L-232:2022年09月シークレットレクチャー -07;コーチングの実践は実戦
2022年9月にコーチ向けのレクチャーを行いました。守秘義務を結んだ上で行う全3回の講義の3回目。全体を通してのメインテーマは「信」。目指すのは「決して過信はせずに、しっかり確信する」という意識状態の体得です。
*初回(2022年7月)の講義はこちら↓
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_431139.html
*2回目(2022年8月)の講義はこちら↓
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_431365.html
当日の講義内容をブログ用に再構成してお届けします。
リラックスを深めながら、気楽にお読みください。
01;鍵となるのは「絶対他力」
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/37539518.html
02;「ア・プリオリ」から始まる堕落と洗脳 ←その根底にあるもの
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/37564658.html
03;生と死の間を輝かせる縁起
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/37577854.html
04;自我関数から導きだされる縁起
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/37603992.html
05;コーチングは「客観」 …その理由は?
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/37613554.html
06;コーチが黙っているからこそ起こること
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/37640576.html
07;コーチングの実践は実戦
新たな「エフィカシー関数」をつくりながら、「自分で自我関数pを変え始める」
…それがコーチング中に起こること。「コーチが黙っているからこそ起こる」ことです。
Q-448:未来において「被害者」… <補足;「自我関数→エフィカシー関数」×超楽観>
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/37503636.html
そのためにはコーチに対する信頼が必要なのは言うまでもありません。ところが、その「信頼」が曲者。私たちは「決して過信はせずに、しっかり確信する」という意識状態をうまく保つ必要があります。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6542364.html
「自由意思で想像するゴール側の可能世界w2をしっかり創造する」ために。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html
ところで、「民、信なくんば立たず (民無信不立)」という言葉をご存じでしょうか?
…これは「論語(顔淵第十二)」に記載されている孔子の言葉です。
あるとき子貢という弟子が政治の目的について尋ねました。そのときの孔子の回答が「食を足らし、兵を足らし、民これを信にす」 ...1)食糧の充足、2)軍備の充実、3)信用の確立
です。
Q-415:やり場のない怒りはどのようにゴール設定… <vol.5;条件・娯楽・目的>
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/36129192.html
子貢が「この3つのうち、仮に1つを諦めねばならないとしたらどれを除きますか?」と質問したところ、孔子は「軍備だよ」と即答したそう。
さらに「残りの2つのうち、1つを諦めるとするとどちらですか?」と尋ねると…
もちろん食糧だ。人間はいつか死ぬ。死は逃れられないが、信用が失われては社会そのものが成り立たなくなる
…と答えたのだそうです。その「信用が失われては社会そのものが成り立たなくなる」が「民、信なくんば立たず (民無信不立)」です。
L-203:2022年07月シークレット… -01;決して過信はせずに、しっかり確信する
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/36719650.html
孔子は食糧よりも信用を選びました。それは「命よりも信用の方が大切だ」という弟子たちへのメッセージです。
(*そもそもこの問い自体がダブルバインド。詳しくはこちらでどうぞ↓)
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/33414117.html
ここを苫米地式で考察すると、物理空間上の個の存在よりも、より抽象度の高い情報次元での縁(社会的つながり)の方に重きを置いていることがわかります。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516539.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654230.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654316.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831442.html
孔子は見抜いていたのです。宇宙はすべて関係性で成り立っていると。
見抜けた理由は「巨大なゲシュタルトを構築していたから」のはず。ゲシュタルトができるから、しっかり理解することができます。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6193912.html
さらに、ゲシュタルトどうしがつながりより大きなゲシュタルトができあがると(connect the
dots)、ますます理解が深まっていきます。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/7383761.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/13628437.html
さすが孔子! さすがは論語!
…と安易に納得せずに、まずは疑ってみることが、「決して過信はせずに、しっかり確信する」というブリーフ。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721531.html
以下、苫米地博士の著書「洗脳論語」(三才ブックス、p6)より引用します。
差別の思想は、人間が元来持っている性質の1つです。人間だけではありません。群れをなす全ての生物に当てはまります。ボスとその他に差別され、時には争いすら起こります。これは、生物が持つ生き残るための本能です。
本能を超えて、差別思想を根絶するのは、並大抵のことではありません。キリストや釈迦ほどの知慧と勇気が必要なのかもしれません。しかも、それほどの知慧や勇気を以てしても、数百年も経てば、いつの間にか奴隷と差別のシステムへとすり替わってしまいます。
では、孔子はどうなのでしょうか。「論語」を生み出し、儒教をアジア全体にまで広げた希代の教祖は、キリストや釈迦と同じように権威に抗い、差別を否定していたのでしょうか。
実は、孔子はキリストや釈迦と違って、始めから差別思想を支持していました。そして、権威中心の「支配の論理」を採用していたのです。
子曰 學而時習之 不亦説乎 有朋自遠方來 不亦楽乎 人不知而不慍 不亦君子乎
子曰く、学びて時に之を習う。亦説ばしからずや。朋有り遠方自り来たる。亦た楽しからずや。人知らずして慍みず。亦君子ならずや、と。
(学而第一の一)
これは、論語でも有名な冒頭の言葉です。皆さんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
言葉の意味は次の通り。
「知識を学び、常にそれを実践に移す。何と楽しいことか。また、友人が遠くから訪ねてくれる。これも何と楽しいことか。人に認められなかったとしても少しも気に掛けない。これが本当の君子ではないだろうか」
なかなか「ためになる」言葉……と思った方は、もう一度よく読んでみてください。本当にためになる言葉でしょうか。
確かに、「学びて時に之を習う」や「朋有り遠方自り来たる」は、その通りかもしれません。しかし、よくよく考えてみれば、当たり前の話です。改めて言われるまでもないでしょう。
私が素直に頷けないのは、最後の節。
「人知らずして慍みず。亦君子ならずや、と」
そのまま現代語訳にすると「人に認められなかったとしても少しも気に掛けない。これが本当の君子ではないだろうか」ですが、この裏を返せば「目立つな」という意味に受け取れます。精一杯勉学に励み、目立たないようにすることは美徳だと説いているわけです。
どうですか。ちょっとおかしいとは思いませんか。
どうして目立つことが悪いのでしょうか。目立っていても学ぶ人は学びます。学ぶことと目立つことは関係ありません。むしろ、学んで目立ったほうが、人生としては豊かに過ごせるのではないでしょうか。
論語は、日本人にとってはとても身近な書物です。中には、論語を生きる指針として大切にしている人もいます。実際、論語を学べば、「心豊かな人生を送ることができる」と思っている方も多いのではないでしょうか。
しかし、この解説からもおわかりの通り、官僚にはいいかもしれませんが、私の本音では未来ある若者には勧めたくない生き方です。
論語が私達を輝かしい未来へと導くことはないでしょう。むしろ、逆です。読み方次第で論語は私達の人生を見誤らせる危険な書とさえ言えます。論語を通じて感じることは、孔子は人々に奴隷になることを奨励するため、自分の教えを広めたのではないかということです。
「そこまで言うほど……」と戸惑われた方は、もう一度先ほどの文をよく読んでみてください。
一見すると、誰もが受け入れやすいことが書かれていますが、吟味してみると、その裏側にはとんでもない真意が隠されています。
ここで子(=孔子)が本当に言いたいことは、「目立つな」ということです。
「目立つな」というのは、「成り上がってはいけない」ということ。もっと言えば、「一生小役人でいなさい」「奴隷でいなさい」ということです。せっかく何かを学んでも、それを最大限に活かそうとせず(例えば、起業しない)、一役人として知識を埋もれさせるように促しているのです。現在でも「出る杭は打たれる」の喩え通り、何らかの分野で成功して目立った人が叩かれる風潮があります。
本来、人は身につけた知識を活かして、成長します。そして、新しい世界へ飛び出していくことが、また人を成長させます。
しかし、孔子はそれをよしとはしていません。なぜなら、奴隷が成長したり、奴隷が自分自身の考えを持ち、夢を持って羽ばたいていったりすると困るからです。日本を含むいわゆる儒教国では、それが今でも一般的な風潮として蔓延っています。
論語の本質的な役割は「権力者が民衆を支配できるように洗脳する」ことです。皇帝などの権力者が、民衆をひと所に縛り付けて奴隷にするために利用した、洗脳書とさえ言えるのです。
前半に誰もが受け入れやすい文言を入れておき、後半に本当に言いたいことを入れるのは、論語の1つの定型ですが、これは厳しく言えばカルトの教義にありがちな手法です。「世界平和」や「潤いのある人生を送るために」といった文の後に、多少怪しい文言を挟んでも、読む人はすんなりと受け入れてしまいます。
論語にはそうした「支配の論理」が随所に散見されます。ですから、論語を鵜吞みにするのは、大変危険と言えるのです。
残念ながら、現在の日本は、論語による「支配の論理」に洗脳されています。数千年の時をかけて埋め込まれた思想は、今や日本人の遺伝子レベルにまで浸透しています。その結果、日本人は無意識のうちに「支配の論理」に縛られた判断を余儀なくされています。
そこで、私は日本を「脱洗脳」するために、あえて論語を取り上げることにしました。というのも、論語は「権力者のために用いる洗脳書」ではありますが、だからこそ「洗脳されないため」に活用することができます。
そのためには、まずは「先生」という言葉を使うのをやめなければいけません。権威を疑い、覆さなければいけません。
仮に、あなたが学校あるいはお稽古事で「先生」の立場であり、生徒に「先生」ではなく「~さん」と呼ばれたことに少しでも違和感があれば、論語によって洗脳済みだと自覚してください。国会議員でも、弁護士でも、会計士でも、医師でも同じです。
人間は必ず何かに洗脳されています。親、教師、友人、マスメディアなど、何者かに洗脳され、束縛されて生きています。そして、日本にとって最も大きな束縛の1つが「論語」なのです。
本当に心豊かな人生を送りたいのであれば、論語による束縛から解放されなければいけません。そして、論語だけではなく、あらゆるものからも脱洗脳し、一度、本当の自由を獲得しなければなりません。
論語は、そのためのテキストとしては、とても多くの示唆に富んでいます。
本書では、孔子が残した言葉を私が再解釈することで、論語からの脱洗脳を試みています。
本書を読めば、論語による「支配の論理」から解放されるだけでなく、あらゆる束縛が見えるようになります。何が「表」で何が「裏」かが、わかるようになります。私達を取り囲む、全ての「仕掛け」が見えるようになります。
皆さんが、より豊かで楽しい人生を謳歌できるために、苫米地式「論語」を是非とも学んでいただければ、と思っています。
引用終わり
人間は必ず何かに洗脳されています。親、教師、友人、マスメディアなど、何者かに洗脳され、束縛されて生きています。そして、日本にとって最も大きな束縛の1つが「論語」なのです
…その束縛から自身を解放し、自由なマインドを手に入れるのがコーチング。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10400987.html
コーチングは脱洗脳であり、脱構築です。その根底には釈迦哲学があります。
L-217:2022年08月シークレットレクチャー -04;情報を操作する鍵
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/37162258.html
「民、信なくんば立たず」を釈迦哲学で再解釈するなら、「関係により存在が生まれる」という縁起。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html
縁起の思想は、2600年前に釈迦が見いだした真理であり、哲学や科学の発展により明らかになった真実。その本質は「アプリオリ性の完全否定」。哲学でいえば「不完全性定理」であり、物理学でいえば「不確定性原理」です。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6194669.html
不完全性や不確定性が示すのは、無常であり、無限の可能性。ところが、孔子や論語に象徴される権力構造(既得権益)は、一見抽象度が高い「もっともらしいイメージ」を仕掛け、人々が潜在能力を開放しようとするのを潰そうとします。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html
コーチングマインドを持つ者が戦うのは「目には見えない権力構造」です。
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721610.html
そして、その戦いの第一歩が「現状の外へのゴール設定」。
Q-216:「現状の外のゴール」とは何か? 混乱しています
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/27346333.html
コーチングの実践は実戦です。
F-256:イノベーションがうまれるとき <後編;ゲバラ主義>
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/29522943.html
(L-233につづく)
CoacHing4M2 EDGE
CoacH T(タケハラクニオ)
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次回のオンラインセミナーは、コーチング募集開始前の「コーチング説明会」として期間限定配信(2ヶ月)します。2026年春に配信を開始する予定です。
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クラブ活動をはじめました。その名は「コーチング・デ・コンパッションクラブ」。
一緒に楽しみましょう!
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_418055.html
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L-143:2021年11月小学校親子講演会(鹿児島県)-06;現状の外のゴールに向かい続けることができる理由
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Q-423~:現状の外側に100%want
toのゴール設定を行うためにはどうすればいいでしょうか?
https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_431018.html
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