F-362:自由訳「OODA」 <vol.8(最終話);「OODA」というトリガーが引きだすもの>

 

 「OODA(ウーダ)」という概念を御存知でしょうか?

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6193912.html

 

 Wikipediaで「OODA」を検索すると、「OODAループ(OODA Loop)」にjumpします。

 そこには「意思決定と行動に関する理論」とあり、「元々は軍事行動における指揮官の意思決定を対象としていたが、後にこれに留まらず、官民を問わずあらゆる個人の生活、人生ならびに組織経営等において生起する競争・紛争等に生き残り、打ち勝ち、さらに反映していくためのドクトリン、そして創造的行動哲学となった」と書かれています。

 

OODAループ(Wikipedia)

OODAループ

Wikipediaより引用

OODAループ - Wikipedia

 

 

 苫米地式認定コーチとして、「OODA」について自由に考えてみました。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/7383761.html

 

 vol.1Observe

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/34753761.html

 vol.2Orient

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/34805412.html

 vol.3Decide

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/34856133.html

 vol.4Act

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/34906708.html

 vol.5;コーチとして思う「OODAループ」の正体

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/34957491.html

 vol.6;「OODA」とは〇〇〇そのもの ver.2

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/35009043.html

 vol.7;「OODA」の本質とコーチングの真髄

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/35059143.html

 vol.8;「OODA」というトリガーが引きだすもの

 

 

 ここまで苫米地式コーチング認定コーチとして、「OODA」について考察しました。

 「OODA」の最初の「O」は「Observe」、観察すること。

 F-321:観自在 <実践編-1;モニタリング>

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/32969294.html

 

 苫米地式の私たちが行うことは、苫米地博士の教えを指針として、博士が指し示されている目の前の宇宙そのものをしっかりと観ること。そして、自分自身をしっかり観る。さらには

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353425.html

 

 メタ思考をすることで、系の外側に出る

 

 これが「OODA」の本質。そして、これがコーチングの真髄であるはず。

 F-222:コーチングの基本概念を習熟して、エフィカシーをブーストしよう!

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/27832570.html

 

 

苫米地博士は「ほんとうの宇宙は美しい」と語られます。

 

 その「宇宙の美しさ」をイメージしていたとき、私はエリ・ヴィーゼルの言葉を思い出しました。

 

 

愛の反対は憎しみではない。無関心だ

 美の反対は醜さではない。無関心だ

 信仰の反対は異端ではない。無関心だ

 生の反対は死ではない。生と死の間(にあるもの)への無関心だ

 

The opposite of love is not hate, it’s indifference.

The opposite of beauty is not ugliness, it’s indifference.

The opposite of faith is not heresy, it’s indifference.

And the opposite of life is not death, but indifference between life and death.

 

 

エリ・ヴィーゼル(Wikiより引用)

Wikipediaより引用

エリ・ヴィーゼル - Wikipedia

 

 

エリ・ヴィーゼル(Elie Wiesel19282016年)はシゲト生まれ(現在のルーマニアの都市)。シゲトはナチス・ドイツの占領を受け、ユダヤ人であるヴィーゼル一家はアウシュヴィッツの強制収容所に送られました。

そう、収容所体験を「夜と霧」に記した精神科医 ヴィクトール・E・フランクル(Viktor Emil Frankl)と同じ体験です。

(正確にいうと、フランクルがアウシュヴィッツに収監されていたのは3日間。その後別の収容所に移送され、6ヶ月後の19454月にアメリカ軍により解放されました)

PM-04-04収容所生活中にフランクルが発見した「健康」の源泉とコーチングの関係

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/8045695.html

 

当時16歳の少年だったヴィーゼルは、囚人番号A-7713という刺青を左腕に彫られたそう。この時、物理空間の身体にだけではなく、情報空間の心にも何かが刻まれたはずです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516539.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654230.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4654316.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4831442.html

 

 フランスの孤児院で過ごした後にソルボンヌ大学哲学科に進学したヴィーゼルは、新聞に寄稿を繰り返したことが縁でイスラエルの新聞社で働くことになりました。その通信員としてニューヨークに移住した後、1963年に米国に帰化しています。

 その後、暴力・圧政・差別を告発する本を書き続け、1986年にノーベル平和賞を受賞しました。

青春時代の情動記憶が、反暴力・反権力・反差別という強烈なブリーフを作り上げたに違いありません。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5721531.html

 

 ゴールを希求する強い思いとゴールとは程遠い現実との大きなギャップは、激しい認知的不協和の原因となり、強大なエネルギーを生みだします。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5882652.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/20276623.html

 

 ヴィーゼルは、そんなエネルギーを「私憤」とすることなく、「公憤」として社会に還元し続けました。

 PM-06-11:仮説06)二つの「怒り」とその間にある論理的思考

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/14107083.html

 

 そのヴィーゼルの言葉が

 

The opposite of love is not hate, it’s indifference.

The opposite of beauty is not ugliness, it’s indifference.

The opposite of faith is not heresy, it’s indifference.

And the opposite of life is not death, but indifference between life and death.

 

 ヴィーゼルが示しているのは「OObserve」の重要性です。

さらに「抽象度を上げる」という「OOrient」に至ることで、ヴィーゼルは生命力の本質に気づき、宇宙を体感したはず。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4448691.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4449018.html

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/4516484.html

 

 ヴィーゼルの気づきをシンプルに言語化すると「関心」。

 それをコーチングのフレームで言い換えると、「RAS&スコトーマのコントロール」です。

 Q-279~:今までRASとスコトーマは「認識しているものの中から何を選ぶか?」という話だと思っていました

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/cat_422026.html

 

 そんなヴィーゼルの気づきを、さらに抽象度を上げて一言であらわすと「ゴール」。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5615935.html

 

 

 「OO」により自由(空) → ゴール → 「DA」により現実化(仮) = 中

 

 

 ヴィーゼルの場合、「DA」が反暴力・反権力・反差別のための執筆活動であり、その結果のひとつがノーベル平和賞だったということ。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/10400987.html

 

 そんな生き方を貫いたヴィーゼルは、苫米地博士と同じように「ほんとうの宇宙の美しさ」を体感していたはずです。

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353367.html

 

 私自身はまだ「ほんとうの宇宙の美しさ」を感じてはいませんが、そのための方法については確信しています。それが

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/5616012.html

 

 

超瞑想としての「OODA」であり、「OODA」の実践としてのコーチング

 

「ほんとうの宇宙の美しさ」(アンカー)を体感する縁起(トリガー)としての「OODA」← コーチング!

 

 

 最後に、おそらく苫米地博士が「ほんとうの宇宙の美しさ」に言及されているのであろう文章を紹介します。博士の著書「思うままに夢がかなう 超瞑想法」(PHPp186)からの引用です。「OODA」との関係を味わいながら読み進めてください。Feel

 https://coaching4m2-edge.blog.jp/archives/6353044.html

 

 

21世紀はより抽象度の高い「愛」と「縁起」の物語を

 もうひとつ、この終章で伝えておきたいことがあります。

 私たちが超瞑想を行うときに最適な物語を持つ宗教が現代にはないことです。

 お経や聖書が今でも通用する指針であることは確かです。第3章でもそう解説しました。ただ、釈迦やキリストの話が書かれた物語は、1000年以上前にその時代の人に向けられて作られました。彼らの教えは時代を超越していますが、たとえ話などでは現代では通用しない場合もあるのです。

 また、お経の教えを忘れて、私利私欲をむさぼるような仏教徒がいたり、聖書の教えである「愛」を重視するはずのキリスト教徒が戦争を起したり、経典をめぐる状況もおかしなことになっています。

 21世紀にはさらに抽象度の高い、指針となる物語が求められているのです。

 

 いわゆる宗教に限ることはないと思います。実際、共産主義も資本主義などの社会システムも人が生きるための指針となる物語です。

 たとえば資本主義では「一生懸命働いてお金を稼げば、個人は幸せになり、社会全体もよくなる」という物語を持ち、人々はその物語に強い臨場感を持って毎日アファメーションをしながら一生懸命にお金稼ぎをしてきました。しかし、共産主義も資本主義も現代ではどちらも破綻しています。

 宗教もダメ、社会システムもダメ…… 今、私たちはより抽象度の高い瞑想をするための指針を失っています。今、人類に必要なのは、自分たちを高い抽象度へと導いてくれる新しい物語なのです。

 ひとつのアイデアとしては、宗教という概念を超えた超宗教を作り、その経典をまとめる方法があります。具体的にいえば、釈迦の教えとキリストの教えの両方を包摂するような、より抽象度の高い教えがあっていいと思うのです

 突拍子もない考えに聞こえるかもしれませんが、両者の核となる教えは共通しています。実は、キリスト経の「愛」は、仏教の「縁起」と同じ思想なのです。

 釈迦のメッセージは「縁起」です。この宇宙にアプリオリなものはない、すべては縁起によって成り立っている、ということです。

 一方、キリストのメッセージは「愛」、しかも神からの一方的な愛、条件なしの無償の愛であると私は考えます。愛が神から一方的に無条件で注がれるものであるならば、一般的にキリスト教で言われているような契約の概念は不要です。人は、良い行いをしたから愛されるのではなく、無条件で神から愛されるのです。こうした無償の愛は、親が子供を愛するのとまったく同じです。親が子供を無条件に愛するように、神は人類を無条件に愛するのです。

 こうしたキリストの愛の教えのすさまじいところは、神の無条件の愛によって契約の概念を否定することで、神そのものの存在も否定している点です。

 なぜなら契約の否定は、アプリオリ性の否定につながり、アプリオリ性の否定は絶対的な存在=神の否定でもあるからです。

 では、契約によって神から人への愛が生じるのでなければ、愛はいったいどこから生じるのでしょう。

 答えはひとつ。

 

 愛はもともと存在しているのです。

 そして、その愛は何かといえば関係性です。

 愛があるから、この世界はあるのです。

 

 ここに至って、キリストが説いた「愛」は釈迦の「縁起」とイコールになります。なぜなら、どちらも「事物は関係性によって生じる」と説いているからです。

 釈迦の教えとキリストの教えをひとつ上の抽象度から眺めれば、縁起の思想に行きつくのです。

 つまり、縁起の思想、さらには縁起を発展させた空の思想を、より臨場感を持ってわかりやすく瞑想できるような物語をつくればいいのです。

 21世紀の指針となるのは、きっと「愛」と「縁起」を包摂するような高い抽象度の物語になるはずです。

 引用終わり

 

 

 縁起の思想、さらには縁起を発展させた空の思想を、より臨場感を持ってわかりやすく瞑想できるような物語をつくればいい

 

 そのための超瞑想であり、「OODA」であり、コーチング。その実践の過程で自由になり、シンの力(生命力)が覚醒します。

 

 皆さんはその力でどのような物語をつくりますか?

 

 

OODAループ(Wikipedia)

 

 

 

苫米地式コーチング認定コーチ     

苫米地式認定マスターヒーラー     

 CoacH T(タケハラクニオ)    

 

 

 

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一緒に楽しみましょう!

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