F-009:本物の“向上心”、本当の“上から目線”
「Q-002(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5349161.html)」で、ルー・タイス氏の“向上心”に触れました。そのブログ記事に対してコメントをいただきました。ありがとうございます。
コメントをくださった方はしっかりと理解されていましたが、私がいう“向上心”は一般のものとは違います。
一般的な向上心とは、誤解を恐れずに表現すれば、「『この世はリアルである』という見方を前提とした上での煩悩を満たすためのもの」です。
「お金は多いほどいい」「自分だけ良ければいい」といった私利私欲レベルはもちろん、「資格を取れば安心」「安定しているから公務員がいい」等の発言にみられる不安や恐怖の回避なども含みます。
それらはすべて「低い抽象度の階層での煩悩を満たすもの」です。
脳の話でいえば大脳辺縁系での情報処理です。
低い抽象度(http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html)にとどまってしまう原因は、「煩悩を肯定している」からです。
煩悩の肯定は「目の前の世界をリアルであると考える誤った認識作用」の結果として生じています。
その誤った認識は、「スコトーマ(心理的盲点)が外せないこと」が原因でおこります。
スコトーマが外せないのは、1)知識がない(そもそも知らない)、2)重要でない(おかしいと思わない)、3)役割がない(スコトーマを外す理由がない)です。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5721610.html
釈迦哲学では、その状態を「無明(むみょう)」と表現します。
そんな「低い抽象度の煩悩を満たすだけの向上心」とは対照的に、タイス氏の“向上心”は「世界を平和にしたい」「飢えや貧困をなくしたい」という「高い抽象度の願望」から生まれています。
脳の話でいえば前頭前野内側部での情報処理です。
その高い抽象度の世界の「さらに上に向かいたい」と願う志こそが本物の“向上心”だと、私は思っています。
“上”とは「さらに抽象度の高い世界」です。
そして、その先にあるのは大乗仏教でいう「空(くう)」です。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/6353367.html
…医療従事者が集まったとある会合で、突然、酔いのまわった先輩医師に「先生~、すいませんね~。いつも上から目線で~」と謝罪され驚いたことがあります。
一般的な「上から目線」とは、「ある基準の存在を前提とした(その基準上の)上から下への見下し」であり、そこに滲むのは差別意識です。上に行けば行くほど分別(あるものを他のものから分け隔てること)が強まっていきます。
それに対して、本来の釈迦の教えであり、タイス氏が求めた“上”とは「さらに抽象度の高い世界」であり、上に行けば行くほど無分別(分け隔てをしないこと)になっていきます。
本当の“上から目線”とは、そういうもの(無分別)であるはずです。
「The Power of Mind Ⅰ」第一章の結びにある“無敵”とは、そんな抽象度の上に向かうという“向上心”により実現するものです。アイルランドの紛争を目の前で解決に導いたルー・タイス氏の存在がまさに“無敵”の象徴です。
ルー・タイス氏が起こし、そして後を引き継ぐ苫米地英人博士や認定コーチ達が興すコーチングを、“向上心”をもって学び、実践する者は、その“無敵”を受け継いでいます。
私自身はもちろん、このブログを読んでくださる皆さんが、ますます本物の“向上心”をもって日々を生き、さらに本当の“上から目線”で物事を考えることができるようになるたびに、世界は確実に平和に近づいています。
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http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/5446097.html
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
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