ない人」、あるいは「胡散臭い人」に思えるようです。

さらに、一般の方々が共有しているコンフォートゾーンを大きく超えたところで生きていますので、ひどい誹謗中傷を浴びているはずです。

バッシングを受けながらもまったく気にせず爆進する「変わった人」ならば、その人は本物のコーチの可能性が高く、その人が行うコーチングは本物のはずです。

 

 

・「情報を変えれば物理が変わる」という言葉が難しかったです

A:「解釈が変わる」と考えるとわかりやすいのではないでしょうか。

例えば、研修会のときに使用した絵。私が情報場を操作したことで、あなたが認識する絵は「風景画」から「トリックアート」に変わったはずです。それが「情報を変えれば物理が変わる」ということです。

 もし、「いやいや、解釈は変わったけど同じ絵であることは変わらない(物理は変わっていない)」と感じるのであれば、機械論や物心二元論といった昔のパラダイムに囚われています。ニュートンなどの科学雑誌で十分ですので、量子論(超ひも理論など)を学んでみてください。確定的にあると感じていた物理的な存在も、じつは情報にすぎないことが理解できるはずです。

 わかりやすいように「情報を変えれば物理が変わる」という言い回しを使いますが、その物理も情報です。抽象度の違いに過ぎません。

よって、上の抽象度の階層で情報が変われば物理が変わるのはあたりまえです。同じものの抽象度の違いなのだから。ただし、物理空間という情報空間の底面には物理法則という秩序が強力に働いていますので、それを超えるような変化は生じません。

例えば、物理的なモノを消し去るような技は100%マジックです。がんは物理空間にあらわれた生命現象(情報処理)の写像です。基本的には情報操作で消すことが可能です(必ず消せるという意味ではありません)。そこには明確な境界線が存在します。

医師が集まった宴会で「気功で目の前のコップが動くのを見た」と伺ったことがありますが、それはトリックです。しかし、対象がコップではなく人であれば動かすことは可能です。私も原稿を書かせてもらった「自分のリミッターをはずす! 完全版 変性意識入門」(ビジネス社)にその基本が書かれていますので、ぜひ確認してください。

 …20世紀になりやっと明らかになってきた宇宙の構造や生命の不思議について、釈迦は2600年前にすでに解き明かしていました。それを、さらにわかりやすく理論化しているのが、苫米地博士が提唱する超情報場仮説(理論)です。

 

(つづく)

 

苫米地式認定コーチ                        

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

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