PMⅠ:The Power of Mind Ⅰ
PMⅠ-01:苫米地理論とは? ~抽象度と超情報場仮説
PMⅠ-01-18:“無敵”の意味-1
君の頭に浮かんだ考えや君の持ち物について
「これはじぶんのだもん、手放したくないよー」なんて、
君がしがみつかなくなるなら。
褒めてもらえないとか、
愛されてないとか、
約束を守ってもらえないとか、
君が「ない」に対して嘆かないなら。
「ある」にこだわらず、「ない」に嘆かず、
君の心は無敵とばかりにやわらかくなる。
この文章は、小池龍之介著「超訳 ブッダの言葉」(Discover)中の一節です。
最初にこの文章を目にした時、私は違和感を覚えました。「無敵」とその後の「やわらかくなる」が不釣り合いに思えたからです。
「君の心は無敵とばかりにやわらかくなる」「無敵とばかりにやわらかくなる」…ぶつぶつ呟きながらその違和感を掘り下げていくと、私が“無敵”を「最も強いこと」と捉えていることに気がつきました。
“無敵”とは単純に読み下すと「敵が無いこと」です。その状態を「勝負に打ち勝ち、他人を蹴散らし打ち負かし、トップに君臨している状態」とイメージしていたのです。なので「やわらかくなる」という表現が不釣り合いに思えたのだと思います。
私は思わず苦笑いをしてしまいました。未だに世界を「競争」の場と捉えていることに気づいたからです。正しくは「共創」あるいは「協奏」であるはずなのに。
少し自己嫌悪に陥りながら、“無敵”の意味を考えてみました。
“無敵”とは「敵が無いこと」と読めます。対立が無いことと考えてもいいかもしれません。それはどういう状態なのでしょうか?
…私は、“無敵”とは、競争に打ち勝って頂点に君臨している状態ではなく、その視点あるいは生きる情報次元、つまり抽象度が高いことにより対立が生じえない状態と理解しました。より「空(くう)」に近い状態です。
http://blog.livedoor.jp/coachfor_m2/archives/cat_123517.html
例えば、「あなたはイヌ派ですか?ネコ派ですか?」とか「そば好き?うどん好き?」といった質問があったとします。このときに一つ抽象度を上げ、「動物派です」「麺好きです」と答えることができれば、対立の構図は無くなります。
しかしながら、私たちが生きるこの世界には“どうでもいい対立”が数多く存在しています。
(つづく)
苫米地式認定コーチ
苫米地式認定マスターヒーラー
CoacH T(タケハラクニオ)
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