F-459Self Control version 3.0.0shared-high-TCZ

 

 

  なぜ「Self Control」という言葉がこんなにも胸に響くのだろう?

 

 コーチングを学ぶ前の私は、そんなことをよく考えました。

 Q-452:コーチングの対象が自分であってもvol.1;コーチングは「自問自答」>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/37854944.html

 

 今春(2026年)、ある御縁により、再び「Self Control」について考えました。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html

 

 昔と違うのは、今の私には基盤“があること。その”基盤“を意識に上げながら、40年前の「自問」に対して、コーチとして「自答」します。

 

 version 0.0.0;情動

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/38478473.html

 version 0.2.0;認知

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/38498875.html

 version 1.0.0TCZ

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/38519459.html

 version 2.0.0shared-low-TCZ

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/38539691.html

 version 3.0.0shared-high-TCZ

 

 

今の私が40年前の“自分”に伝授するSelf Control version 2.0.0>」は なるべく多くの人たちと「うれしい」「楽しい」「気持ちがいい」「すがすがしい」「誇らしい」といったTCZを共有すること

 

 苫米地博士は、著書「近未来のブッダ 21世紀を導くリーダーの鉄則」(サンガ、p153)の中で、「現代の慈悲の指標となる五つのプラス感情」を挙げられています。その「プラス感情」が「うれしい」「楽しい」「気持ちがいい」「すがすがしい」「誇らしい」。

 F-209:マトリックス/Matrix -04Resurrections;慈悲的人類の進化>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/27122988.html

 

 

近未来のブッダ

 

 

 「現代的・大乗的コンパッションは、『一緒に、嬉しい・楽しい・気持ちいい・清々しい・誇らしい』でいいのです」と語られる苫米地博士は、このような条件をつけられています(p154)↓

 

 

 ただし、一緒に楽しんだり誇らしくなったりして幸せになる主体は、つねに相手・自分以外です。コンパッションの「conm)」は相手が主体であって自分が主体ではありません。自分が楽しいことが隣の人の楽しいことである保証はどこにもないので、そこは自分の抽象度を一つあげて見極めないといけません。

 

 

 この「自分の抽象度を一つあげて見極める」ことが、「定理2」から「定理3」への移動、すなわち「共有TCZshared-TCZ)」をlowからhighへ引き上げるための鍵だといえます。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html

 

 

  自分の抽象度を一つあげて見極める

 

 

 これは努力することではなく、もともと生命に組み込まれているプログラムです。それを博士は「生命現象はエントロピー縮小系」と表現されています↓

 F-440:風になりたい <vol.4;“自分”をさらなる高次元に導く縁起>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/38179659.html

 

 

DrT神奈川大講演-12

神奈川大学情報学部開設記念シンポジウム(2023523日)より引用

基礎科学としての情報〜エントロピーと生命、超次元複雑性と生成AIの未来と私達 Dr.苫米地 (2023年5月20日) - YouTube

 

 

 つまり、「人間(生命)は、最高抽象度の束(lattice)のトップに向かっている」。そのトップが「空(くう)」です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353367.html

 

DrT神奈川大講演-05

神奈川大学情報学部開設記念シンポジウム(2023523日)より引用

基礎科学としての情報〜エントロピーと生命、超次元複雑性と生成AIの未来と私達 Dr.苫米地 (2023年5月20日) - YouTube

 

 

 「最高抽象度の束(lattice)のトップに向かっている」をわかりやすく言い換えると利他性(altruism

 

 余談ですが、苫米地博士は「抽象度」というカテゴリーについて、「すべてのカテゴリー・ゴールについて利他性を確認していく、ある意味セルフ・コーチのような役目」と書かれています↓

 Q-461:「この世をよくしたいならvol.5;カテゴリー・ゴール「抽象度」>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/38005381.html

 

 最高抽象度の束(lattice)のトップに、つまり空に向かっている過程で、どんどん「自」と「他」の区別はなくなっていきます。子どもの頃に真言宗のお寺に通っていた私の体感でいうと大日如来と合一していく」という感覚。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6854577.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/7031387.html

 

 

  大日如来と合一していく

 

 

 すると、差別がまったくないクリアな意識状態で、しっかり区別することができるようになっていきます。

 PM-06-13:仮説08)はびこる差別意識

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14249741.html

 

 それが「即身成仏」の感覚であるはず。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6542317.html

 

 コーチングのフレームでいうなら、「最高次元のゴール可能世界wh」に対してハイパーホメオスタシスが働いている感覚。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831660.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4971818.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4971956.html

 

 「潜在ポテンシャル統一理論」でいうなら、「認知の束における最小上界への上昇」=利他性の感覚です↓

 https://tomabechi.jp/TomabechiNDUpaperJApublic.pdf

 https://tomabechi.jp/TomabechiSlidesSCJA20260422.pdf

 

 以下、苫米地博士の書籍「お釈迦様の脳科学 釈迦の教えを先端脳科学者はどう解くか?」(小学館、p164)より引用します。

 

 

釈迦には「自力」も「他力」もない

では、密教と顕教のどちらが本質的に仏教的なのでしょう。これは、どちらとも言い難い問題です。このことは、「他力」と「自力」の違いに置き換えて考えるとわかりやすいかもしれません。

今でも「釈迦は他力であって自力じゃない」と言う人と、「自力であって他力じゃない」と言う人がいます。簡単に言うと、個人の努力(修行)によって悟ろうとするのが自力です。出家主義の宗教にその傾向が強いです。上座部や日本の禅宗は、どちらかと言うと自力の仏教です。

一方、他力を重視したのが浄土宗や浄土真宗です。阿弥陀仏(阿弥陀如来)の力によって死後浄土に行くことができる、というのが他力本願思想です。浄土宗の法然は、「南無阿弥陀仏」という念仏をたくさん唱えれば、極楽往生できると説きました。「南無」とは、帰依する、信じるという意味です。しかし、何百万回も念仏を唱える行為は努力を伴うので、自力になってしまいます。そこで浄土真宗を開いた親鸞は、念仏は1回唱えればいいし唱えなくてもいいという絶対他力を説きます。親鸞の教えは「信じるものは救われる」というキリスト教の思想に近いのです。悪人正機を説いた親鸞は「煩悩にまみれた悪人こそ救われる」、イエスは「神を信じれば娼婦も天国に行ける」と似たようなことを語っています。これらはまさに他力の発想です。

しかし釈迦はその神を否定した人です。人を救ったり悟らせるような神はいないと言っているのですから、本来、他力本願は仏教になりえません。さらに、誰もが極楽往生できるという思想は、「この世で生きることが苦しい」もしくは「死んだ後どこに行くかわからないので恐ろしい」という民衆の心の救いにはなりこそすれ、釈迦の「この世もあの世も、すべては幻である」という教えとはかけ離れています。

では、釈迦の教えは「自力」でしょうか。釈迦は自力も否定しています。まず釈迦は苦行を否定しました。どこまでを苦行と定義するかは議論があるかと思いますが、長時間足の痛みを感じながら座る座禅であったり、断食をして不眠不休で修行するレベルとなれば苦行の要素がかなり強いでしょう。

しかし、座禅は自力的な修行ですが、そもそもその人が座禅という修行方法を知ったのは、他の誰かによるものでしょうから、完全な自力はありえないと考えることもできます。

ほとんどの宗教では、「自力」と「他力」が混在しています。バラモン教は神さまがいるという意味では他力ですが、数々の修行方法は自力です。道教も仙人になる修行方法が伝えられるなど本質的には自力ですが、タオ(道)という陰陽道の真理を信仰するので他力の要素があります。

釈迦は他力の元にある神を否定しているのに、自力は間違っていると言っているわけです。それが仏教の面白いところで、これだけ聞くと、「いったいどうすりゃいいの?」と混乱することでしょう。

その答えは簡単で、釈迦の教えは「自と他の差はない」と知ることなのです。それが悟りの境地です。自と他は同じものだから。自力も他力もありません。それぞれの宗派の言っていることが矛盾しているように聞こえるだけで、釈迦は終始一貫矛盾していないのです。

単なる絶対他力の思想では、阿弥陀仏と自分は違う存在となります。自分と阿弥陀仏が同じである、と考えるのが釈迦です。もちろん、神としての阿弥陀仏は釈迦は否定するでしょうが、自分を悟りに導いてくれる存在と自分の間に違いはないのです。自でもなく他でもない。自は他であって、他は自である。宇宙と自分は同じ、というのが釈迦の教えです。

密教も他力とするか自力とするかは微妙です。普通の密教はバラモン教と同じように、苦しい修行をして自分が解脱する、という発想ですから自力の宗教に思えます。しかし、真言密教は本質的には他力の宗教です。真言密教は、他力の加持の方法論として自分の身体を使っておこないます。身口意、つまり身体と口と意識でムドラー(印)を結びます。身体で大日如来の格好をして、口で大日如来のマントラ(呪文)を唱え、心の中で大日如来をイメージする。そうすると自分が大日如来と合一していく。修行を重視する点では、伝統的に自力の宗教ですが、最後は大日如来を信仰しているのですから他力の宗教と言えるのです。空海の教えによれば、自力の宗教ではなく絶対他力の宗教であり、真言宗は浄土真宗に近く、バラモン教的な自力からは逸脱しています。自でもあり他でもある。だから、釈迦の仏教であると本質的に言えるのです。

顕教は、空海が密教の立場から作った言葉ですが、一般に大乗仏教は、一般大衆を救うという思想がありますから、他力の概念が強いのです。ただし、他力を強調すると神を信奉する宗教になってしまいます。

いずれにせよ、「自と他の差はない」のですから、現代的に仏教を解釈するなら、他力、自力と言った言葉は忘れてしまってかまいません。

 引用おわり

 

 

 自分を悟りに導いてくれる存在と自分の間に違いはないのです。自でもなく他でもない。自は他であって、他は自である。宇宙と自分は同じ、というのが釈迦の教えです

 

 それがLUBLeast Upper Bound)の感覚。

LUBとは、「相手と自分が感じている臨場感抽象度の、いちばん低いところ」のこと。日本語では「最小上界」です。

 Q-495:初めて<実践編-4w1からw2… whへのメッセージアンサンブル -応用編-

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/38534042.html

 

 

真言密教は、他力の加持の方法論としての自分の身体を使っておこないます。身口意、つまり身体と口と意識でムドラー(印)を結びます。身体で大日如来の格好をして、口で大日如来のマントラ(呪文)を唱え、心の中で大日如来をイメージする。そうすると自分が大日如来と合一していく。修行を重視する点では、伝統的に自力の宗教ですが、最後は大日如来を信仰しているのですから他力の宗教と言えるのです

 

 …LUBの体感を保ちながら、すでにゴール側の可能世界whにいるかのように振る舞い<身>、セルフトークのコントロールをしながら<口>、whを臨場感豊かにイメージ(ビジュアライゼーション)し続ける<意>。

 Q-276~:セルフトークのマネジメントについて

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_421937.html

 

 *「ビジュアライゼーション」はこちら↓

 F-253Corona Panicに打ち克つ ~ビジュアライゼーションによるゴール達成法~

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/29357204.html

 

 そのようなコーチングは他力。

 「大日如来と合一していく」というのは、「wh側にホメオスタシス・フィードバックが働く」ということ。そして、「ゴール側にふさわしい自我に書き換わる」ということ。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353425.html

 

 ゴールのポイント 1)現状の外、2)心から望む、3)人生のあらゆる領域(バランスホイール)、4)自分中心を捨て去る と重ねていうと、拡大・拡張を重ねる“自分”がTCZ化するということ。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html

 

 その「可能世界wh =自我 =TCZshared-high-TCZ)」という意識状態を保つことが、今の私が40年前の“自分”に伝授する「Self Control version 3.0.0>」です

 

F-460につづく)

 

 

CoacHing4M2 EDGE        

 竹原邦雄 / CoacH T   

 

 

 

-追記-

 *前々回と同じ問いかけです。以前とはすいぶん違って感じられませんか?

 

 「Self Control」は、「TM NETWORK」(現在はスペースなしの「TMNETWORK」)の9枚目のシングル曲(19872月発売)↓

 TM NETWORK「Self Control (方舟に曳かれて)」Music Video

 

 その中にこんな歌詞があります

 

  自由のナイフで とらわれた心を

  粉々にするさ バラバラするさ

  

  おもいきり泣いて おもいきり笑って

  君をとりもどせ 夢をとりもどせ

 

 “あの頃”を思い出しながら聴いていたら、曲をきっかけに思い描くイメージが昔とはまったく異なることに気がつきました。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6542364.html

 

 「自由のナイフ」で「粉々」「バラバラ」にする「とらわれた心」とは何のことでしょう?

 とりもどす「」「」とは何なのでしょう?

 

 

-告知1

 私の意図は「縁起の力により、ゴール側の世界(未来)を創り、ゴールに向かってブーストしていく!」

 L-258202212… -07;「ゴール間の縁起の力」「メンバー間の縁起の力」

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/38385551.html

 

 コーチとしての活動を大幅に見直しました。

 

202682日(日)に「コーチング説明会&セミナー<260802>」を開催します↓

I-157:【告知】「コーチング説明会&セミナー<260802>」開催の御案内

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/38524753.html

 

 

-告知2

 クラブ活動を行っています。その名は「コーチング・デ・コンパッションクラブ」。

一緒に楽しみましょう!

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_418055.html

 

 

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