Q-392コーチングとは基本的に利他的になることでゴールを達成することなのでしょうか?

 

御質問をいただきました。ありがとうございます。

 その一部に回答いたします。

 (変更を加えています)

 

Q:コーチングとは基本的に利他的になることでゴールを達成することなのでしょうか?

A:ゴールのポイントは1)現状の外、2)心から望む、3)バランスホイール +4)自分中心を捨て去る の4つ。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html

 

4)自分中心を捨て去る」は、苫米地博士の著書「『頭のゴミ』を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!」(徳間書店、開拓社から再販)のstep.6に詳しくまとめられています。

Q-221:ゴール設定のポイントについて確認させてください

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/27497249.html

 

 

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!(Kindle版)

Kindle版はこちら↓

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める! | 苫米地英人 | 個人の成功論 | Kindleストア | Amazon

 

 

 “自分”とは、関係性の結び目のこと。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html

 

 その“自分”の中心を“捨て去る”とは、「自分のことは後回しで他人を優先する」というような「自」と「他」を分けた視点の話ではなく、「自」の定義そのものを拡張していくということです。「家族を“自分”のように思う」「現代社会の問題を“自分事”として考える」「遥か未来まで“自分”と感じられる」というように。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353425.html

 

 その本質は「抽象度が上がる」「抽象度を上げる」こと。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html

 

 よって、「さらなるゴール設定」を繰り返すと、自ずと抽象度は上がっていきます。抽象度が上がる →“自分”の定義が拡大 →利他的 です。

 L-06220209… -02;高次の抽象度次元に誘う存在、高い抽象度次元を志向する一人ひとり

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/28485944.html

 

その「結果として利他的」がコーチングの感覚。

バラだんでの苫米地博士の講義と重ねると、「w1からw2へ移行」する間に、結果として「関数p(←自我のこと)」が書き換わる=利他的 という感じです。

F-222:コーチングの基本概念を習熟して、エフィカシーをブーストしよう!

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/27832570.html

 

 

ところで、コーチング実践中に忘れてはならない大切なポイントがあります。それは「ゴールを達成すること』自体が目的ではない」ということ。

F-354:“MJ~縁起宇宙(w1)再構築!~ vol.6HealingCoaching the worldw1w2…

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/34702391.html

 

ゴール達成自体が目的化してしまうと、きっと幸せから遠ざかります。なぜ?

 

 

 その理由を“体感”を伴って理解できていることが重要です。

 今回は苫米地博士の著書「一生幸福になる 超訳 般若心経」(学研プラス)より2回に分けて引用します。この機会にじっくりと考えてみてください。もちろん気楽に。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/19980130.html

 

 では、まずはこちらから(p40)。

 

 

止観瞑想

 第一章でも書きましたが、瞑想とは心静かに、自分自身と自分の周りの世界、そして全宇宙を見つめることを言います。これを「止観」と言います。止観とは天台智顗の「摩訶止観」という言葉から来ていますが、読んで字のごとく「止めて観る」ということです。何を止めるのかと言えば「煩悩」とか「雑念」のようなものです。これらをとりあえず脇に置いておいて(捨てなくてもいいのです!)、素直な気持ちになって自分や周りを見つめます。固定観念のようなものをとりあえず一回ははずしてみるという感じです。

 止観瞑想は気持ちをリラックスさせないとできません。リラックスするためには「般若心経」を唱えたり、写経したりするのも効果があると思います。

 禅にしても、念仏や題目を唱えることにしても、そもそもは瞑想の方法論として出てきたものです。禅は「無念無想」のような止観の「止」のほうを重視しているのに対して、念仏や題目は自分や周りを観る「観」のほうを重視しているという違いがありますが(どちらもリラックスすることに重点を置いているとも言えます)、本来は両方を同時に行って初めて、しっかりとした瞑想ができるのです。

 このときに、頭でわかっているだけではなく、体感を伴っていないと本当の意味で自分や周りを理解したことにはなりません。

 例えば「空」について理屈でわかっていても、体感を伴っていないと実践ができないのです。お腹が痛いと思ったとき、「腹痛も“空”だから」と頭で理解しても痛みは消えません。ですが、本当に体感を伴って「空」を実践すると、痛みを感じなくなるのです。

 腹痛や頭痛は物理的なもので難しいという人でも、精神的な悩みとか心の苦しみといったものは、比較的容易に実践することができます。「般若心経」を利用した止観瞑想も、この精神的な悩みや苦しみを取り除くために行うのが効果的なのです。

 引用終わり

 

 

止観とは天台智顗の「摩訶止観」という言葉から来ていますが、読んで字のごとく「止めて観る」ということです。何を止めるのかと言えば「煩悩」とか「雑念」のようなものです

 

ゴール達成自体が目的化すると、次第に煩悩に囚われていきます。

 

 なぜなら、ゴール達成とは、抽象度を軸とした場合の情報空間の底面での話だから。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516539.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654230.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654316.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831442.html

 

 煩悩に囚われる

 

それは「空(くう)」が抜けてしまった状態であり、争いや差別を引き起こしかねない危険な状態です。

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353367.html

 

 だから「煩悩を止めて観る」。

 煩悩を止めるから正しく観ることができ(w1)、正しく観るからこそゴールを達成しながら(w2)、さらなる高抽象度次元にひろがる新たな世界を感じることができます(w3w4…)。

そんな心の状態が「観自在」です。

 F-318~:観自在

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_427083.html

 

 多くの人は「何らかの結果」に対して「幸せ」か「不幸せ」かを判断します。例えば「ゴールを達成したから幸せ」「達成できなかったから不幸せ」というように。

 S-04-11~5:本当の幸せを感じられない理由

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23107579.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23170992.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23234058.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23309832.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/23368649.html

 

 ところが、幸せを結果に求めてしまうと、その幸せは不確実なものになってしまいます。この世(物理空間)もあの世(情報空間)も不完全性が働くからです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6194669.html

 

 では、幸せを何に求めればいいのでしょう?

 どうすれば幸せが継続するのでしょうか?

 

 以下、「超訳 般若心経」(p188)より再引用します。

 

 

「幸せ」とはゴールに向かう選択をすることである

 では、「幸せ」とは何か。それは、「到達すべきゴールを設定し、それに向かうためのベストの選択をすること」です。ゴールに向かう選択をすること自体が「幸せ」なのです。

 「でも、その結果、不幸な目に遭うかもしれません」

 そう思う人は、まだ、結果論に囚われてしまっています。それではいつまで経っても幸せにはなれませんし、幸せだと感じたとしても、単なる偶然であって、次の瞬間には不幸を感じてしまうかもしれません。

 あなたが到達すべきゴールは、まずは、あなたが「幸せだ」(うれしい、楽しい、気持ちいい、すがすがしい、誇らしい の五つのポジティブ感情)を感じるものを設定しましょう。どんなゴールでそうした感情を得られるかは、シミュレーションしてみればいいでしょう。こうすれば、あなたが行う選択は必ず「幸せ」を感じるための選択になります。そして、この選択自体が「幸せ」に向かう行為ですから、まさにそれ自体で「幸せ」を感じることができるはずです。

 これなら、偶然に頼ることなく、「幸せ」をつかむことができることでしょう。

 引用終わり

 

 

 ゴールに向かう選択をすること自体が「幸せ」

 

 心の底から「幸せ」を感じながらゴールに向かっていると、「結果として利他的」はどんどん加速していきます。すると、まわりはますます「幸せ」になっていくでしょう。

 

 「幸せ」が拡散していく

 

 それがコーチングに秘められた力です。

 F-184:「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)」との縁で気づいたこと -01;抽象度&超情報場理論

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/25618957.html

 

 

 以上、私の回答です。

 御質問ありがとうございました。

 

 

苫米地式コーチング認定コーチ      

苫米地式認定マスターヒーラー      

 CoacH T(タケハラクニオ)     

 

 

-追記1

その“自分”の中心を捨て去るとは、「自分のことは後回しで他人を優先する」というような「自」と「他」を分けた視点の話ではなく、「自」の定義そのものを拡張していくということです

 

 例えば、「私意(自分本位の考え)」「思い込み」「自己主張」「我の強さ」などは少ない方がいいという考え(ブリーフ)は、社会に仕掛けられている典型的な“洗脳”の結果です。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721531.html

 

 クリアでない方はこちらをどうぞ↓

 L-163202201月シークレット… -07;「ゴールを見つける近道」に仕込まれた洗脳

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/34339393.html

 

 

-追記2

 「幸せ」について、コーチ兼ヒーラーとして考察しました↓

 F-176~:“幸福(well-being)”とは? ~「antiwithwellpart

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_408326.html

 

 

-告知1

今年度のオンラインセミナーは、コーチング募集開始前の「コーチング説明会」として開催します。次回は2025年2月下旬開催の予定です。約1ヶ月前にこのブログで御案内いたします。

 

 

-告知2

 クラブ活動をはじめました。その名は「コーチング・デ・コンパッションクラブ」。

一緒に楽しみましょう!

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_418055.html

 

 

-関連記事-

F-295~6:苫米地式次世代リーダーシップ <vol.2~3;次世代リーダーの要件>

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/31657555.html

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/31709558.html

F-353:“覚醒”の夏に向けて習得! 苫米地式「オーセンティック・コーチング」

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/34650757.html

Q-217:家族や人間関係のゴール設定はどのようにすればよいでしょうか?

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/27388111.html

Q-348:自身の人生を変えることに専念? それともコーチング活動を開始? <vol.5;走りながら考えるのは「〇〇〇〇」、その時気をつけるのは「〇〇」>

https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/32598346.html

 

一生幸福になる 超訳 般若心経